日本人には知らされない真実。
高級黒毛和牛は残酷に殺される。
私がケアンズに住んでいた頃、9人のシェアメイトと一軒家で暮らしていた。
私だけなのかも知れないが、テラスハウスのような恋愛ドラマは一切起きていない。初めてシェアハウスをしてみてあのキラキラ感はテレビだからこその演出だと心底思った。
実際のシェアハウスはお風呂の順番を虎視眈々と狙い、トイレの便座が上がりっぱなしになっていたら「おーい、立ちション太郎は誰やねん。」とメンズに問い詰めたり、「洗い物朝まで置きっぱなしにするなよ〜」とか「洗濯終わってるけど洗濯機の中に服入れっぱなしにしてるの誰〜」とか共同生活のマナーを改めるように注意し合って生活感に溢れまくっているのである。(そんな口うるさい女にラブハプニングが起きるわけない。)
やかましい私に対してもシェアメイトはいつも優しくとても良い人達だった。
その中の1人に北海道出身の男性Hさんがいた。
ご実家がばんえい競馬(北海道内の競馬)の競走馬を育てていて、同じ牧場で黒毛和牛の畜産も行なっているという。
神戸で育った私は身の周りに農家や畜産を営んでる方がいなかったので、その人の話はとても新鮮だった。
ちょうどその年に放送されていたNHKの朝ドラ「なつぞら」の中で畜産農家の生活を観ていたので、テレビで見た畜産のイメージと実際の畜産の現場とどんな差があるのかも知りたかったのだ。
そして、Hさんから聞く話はテレビで観ていたほのぼのとしたものとは全く異なり、私は畜産業の過酷な現実を知ることとなった。
黒毛和牛の畜産は、三つの現場に分かれている。
生産、肥育、出荷。
生産の現場は、
雌牛に人工授精を行い、妊娠、出産、子牛を育てる。子牛がある程度の大きさになったら、肥育の現場に引き渡す。
肥育の現場では、
牛を大きく育てることが目的で、たくさんの飼料を食べさせ、バランスよく太らせる。そして時期が来たらトラックに乗せて出荷現場に送る。
出荷の現場では、
牛の首をチェーンで繋いで並ばせる。そして順番が来たら、人間が牛の頭を硬いもので殴るか、弾丸の入っていない銃で眉間をかち割り、脳震盪を起こして気絶させ、頸動脈を切り、速やかに血抜きをして、毛皮を剥がす。大きな肉の塊と化した牛は吊し上げられ、冷却保管される。
私はその話を聞くまで、牛は電気ショックとか注射で安楽死させられているものだと思っていた。これまで当たり前のように動物の肉を食べてきたのに、恥ずかしいことに牛がどんな風に殺されているかを知らなかったのだ。
ここまで科学やあらゆる技術が発展しているのだから、もっと牛が楽に死ねる方法はいくらでもあるのではないだろうか。
私は尋ねた。
「いろんな方法がある中で、何でそんな、、牛の頭をかち割るという殺し方を選択をしているんですか。」
Hさんはすぐに答えてくれた。
『人間にとってその方法が一番美味しく食べられるからだよ。』
『電気ショックで屠殺すると体内で血液の流れが瞬間的に止まっておいしい肉にならないし、牛が安楽死するような注射をしたら、その肉を食べる人間の身体に害が及ぶからそういう注射は出来ないんだ。』
私はしばらく言葉が出なかった。
もしかしたら電気ショックや別の方法で屠殺しているところもあるのかもしれない。(殺し方が変われば良いと言う訳でもないけど…。)
しかし、黒毛和牛のように上質と言われる牛は美味しさや質の良さを求められるため、目を背けたくなるような方法で人間によって殺される。
私は牧場で牛が育てられている様子は見たことがあっても、牛が殺される現場に足を運んだことはない。
スーパーでパック詰めにされたお肉達がどうやって殺されて来たかを知らなかったのだ。
生活の中でお肉を食べているのだからどこかで動物が殺されていることは知っていた。
でも、
その詳細を見ないようにしてきたのだ。
スーパーでお肉を買うときに見るのは、どこ産の肉で、何グラムで、何円なのか。赤みが多いのか、脂肪が多いのか。ブロックなのか、スライスなのか…。
そんなことしか見ていなかったのだ。
その部分しか見ようとしていなかった。
人間の為に、美味しさの為に、その殺し方が採用されていることも、
その事実を知ろうともせずに当たり前のようにお肉を食べていた自分に対しても、
怒りなのか失望なのか、
上手く言葉に出来ないがとにかくショックを受けた。
さらに話を聞くと、頭をかち割られる前の牛の足取りは重く、なかなか前に進まないという。それもそのはず、自分の仲間が次々に頭をかち割られて吊るし上げになっているのを見て、殺される順番がどんどん近づいている時に自ら進んで歩く生き物なんていないだろう。
出荷先の食肉センターに向かう為のトラックに乗りたがらない牛も多くいるそうだ。その先に何が待っているかをすでに勘付いているかのように…。
3つある現場の中で、Hさんの実家は生産の現場を営んでいた。
自然妊娠が理想だが、なかなかそう上手くいくことばかりではないので人工授精も仕事の一つだと言っていた。
牛は人間よりも遥かに大きいから思考も感情もちゃんとある。
人間の気持ちが伝わってるんじゃないかと思うくらいとても繊細で、すぐ体調を崩したり、発熱したりするので目が離せないという。
元気がない時はニンニクを与えて付きっきりで世話をするそうだ。「人間も牛もニンニク食べたら元気になるのは一緒なんだー!」とほっこりしながら聞いていた。
愛情をたっぷり注がなければ、牛は健康に育たない。
だから生産の現場は愛で溢れている。
そう聞いて少し安心した自分がいた。
Hさんはご実家の仕事を継ぐ予定だが、将来的に黒毛和牛の生産はやめる方向に持っていきたいと言っていた。
いくらその現場に愛が溢れてるとしても、産まれる数=殺される数だから。
可愛い仔牛が生まれて、愛情かけて育てても、人間のために殺される運命が既に決まっているのだ。
でもそれで自分達の生活が成り立っているから、需要があるうちは続けるしかないという。しかも生産の方が辞めてしまうと、肥育や屠殺を仕事にしている方も職を失う可能性がある為、そう簡単に辞めれるものではないのかもしれない。
Hさんがオーストラリアに来た目的は、牧場の余っている土地を有効活用する可能性を見つけるため。
あと日本のニュースはフェイクばかりで偏りがあるから、英語圏のニュースの方が情報量が圧倒的に多く、その分真実も多いから英語で海外のニュースを取得するスキルを身に付ける為だと言っていた。(年下の私が言うのもアレやけどしっかり者やな。笑)
そして、何か良い活用方法があればご実家の黒毛和牛の生産を辞めて、その新たな可能性を伸ばして行くのかもしれない。
Hさんの周りには出荷の現場である屠殺場で働く方もいるそうだが、やはりずっと続けていきたい仕事ではなく、毎日毎日何百頭という牛を屠殺し、気が滅入ってしまい心を病んでしまう人も少なくないという。
しかし、誰かがやらないと消費者の元にお肉が届くことはない。
私たちがお肉を食べるという選択を選び続ける限り、今日もどこかで知らない誰かが心を傷めることもある中、私たちの代わりにあらゆる動物を殺し続けるのだ。
私はこの話を聞いてから大食い系の番組や動画を一切見なくなった。
元々他人がひたすらご飯を食べ続ける姿を見ることに楽しさも面白さも感じていなかったけど、この事実を知った上でエンターテイメントの為に必要以上の量を食べる人を見ていられないのだ。
貧困や飢餓で亡くなる人は毎日2万5千人いる。
単純計算で1分間に17人、食糧がないことや十分な医療が受けられないことで命を落としている。
そのことも考えると、1人でそんなに沢山の量を食べる必要があるの?と思ってしまう。
分け合えばきっと飢餓や貧困のない未来も訪れる。
多くの人の生活が変わらなければずっと飢餓も貧困も存在し続けるし、明日は我が身かもしれない。
それは恵まれた国に生まれた私たちが早急に気付き、日々の選択を変えていく必要がある。
私たちは生かされている。
「沢山の愛情を込めて育てた牛のお肉を食べる事が出来ますか?」
Hさんにそう聞くと、
「うん。牛のおかげで僕達家族は生かされているから、食べる時は心から感謝して頂くよ。それと自分達が育てた牛だけじゃなく、ほかの食べ物でも絶対に残したりはしない。これは小さい時からずっと言われていたし、どんな時でも絶対そうしてきたね。」
優しい言い方でそう答えたHさんの言葉に意志の強さを感じた。
私はものすごく当たり前なことを思い出した。
そうだ、私たち人間は生かされているんだ。
野菜や果物、木の実や海藻、魚介類や動物…。
あらゆる自然のものを頂いて生きている。
自然の恵みを頂くことでやっと「生きる」ということが出来ている。
それなのに口に合わなかったり、お腹いっぱいという理由で沢山の命を無駄にしている。
日々仕事や勉強などしなければならない事に追われていると、とりあえず食欲を満たすように食事をして、寝て起きたらまたやるべき事に追われて同じことを繰り返す。
食べ物のように見える食べ物ではないものを口に入れていることもある。
加工食品のパッケージの裏側にある原材料の表記。どんな物質なのかもよく分からないカタカナや漢字が沢山書いてある。
ショートニング、亜硝酸ナトリウム、ソルビン酸、スクラロース、アスパルテーム、ゲル化剤、カラメル色素、酸化防腐剤、安定剤、増粘剤。
どれも免疫力を下げたり、発がん性のある添加物ばかり。
ハムや缶コーヒー、カップラーメン、菓子パンなどに含まれるこれらの添加物がどんな形をしたもので何から出来ているのかも知らないのに、何も疑うことなく身体に入れていた。
一体どのくらい、、、。
私はいつからこんなに思考停止していたんだろう。
大事なことに目を向けず、ただ与えられるものを信じて疑わず、
安さや便利さを優先した選択をどれだけしてきたんだろう。
その選択が地球や環境や健康にどんな影響を与えるか考えもせず。
その日、私は「生かされている。」という感覚を取り戻した。
自然の恵みに感謝し、食べ物を頂ける健康な身体があることにも感謝した。
そして命を頂くことの重みや有り難みも再確認した。
私という存在は沢山の愛や生命によって生かされているのだから、私は自分の身体を本当に大切に丁寧に扱う必要があるんだ。
タバコや不自然なもので自らを汚してはいけない。
私を生かしてくれた存在達に失礼だからだ。
私はタバコが苦手だ。
タバコは喫煙者本人の肺をボロボロにしてしまうだけでは無くて、周りの人の喉や肺まで汚してしまう。
紙タバコはシンプルに煙たいしクサい。
アイコスは犬のうんこ臭がして不快。(すまぬ、でもほんまにニオイうんこやわ。)
喫煙者にこの話をすると、『タバコを吸ったことない人にこの良さは分からないんだよ。』と言われるけど、本当に全然分からない。
全くタバコを吸わない人にしか分からないこの嫌悪感もヘビースモーカーには分からないのだろう。
タバコというのは根深い。
年々タバコの値段も高騰し、喫煙場所は減少し、身体に悪いことは分かりつつも吸い続ける人は沢山いる。
人それぞれに吸い始めたきっかけや吸い続ける理由があるのだ。
禁煙しようと思ってすぐにやめれる人もいれば、中々自力でやめることが出来ずお医者さんの力を借りる人もいる。
やめたくてもやめられない人も多い。
ひとつ前の記事にも書いたが、本当に人それぞれだ。
その人の選択がその人を創る。
自由に選んだらいい。
でも、
他人の健康を害して良い権利なんて誰にもない。
愛されて育った輝く野菜。
動物だけではなく野菜も同じくして、今日もどこかで愛情・手間・時間を掛けて野菜を育ててくれている人がいる。
そういう人達がいてくれるおかげで私たちは日々野菜を食べることが出来ている。
以前北海道で食べたある野菜があまりの美味しさに感動して、その生産者の方にお手紙を書き、お会いする機会を頂いてお話を聞いたことがある。
「何で野菜がこんなにも光り輝いているんですか?とても美味しいし、ラメが入ってるみたいに輝いていたので本当に驚きました。」と伝えると、
『ありがとう。私たちは毎日どの野菜にもたくさんの愛情を注いで育てています。どんな農家の方であっても、農薬を使っていたとしても、使ってなかったとしても、野菜を育ててる人は一生懸命なんです。手を抜いている人なんていません。じゃないと野菜は育ちませんから。』その方は優しく微笑みながら真剣な眼差しでそう答えてくれた。
動物も野菜も、私たち人間と同じだ。
人間も、動物も、野菜も、果物も、お米も、愛がないと育たないんだ。
南国に行けば人の手を借りずに沢山の果物が自然の中で育っている。
でもそんな恵まれた気候や土地は限られている。
あらゆる山を切り崩し、海を埋め立て、たくさんのビルが立ち並ぶコンクリートの上でお米や野菜が勝手に育つことはない。
知恵を絞って、失敗を繰り返し、試行錯誤して、天候に翻弄され、それでも諦めずに作物を作り続けてくれている人たちがいる。
その人達のおかげで毎日新鮮な野菜を食べることが出来ていることを忘れてはいけない。
家庭菜園でミニトマトを育てた時、収穫するまで長い期間と手間が掛かったのに数えるほどしか実が出来なかった。
毎日スーパーにあれだけたくさんの野菜が並んでるのって本当に凄いことなんだと心から思う。
それなのに、「なんかこのきゅうり曲がってる〜」とか、「ちょっと高いね〜」とか文句を言っていた昔の自分をしばきたい。
日本の食を支えて下さってる皆様、
いつも本当にありがとうございます。
(感謝してもしきれないです。)
なぜ日本人の2人に1人は癌になるのか。
「心身ともに美しく、ずっと健康に生きたい。」
CAを辞めた後、その気持ちがとても強くなった。
そう思った反動なのか、
「何故日本人にはこんなにがん患者が多いのか。」
ということをとても不思議に感じ始めていた。
だって日本食は健康的で、水も美味しく安全で、医療も発達している。
こんな恵まれた国なのに病気の人が多いのはなぜ?
私は身の周りにいる大人に聞いてみたり、本を読み漁って調べまくった。
癌になるのは生活習慣、食品添加物や、薬の過剰使用による免疫力・自然治癒力の低下、海外では禁止されているレベルの塩素が水道水の消毒として使われていたり、世界トップクラスの農薬使用大国であることが要因であるということに辿り着いた。
もちろんそれだけではなくストレスや体温の低さなど様々な要因が重なることで癌になるそうだが、発がん性のものを頻繁に体内に入れていることは大きな要因だろう。
ちなみに癌細胞が活発になるのは35°C台で、37°C台になると癌細胞は死滅する。だから毎日体温を上げる為に運動をしたり、お風呂に浸かるという習慣は本当に大事だと医者が書いた本に載っていた。
テレビのCMで「日本人の2人に1人は癌になる時代。今すぐ保険に入りましょう。」というのをよく見る。事実だとすると多すぎではないだろうか。国民の半分はがん患者ということになる。
日本のテレビCMは保険会社と製薬会社が圧倒的に多い。その業界全体の売上が良く、テレビに広告を出せる程の金銭的な余裕があるということだ。
その背景にあるものを考えてみると、
「病気」というワードがぽんっと頭に浮かんだ。
当時読み漁っていた大量の本の内容と照らし合わせて一体何が起きているのか考えてみた。
「みんながストレスを抱えながら忙しく働き、あらゆる体調不良を薬で抑え込み、免疫力と自然治癒力を衰えさせて、時間がない中でも手軽に食欲を満たせる栄養のない食事を摂り、老化と共に身体にガタが来て、癌や様々な病気になってくれたら製薬会社も保険業界も国も潤う…。だから広告費に莫大なお金を使える…のか?」
「いや〜さすがに極端すぎるか。しかもそんな酷いことってあるんかな〜」と疑心暗鬼に思いながらも、何だかしっくり来てしまう部分もあることをただ感じていた。
「なぜ日本人は癌になる人が多いのか」そんな素朴な疑問を持って色々調べたものの、自分に出来ることもやるべきことも思い付かず悶々と過ごしていた時、素敵なご縁に出会った。
「NHKの料理番組に出演してる先生を紹介してあげるよ!」
とある友人からの一言に驚愕した。
「えっ!!???なんで!?」つい咄嗟にそう言っていた。
「何者でもない私。」
「会って何を話したら良いんだろう。」
どれだけ考えても、相手に有益な情報を提供できる訳でもなく、無力で何のお役に立てそうもない自分に少し落胆した。
しかし、せっかく繋いでもらったご縁なのでお会いする機会を作って頂いた。
その方は「食の力でみんなを幸せにしたい。」という思いから、有機栽培農家と定期契約して料理教室と社員食堂を運営したり、昔ながらの製法で栄養満点の調味料を作り続けている醸造家の方達を支援したり、栄養学やファスティングの指導を行うなどの様々な事業を行っている。
そして、国や制度の仕組みもよく分かっていない私にこんな話をしてくれた。
日本は素晴らしい国で健康保険制度というものがある。
その制度のおかげで医療費や医薬品代が3割負担で済む。
では後の7割を負担してくれている有り難い存在は一体誰なのだろうか?
正解は「日本国民である私たち」だ。
正確に言うと、被保険者と呼ばれる我々が国民健康保険や健康保険組合、共済組合などに納めている保険料から支払われる。会社に勤めている人なら会社と折半で、給料から控除されている。
日本は少子高齢化が加速し続けているため、年金を受給する高齢者が毎年増えていく一方、税金を納める若者は年々減少している。
医療を受ける高齢者が増えていく今後、医療費の支出拡大を免れることは出来ない。しかし、その7割を負担する国民はどんどん減っていくのだ。
また日本には120万人の引きこもりがいる。120万人という膨大な量の働けるはずの人が働いていない、もしくは働けなくなっているのだ。
これまでは病気の人が多くても保険料や税金を納める人数がある程度安定しており、税収内で賄うことが出来ていた。
しかし、そろそろ病気の人を減らさないと、働ける人には働いてもらって税を納めてもらわないと国が回らなくなる時が近いうちに来る。
政治家達はもちろんそのことに気付いている。
そこで国は会社に社員の健康を管理してもらうプロジェクトに踏み切った。
「健康経営」だ。
経済産業省のHPを見て頂いたらすぐに概要が分かるが、国はもうこれ以上働ける人を失いたくない。働けるはずの人には働いてもらって国を支えてもらわなければならないのだ。
そして今までのように病気の人や引きこもりの人を増やし続けてしまうと、日本の経済が破綻してしまうのでメディアの力を使い、健康促進ムードを醸し出しているというわけだ。
それを聞いて、「なるほど、だから数年前からテレビでもCMでもダイエットとか筋トレや食事をよく扱うようになって、『筋トレブーム』を起こしたのか〜」と妙に納得した。とあるジムのCMで以前とは見違えるように変わった人の姿を上手に見せているのも物凄い影響力があるのだろう。
現在の某ウイルスやワクチンもそうだが、こうしてメディアに生活や生き方まで左右されていることにそろそろ気付かなければならない。
治験が終わっていないようなワクチンを打てば安心と思い込むのも自由だが、すぐに出来ることは食事睡眠運動で身体を整え、免疫力を上げることだ。
何にせよ、健康促進ブームはとても素晴らしいことだ。
これまでに読んだ本の中でも、筋トレは細胞を蘇らせ、体温が上がることで健康になり、見た目も良くなり、自分の身体と向き合うことが精神の安定に繋がり、良いことしかないと褒めちぎられていた。
日本人はメディアリテラシーやヘルスリテラシーに関する知識が足りないらしい。
もっと私たち国民が自分の身体や健康、政治や歴史、文化や習慣などに興味を持って、賢くなる必要があるのかもしれない。
毎日飲んでる発がん物質。
日本の水道水は美味しく安全だと言われている。海外では禁止されているレベルの塩素消毒がされているので確かに清潔で安全なのかもしれない。日本の塩素消毒のレベルというのは戦時中の頃から変わっておらず、赤痢菌をも殺せるレベルだ。
水道水には残留塩素やトリハロメタンという物質が含まれている。トリハロメタンは発がん物質で、電気ケトルなどで沸かすと3倍に増える。
もう一度言う。
電気ケトルで水道水を沸かすと発がん物質が3倍に増える。
日本人はよくお茶を飲む。お茶の葉を育てる際にも農薬が使われているが、野菜のようにお茶の葉は水で洗い流したりはしない。摘んだ後そのまま干してお茶の葉として販売される。
つまり、
発がん物質たっぷりのお湯で、お茶と農薬を煮出して飲んでいる。
私はこの話を聞いた時、今まで無意識にやっていたことが身体に与える影響と自分の無知さが急に怖くなった。
「えっじゃあどうしたら良いんですか!?」
この話を教えてくれた先輩に食い気味に聞いた。
水道水を飲料水や料理に使う際は必ず塩素除去の浄水器を取り付けて使用しすること。
どうしても水道水をそのまま使う場合はケトルではなく、鍋で蓋をしない状態でお湯を沸かし、沸騰してから10分以上加熱を続けて残留塩素やトリハロメタンを除去してから使用すること。
そう教えてもらった。
人間の身体の大部分は水分から出来ているから、どんなお水を摂るかが本当に大切なようだ。
私は去年ウン十万円で電解水素水の浄水器を購入し、毎日身体に優しい水を沢山飲むようにしている。浄水器もピンからキリまであるので、本当に良いものだけを厳選しているお店で購入した。
そしてまた驚くべき話を耳にした。
アメリカでは年々がん患者が減っているという。
日本との差はどこにあるのか。
国の医療体制か、食べ物か、体質か、生活習慣か。
アメリカはかなり前から癌の原因が農薬や食品添加物から来ていることが分かっていた為、アメリカ国内で生産し消費する野菜の農薬の使用を減らしている。農薬の使用量は日本の5分の1。Whole FoodsやTrader Joe'sなどのオーガニックスーパーも多い。
日本は先進国だが、オーガニックでは後進国だ。
グレートバリアリーフの島で働いていた時に、日本の農業共同組合「JA」で働いている方とお会いしたことがある。
有機栽培に興味があったのでいろんな質問をさせて頂いた。
そしたらまあ〜出てくる出てくる黒い話。
身体に害のある農薬を日本に買わせたい国の存在、その国からの圧力で農薬や種子に関する法律を変えてしまう政府(国民に気付かれないようテレビでは芸能人の不祥事を連日報道)、そしてその法律に従うしかない農協。
私は農薬の全てが悪いとは思っていない。農業を始めた友達に聞いたこともあるが、人間と同じで作物も病気にならない為に必要な薬も最低限あるのだ。
ただ、農家側がたくさんの農薬を使わないといけない理由の一つには、日本人が綺麗好きという性質を持っていることが関係している。
スーパーや八百屋さんで野菜を選ぶ時、見た目が良いものを選ぶ人はどの位いるだろう。見た目が良いというだけで美味しそうに見えてはいないだろうか。(そう見えるよね。)
有機栽培で作られた野菜の見た目はB級品やC級品に入ることが多いそうだ。見た目よりも栄養を重視している為、虫食いや変形しているものが多いという。となると、JA農業組合協会の中では規格外という扱いになり、高い値段で売ってもらえないのだ。
栄養価が高くても見た目が悪ければ日本の需要とマッチしていない為、有機栽培農家は生き残ることが難しい。日本がオーガニック後進国になっているのは農家の方の責任ではない。
私たちの日々の小さな選択が生み出した結果なのだ。
私たちの何気ない選択が今の社会を作っている。
見た目の綺麗な野菜を選ぶことが有機農家の減少に繋がっている。
それと同じように、些細な選択の裏側で何かが起きている。
もし私がペットショップでとびっきり可愛い動物を高価格で購入していたら、それは保健所で動物の殺処分数を増やす原因になっているのかもしれない。
もし私が美しい毛皮や温かい高級なダウンを購入したら、動物の密猟や虐待行為を促進させていているのかもしれない。
よく泡立つ洗剤や歯磨き粉,、良い香りのシャンプーを使えば海や川を汚し、
安いコーヒーやチョコレートを買い続けることで、アフリカの子供が低賃金で危険な労働をさせられ続け、
1年しか着ないであろう流行りの服を購入したら、インドやバングラデシュの女性は自分の身体を壊すまでの過酷な労働を強いられるのかもしれない。
私たちの選択が誰かの生活を脅かしたり、動物虐待や世界の貧困を生み出している可能性は大いにある。
「買いものは投票なんだ」という本を読んで、自分の生活を見直すきっかけをもらった。
私は大きな財力も権力も持っていない。
だから、
私に出来ることは身の回りにあるものをちゃんと考えて選ぶこと。
今すぐに出来ること、継続して出来ることはきっとそれくらいだ。
日本は物が溢れていて環境も整っている。
ほとんどの人がスマートフォンやパソコンを持ち、そこら中に電波が飛んでいる。
私たちはいつでもどこでも必要な情報を取得できる。
自分が求めさえすれば知ることも学ぶこともできる。
それをするかしないかは個人の自由だ。
一人ひとりの些細な選択で社会が作られるのであれば、自分にとっても、地球にとっても、愛のある心地の良いものを選んで生きたい。
大丈夫じゃないのに大丈夫と言う日本人。
日本人は誠実で真面目で働き者な人が多いと思う。
それは世界に誇れるとても素敵なことだ。
しかし、
その真面目さが仇となることもある。
体調が悪い時「急に休んだら迷惑だから…。」と無理して仕事や部活動に行った経験がある人、いつも通り動くために頭痛薬や風邪薬、下痢止めや痛み止めの薬を飲んで、なんとか乗り切ろうとしている人は多いのではないだろうか。
「大丈夫?」と聞かれたら、しんどくてもつい反射的に「大丈夫!」と答えていないだろうか?
体調不良を悪のように感じていないだろうか。
人間なんだからたまには風邪も引くし、お腹も壊すし、肌も荒れるし、鬱にもなる。
それは悪いことじゃない、自然なことだ。
私たちには本来自然治癒力という素晴らしい能力が生まれながらにして備わっている。そして大抵の不調は自然治癒力と時間が解決してくれる。
もちろん本格的な治療が必要な場合は医療の力を借りる必要がある。
しかし、薬がなくても治る症状に対してすぐに薬を服用する人が日本には多すぎる。
なぜか…。
日本人は一生懸命忙しく働き、休むことはいけないこと、申し訳ないことだと思い込んでる人が多いからだ。仕事のために、周りのために、世間体のために、身体からのサインをなかったことにしてしまう。
身体の声を聴こうとはしない。
身体はとても素直で、
生まれてから死ぬまであなたの味方だ。
あなたの為だけに毎日休まず一生懸命働いている。
これは例外なく誰にも当てはまる。
頭痛は考えすぎだよー!目の使いすぎだよー!と教えてくれている。
便秘は水分不足やカフェインの過剰摂取、感情を溜め込みすぎていることのサイン。
下痢は身体に異常をきたす物質を速やかに身体の外に出す為に起きている。
喉の痛みも、鼻水も、咳も、発熱も、生理痛も、
あなたの身体を守る為に起きていることだ。
全てのことには理由がある。
物質的な理由も精神的な理由もある。
必要だから起きている。
身体は正しいことをしている。
不調は身体からの叫びだ。
何かに気付いたり、変える必要がある。
それをなかったことにしていないだろうか?
若くて、健康で、細胞がしっかり活性化している内は何の問題もない。
身体は正しいことをしているのに何度も何度もその作用を止められると「あれ!?必要なかったの?」と段々反応が鈍くなってくる。
そして年齢を重ねて、身体の働きが衰え、すでに自然治癒力も免疫力も落ちているところに今まで身体に蓄積していた発がん物質や毒素が処理しきれなくなった時、病気と診断されるだろう。
10年後20年後の健康よりも明日の仕事の方が本当に大事なのか考えてみて欲しい。
私は健康に勝るものはないのでは…と思っている。
健康を保つ上で大事なのは、高い免疫力と自然治癒力を維持し続けることだ。
身体と心の声を聴けばどうすべきかはすぐに分かる。
「少し休んで。」
「ちゃんと栄養摂って。」
「そんなに急いで食べないで。」
「少し運動しよう。」
「無理しないで。」
「お水飲んで。」
「身体を温めて。」
「しっかり呼吸して。」
「そんなに忙しくしないで。」
「無理して笑わなくていい。」
「誰かになろうとしなくていい。」
「感情を無視しないで。」
「自分を責めすぎないで。」
「自分のことを大切にして。」
「自分を愛して。」
身体からの声は本当にピュアでシンプルでストレートだ。
無視し続けてしまうと、その代償はあまりにも大きい。
私は健康に生きたい。
私のために、私の大事な人のために。
つい最近私は過労で帯状疱疹に罹り、ドクターストップで全ての仕事を休養した。
普段から健康には気をつけている方だった。
しかし忙しさのあまり、水を飲む回数は極端に減り、カフェインを過剰に摂取し、食事は味わうことよりもお腹を満たすことが目的になり、お布団に入れば気を失うように眠りにつく日々を過ごすうちに、身体の声が聞こえなくなってしまったのだ。
いや、耳を傾けようとしていなかった。そんな余裕が無くなってしまっていたのだ。
「忙しい」というのは漢字の通り、心を亡くしてしまうのかもしれない。
帯状疱疹が治った後も皮膚湿疹が全身に広がり悪化して、皮膚が赤くなったり皮剥けを繰り返し、跡が残り醜い姿の自分を鏡で見て泣くこともあった。
かゆみや痛みで眠れない日もしばらく続いた。
瞑想をして自分と向き合うことで、何故自分にそんなことが起きたのかは理解していた。
頑張りすぎてしまったのだ。
他にも理由はいくつかあるが、私にとって、身体にとって必要だから起きたことだった。
しかし今まで経験したことがないくらいに湿疹は悪化し、なぜ起きたのかを頭で理解していても実際は辛かった。
強い紫外線を浴びてはいけない為、1ヶ月以上外に出ることが出来ない生活をしている。
私が心身共に健やかでなければ、天気の良い日にお散歩したり、カフェに行ったり、ピクニックしたり、夜にドライブをして流れ星を観に行くことすらできないのだ。
私は自然の中や何でもない日常に溢れている愛や美しさをひとつも見逃したくない。
だからずっと健康でいたい。
そして、大事な人達みんなにも健康でいてほしい。
そのために必要な知識を身に付けたい。
そんな思いから本を読んだり、いろんな方に教えを乞いながら、学んだことを実践してみたりして日々を過ごしている。
いろいろ試していても、今回のようについ頑張りすぎてしまって体調を崩すこともある。
人間だから不調な時期があるのは当然のことだ。
そんな時は一度立ち止まって、ひたすら自分と向き合う時間を過ごす。
そうやって陰の時間を乗り越えていくのだ。
(私は元気なのでご心配なく!ゆっくり回復に向かってます。)
今回書いた黒毛和牛農家のお話や、なぜ日本人に癌が多いのか等の内容はこれまで直接会ってゆっくり話せる友達にだけ共有してきた。
すごく重要な話だから、より多くの人に知ってほしい気持ちはあった。
しかし、伝え方や言葉選びが難しい話だから伝える相手を無意識に選んでいたのかもしれない。
私は海外で過ごしてから日本という国は恵まれていて、素晴らしい国だということを知った。日本の文化も日本語の響きも日本食も大好きだ。
日本で生まれ育ったことを心から幸せだと感じている。
そんな大好きな日本を、悲劇で溢れる国にしたくはない。たまに心や身体を病んでしまうことがあったとしても、出来る限り、健康で、優しい笑顔の人で溢れる国であって欲しい。
そのために私が出来ること、
それは、
私自身が心も体も健康に生きる。
そして愛のある選択をする。
唯一それが何者でもない私に出来ることだ。
そりゃあさんまさんみたいに一気に多くの人を笑顔に出来たらそんなに素晴らしいことはない。
でもさんまさんのようになれなくても、微力だとしても、私も誰かの役に立ちたいし、周りにいる人を楽しませたいし、笑わせたいのだ。
私がずっと悲しい顔をして過ごしていたら、私の家族や恋人、友達が気にかけてくれて私と接する時に暗い表情になってしまう。
暗い表情も明るい表情も伝染していくのだ。
誰かに笑って欲しかったら、まずは自分が笑ってみる。
誰かに愛されたいのなら、まずは自分が愛する。
誰かに健康になってほしかったら、まずは自分が健康になる。
とってもシンプルだ。
シンプルすぎて難しいこともある。
どうしたらいいか分からない時もある。
でもそれでいい。
私は悩んだり、考え込むたびに「あ〜なんか今すごく人間として生きることを頑張ってるなあ。」と思う。
悩むという行為を全力でやっている自分に気付く。
宇宙から見たら全然大した問題じゃないことを、自分にとっては人生最大級の悩みごとのように感じていたりする。
10年後はきっとそのことで悩んでいるはずがないようなことだ。
どれだけ考えても自分の力ではどうにもならないことも多い。
もしかしたら悩むという行為を一生懸命することで、なんだか今を精一杯生きてるような気がするから「悩む」ということが好きなのかもしれない。
そして悩みすぎて眠れない!と思っていたのにいつの間にか爆睡していたことも多々ある。
いつも明るく元気だと思われがちな私は、悩んでいる姿を友達に見せた時、「かすみんも元気がない時があるんだね。なんか安心したー!」と悩む姿が誰かを元気付けることもある。
この世はやってみないと分からない事だらけだ。
どれだけ悩んだとしても行動したり、時が経たないと状況は変わらない。
ということは、
悩んでも仕方ないということが分かってくる。
悩んでも仕方ないのなら、とりあえずあっという間に過ぎ去る日々を自分が心地良く過ごせるように努め、出来ることをしてみる。
部屋の窓を開けたり、
友達に電話したり、
お花の世話をしたり、
ストレッチしたり、
焼き芋の焼き方に拘ってみたり、
YouTubeでBTSを見まくったり、
家族で晩酌をしたり、
瞑想して身体の声を聞いたり、
自分の過ごしたいように過ごすのだ。
そうやって心を穏やかにして、心と身体の健康維持に努めてみる。
大それたことをしようとしなくていい。
小さなことを大切にしたらいい。
そうしたら自分自身や周りが少しずつ変わっていく。
いつか社会が大きく変わる日も来るかもしれない。
小さなことからコツコツと。
それでいいのだ。
こんなに長い文章を最後まで読んで頂いてありがとうございます。なんと14,197文字以上も書いておりました。自分でもびっくりー!
あなたの大事な人や守りたい人、ずっと健康でいてほしい人に共有して下さい。
この輪が広がっていきますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?