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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2021年4月の記事一覧

愛とは与えるものなの??

愛とは与えるものなの??

《「自分を愛してくれ」なんて強要しないから、
花は、みんなに愛されるのだね。勉強になります。(笑)》

……なんつってこれ、
あるところに自分が冗談半分で書いてみた言葉ではあるんですが、
何というか、我ながら「真理」であるなあ、なんて後から思ってしまって。

そもそも人ってすぐ愛情を、個人的な、つまり自分基準で設定した、
行動とか物質とかで置き換えて測ろうと「互いに」してしまうし、
そりゃあ、「相

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死ぬ時が本当の「成人式」なのかも

死ぬ時が本当の「成人式」なのかも

「大人になる」って何だか、遠い遠い道のりですねえ。

近づいたと思ってよくよく見えるようになると、
実はまだまだ遠くに位置していることが解る、みたいな。
――蜃気楼かよ、ってね。(笑)
いや、でも、子供の頃に見ていた「大人像」は、
まさしく「蜃気楼」だったと思う。
二十歳の時点で
「あれ?辿り着いたはずなのに、ここには何もないぞ?」
って思ったもの。

「大人になる」なんて、これはもう、
生きてい

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「善人」「悪人」と白黒二色に塗り分けられるわけなどない世界

「善人」「悪人」と白黒二色に塗り分けられるわけなどない世界

「善人」「悪人」って、
人を白とか黒とかに塗り分けても、仕方ないんだろうなあ。

きっとそれほど悪気なく、でも結果的に
「途轍もない悪行」を、している人もいるだろう。

なるほど「人」を憎んでも
埒が明かないわけだよなー、と。

そもそも「悪行」って、
「ああ、自分、悪いことしている~!やめなきゃ~!」
って自覚しながらなされることって、
数としては案外少ない気もする。

また、「途轍もない悪行」

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気持ちに余裕のある時だけ欲を出せばいい

気持ちに余裕のある時だけ欲を出せばいい

欲というものは、
気持ちに余裕がある時に「ガルル~」と出せばいいのかも。
気持ちに余裕がない時に「ガルル~」と行くと、
何というか、焦げ付くというか、どん詰まりに行きつくというか。

気持ちに余裕がない時はむしろ、とことん「足るを知る」方向に向かったほうがいい気もする。
現時点で「十分足りていてラッキー」と思えることを数えるほうがいい。
(いいことではないかもしれないが、) 「青くないほうの他人の

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不満を爆発させてしまうその「余力」を

不満を爆発させてしまうその「余力」を

ガルルル~って「その不満」が湧くのは、もしかすると
まだまだ元気で余裕があるという証だとも言えるのかもしれない。

食住の不足とか、
身の危険とか、
死ぬかもしれない病気を患っている時とか、
そういうことが差し迫っている場合にも「その不満」は湧くだろうか?
と考えてみる。

そのうちのいくつかは、
「最低限」が満たされているからこそ湧く不満もあると思う。

で、「不満」と「不機嫌」を、
セット

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liminal space-東京深夜徘徊-

liminal space-東京深夜徘徊-



コロナウイルスの流行のせいでできなくなったことの一つに、「深夜の都心散歩」がある。
それはただ、都心の街を、宛てもなく用もなく、延々と歩き続けるだけである。――が、何だかこの時間が、私は甚く好きであった。

都心の街は、昼間はどこへ行っても、人がいるものだ。
しかし、打って変わって、深夜には、人の流れというものが「ひたと止む」場所も多い。
そうすると、街は、街が元々持っている磁場のようなものを

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Wikipediaと「偶像」と

Wikipediaと「偶像」と

「著名人」(芸能人だけでなく)は全て、(自分の中では、ですが、)
ある種の「偶像」のように思えてしまう。

例えばWikipedea。
自分もそうなのだが、あの内容って基本的についついアテにしてしまうというかほとんど信じちゃう…けど、「間違い」もある訳だ。
オードリータンさんの本を読んでいて初めて知ったのだが、Wikipedeaって「記事について、本人や当事者・関係者は編集してはいけないことになっ

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原点回帰-人見知りに「戻る」?-

原点回帰-人見知りに「戻る」?-

子供の頃に「人見知り」だった人って、結構いるだろうか?

で、大人になるにしたがって、そうでもなくなってくる人もまた、多いものだろうか?

私は、子供の頃は人見知りだったが、ある所からそこまででもなくなり――しかし。
最近、「自分、また人見知りに戻ってもいいかもしれないな?」なんて思い始めているのである。

一つ前の記事で、子供の頃の自分の「コンプレックス」について例を挙げて書いたが、「人見知り」

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自分のコンプレックスを敢えて「あからさま」にし始めた

自分のコンプレックスを敢えて「あからさま」にし始めた

子供時代のコンプレックス。

子供の頃、「運動音痴だった」、とか、「友達が少なかった」とか、「肥満児だった」とか。

こちらから能動的に嘘をついてまで「コンプレックスがなかったかのように修正した子供時代」を語る、なんてことはしなかったけど、
しかし、それらについて、話題に上がっても語らなかったり、誰かに聞かれたとしても、濁したり、ズラしたり、薄っすら隠すような話し方をしたり、
少なくとも「事実」の

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深夜の東京徘徊の愉しみ

深夜の東京徘徊の愉しみ



深夜、用もなく、ただひたすら都内を歩き続ける。
これが結構病みつきになるというか、大好きだった。
しかし、多分、他人に話しても「何それ?どこが面白いの?」と言われてしまいそうではある。
とにかく延々と、歩いて、歩いて、歩き続けるのである。

都心に通勤していた頃や、頻繁に用事があって出ていた頃は、都内の移動はもっぱら地下鉄かJRだったが、電車で移動してしまうと、頭の中で、駅ごとに街の地図が構成

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