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「あなた」から「あなた」へ

拝啓 社会人1年目の私へ

【はじめに】

「社会人1年目の私へ」というお題を目にした時、社会人になって5年以上経つ私は、正直なところ、あなたにとびっきりの先輩目線で激励のメッセージを送ろうと思っていました。そうして、14歳の時からずっと書いている日記の中で、社会人1年目の私−あなた−の記録を読み返してみた私は、当初の思い込みを深く反省することになったのです。

なぜかって?日記の中のあなたは、「社会人」という人生で初めての立場の中でもがき苦しみながらも、自分なりに悩みつつ、前を向いて必死に生きていたからです。あなたを励ますつもりだった今の私が、むしろ、これ以上ないくらいに励まされたからです。だから、このnoteは、社会人1年目の私−あなた−へのたくさんの「ありがとう」と、労いや応援の気持ちを込めたnoteです。

【社会人1年目・春】

社会人1年目の春。就職に伴って、地方都市から上京してきたあなた。圧死するのではないかと思うぐらいすし詰めの満員電車に揺られながら、毎日なんとか出社し、朝から晩まで研修漬けの日々を送っていましたね。

就職活動の末に選んだ外資系企業のコンサルタント−いわゆる「外資コンサル」−という道。小さな時から海外に興味があり、「自分の食ぶちは一生自分で稼ぎたい!」と息巻いて決めた道だったものの、同期は帰国子女や大学院卒ばかりで、長期の留学経験もない学部卒のあなたは、これからこの会社でやっていけるのかと内心不安だらけ。

・同期はみんなライバル。気を許してはいけない。
・評価が低かったら使えないヤツと思われてしまう。そんなのはいやだ!

そんな思いを抱きながら、毎日毎日、頭をフル回転させて研修に打ち込んでいたあなた。研修時代の日記を読みながら、今の私は、あの時のあなたほどひたむきに何かに向き合えているかと思わず自問してしまいました。

社会人歴を重ねて、社会人1年目の私−あなた−より仕事のことが少しずつ分かるようになって、ある意味、要領はよくなりました。野球で言うなら、ストレートしか投げれず、一球一球に全力投球するような状態から、変化球や敬遠も覚えたようなものでしょうか。それはそれで「成長」なのでしょうが、そうした器用さよりも、ひたむきな不器用さの方が時に人の心を動かし前に進めることも確かです。

社会人1年目の私−あなた−へ。ひたむきに物事に向き合う大切さを思い出させてくれてありがとう。「『研修』なんて仕事の内に入らない」という人もいるけれど、あなたにとっては「研修」こそがある意味、社会人になって初めての「仕事」で、あなたなりに大変だったよね。新生活をよく乗り切りました。お疲れさま。

あなたに今の私が言えることがあるとすれば、「同期はみんなライバル。気を許してはいけない」はちょっと違うということです。確かに同期はライバルでもありますが、同時に会社の中で一番身近に助け合える同僚です。終業後、研修課題に頭を抱え、空腹でイライラしていたあなたに、そっとコンビニスイーツを差し入れてくれた同期たちの優しさを、数年後の私は今でも覚えています。

そして、同期とこんなに一緒にいられる時間は研修の時だけです。現場に出て、見知らぬ上司・先輩・取引先に囲まれる中、研修という苦楽を共にした同期があなたの支えになってくれるときが必ず来ます。少しでいいから警戒心を解いて、人を信じてみてください。

【社会人1年目・夏】

数ヶ月の研修を終え、とうとう現場に出たあなた。初めてのプロジェクト、初めての先輩社員やお客様に囲まれ、初めての「社会人」としての仕事。研修である程度のことは学んだものの、座学やロールプレイと実際の現場との差の中でまず感じたのは、自分の仕事の出来なさ。

おしゃれなファッションに身を包んだ先輩たちは、ショートカットキーを使いこなし神速で資料を作ったり、お偉いお客様の前でも臆することなく堂々とミーティングを進めたり、和洋問わず美味しいお店を無数に知っていたり。これぞ、「デキる社会人」・・・とあなたは自分と先輩たちの差に打ちのめされると同時に、1分1秒でも早く追いついてやる!と奮起します。しかし一方で、あなたは現場に出て1ヶ月後の日記にこう書いていました。

今のままじゃ、この会社の一社員としての成功・失敗で人生の尺度が決まってしまいそうだ。

社会人1年目にしてこう感じていたあなた。朝から晩まで仕事漬けの日々を送る中で、「これから一生ずっとこの生活がしたいかどうか」、「自分にとっての幸せは何か」を改めて考えたのだと思います。続きにはこうありました。

わたしの人生の尺度は何だろう。
・細々とでも、奨学金を返済しながら、自分で自分の食ぶちを稼ぎ続けていけること
・旅ができること
・本を読んだり、日記を書いたり、ゆっくりお風呂に入る時間があること
etc...

社会人2年目以降の私が、この時のことをたびたび振り返れていたら。そう思わずにはいられません。というのも、社会人2年目から数年の私は、仕事仕事仕事というような状態で、自分自身を顧みず働いたがために、心身共にボロボロになってしまったからです。

その背景にあったのは、長い長い就職活動の末に手に入れた「外資コンサル」という社会的立場を失いたくないという思いでした。「外資コンサルであること」、「外資コンサルであり続けること」が自分自身を証明する大きな拠り所になってしまっていたのです。社会人1年目の私−あなた−が日記に綴った思いを日々忘れずに過ごせていたら。その後の数年間はまた違ったものになっていたかもしれません。

仕事は生活していく上で大事な要素ですが、仕事の「肩書き」は、その人の一部分でしかありません。例えば、あなたの家族や社会人になる前からの友人は、あなたの仕事の「肩書き」があるから、あなたとの関係を続けているのでしょうか?その答えはきっと「NO」です。きっとあなたがあなただから、その関係が今でもあるのです。これは、他の誰でもない今の私自身へのメッセージかもしれません。

社会人1年目の私−あなた−へ。他でもない「わたし」の人生の尺度を思い出させてくれてありがとう。研修を終えて現場に出て、新しいことや緊張の連続が続くめまぐるしい日々だったね。そんな中でも、あなたのように、自分の人生について考えたり、自分を労ったりすること、忘れないようにします。

【社会人1年目・秋】

日々は瞬く間に過ぎ、秋が訪れました。実際、朝から晩までビル内で仕事をしていた社会人1年目の私−あなた−の夏の日記はほとんどありません。そんな中で絞り出すように書いたのが、前述の日記だったのでしょう。秋に入ってからは仕事にも少しずつ慣れ、毎日のように日記を書くようになります。

実は、日記を書く頻度が増えたのは、仕事に余裕が出てきたからだけではありません。当時、交際3年目を過ぎた遠距離恋愛の恋人との関係が破綻し始め、あなたは、やり場のない気持ちを吐き出す場が欲しかったのです。お互いの生活リズムが合わず、会えるのは数ヶ月に1回程度、連絡が取れるのも週に数回、しかも深夜というような状況。気持ちのすれ違いが続き、毎晩のように泣いていたあなた。その頃の日記には、自分を励ますかのように、こんな言葉が書き置かれていました。ECCジュニアの塚田訓子さんのインタビューの抜粋です。

仕事と家庭の両立に悩まれる方が多いと思いますが、どちらもうまくいくことはあまりないですよ。仕事がちょっと行き詰っていると感じているときは、むしろプライベートは充実していたり。でも、どちらも自分を助けることになると思うんです。仕事と家庭の両方があって、それぞれの経験が自分を支えてくれる。「だから人生は様々な”色”があって楽しいんだよね」と感じられます。

それからの2人の行く末が気になることと思います。あなたが薄々予想していた通り、2人の関係は数ヶ月後に終わりを迎えました。その後あなたは、この失恋をだいぶ引きずることになります。それからも恋をすることはありましたが、正直、数年後の今でも、この大失恋の痛手は癒えきっていません。

でも今回、このnoteを書くために日記を見返し、塚田さんの言葉にまた出会ったことで、あの恋が、人生というキャンバスをどれだけ色彩豊かにしてくれたかに気づくことができました。それは決して綺麗な色ばかりではなく、暗く重いどんよりとした色でもありますが、暗い色なくして明るい色を識別することはできません。

社会人1年目の私−あなた−へ。あの恋の意味を見出す機会をくれてありがとう。心の傷はこれからも折に触れて痛むことがあるだろうけど、どんな経験も人生を彩る糧にできる自分でありたいです。

【社会人1年目・冬】

社会人1年目もとうとう終わりを迎えた冬。それまでは「1年目だから」という言い分が通る部分もありましたが、もうすぐ後輩ができ、そうも言っていられなくなるという焦りが生まれ始めた頃です。

また、この頃には「社会人であること」について改めて考える機会がありました。それは、学生時代からTwitterでフォローしていたとある女性との会話です。彼女と私には、いくつかの共通点がありました。

・経済的にあまり裕福ではない家庭で育ったこと
・地方出身で、大学進学を機に地元を離れたこと
・奨学金等のおかげで、進学ができたこと

彼女はこう言いました。「奨学金のような、いわゆる『富の再配分』の恩恵を人一倍受けているからこそ、社会に何か還元したいという気持ちがあるのかもしれません」。

私は、高校も大学も奨学金のおかげで進学でき、国や自治体、企業主催のプログラムを通して、ほぼ自己負担なしで何度か海外に行く経験をすることができました。さらに、大学は国立だったので、まさに社会の「富の再配分」の恩恵を受けた自覚はありました(国立大学の財務収入は、大部分が国からの支出に頼っています)。そんな私にとって、彼女の言葉は深く刺さるものでした。

社会人になって衝撃だったのは、毎月の給与明細から差し引かれる税金の割合の多さです。税金が何に使われているのか、使い道は適切なのか、色々な意見があります。ただ、自身の今までを振り返ったとき、

少なくとも今まで自分に投資された税金の恩恵分くらいは社会に還元したい。それが仕事をする一つの理由になる。

と思い至るようになりました。今している仕事へのモチベーションを失いかけたとき、私なら、自分の払った税金で誰かが夢を叶えられる−例えば、自分のように経済的困難がある若者が、進学したいところへ進める−と思えば、少しは前向きになれるかもしれないと感じたのです。

もちろん、仕事が本当に辛くてたまらなかったり、他の道に興味が出てきたりといった理由で、今の仕事へどうしても気持ちが入らないことや離れてしまうことはあるでしょう。それはそれで、人生の新たな段階へ入るサインなのかもしれません。

また、社会に何かを還元する手段は、必ずしも仕事だけではありません。「社会」というと、何かとても大きくて得体の知れない、自分とは遠いもののように感じます。「社会」という言葉が包括するものが大きすぎるからでしょう。私は、「社会」とは「人と人とのつながり」、つまり人間関係のことだと思っています。親子関係、兄弟関係、友人関係、ご近所関係、師弟関係、同僚関係…いろいろな人間関係があります。

こうした「社会」=「人間関係」の中で、社会人1年目の私−あなた−がどうなりたいと思っていたか覚えていますか?社会人1年目の最後の月の日記にはこうありました。

自分の綴った言葉や、見てきた風景、経験してきたことの組み合わせで、人の心を動かせるようになりたい。

このnoteを書くに当たって、今の私の心を強く揺り動かしたのが、社会人1年目の私−あなた−の綴った日記でした。だからこそ思うのです。「人間関係」には、「自分自身との関係」というものもあるのではないかと。社会人1年目の私−あなた−が書いた日記は、あなたと当時のあなた自身の対話関係の結果であると同時に、あなたと今の私との対話関係を生み出してくれるものでもありました。

社会人1年目の私−あなた−へ。あなたの1年を書き残しておいてくれてありがとう。あなたの思いが、経験が、今の私を強く励ましてくれました。

【さいごに】 

社会人1年目の私−あなた−はきっと、数年後の自分−今の私−がどうなっているかと気になっていることと思います。あなたが驚くかどうかはわかりませんが、今の私はもう「外資コンサル」ではなくなりました。「外資コンサル」という仕事の肩書きはなくなりましたが、仕事の肩書きが重要ではない−とは言わないまでも、私のすべてではないことを私に教えてくれたのは、何を隠そう他でもないあなたです。なぜなら、今の私を励ましてくれたのは、仕事や恋に悩みながらもどうにかこうにか生きていた「社会人1年目の私」というあなた個人だったからです。

最後に少しだけ、自戒を込めて先輩風を吹かせてください。社会人1年目を終えるに当たって、「1年目だから」を言い訳として使えなくなる時期がやってきます。でも人というのは不思議なもので、一つ言い訳がなくなると次々と別の言い訳を思いつきます。「初めてだから」、「自信がないから」、「向いてないから」…。

社会人2年目になると「若手だから」を言い訳にしたくなるかもしれません。けれど、「若手」でなくなるときは必ず来るし、何歳になっても「初めて」のことは絶対にあるし、自信は自動的につくものではないし、向いているかどうかなんて最初から分かることの方がきっと少ないのです。

時には、「XXだから」を逃げたりやらなかったりする理由にしてもいいかもしれません。でも、もし少しでも自分を変えてみたい、何かをやってみたいと思った時は、「XXだから」を挑戦したり前に進んだりする理由にしてみてください。それがいつか何かにつながるかもしれません。「社会人1年目の私だから」こそ感じた様々なあなたの気持ちが今の私に届き、このnoteを生み、今このnoteを読んでいる「あなた」に届いたように。

敬具

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ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。