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お嬢様だった私が性被害とDVにあい、女性起業家に這い上がった話

いつの頃だっただろうか。
私の家は結構裕福だった。
高台にある一軒家、駐車スペースも立派で家族仲も良く、旅行は季節毎に何回も行きほとんど外泊。
着るものはブランドものだったしお洋服を買うのに値札はあまり気にしなかった。
「欲しい」と言えば買ってもらったし、子供の頃は当たり前だった。

私が中学生の頃、それは突然に起こった。
小学生から背が高くランドセルは似合わない子供だった。
パンツスタイルやコートを羽織っていてもお尻を触られたり大学生くらいの男性に声をかけられたり、異性に対して嫌悪感を抱くようになった。

20代になって電車を乗っていても痴漢はほとんど毎日。
極めつけは痴漢の通り魔にあって襲われたこと。
辛くて辛くて気がつくと、PTSD(トラウマ)になってた。
食事は喉も通らず、仕舞いには幻覚や幻聴が起きて自分が壊れていくことがとても怖かった。

病院に行き先生に診てもらった。
けどほとんどPCに向かったままで私の話は一応聞いてくれてる…が、「分かったふり」をしてるだけだとすぐに感じた。
「聴く」のではなくて「聞く」であって、作業みたいに見えた。
それでも何回か通った。
居場所が欲しくて心が病んでる人達が集まれるサイトを自分なりにつくった。
同じ人はたくさんいて、話し相手が出来た。
やっぱり夜に悩む人達が多くて、ほとんどの人が夜にサイトを訪ねてきた。
弱ってる私には最高の居場所だった。

翌日先生にも見せた。
「すごいね」とか、「良かったね」とか言ってくれると思ってた。
プロだから、助けてくれる人だからって信じてた。

「ん~…なんかあれだね。夜にすごい集中してるね」
「はい」
「夜集まってきて蛾みたいだ」
少しにやけた先生の顔と言葉は今でも忘れない。忘れられない。
一気に頭が真っ白になって何も返事ができなかった。
家に帰って涙がとまらず自分を傷つけた。

どこに頼ればいいのか分からない私は発見した無料の電話相談に電話した。
電話口には年配の女性で頭がボーッとしながら「どうしたらいいのか分からない…○にたい。」と話た。
相手からでる言葉は「そう。」「大変ね」だけだった。
私は弱くなって知ったことがある。
人の「可哀想に」や「大変ね」とかは最高に胸に突き刺さる。
だって他人事だから関係ないと言われているのと同じだからだ。
私はすぐに電話を切ってまた絶望して泣いた。

それから別の女性カウンセラーに行き、最初はほとんど何も話せなかったけれど、一番聴いてくれて理解してくれた。
初めて嬉し涙がでた場所だった。

そして何年かして私は立ち直れた。
また何年かして普通に恋愛をして結婚をした。
この人なら素でいられる。安心できると毎日ワクワクしてた。

けど旦那がおかしい。
いや、そういう人だったのかもしれない。
不倫をしてた。
しかも毎日だ。
結婚する前から続いている女性と後々知った。
私が一度怒って問い詰めたら夫は顔を手でおおって泣きながらもうしないと謝ってきた。
だけど謝ってきた翌日からまた違う子と不倫をしてた。
私が知る限り3人…たぶんもっといる。
不倫だけなら悔しいけれどまだ良かった。
この夫は言葉のDVやモラハラがあり、仕事も勝手に辞めてきた。
お姑さんに相談したが、やっぱり息子は可愛いものらしく…
「お仕事お疲れ様パーティーやりましょう♪」と愕然とする言葉を言ってきた。
もちろん私は行かなかったが、夫は嬉しそうに実家に出かけた。

その後私は身体を壊して倒れ入院をした。
けど夫は大好きな野球に行って退院は迎えに来てくれなかったので、荷物を抱えて汗だくで帰ったのを覚えてる。

女性だからとバカにしたような言い方、耳元でお姑さんの前で30分罵倒され鼓膜がどうかなりそうなくらい叫ばれ続け、寝るときは夜中中私に対して説教をしてきて朝を迎えたことがいくらでもある。

もう慰謝料はいらないから別れてほしいと言ったらあっさり別れてくれた。

私はPTSDになった時、両親もケンカが絶えず離婚をしてしまい、小さな家で母親と住むようになってた。
だから夫は「あそこはシングルマザーでお金がないし弁護士雇えないから」とバカにしてた。

結婚している時、夫が仕事を辞めていたのもあり、協議離婚だったので貯金はなく、一度パートとして雇ってもらっていた職場に理由を話して正社員として雇い直してもらった。
夫を忘れるため朝から晩まで働いた。
家も手離したから寮に入って頑張った。

仕事を頑張っても女性の壁は厚い。
男性とは平等には見てもらえない息苦しさと悔しさでどうかなりそうだった。
何処に行っても「女性だから~」とか「女性なんだから~」とか言われもどかしかった。
女性だから制限があるのか、キレイかそうじゃないかの外見で評価されるのか、なぜ下に見られるのか…。
もっと女性も評価されていいんじゃないか。
もっと堂々と生きて輝いてもいいんじゃないか。
確かに大和撫子な三歩下がっての人も素敵だと思う。
けど…

「私はもう、堂々と生きたい」

頭と心の中でプッツン!と何かが弾けた気がした。

何から勉強していいのか分からなかったので、いろいろな心理学を勉強した。
そして一年くらいかけて資格をとった。
特に海外の脳心理学が面白い。脳の構造を知ってそれを自分で確かめた。
自分が経験をしないと分からないことが多いので、実験して本に書いてあることや学んできたことへの確証が欲しかった。

まずは自分に自信がなかったので自信をつけるレッスンをした。
慣れるまでは大変だったが、今はあの時とは真逆で自分に出来ないことはないと思えるほど、他人とは比べなくなったし自信がついた。
次に「これが欲しい」と思うことを引き寄せようとした。
これはいくつかやったけど、最初は何年かかかってなかなかうまくいかなかった。
けど次第に一つ叶えはじめるとポンッポンッと面白いくらい短期間で叶えられた。今は毎日平和に暮らしてる。
私の生活は360度良い方向に変わった。

この一部を教えると、①勉強熱心な裕福な人たちと知り合いになること②お金に困らなくなること③毎日楽しく笑って過ごせること④母親を旅行に連れていってあげること⑤メディアに取材してもらえることなどなど。
この他にも沢山ありますが、変な怪しいものを学んだわけではありません。

ひとつひとつクリアをして、段々と自信がつくようになって笑顔も出始めた。
レッスンを重ねて、元夫からの呪縛からも解放された。
私はダメなんかじゃない。女だから出来ることもある。
誰にもバカにされる理由はない。

きっと私のような辛い想いをしている人は沢山いるだろう。辛くても言葉に出来ない人、子育てや介護に追われていたり経済面でカウンセリングに行けない人、金銭的に結婚相手に管理されてしまっている人。
なんでこんなに日本は海外よりもカウンセリングが高いんだろう。
それになんだか怖いイメージもあるし、ハードルが高いイメージがある。
もっと海外みたいに楽しく、美容院やジムに行くみたいに、心をメンテナンスできる身近な場所であればいいのにとモヤモヤ心の中で溢れた。

待ってるだけじゃダメだ。
前みたいな私のような女性を増やしちゃいけない。
私が女性を守るカウンセラーになればいい。

そうして私は「こころのかふぇ」を立ち上げた。
「気軽に楽しく相談できる場所」「ここからスタートが出来るように」

弱い人はいない。弱い女性が可愛いとか一部の人から言われることもあるけれど、女性は強くて美しいと言われる世の中に変えていきたい。

今では応援してくれるパートナーも出来た。
カウンセリングを10代の人からでも受けられるカウンセリングの実現まであと少しの段階までこれた。

そして海外の政治家や経営者、トップアスリートも受けるセミナーを、日本に広めていく。もちろん、いろんな人に自分で自分を癒せるようになってほしいので、他のセミナーよりも低価格で若い人でも受けやすいと思う。

2023年8月4日から私はカウンセリングを変えていく。

#創作大賞2023
#ノンフィクション
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