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夏目漱石論2.0

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2021年12月の記事一覧

The Structure of Homosexuality in Soseki Natsume's Kokoro    DeepL翻訳による夏目漱石の『こころ』における同性愛の構造

The Structure of Homosexuality in Soseki Natsume's Kokoro    DeepL翻訳による夏目漱石の『こころ』における同性愛の構造

Homosexuality or Transgenderism?
 I'm not going to go into details because I can't and won't corroborate this story anymore, but I have glanced at a book on modern and contemporary history which says

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『從軍行』について あるいはイカの皮を剥いてみれば

『從軍行』について あるいはイカの皮を剥いてみれば

 小説など好きに読めばいいとは言いながら、最低でもここまでは読めていなければならないという最低ラインがあるからこそ、国語テストなるものが成り立つはずなのに、教科書にも採用されている夏目漱石の『こころ』について、著名な文学者、作家、評論家たちがことごとく読み誤っている、というのが私のこのnoteの中心的な主張だ。

 では詩ならどうか。小説だからこそ正されるべきであり、詩ならどうでもいいのか。この問

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江藤淳の漱石論について⑤ 『明暗』の評価をめぐって

江藤淳の漱石論について⑤ 『明暗』の評価をめぐって

 江藤淳は『夏目漱石』(それにしてもものすごい題名だな、論でさえなく一考察でもないんだ)で夏目漱石の『明暗』を「近代日本文学史上最も知的な長編小説」「真の近代小説といい得る作品」と激賞しながら、次第にその評価をしぼませていく。晩年には漱石が小さく見えていたそうであり、『江藤淳は甦える』によれば、昭和四十九年「失敗しているかどうかは議論がわかれるでしょうが、くたびれ果てて、もう倒れちゃった」といって

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夏目漱石の『門』における三つ目の門 笑うかどには福きたる

夏目漱石の『門』における三つ目の門 笑うかどには福きたる

 夏目漱石作品のいくつかは、子をなすかなさないかという問題を巡って書かれてきたとも言える。『明暗』ではおそらく一度しか交接がない。

 きわめて抽象的な表現ながら、ここでは津田とお延の間に初夜があったことが回想されているようだ。しかしその後、津田はそのことがさして面白くなかったらしく、洋書を読むふりをして夫としての務めを果たさない。お延の「空想」とは子を持つことだろうか。半年後なにもない、つまり妊

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江藤淳の漱石論について④ 「他者」とは何か

江藤淳の漱石論について④ 「他者」とは何か

 そして、家内がどれほど昏睡状態をつづけていても、「慶子、おはよう、今日は十月二十九日の木曜だよ」というふうに、かならず声を掛けた。だが、幸い十月二十九日の朝には、家内の意識が戻り、しかも苦痛も収まっているようだった。それに力を得て、私は小さな事件の話をはじめた。ホテルでうっかり近眼鏡をベッドの上に置き、その上に坐り込んで、フレームを歪めてしまったこと、ホテルのフロントに預けて高島屋に修理を頼んだ

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ある死をめぐる考察 静子が殺されたことは明らかにおかしいのだ

ある死をめぐる考察 静子が殺されたことは明らかにおかしいのだ

 吉田和明の『太宰治はミステリアス』(社会評論社、2008年)は太宰治を聖化しようとする太宰ファンたちの神話を突き崩そうという試みであり、少なくともこれにより太宰の死に顔は微笑んでいたという神話は明らかに突き崩されているように思える。しかし太宰ファンではない、ただの太宰信奉者ではない、単なる浅はかな太宰作品の愛読者であるこの私にとって、太宰の死体がぶよぶよであったことなどはどうでもいい。ここから始

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「イカは皮つきでは刺身にならない」(江藤淳) イデオロギーは引きはがせるか

「イカは皮つきでは刺身にならない」(江藤淳) イデオロギーは引きはがせるか

 「イカは皮つきでは刺身にならない」と江藤淳は語るが、げそは皮をむかない。果たして文学作品からイデオロギーをむくことなど可能なのだろうか。

 これも実にありふれた今ではどこにでも転がっている三島観だ。石原慎太郎、野坂昭如他、三島由紀夫に近しい作家たちからこの程度のことが言われていたのは事実。しかし細かい点を指摘すれば、三島は『鏡子の家』で挫折したわけではなく、新境地として思い切ってぼんやりとした

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江藤淳の漱石論について③ 『門』の参禅を巡って

江藤淳の漱石論について③ 『門』の参禅を巡って

 江藤淳による夏目漱石の『門』の読みにおいて、宗助の参禅は現実逃避的な捉え方をされてしまっているようだ。そしてこうした読みが無批判に引き継がれ、柄谷行人他多くの人々がまるで自分で思いついたかのように現実逃避を見つけてしまうのはいかがなものだろうか。

 それこそこれは書いていることを読まないで、書いていないことを付け足すスタイルの誤読であり、皆迄書かない夏目漱石作品に対して、基本的な読みの水準に達

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江藤淳の漱石論について② 漱石作品の経済学について

江藤淳の漱石論について② 漱石作品の経済学について

 夏目漱石作品の文明批評が『それから』以降、しりすぼみになり、自己の救済に焦燥する作品が描かれるようになる、というのが江藤淳の漱石論の見取り図であれば、やはり江藤淳にはきわめて根本的な読み落としがあったと言わざるを得ない。

 御一新後の明治の資本主義社会において、労働者たることがいかに困難なことかと夏目漱石は最後まで問い続けてきた。これは即ち文明批判である。『吾輩は猫である』の苦沙弥先生は教師で

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江藤淳の漱石論について① 漱石作品の変容について

江藤淳の漱石論について① 漱石作品の変容について

 漱石作品の変容について 自分自身がやればできたかもしれないことをやらなかったという深い反省の意味を込めて、いま改めて江藤淳の漱石論について考えてみたい。

 自ら自著を引用し、論を建てる時、引かれた引用文は、揺るがぬ自分のロジックであるべきだろう。長い時間をかけて繰り返し主張しているのだから、そのロジックには自信があるべきだ。しかしこの江藤淳の漱石論はいささか乱暴なものではなかろうか。

 朝日

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江藤淳の自死について 瞬間的に発作を起こして 

江藤淳の自死について 瞬間的に発作を起こして 

 『中央公論特別編集 江藤淳 1960』に四方田犬彦は「江藤淳の飼い犬はその後どうなったのか」という文章を寄せている。さすが犬彦だ。犬のことが気にかかるのだろう。猫彦ならそんなことは考えないだろう。猿彦もそんなことは考えないだろう。犬彦ならではの視点である。

 事実とすればどうやら、長い入院の間家を空けていたため、犬の性格が変わり主人を噛むようになったため、自殺のしばらく前に手放したというのが真

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閑話休題『そいがきや』で解ったこと・解らないこと

閑話休題『そいがきや』で解ったこと・解らないこと

 これまで『そいがきや』を七章まで訳してきて、解ったことと解らないことを整理しておこう。これまで「金の延金」の意味は曖昧だとして来たが、方言に変換してみるとどうもこうではないかなという答えが見つかった。方言変換では名詞よりも動詞や助詞の方が比較的多く置き換えられる。その中で気が付いた。

「御父さんは論語だの、王陽明だのという、金の延金を呑んでいらっしゃるから、そういう事を仰っしゃるんでしょう」

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現代文解釈の基礎『あなたがボーとしている間に 漱石論はこんなことになっている』

現代文解釈の基礎『あなたがボーとしている間に 漱石論はこんなことになっている』

 私はこれまで誤読の原因について

①書いてあることを読まない

②書かれていないことを付け足す

 という二つの作法によるものだと説明してきました。しかし全体的な傾向としてもう一つの要素があるのではと考えるようになりました。もう一つの要素とは、

③長文を読むことに堪えられない

 というものです。私の電子書籍はアマゾンプライム会員または読み放題会員なら無料で読むことができるので、少ないながら何

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こごろ

こごろ

上 先生とおれ
 おれはその人をいづも先生と呼んでいだっちゃや。んだがららこごでたががだ先生と書くだけで本名は打ち明けねえべや。こいずは世間(せげん)をはばかる遠慮つうよりも、その方がおれさとって自然んだがららであっちゃ。おれはその人の記憶を呼び起すごとさ、すぐ「先生」といいたくなっちゃ。筆を執っても心持は同じ事であっちゃ。よそよそしい頭文字なんかはうんとっけ使う気さなんね。
 おれが先生と知り合

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