小林十之助

近代文学2.0をやっています。近代文学1.0は終焉したそうですから仕方ありません。トン…

小林十之助

近代文学2.0をやっています。近代文学1.0は終焉したそうですから仕方ありません。トンデモ説ではない漱石論を書いています。近著『あなたの漱石読解間違っていますよ』『人類史上初夏目漱石の『こころ』を正しく読む』『夏目漱石は何故死んだのか』アマゾンで探してください。

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山伏の月夜に回る非存在 夏目漱石の俳句をどう読むか162

山伏の並ぶ関所や梅の花  岩波の解説には、  ……とある。  なるほどいかめしい山伏姿の男たちと梅の花の取り合わせを詠んだ句か。 山伏の関所にかゝる桜かな  こちらは桜と取り合わせている。史実ではなく創作なので季節はいい加減で済ませられるのであろう。  これはその程度の句かと思う。 梅ちるや月夜に廻る水車  なんで月夜に水車見とんねん、という句である。  物体の非実在性の話ではなく観察しなくても夜も水車は回っているものなのだろうけれど、梅も散るのは昼間とは限

    • 中野好夫の『それから』に対する註について

       飯島耕一氏の『漱石の〈明〉、漱石の〈暗〉』はなかなか面白い本だ。バスで夕刊に目を通していたら中野好夫の「夏目漱石 ―― "文明開化"への批判と疎外感」が載っていて読んだらショックを受けたというのである。このバスで、という条件にはさして意味は感じられないが、池袋で上井草行きのバスに乗りと書いてある。東京都は七十歳からバス乗り放題のシルバーパスを購入できる。非課税世帯だと千円で帰るのでお得であるとは書いていない。  飯島がショックを受けたのは『それから』のこのくだりについた中

      • 夏目漱石論修正① 飲んだら愉快な人かもしれない

        柄谷行人の漱石論はどこがだめなのか  いまだに柄谷行人は立派だ、大変良いことを書いていると信じている人は少なくないようです。私も彼のすべてを否定しようとは思いません。むしろ漱石論以外ではよいことを書いているんではないかと思っています。しかし漱石論に関しては全然ダメなのですね。  この原因については彼の若い時からの「知ったかぶり」という性格にあると思っていました。一番有名な彼の知ったかぶりは村上春樹のデビュー作に対する見当違いの批評にみられます。  一番ダメなところはハー

        • 古白と非風について

           飯島耕一氏の『漱石の〈明〉、漱石の〈暗〉』を読んでいて、何か中身について触れておきたいと思いながら、とにかくとりとめもないエッセイ形式なのでつまみどころが見つからずにいた。  そこで漱石とは無関係ながら「古白」という俳人に関して触れておきたい。飯島氏は、  ……と書いている。伝聞なので子規が誰に何時言ったのかが解らない。  子規の四歳年下の従弟である。  そういえば漱石も句を読んでいた。しかし飯島は特に漱石の句には触れていない。私も藤野古白という名前は忘れていた。こ

        山伏の月夜に回る非存在 夏目漱石の俳句をどう読むか162

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        • 夏目漱石論2.0
          1,015本
        • 芥川龍之介論2.0
          1,057本
        • 谷崎潤一郎論2.0
          223本
        • 江藤淳論2.0
          45本
        • 柄谷行人論2.0
          24本
        • 三島由紀夫論2.0
          295本

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          芥川龍之介の『お律と子等と』をどう読むか⑩ また「も」とか使うし

           何をしているのか、何がしたいのかわからない主人公洋一、そしてただ増えていく登場人物。賢造は何のために金を下ろしに行ったのか分からない。いやそもそも本当に銀行に行ったのか。  遅い。  別に叔母の許可が必要だったわけもなかろうに。  何か枷でもあるかのようにここまで洋一は母を見舞えなかった。  それにしても気になるのが「I don't know節」の歌詞だ。  赤坊できても、アイドントノーなのだ。そして男好きのする顔の美津が女ぶりを上げたとなれば、なにか色っぽいこと

          芥川龍之介の『お律と子等と』をどう読むか⑩ また「も」とか使うし

          章魚眠る白木の宮や狸あり 夏目漱石の俳句をどう読むか161

          枯野原汽車に化けたる狸あり  岩波の注解には特に説明なし。  こういう所だと思う。  この「毘沙門堂狸」の話は確かに伝わっていそうだ。    このあたりのことに鑑みても松山出身の俳人など複数人での注解というのが現実的な善後策と言えないだろうか。昨日の句に関しては漢詩の知識がないとどうしようもない。しかし松山出身の俳人で漢詩も得意なんて人材も相違ないだろうから、矢張り何人か組んで注解した方がいいと思う。  愛知県でもやはり狸は汽車に化けたらしい。  これがどこの話

          章魚眠る白木の宮や狸あり 夏目漱石の俳句をどう読むか161

          芳川泰久の『漱石論 鏡あるいは夢の書法』をどう読むか③ チューズニーヤーチューズニーサウザンレッドイッツシーノーズ

           漱石論に限らず、フロイトとマルクスを持ち出したところで、その本は閉じてしまっていいと思う。フロイトは実証科学なのか、マルクスは歴史学なのかと問い直してもいい。フロイトの様々なアイデアはリビドーという観念なのか実体なのかわからないものを仮想して成り立っていたが、次第にリビドーの概念は忘れ去られてしまった。ものすごく客観的に見れば、フロイトがリビドーと呼んだものを宇宙に遍在する愛のエネルギー、オルゴンとしてウィリヘルム・ライヒが「発見」してしまったからではないかと思う。ライヒが

          芳川泰久の『漱石論 鏡あるいは夢の書法』をどう読むか③ チューズニーヤーチューズニーサウザンレッドイッツシーノーズ

          芳川泰久の『漱石論 鏡あるいは夢の書法』をどう読むか② そんなにでかいのか

           昨日見たように芳川は柄谷、蓮實に感心する頭の弱いお追従者のようである。蓮實の漱石論を読んで「このやり方があったのか」と作者の意図しないこじつけを始めた。  作品の中から何か具体的なモチーフを取り出し、その意味を考えてみることそのものはおかしな振る舞いとまでは言えないだろう。けして褒められたことではないが、そしてそれが正しいとも思えないが、フィールドワークをさぼった社会学者が文学作品に描かれた事物によって時代を語ることは半ば公認されている。「『三四郎』における都市と電車」な

          芳川泰久の『漱石論 鏡あるいは夢の書法』をどう読むか② そんなにでかいのか

          物言はで燕ひらりと時雨かな 夏目漱石の俳句をどう読むか160

          居合抜けば燕ひらりと身をかはす  小宮豊隆はこの句を「際どい呼吸を詠んだ句」と見做している。ただまあ流れからすれば、長井兵助のガマの油売りの続きということにはなるのであろう。実際にそういう光景があったわけではなく、そういう絵を頭で描いた迄のことではないか。  燕が思いがけず低く飛ぶことは珍しくない。その後雨がふるそうだ。ただ都合よく居合の場所に燕が飛んできてくれることもなかろう。長井兵助も燕を切ろうとは思ってもいまい。ただ燕返しとという言葉が遊ばれている感じがする。  

          物言はで燕ひらりと時雨かな 夏目漱石の俳句をどう読むか160

          芥川龍之介の『お律と子等と』をどう読むか⑨ 案外突き詰めない

           洋一は間もなく受験のようだ。それで北原白秋風の詩なんか書いていたらあてにならない。ここのモラトリアム感のリアルさは、実際に大学を卒業後、一応大学院に籍を置きながら、通学の形跡のない芥川自身の経験からくるものであろう。通うところが亡くなれば曜日の感覚はなくなる。土曜日が大して嬉しくなくなる。月曜日が憂鬱ではなくなる。その代わり何か世界と切り離されたようなぼんやりとした疎外感に包まれる。  これは隙間なく通い続けている人には分からない感覚で、その人がついに通う先が無くなった時

          芥川龍之介の『お律と子等と』をどう読むか⑨ 案外突き詰めない

          芳川泰久の『漱石論 鏡あるいは夢の書法』をどう読むか① 君の家の風呂はそうやって沸すのか

           昨日私は付け足しのように、漱石論とはどれだけボケられるかの競争だったのかなと書いた。  間違いを前提にいかにも意味がありそうなことを語ること。これはいかにもばからしいふるまいだ。  山に登り高さを獲得することで位置エネルギーを得たというためには落下という運動を前提にせねばならないだろう。などと真面目に考える必要はないかもしれない。  そんなことが可能ならば大発見だ。しかし現実的にはありえないだろう。位置エネルギーの変換は水力発電などで実用化されているとみなせるだろうか

          芳川泰久の『漱石論 鏡あるいは夢の書法』をどう読むか① 君の家の風呂はそうやって沸すのか

          飯食ふて永井兵助油売り 夏目漱石の俳句をどう読むか159

           飯食ふてねむがる男畠打つ  この頃の自分のことを後に振り返り、漱石は、  こんな手紙を狩野亨吉に書き送っている。明治三十九年十月二十三日のことである。いくら何でも大げさすぎるんじゃないか。そこまで酷くはなかったんじゃないかと思わなくもないが、実際私自身の体験からしても、組織というのは実に失礼千万で頓珍漢なものである。不愉快なことだらけだ。最近もどこかの役所の人が内部告発をして自殺に追い込まれたが、そんなことはけして珍しくもないと思う。いや勿論自殺するかどうかは別として、

          飯食ふて永井兵助油売り 夏目漱石の俳句をどう読むか159

          林順治の『漱石の秘密』をどう読むか⑧ それは江藤淳だ

            まさかそんな記憶にすり替わるとは  人間の記憶などあてにならないものである。大抵のことは忘れられてしまう。しかしそこは忘れないだろうということもある。実はここまで私は林の間違いをすべて拾ってきたわけではない。おかしなところは随所にある。そこはまあ、「へえ、こんな勘違いもあるんだな」と流してきた。しかしさすがにこれはありえないだろうという所に立ち止まってきただけだ。  ここはできるだけ正確に引用しようとして、この書き手に関して完全にリスペクトがなくなるところである。新

          林順治の『漱石の秘密』をどう読むか⑧ それは江藤淳だ

          芥川龍之介の『お律と子等と』をどう読むか⑧ 千疋屋なら置いてあるかもしれない

           昨日は良さんと神山の洋一に対する態度の違いを見てきた。他人との人間関係というのは、こうした微妙なマウントの取りたがりというか、実際の縦の関係の距離を詰めたり無視したりしながら変化するもので、親しさや信頼の感情が生まれ、虫が好かないとか嫌悪とか、軽蔑とか憎しみとか、何ともややこしいものにあふれている。嫌いだ、虫が好かないといいながらも、感情を爆発させることなく何となく誤魔化していくのが大人というもので、この『お律と子等と』においては、そういうややこしい人間関係の組み合わせがほ

          芥川龍之介の『お律と子等と』をどう読むか⑧ 千疋屋なら置いてあるかもしれない

          永き日や五右衛門風呂に鉄行灯 夏目漱石の俳句をどう読むか158

          春に入って近頃青し鉄行燈  まったくもしかしての話だが、学部生がネット検索してたまたまこのnoteを読んで死にたくなるということがあるかもしれない。これまで自分の考えてきたことは全部無駄だったと指導教授と連絡を取らなくなるなんてことがあるかもしれない。しかし気にすることはない。みんなそうだから。何なら丸パクりしても誰にも気づかれないかもよ。  だからまあ気楽にいこう。  季節によって鉄行燈の明かりの色が青くなるということはなかろう。ここは廊下を渡る足元の鉄行燈の明かりが頼

          永き日や五右衛門風呂に鉄行灯 夏目漱石の俳句をどう読むか158

          林順治の『漱石の秘密』をどう読むか⑦ そこはもう少し長い

          そこはもう少し長い  文脈からこの人に書く資格のないことがわかる。  よく見てほしい。  この「だが」に意味はあるだろうか。無理に添えられた義母の死は、最初の勘定のうちに含め、物語の語られている現在、主要な登場人物のうち生存が確認できるのは「静」と「私」だけであることを確認すればよかったのではないか。義母の死は最初書き忘れ、後に書き足されたに過ぎない。「だが」は明らかに不要である。  物語の語られている範囲で「私」の父の死は確定していない。この後奇跡的に緩解し長生きす

          林順治の『漱石の秘密』をどう読むか⑦ そこはもう少し長い