小林十之助

近代文学2.0をやっています。近代文学1.0は終焉したそうですから仕方ありません。トン…

小林十之助

近代文学2.0をやっています。近代文学1.0は終焉したそうですから仕方ありません。トンデモ説ではない漱石論を書いています。近著『あなたの漱石読解間違っていますよ』『人類史上初夏目漱石の『こころ』を正しく読む』『夏目漱石は何故死んだのか』アマゾンで探してください。

マガジン

最近の記事

踏はづす菜の花なくて蘆の角 夏目漱石の俳句をどう読むか153

踏はづす蛙是へと田舟哉  Chat-GPTの解釈はこうである。岩波の解説には田舟の説明が、  こうある。   稲刈りをする時期には水はないはずだ。  なるほどこれは湿田がポイントか。つまり、  まさに明治という時代に生きた漱石の句ということか。この時期はまだ湿田から乾田に変わる過渡期で、田舟そのものが過去の遺物になりかけていたわけだ。  この蛙もウシガエルやトノサマガエルではなく、アマガエル系であろう。万葉歌に詠まれる蛙は清流に住むカジカガエルだが、芭蕉はヒキガエ

    • 林順治の『漱石の秘密』をどう読むか② 金之助の引っ越し

       これは間違いである。  いちいち言わなくてもわかるだろう。そこは察してくれという態度なのであろうが、分かりにくくまとめられてしまうと本当に分からなくなるのでやめてもらいたい。これは塩原家の転居先ではなく塩原金之助の預けられた先と思しき所だ。  何が言いたいかと言えば、金之助は生れ落ちて以来あちこちに連れまわされていて、常に塩原昌之助と一緒にいたわけでもなく、養母塩原やすのほか、塩原昌之助の妾日根野かつ、その娘日根野れんというややこしい関係の中で生きなければならなかった。

      • 林順治の『漱石の秘密』をどう読むか①塩原家の引っ越し

         まずこの「浅草三軒町」という表記は既に「浅草三間町」という言葉が繰り返し使われていたことから誤字であろう。大変精緻なものを書こうとして、このような誤字が残るのは大変残念なことである。「浅草三軒町」という表記はほかの箇所にも表れるので、初見の人には何が何だかわからないだろう。  内藤新宿とは「内藤新宿北町十六番地(四谷太宗寺門前)」とされている。瀬沼の記述から「裏」の文字が取れている。四谷太宗寺門前は「太」が正しいようである。  ここは森田草平の記述と比較検証しないと訳の

        • 芥川龍之介の『お律と子等と』をどう読むか④ 大きさはありません

           大谷さんが内角高めのボール球を打って52号になったとき、洋一と慎太郎は双子なんじゃないかという気がしてきた。慎太郎がいたなら洋二だろうと、賢造の名前を見て思った。  紙は飲み込んだんだ。  浅川の叔母が「忘れられたように」座るのは長火鉢に火が入っていないか、それとも日めくりカレンダーがめくり忘れられているからではないかと、近所の家を解体しているサルド人は言うかもしれない。  メリヤス産業に従事しているから取引先の毛糸屋が毎年暮れの挨拶に持ってくるカレンダーにはその長火

        踏はづす菜の花なくて蘆の角 夏目漱石の俳句をどう読むか153

        マガジン

        • 夏目漱石論2.0
          994本
        • 芥川龍之介論2.0
          1,051本
        • 谷崎潤一郎論2.0
          223本
        • 江藤淳論2.0
          45本
        • 柄谷行人論2.0
          24本
        • 三島由紀夫論2.0
          295本

        記事

          塩原昌之助について

           1875年は明治八年。諏訪町は現在の駒形一丁目。記録的には三間町ではなく諏訪町にいたとされることが多い。場所は近い。 漱石はK.Shioharaとサインしており「原」は濁らない。 1897年は明治三十年。無職か?

          塩原昌之助について

          二つかと飴売り見えぬ春の風 夏目漱石の俳句をどう読むか152

          二つかと見れば一つに飛ぶや蝶  この句もやはり無言の鑑賞にさらされているようだ。  岩波の解説によれば子規は、 二つかと見れば一つに飛ぶ胡蝶  に添削したかったようである。  あれ?  もしかすると子規も意味が解っていない?  そもそもこれはどういう状況?  漱石が乱視で一羽の蝶が二羽に見えた?  これは水鏡ではなさそうだ。  つまり?  二羽の蝶が交尾しながら飛んでいたのでは。  それが事実としてあるかないかでいえばある可能性が高い。それを実際に漱石

          二つかと飴売り見えぬ春の風 夏目漱石の俳句をどう読むか152

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑫ 那美さんは那美子なのか?

          那美さんは那美子なのか?  ここまて瀬沼は「宗蔵」を発明した以外、案外正確に登場人物の名前を示してきた。例えば「島田平吉」、この文字列は『道草』の中には一度も現れない。「平吉」がただ一度、  ここに現れるだけである。これは『虞美人草』的作法で、フルネームの印象をできるだけ薄くしようとしているものと思われる。ここは「妻常」というロジックから、島田常(のちの波多野常)の夫の島田に「平吉」という名前が与えられる仕掛けである。  しかしこんなわかりにくい名前も瀬沼はきちんと理解

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑫ 那美さんは那美子なのか?

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑪ それはどこなのか

          それはどこなのか?  これまで見てきた通り瀬沼茂樹はけた違いに文章が変で、なおかつ独創性のある記憶をもとに漱石を論じていて、そのまますらすら読むことは到底不可能だ。  それにしても「宗蔵」の独創性には恐れ入った。やろうとしてできることではない。私はあえてやらないが(とてもそんな時間が残されていない)調べてみると信じられないような奇行が見つかるかもしれないし、ほかの著書にもとんでもない独創性のある間違いが見つかるかもしれない。常識的に考えれば、こういう人は教育者にはなれない

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑪ それはどこなのか

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑩ 君は何を知っているのか?

           現時点で瀬沼茂樹は世界一とんでもない漱石論者である。  この「宗蔵」には参った。  もはやこれは一つの芸術といってよいかもしれない。 君は何を知っているのか?  そうはおっしゃいますが、そこは作品中には書かれていないことである。家督相続の件であれこれ考えさせられる部分でもある。  正式な遺書がもう一通あり、静が家督相続人に指定されていなければ、家も財産もどこかへ行ってしまう仕組みだ。もちろん繰り返し述べているとおり、法律行為というのは常に厳正に正しく行われるという

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑩ 君は何を知っているのか?

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑨ 君はそんな風に学校で習ったか 

          そこで読点?  その「無口で、」はいつもそうやっているのかな?  それとこれだと誰と誰を同居させたのかよくわからないな。  養家からの仕送りを絶たれ、約一年半夜学校の教師を務めながら独力で生活し、時間的に余裕がなくなり神経衰弱になった友人のKを、先生は奥さんを説き伏せて宅に招くことにした。  こういうことだよね。奥さんは反対した。奥さんを説き伏せた。事情は奥さんにもお嬢さんにも話して聞かせたが、説き伏せたのは奥さん。  なんか違うぞ  うーん。  滝沢カレンか?

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑨ 君はそんな風に学校で習ったか 

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑧ 誰や君?

          誰やそれ?  この人は真面目な人なんだろうと思う。ところどころ格好をつけて文章がおかしくなっているけれども、一応本人は真面目にやっているのだと思う。  だから何を言いたいのかよくわからないところも辛抱して、なんとか意味が分かるように修正したりもしてきた。  しかしいよいよ本当に解らないところに出くわした。  六十四年間、「『彼岸過迄』の宗蔵って誰や?」というものはいなかったのだろうか。  私はあわてて確認してみた。  どうもそんな奴はいないぞ。  漱石作品全体で

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑧ 誰や君?

          御館に振分髪も蜂巣くふ 夏目漱石の俳句をどう読むか151

          古瓢柱に懸けて蜂巣くふ  ふくべとはひょうたんのこと。ふるいひょうたんをはしらにかけておいたらはちがすをつくっていたよと、冗談のような句。これはおそらく意図とは別に、というところにユーモアがあるはずなのだが、では本来の目的は何なのかというあたりの感覚が案外分からなくなっているのではなかろうか。  今柱にひょうたんが懸けられている家なんてまずないと思う。これは子孫繁栄の縁起物で、秀吉の千成瓢箪なんかは……今調べると図案化された馬印ということになっているけれど、昔の時代劇なん

          御館に振分髪も蜂巣くふ 夏目漱石の俳句をどう読むか151

          陽炎に筮竹もむや神の馬 夏目漱石の俳句をどう読むか150

          陽炎に蟹の泡ふく干潟かな  ついこの前、 蟹の泡流れて白し朧月  という子規の句を見た気がする。  確か芥川の俳句の時に書いたと思うけれど、蟹が泡を吹いているときは苦しがっているので、小春かどうか、朧月かどうかは別にして、陽炎の立つ干潟はかなり暑かったのではなかろうか。  昨日のこともあるので何か含みがないかとあれこれ調べてみたが、結果として、蕪村に蓋をされたのか「蟹の泡」の句が案外少ないことだけが分かった。  その点漱石は遠慮がないのか、蕪村びいきなのか、堂々と

          陽炎に筮竹もむや神の馬 夏目漱石の俳句をどう読むか150

          それともこの家は傾いている? 芥川龍之介の『お律と子等と』をどう読むか③

           I don't knowの店員はずいぶんと態度が悪いな。そういう職場なのか。  去年地方の高等学校に入学した兄。「洋一」は弟。中学を卒業して、……この書き方からすると年子で、「洋一」は高等学校に進学していない。総領息子だけが高等学校に行かせてもらえているのか。  それで洋一は北原白秋風の歌を書いているのか。  しかし地方の高等学校に行ったということは、兄は東京の高等学校に進学できるほど優秀ではないということか。それでもなんとか入れる高等学校があり都落ちしたという訳だ。

          それともこの家は傾いている? 芥川龍之介の『お律と子等と』をどう読むか③

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑦ 鋭くはないな

            日本語としてどうなのか  言いたいことは分かる。ただつまらないだけではなく日本語としてよれよれである。平野敬一郎の『三島由紀夫論』もそうとうあちこち文章がいい加減だったが、最近はそういうのが流行っているのかね。  まず、主述のねじれ、どころの話ではないか。  ええと「宗助は」がいらないな。  で、先に「家主」と書いて次に「家主の坂井」は順番が逆なんじゃない。  それから「交り」は今は「交わり」とかいて、「結」ばれたり「得」たり「絶」えたりはするけれど、「ひらか

          瀬沼茂樹の『夏目漱石』をどう読むか⑦ 鋭くはないな

          岡部茂の『漱石私論』をどう読むか② 三度目はない

           トンデモ説を疑いつつ、もう少し読み進めることにする。朝日新聞出版サービスの人が序文で「丹念な検証」と書いていたからだ。  岡部はやはり八月十四日の漢詩を比較する。 花間の宿鳥 朝露を振い 柳外の帰牛 夕日を帯ぶ 随所隨縁  清興足る   比較されているのはここである。  なるほど、この夕暮れの感じが漢詩と通じているということなのかな?  あかん。  あほやこいつ。  これは立派なトンデモ説や。  どうも高柳君には実在のモデルがいるらしい。「高い柳」にあまり勝

          岡部茂の『漱石私論』をどう読むか② 三度目はない