芳川泰久の『漱石論 鏡あるいは夢の書法』をどう読むか③ チューズニーヤーチューズニーサウザンレッドイッツシーノーズ
漱石論に限らず、フロイトとマルクスを持ち出したところで、その本は閉じてしまっていいと思う。フロイトは実証科学なのか、マルクスは歴史学なのかと問い直してもいい。フロイトの様々なアイデアはリビドーという観念なのか実体なのかわからないものを仮想して成り立っていたが、次第にリビドーの概念は忘れ去られてしまった。ものすごく客観的に見れば、フロイトがリビドーと呼んだものを宇宙に遍在する愛のエネルギー、オルゴンとしてウィリヘルム・ライヒが「発見」してしまったからではないかと思う。ライヒが