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三島由紀夫論2.0

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑬ 三島由紀夫を殺す男 

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑬ 三島由紀夫を殺す男 

 それでもやはり森田必勝が三島由紀夫を殺したのではないか、そう考えている人は決して少なくはない筈だ。私は理屈の上では三島の死は、森田必勝の出現によって確定したのであり、あとはタイミングだけの問題になったと考えている。
 ジョンは持丸の離脱が持つ決定的な意味をこう記している。

 楯の会が解散すれば、あの三島の死はなくなる。

 チャンス‼

 と喜んだところで過去は変えられない。

 三島は四十三

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑫ こんなうまいものはないぜ

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑫ こんなうまいものはないぜ

 三島由紀夫は運動部の顧問を務めていたわけではなかった。楯の会は運動部ではなく、全集団の生命をもって天皇を防衛する、斬死を覚悟した集団だった。

 三島も大真面目だった。

 昭和四十三年十月二十一日、反戦デーのデモの最中、三島は「サンデー毎日」の記者に変装して現場にいた。眺めの良い場所を得ようと弟の千之の勤める外務省に飛び込んだ。

 このことも今私が書いておかなくては曖昧になるかもしれない。今

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑪ ひとなつっこくなった

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑪ ひとなつっこくなった

 しかしジョンが指摘していることはむしろ三島由紀夫の文学と楯の会というものがまつたく相容れないものであるという事実なのだ。確かに三島由紀夫は飯沼勲というテロリストを見事に描き切った。ただ『剣』と『奔馬』のみがむしろ例外的であって、『花ざかりの森』から『春の雪』まで、三島文学は「あえか」なものであり続けた。

 あえかとは、弱々しい、 きゃしゃだ、という意味でもあるが三島の語彙の中では最上の価値を持

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑩ 美の伝統ねえ

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑩ 美の伝統ねえ

 待てというのにジョンは突き進む。『太陽と鉄』のなかに、つまり天皇とはほぼ無関係なところに三島の死の衝動の根源なるものを見つけ出してしまう。

 実際に私が直接元自衛官に聞いたところによれば三島は楯の会のメンバーでなくても、自衛隊の若手隊員たちと上半身裸でランニングしていてさえ、実に楽し気だったという。よくよく考えれば、公威が仲間と集団で走るなどという体験は祖母が亡くなるまでは皆無であっただろうし

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菅孝行の『三島由紀夫と天皇』をどう読むか① 一つの可能性として

菅孝行の『三島由紀夫と天皇』をどう読むか① 一つの可能性として

 たいていの三島天皇論の駄目なポイントは、

・天皇とは誰の事なのか解っていない
・幻の南朝を論じない
・三種の神器(宮中三殿)を論じない
・天孫降臨の否定が呑み込めていない

 というあたりにあり、菅孝行の『三島由紀夫と天皇』も見事にこのパターンにはまる。従ってほとんど読む価値のない本、……かと思いつつ、読んでいてふと気がついた。

 菅孝行は『仮面の告白』に関してこんなふうに書いているのだ。

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑨ 証拠は役に立たない

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑨ 証拠は役に立たない

 この期に及んで私にはまだ、三島由紀夫が天皇を殺したかったのか守りたかったのかが分からない。

 それならば何故皇宮警察に入らないのか?

 何故楯の会でなくてはならないのか。

 そこのところが本当に解らない。

 守るためには武器が必要だ。そこは精神的なものでは乗り越えられない。

 この問題などは楯の会の間ではどのように議論されたものであろうか。

 ジョンはそこは掘らない。代わりに『文化防

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑧ 真ん中

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑧ 真ん中

 三島はノーベル賞が欲しかった。『午後の曳航』を訳し終えたばかりのジョンにノーベル賞を取る手助けの約束をさせ『絹と明察』を読ませた。

 無理だろう、と私は素直に思う。ノーベル賞の選考基準がどんなものなのか私は知らない。それでも『絹と明察』はないのではないかと思う。

 ジョンは「そこに純一な感情が欠けている」「錯雑をきわめ」として「英語に移すことはたいへんな労苦」「仕事を続けるのに必要な熱意を持

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑦ 二万部って……

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑦ 二万部って……

 プロの作家にとって新作の売れ行きはとても気になるものなのであろう。ツイッターでもやっているとしきりに自己宣伝が見られる。三島も800円の本を売って80円稼ぐ作家として、本の売り上げは気になったことだろう。

 例えば『鏡子の家』は書きおろしで二十万部。批評家の反応は厳しいが、未だ絶望的な状況にはない。しかしジョンはここから「世人の関心を得ようとして」やくざ映画に出演することにしたと見ている。『か

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑥ ホラミー

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑥ ホラミー

 やはり『鏡子の家』はよく売れたのだ。

 つまり平野啓一郎の云うような「それが、商業的にも、文壇の評価に於いても惨憺たる結果に終わった事実」というものはないのだ。

 ホラミーホラミー。

 ほら、見い。

 わしの言うとった通りやんか。

 三島が天皇に気がつくのは『風流夢譚』の後やねん。この安保の時点で愛国者や天皇主義者やったら、何かしら踏み込んだ態度が出てくる筈やねん。

 そうやねん。

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑤ 今更そこか

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑤ 今更そこか

 ここまでジョンは三島作品についてほんの短いコメントしか書かなかった。引用があったとしてもそこを総括するコメントは短く鋭い。殆ど迷いなく鳥瞰的に処理が出来ている。生々しくその現場に踏み込み右往左往しようとはまるで考えていない。

 例えば『金閣寺』に関しても「三島のもっとも力強い場面と、歪んでいるにもせよもっとも記憶すべき登場人物たちとを含む、ゆたかな生気に富んだ作品である」とまとめ(まとまってい

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む④ マザコンの猫殺しの少年愛者

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む④ マザコンの猫殺しの少年愛者

 昭和三十九年『午後の曳航』を翻訳中のジョンは、三島から猫殺しと解剖を打ち明けられたという。実際にやってみたというわけだ。猫殺し。『禁色』を担当した松本道子という編集者は三島家を訪れるたびに倭文重が公威の傍を離れず、公威が彼女を「お母さま」と呼んでいたと記憶している。マザコン。
 
 三島は必ず締め切りを守った。大真面目。

 ブラジルで三島は「公園でうろついているような種類」の十七歳前後の少年を

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む③ 名状しがたく醜悪って……

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む③ 名状しがたく醜悪って……

 こう指摘されてみて初めてそれ以前の短編はどうだったかと確認してみると、

 とは書かれていた。『煙草』『岬にての物語』『軽王子と衣通姫』『春子』らの作品がいずれも注目されなかったことが書かれているほか、ジョンは自身の感想を述べていない。『エスガイの狩』『菖蒲前』『黒島の王の物語の一場面』『鴉』には触れられていなかった。

 例えば『鴉』は諄い装飾もナルシシズムも屁理屈もない、まるで三島らしくない

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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む② 書く方に必死だよ

ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む② 書く方に必死だよ

告白は二度?

 

 ジョン・ネイスンは倭文重に直接会い「園子」について尋ねたようだ。しかし倭文重は『仮面の告白』の通りだと答えたらしい。平野啓一郎の『三島由紀夫論』を読むために散々ひっくり返してきた後なので『仮面の告白』そのものは掘らない。しかし梓がでたらめだという『仮面の告白』を倭文重が本当だと言って見せたとしたらそこは興味深い。
 倭文重は「園子」の結婚の知らせを聞いて三島が泥酔したことも

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三島由紀夫の『花ざかりの森』をどう読むか⑨ とても信じられない

三島由紀夫の『花ざかりの森』をどう読むか⑨ とても信じられない

 三島由紀夫の悪趣味な家は何を意味しているのだろうと考えないわけにはいかない。そこには確かに三島由紀夫のセンスのなさだけがあるのか、そうではない何かがあるのか。

 英国製の天皇が気に入らないと言いながら、シャンデリアの下でビフテキを食べるようになるとは、十六歳の公威少年はとてもではないが考えられなかったはずであるし、純和風の家とは平屋であろう。螺旋階段など必要のないものだ。

 仮にビフテキは肉

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