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ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑤ 今更そこか

 ここまでジョンは三島作品についてほんの短いコメントしか書かなかった。引用があったとしてもそこを総括するコメントは短く鋭い。殆ど迷いなく鳥瞰的に処理が出来ている。生々しくその現場に踏み込み右往左往しようとはまるで考えていない。

 例えば『金閣寺』に関しても「三島のもっとも力強い場面と、歪んでいるにもせよもっとも記憶すべき登場人物たちとを含む、ゆたかな生気に富んだ作品である」とまとめ(まとまっているかな?)、二ヶ月で十五万五千部売れ、当時としては異例の二千円の豪華本が限定二百部出版されたことを述べるにとどまる。
 そこに天皇のアレゴリーを見出すことがなかったのは幸いだが、あまりに形式的な感想で少し物足らない感じはある。そこに三島自身の切実なものを発見できなかったのでなければ、言語的な障壁があるのかと疑わねばなるまい。

 柏木や溝口はなにやらこじらせてはいるが、三島由紀夫自身と比べればまだ軽症なのだ。

 柏木や溝口は作り物だが『金閣寺』の奥には確かに本物の怪物がいる。

 その怪物にジョンが漸く気がつくのは『鏡子の家』においてである。ジョンはまずこの作品を「鬼面人を驚かす態の作品である」と書いてみる。これは翻訳すれば「驚いた」という意味になる。

 何よりもまず、『鏡子の家』のどの頁を見ても、三島が高名な小説家、劇作家、批評家として、そしてまた生きんとする熱意に燃えた奇妙な情熱家として、あれほど実質的かつ一義的につらぬいてきたかに見えたその自己同一性がじつは幾多の仮面の寄せ集めにすぎず、夏祭りの町中でのああした勝利感の瞬間があったにもかかわらず、それ以後もはや終戦以来ずっとそうであったように自分はほんとうに存在しているという生きた感覚にふれあったことはないと、作者は高々と公言している。

(ジョン・ネイスン『新版・三島由紀夫—ある評伝—』新潮社 2000年)

 君はいまさら何を言っているのだ。

 世界と三島の不和は、隔絶は、「自己の現実に直面する無能力」は君自身が『花ざかりの森』において見抜いていたことではないか。ではその捉え難いふわふわの空間で、公威はどう振舞えばよかったのか。天地も自ら取り決め、観念の空中戦で誰よりも高く飛び上がり、誰にもサバりつけない思考の高みのなかで繭籠る以外にどんな術があり得ただろうか。

 公威はなつにも倭文重にも笑顔でいなくてはならなかった。最早どれが仮面なのか自分でも解らなくなるほどのふり幅で、ゲイや武士にならなくてはならなかった。

 ジョンは「信じている」という考え方をめぐる議論を長尺で引き、少しうろたえているように見える。普通は信じるとは単に信じることだからだ。しかし三島の言う信じるとはそんなに単純な概念ではない。

 ジョンは「信じていないものを目的に出来る」というロジックをミノのように噛み切れないでいる。それでいて呑み込めないのだ。長尺の引用が続く。自分の戸惑いを、誰かと共有したいのだ。

 ね、変でしょう?

 三島由紀夫の読者がいつか辿り着く境地だ。ジョンは収の血みどろの死に何をかを感じ取る。

 死が唯一の現実なのだと。

 そんな馬鹿な。『鏡子の家』はぼんやりとした戦後を生きようとした若者たちの群像劇ではなかったのか。

 しかし、確実なことが一つある。六〇年代の発展、三島の「愛国的な」自殺を頂点とする右翼政治への推移は、突然現れ出たものではなかった。それらの要素はすべて昭和三十三年までに確実に存在しており、また同程度に確実に、三島は確実にそのことを感じとっていたのである。

(ジョン・ネイスン『新版・三島由紀夫—ある評伝—』新潮社 2000年)

 『憂国』の天皇が御真影でしかなく、三島の天皇は昭和三十五年の『風流夢譚』の裏返しの借用だと唱えてきた私は、ジョンが指摘するこの二年のギャップに関して『鏡子の家』を再精査する必要に迫られたような気がする。勿論『憂国』の天皇が御真影であったのはたまたまであったのかもしれないからだ。

 しかしここに現れる「信じていないもののための自殺」=「愛国的な自殺」というロジックを「愛国的」と括弧に括ることで文学的に表現したことをまだ誰も知らない。

 何故ならみな暑くてぼうとしているからだ。

[余談]


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