ジョン・ネイスンの『新版・三島由紀夫—ある評伝—』を読む⑦ 二万部って……
プロの作家にとって新作の売れ行きはとても気になるものなのであろう。ツイッターでもやっているとしきりに自己宣伝が見られる。三島も800円の本を売って80円稼ぐ作家として、本の売り上げは気になったことだろう。
例えば『鏡子の家』は書きおろしで二十万部。批評家の反応は厳しいが、未だ絶望的な状況にはない。しかしジョンはここから「世人の関心を得ようとして」やくざ映画に出演することにしたと見ている。『からっ風野郎』である。
しかしながらその後久しぶりの書きおろしとなる『午後の曳航』が昭和三十八年九月に出版され、売れ行きは五万部しかなかった。その前年に書かれた『美しい星』が二万部弱。現在だと7000部いかないと次はないんだっけ?一万部がぎりぎり?
それにしても二万部弱とはあまりに少ない。
明らかに三島の小説家としての人気は落ちていた。この理由の一因にジョンは安倍公房、石原慎太郎、大江健三郎の台頭を指摘する。言われてみれば野坂昭如の『エロ事師たち』が昭和三十八年、開高健、松本清張、司馬遼太郎も活躍していた。無理に三島由紀夫の作品を読まずともほかに読むものはいくらでもあったのだ。
しかし改めて『美しい星』が『鏡子の家』の十分の一の売り上げであると確認してみると、これは三島由紀夫にとってかなりショックな出来事ではなかったかと思う。『鏡子の家』の二十万部が失敗なら、『美しい星』の二万部は何と呼ばれるべきであろうか。
キーンあての書簡を見ると『美しい星』は翻訳を断られている。この作品を谷崎に褒められて欣喜雀躍して喜んだのはそれほど追い詰められていたということであろう。
思い出してみるとキーンには『宴のあと』が訴訟中であるにもかかわらず繰り返し英語版の出版を求めていた。芝居にしても本にしても国内と海外で二毛作という算段である。
ジョンによれば昭和三十七年から四十年にかけて、三島はどんどん社交的になり有名スターをクリスマス・パーティーに招くようになる。田宮二郎やファイティング原田まで揃うのだから、一体どんな付き合いかと不思議だが、これは案外今の芸能人の謎パーティーのようなものかもしれない。誰とは言わないが、なんとなく有名人が参加しているパーティー。
ここにジョンは色を付けていないが、「三島はいつも東京の外国人社会に適応するために腰を低くしていた」とも指摘する。要するに三島の交際はすべての外国の新聞や雑誌の担当者の間に広がっていたというのである。そしてここにジョンは三島の孤独を見出す。
しかし昭和四十年『憂国』への出演も含めて、そこには『美しい星』の二万部からの巻き返し、あるいは人気作家としての生き残りをかけたパブリッシュメントの意識はなかっただろうか。
なんにせよ『仮面の告白』というどぎつい反則技で世に出た男である。『潮騒』でメディアミックスの旨味も知った。売れたい、目立ちたい、人気者でありたいという俗物性が三島になかったと考えるのは無理だろう。
ジョンによれば三島は『憂国』の最初の上映は昭和四十年九月、パリの映画館で行われた。翌年四月日本でも封切られた『憂国』は短編映画としては異例の入場者数を記録したそうである。
これ全て本を売るための宣伝、とは私は思わない。三島はコンスタントに舞台芸術を続けており、そちらの表現も(当然売り上げも)三島由紀夫にとっては大いに意味のあるものであった筈である。文字では伝わらないものを映像で伝える。そのことも三島由紀夫は大真面目に取り組んだのには違いなかろうし、実際『憂国』は大真面目な作品である。
ただどうしても引っかかるのは『美しい星』の二万部なのである。
昭和四十年三月、三島は「六年を要する」「三千枚以上」の作品を書くことを新聞紙上に発表する。それが一体どんな作品なのか、まだ誰も知らない。
え?
知ってる?
なんで?
[余談]
『仮面の告白』を翻訳した人、「コペルニスク」のことを新潮社に教えてあげなかったのかな?
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