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江藤淳の漱石論について③ 『門』の参禅を巡って

 江藤淳による夏目漱石の『門』の読みにおいて、宗助の参禅は現実逃避的な捉え方をされてしまっているようだ。そしてこうした読みが無批判に引き継がれ、柄谷行人他多くの人々がまるで自分で思いついたかのように現実逃避を見つけてしまうのはいかがなものだろうか。

 それこそこれは書いていることを読まないで、書いていないことを付け足すスタイルの誤読であり、皆迄書かない夏目漱石作品に対して、基本的な読みの水準に達していない拙い読みだと言わざるを得ない。『門』の参禅は唐突でもなく、現実逃避でもない。

 この野だは、どういう了見だか、赤シャツのうちへ朝夕出入りして、どこへでも随行して行く。まるで同輩じゃない。主従みたようだ。(夏目漱石『坊ちゃん』)

 月給を上げてやろうと云うから、別段欲しくもなかったが、入らない金を余しておくのももったいないと思って、よろしいと承知したのだが、転任したくないものを無理に転任させてその男の月給の上前を跳ねるなんて不人情な事が出来るものか。当人がもとの通りでいいと云うのに延岡下だりまで落ちさせるとは一体どう云う了見だろう。(夏目漱石『坊ちゃん』)

 こうして「どういう了見か」とあるのは漱石のふりである。つまりどういう了見なのか考えてみなくてはならない。

「芸者をつれて僕が宿屋へ泊ったと云う証拠がありますか」
「宵に貴様のなじみの芸者が角屋へはいったのを見て云う事だ。胡魔化せるものか」
胡魔化す必要はない。僕は吉川君と二人で泊ったのである。芸者が宵にはいろうが、はいるまいが、僕の知った事ではない」
「だまれ」と山嵐は拳骨を食わした。赤シャツはよろよろしたが「これは乱暴だ、狼藉である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ」(夏目漱石『坊ちゃん』)

 ここは赤シャツの言う通りで、ふりからすれば山嵐の誤爆である可能性が高い。しかしどういう了見かというふりに気が付かなければ、安っぽい話に落ちてしまう。『野分』では教師が生徒を扇動して教師を追い出すエピソードが描かれる。山嵐と「おれ」が絶対の正義であるわけはなく、多くの読者同様漱石作品の登場人物たちは「気が付かない」ことでドラマを演じ切る。

 その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじに詫まって、ようやくおやじの怒りが解けた。それにもかかわらずあまりおやじを怖いとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想をつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾きをする――このおれを無暗に珍重してくれた。おれは到底人に好かれる性でないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。(夏目漱石『坊ちゃん』)

 このようなふりから「清実母説」が現れるのも無理のないことである。さて前置きが長くなった。『門』とはどういう話だったのか確認してみよう。

 二三分して、細君は障子の硝子の所へ顔を寄せて、縁側に寝ている夫の姿を覗いて見た。夫はどう云う了見か両膝を曲げて海老のように窮屈になっている。そうして両手を組み合わして、その中へ黒い頭を突っ込んでいるから、肱に挟まれて顔がちっとも見えない。(夏目漱石『門』)

 この格好の意味はまだ明白ではない。しかし『門』が子供が生まれない話であることだと捉えたときに朧気ながら意味が見えてこないだろうか。御米が易者の門をくぐるのと対に、宗助は山寺の門をくぐる。参禅が現実逃避というなら、易占いも現実逃避であろう。現実とは穴の開いた靴で役所に通うことではない。目の前に現れるものすべてが現実だ。その十日間の参禅の意味は単なる現実逃避ではない。それは書かれている範囲から具体的に読み取れば、小六と御米を十日間二人きりにしたということなのだ。

 無論ゾラ、モーパッサン的自然主義を嫌う漱石は、その十日間に二人が畜生道に堕ちたとは書かない。書かないが事実としては宗助はわざわざ十日間御米と小六を二人っきりにしたのだ。清は元々影のような存在である。御米と小六は二人で過ごすことになる。何か間違いがあっても不思議ではない。それが単なる言いがかりでないことは『行人』において一郎が二郎と直の同宿に嫉妬し、二郎がHさんに頼んで一郎を旅行に連れ出すや否や実家を訪ね、直と二人でいるところを母親に見とがめられるエピソードから明らかだろう。何もないとして、本来そういうことは慎みとして避けられるべきなのだ。御米と宗助に子ができないのは、御米にではなく宗助に原因があるのかもしれないと考えてみれば、参禅は現実逃避どころの話ではなくなる。

 これを皇室問題としてとらえてみれば、皇太子妃に子ができぬ場合にどうするかと考えが及ぶ。大正天皇は明治天皇の唯一成人した皇男子である。孝明天皇の兄弟たちが立て続けに早死にしていることも思い出される。この設定は妾なしで家系が継続することの危うさを仄めかしている。この点森鴎外の史伝ものは潔い。三代遡らないで養子になる。立て続けに醜い女の子が生まれてきて辟易とする『道草』を含めて、夏目漱石作品は姦通や三角関係ではなく、子をなすこととなさないことを巡って書かれてきたと言ってよいだろう。それは漱石自身の嫂への思慕には還元しえない問題だろう。

 例えば実際漱石が嫂に道ならぬ思慕を抱いていたとして、その思いを大声で叫ぶ理由がどこにあろうか。そこから虚々実々のアクティビティを作品と絡ませる太宰でもあるまいに。漱石の場合嫂への思慕は、つい戯言の俳句にこっそりと滲み出てしまうのが精々のところではなかろうか。それを言い当てることが批評の使命ではなかろう。

 漱石は生まれてきてすみませんとは書かない。書かないが父母未生以前の面目にこだわる。捨子の感覚、実母への疑い、血縁ではない親子の関係の方が重要な主題ではなかったか。

【付記】

近代文学1.0の世界ではほぼ唯一正確な読みに近い石原千秋博士は『漱石入門』でこの箇所を引き、

 宗助は弟を見るたびに、昔の自分が再び蘇生して、自分の眼の前に活動しているような気がしてならなかった。時には、はらはらする事もあった。また苦々にがにがしく思う折もあった。そう云う場合には、心のうちに、当時の自分が一図に振舞った苦い記憶を、できるだけしばしば呼び起させるために、とくに天が小六を自分の眼の前に据え付けるのではなかろうかと思った。そうして非常に恐ろしくなった。こいつもあるいはおれと同一の運命に陥るために生れて来たのではなかろうかと考えると、今度は大いに心がかりになった。時によると心がかりよりは不愉快であった。(夏目漱石『門』)

 「まさか小六が姦通を?」と、実に惜しいところまで届いている。むしろそこまで気が付いていて何故参禅の意味に気が付かないのかと不思議なくらいだ。江藤淳は漱石が病気の登世を抱きかかえて二階へ運んだと知りながら、先生が義母の下の世話をしたことが仄めかされていることに気が付かない。それぞれ気が付かないのは仕方ないとして、そろそろ気が付こうよ。

 





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