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江藤淳の漱石論について④ 「他者」とは何か

 そして、家内がどれほど昏睡状態をつづけていても、「慶子、おはよう、今日は十月二十九日の木曜だよ」というふうに、かならず声を掛けた。だが、幸い十月二十九日の朝には、家内の意識が戻り、しかも苦痛も収まっているようだった。それに力を得て、私は小さな事件の話をはじめた。ホテルでうっかり近眼鏡をベッドの上に置き、その上に坐り込んで、フレームを歪めてしまったこと、ホテルのフロントに預けて高島屋に修理を頼んだら、代金を一文も取られなかったこと……
 それ自体は、取るに足らない失敗の報告に過ぎず、家の居間や食堂でしてもいいような話で、家内も元気なときのように微笑を浮かべて聴いているように見えた。がそのとき私は気が付いた。自分が今決して日常的な話をしているのではないことを。慶子も私もあの生と死の・・・時間のなかにいて、そこでかつてない深い心の交流が行われつつあることを。
 慶子は、無言で語っていた。あらゆることにかかわらず、自分が幸せだったということを。告知せずにいたことを含めて、私のすべてを赦すということを。四十一年半に及ぼうとしている二人の結婚生活は、決して無意味ではなかった、いや、素晴らしいものだった、ということを。
 私は、それに対して、やはり無言で繰り返していた。有難う、わかってくれて本当に有難う、ということを。(『妻と私』江藤淳/文藝春秋/平成十一年九月)

 夏目漱石の聖化に我慢がならぬと威勢よくデビューした評論家の書いたものであるなら、「それは事実というより願望ですね」と残酷に突き放しても構わないだろうか。江藤淳がどういうつもりで『妻と私』という奇妙な「小説」を書いたかといえば、「あとがき」にあるように「このままでいると気が狂うに違いない」と感じたからのようだが、ここに書かれていることは既に真面ではない。平成十年の十月二十九日は確かに木曜日である。しかしこれは事実の記録ではなく、現実逃避した小説と見做すべきであろう。そして江藤淳式に言ってみれば、文学的な嘘をついて、世間を欺いていることになる。私にはこのロジックが上手く呑み込めず、何故堀辰雄が批判されねばならないのかが呑み込めないのだが、『妻と私』の「小説」としての嘘くささ、リアリティのなさ、甘ったるい自己憐憫、廻りからよく思われたいという卑俗な感情が痛々しく思える。

 江藤淳は『夏目漱石』において、「他者」という奇妙な用語を振り回す。それは(次第に変化し、意味をずらすのだが)例えば『行人』における一郎と直の関係である。「打っても叩いても動かせず、捕らえどころのない女。これほど完璧な他者の象徴はない」という具合である。いや、呼びかけても返事をせず、意識のないものはどうなのだ。ここで「他者」とは一郎が創り出した直の「見え方」に過ぎないことは明らかだろう。その「見え方」は一郎の癇癪と嫉妬が生み出したもので、即席のテレパシー研究では補い得なかったものだ。一方二郎は二度直とテレパシーで交信する。そんな馬鹿な話はなかろうと思う人は「親切」と「打擲」で『行人』を検索してもらいたい。そこには確かに江藤淳ばりのテレパシーが書かれているのだ。

 「他者」とは一郎が創り出した直の「見え方」に過ぎないとしたら、やはり『妻と私』に描かれるテレパシーは江藤淳が創り出した慶子の「見え方」に過ぎない。そのことを百年も前に夏目漱石は批評している。

 自分は例の精神病の娘さんがいったん嫁いだあと不縁になって、三沢の宅うちへ引き取られた時、三沢の出る後を慕って、早く帰って来てちょうだいと、いつでも云い習わした話をしようと思ってちょっとそこで句を切った。すると兄は急に気乗りのしたような顔をして、「その話ならおれも聞いて知っている。三沢がその女の死んだとき、冷たい額へ接吻したという話だろう」と云った。
 自分は喫驚りした。
「そんな事があるんですか。三沢は接吻の事については一口も云いませんでしたがね。皆ないる前でですか、三沢が接吻したって云うのは」
「それは知らない。皆なの前でやったのか。またはほかに人のいない時にやったのか」
「だって三沢がたった一人でその娘さんの死骸の傍にいるはずがないと思いますがね。もし誰もそばにいない時接吻したとすると」
「だから知らんと断ってるじゃないか」
 自分は黙って考え込んだ。(夏目漱石『行人』)

 江藤の理屈ではこの精神病の女と、その死骸はむしろ「他者」ではなくなる。しかし死骸に接吻することに二郎が驚く程度に、死骸を「他者」でなくしてしまうロジックに私は驚いてしまう。いや、そもそも二郎と直のテレパシーこそが異常なのであり、夫婦であれ友人であれ「他人」の考えていることは解らないというのが哲学的な常識だからだ。リアリズムで貫けば、『妻と私』など書かれるはずもないものだ。

「片付いたのは上部だけじゃないか。だから御前は形式張った女だというんだ」
 細君の顔には不審と反抗の色が見えた。
「じゃどうすれば本当に片付くんです」
「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
 健三の口調は吐き出すように苦々しかった。細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。
「おお好い子だ好い子だ。御父さまの仰っしゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね
 細君はこういいいい、幾度か赤い頬に接吻した。(夏目漱石『道草』)

 夫婦も所詮他人である。「他者」などとわざと厳めしい用語を振り回すまでもなく、他人である以上完全に分かり合えることはない。モルヒネが投与されている患者に対して癇癪と嫉妬の代わりに優しさと甘えを投げかけ、幸福な妻を捏造した江藤淳は自らの堀辰雄批判のブーメランに堪えうるだろうか。

 『江藤淳は甦える』(平山周吉/新潮社/2019年)によれば江藤淳はどういう了見か、昭和八年生まれだとさばを読むことがあった。その意図がどこにあったにせよ、何か都合よく自分の出自をごまかす行為と受け止められても可笑しくはない。しかも小説の中ではなく、対談において年齢を胡麻化していたとなれば、それは洒落にもならない。無論生まれ年や年齢など文学とは全く関係のないことだ。ただ都合の良いごまかしを嫌悪した者ならば、そこにには慎みが必要だろう。

そして、家内がどれほど昏睡状態をつづけていても、「慶子、おはよう、今日は十月二十九日の木曜だよ」というふうに、かならず声を掛けた。(『妻と私』江藤淳/文藝春秋/平成十一年九月)

 …とあるが、慶子夫人の愛称は「トンチャン」である。江藤淳は「パウ」、つまりここは、

 そして、家内がどれほど昏睡状態をつづけていても、「トンチャン、おはよう、パウだよ、トンチャン、トッチ、……今日は十月二十九日の木曜だよ」というふうに、かならず声を掛けた。

 …とならなければおかしいのではなかろうか。これが『妻と私』が小説であると見做す根拠である。




[付記]

 少しリスキーなことを書いてしまえば、私が本当に「他者」だなと思うのは昆虫である。昆虫とは意思の疎通ができない。柄谷行人は猫が他者ではないかと書いていたが、昆虫の解らなさの比ではない。少し前、意思の疎通のできない昆虫、しかも人間の形をした二匹を見た。



※実は堀辰雄批判を理解できないのと同じ理屈で、この批判もさして本気ではない。ただ主張や批判は常にブーメランになることを覚悟しておかなくてはならないというロジックのみで書いたものである。女房の看護でラブラブで、嬉々としてパンツを洗う江藤淳そのものはいささかも責められるものではなかろう。それはなんとなく寝たきりの義母の看護で力の及ぶ限り懇切に浣腸している先生のようで微笑ましくさえある。









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