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閑話休題『そいがきや』で解ったこと・解らないこと

 これまで『そいがきや』を七章まで訳してきて、解ったことと解らないことを整理しておこう。これまで「金の延金」の意味は曖昧だとして来たが、方言に変換してみるとどうもこうではないかなという答えが見つかった。方言変換では名詞よりも動詞や助詞の方が比較的多く置き換えられる。その中で気が付いた。

「御父さんは論語だの、王陽明だのという、金の延金を呑んでいらっしゃるから、そういう事を仰っしゃるんでしょう」
「金の延金とは」
 代助はしばらく黙っていたが、漸く、
「延金のまま出て来るんです」と云った。長井は、書物癖のある、偏屈な、世慣れない若輩のいいたがる不得要領の警句として、好奇心のあるにも拘らず、取り合う事を敢てしなかった。(夏目漱石『それから』)

 これは平明に読めば「金の延金」とは論語や王陽明のことであって、論語や王陽明を読んでいるから、そのまま論語や王陽明的な言葉が発せられたんでしょう、という意味になるのであろう。しかしここで「読んで」ではなく「呑んで」とあるのが漱石のユーモアではなかろうか。「延金のまま出て来るんです」というとき、出てくるものは言葉ではあろうが、「呑む」「出す」というところから金の延金がトウモロコシのように思えてくる。つまり金の延金とはアサヒビールの本社のシンボルのようなものではなかろうか。つまりここで代助は解り難く、金の糞をする親爺をからかっているのだ。金の糞を薫育と信じ切っているのをからかっているのだ。これは「のまま出て来る」にフォーカスしないと見えてこないかなり高等なジョークだ。

 昔の金歯はやはり解らない。

「もう、そろそろ蛍が出る時分ですな」と云った。代助は可笑しな顔をして、
「まだ出やしまい」と答えた。すると門野は例の如く、
「そうでしょうか」と云う返事をしたが、すぐ真面目な調子で、「蛍てえものは、昔は大分流行ったもんだが、近来は余り文士方が騒がない様になりましたな。どう云うもんでしょう。蛍だの烏だのって、この頃じゃついぞ見た事がない位なもんだ」と云った。
「そうさ。どう云う訳だろう」と代助も空っとぼけて、真面目な挨拶をした。すると門野は、
「やっぱり、電気燈に圧倒されて、段々退却するんでしょう」と云い終って、自から、えへへへと、洒落の結末をつけて、書生部屋へ帰って行った。代助もつづいて玄関まで出た。(夏目漱石『それから』)

 題名の通り『それから』は昔と今の違いから生じる物語だ。それは長井得と代助の違いでもあり、昔の自分、昔の平岡と比較される今の代助、今の平岡の違いでもある。

 代助の父は長井得といって、御維新のとき、戦争に出た経験のある位な老人であるが、今でも至極達者に生きている。役人を已てから、実業界に這入って、何かかにかしているうちに、自然と金が貯まって、この十四五年来は大分の財産家になった。(夏目漱石『それから』)

 戦争に出て、後に実業家として財を成すあたりはまるで芥川龍之介の実父・新原敏三だ。このなかなか太い長井得と代助では随分性格も違う。この違いを漱石は単に時代の相違から来るものとはしていない。「昔」という作中で47回登場する文字を辿ってみると、『それから』が「変わることと変わらないこと」を巡って、到底日常言語に変換できない抽象的な、あるいは形而上学的な哲学の概念を持って議論されており、いかようにも翻訳しきれない強固なロジックの空中戦が行われていることを確認することができる。語尾だけを何とか方言にしたものの、置き換える言葉が見つからない台詞が実に多いのだ。ただ確かに昔と今は違う。変わらないのは昔の金歯なのだろう。

 ある意味では『それから』は代助が昔の自分に戻ろうとして破綻する話である。いや、自発的にではないのだ。代助は大阪に行かなかった。文通も途絶えたころ、平岡夫妻が東京に戻ってきて、三千代が代助に金の無心をするから、代助はつい平岡の芸者遊びを疑わざるを得ず、三千代の「引力」を恐れながらも自然にそうなってしまったのだ。自然とはエゴイズムのことではない。

 ここによく近代的な自我とか代助のエゴイズムの議論が差し込まれるが、そんな単純なものではなかろう。代助は緑色の液体に支配されることを望んでいたが、赤い世界に追いやられた。植物になりたいが不気味な足が生えていたからである。代助にはただの金歯が昔の金歯に見えた、昔の金歯として見てしまったという意味であろうか。眼球から色を出して彩色してしまう代助ならやりそうなことだ。昔の金歯によって、昔の自分に引き戻されるという意味でもあろうか。私は代助を昔に戻そうという「引力」は三千代の銀杏返と百合の花、そして代助が三千代に送った真珠の指輪をつけて金の無心にくる辺り、だと考えている。そこに昔の金歯を加えていいかどうか、まだ思案中である。

 もともとそうだなと思いながら方言に変換してみて改めて感じたことがある。それは菅沼と三千代との出会いの話が、やはり『門』における安井と御米との出会いの場面とそっくりだということである。隣の部屋で代助と菅沼の話を聞いている三千代の描き方、そのひっそりとした感じが、やはり隣の部屋で安井と宗助の話を聞いている御米とそっくりなのだ。漱石は様々な関係をずらして置き換えることを得意としている。菅沼の妹が三千代であることは、安井によって宗助に妹だとして御米が紹介される場面において、読者にとってはささやかな赤ニシンとして機能してもいようか。






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