見出し画像

江藤淳の漱石論について② 漱石作品の経済学について

 夏目漱石作品の文明批評が『それから』以降、しりすぼみになり、自己の救済に焦燥する作品が描かれるようになる、というのが江藤淳の漱石論の見取り図であれば、やはり江藤淳にはきわめて根本的な読み落としがあったと言わざるを得ない。

 御一新後の明治の資本主義社会において、労働者たることがいかに困難なことかと夏目漱石は最後まで問い続けてきた。これは即ち文明批判である。『吾輩は猫である』の苦沙弥先生は教師であることの宿命としての精神病の手前で何とか生きている。『坊ちゃん』の「おれ」は物理学校卒のエリートながら松山に赴任し、癇癪から問題を起こして逃げ帰り、街鉄の技師になる。玄関のない家賃六円の貸家に住む。給料は教師の時より十五円安い二十五円だ。漱石自身の月給は破格の八十円だった。これに単純に万を掛けてかけて今の賃金と比較するのは少し無理があろう。中学校の新任教師で八十万は高すぎるのでこれを五十万円と仮定したとき、掛けるのは6250。つまり街鉄の技師の給料は156,250円程度ではないかと推察される。『行人』ではわざわざ銀行から下ろして渡された借金の額が、旅先の母親にせびるとその場で渡される小遣いである。この金は女の入院費なので、現代に換算すれば一月分として最低でも三十万円以上にはなろう。現金の三十万円は平均的なサラリーマンの可処分所得においてかなりの割合になるのではなかろうか。二郎の母親が豊かなのは、場末の地面が、新たに電車の布設される通り路に当るとかでその前側を幾坪か買い上げられたからだ。こうした時代の影響下で、土地成金と食い詰める労働者の格差が拡がって行ったのが漱石の生きた明治である。

 こうした経済的な環境に関する詳細は『こころ』を時代と併せて読んでいくとさらにはっきりするだろう。先生は「私」に就職を急がせない。その代わりに親の財産をしっかり貰うようにと指示する。自らが親の遺産を債権に換え、その利子の半分も使い切れない生活に、なお未亡人の土地建物を得て、働かず、自家製のアイスクリームを食べられる生活にあることを示すことで、明治の資本主義社会の陥穽を指摘しているのだ。トマ・ピケティの『21世紀の資本』に先んじて、

              r>g

 という不等式を見つけていたのだ。「裕福な人 (資産を持っている人) はより裕福になり、労働でしか富を得られない人は相対的にいつまでも裕福になれない」言われてみれば当たり前のことながら、なかなか麺麭の為に働きたくないという代助のわがままを言えるものではない。夏目漱石作品全体を見回しても、真面目な労働者がコツコツ働いて、結構人並みの暮らしができていますという作品は『吾輩は猫である』と『道草』以外には見当たらない。後は資本家だよりではなかろうか。『坑夫』などそもそも坑夫として生きることさえ不可能なもののように思えてくる。

 しかし『吾輩は猫である』と『道草』にはいささか真面ではない夏目漱石自身の投影のようなものが描かれる。わずか十年足らずの作家人生でボロボロになり、どう見ても七十代の顔で死んでいった漱石の格闘の人生はとても「コツコツ」ではなかっただろう。これで後期夏目漱石作品から文明批判が消えると見做すのはいかがなものだろうか。

 僕はかつてある学者の講演を聞いた事がある。その学者は現代の日本の開化を解剖して、かかる開化の影響を受けるわれらは、上滑りにならなければ必ず神経衰弱に陥るにきまっているという理由を、臆面なく聴衆の前に曝露した。そうして物の真相は知らぬ内こそ知りたいものだが、いざ知ったとなると、かえって知らぬが仏ですましていた昔が羨しくって、今の自分を後悔する場合も少なくはない、私の結論などもあるいはそれに似たものかも知れませんと苦笑して壇を退いた。僕はその時市蔵の事を思い出して、こういう苦い真理を承らなければならない我々日本人も随分気の毒なものだが、彼のようにたった一人の秘密を、攫もうとしては恐れ、恐れてはまた攫もうとする青年は一層見惨めに違あるまいと考えながら、腹の中で暗に同情の涙を彼のために濺いだ。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 こうして日本の開花の真相を具体的には語らないものの、上滑りにならなければ神経衰弱になるものとして批判している。日本が火中の栗を拾わされる風刺画を誰もが目にしたことはあるだろう。こういう時代に生きていて、文明批評から逃れることの方がむしろ難しい。

 たとえば遺作『明暗』において、小林は淋しいよと言いながら朝鮮に堕ちていこうとする。国内ではパッとした職がないということなのだろう。当時日本は台湾と朝鮮の開発に莫大な投資をしていたはずだ。友人の画家が金のないのは当然であり、今も同じようなものだろう。しかし友人から古い外套を貰い朝鮮に行かざるを得ない小林はいかなる心境であろうか。

 電車を下りて橋を渡る時、彼は暗い欄干の下に蹲踞る乞食を見た。その乞食は動く黒い影のように彼の前に頭を下げた。彼は身に薄い外套を着けていた。季節からいうとむしろ早過ぎる瓦斯煖炉の温かい焔をもう見て来た。けれども乞食と彼との懸隔は今の彼の眼中にはほとんど入はいる余地がなかった。彼は窮した人のように感じた。父が例月の通り金を送ってくれないのが不都合に思われた。(夏目漱石『明暗』)


 『明暗』に最初に現れる外套は乞食のものである。この外套は村上春樹の『1Q84』のゴムの木の鉢植えのような仄めかしを与えてはいないだろうか。ゴムの木は「永遠の幸せ」の象徴である。しかし『1Q84』ではゴムの木の鉢植えは枯れていた。津田から小林へと渡った外套は、ゴーゴリの『外套』のように物語全体を支配しそうでさえある。

「高木の細君は夜具でも構わないが、おれは一つ新らしい外套を拵えたいな。この間歯医者へ行ったら、植木屋が薦で盆栽の松の根を包んでいたので、つくづくそう思った」
「外套が欲しいって」
「ああ」
 御米は夫の顔を見て、さも気の毒だと云う風に、
「御拵えなさいな。月賦で」と云った。宗助は、
「まあ止そうよ」と急に侘しく答えた。そうして「時に小六はいつから来る気なんだろう」と聞いた。(夏目漱石『門』)


 フジ三太郎の四コマ漫画で、寒い季節になり、薄給の三太郎がボーナスでで縮んだ掛布団を新調するか外套を買うかと迷い、結局外套を買い、就寝時は外套を掛布団に被せるというものがあったような記憶がある。津田と小林の間の外套のやり取りは大演説ではない代わりに、当時の日本の文明を十分に批判しているといえないだろうか。

「津田君、僕は淋しいよ」
 津田は返事をしなかった。二人はまた黙って歩いた。浅い河床の真中を、少しばかり流れている水が、ぼんやり見える橋杭の下で黒く消えて行く時、幽かに音を立てて、電車の通る相間相間に、ちょろちょろと鳴った。
「僕はやっぱり行くよ。どうしても行った方がいいんだからね」
「じゃ行くさ」
「うん、行くとも。こんな所にいて、みんなに馬鹿にされるより、朝鮮か台湾に行った方がよっぽど増しだ」
 彼の語気は癇走っていた。津田は急に穏やかな調子を使う必要を感じた。
「あんまりそう悲観しちゃいけないよ。年歯さえ若くって身体さえ丈夫なら、どこへ行ったって立派に成効できるじゃないか。――君が立つ前一つ送別会を開こう、君を愉快にするために」(夏目漱石『明暗』)

 こうして仕方なく日本を追い出される男を描くほど『明暗』は文明批判的である。まさに日本沈没である。「若くって身体さえ丈夫なら、どこへ行ったって立派に成効できるじゃないか。」とは新聞社に勤めようかという小林に対して、さらにその先の、肉体労働での働きを示唆してはいまいか。


 長い間叔父の雑誌の編輯をしたり、校正をしたり、その間には自分の原稿を書いて、金をくれそうな所へ方々持って廻ったりして、始終忙がしそうに見えた彼は、とうとう東京にいたたまれなくなった結果、朝鮮へ渡って、そこの或新聞社へ雇われる事に、はぼ相談がきまったのであった。
「こう苦しくっちゃ、いくら東京に辛防していたって、仕方がないからね。未来のない所に住んでるのは実際厭だよ
 その未来が朝鮮へ行けば、あらゆる準備をして自分を待っていそうな事をいう彼は、すぐまた前言を取り消すような口も利いた。
「要するに僕なんぞは、生涯漂浪して歩く運命をもって生れて来た人間かも知れないよ。どうしても落ちつけないんだもの。たとい自分が落ちつく気でも、世間が落ちつかせてくれないから残酷だよ。駈落者になるよりほかに仕方がないじゃないか」
「落ちつけないのは君ばかりじゃない。僕だってちっとも落ちついていられやしない」
「もったいない事をいうな。君の落ちつけないのは贅沢だからさ。僕のは死ぬまで麺麭を追っかけて歩かなければならないんだから苦しいんだ」
「しかし落ちつけないのは、現代人の一般の特色だからね。苦しいのは君ばかりじゃないよ」
 小林は津田の言葉から何らの慰藉を受ける気色もなかった。(夏目漱石『明暗』)

 言ってみれば小林は代助とは真逆の存在である。確かに「自己の救済に焦燥する」人物が描かれている。しかしそのことで現代人の一般の特色を捉え、東京を未来のないところと批評しているのも事実である。漱石自身はボロボロになっても書き続けるプロレタリアートだった。親の遺産は継いでいない。財産家ではない。生活に困窮していたわけではないが、日記などを見ると何がいくらしたと物価と金勘定に細かいことが解る。そうであるから小林のような人間の焦燥も見えるのであり、文明の問題として小林を描くこともできたのだ。

 学生時代にデビューし、一躍人気者となった江藤淳はボロボロになっても書き続けるプロレタリアートではなかった。江藤淳には見えないものを確かに夏目漱石は見ていた。

























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?