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こごろ

上 先生とおれ


 おれはその人をいづも先生と呼んでいだっちゃや。んだがららこごでたががだ先生と書くだけで本名は打ち明けねえべや。こいずは世間(せげん)をはばかる遠慮つうよりも、その方がおれさとって自然んだがららであっちゃ。おれはその人の記憶を呼び起すごとさ、すぐ「先生」といいたくなっちゃ。筆を執っても心持は同じ事であっちゃ。よそよそしい頭文字なんかはうんとっけ使う気さなんね。
 おれが先生と知り合いさなったのは鎌倉であっちゃ。その時おれはまだ若々しい書生であったっちゃや。暑中休暇を利用して海水浴さ行った友達(ともだぢ)からぜひ来いつう葉書を受け取ったがら、おれは多少の金を工面して、出掛ける事さしたっちゃや。おれは金の工面さ二、三日を費やしたっちゃや。とごろがおれが鎌倉さ着いて三日と経たなかだるちさ、おれを呼び寄せた友達は、いぎなり国元から帰れつう電報を受け取ったっちゃや。電報さはががが病気んだがららと断ってあったけれども友達はそいづを信じなかったっちゃや。友達はかねてから国元さいる親たちさ望まない結婚を強いられてだおん。あいずは現代の習慣からかだると結婚するさはあまり年が若過ぎたっちゃや。そいづさ肝心の当人が気さ入らなかったっちゃや。そいづで夏休みさ当然帰るべきとごを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたがらあっちゃ。あいずは電報をおれさ見せてなじょしたらいいべと相談をしたっちゃや。おれさはなしていいか分らなかったっちゃや。けれども実際あいずのががが病気であるとすっぺ、すっとよあいずはもとより帰るべきはずであったっちゃや。そいづであいずはとうとう帰る事さなったっちゃや。せっかく来たおれは一人取り残されたっちゃや。
 がっこの授業が始まるさはまだ大分日数があるので鎌倉さおってもよし、帰ってもよいつう境遇さいたおれは、当分元の宿さ泊まる覚悟をしたっちゃや。友達は中国のある資産家のやろっこで金さ不自由のない男であったけれども、がっこががっこなのと年が年なのや。んんだがらら、生活の程度はおれとそう変りもしなかったっちゃや。したがって一人ぼっちさなったおれは別さ恰好な宿を探すめんどもだがなかったがらあっちゃ。
 宿は鎌倉でも辺鄙な方角さあったっちゃや。玉突きだのアイスクリームだのつうハイカラながなさは長い畷を一つ越さなければ手が届がかったっちゃや。車であるいでも二十銭はかかったっちゃや。けれども個人の別荘はそごごこさいくつでも建てられてだおん。そいづさ海さはごく近いので海水浴をやるさは至極便利な地位を占めてだおん。
 おれは毎日海さはいりさ出掛けたっちゃや。古い燻ぶり返った藁葺の間あいだを通り抜けて磯さ下りると、この辺さこいずほどの都会人が住んでいっけと思うほど、避暑さ来た男や女で砂の上が動いてだおん。ある時は海の中が銭湯のようさ黒いあだまでごちゃごちゃしてっと事もあったっちゃや。その中さ知った人を一人もたががないおれも、こうかだる賑さぎやが景色の中さつつまれて、砂の上さ寝そべってみたり、ひだべやかぶあだまを波さ打たしてそごいらを跳ね廻ったりするのは愉快であったっちゃや。
 おれは実さ先生をこの雑沓の間さ見つけ出したがらあっちゃ。その時海岸さは掛茶屋が二軒あったっちゃや。おれはふとした機会からその一軒の方さ行き慣なれてだおん。長谷辺さ大きな別荘さ構えている人と違って、各自さ専有の着換場さ拵えていねこごらの避暑客さは、ぜひともこうした共同着換所といった風ながなが必要なのや。んんだがららあったっちゃや。あいずらはこごで茶を飲み、こごで休息する外さ、こごで海水着を洗濯させたり、こごで鹹はゆい身体を清めたり、こごさ帽子や傘を預けたりするのであっちゃ。海水着をたががないおれさも持物を盗まれる恐れはあったがら、おれは海さはいるたびさその茶屋さ一切を脱ぎ棄てる事さしてだおん。

 おれがその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでこいずから海さ入ろうとするとごであったっちゃや。おれはその時反対さ濡(む)れた身体を風さ吹かして水から上がって来たっちゃや。二人の間さはまなぐっこを遮る幾多の黒いあだまが動いてだおん。特別の事情のない限り、おれはついさ先生を見逃したかも知れなかったっちゃや。そいづほど浜辺が混雑し、そいづほどおれのあだまが放漫であったさもかかわらず、おれがすぐ先生を見つけ出したのは、先生が一人の西洋人(セーヨーズン)を連れてだからであっちゃ。
 その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋さ入るや否や、すぐおれの注意を惹いたっちゃや。純粋の日本の浴衣を着てだあいずは、そいづを床几の上さすぽりと放り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立ってだおん。あいずは我々の穿く猿股一つのほか何も身さ着けていなかったっちゃや。おれさはそいづが第一不思議だやぁ。おれはその二日前さ由井が浜まで行って、砂の上さしゃがみながら、長い間西洋人の海さ入る様子を眺めてだおん。おれのけっつをおろした所はわんつか小高い丘の上で、そのすぐそばがホテルの裏くねでなってんだがらら、おれのじっとしてっと間さ、大分いっぺの男が塩を浴びさ出て来たが、いずれも胴と腕と股は出していなかったっちゃや。女はことさらぬぐっこを隠しがちであったっちゃや。たいていはあだまさゴム製の頭巾さ被って、海老茶や紺や藍の色を波間さ浮かしてだおん。そうかだる有様を目撃したばりのおれの眼さは、猿股一つで済ましてみんなの前さ立っているこの西洋人がいかさも珍しく見えたっちゃや。
 あいずはやがておれのそばを顧みて、そごさこごんでいる日本人さ、一言二言なんかいったっちゃや。その日本人は砂の上さおづた手拭を拾い上げているとごであったが、そいづを取り上げるや否や、すぐあだまを包んで、海の方さ歩き出したっちゃや。その人がすなわち先生であったっちゃや。
 おれは単さ好奇心のためさ、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿を見守ってだおん。するとあいずらは真直さ波の中さ足を踏み込んだおん。そうして遠浅の磯近さわいわい騒いでいる多人数の間を通り抜けて、比較的広々した所さ来ると、二人とも泳ぎ出したっちゃや。あいずらのあだまが小さく見えるまで沖の方さ向いて行ったっちゃや。んんだがらら引き返してまた一直線さ浜辺まで戻って来たっちゃや。掛茶屋さ帰ると、井戸の水も浴びねで、すぐ身体さ拭いて着物を着て、ちゃっちゃどどごさか行ってしまったっちゃや。
 あいずらの出て行った後、おれはやはり元の床几さこすをおろしてタバコを吹かしてだおん。その時おれはぽかんとしながら先生の事を考えたっちゃや。あいや元気がいどっかで見た事のある顔のようさ思われてならなかったっちゃや。だげっとなしてもいつどごで会った人か想い出せねでしまったっちゃや。
 その時のおれは屈托がないつうよりむしろ無聊さ苦しんでいたっちゃや。そいづで翌日もまた先生さ会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋まで出かけてみたっちゃや。すると西洋人は来ないで先生一人麦藁帽を被ってやって来たっちゃや。先生は眼鏡をとって台の上さ置いて、すぐ手拭であだまを包んで、すたすた浜を下りて行ったっちゃや。先生がきんさょのようさ騒がしい浴客の中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、おれはいぎなりその跡を追いかけたくなったっちゃや。おれは浅い水をあだまの上まで跳ねかして相当の深さの所まで来て、そごから先生を目標さ抜手を切ったっちゃや。すると先生はきんさょと違って、一種の弧線を描いて、妙な方向から岸の方さ帰り始めたっちゃや。そいづでおれの目的はついさ達せられなかったっちゃや。おれが陸さ上がって雫の垂れる手を振りながら掛茶屋さ入ると、先生はもうちゃんと着物を着ていて、入れ違いさ外さ出て行ったっちゃや。

 おれは次の日も同じ時刻さ浜さ行って先生の顔を見たっちゃや。その次の日さもまた同じ事を繰り返したっちゃや。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶をする場合も、二人の間さは起らなかったっちゃや。その上先生の態度はむしろ非社交的であったっちゃや。一定の時刻さ超然として来て、また超然と帰って行ったっちゃや。周囲がなんぼ賑かでも、そいづさはほとんど注意を払う様子が見えなかったっちゃや。最初いっしょさ来た西洋人はその後まるで姿を見せなかったっちゃや。先生はいつでも一人であったっちゃや。
 或る時先生が例の通りちゃっちゃど海から上がって来て、いづがな場所さ脱ぎ棄てた浴衣を着ようとすると、どうした訳か、その浴衣さ砂がぎっつり着いてだおん。先生はそいづを落すためさ、うすろ向きさなって、浴衣を二、三度振るったっちゃや。すると着物の下さ置いてあった眼鏡が板の隙間から下さおづたっちゃや。先生は白絣の上さ兵児帯を締めてから、眼鏡がなくなったったのさ気がついたと見えて、いぎなりそごいらを探し始めたっちゃや。おれはすぐこす掛の下さ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出したっちゃや。先生は有難うといって、そいづをおれの手から受け取ったっちゃや。
 次の日おれは先生の後さつづいて海さ飛び込んだおん。そうして先生といっしょの方角さ泳いで行ったっちゃや。二丁ほど沖さ出ると、先生はうすろを振り返っておれさ話し掛けたっちゃや。広い蒼い海の表面さ浮いているがなは、その近所さおれら二人より外さなかったっちゃや。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしてだおん。おれは自由と歓喜さ充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂ったっちゃや。先生はまたぱたりと手足の運動を已やめて仰向けさなったまま浪の上さ寝たっちゃや。おれもその真似をしたっちゃや。青空の色がぎらぎらと眼を射るようさいだ烈な色をおれの顔さ投げつけたっちゃや。「愉快だない」とおれは大きな声を出したっちゃや。
 しばらくして海の中で起き上がるようさ姿勢を改めた先生は、「もう帰りねか」といっておれを促したっちゃや。比較的強い体質をもったおれは、もっと海の中で遊んでいたかったっちゃや。だげっと先生から誘われた時、おれはすぐ「ぼでまず帰っぺ」と快く答えたっちゃや。そうして二人でまた元の路を浜辺さ引き返したっちゃや。
 おれはこいずから先生と懇意さなったっちゃや。だげっと先生がどごさいっけはまだ知らなかったっちゃや。
 んんだがらら中二日おいてちょうど三日目の午後だやぁと思うべや。先生と掛茶屋で出会った時、先生はずいらおれさ向かって、「君はまだ大分長くこごさいるつもりんだがらい」と聞いたっちゃや。考えのないおれはこうかだる問いさ答えるだけの用意をあだまの中さ蓄えていなかったっちゃや。そいづで「どうだか分りね」と答えたっちゃや。だげっとさやさや笑っている先生の顔を見た時、おれは急さきまりが悪くなったっちゃや。「先生は?」と聞き返さねではいられなかったっちゃや。こいずがおれのくずを出た先生つう言葉の始まりであっちゃ。
 おれはその晩先生の宿を尋ねたっちゃや。宿といっても普通の旅館と違って、広い寺の境内さある別荘のような建物であったっちゃや。そごさ住んでいる人の先生の家族でない事も解わかったっちゃや。おれが先生先生と呼び掛けるので、先生は苦笑いをしたっちゃや。おれはそいづが年長者さ対するおれのくず癖だといって弁解したっちゃや。おれはこの間の西洋人の事を聞いてみたっちゃや。先生はあいずの風変りのとごや、もう鎌倉さいね事や、色々の話をした末、日本人ささえあまり交際をたががないのさ、そうかだる外国人と近つきさなったのは不思議だといったりしたっちゃや。おれはうっしょさ先生さ向かって、どっかで先生を見たようさ思うけれども、なしても思い出せねえといったっちゃや。若いおれはその時暗さ相手もおれと同じような感じをたがいでやんしまいかと疑ったっちゃや。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかったっちゃや。とごろが先生はしばらく沈吟したあとで、「あいや元気がい君の顔さは見覚えがありねね。人違いだべやないんだがらい」といったがらおれは変さ一種の失望を感じたっちゃや。

 おれは月の末さ東京さ帰ったっちゃや。先生の避暑地を引き上げたのはそいづよりずっと前であったっちゃや。おれは先生と別れる時さ、「こいずから折々お宅さ伺ってもよござんすか」と聞いたっちゃや。先生は単簡さただ「ええあばいん」といっただけであったっちゃや。その時分のおれは先生とよほど懇意さなったつもりでいたがら、先生からもうわんつか濃やが言葉を予期して掛かかったがらあっちゃ。そいづでこの物足りねおん返事がわんつかおれの自信を傷めたっちゃや。
 おれはこうかだる事でよく先生から失望させられたっちゃや。先生はそいづさ気がついているようでもあり、また全く気がつがいようでもあったっちゃや。おれはまた軽微な失望を繰り返しながら、そいづがためさ先生から離れて行く気さはなれなかったっちゃや。むしろそいづとは反対で、不安さ揺れうごかされるたびさ、もっと前さ進みたくなったっちゃや。もっと前さ進めば、おれの予期するあるがなが、いつか眼の前さ満足さ現われて来るだっちゃうと思ったっちゃや。おれは若かったっちゃや。けれどもすべての人間さ対して、若い血がこう素直さ働こうとは思わなかったっちゃや。おれはなんで先生さ対してだけこっだ心持が起るのか解わからなかったっちゃや。そいづが先生の亡くなった今日さなって、始めて解って来たっちゃや。先生は始めからおれをやんってんだがららはなかったがらあっちゃ。先生がおれさ示した時々の素気ねえべや挨拶や冷淡さ見える動作は、おれを遠ざけようとする不快の表現ではなかったがらあっちゃ。いたましい先生は、おれさ近づこうとする人間さ、近づくほどの価値のないがなんだがらら止せつう警告を与えたがらあっちゃ。他人の懐かしみさ応じない先生は、他人を軽蔑する前さ、まずおれを軽蔑してんだがらなとみえっちゃ。
 おれは無論先生を訪ねるつもりで東京さ帰って来たっちゃや。帰ってから授業の始まるまでさはまだ二週間の日数があるので、そのうちさいっかい行っておこうと思ったっちゃや。だげっと帰って二日三日と経つうちさ、鎌倉さいた時の気分が段々薄くなって来たっちゃや。そうしてその上さ彩どられる大都会の空気が、記憶の復活さ伴う強い刺戟と共さ、濃くおれの心を染めつけたっちゃや。おれは往来で学生の顔を見るたびさ新しい学年さ対する希望と緊張とを感じたっちゃや。おれはしばらく先生の事を忘れたっちゃや。
 授業が始まって、一カ月ばりするとおれの心さ、また一種の弛みができてきたっちゃや。おれは何だか不安な顔をして往来を歩き始めたっちゃや。物欲しそうさおれの部屋の中を見廻したっちゃや。おれのあだまにはもいっかい先生の顔が浮いて出たっちゃや。おれはまた先生さ会いたくなったっちゃや。
 始めて先生の宅を訪ねた時、先生は留守であったっちゃや。二度目さ行ったのは次の日曜だと覚えていっちゃ。晴れた空が身に沁み込むようさ感ぜられる好い日和であったっちゃや。その日も先生は留守であったっちゃや。鎌倉さいた時、おれは先生自身のくずから、いつでたががいてい宅さいるつう事を聞いたっちゃや。むしろ外出すかねつう事も聞いたっちゃや。二度来て二度とも会えなかったおれは、その言葉を思い出して、理由もない不満をどっかさ感じたっちゃや。おれはすぐ玄関先を去らなかったっちゃや。下女の顔を見てわんつか躊躇してそごさ立ってだおん。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、おれを待たしておいてまた内さはいったっちゃや。すると奥つぁんらしい人が代って出て来たっちゃや。うづぐすい奥つぁんであったっちゃや。
 おれはその人から鄭寧さ先生の出先を教えられたっちゃや。先生は例月その日さなると雑司ヶ谷の墓地さある仏さ花を手向けさ行く習慣なのだどであっちゃ。「たった今出たばりで、十分さなるか、なんねかでござりす」と奥つぁんは気の毒そうさいってくれたっちゃや。おれは会釈して外さ出たっちゃや。賑が町の方さ一丁ほど歩くと、おれも散歩がてら雑司ヶ谷さ行ってみる気さなったっちゃや。先生さ会えるか会えねべやかつう好奇心も動いたっちゃや。そいづだあぐ踵を回らしたっちゃや。


 

 おれは墓地の手前さある苗畠の左側からはいって、両方さ楓を植えつけた広い道を奥の方さ進んで行ったっちゃや。するとその外れさ見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来たっちゃや。おれはその人の眼鏡の縁が日さ光るまで近く寄って行ったっちゃや。そうして出し抜けさ「先生」と大きな声を掛けたっちゃや。先生はずいら立ち留まっておれの顔を見たっちゃや。
「なして……、なして……」
 先生は同じ言葉を二遍繰り返したっちゃや。その言葉は森閑とした昼の中さ異様な調子をたがいで繰り返されたっちゃや。おれはいぎなり何とも応えられなくなったっちゃや。
「おれの後を跟つけて来たのやか。なして……」
 先生の態度はむしろおづついてだおん。声はむしろ沈んでいたっちゃや。けれどもその表情の中さははっきりいえねべやような一種の曇りがあったっちゃや。
 おれはおれがなしてこごさ来たかを先生さ話したっちゃや。
「誰の墓さ参りさ行ったか、がががその人の名をいいだか」
「いいえ、ほだな事は何もおっしゃいね」
「そんだがらすか。――そう、そいづはかだるはずがありねね、始めて会ったあんださ。かだる必要がないんんだがらら」
 先生はやっとご得心したらしい様子であったっちゃや。だげっとおれさはその意味がまるで解わからなかったっちゃや。
 先生とおれは通りさ出ようとして墓の間を抜けたっちゃや。イサベラなさなさの墓だの、神おらロギンの墓だのつうそばらさ、一切衆生悉有仏生と書いた塔婆なんかが建ててあったっちゃや。全権公使何々つうのもあったっちゃや。おれは安得烈と彫りつけたちっこい墓の前で、「こいずは何と読むんだべん」と先生さ聞いたっちゃや。「アンドレとでも読ませるつもりだべんね」といって先生は苦笑したっちゃや。
 先生はこいずらの墓標が現わす人種々の様式さ対して、おれほどさ滑稽もアイロニーも認めてねらしかったっちゃや。おれが丸い墓石だの細長い御影の碑だのを指して、しきりさかれこいずいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いてんだがら、しまいさ「あんだは死つう事実をまだ真面目さ考えた事がありねね」といったっちゃや。おれは黙ったっちゃや。先生もそいづぎり何ともいわなくなったっちゃや。
 墓地の区切りめさ、大きな銀杏が一本空を隠すようさ立ってだおん。その下さ来た時、先生は高い梢を見上げて、「もうわんつかすると、綺麗だおん。この木がすっかり黄葉して、こごいらの地面は金色の落葉で埋まるようさなるっちゃ」といったっちゃや。先生は月さいっかいずつは必ずこの木の下を通るのであったっちゃや。
 向うの方で凸凹の地面をならして新墓地を作っている男が、鍬の手を休めておれたちを見てだおん。おれたちはそごから左さ切れてすぐ街道さ出たっちゃや。
 こいずからどごさ行くつうめあてのないおれは、ただ先生の歩く方さ歩いて行ったっちゃや。先生はいづもよりくず数を利きがかったっちゃや。そいづでもおれはさほどの窮屈を感じなかったがら、ぶらぶらいっしょさ歩いて行ったっちゃや。
「すぐお宅さお帰りんだがらい」
「ええ別さ寄る所もありねから」
 二人はまた黙って南の方さ坂を下りたっちゃや。
「先生のお宅の墓地はあすこさあるんんだがらい」とおれがまたくずを利き出したっちゃや。
「いいえ」
「どなたのお墓があるんんだがらい。――ご親類のお墓んだがらい」
「いいえ」
 先生はこいず以外さ何も答えなかったっちゃや。おれもその話はそいづぎりさして切り上げたっちゃや。すると一町ほど歩いた後あとで、先生が不意さそごさ戻って来たっちゃや。
「あすこさはおれの友達の墓があるんだあ」
「お友達のお墓さ毎月お参りをなさるんんだがらい」
「ほでがす」
 先生はその日こいず以外を語らなかったっちゃや。

 おれはんんだがらら時々先生を訪問するようさなったっちゃや。行くたびさ先生は在宅であったっちゃや。先生さ会う度数が重なるさつれて、おれはますます繁く先生の玄関さ足を運んだおん。
 けれども先生のおれさ対する態度は初めて挨拶をした時も、懇意さなったその後も、あまり変りはなかったっちゃや。先生は何時も静かであったっちゃや。ある時は静か過ぎて淋しなんぼいであったっちゃや。おれは最初から先生さは近づきがたい不思議があるようさ思ってだおん。そいづでいて、なしても近づがければいられねおんつう感じが、どっかさ強く働いたっちゃや。こうかだる感じを先生さ対してたがいでんだがらなは、いっぺの人のうちでそだっちゃがったらおれだけかも知れねおん。だげっとそのおれだけさはこの直感が後さなって事実の上さ証拠立てられたのんだがらら、おれは若々しいといわれても、馬鹿げていると笑われても、そいづを見越したおれの直覚をとさかく頼もしくまた嬉しく思っていっちゃ。人間を愛し得うる人、愛せねではいられねおん人、そいづでいておれの懐さ入いろうとするがなを、手をひろげて抱き締める事のでぎね人、――こいずが先生であったっちゃや。
 今いった通り先生は始終静かであったっちゃや。おづついてだおん。けれども時として変な曇りがその顔をよご切る事があったっちゃや。窓さ黒いとりっこ影が射すようさ。射すかと思うと、すぐ消えるさは消えたが。おれが始めてその曇りを先生の眉間さ認めたのは、雑司ヶ谷の墓地で、不意さ先生を呼び掛けた時であったっちゃや。おれはその異様の瞬間さ、今まで快く流れてだ心臓の潮流をわんつか鈍らせたっちゃや。だげっとそいづは単さ一時の結滞さ過ぎなかったっちゃや。おれの心は五分と経たなかだるちさ平素の弾力を回復したっちゃや。おれはそいづぎり暗そうなこの雲の影を忘れてしまったっちゃや。ゆくりなくまたそいづを思い出させられたのは、小春の尽きるさ間のない或る晩の事であったっちゃや。
 先生とかだってだおれは、ふと先生がわざわざ注意してくれた銀杏の大樹を眼の前さ想い浮かべたっちゃや。勘定してみると、先生が毎月例いとして墓参さ行く日が、んんだがららちょうど三日目さ当ってだおん。その三日目はおれの課業が午前で終おえる楽な日であったっちゃや。おれは先生さ向かってこういったっちゃや。
「先生、雑司ヶ谷の銀杏はもう散ってしまっただべんか」
「まだ空坊主さはなんねだべん」
 先生はそう答えながらおれの顔を見守ったっちゃや。そうしてそごからしばし眼を離さなかったっちゃや。おれはすぐいったっちゃや。
「今度お墓参さいらっしゃる時さ、お伴ともをしても宜よござんすか。おれは先生といっしょさあすこいらが散歩してみたい」
「おれは墓参りさ行くんで、散歩さ行くんだべやないだおん」
「だげっとついでさ散歩をなすったらちょうど好いだべやありねか」
 先生は何とも答えなかったっちゃや。しばらくしてから、「おれのはほんまの墓参りだけなんんだがらら」といって、どごまでも墓参と散歩を切り離そうとする風さ見えたっちゃや。おれと行きたくない口実だか何だか、おれさはその時の先生が、いかさもおぼごらしくて変さ思われたっちゃや。おれはなおと先さ出る気さなったっちゃや。
「だべやお墓参りでも好いからいっしょさ伴れて行ってけらい。おれもお墓参りをすっぺがら」
 実際おれさは墓参と散歩との区別がほとんど無意味のようさ思われたがらあっちゃ。すると先生の眉がわんつか曇ったっちゃや。眼のうちさも異様の光が出たっちゃや。そいづは迷惑ともやん悪とも畏怖いふとも片つけられねおん微が不安らしいがなであったっちゃや。おれは忽ち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思い起したっちゃや。二つの表情は全く同じだやぁがらあっちゃ。
「おれは」と先生がいったっちゃや。「おれはあんださかだる事のでぎねある理由があって、他人といっしょさあすこさ墓参りさは行きたくないのや。おれのががさえまだ伴れて行った事がないのや」

 おれは不思議さ思ったっちゃや。だげっとおれは先生を研究する気でその宅さ出入りをするのではなかったっちゃや。おれはただそのままさして打ち過ぎたっちゃや。今考えるとその時のおれの態度は、おれの生活のうちでむしろ尊むべきがなの一つであったっちゃや。おれは全くそのためさ先生と人間らしい温かい交際(つぎあい)ができたのだと思うべや。もしおれの好奇心が幾分でも先生の心さ向かって、研究的さ働き掛けたなら、二人の間を繋ぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろうべや。若いおれは全くおれの態度を自覚していなかったっちゃや。そいづんだがらら尊(とうど)いのかも知れねおんが、もし間違えて裏さ出たとしたら、どんな結果が二人の仲さおづて来たろうべや。おれは想像してもぞっとすっちゃ。先生はそいづでなくても、ひゃっこい眼で研究されるのを絶えず恐れてんだがららあっちゃ。
 おれは月さ二度もしくは三度ずつ必ず先生の宅さ行くようさなったっちゃや。おれの足が段々繁くなった時のある日、先生はずいらおれさ向かって聞いたっちゃや。
「あんだは何でそうたびたびおれのようながなの宅さやって来るのんだがらい」
「何でといって、ほだな特別な意味はありね。――だげっとお邪魔なさっしゃ」
「邪魔だとはいいね」
 なるほど迷惑つう様子は、先生のどごさも見えなかったっちゃや。おれは先生の交際の範囲の極きわめて狭い事を知ってだおん。先生の元の同級生なんかで、その頃東京さいるがなはほとんど二人か三人しがいつう事も知ってだおん。先生と同郷の学生なんかさは時たま座敷で同座する場合もあったが、あいずらのいずれも皆なおれほど先生さ親しみをたがいでいねようさ見受けられたっちゃや。
「おれは淋しい人間だあ」と先生がいったっちゃや。「んだがららあんだの来て下さる事を喜んでいっちゃ。んだがららなんでそうたびたび来るのかといって聞いたのや」
「そりゃまたなんでだあ」
 おれがこう聞き返した時、先生は何とも答えなかったっちゃや。ただおれの顔を見て「あんだは幾歳いくつんだがらい」といったっちゃや。
 この問答はおれさとってすこぶる不得要領のがなであったが、おれはその時底そごまで押さねで帰ってしまったっちゃや。しかもんんだがらら四日と経たたなかだるちさまた先生を訪問したっちゃや。先生は座敷さ出るや否いなや笑い出したっちゃや。
「また来たおんね」といったっちゃや。
「ええ来たおん」といっておれも笑ったっちゃや。
 おれは外ほかの人からこういわれたらきっと癪さ触さわったろうと思うべや。だげっと先生さこういわれた時は、まるで反対であったっちゃや。癪さ触らねおんばりでなくかえって愉快だやぁ。
「おれは淋しい人間だあ」と先生はその晩まてんばだの間の言葉を繰り返したっちゃや。「おれは淋しい人間だげんちょも、ことさよるとあんだも淋しい人間だべやないんだがらい。おれは淋しくっても年を取っていっけら、動かねでいられるが、若いあんだはそうは行がいのだべん。動けるだけ動きたいのだべん。動いてなんかさ打つかりたいのだべん……」
「おれはちっとも淋しくはありね」
「若かだるちほど淋しいがなはありね。ほだならなんであんだはそうたびたびおれの宅さ来るのんだがらい」
 こごでもこの間の言葉がまた先生のくずから繰り返されたっちゃや。
「あんだはおれさ会ってもおそらくまだ淋しい気がどっかでしてっとだべん。おれさはあんだのためさその淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんんだがらら。あんだは外の方を向いて今さ手を広げなければならなくなるっちゃ。今さおれの宅の方さは足が向がくなるっちゃ」
 先生はこういって淋しい笑い方をしたっちゃや。

 幸いさして先生の予言は実現されねで済んだおん。経験のない当時のおれは、この予言の中さ含まれている明白な意義さえ了解し得なかったっちゃや。おれは依然として先生さ会いさ行ったっちゃや。その内いつの間さか先生の食卓で飯を食うようさなったっちゃや。自然の結果奥つぁんとも口(くず)を利がければなんねようさなったっちゃや。
 普通の人間としておれは女さ対して冷淡ではなかったっちゃや。けれども年の若いおれの今まで経過して来た境遇からいって、おれはほとんど交際らしい交際を女さ結んだ事がなかったっちゃや。そいづが原因かどうかは疑問んだがら、おれの興味は往来で出合う知りもしね女さ向かっていっぺ働くだけであったっちゃや。先生の奥つぁんさはその前玄関で会った時、うづぐすいつう印象を受けたっちゃや。んんだがらら会うたんびさ同じ印象を受けねえべや事はなかったっちゃや。だげっとそいづ以外さおれはこいずといってとくさ奥つぁんさついて語るべき何物もたががないような気がしたっちゃや。
 こいずは奥つぁんさ特色がないつうよりも、特色を示す機会が来なかったのだと解釈する方が正当かも知れねおん。だげっとおれはいつでも先生さつ属した一部分のような心持で奥つぁんさ対してだおん。奥つぁんもおれの夫の所さ来る書生んだがららつう好意で、おれを遇してだらしい。んだがらら中間さ立つ先生を取り除のければ、いやんべさかだるどよ二人はばらばらさなってだおん。そいづで始めて知り合いさなった時の奥つぁんさついては、ただうづぐすいつう外さ何の感じも残っていね。
 ある時おれは先生の宅で酒(さげ)を飲まされたっちゃや。その時奥つぁんが出て来てそばで酌をしてくれたっちゃや。先生はいづもより愉快そうさ見えたっちゃや。奥つぁんさ「お前も一つお上がり」といって、おれの呑み干した盃を差したっちゃや。奥つぁんは「おれは……」と辞退しかけた後、迷惑そうさそいづを受け取ったっちゃや。奥つぁんは綺麗な眉を寄せて、おれの半分ばり注ついで上げた盃を、唇(くずびる)の先さたがいで行ったっちゃや。奥つぁんと先生の間さ下のような会話が始まったっちゃや。
「珍らしい事。おれさ呑めとおっしゃった事は滅多さないのさね」
「お前はすかねからさ。だげっと稀さは飲むといいよ。好い心持さなるよ」
「ちっともなんねわ。苦しいぎりで。でもあんだは大変ご愉快そうね、わんつかごさげを召し上がると」
「時さよると大変愉快さなっちゃ。だげっといつでたがぐうわけさはいがい」
「今夜はいかがだあ」
「今夜は好い心持だっちゃ」
「こいずから毎晩わんつかずつ召し上がると宜ござんすよ」
「そうはいがい」
「召し上がってけらいよ。その方が淋しくなくって好いから」
 先生の宅は夫婦と下女だけであったっちゃや。行くたびさたいていはひそりとしてだおん。高い笑い声なんかの聞こえる試しはまるでなかったっちゃや。或ある時ときは宅の中さいるがなは先生とおれだけのような気がしたっちゃや。
「おぼごでもあると好いんだげんちょもね」と奥つぁんはおれの方を向いていったっちゃや。おれは「ほでがすな」と答えたっちゃや。だげっとおれの心さは何の同情も起らなかったっちゃや。おぼごを持った事のないその時のおれは、おぼごをただ蒼蠅いがなのようさ考えてだおん。
「一人貰ってやっぺしか」と先生がいったっちゃや。
「貰いッ子だべや、ねえあんだ」と奥つぁんはまたおれの方を向いたっちゃや。
「おぼごはいつまで経ったってできっこないよ」と先生がいったっちゃや。
 奥つぁんは黙ってだおん。「なんでだあ」とおれが代りさ聞いた時先生は「天罰んだがららさ」といって高く笑ったっちゃや。

 おれの知る限り先生と奥つぁんとは、仲の好いい夫婦の一対であったっちゃや。家庭の一員として暮した事のないおれのことんだがらら、深い消息は無論解らなかったけれども、座敷でおれと対坐してっと時、先生はなんかのついでさ、下女を呼ばないで、奥つぁんを呼ぶ事があったっちゃや。(奥つぁんの名は静といった)。先生は「おい静」といつでも襖の方を振り向いたっちゃや。その呼びかたがおれさは優しく聞こえたっちゃや。返事をして出て来る奥つぁんの様子も甚だ素直であったっちゃや。ときたまご馳走さなって、奥つぁんが席さ現われる場合なんかさは、この関係が一層明らかさ二人の間さ描えがき出されるようであったっちゃや。
 先生は時々奥つぁんを伴つれて、音楽会だの芝居だのさ行ったっちゃや。んんだがらら夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、おれの記憶さよると、二、三度以上あったっちゃや。おれは箱根から貰った絵葉書をまだたがいでいっちゃ。日光さ行った時は紅葉の葉を一枚封じ込めた郵便も貰ったっちゃや。
 当時のおれの眼さ映った先生と奥つぁんの間柄はまずこっんだがらなであったっちゃや。そのうちさたった一つの例外があったっちゃや。ある日おれがいづがな通り、先生の玄関から案内を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声がしたっちゃや。よく聞くと、そいづが尋常の談話でなくって、あいや元気がい言逆らしかったっちゃや。先生の宅は玄関の次がすぐ座敷さなっているので、格子の前さ立ってだおれの耳さその言逆の調子だけはほぼ分ったっちゃや。そうしてそのうちの一人が先生だつう事も、時々高まって来る男の方の声で解ったっちゃや。相手は先生よりも低い音なのや。んんだがらら、誰だか判然はっきりしなかったが、あいや元気がい奥つぁんらしく感ぜられたっちゃや。泣いているようでもあったっちゃや。おれはどうしたがなだっちゃうと思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿さ帰ったっちゃや。
 妙さ不安な心持がおれを襲って来たっちゃや。おれは書物を読んでも呑み込む能力を失ってしまったっちゃや。約一時間ばりすると先生が窓の下さ来ておれの名を呼んだおん。おれはたまげて窓を開けたっちゃや。先生は散歩すっぺといって、下からおれを誘ったっちゃや。さっき帯の間さ包んだままのとげいを出して見ると、もう八時過ぎであったっちゃや。おれは帰ったなりまだ袴を着けてだおん。おれはそいづなりすぐ表さ出たっちゃや。
 その晩おれは先生といっしょさ麦さげを飲んだおん。先生は元来さげがささ乏しい人であったっちゃや。ある程度まで飲んで、そいづで酔えなければ、酔うまで飲んでみるつう冒険のでぎね人であったっちゃや。
「今日は駄目だあ」といって先生は苦笑したっちゃや。
「愉快さなれねか」とおれは気の毒そうさ聞いたっちゃや。
 おれの腹の中さは始終さっきの事が引っ懸かかってだおん。肴の骨が咽喉さ刺さった時のようさ、おれは苦しんだおん。打ち明けてみようかと考えたり、止した方が好かろうかと思い直したりする動揺が、妙さおれの様子をそわそわさせたっちゃや。
「君、今夜はどうかしていまむつけ」と先生の方からいい出したっちゃや。「実はおれもわんつか変なのだおん。君さ分るっちゃかい」
 おれは何の答えもし得なかったっちゃや。
「実はさっきさっきががとわんつか喧嘩をしてね。そいづで下らねおん神経を昂奮させてしまったんだあ」と先生がまたいったっちゃや。
「なして……」
 おれさは喧嘩つう言葉がくずさ出て来なかったっちゃや。
「がががおれを誤解するのや。そいづを誤解だといって聞かせても承知しねのや。つい腹を立てたのや」
「どんなさ先生を誤解なさるんんだがらい」
 先生はおれのこの問いさ答えようとはしなかったっちゃや。
「ががが考えているような人間なら、おれだってこっださ苦しんでやんしね」
 先生がどんなさ苦しんでいっけ、こいずもおれさは想像の及ばない問題であったっちゃや。

二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一丁も二丁たがぐづいたっちゃや。その後あとでずいら先生がくずを利きき出したっちゃや。
「悪い事をしたっちゃや。ごしゃいで出たからががはなんぼか心配をしてっとだっちゃうべや。考えると女はもぞこいながなだない。おれのががなんかはおれより外さまるで頼りさするがながないんんだがらら」
 先生の言葉はわんつかんでよ途切れたが、別さおれの返事を期待する様子もなく、すぐその続きさ移って行ったっちゃや。
「そうかだると、夫の方はいかさも心丈夫のようでわんつか滑稽んだがら。君、おれは君の眼さどう映るっちゃかいね。強い人さ見えますかい、弱い人さ見えますかい」
「中位さ見えます」とおれは答えたっちゃや。この答えは先生さとってわんつか案外らしかったっちゃや。先生はまたくずを閉じて、無言で歩き出したっちゃや。
 先生の宅さ帰るさはおれの下宿のついそばを通るのが順路であったっちゃや。おれはそごまで来て、曲り角で分れるのが先生さ済まないような気がしたっちゃや。「ついでさお宅の前までお伴すっぺしか」といったっちゃや。先生は忽ち手でおれを遮ったっちゃや。
「もうとろこいから早く帰りたまえ。おれも早く帰ってやるんんだがらら、細君のためさ」
 先生がうっしょさつけ加えた「細君のためさ」つう言葉は妙さその時のおれの心を暖かさしたっちゃや。おれはその言葉のためさ、帰ってから安心して寝る事ができたっちゃや。おれはその後も長い間この「細君のためさ」つう言葉を忘れなかったっちゃや。
 先生と奥つぁんの間さ起った波瀾が、大したがなでない事はこいずでも解わかったっちゃや。そいづがまた滅多さ起る現象でなかった事も、その後絶えず出入をして来たおれさはほぼ推察ができたっちゃや。そいづどごろか先生はある時こっだ感想すらおれさ洩もらしたっちゃや。
「おれは世の中で女つうがなをたった一人だげっとゃね。がが以外の女はほとんど女としておれさ訴えねべやのや。ががの方でも、おれを天下さただ一人しがい男と思ってくれていっちゃ。そうかだる意味からいって、おれたちは最も幸福さ生れた人間の一対であるべきはずだあ」
 おれは今前後の行き掛りを忘れてしまったから、先生が何のためさこっだ自白をおれさして聞かせたのか、判然りかだる事がでぎね。けれども先生の態度の真面目であったのと、調子の沈んでいたのとは、いまださ記憶さ残っていっちゃ。その時ただおれの耳さ異様さ響いたのは、「最も幸福さ生れた人間の一対であるべきはずだあ」つううっしょの一句であったっちゃや。先生はなんで幸福な人間といい切らねおんで、あるべきはずであると断わったのか。おれさはそいづだけが不審であったっちゃや。ことさそごさ一種の力を入れた先生の語気が不審であったっちゃや。先生は事実はたして幸福なのだっちゃうか、また幸福であるべきはずでありながら、そいづほど幸福でないのだっちゃうか。おれは心の中うちで疑らざるを得なかったっちゃや。けれどもその疑いは一時限りどっかさ葬られてしまったっちゃや。
 おれはそのうち先生の留守さ行って、奥つぁんと二人差向いで話をする機会さ出合ったっちゃや。先生はその日よご浜を出帆する汽船さ乗って外国さ行くべき友人を新橋(しんはす)さ送りさ行って留守であったっちゃや。よご浜から船さ乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃の習慣であったっちゃや。おれはある書物さついて先生さかだってもらう必要があったがら、あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九時さ訪問したっちゃや。先生の新橋行きは前日わざわざ告別さ来た友人さ対する礼義れいぎとしてその日ずいら起った出来事であったっちゃや。先生はすぐ帰るから留守でもおれさ待っているようさといい残して行ったっちゃや。そいづでおれは座敷さ上がって、先生を待つ間、奥つぁんと話をしたっちゃや。

十一

その時のおれはすでさ大学生であったっちゃや。始めて先生の宅さ来た頃から見るとずっと成人した気でいたっちゃや。奥つぁんとも大分懇意さなった後であったっちゃや。おれは奥つぁんさ対して何の窮屈も感じなかったっちゃや。差向いで色々の話をしたっちゃや。だげっとそいづは特色のないただの談話んだがらら、今ではまるで忘れてしまったっちゃや。そのうちでたった一つおれの耳さ留まったがながあっちゃ。だげっとそいづをかだる前さ、わんつか断っておきたい事があっちゃ。
 先生は大学出身であったっちゃや。こいずは始めからおれさ知れてだおん。だげっと先生の何もしねで遊んでいるつう事は、東京さ帰ってわんつか経たってから始めて分ったっちゃや。おれはその時なして遊んでいられるのかと思ったっちゃや。
 先生はまるで世間さ名前を知られていね人であったっちゃや。んだがらら先生の学問や思想さついては、先生と密切の関係をたがいでいるおれより外さ敬意を払うがなのあるべきはずがなかったっちゃや。そいづをおれは常さいだますい事だといったっちゃや。先生はまた「おれのようながなが世の中さ出て、くずを利いては済まない」と答えるぎりで、取り合わなかったっちゃや。おれさはその答えが謙遜過ぎてかえって世間を冷評するようさも聞こえたっちゃや。実際先生は時々昔の同級生で今著名さなっている誰あいずを捉らえて、ひどく無遠慮な批評を加える事があったっちゃや。そいづでおれは露骨さその矛盾を挙げて云々してみたっちゃや。おれの精神は反抗の意味つうよりも、世間が先生をしゃねで平気でいるのが残念だやぁからであっちゃ。その時先生は沈んだ調子で、「なしてもおれは世間さ向かって働き掛ける資格のない男んだがらら仕方がありね」といったっちゃや。先生の顔さは深い一種の表情がありありと刻まれたっちゃや。おれさはそいづが失望だか、不平だか、悲哀だか、解わからなかったけれども、何しろ二の句の継げないほどさ強いがなだやぁがら、おれはそいづぎり何もかだる勇気が出なかったっちゃや。
 おれが奥つぁんとかだっている間さ、問題が自然先生の事からそごさおづて来たっちゃや。
「先生はなんでああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中さ出て仕事をなさらねおんんだべん」
「あの人は駄目だおん。そうかだる事がすかねなさっしゃら」
「いやんべさかだるどよ下だらねおん事だと悟っていらっしゃるんだべんか」
「悟るの悟らねおんのって、――そりゃ女んだがららわたくしさは解りねけれど、おそらくほだな意味だべやないだべん。やっぱりなんかやりたいのだべん。そいづでいてでぎねんだあ。んだがらら気の毒だあわ」
「だげっと先生は健康からいって、別さどごも悪いとごはないようだべやありねか」
「丈夫だあとも。何さも持病はありね」
「そいづでなんで活動がでぎねんだべん」
「そいづが解わがんねえのよ、あんだおん。そいづが解るくらいならおれだって、こっださ心配しやしね。わがんねえから気の毒でたまらねおんんだあ」
 奥つぁんの語気さは非常さ同情があったっちゃや。そいづでもくず元だけさは微笑が見えたっちゃや。外側からいえば、おれの方がむしろ真面目だやぁ。おれはむずかしい顔をして黙ってだおん。すると奥つぁんがいぎなり思い出したようさまたくずを開いたっちゃや。
「若い時はあんなかばねやみだべやなかったんだおん。若い時はまるで違っていだおん。そいづが全く変ってしまったんだあ」
「若い時っていつ頃んだがらい」とおれが聞いたっちゃや。
「書生時代よ」
「書生時代から先生を知っていらっしゃったんんだがらい」
 奥つぁんはいぎなり薄赤い顔をしたっちゃや。

十二

 奥つぁんは東京の人であったっちゃや。そいづはかつて先生からも奥つぁん自身からも聞いて知ってだおん。奥つぁんは「ほんまかだると合いの子なんだおん」といったっちゃや。奥つぁんのおやづはたしか鳥取かどっかの出であるのさ、おががつぁんの方はまだ江戸といった時分の市ヶ谷で生れた女なのや。んんだがらら、奥つぁんは冗談半分そういったがらあっちゃ。とごろが先生は全く方角違いの新潟県人であったっちゃや。んだがらら奥つぁんがもし先生の書生時代を知っているとすっぺ、すっとよ、郷里の関係からでない事は明らかであったっちゃや。だげっと薄赤い顔をした奥つぁんはそいづより以上の話をしたくないようだやぁがら、おれの方でも深くは聞かねでおいたっちゃや。
 先生と知り合いさなってから先生の亡くなるまでさ、おれはずいぶん色々の問題で先生の思想や情操さ触れてみたが、結婚当時の状況さついては、ほとんど何がなも聞き得なかったっちゃや。おれは時さよると、そいづを善意さ解釈してもみたっちゃや。年輩の先生の事んだがらら、艶かしい回想なんかを若いがなさ聞かせるのはわざと慎んでいるのだっちゃうと思ったっちゃや。時さよると、またそいづを悪くも取ったっちゃや。先生さ限らず、奥つぁんさ限らず、二人ともおれさ比べると、一時代前の因襲のうちさ成人したためさ、そうかだる艶っぽい問題さなると、正直さおれを開放するだけの勇気がないのだっちゃうと考えたっちゃや。もっともどちらも推測さ過ぎなかったっちゃや。そうしてどちらの推測の裏さも、二人の結婚の奥さよごたわる花やがロマンスの存在を仮定してだおん。
 おれの仮定ははたして誤らなかったっちゃや。けれどもおれはただ恋の半面だけを想像さ描えがき得たさ過ぎなかったっちゃや。先生はうづぐすい恋愛の裏さ、恐ろしい悲劇をたがいでだおん。そうしてその悲劇のどんなさ先生さとって見惨めながなであるかは相手の奥つぁんさまるで知れていなかったっちゃや。奥つぁんは今でもそいづを知らねでいっちゃ。先生はそいづを奥つぁんさ隠して死んだおん。先生は奥つぁんの幸福を破壊する前さ、まずおれの生命を破壊してしまったっちゃや。
 おれは今この悲劇さついて何事も語らねおん。その悲劇のためさむしろ生れ出たともいえる二人の恋愛さついては、さっきさっきいった通りであったっちゃや。二人ともおれさはほとんど何もかだってくれなかったっちゃや。奥つぁんは慎みのためさ、先生はまたそいづ以上の深い理由のためさ。
 ただ一つおれの記憶さ残っている事があっちゃ。或ある時花時分さおれは先生といっしょさ上野さ行ったっちゃや。そうしてんでようづぐすい一対の男女を見たっちゃや。あいずらは睦じそうさ寄り添って花の下を歩いてだおん。場所が場所なのや。んんだがらら、花よりもそちらを向いて眼を峙だてている人が沢山あったっちゃや。
「新婚の夫婦のようだっちゃ」と先生がいったっちゃや。
「仲が好よさほでがむつけ」とおれが答えたっちゃや。
 先生は苦笑さえしなかったっちゃや。二人の男女を視線の外ほかさ置くような方角さ足を向けたっちゃや。んんだがららおれさこう聞いたっちゃや。
「君は恋をした事があるっちゃかい」
 おれはないと答えたっちゃや。
「恋をしたくはありねか」
 おれは答えなかったっちゃや。
「したくない事はないだべん」
「ええ」
「君は今あの男と女を見て、冷評したっけよね。あの冷評のうちさは君が恋を求めながら相手を得られねおんつう不快の声が交じっていましょう」
「ほだな風さ聞こえたおんか」
「聞こえたおん。恋の満足を味わっている人はもっとほどる声を出すがなや。だげっと……だげっと君、恋は罪悪だおん。解っていっちゃかい」
 おれはいぎなり驚かされたっちゃや。何とも返事をしなかったっちゃや。

十三

 我々は群集の中さいたっちゃや。群集はいずれも嬉うれしそうな顔をしてだおん。そごを通り抜けて、花も人も見えねべや森の中さ来るまでは、同じ問題をくねだある機会がなかったっちゃや。
「恋は罪悪んんだがららい」とおれがその時ずいら聞いたっちゃや。
「罪悪だあ。たしかさ」と答えた時の先生の語気は前と同じようさ強かったっちゃや。
「なんでんんだがららい」
「なんでだか今さ解るっちゃ。今さだべやない、もう解っているはずだあ。あんだの心はとっくの昔からすでさ恋で動いているだべやありねか」
 おれは一応おれのふとごろの中を調べて見たっちゃや。けれどもそごは案外さ空虚であったっちゃや。思いあたるようながなは何さもなかったっちゃや。
「おれのふとごろの中さこいずつう目的物は一つもありね。おれは先生さ何も隠してはいねつもりだあ」
「目的物がないから動くのや。あいづばおづつけるだっちゃうと思って動きたくなるのや」
「今そいづほど動いちゃいね」
「あんだは物足りねおん結果おれの所さ動いて来ただべやありねか」
「そいづはそうかも知れね。だげっとそいづは恋とは違いっちゃ」
「恋さ上のぼる楷段なんだあ。異性と抱き合う順序として、まず同性のおれの所さ動いて来たのや」
「おれさは二つのがなが全く性質を異さしてっとようさ思われます」
「やん同じだあ。おれは男としてなしてもあんださ満足を与えられねおん人間なのや。んんんだがららら、ある特別の事情があって、なおさらあんださ満足を与えられねおんでいるのや。おれは実際お気の毒さ思っていっちゃ。あんんんだがららおれからよそさ動いて行くのは仕方がない。おれはむしろそいづを希望してっとのや。だげっと……」
 おれは変さ悲しくなったっちゃや。
「おれが先生から離れて行くようさお思いさなれば仕方がありねが、おれさほだな気の起った事はまだありね」
 先生はおれの言葉さ耳を貸さなかったっちゃや。
「だげっと気をつけねえべやとわがんない。恋は罪悪なんんんだがららら。おれの所では満足が得られねおん代りさ危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていっちゃかい」
 おれは想像で知ってだおん。だげっと事実としては知らなかったっちゃや。いずれさしても先生のかだる罪悪つう意味は朦朧としてよく解わからなかったっちゃや。その上おれはわんつか不愉快さなったっちゃや。
「先生、罪悪つう意味をもっと判然りいって聞かしてけらい。そいづでなければこの問題をこごで切り上げてけらい。おれ自身さ罪悪つう意味が判然り解るまで」
「悪い事をしたっちゃや。おれはあんださ真実をかだっている気でいたっちゃや。とごろが実際は、あんだを焦慮してだのだおん。おれは悪い事をした」
 先生とおれとは博物館の裏から鶯渓の方角さ静が歩調で歩いて行ったっちゃや。垣の隙間から広い庭の一部さ茂る熊笹が幽邃さ見えたっちゃや。
「君はおれがなんで毎月雑司ヶ谷の墓地さ埋っている友人の墓さ参るのか知っていっちゃかい」
 先生のこの問いは全くずいらであったっちゃや。しかも先生はおれがこの問いさ対して答えられねおんつう事もよく承知してだおん。おれはしばらく返事をしなかったっちゃや。すると先生は始めて気がついたようさこういったっちゃや。
「また悪い事をいったっちゃや。焦慮せるのが悪いと思って、説明すっぺとすると、その説明がまたあんだを焦慮せるような結果さなっちゃ。あやん元気がい仕方がない。この問題はこいずで止やめましょうべや。とさかく恋は罪悪だおん、よござんすか。そうして神聖ながなだおん」
 おれさは先生の話がますます解わからなくなったっちゃや。だげっと先生はそいづぎり恋をくねでしなかったっちゃや。

十四

 年の若いおれはややともすると一途さなりやすかったっちゃや。少なくとも先生の眼さはそう映ってだらしい。おれさはがっこの講義よりも先生の談話の方が有益なのや。んんだがららあったっちゃや。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであったっちゃや。とどの詰まりをいえば、教壇さ立っておれを指導してくれる偉い人々よりたががだ独りを守っていっぺを語らねおん先生の方が偉く見えたがらあったっちゃや。
「あんまり逆上せちゃいけね」と先生がいったっちゃや。
「覚めた結果としてそう思うんだあ」と答えた時のおれさは充分の自信があったっちゃや。その自信を先生は肯うけがってくれなかったっちゃや。
「あんだは熱さ浮かされているのや。熱がさめると厭さなるっちゃ。おれは今のあんだからそいづほどさ思われるのを、苦しく感じていっちゃ。だげっとこいずから先のあんださ起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなるっちゃ」
「おれはそいづほどほでなすさ思われているんんだがらい。そいづほど不信用なさっしゃ」
「おれはお気の毒さ思うのや」
「気の毒んだがら信用されねおんとおっしゃるんんだがらい」
 先生は迷惑そうさ庭の方を向いたっちゃや。その庭さ、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じてだ椿の花はもう一つも見えなかったっちゃや。先生は座敷からこの椿の花をよく眺ながめる癖があったっちゃや。
「信用しねって、特さあんだを信用しねんだべやない。人間全体を信用しねんだあ」
 その時生垣の向うで金さがなっこ売りらしい声がしたっちゃや。その外さは何の聞こえるがなもなかったっちゃや。大通りから二丁も深く折れ込んだ小路は存外い静かであったっちゃや。家の中はいづがな通りひっそりしてだおん。おれは次の間さ奥つぁんのいる事を知ってだおん。黙って針仕事がんかしてっと奥つぁんの耳さおれの話し声が聞こえるつう事も知ってだおん。だげっとおれは全くそいづを忘れてしまったっちゃや。
「だべや奥つぁんも信用なさらねおんんんだがらい」と先生さ聞いたっちゃや。
 先生はわんつか不安な顔をしたっちゃや。そうして直接の答えを避けたっちゃや。
「おれはおれ自身さえ信用していねのや。いやんべさかだるどよおれでおれが信用でぎねから、人も信用でぎねようさなっているのや。おれを呪うより外さ仕方がないのや」
「そうむずかしく考えれば、誰だって確ががなはないだべん」
「やん考えたんだべやない。やったんだあ。やった後で驚いたんだあ。そうして非常さ怖くなったんだあ」
 おれはもうわんつか先まで同じ道を辿たどって行きたかったっちゃや。すると襖の陰で「あんだ、あんだ」つう奥つぁんの声が二度聞こえたっちゃや。先生は二度目さ「何だい」といったっちゃや。奥つぁんは「わんつか」と先生を次の間さ呼んだおん。二人の間さどんな用事が起ったのか、おれさは解らなかったっちゃや。そいづを想像する余裕を与えねべやほど早く先生はまた座敷さ帰って来たっちゃや。
「とさかくあまりおれを信用してはいけねよ。今さ後悔するから。そうしておれが欺れた返報さ、残酷な復讐をするようさなるがなんだがらら」
「そりゃどうかだる意味んだがらい」
「かつてはその人のひだべやかぶの前さ跪いたつう記憶が、今度はその人のあだまの上さ足を載せさせようとするのや。おれは未来の侮辱を受けねえべやためさ、今の尊敬を斥けたいと思うのや。おれは今より一層淋しい未来のおれを我慢する代りさ、淋しい今のおれを我慢したいのや。自由と独立と己れとさ充ちた現代さ生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはなんねだべん」
 おれはこうかだる覚悟をたがいでいる先生さ対して、かだるべき言葉を知らなかったっちゃや。

十五

 その後おれは奥つぁんの顔を見るたびさ気さなったっちゃや。先生は奥つぁんさ対しても始終こうかだる態度さ出るのだっちゃうか。もしんだとすっぺ、すっとよ、奥つぁんはそいづで満足なのだっちゃうか。
 奥つぁんの様子は満足とも不満足ともきめようがなかったっちゃや。おれはそいづほど近く奥つぁんさ接触する機会がなかったから。んんだがらら奥つぁんはおれさ会うたびさ尋常であったから。うっしょさ先生のいる席でなければおれと奥つぁんとは滅多さ顔を合せなかったから。
 おれの疑惑はまだその上さもあったっちゃや。先生の人間さ対するこの覚悟はどっから来るのだっちゃうか。ただひゃっこい眼でおれを内省したり現代を観察したりした結果なのだっちゃうか。先生は坐って考える質の人であったっちゃや。先生のあだまさえあいづば、こうかだる態度は坐って世の中を考えていても自然と出て来るがなだっちゃうか。おれさはそうばりとは思えなかったっちゃや。先生の覚悟は生きた覚悟らしかったっちゃや。火さ焼けて冷却し切った石造家屋の輪廓とは違ってだおん。おれの眼さ映ずる先生はたしかさ思想家であったっちゃや。けれどもその思想家の纏め上げた主義の裏さは、強い事実が織り込まれているらしかったっちゃや。おれと切り離された他人の事実でなくって、おれ自身がいだ切さ味わった事実、血が熱くなったり脈が止まったりするほどの事実が、畳み込まれているらしかったっちゃや。
 こいずはおれのふとごろで推測するががなはない。先生自身すでさんだと告白してだおん。ただその告白が雲の峯のようであったっちゃや。おれのあだまの上さ正体の知れねおん恐ろしいがなを蔽い被せたっちゃや。そうしてなんでそいづが恐ろしいかおれさも解らなかったっちゃや。告白はぼうとしてだおん。そいづでいて明らかさおれの神経を震ふるわせたっちゃや。
 おれは先生のこいづ生観の基点さ、或ある強烈な恋愛事件を仮定してみたっちゃや。(無論先生と奥つぁんとの間さ起った)。先生がかつて恋は罪悪だといった事から照らし合せて見ると、多少そいづが手掛てがかりさもなったっちゃや。だげっと先生は現さ奥つぁんを愛してっととおれさ告げたっちゃや。すると二人の恋からこっだ厭世さ近い覚悟が出ようはずがなかったっちゃや。「かつてはその人の前さ跪いたつう記憶が、今度はその人のあだまの上さ足さ載せさせようとする」といった先生の言葉は、現代一般の誰あいねでついて用いられるべきで、先生と奥つぁんの間さは当てはまらねおんがなのようでもあったっちゃや。
 雑司ヶ谷さある誰だか分らねおん人の墓、――こいずもおれの記憶さ時々動いたっちゃや。おれはそいづが先生と深い縁故のある墓だつう事を知ってだおん。先生の生活さ近づきつつありながら、近づく事のでぎねおれは、先生のあだまの中さある生命の断片として、その墓をおれのあだまの中さも受け入れたっちゃや。けれどもおれさ取ってその墓は全く死んんだがらなであったっちゃや。二人の間さある生命いのちの扉を開ける鍵さはならなかったっちゃや。むしろ二人の間さ立って、自由の往来を妨げる魔物のようであったっちゃや。
 そうこうしてっとうちさ、おれはまた奥つぁんと差し向いで話をしねげどなんね時機が来たっちゃや。その頃ころは日の詰つまって行くせわしね秋さ、誰も注意を惹ひかれる肌寒はださむの季節であったっちゃや。先生のつ近で盗難さ罹かかったがなが三、四日続いて出たっちゃや。盗難はいずれも宵のくずであったっちゃや。大したがなをたがいで行かれた家ほとんどなかったけれども、はいられた所では必ずなんか取られたっちゃや。奥つぁんは気味をわるくしたっちゃや。そごさ先生がある晩家を空あけなければなんね事情ができてきたっちゃや。先生と同郷の友人で地方の病院さ奉職してっとがなが上京したため、先生は外ほかの二、三名と共さ、ある所でその友人さ飯めしを食わせなければならなくなったっちゃや。先生は訳をかだって、おれさ帰ってくる間までの留守番を頼んだおん。おれはすぐ引き受けたっちゃや。

十六

 おれの行ったのはまだ灯の点くか点がい暮れ方であったが、几帳面な先生はもう宅さいなかったっちゃや。「時間さ遅れると悪いって、つい今しがた出掛けたおん」といった奥つぁんは、おれを先生の書斎さ案内したっちゃや。
 書斎さは洋つぐえテーブルと椅子の外ほかさ、沢山の書物がうづぐすい背皮を並べて、硝子越しさ電燈の光で照らされてだおん。奥つぁんは火鉢の前さ敷いた座蒲団の上さおれを坐わらせて、「ちっとそごいらさある本でも読んでいてけらい」と断って出て行ったっちゃや。おれはちょうど主人の帰りを待ち受ける客のような気がして済まなかったっちゃや。おれは畏まったまま烟草を飲んでいたっちゃや。奥つぁんが茶の間でなんか下女さかだっている声が聞こえたっちゃや。書斎は茶の間の縁側を突き当って折れ曲った角さあるので、棟の位置からかだると、座敷よりもかえって掛け離れた静かさを領してだおん。ひとしきりで奥つぁんの話し声が已むと、後はしんとしたっちゃや。おれは泥棒を待ち受けるような心持で、凝っとしながら気をどっかさ配ったっちゃや。
 三十分ほどすると、奥つぁんがまた書斎の入くずさ顔を出したっちゃや。「おや」といって、軽く驚いた時の眼をおれさ向けたっちゃや。そうして客さ来た人のようさ鹿爪らしく控えているおれをおかしそうさ見たっちゃや。
「そいづだべや窮屈だべん」
「いえ、窮屈だべやありね」
「でも退屈だべん」
「いいえ。泥棒が来るかと思って緊張していっけら退屈でもありね」
 奥つぁんは手さ紅茶茶碗を持ったまま、笑いながらそごさ立ってだおん。
「こごは隅っこんだがらら番をするさは好よくありねね」とおれがいったっちゃや。
「だべや失礼だげんちょももっと真中さ出て来て頂戴。ご退屈だっちゃうと思って、お茶っこを入れてたがいで来たんだげんちょも、茶の間で宜しければあちらで上げますかいら」
 おれは奥つぁんの後さ尾いて書斎を出たっちゃや。茶の間さは綺麗な長火鉢さ鉄瓶が鳴ってだおん。おれはんでよ茶と菓子のご馳走さなったっちゃや。奥つぁんは寝られねおんとわがんないといって、茶碗さ手を触れなかったっちゃや。
「先生はやっぱり時々こっだ会さお出掛けさなるんんだがらい」
「いいえ滅多さ出た事はありね。近頃ちかごろは段々人の顔を見るのがやんきらいさなるようだあ」
 こういった奥つぁんの様子さ、別段困ったがなだつう風ふうも見えなかったがら、おれはつい大胆さなったっちゃや。
「そいづだべや奥つぁんだけが例外なさっしゃ」
「いいえおれもやんわれている一人なんだあ」
「そりゃ嘘(てほ)だあ」とおれがいったっちゃや。「奥つぁん自身嘘と知りながらそうおっしゃるんだべん」
「なんで」
「おれさいわせると、奥つぁんが好きさなったから世間がすかねさなるんだあがな」
「あんだは学問をする方だけあって、ながかお上手ね。空っぽな理屈を使いこなす事が。世の中がすかねさなったから、おれまでもすかねさなったんだともいわれるだべやありねか。そいづと同おんなじ理屈で」
「両方ともいわれる事はいわれますげんちょも、この場合はおれの方が正しいのや」
「議論はやんよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうさ。空の盃でよくああ飽きねで献酬ができると思うんだっちゃのわ」
 奥つぁんの言葉はわんつか手いだてひどかったっちゃや。だげっとその言葉の耳障みみざわりからかだると、決して猛烈ながなではなかったっちゃや。おれさあだま脳のある事を相手さ認めさせて、そごさ一種の誇りを見出みいだすほどさ奥つぁんは現代的でなかったっちゃや。奥つぁんはそいづよりもっと底の方さ沈んだ心をまでさしてっとらしく見えたっちゃや。

十七

おれはまだその後あとさかだるべき事をたがいでだおん。けれども奥つぁんから徒いたずらさ議論を仕掛ける男のようさ取られては困ると思って遠慮したっちゃや。奥つぁんは飲み干した紅茶茶碗の底を覗のぞいて黙っているおれを外そらさないようさ、「もう一杯上げましょうか」と聞いたっちゃや。おれはすぐ茶碗を奥つぁんの手さ渡したっちゃや。
「いくつ? 一つ? 二ッつ?」
 妙ながなで角砂糖をつまみ上げた奥つぁんは、おれの顔を見て、茶碗の中さ入れる砂糖の数かずを聞いたっちゃや。奥つぁんの態度はおれさ媚るつうほどではなかったけれども、さっきの強い言葉を努めて打ち消そうとする愛嬌さ充ちてだおん。
 おれは黙って茶を飲んだおん。飲んでしまっても黙ってだおん。
「あんだ大変黙り込んじまったのね」と奥つぁんがいったっちゃや。
「なんかかだるとまた議論を仕掛けるなんて、叱りつけられそんだがらすから」とおれは答えたっちゃや。
「まさか」と奥つぁんがもいっかいいったっちゃや。
 二人はそいづを緒くずいとくちさまた話を始めたっちゃや。そうしてまた二人さ共通な興味のある先生を問題さしたっちゃや。
「奥つぁん、さっきの続きをもうわんつかいわせてけらいねか。奥つぁんさは空からな理屈と聞こえるかも知れねが、おれはほだな上うわの空でいってる事だべやないんんだがらら」
「だべやおっしゃい」
「今奥つぁんがいぎなりいなくなったとしたら、先生は現在の通りで生きていられるだべんか」
「そりゃ分らねおんわ、あんだおん。ほだな事、先生さ聞いて見るより外さ仕方がないだべやありねか。おれの所さたがいで来る問題だべやないわ」
「奥つぁん、おれは真面目だおん。んだがらら逃げちゃいけね。正直さ答えなくっちゃ」
「正直よ。正直さいっておれさは分らねおんのよ」
「だべや奥つぁんは先生をどのくらい愛していらっしゃるんんだがらい。こいずは先生さ聞くよりむしろ奥つぁんさ伺っていい質問んだがらいら、あんださ伺いっちゃ」
「何もほだな事を開き直って聞がくっても好いいだべやありねか」
「真面目くさって聞くががなはない。分り切ってるとおっしゃるんんだがらい」
「まあそうよ」
「そのくらい先生さ忠実なあんんだがらいぎなりいなくなったら、先生はどうなるんだべん。世の中のどっちを向いても面白そうでない先生は、あんんだがらいぎなりいなくなったら後でどうなるだべん。先生から見てだべやない。あんだから見てだおん。あんだから見て、先生は幸福さなるだべんか、ぶっしゃせさなるだべんか」
「そりゃおれから見れば分っていっちゃ。(先生はそう思っていねかも知れねが)。先生はおれを離れればぶっしゃせさなるだけだあ。そだっちゃがったら生きていられねおんかも知れねよ。そうかだると、己惚さなるようだげんちょも、おれは今先生を人間としてできるだけ幸福さしてっとんだと信じていっちゃわ。どんな人があってもおれほど先生を幸福さできるがなはないとまで思い込んでいっちゃわ。そいづんだがららこうしておづついていられるんだあ」
「その信念が先生の心さ好く映るはずだとおれは思うけんどもよ」
「そいづは別問題だあわ」
「やっぱり先生からやんわれているとおっしゃるんんだがらい」
「おれはやんわれてるとは思いね。やんわれる訳がないんだあがな。だげっと先生は世間がすかねなんだべん。世間つうより近頃では人間がすかねさなっているんだべん。んだがららその人間の一人として、おれも好かれるはずがないだべやありねか」
 奥つぁんのやんわれているつう意味がやっとおれさ呑み込めたっちゃや。

十八

 おれは奥つぁんの理解力さ感心したっちゃや。奥つぁんの態度が旧式の日本の女らしくないとごもおれの注意さ一種の刺戟を与えたっちゃや。そいづで奥つぁんはその頃流行始めたほれ、かだるべや新しい言葉なんかはほとんど使わなかったっちゃや。
 おれは女つうがなさ深い交際をした経験のない迂闊な青年であったっちゃや。男としてのおれは、異性さ対する本能から、憧憬の目的物として常さ女を夢みてだおん。けれどもそいづは懐かしい春の雲を眺ながめるような心持で、ただ漠然と夢みてださ過ぎなかったっちゃや。んだがらら実際の女の前さ出ると、おれの感情がずいら変る事が時々あったっちゃや。おれはおれの前さ現われた女のためさ引きつけられる代りさ、その場さ臨んでかえって変な反撥力感じたっちゃや。奥つぁんさ対したおれさはほだな気がまるで出なかったっちゃや。普通男女の間さよごたわる思想の不平均つう考えもほとんど起らなかったっちゃや。おれは奥つぁんの女であるつう事を忘れたっちゃや。おれはただ誠実なる先生の批評家および同情家として奥つぁんを眺めたっちゃや。
「奥つぁん、おれがこの前なんで先生が世間的さもっと活動なさらねおんのだっちゃうといって、あんださ聞いた時さ、あんだはおっしゃった事があるっちゃね。元はああだべやなかったんだって」
「ええいいだおん。実際あんなだべやなかったんだあがな」
「どんなだやぁんんだがらい」
「あんだの希望なさるような、またおれの希望するような頼もしい人だやぁんだあ」
「そいづがなしていぎなり変化なすったんんだがらい」
「いぎなりだべやありね、段々ああなって来たのよ」
「奥つぁんはその間あいだ始終先生といっしょさいらしったんだべん」
「無論いだわ。夫婦だあがな」
「だべや先生がそう変って行かれる原因がちゃんと解るべきはずだげんちょもね」
「そいづんだがらら困るのよ。あんだからそういわれると実さ辛いんだげんちょも、おれさはどう考えても、考えようがないんだあがな。おれは今まで何遍あの人さ、どうぞ打ち明けてけらいって頼んで見たか分りゃしね」
「先生は何とおっしゃるんんだがらい」
「何さもかだる事はない、何さも心配する事はない、おれはこうかだる性質さなったんんだがららつうだけで、取り合ってくれねおんんだあ」
 おれは黙ってだおん。奥つぁんも言葉を途切とぎらしたっちゃや。下女部屋さいる下女はことりとも音をさせなかったっちゃや。おれはまるで泥棒の事を忘れてしまったっちゃや。
「あんだはおれさ責任があるんだと思ってやしねか」とずいら奥つぁんが聞いたっちゃや。
「いいえ」とおれが答えたっちゃや。
「どうぞ隠さねでいってけらい。そう思われるのは身を切られるより辛いんんだがらら」と奥つぁんがまたいったっちゃや。「こいずでもおれは先生のためさできるだけの事はしてっとつもりなんだあ」
「そりゃ先生もそう認めていられるんんだがらら、大丈夫だあ。ご安心なさい、おれが保証します」
 奥つぁんは火鉢のあぐを掻かき馴らしたっちゃや。んんだがらら水注の水を鉄瓶てつびんさ注さしたっちゃや。鉄瓶は忽たちまち鳴りを沈めたっちゃや。
「おれはとうとう辛防しんぼうし切れなくなって、先生さ聞きたおん。おれさ悪い所があるなら遠慮なくいってけらい、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前さ欠点なんかありゃしね、欠点はおれの方さあるだけだつうんだあ。そういわれると、おれ悲しくなって仕様がないんだあ、涙が出てなおの事おれの悪い所が聞きたくなるんだあ」
 奥つぁんは眼の中うちさ涙をぎっつり溜ためたっちゃや。

十九

 始めおれは理解のある女性として奥つぁんさ対してだおん。おれがその気でかだっているうちさ、奥つぁんの様子が次第さ変って来たっちゃや。奥つぁんはおれのあだま脳さ訴える代りさ、おれの心臓ハートを動かし始めたっちゃや。おれと夫の間さは何の蟠わだかまりもない、またないはずであるのさ、やはりなんかあっちゃ。そいづだのさ眼を開あけて見極めようとすると、やはり何なんさもない。奥つぁんの苦さする要点はこごさあったっちゃや。
 奥つぁんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的(むんつけ)んだがらら、その結果としておれもやんわれているのだと断言したっちゃや。そう断言しておきながら、ちっともそごさおづついていられなかったっちゃや。底を割ると、かえってその逆を考えてだおん。先生はおれをやんう結果、とうとう世の中まで厭さなったのだっちゃうと推測してだおん。けれどもどう骨を折っても、その推測を突き留めて事実とする事ができなかったっちゃや。先生の態度はどごまでも良人らしかったっちゃや。親切で優しかったっちゃや。疑いの塊りをその日その日の情合で包んで、そっとふとごろの奥さしまっておいた奥つぁんは、その晩その包みの中をおれの前で開けて見せたっちゃや。
「あんだどう思って?」と聞いたっちゃや。「おれからああなったのか、そいづともあんだのかだる人世観とか何とかかだるがなから、ああなったのか。隠さずいって頂戴」
 おれは何も隠す気はなかったっちゃや。けれどもおれのしゃねあるがながそごさ存在してっととすっぺ、すっとよ、おれの答えが何であろうと、そいづが奥つぁんを満足させるはずがなかったっちゃや。そうしておれはそごさおれのしゃねあるがながあると信じてだおん。
「おれさは解わかりね」
 奥つぁんは予期の外れた時さ見る憐れな表情をその咄嗟さ現わしたっちゃや。おれはすぐおれの言葉を継ぎ足したっちゃや。
「だげっと先生が奥つぁんをやんっていらっしゃらねおん事だけは保証します。おれは先生自身のくずから聞いた通りを奥つぁんさ伝えるだけだあ。先生は嘘(てほ)を吐がい方かただべん」
 奥つぁんは何とも答えなかったっちゃや。しばらくしてからこういったっちゃや。
「実はおれすこし思いあたる事があるんだあけれども……」
「先生がああかだる風さなった原因さついてんだがらい」
「ええ。もしそいづが原因だとすっぺ、すっとよ、おれの責任だけはなくなるんんだがらら、そいづだけでもおれ大変楽さなれるんだげんちょも、……」
「どんな事んだがらい」
 奥つぁんはいい渋ってひだべやかぶの上さ置いたおれの手を眺めてだおん。
「あんだ判断して下すって。かだるから」
「おれさできる判断ならやるっちゃ」
「みんなはいえねべやのよ。みんなかだると叱られるから。叱られねおんとごだけよ」
 おれは緊張して唾液を呑み込んだおん。
「先生がまだ大学さいる時分、大変仲の好いお友達が一人あったのよ。その方かたがちょうど卒業するわんつか前さ死んだんだあ。いぎなり死んだんだあ」
 奥つぁんはおれの耳さおれ語ささやくような小さな声で、「実は変死したんだあ」といったっちゃや。そいづは「なして」と聞き返さねではいられねおんようないい方であったっちゃや。
「そいづっ切りしかいえねべやのよ。けれどもその事があってから後なんだあ。先生の性質が段々変って来たのは。なんでその方が死んだのか、おれさは解らねおんの。先生さもおそらく解っていねだべん。けれどもんんだがらら先生が変って来たと思えば、そう思われねおん事もないのよ」
「その人の墓んだがらい、雑司ヶ谷さあるのは」
「そいづもいわね事さなってるからいいね。だげっと人間は親友を一人亡くしただけで、ほだなさ変化できるがなだべんか。おれはそいづが知りたくって堪らねおんんだあ。んだがららそごを一つあんださ判断して頂きたいと思うの」
 おれの判断はむしろ否定の方さ傾いてだおん。

二十

おれはおれのつらまえた事実の許す限り、奥つぁんを慰めようとしたっちゃや。奥つぁんもまたできるだけおれさよって慰められたそうさ見えたっちゃや。そいづで二人は同じ問題をいつまでも話し合ったっちゃや。けれどもおれはもともと事の大根を攫つかんでいなかったっちゃや。奥つぁんの不安も実はそごさ漂ただっちゃう薄い雲さ似た疑惑から出て来てだおん。事件の真相さなると、奥つぁん自身さもいっぺは知れていなかったっちゃや。知れているとごでも悉皆はおれさかだる事ができなかったっちゃや。したがって慰めるおれも、慰められる奥つぁんも、共さ波さ浮いて、ゆらゆらしてだおん。ゆらゆらしながら、奥つぁんはどごまでも手を出して、覚束ないおれの判断さ縋りつこうとしたっちゃや。
 十時頃ごろさなって先生のくづの音が玄関さ聞こえた時、奥つぁんはいぎなり今までのすべてを忘れたようさ、前さ坐わっているおれをそっつのけさして立ち上がったっちゃや。そうして格子こうしを開ける先生をほとんど出合あだまさ迎えたっちゃや。おれは取り残されながら、後あとから奥つぁんさ尾ついて行ったっちゃや。下女だけは仮寝うたたねでもしてだとみえて、ついさ出て来なかったっちゃや。
 先生はむしろ機やんがよかったっちゃや。だげっと奥つぁんの調子はさらさよかったっちゃや。今しがた奥つぁんのうづぐすい眼のうちさ溜たまった涙の光と、んんだがらら黒いこのげまゆげの根さ寄せられた八の字を記憶してだおれは、その変化を異常ながなとして注意深く眺ながめたっちゃや。もしそいづが詐いつわりでなかっただらば、(実際そいづは詐りとは思えなかったが)、今までの奥つぁんの訴えは感傷を玩ぶためさとくさおれを相手さ拵らえた、徒らな女性の遊戯と取れねおん事もなかったっちゃや。もっともその時のおれさは奥つぁんをそいづほど批評的さ見る気は起らなかったっちゃや。おれは奥つぁんの態度のいぎなり輝いて来たのを見て、むしろ安心したっちゃや。こいずだらばそう心配する必要もなかったんだと考え直したっちゃや。
 先生は笑いながら「あいや元気がいご苦労さま、泥棒は来ねだったいか」とおれさ聞いたっちゃや。んんだがらら「来ないんで張合はりあいが抜けやしねか」といったっちゃや。
 帰る時、奥つぁんは「あいや元気がいお気の毒さま」と会釈したっちゃや。その調子はせわしいとごを暇を潰させて気の毒だつうよりも、せっかく来たのさ泥棒がはいらなくって気の毒だつう冗談のようさ聞こえたっちゃや。奥つぁんはそういいながら、さっきさっき出した西洋菓子の残りを、紙さ包んでおれの手さたががせたっちゃや。おれはそいづを袂さ入れて、人通りの少ない夜寒むの小路こうじを曲折して賑が町の方さ急いだおん。
 おれはその晩の事を記憶のうちから抽き抜いてこごさこまごぐ書いたっちゃや。こいずは書くだけの必要があるから書いたのんだがら、実をかだると、奥つぁんさ菓子を貰って帰るときの気分では、そいづほど当夜の会話を重く見ていなかったっちゃや。おれはその翌日午飯を食いさがっこから帰ってきて、昨夜つぐえの上さ載のせて置いた菓子の包みを見ると、すぐその中からチョコレートを塗った鳶色のカステラを出して頬張ったっちゃや。そうしてそいづを食う時さ、必竟ひっきょうこの菓子をおれさくれた二人の男女は、幸福な一対として世の中さ存在してっとのだと自覚しつつ味わったっちゃや。
 秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかったっちゃや。おれは先生の宅さ出はいりをするついでさ、衣ふぐの洗い張はりや仕立したて方なんかを奥つぁんさ頼んだおん。そいづまで繻絆つうがなを着た事のないおれが、シャツの上さ黒い襟のかかったがなを重ねるようさなったのはこの時からであったっちゃや。おぼごのない奥つぁんは、そうかだる世話を焼くのがかえって退屈凌ぎさなって、結句けっく身体の薬だぐらいの事をいってだおん。
「こりゃ手織ておりね。こっだ地の好いい着物は今まで縫った事がないわ。その代り縫い悪さくいのよそりゃあ。まるで針が立たないんだあがな。お蔭かげで針を二本折りたおんわ」
 こっだ苦情をかだる時だあら、奥つぁんは別さめんどくさいつう顔をしなかったっちゃや。

二十一

 冬が来た時、おれは偶然国さ帰らなければなんね事さなったっちゃや。おれのががから受け取った手紙の中さ、父の病気の経過が面白くない様子を書いて、今が今つう心配もあるまいが、年が年んだがらら、できるなら都合して帰って来てくれと頼むようさつけ足してあったっちゃや。
 父はかねてから腎臓を病んでいたっちゃや。中年以後の人さしばしば見る通り、父のこの病やまいは慢性であったっちゃや。その代り要心さえしていれば急変のないがなと当人も家族のがなも信じて疑わなかったっちゃや。現さ父は養生のお蔭かげ一つで、今日までどうかこうか凌しのいで来たようさ客が来ると吹聴ふいちょうしてだおん。その父が、ががの書信さよると、庭さ出てなんかしてっと機はずみさずいら眩暈めまいがして引ッ繰り返ったっちゃや。家内がいのがなは軽症の脳溢血と思い違えて、すぐその手当をしたっちゃや。後あとで医者からあいや元気がいそうだっちゃらしい、やはり持病の結果だっちゃうつう判断を得て、始めて卒倒と腎臓病とを結びつけて考えるようさなったがらあっちゃ。
 冬休みが来るさはまだわんつか間があったっちゃや。おれは学期の終りまで待っていても差支さしつかえあるまいと思って一日二日そのままさしておいたっちゃや。するとその一日二日の間さ、父の寝ている様子だの、ががの心配してっと顔だのが時々眼さ浮かんだおん。そのたびさ一種の心苦しさを嘗なめたおれは、とうとう帰る決心をしたっちゃや。国から旅費を送らせる手数と時間を省くため、おれは暇乞いかたがた先生の所さ行って、要いるだけの金を一時立て替えてもらう事さしたっちゃや。
 先生はわんつか風邪かぜの気味で、座敷さ出るのが臆劫だといって、おれをその書斎さ通したっちゃや。書斎の硝子戸ガラスどから冬さ入いって稀れさ見るような懐い和らが日光がつぐえ掛つくえかけの上さ射さしてだおん。先生はこの日あたりの好い部屋さやの中さ大きな火鉢を置いて、五徳ごとくの上さ懸けた金盥がだらいから立ち上あがる湯気ゆげで、呼吸いきの苦しくなるのを防いでいたっちゃや。
「大病は好いいが、わんつかした風邪かぜなんかはかえって厭ながなだない」といった先生は、苦笑しながらおれの顔を見たっちゃや。
 先生は病気つう病気をした事のない人であったっちゃや。先生の言葉を聞いたおれは笑いたくなったっちゃや。
「おれは風邪ぐらいなら我慢しますげんちょも、そいづ以上の病気は真平だあ。先生だって同じ事だべん。試みさやってご覧さなるとよく解るっちゃ」
「そうかね。おれは病気さなるくらいなら、死病さ罹かりたいと思ってる」
 おれは先生のかだる事さ格別注意を払わなかったっちゃや。すぐががの手紙の話をして、金の無心を申し出たっちゃや。
「そりゃ困るだべん。そのくらいなら今手元さあるはずんだがららたがいで行きたまえ」
 先生は奥つぁんを呼んで、必要の金額をおれの前さ並べさせてくれたっちゃや。そいづを奥の茶箪笥がんかの抽出から出して来た奥つぁんは、白い半紙の上さ鄭寧さ重ねて、「そりゃご心配だない」といったっちゃや。
「何遍も卒倒したんんだがらい」と先生が聞いたっちゃや。
「手紙さは何とも書いてありねが。――ほだなさ何度も引ッ繰り返るがなんだがらい」
「ええ」
 先生の奥つぁんのががつう人もおれの父と同じ病気で亡くなったのだつう事が始めておれさ解ったっちゃや。
「どうせむずかしいんだべん」とおれがいったっちゃや。
「そうさね。おれが代られれば代ってあげても好いいが。――嘔気はあるんんだがらい」
「どうんだがらい、何とも書いてねから、大方ないんだべん」
「吐気さえ来なければまだ大丈夫だおん」と奥つぁんがいったっちゃや。
 おれはその晩の汽車で東京を立ったっちゃや。

二十二

 父の病気は思ったほど悪くはなかったっちゃや。そいづでも着いた時は、床とこの上さ胡坐をかいて、「みんなが心配するから、まあ我慢してこう凝じっとしてっと。なさもう起きても好いいのさ」といったっちゃや。だげっとその翌日よくじつからはががが止めるのも聞かねで、とうとう床を上げさせてしまったっちゃや。ががは不承無性ふしょうぶしょうさ太織ふとおりの蒲団を畳みながら「おどっつぁんはお前が帰って来たがら、いぎなり気が強くおなりなんだっちゃ」といったっちゃや。おれさは父の挙動がさして虚勢を張っているようさも思えなかったっちゃや。
 おれのあんつぁんはある職を帯びて遠い九州さいたっちゃや。こいずは万一の事がある場合でなければ、容易さ父ががちちははの顔を見る自由の利きがい男であったっちゃや。妹は他国さ嫁とついだおん。こいずも急場の間さ合うようさ、おいそいづと呼び寄せられる女ではなかったっちゃや。あんつぁん妹きょうだい三人のうちで、一番便利なのはやはり書生をしてっとおれだけであったっちゃや。そのおれがががのいいつけ通りがっこの課業を放ほうり出して、休み前さ帰って来たつう事が、父さは大きな満足であったっちゃや。
「こいずしきの病気さがっこを休ませては気の毒だおん。おががつぁんがあまり仰山ぎょうつぁんな手紙を書くがなんだがららわがんない」
 父はくずではこういったっちゃや。こういったばりでなく、今まで敷いてだ床とこを上げさせて、いづがなような元気を示したっちゃや。
「あんまり軽はずみをしてまたぶりかえすといけねよ」
 おれのこの注意を父は愉快そうさだげっと極めて軽く受けたっちゃや。
「なさ大丈夫、こいずでいづがなようさ要心さえしていれば」
 実際父は大丈夫らしかったっちゃや。家の中を自由さ往来して、息も切れなければ、眩暈めまいも感じなかったっちゃや。ただ顔色だけは普通の人よりも大変悪かったが、こいずはまた今始まった症状でもないので、おれたちは格別そいづを気さ留めなかったっちゃや。
 おれは先生さ手紙を書いて恩借の礼を述べたっちゃや。正月上京する時さ持参するからそいづまで待ってくれるようさと断わったっちゃや。そうして父の病状の思ったほど険悪でない事、この分なら当分安心な事、眩暈も嘔気も皆無な事なんかを書き連ねたっちゃや。うっしょさ先生の風邪ふうだべやさついても一言の見舞をつけ加えたっちゃや。おれは先生の風邪を実際軽く見てんだがらら。
 おれはその手紙を出す時さ決して先生の返事を予期していなかったっちゃや。出した後で父やががと先生の噂うわさなんかをしながら、遥はるかさ先生の書斎を想像したっちゃや。
「こんど東京さ行くときさは椎茸でたがががいで行ってお上げ」
「ええ、だげっと先生が干した椎茸なぞを食うかしら」
「旨くはないが、別さすかねな人もないだっちゃう」
 おれさは椎茸と先生を結びつけて考えるのが変であったっちゃや。
 先生の返事が来た時、おれはわんつか驚かされたっちゃや。ことさその内容が特別の用件を含んでいなかった時、驚かされたっちゃや。先生はただ親切ずくで、返事を書いてくれたんだとおれは思ったっちゃや。そう思うと、その簡単な一本の手紙がおれさは大層な喜びさなったっちゃや。もっともこいずはおれが先生から受け取った第一の手紙さは相違なかったが。
 第一つうとおれと先生の間さ書信の往復がたびたびあったようさ思われるが、事実は決してそうでない事をわんつか断わっておきたい。おれは先生の生前さたった二通の手紙しか貰っていね。その一通は今かだるこの簡単な返書で、あとの一通は先生の死ぬ前、とくさおれ宛てで書いた大変長いがなであっちゃ。
 父は病気の性質として、運動を慎まなければなんねので、床を上げてからも、ほとんど戸外さは出なかったっちゃや。いっかい天気のごく穏やが日の午後庭さ下りた事があるが、その時は万一を気遣きづかって、おれが引き添うようさそばそばさついてだおん。おれが心配しておれのかださ手を掛けさせようとしても、父は笑って応じなかったっちゃや。

二十三

 おれは退屈な父の相手としてよく将碁盤さ向かったっちゃや。二人とも無精な性質なのや。んんだがらら、炬燵さあたったまま、盤を櫓の上さ載のせて、駒を動かすたびさ、わざわざ手を掛蒲団の下から出すような事をしたっちゃや。時々持駒を失なくして、次の勝負の来るまで双方とも知らねでいたりしたっちゃや。そいづをがががあぐの中から見つみつけ出して、火箸(ひばす)で挟み上げるつう滑稽もあったっちゃや。
「碁だと盤が高過ぎる上さ、脚(あす)が着いていっけら、炬燵の上では打てねが、そごさ来ると将碁盤は好いね、こうして楽さ差せるから。無精者さはたがいで来いだおん。もう一番やっぺし」
 父は勝った時は必ずもう一番やっぺしといったっちゃや。そのくせ負けた時さも、もう一番やっぺしといったっちゃや。要するさ、勝っても負けても、炬燵さあたって、将碁を差したがる男であったっちゃや。始めのうちは珍しいので、この隠居じみた娯楽がおれさも相当の興味を与えたが、わんつか時日が経たつさ連れて、若いおれの気力はそのくらいな刺戟しげきで満足できなくなったっちゃや。おれは金きんや香車を握った拳をあだまの上さ伸ばして、時々思い切ったあくびをしたっちゃや。
 おれは東京の事を考えたっちゃや。そうして漲みなぎる心臓の血潮の奥さ、活動活動と打ちつづける鼓動を聞いたっちゃや。不思議さもその鼓動の音が、ある微妙な意識状態から、先生の力で強められているようさ感じたっちゃや。
 おれは心のうちで、父と先生とを比較して見たっちゃや。両方とも世間から見れば、生きていっけ死んでいっけ分らねおんほど大人しい男であったっちゃや。他人さ認められるつう点からいえばどっちも零れいであったっちゃや。そいづでいて、この将碁を差したがる父は、単なる娯楽の相手としてもおれさは物足りなかったっちゃや。かつて遊興のためさ往来をした覚えのない先生は、歓楽の交際から出る親しみ以上さ、いつかおれのあだまさ影響を与えてだおん。ただあだまつうのはあまりさ冷か過ぎるから、おれはふとごろといい直したい。ぬぐっこのなかさ先生の力が喰くい込んでいるといっても、血のなかさ先生の命が流れているといっても、その時のおれさはわんつかも誇張でないようさ思われたっちゃや。おれは父がおれのほんまの父であり、先生はまたかだるまでもなく、赤の他人であるつう明白な事実を、ことさらさ眼の前さ並べてみて、始めて大きな真理でも発見したかのごとくさ驚いたっちゃや。
 おれがのつそつし出すと前後して、父やががの眼さも今まで珍しかったおれが段々陳腐さなって来たっちゃや。こいずは夏休みなんかさ国さ帰る誰でもが一様さ経験する心持だっちゃうと思うが、当座の一週間ぐらいは下さも置がいようさ、ちやほや歓待されるのさ、その峠を定規通どおり通り越すと、あとはそろそろ家族の熱が冷めて来て、しまいさは有っても無くっても構わねがなのようさ粗末さ取り扱われがちさなるがなであっちゃ。おれも滞在中さその峠を通り越したっちゃや。その上おれは国さ帰るたびさ、父さもががさも解らねおん変なとごを東京からたがいで帰ったっちゃや。昔でかだると、儒者の家さ切支丹の臭いを持ち込むようさ、おれのたがいで帰るがなは父ともががとも調和しなかったっちゃや。無論おれはそいづを隠してだおん。けれども元々身さ着いているがなんだがらら、出すまいと思っても、いつかそいづが父やががの眼さ留まったっちゃや。おれはつい面白くなくなったっちゃや。早く東京さ帰りたくなったっちゃや。
 父の病気は幸い現状維持のままで、わんつかも悪い方さ進む模様は見えなかったっちゃや。念のためさわざわざ遠くから相当の医者を招いたりして、慎重さ診察してもらってもやはりおれの知っている以外さ異状は認められなかったっちゃや。おれは冬休みの尽きるわんつか前さ国を立つ事さしたっちゃや。立つといい出すと、人情は妙ながなで、父もががも反対したっちゃや。
「もう帰るのかい、まだ早いだべやないか」とがががいったっちゃや。
「まだ四、五日いても間さ合うんだっちゃう」と父がいったっちゃや。
 おれはおれの決めた出立の日を動かさなかったっちゃや。

二十四

 東京さ帰ってみると、松飾はいつか取り払われてだおん。町はすばれる風の吹くさ任せて、どごを見てもこいずつうほどの正月めいた景気はなかったっちゃや。
 おれは早速さっそく先生のうちさ金を返しさ行ったっちゃや。例の椎茸たがぐいでさたがいで行ったっちゃや。ただ出すのはわんつか変んだがらら、がががこいずを差し上げてくれといいだとわざわざ断って奥つぁんの前さ置いたっちゃや。椎茸は新しい菓子折さ入れてあったっちゃや。鄭寧さ礼を述べた奥つぁんは、次の間さ立つ時、その折をたがいで見て、軽いのさ驚かされたのか、「こりゃ何の御菓子おかし」と聞いたっちゃや。奥つぁんは懇意さなると、こっだとごさ極きわめて淡泊たんぱくなおぼごこどもらしい心を見せたっちゃや。
 二人とも父の病気さついて、色々掛念けねんの問いを繰り返してくれた中さ、先生はこっだ事をいったっちゃや。
「なるほど容体を聞くと、今が今どうつう事もないようだげんちょも、病気が病気んだがららよほど気をつけねえべやといけね」
 先生は腎臓じんぞうの病やまいさついておれのしゃね事をいっぺ知ってだおん。
「おれで病気さ罹かかっていながら、気がつがいで平気でいるのがあの病の特色だあ。おれの知ったある士官しかんは、とうとうそいづでやられたが、全く嘘うそのような死さ方をしたんだおん。何しろそばそばさ寝てだ細君が看病をする暇もなんさもななんぼいなさっしゃらね。夜中さわんつか苦しいといって、細君を起したぎり、翌あくる朝はもう死んでいたんだあ。しかも細君は夫が寝ているとばり思ってたんだってかだるんんだがらら」
 今まで楽天的さ傾いてだおれはいぎなり不安さなったっちゃや。
「おれの父おやじもほだなさなるだべんか。ならんともいえねべやだない」
「医者は何つうのや」
「医者は到底うんとっけ治らねおんつうんだあ。けれども当分のとご心配はあるまいともかだるんだあ」
「そいづだべや好いいだべん。医者がそうかだるなら。おれの今話したのは気がつかねでいた人の事で、しかもそいづがずいぶん乱暴な軍人なんんだがらら」
 おれはやや安心したっちゃや。おれの変化を凝じっと見てだ先生は、んんだがららこうつけあすしたっちゃや。
「だげっと人間は健康さしろ病気さしろ、どっちさしても脆もろいがなだない。いつどんな事でどんな死さようをしねとも限らねおんから」
「先生もほだな事を考えてお出いでんだがらい」
「なんぼ丈夫のおれでも、満更まんざら考えねべや事もありね」
 先生のくず元さは微笑の影が見えたっちゃや。
「よくころりと死ぬ人があるだべやありねか。自然さ。んんだがららあっと思う間さ死ぬ人もあるだべん。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何んだがらい」
「何だかそいづはおれさも解わがんねえが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんだべん」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭だない」
「殺される方はちっとも考えていなかったっちゃや。なるほどそういえばんだ」
 その日はそいづで帰ったっちゃや。帰ってからも父の病気はそいづほど苦さならなかったっちゃや。先生のいった自然さ死ぬとか、不自然の暴力で死ぬとかかだる言葉も、その場限りの浅い印象を与えただけで、後あとは何らのこだわりをおれのあだまさ残さなかったっちゃや。おれは今まで幾度いくたびか手を着けようとしては手を引っ込めた卒業論文を、いよいよ本式さ書き始めなければなんねと思い出したっちゃや。

二十五

 その年の六月さ卒業するはずのおれは、ぜひともこの論文を成規通り四月ぎっつりさ書き上げてしまわなければならなかったっちゃや。二、三、四と指を折って余る時日を勘定して見た時、おれはわんつかおれの度ふとごろを疑ったっちゃや。他のがなはよほど前から材料を蒐めたり、ノートを溜めたりして、余所目さもせわしそうさ見えるのさ、おれだけはまだ何さも手を着けねでいたっちゃや。おれさはただ年が改まったら大いさやっぺしつう決心だけがあったっちゃや。おれはその決心でやり出したっちゃや。そうして忽ち動けなくなったっちゃや。今まで大きな問題を空さ描いて、骨組みだけはほぼでき上っているくらいさ考えてだおれは、あだまを抑えて悩み始めたっちゃや。おれはんんだがらら論文の問題を小さくしたっちゃや。そうして練り上げた思想を系統的さ纏める手数を省くためさ、ただ書物の中さある材料を並べて、そいづさ相当な結論をわんつかつけ加える事さしたっちゃや。
 おれの選択した問題は先生の専門と縁故の近いがなであったっちゃや。おれがかつてその選択さついて先生の意見を尋ねた時、先生は好いいだべんといったっちゃや。狼狽した気味のおれは、早速先生の所さ出掛けて、おれの読まなければなんね参考書を聞いたっちゃや。先生はおれの知っている限りの知識を、快くおれさ与えてくれた上さ、必要の書物を、二、三冊貸そうといったっちゃや。だげっと先生はこの点さついて毫もおれを指導する任さ当ろうとしなかったっちゃや。
「近頃はあんまり書物を読まないから、新しい事は知りねよ。がっこの先生さ聞いた方が好いだべん」
 先生は一時非常の読書家であったが、その後どうかだる訳か、前ほどごの方面さ興味が働がくなったようだと、かつて奥つぁんから聞いた事があるのを、おれはその時ふと思い出したっちゃや。おれは論文をよそさして、そぞろさくずを開いたっちゃや。
「先生はなんで元のようさ書物さ興味をもち得ないんんだがらい」
「なんでつう訳もありねが。……いやんべさかだるどよなんぼ本を読んでもそいづほどえらくなんねと思うせいだべん。んんだがらら……」
「んんだがらら、まだあるんんだがらい」
「まだあるつうほどの理由でもないが、以前はね、人の前さ出たり、人さ聞かれたりしてしゃねと恥のようさきまりが悪かったがなんだがら、近頃はしゃねつう事が、そいづほどの恥でないようさ見え出したがなんだがらら、つい無理さも本を読んでみようつう元気が出なくなったがらしょうべや。まあ早くいえば老い込んだのや」
 先生の言葉はむしろ平静であったっちゃや。世間させながを向けた人の苦味を帯びていなかっただけさ、おれさはそいづほどの手応えもなかったっちゃや。おれは先生を老い込んだとも思わね代りさ、偉いとも感心せねで帰ったっちゃや。
 んんだがららのおれはほとんど論文さ祟られた精神病者のようさ眼を赤くして苦しんだおん。おれは一年前さ卒業した友達さついて、色々様子を聞いてみたりしたっちゃや。そのうちの一人は締切の日さ車で事務所さ馳かけつけて漸く間さ合わせたといったっちゃや。他の一人は五時を十五分ほど後らしてたがいで行ったため、危く跳ねつけられようとしたとごを、主任教授の好意でやっと受理してもらったといったっちゃや。おれは不安を感ずると共さ度ふとごろを据すえたっちゃや。毎日つぐえの前で精根のつづく限り働いたっちゃや。でなければ、薄暗い書庫さはいって、高い本棚のあちらこっつゃを見廻みまわしたっちゃや。おれの眼は好事家が骨董でも掘り出す時のようさ背表紙の金文字をあさったっちゃや。
 梅が咲くさつけてすばれる風は段々向きを南さ更えて行ったっちゃや。そいづが一仕切り経つと、桜の噂うわさがちらほらおれの耳さ聞こえ出したっちゃや。そいづでもおれは馬車馬のようさ正面ばり見て、論文さ鞭むちうたれたっちゃや。おれはついさ四月の下旬が来て、やっと予定通りのがなを書き上げるまで、先生の敷居を跨またがなかったっちゃや。

二十六

 おれの自由さなったのは、八重桜の散った枝さいつしか青い葉が霞むようさ伸び始める初夏の季節であったっちゃや。おれは籠を抜け出した小とりっこの心をたがいで、広い天地を一目さ見渡しながら、自由さ羽搏きをしたっちゃや。おれはすぐ先生の家さ行ったっちゃや。枳殻の垣が黒ずんだ枝の上さ、萌えるような芽を吹いてだり、柘榴の枯れた幹から、つやつやしい茶褐色の葉が、柔らかそうさ日光を映してだりするのが、道々おれの眼を引きつけたっちゃや。おれは生れて初めてほだながなを見るような珍しさを覚えたっちゃや。
 先生は嬉しそうなおれの顔を見て、「もう論文は片ついたんんだがらい、結構だない」といったっちゃや。おれは「お蔭でやっとご済みたおん。もう何さもする事はありね」といったっちゃや。
 実際その時のおれは、おれのなすべきすべての仕事がすでさ結了して、こいずから先は威張って遊んでいても構わねような晴やが心持でいたっちゃや。おれは書き上げたおれの論文さ対して充分の自信と満足をたがいでだおん。おれは先生の前で、しきりさその内容を喋々したっちゃや。先生はいづがな調子で、「なるほど」とか、「そんだがらすか」とかいってくれたが、そいづ以上の批評はわんつかも加えなかったっちゃや。おれは物足りねおんつうよりも、聊か拍子抜けの気味であったっちゃや。そいづでもその日おれの気力は、因循らしく見える先生の態度さ逆襲を試みるほどさ生々してだおん。おれは青く蘇生ろうとする大きな自然の中さ、先生を誘い出そうとしたっちゃや。
「先生どっかさ散歩すっぺし。外さ出ると大変好いい心持だあ」
「どごさ」
 おれはどごでも構わなかったっちゃや。ただ先生を連れて郊外さ出たかったっちゃや。
 一時間の後、先生とおれは目的どおり市を離れて、村とも町とも区別のつがい静が所を宛あてもなく歩いたっちゃや。おれはがめの垣から若い柔らかい葉をもぎ取って芝笛を鳴らしたっちゃや。ある鹿児島人を友達さたがいで、その人の真似をしつつ自然さ習い覚えたおれは、この芝笛つうがなを鳴らす事が上手であったっちゃや。おれが得意さそいづを吹きつづけると、先生は知らん顔をしてよそを向いて歩いたっちゃや。
 やがて若葉さ鎖ざされたようさ蓊欝した小高い一構えの下さ細い路が開けたっちゃや。門の柱さ打ちつけた標札さ何々園とあるので、その個人の邸宅でない事がすぐ知れたっちゃや。先生はだらだら上のぼりさなっている入くずを眺ながめて、「はいってみようか」といったっちゃや。おれはすぐ「植木屋だない」と答えたっちゃや。
 植込みの中を一うねりして奥さ上のぼると左側さ家があったっちゃや。明け放った障子の内はがらんとして人の影も見えなかったっちゃや。ただ軒先さ据えた大きな鉢の中さ飼ってある金さがなっこが動いてだおん。
「静かだっちゃ。断わらねではいっても構わねだっちゃうか」
「構わねだべん」
 二人はまた奥の方さ進んだおん。だげっとそごさも人影は見えなかったっちゃや。躑躅が燃えるようさ咲き乱れてだおん。先生はそのうちで樺色の丈の高いのを指して、「こいずは霧島だべん」といったっちゃや。
 芍薬も十坪あまり一面さ植えつけられてんだがら、まだ季節が来ないので花を着けているのは一本もなかったっちゃや。この芍薬畠のそばさある古びた縁台のようながなの上さ先生は大の字なりさ寝たっちゃや。おれはその余ったはすっこの方さこすをおろして烟草を吹かしたっちゃや。先生は蒼い透き徹るような空を見てだおん。おれはおれを包む若葉の色さ心を奪われてだおん。その若葉の色をよくよく眺めると、一々違ってだおん。同じ楓の樹きでも同じ色を枝さ着けているがなは一つもなかったっちゃや。細い杉苗の頂きさ投げ被せてあった先生の帽子が風さ吹かれておづたっちゃや。

二十七

 おれはすぐその帽子を取り上げたっちゃや。所々さ着いている赤土を爪で弾きながら先生を呼んだおん。
「先生帽子がおづたおん」
「ありがとう」
 身体を半分起してそいづを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片つがいその姿勢のままで、変な事をおれさ聞いたっちゃや。
「ずいらんだがら、君の家さは財産がよっぽどあるんんだがらい」
「あるつうほどありゃしね」
「まあどのくらいあるのかね。失礼のようんだがら」
「どのくらいって、山と田地がわんつかあるぎりで、金なんかまるでないんだべん」
 先生がおらえの経済さついて、問いらしい問いを掛けたのはこいずが始めてであったっちゃや。おれの方はまだ先生の暮し向きさ関して、何も聞いた事がなかったっちゃや。先生と知り合いさなった始め、おれは先生がなして遊んでいられるかを疑ったっちゃや。その後もこの疑いは絶えずおれのふとごろを去らなかったっちゃや。だげっとおれはほだな露骨な問題を先生の前さ持ち出すのをぶしつけとばり思っていつでも控えてだおん。若葉の色でがおった眼を休ませてだおれの心は、偶然またその疑いさ触れたっちゃや。
「先生はどうなんだあ。どのくらいの財産をたがいでいらっしゃるんんだがらい」
「おれは財産家と見えますかい」
 先生は平生からむしろ質素なふぐ装なりをしてだおん。そいづさ家内は小人数であったっちゃや。したがって住宅も決して広くはなかったっちゃや。けれどもその生活の物質的さ豊が事は、内輪さはいり込まないおれの眼ささえ明らかであったっちゃや。要するさ先生の暮しは贅沢といえねべやまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のがなではなかったっちゃや。
「んだべん」とおれがいったっちゃや。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家だべやありね。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」
 この時先生は起き上って、縁台の上さ胡坐をかいてんだがら、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上さ円のようながなを描かき始めたっちゃや。そいづが済むと、今度はステッキを突き刺すようさ真直まっすぐさ立てたっちゃや。
「こいずでも元は財産家なんんだがらなあ」
 先生の言葉は半分独り言のようであったっちゃや。そいづだあぐ後あとさ尾ついて行き損なったおれは、つい黙ってだおん。
「こいずでも元は財産家なんだおん、君」といい直した先生は、次さおれの顔を見て微笑したっちゃや。おれはそいづでも何とも答えなかったっちゃや。むしろ不調法で答えられなかったがらあっちゃ。すると先生がまた問題を他よそさ移したっちゃや。
「あんだのおどっつぁんの病気はその後どうなったい」
 おれは父の病気さついて正月以後何さも知らなかったっちゃや。月々国から送ってくれる為替と共さ来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟しゅせきであったが、病気の訴えはそのうちさほとんど見当らなかったっちゃや。その上書体も確かであったっちゃや。この種の病人さ見る顫ふるえがわんつかも筆の運はこびを乱していなかったっちゃや。
「何ともいって来ねが、もう好いいんだべん」
「好よければ結構んだがら、――病症が病症なんんだがららね」
「やっぱり駄目んだがらいね。でも当分は持ち合ってるんだべん。何ともいって来ねよ」
「そんだがらすか」
 おれは先生がおれのうちの財産を聞いたり、おれの父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――ふとごろさ浮かんだままをその通りくねだある、普通の談話と思って聞いてだおん。とごろが先生の言葉の底さは両方を結びつける大きな意味があったっちゃや。先生自身の経験をたががないおれは無論そごさ気がつくはずがなかったっちゃや。

二十八


「君のうちさ財産があるなら、今のうちさよく始末をつけてもらっておがいとわがんないと思うがね、余計なお世話だけれども。君のおどっつぁんが達者なうちさ、貰うがなはちゃんと貰っておくようさしたらどうんだがらい。万一の事があったあとで、一番めんどの起るのは財産の問題んだがらら」
「ええ」
 おれは先生の言葉さ大した注意を払わなかったっちゃや。おらえ庭でほだな心配をしてっとがなは、おれさ限らず、父さしろががさしろ、一人もないとおれは信じてだおん。その上先生のかだる事の、先生として、あまりさ実際的なのさおれはわんつか驚かされたっちゃや。だげっとそごは年長者さ対する平生の敬意がおれを無くねでしたっちゃや。
「あんだのおどっつぁんが亡くなられるのを、今から予想してかかるような言葉遣いをするのが気さ触さわったら許してくれたまえ。だげっと人間は死ぬがなんだがららね。どんなさ達者ながなでも、いつ死ぬか分らねおんがなんだがららね」
 先生のくず気こうきは珍しく苦々しかったっちゃや。
「ほだな事をちっとも気さ掛すわっぴりゃいね」とおれは弁解したっちゃや。
「君のあんつぁんしゃでは何人だったいかね」と先生が聞いたっちゃや。
 先生はその上さおらえ族の人数を聞いたり、親類の有無を尋ねたり、叔父や叔ががの様子を問いなんかしたっちゃや。そうしてうっしょさこういったっちゃや。
「みんな善いい人んだがらい」
「別さ悪い人間つうほどのがなもいねようだあ。たいてい田舎者んだがらいら」
「田舎者はなんで悪くないんんだがらい」
 おれはこの追窮さ苦しんだおん。だげっと先生はおれさ返事を考えさせる余裕さえ与えなかったっちゃや。
「田舎者は都会のがなより、かえって悪なんぼいながなや。んんだがらら、君は今、君の親戚なぞの中うちさ、こいずといって、悪い人間はいねようだといいだっちゃ。だげっと悪い人間つう一種の人間が世の中さあると君は思っているんんだがらい。ほだな鋳型さ入れたような悪人は世の中さあるはずがありねよ。平生はみんな善人なんだあ。少なくともみんな普通の人間なんだあ。そいづが、いざつう間際さ、いぎなり悪人さ変るんんだがらら恐ろしいのや。んだがらら油断がでぎねんだあ」
 先生のかだる事は、こごで切れる様子もなかったっちゃや。おれはまてんばだこでなんかいおうとしたっちゃや。すると後の方で犬っこがいぎなり吠え出したっちゃや。先生もおれたががまげてうすろを振り返ったっちゃや。
 縁台のよごから後部さ掛けて植えつけてある杉苗のそばさ、熊笹が三坪ほど地を隠すようさ茂って生えてだおん。犬っこはその顔と背を熊笹の上さ現わして、盛んさ吠え立てたっちゃや。そごさ十ぐらいのおぼごが馳けて来て犬っこを叱しかりつけたっちゃや。おぼごは徽章の着いた黒い帽子を被ったまま先生の前さ廻まわって礼をしたっちゃや。
「叔父つぁん、はいって来る時、家さ誰だれもいなかったかい」と聞いたっちゃや。
「誰もいなかったよ」
「姉つぁんやおっかつぁんが勝手の方さいたのさ」
「そうか、いたのかい」
「ああ。叔父つぁん、今日って、断ってはいって来ると好よかったのさ」
 先生は苦笑したっちゃや。懐中から蟇くずを出して、五銭の白銅をおぼごの手さ握らせたっちゃや。
「おっかつぁんさそういっとくれ。わんつかこごで休ましてけらいって」
 おぼごは怜悧そうな眼さ笑いを漲らして、首肯いて見せたっちゃや。
「今斥候長さなってるとごなんだっちゃ」
 おぼごはこう断って、躑躅の間を下の方さ駈け下りて行ったっちゃや。犬っこもけっつ尾しっぽを高く巻いておぼごの後を追い掛けたっちゃや。しばらくすると同じくらいの年格好のおぼごが二、三人、こいずも斥候長の下りて行った方さ駈けていったっちゃや。

二十九

 先生の談話は、この犬っことおぼごのためさ、結末まで進行する事ができなくなったがら、おれはついさその要領を得ないでしまったっちゃや。先生の気さする財産云々の掛念はその時のおれさは全くなかったっちゃや。おれの性質として、またおれの境遇からいって、その時のおれさは、ほだな利害の念さあだまを悩ます余地がなかったがらあっちゃ。考えるとこいずはおれがまだ世間さ出ないためでもあり、また実際その場さ臨まないためでもあったろうが、とさかく若いおれさはなんでかしゃねげっとも金の問題が遠くの方さ見えたっちゃや。
 先生の話のうちでただ一つ底まで聞きたかったのは、人間がいざつう間際さ、誰でも悪人さなるつう言葉の意味であったっちゃや。単なる言葉としては、こいずだけでもおれさ解わがんねえ事はなかったっちゃや。だげっとおれはこの句さついてもっと知りたかったっちゃや。
 犬っことおぼごが去ったあと、広い若葉の園はもいっかいもとの静かささ帰ったっちゃや。そうして我々は沈黙さとざされた人のようさしばらく動かねでいたっちゃや。うるわしい空の色がその時次第さ光を失って来たっちゃや。眼の前さある樹きは大概楓であったが、その枝さ滴したたるようさ吹いた軽い緑の若葉が、段々暗くなって行くようさ思われたっちゃや。遠い往来を荷車を引いて行く響きがごろごろと聞こえたっちゃや。おれはそいづを村の男が植木がんかを載せて縁日さでも出掛けるがなと想像したっちゃや。先生はその音を聞くと、いぎなり瞑想から呼息を吹き返した人のようさ立ち上がったっちゃや。
「もう、そろそろ帰りましょうべや。大分日が永くなったようんだがら、やっぱりこう安閑としてっとうちさは、いつの間さか暮れて行くんだっちゃ」
 先生のせながさは、さっき縁台の上さ仰向きさ寝た痕がぎっつり着いてだおん。おれは両手でそいづを払い落したっちゃや。
「ありがとうべや。脂がこびり着いてやしねか」
「綺麗さおづたおん」
「この羽織はつい此間こないだ拵えたばりなんだっちゃ。んだがららむやみさ汚して帰ると、ががさ叱しかられるからね。有難う」
 二人はまただらだら坂の中途さある家の前さ来たっちゃや。はいる時さは誰もいる気色の見えなかった縁えんさ、お上かみつぁんが、十五、六の娘を相手さ、糸巻さ糸を巻きつけてだおん。二人は大きな金さがなっこ鉢のよごから、「あいや元気がいお邪魔をしたっけよ」と挨拶したっちゃや。お上つぁんは「いいえお構い申しも致しねで」と礼を返した後、さっきおぼごさやった白銅の礼を述べたっちゃや。
 門くずかどぐちを出て二、三町ちょう来た時、おれはついさ先生さ向かってくずを切ったっちゃや。
「さきほど先生のいわれた、人間は誰でもいざつう間際さ悪人さなるんだつう意味だない。あいづはどうかだる意味んだがらい」
「意味といって、深い意味もありね。――いやんべさかだるどよ事実なんだおん。理屈だべやないんだ」
「事実で差支えありねが、おれの伺いたいのは、いざつう間際つう意味なんだあ。一体どんな場合を指すのんだがらい」
 先生は笑い出したっちゃや。あたかも時機の過ぎた今、もう熱心さ説明する張合いがないといった風ふうさ。
「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人さなるのさ」
 おれさは先生の返事があまりさ平凡過ぎて詰らなかったっちゃや。先生が調子さ乗らねおんごとく、おれも拍子抜けの気味であったっちゃや。おれは澄ましてちゃっちゃど歩き出したっちゃや。いきおい先生はわんつか遅れがちさなったっちゃや。先生はあとから「おいおい」と声を掛けたっちゃや。
「そら見たまえ」
「何をんだがらい」
「君の気分だって、おれの返事一つだあぐ変るだべやないか」
 待ち合わせるためさ振り向いて立ち留ったおれの顔を見て、先生はこういったっちゃや。

三十

 その時のおれは腹の中で先生を憎らしく思ったっちゃや。かだを並べて歩き出してからも、おれの聞きたい事をわざと聞かねでいたっちゃや。だげっと先生の方では、そいづさ気がついてだのか、いねのか、まるでおれの態度さ拘泥る様子を見せなかったっちゃや。いづがな通り沈黙がちさおづつき払った歩調をすまして運んで行くので、おれはわんつか業腹さなったっちゃや。何とかいって一つ先生をやっつけてみたくなって来たっちゃや。
「先生」
「何んだがらい」
「先生はさっきわんつか昂奮なさいだっちゃ。あの植木屋の庭で休んでいる時さ。おれは先生の昂奮したのを滅多さ見た事がないんだげんちょも、今日は珍しいとごを拝見したような気がします」
 先生はすぐ返事をしなかったっちゃや。おれはそいづを手応えのあったようさも思ったっちゃや。また的まとが外はずれたようさも感じたっちゃや。仕方がないから後はいわね事さしたっちゃや。すると先生がいぎなり道の端(はす)っこさ寄って行ったっちゃや。そうして綺麗さ刈り込んだ生垣の下で、裾をまくって小便をしたっちゃや。おれは先生が用を足す間ぼんやりそごさ立ってだおん。
「やあ失敬」
 先生はこういってまた歩き出したっちゃや。おれはとうとう先生をやり込める事を断念したっちゃや。おれたちの通る道は段々賑さぎやかさなったっちゃや。今までちらほらと見えた広い畠の斜面や平地が、全く眼さ入らねおんようさ左右の家並が揃ってきたっちゃや。そいづでも所々宅地の隅なんかさ、豌豆えんどうの蔓を竹さたごませたり、金網で鶏を囲い飼いさしたりするのが閑静さ眺められたっちゃや。市中から帰る駄馬が仕切りなく擦すれ違って行ったっちゃや。こっんだがらなさ始終気を取れがちなおれは、さっきまでふとごろの中さあった問題をどっかさ振り落してしまったっちゃや。先生がずいらそごさ後戻りをした時、おれは実際そいづを忘れてだおん。
「おれはさっきほだなさ昂奮したようさ見えたんんだがらい」
「ほだなさつうほどでもありねが、わんつか……」
「やん見えても構わね。実際昂奮するんんだがらら。おれは財産の事をかだるときっと昂奮するんだあ。君さはどう見えるかしゃねが、おれはこいずで大変執念深い男なんんだがらら。人から受けた屈辱や損害は、十年たっても二十年たっても忘れやしねんんだがらら」
 先生の言葉は元よりもなお昂奮してだおん。だげっとおれの驚いたのは、決してその調子ではなかったっちゃや。むしろ先生の言葉がおれの耳さ訴える意味そのがなであったっちゃや。先生のくずからこっだ自白を聞くのは、いがおれさも全くの意外さ相違なかったっちゃや。おれは先生の性質の特色として、こっだ執着力をいまだかつて想像した事さえなかったっちゃや。おれは先生をもっと弱い人と信じてだおん。そうしてその弱くて高い処とごさ、おれの懐かしみの根を置いてだおん。一時の気分で先生さわんつか盾たてを突いてみようとしたおれは、この言葉の前さ小さくなったっちゃや。先生はこういったっちゃや。
「おれは他人さ欺れたのや。しかも血のつづいた親戚のがなから欺かれたのや。おれは決してそいづを忘れねおんのや。おれの父の前さは善人であったらしいあいずらは、父の死ぬや否いなや許しがたい不徳義漢さ変ったのや。おれはあいずらから受けた屈辱と損害をおぼごの時から今日まで背負わされていっちゃ。恐らく死ぬまで背負わされ通しだべん。おれは死ぬまでそいづを忘れる事がでぎねんんだがらら。だげっとおれはまだ復讐をしねでいっちゃ。考えるとおれは個人さ対する復讐以上の事を現さやっているんだおん。おれはあいずらを憎むばりだべやない、あいずらが代表してっと人間つうがなを、一般さ憎む事を覚えたのだおん。おれはそいづで沢山だと思う」
 おれは慰藉の言葉さえくずさ出せなかったっちゃや。

三十一

 その日の会話たがぐいさこいずきりで先さ進まなかったっちゃや。おれはむしろ先生の態度さ畏縮して、先さ進む気が起らなかったがらあっちゃ。
 二人は市の外れから電車さ乗ったが、車内ではほとんどくずを聞がかったっちゃや。電車を降りると間もなく別れなければならなかったっちゃや。別れる時の先生は、また変ってだおん。いづもよりは晴やが調子で、「こいずから六月までは一番気楽な時だない。ことさよると生涯で一番気楽かも知れねおん。精出して遊びたまえ」といったっちゃや。おれは笑って帽子をとったっちゃや。その時おれは先生の顔を見て、先生ははたして心のどごで、一般の人間を憎んでいるのだっちゃうかと疑ったっちゃや。その眼、そのくず、どごさも厭世的の影は射さしていなかったっちゃや。
 おれは思想上の問題さついて、大いなる利益を先生から受けた事を自白すっちゃ。だげっと同じ問題さついて、利益を受けようとしても、受けられねおん事が間々あったといわなければなんね。先生の談話は時として不得要領さ終ったっちゃや。その日二人の間さ起った郊外の談話も、この不得要領の一例としておれのふとごろの裏うちさ残ったっちゃや。
 無遠慮なおれは、ある時ついさそいづを先生の前さ打ち明けたっちゃや。先生は笑ってだおん。おれはこういったっちゃや。
「あだまが鈍くて要領を得ないのは構いねが、ちゃんと解ってるくせさ、はっきりいってくれねおんのは困るっちゃ」
「おれは何さも隠してやしね」
「隠していらっしゃいっちゃ」
「あんだはおれの思想とか意見とかかだるがなと、おれの過去とを、ごちゃごちゃさ考えているんだべやありねか。おれは貧弱な思想家だあけれども、おれのあだまで纏め上げた考えをむやみさ人さ隠しやしね。隠す必要がないんんだがらら。けれどもおれの過去を悉くあんだの前さ物語らなくてはなんねとなると、そいづはまた別問題さなるっちゃ」
「別問題とは思われね。先生の過去が生み出した思想んだがらら、おれは重きを置くのや。二つのがなを切り離したら、おれさはほとんど価値のないがなさなるっちゃ。おれは魂の吹き込まれていね人形を与えられただけで、満足はでぎねのや」
 先生はあきれたといった風ふうさ、おれの顔を見たっちゃや。巻烟草をたがいでだその手がわんつか顫ふるえたっちゃや。
「あんだは大胆だ」
「ただ真面目なんだあ。真面目さ人生から教訓を受けたいのや」
「おれの過去を暴いてもんだがらい」
 暴くつう言葉が、ずいら恐ろしい響ひびきをたがいで、おれの耳を打ったっちゃや。おれは今おれの前さ坐すわっているのが、一人の罪人ざいさんであって、不断から尊敬してっと先生でないような気がしたっちゃや。先生の顔は蒼かったっちゃや。
「あんだはほんまさ真面目なさっしゃ」と先生が念を押したっちゃや。「おれは過去の因果で、人を疑ぐりつけていっちゃ。んだがらら実はあんだも疑っていっちゃ。だげっとあいや元気がいあんだだけは疑りたくない。あんだは疑るさはあまりさ単純すぎるようだおん。おれは死ぬ前さたった一人で好いから、他人を信用して死さたいと思っていっちゃ。あんだはそのたった一人さなれますかい。なってくれますかい。あんだは腹らの底から真面目んだがらい」
「もしおれの命が真面目ながななら、おれの今いった事も真面目だあ」
 おれの声は顫えたっちゃや。
「よろしい」と先生がいったっちゃや。「かだるっぺし。おれの過去を残らず、あんださかだって上げましょうべや。その代り……。やんそいづは構わね。だげっとおれの過去はあんださ取ってそいづほど有益でないかも知れねよ。聞がい方が増ましかも知れねよ。んんだがらら、――今はかだれねおんんんだがらら、そのつもりでいてけらい。やんべの時機が来なくっちゃかだらねおんんんだがらら」
 おれは下宿さ帰ってからも一種の圧迫を感じたっちゃや。

 
三十二

 おれの論文はおれが評価してだほどさ、教授の眼さはよく見えなかったらしい。そいづでもおれは予定通り及第したっちゃや。卒業式の日、おれは黴臭くなった古い冬ふぐを行李の中から出して着たっちゃや。式場さならぶと、どいづもこいずもみな暑そうな顔ばりであったっちゃや。おれは風の通らねおん厚羅紗の下さ密封されたおれの身体をひしゃたおん。しばらく立っているうちさ手さ持ったハンケチがぐしょぐしょさなったっちゃや。
 おれは式が済むとすぐ帰って裸体さなったっちゃや。下宿の二階の窓をあけて、遠眼鏡のようさぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡したっちゃや。んんだがららその卒業証書をつぐえの上さ放り出したっちゃや。そうして大の字なりさなって、部屋の真中さ寝そべったっちゃや。おれは寝ながらおれの過去を顧みたっちゃや。またおれの未来を想像したっちゃや。するとその間さ立って一区切りをつけているこの卒業証書なるがなが、意味のあるような、また意味のないような変な紙さ思われたっちゃや。
 おれはその晩先生の家さ御馳走さ招かれて行ったっちゃや。こいずはもし卒業したらその日の晩餐はよそで喰くわねで、先生の食卓で済ますつう前からの約束であったっちゃや。
 食卓は約束通り座敷の縁近くさ据えられてあったっちゃや。模様の織り出された厚い糊の硬い卓布が美しくかつ清らかさ電燈の光を射返えしてだおん。先生のうちで飯を食うと、きっとこの西洋料理店さ見るような白いリンネルの上さ、箸(はす)や茶碗が置かれたっちゃや。そうしてそいづが必ず洗濯したての真白まっしろながなさ限られてだおん。
「カラやカフスと同じ事さ。汚れたのを用いるくらいなら、一層いっそ始はじめから色の着いたがなを使うが好いい。白ければ純白でなくっちゃ」
 こういわれてみると、なるほど先生は潔癖であったっちゃや。書斎なんかも実さ整然と片付いてだおん。無頓着なおれさは、先生のそうかだる特色が折々著しく眼さ留まったっちゃや。
「先生は癇性だない」とかつて奥つぁんさ告げた時、奥つぁんは「でも着物なんかは、そいづほど気さしねようだおん」と答えた事があったっちゃや。そいづをそばそばさ聞いてだ先生は、「ほんまをかだると、おれは精神的さ癇性なんだあ。そいづで始終苦しいんだあ。考えると実さ馬鹿馬鹿ばかばかしい性分だ」といって笑ったっちゃや。精神的さ癇性つう意味は、俗さかだる神経質つう意味か、または倫理的さ潔癖だつう意味か、おれさは解わからなかったっちゃや。奥つぁんさも能よく通じないらしかったっちゃや。
 その晩おれは先生と向い合せさ、例の白い卓布の前さ坐ったっちゃや。奥つぁんは二人を左右さ置いて、独り庭の方を正面さして席を占めたっちゃや。
「お目出とう」といって、先生がおれのためさ杯を上げてくれたっちゃや。おれはこの盃さ対してそいづほど嬉しい気を起さなかったっちゃや。無論おれ自身の心がこの言葉さ反響するようさ、飛び立つ嬉しさをたがいでいなかったのが、一つの原因であったっちゃや。けれども先生のいい方も決しておれの嬉しさをそそる浮々した調子を帯びていなかったっちゃや。先生は笑って杯を上げたっちゃや。おれはその笑いのうちさ、ちっとも意地の悪いアイロニーを認めなかったっちゃや。同時さ目出たいつう心情も汲み取る事ができなかったっちゃや。先生の笑いは、「世間はこっだ場合さよくお目出とうといいたがるがなだない」とおれさ物語ってだおん。
 奥つぁんはおれさ「結構ね。なんぼかおどっつぁんやおががつぁんはお喜びだべん」といってくれたっちゃや。おれはずいら病気の父の事を考えたっちゃや。早くあの卒業証書をたがいで行って見せてやっぺしと思ったっちゃや。
「先生の卒業証書はどうしたっけよ」とおれが聞いたっちゃや。
「どうしたかね。――まだどっかさしまってあったかね」と先生が奥つぁんさ聞いたっちゃや。
「ええ、ただげっとまってあるはずだげんちょも」
 卒業証書の在処は二人ともよく知らなかったっちゃや。

三十三

 飯さなった時、奥つぁんはそばさ坐っている下女を次さ立たせて、おれで給仕の役をつとめたっちゃや。こいずが表立たない客さ対する先生の家の仕来りらしかったっちゃや。始めの一、二回はおれも窮屈を感じたが、度数の重なるさつけ、茶碗を奥つぁんの前さ出すのが、何でもなくなったっちゃや。
「お茶っこ? ままはん? ずいぶんよく食べるのね」
 奥つぁんの方でも思い切って遠慮のない事をかだることがあったっちゃや。だげっとその日は、時候が時候なのや。んんだがらら、ほだなさ調戯われるほど食欲が進まなかったっちゃや。
「もうおしまい。あんだ近頃大変小食さなったのね」
「小食さなったんだべやありね。暑いんで食われねおんんだあ」
 奥つぁんは下女を呼んで食卓を片つけさせた後さ、改めてアイスクリームと水菓子を運ばせたっちゃや。
「こいずは宅で拵えたのよ」
 用のない奥つぁんさは、手製のアイスクリームを客さ振舞うだけの余裕があると見えたっちゃや。おれはそいづを二杯更えてもらったっちゃや。
「君もいよいよ卒業したが、こいずから何をする気んだがらい」と先生が聞いたっちゃや。先生は半分縁側の方さ席をずらして、敷居際でせながを障子さ靠たががせてだおん。
 おれさはただ卒業したつう自覚があるだけで、こいずから何をすっぺつう目的もなかったっちゃや。返事さためらっているおれを見た時、奥つぁんは「教師?」と聞いたっちゃや。そいづさも答えねでいると、今度は、「だべやお役人?」とまた聞かれたっちゃや。おれも先生も笑い出したっちゃや。
「ほんまかだると、まだ何をする考えもないんだあ。実は職業つうがなさついて、全く考えた事がななんぼいなさっしゃら。第一どいづが善いか、どいづが悪いか、おれがやって見た上でないと解らねおんんんだがらら、選択さ困る訳だと思うんだっちゃの」
「そいづもそうね。けれどもあんだは必竟財産があるからほだな呑気な事をいっていられるのよ。こいずが困る人でご覧なさい。ながかあんだのようさおづついちゃいられねおんから」
 おれの友達さは卒業しね前から、中学教師のくずを探してっと人があったっちゃや。おれは腹の中で奥つぁんのかだる事実を認めたっちゃや。だげっとこういったっちゃや。
「わんつか先生さかぶれたんだべん」
「碌なかぶれ方をして下さらねおんのね」
 先生は苦笑したっちゃや。
「かぶれても構わねから、その代りこの間いった通り、おどっつぁんの生きてるうちさ、相当の財産を分けてもらってお置きなさい。そいづでないと決して油断はなんね」
 おれは先生といっしょさ、郊外の植木屋の広い庭の奥で話した、あの躑躅の咲いている五月の初めを思い出したっちゃや。あの時帰り途さ、先生が昂奮した語気で、おれさ物語った強い言葉を、もいっかい耳の底で繰り返したっちゃや。そいづは強いばりでなく、むしろらづもね言葉であったっちゃや。けれども事実をしゃねおれさは同時さ徹底しね言葉でもあったっちゃや。
「奥つぁん、お宅の財産はよッぽどあるんんだがらい」
「何だってほだな事をお聞きさなるの」
「先生さ聞いても教えて下さらねおんから」
 奥つぁんは笑いながら先生の顔を見たっちゃや。
「教えて上げるほどないからだべん」
「でもどのくらいあったら先生のようさしていられるか、宅さ帰って一つ父さ談判する時の参考さすっぺがら聞かしてけらい」
 先生は庭の方を向いて、澄まして烟草を吹かしてだおん。相手は自然奥つぁんでなければならなかったっちゃや。
「どのくらいってほどありゃしねわ。まあこうしてどうかこうか暮してゆかれるだけよ、あんだおん。――そりゃどうでも宜いいとして、あんだはこいずからなんか為なさらなくっちゃほんまさいけねよ。先生のようさごろごろばりしていちゃ……」
「ごろごろばりしてやんしねさ」
 先生はわんつか顔だけ向け直して、奥つぁんの言葉を否定したっちゃや。

三十四

 おれはその夜十時過ぎさ先生の家を辞したっちゃや。二、三日うちさ帰国するはねでなってんだがらら、座を立つ前さおれはわんつか暇乞いの言葉を述べたっちゃや。
「また当分お目さかかれねから」
「九月さは出ていらっしゃるんだべんね」
 おれはもう卒業したのんだがらら、必ず九月さ出て来る必要もなかったっちゃや。だげっと暑い盛りの八月を東京まで来て送ろうとも考えていなかったっちゃや。おれさは位置を求めるための貴重な時間つうがながなかったっちゃや。
「まあ九月頃さなるだべん」
「だべやずいぶんご機やんようべや。おれたちもこの夏はことさよるとどっかさ行くかも知れねおんのよ。ずいぶん暑んんだがらら。行ったらまた絵葉書でも送って上げましょう」
「どちらの見当だあ。もしいらっしゃるとすっぺ、すっとよ」
 先生はこの問答をさやさや笑って聞いてだおん。
「何まだ行くとも行がいとも決めてやんしねんだあ」
 席を立とうとした時、先生はいぎなりおれをつらまえて、「時さおどっつぁんの病気はどうなんだあ」と聞いたっちゃや。おれは父の健康さついてほとんど知るとごろがなかったっちゃや。何ともいって来ない以上、悪くはないのだっちゃうくらいさ考えてだおん。
「ほだなさ容易く考えられる病気だべやありねよ。尿毒症が出ると、もう駄目なんんだがらら」
 尿毒症つう言葉も意味もおれさは解らなかったっちゃや。この前の冬休みさ国で医者と会見した時さ、おれはほだな術語をまるで聞がかったっちゃや。
「ほんまさまでさしてお上げなさいよ」と奥つぁんもいったっちゃや。「毒が脳さ廻るようさなると、もうそいづっきりよ、あんだおん。笑い事だべやないわ」
 無経験なおれは気味を悪がりながらも、さやさやしてだおん。
「どうせ助からねおん病気だそんだがらすから、なんぼ心配したって仕方がありね」
「そう思い切りよく考えれば、そいづまでだあけれども」
 奥つぁんは昔同じ病気で死んだつうおれのおががつぁんの事でも憶い出したのか、沈んだ調子でこういったなり下を向いたっちゃや。おれも父の運命がほんまさ気の毒さなったっちゃや。
 すると先生がずいら奥つぁんの方を向いたっちゃや。
「静、お前はおれより先さ死ぬだっちゃうかね」
「なんで」
「なんででもない、ただ聞いてみるのさ。そいづとも己の方がお前より前さ片つくが。たいてい世間だべや旦那が先で、細君が後さ残るのが当り前のようさなってるね」
「そう極きまった訳でもないわ。けれども男の方はなしても、そら年が上だべん」
「んだがらら先さ死ぬつう理屈なのかね。すると己もお前より先さあの世さ行がくっちゃなんね事さなるね」
「あんだは特別よ」
「そうかね」
「だって丈夫なんだあがな。ほとんど煩わずらった例ためしがないだべやありねか。そりゃどうしたっておれの方が先だわ」
「先が」
「え、きっと先よ」
 先生はおれの顔を見たっちゃや。おれは笑ったっちゃや。
「だげっともしおれの方が先さ行くとするね。そうしたらお前なじょする」
「なじょするって……」
 奥つぁんはんでよくず籠ったっちゃや。先生の死さ対する想像的な悲哀が、わんつか奥つぁんのふとごろを襲ったらしかったっちゃや。けれどももいっかい顔をけだ時は、もう気分を更かえてだおん。
「なじょするって、仕方がないわ、ねえあんだおん。老少不定ってかだるくらいんだがらら」
 奥つぁんはことさらさおれの方を見て笑談らしくこういったっちゃや。

三十五

 おれは立て掛けたこすをまたおろして、話の区切りのつくまで二人の相手さなってだおん。
「君はどう思うんだっちゃの」と先生が聞いたっちゃや。
 先生が先さ死ぬか、奥つぁんが早く亡くなるか、もとよりおれさ判断のつくべき問題ではなかったっちゃや。おれはただ笑ってだおん。
「寿命は分りねね。おれさも」
「こいずばりはほんまさ寿命んだがらいらね。生れた時さちゃんと極った年数をもらって来るんんだがらら仕方がないわ。先生のおどっつぁんやおががつぁんなんか、ほとんど同じよ、あんだ、亡くなったのが」
「亡くなられた日がんだがらい」
「まさか日まで同じだべやないけれども。でもまあ同じよ。だって続いて亡くなっちまったんだあがな」
 この知識はおれさとって新しいがなであったっちゃや。おれは不思議さ思ったっちゃや。
「なしてそういっかいさ死なれたんんだがらい」
 奥つぁんはおれの問いさ答えようとしたっちゃや。先生はそいづを遮ったっちゃや。
「ほだな話はお止しよ。つまらねおんから」
 先生は手さ持った団扇をわざとばたばたいわせたっちゃや。そうしてまた奥つぁんを顧みたっちゃや。
「静、おれが死んだらこの家をお前さやっぺし」
 奥つぁんは笑い出したっちゃや。
「ついでさ地面もけらいよ」
「地面は他人のがなんだがらら仕方がない。その代りおれのたがいでるがなは皆なお前さやるよ」
「あいや元気がい有難うべや。けれどもよご文字の本なんか貰っても仕様がないわね」
「古本屋さ売るさ」
「売ればなんぼぐらいさなって」
 先生はなんぼともいわなかったっちゃや。けれども先生の話は、容易さおれの死つう遠い問題を離れなかったっちゃや。そうしてその死は必ず奥つぁんの前さ起るがなと仮定されてだおん。奥つぁんも最初のうちは、わざとたわいのない受け答えをしてっとらしく見えたっちゃや。そいづがいつの間さか、感傷的な女の心を重苦しくしたっちゃや。
「おれが死んだら、おれが死んだらって、まあ何遍おっしゃるの。後生んだがららもう好い加減さして、おれが死んだらは止して頂戴。縁起でもない。あんんだがら死んだら、何でもあんだの思い通りさして上げるから、そいづで好いだべやありねか」
 先生は庭の方を向いて笑ったっちゃや。だげっとそいづぎり奥つぁんの厭がる事をいわなくなったっちゃや。おれもあまり長くなるので、すぐ席を立ったっちゃや。先生と奥つぁんは玄関まで送って出たっちゃや。
「ご病人をお大事だいじさ」と奥つぁんがいったっちゃや。
「また九月さ」と先生がいったっちゃや。
 おれは挨拶をして格子の外さ足を踏み出したっちゃや。玄関と門の間さあるこんもりした木犀の一株が、おれの行手を塞ぐようさ、夜陰のうちさ枝を張ってだおん。おれは二、三歩動き出しながら、黒ずんだ葉さ被われているその梢を見て、来たるべき秋の花と香を想い浮べたっちゃや。おれは先生の宅とこの木犀とを、以前から心のうちで、離す事のでぎねがなのようさ、いっしょさ記憶してだおん。おれが偶然その樹の前さ立って、もいっかいこの宅の玄関を跨ぐべき次の秋さ思いを馳せた時、今まで格子の間から射してだ玄関の電燈がふっと消えたっちゃや。先生夫婦はそいづぎり奥さはいったらしかったっちゃや。おれは一人暗い表さ出たっちゃや。
 おれはすぐ下宿さは戻らなかったっちゃや。国さ帰る前さ調える買物もあったべし、ご馳走を詰めた胃袋さくつろぎを与える必要もあったがら、ただ賑やが町の方さ歩いて行ったっちゃや。町はまだ宵のくずであったっちゃや。用事もなさそうな男女がぞろぞろ動く中さ、おれは今日おれといっしょさ卒業したなさがしさ会ったっちゃや。あいずはおれを無理やりさあるさげ場バーさ連れ込んだおん。おれはんでよ麦さげの泡のようなあいずの気えんを聞かされたっちゃや。おれの下宿さ帰ったのは十二時過ぎであったっちゃや。

三十六

 おれはその翌日も暑さを冒して、頼まれがなを買い集めて歩いたっちゃや。手紙で注文を受けた時は何でもないようさ考えてだのが、いざとなると大変臆劫さ感ぜられたっちゃや。おれは電車の中で汗を拭きながら、他人の時間と手数さ気の毒つう観念をまるでたがいでいね田舎者を憎らしく思ったっちゃや。
 おれはこの一夏を無為さ過ごす気はなかったっちゃや。国さ帰ってからの日程つうようながなをあらかじめ作っておいたがら、そいづを履行するさ必要な書物も手さ入れなければならなかったっちゃや。おれは半日を丸善の二階で潰す覚悟でいたっちゃや。おれはおれさ関係の深い部門の書籍棚の前さ立って、隅から隅まで一冊ずつ点検して行ったっちゃや。
 買物のうちで一番おれを困らせたのは女の半襟であったっちゃや。小僧さかだると、なんぼでも出してはくれるが、さてどいづを選んでいいのか、買う段さなっては、ただ迷うだけであったっちゃや。その上価が極きわめて不定であったっちゃや。安かろうと思って聞くと、非常さ高かったり、高かろうと考えて、聞かねでいると、かえって大変安かったりしたっちゃや。そだっちゃがったらなんぼ比べて見ても、どっから価格の差違が出るのか見当のつがいのもあったっちゃや。おれは全く弱らせられたっちゃや。そうして心のうちで、なんで先生の奥つぁんを煩さなかったかを悔いたっちゃや。
 おれは鞄を買ったっちゃや。無論和製の下等な品さ過ぎなかったが、そいづでも金具やなんかがぴかぴかしてっとので、田舎がなを威嚇すさは充分であったっちゃや。この鞄を買うつう事は、おれのががの注文であったっちゃや。卒業したら新しい鞄を買って、そのなかさ一切の土産物を入れて帰るようさと、わざわざ手紙の中さ書いてあったっちゃや。おれはその文句を読んだ時さ笑い出したっちゃや。おれさはががの料簡が解らねおんつうよりも、その言葉が一種の滑稽として訴えたがらあっちゃ。
 おれは暇乞いをする時先生夫婦さ述べた通り、んんだがらら三日目の汽車で東京を立って国さ帰ったっちゃや。この冬以来父の病気さついて先生から色々の注意を受けたおれは、一番心配しねげどなんね地位さありながら、どうかだるがなか、そいづが大して苦さならなかったっちゃや。おれはむしろ父がいなくなったあとのががを想像して気の毒さ思ったっちゃや。そのくらいんだがららおれは心のどっかで、父はすでさ亡くなるべきがなと覚悟してださ違いなかったっちゃや。九州さいるあんつぁんさやった手紙のなかさも、おれは父の到底うんとっけ故もとのような健康体さなる見込みのない事を述べたっちゃや。いっかいなんかは職務の都合もあろうが、できるなら繰り合せてこの夏ぐらいいっかい顔だけでも見さ帰ったらどうだとまで書いたっちゃや。その上年寄が二人きりで田舎さいるのは定さだめて心細いだっちゃう、我々も子として遺憾の至りであるつうような感傷的な文句さえ使ったっちゃや。おれは実際心さ浮ぶままを書いたっちゃや。けれども書いたあとの気分は書いた時とは違ってだおん。
 おれはそうした矛盾を汽車の中で考えたっちゃや。考えているうちさおれがおれさ気の変りやすいほでなすがなのようさ思われて来たっちゃや。おれは不愉快さなったっちゃや。おれはまた先生夫婦の事を想おもい浮べたっちゃや。ことさ二、三日前晩食さ呼ばれた時の会話を憶い出したっちゃや。
「どっちが先さ死ぬだっちゃう」
 おれはその晩先生と奥つぁんの間さ起った疑問をひとりくずの内で繰り返してみたっちゃや。そうしてこの疑問さは誰も自信をたがいで答える事がでぎねのだと思ったっちゃや。だげっとどっちが先さ死ぬと判然はっきり分ってだだらば、先生はなじょするだっちゃうべや。奥つぁんはなじょするだっちゃうべや。先生も奥つぁんも、今のような態度でいるより外ほかさ仕方がないだっちゃうと思ったっちゃや。(死さ近づきつつある父を国元さ控えながら、このおれがなじょする事もでぎねようさ)。おれは人間を果敢はがいがなさ観じたっちゃや。人間のなじょする事もでぎねたがいで生れたほでなすを、果敢ないがなさ観じたっちゃや。

中 両親とおれ


 宅さ帰って案外さ思ったのは、父の元気がこの前見た時と大して変っていね事であったっちゃや。
「ああ帰ったかい。そうか、そいづでも卒業ができてまあ結構だやぁ。わんつかお待ち、今顔を洗って来るから」
 父は庭さ出てなんかしてだとごであったっちゃや。古い麦藁帽のうすろさ、日除けのためさ括りつけた薄汚ないハンケチをひらひらさせながら、井戸のある裏手の方さ廻って行ったっちゃや。
 がっこを卒業するのを普通の人間として当然のようさ考えてだおれは、そいづを予期以上さ喜んでくれる父の前さ恐縮したっちゃや。
「卒業ができてまあ結構だ」
 父はこの言葉を何遍も繰り返したっちゃや。おれは心のうちでこの父の喜びと、卒業式のあった晩先生の家の食卓で、「お目出とう」といわれた時の先生の顔つきとを比較したっちゃや。おれさはくずで祝ってくれながら、腹の底でけなしてっと先生の方が、そいづほどさもないがなを珍しそうさ嬉うれしがる父よりも、かえって高尚さ見えたっちゃや。おれはしまいさ父の無知から出る田舎臭いとごさ不快を感じ出したっちゃや。
「大学ぐらい卒業したって、そいづほど結構でもありね。卒業するがなは毎年何百人だってあるっちゃ」
 おれはついさこっだくずの利ようをしたっちゃや。すると父が変な顔をしたっちゃや。
「何も卒業したから結構とばりかだるんだべやない。そりゃ卒業は結構さ違いねが、おれのかだるのはもうわんつか意味があるんだおん。そいづがお前さ解かっていてくれさえすれば、……」
 おれは父からその後を聞こうとしたっちゃや。父は話したくなさそうであったが、とうとうこういったっちゃや。
「いやんべさかだるどよ、おれが結構つう事さなるのさ。おれはお前の知ってる通りの病気だっちゃうべや。去年の冬お前さ会った時、ことさよるともう三月か四月ぐらいながなだっちゃうと思ってだのさ。そいづがどうかだる仕合せか、今日までこうしてっと。起居さ不自由なくこうしてっと。そごさお前が卒業してくれたっちゃや。んだがらら嬉しいのさ。せっかく丹精したやろっこが、おれのいなくなった後で卒業してくれるよりも、丈夫なうちさがっこを出てくれる方が親の身さなれば嬉しいだっちゃうだべやないか。大きな考えをたがいでいるお前から見たら、たかが大学を卒業したぐらいで、結構だ結構だといわれるのは余り面白くもないだっちゃうべや。だげっとおれの方から見てご覧、立場がわんつか違っているよ。いやんべさかだるどよ卒業はお前さ取ってより、このおれさ取って結構なんだおん。解ったかい」
 おれは一言もなかったっちゃや。詫まる以上さ恐縮して俯向いてだおん。父は平気なうちさおれの死を覚悟してんだがらなとみえっちゃ。しかもおれの卒業する前さ死ぬだっちゃうと思い定めてだとみえっちゃ。その卒業が父の心さどのくらい響くかも考えねでいたおれは全く愚かがなであったっちゃや。おれは鞄かばんの中から卒業証書を取り出して、そいづを大事そうさ父とががさ見せたっちゃや。証書はなんかさ圧おし潰ぶされて、元の形を失ってだおん。父はそいづを鄭寧さ伸したっちゃや。
「こっんだがらなは巻いたなり手さたがいで来るがなだ」
「中さ心でも入れると好よかったのさ」とががもかたわらから注意したっちゃや。
 父はしばらくそいづを眺めた後あと、起って床の間の所さ行って、誰のまなぐっこさもすぐはいるような正面さ証書を置いたっちゃや。いづがなおれならすぐ何とかかだるはずであったが、その時のおれはまるで平生と違ってだおん。父やががさ対してわんつかも逆らう気が起らなかったっちゃや。おれはだまって父の為なすがままさ任せておいたっちゃや。一旦癖のついたとりっこの子紙の証書は、ながか父の自由さならなかったっちゃや。やんべな位置さ置かれるや否いなや、すぐ己れさ自然な勢いを得て倒れようとしたっちゃや。

 おれはががを蔭さ呼んで父の病状を尋ねたっちゃや。
「おどっつぁんはあんなさ元気そうさ庭さ出たりなんかしてっとが、あいづでいいんんだがらい」
「もう何ともないようだっちゃ。大方好くおなりなんだっちゃう」
 ががは案外平気であったっちゃや。都会から懸け隔たった森や田の中さ住んでいる女の常として、ががはこうかだる事さ掛けてはまるで無知識であったっちゃや。そいづさしてもこの前父が卒倒した時さは、あいづほどたまげて、あんなさ心配したがなを、とおれは心のうちで独り異な感じを抱いだいたっちゃや。
「でも医者はあの時到底うんとっけむずかしいって宣告しただべやありねか」
「んだがらら人間の身体ほど不思議ながなはないと思うんだっちゃ。あいづほどお医者が手重くいったがなが、今までしゃんしゃんしてっとんんだがららね。おががつぁんも始めのうちは心配して、なるべく動かさないようさと思ってたんんだがらね。そいづ、あの気性だっちゃうべや。養生はしなさるけれども、強情だっちゃえ。おれが好いと思い込んだら、ながかおれのかだる事なんか、聞きそうさもなさらねおんんんだがららね」
 おれはこの前帰った時、無理さ床を上げさして、髭を剃った父の様子と態度とを思い出したっちゃや。「もう大丈夫、おががつぁんがあんまり仰山過ぎるからわがんないんだ」といったその時の言葉を考えてみると、満更ががばり責める気さもなれなかったっちゃや。「だげっとそばでもわんつかは注意しなくっちゃ」といおうとしたおれは、とうとう遠慮して何さもくずさ出さなかったっちゃや。ただ父の病の性質さついて、おれの知る限りを教えるようさかだって聞かせたっちゃや。だげっとその大部分は先生と先生の奥つぁんから得た材料さ過ぎなかったっちゃや。ががは別さ感動した様子も見せなかったっちゃや。ただ「さえ、やっぱり同じ病気だっちゃ。お気の毒だっちゃ。いくつでお亡くなりかえ、その方かたは」なんかと聞いたっちゃや。
 おれは仕方がないから、ががをそのままさしておいて直接父さ向かったっちゃや。父はおれの注意をががよりは真面目さ聞いてくれたっちゃや。「もっともだおん。お前のかだる通りだおん。けれども、己の身体は必竟己の身体で、その己の身体さついての養生法は、多年の経験上、己が一番能く心得ているはずんだがららね」といったっちゃや。そいづを聞いたががは苦笑したっちゃや。「そいづご覧な」といったっちゃや。
「でも、あいづでおどっつぁんはおれでちゃんと覚悟だけはしてっとんだおん。今度おれが卒業して帰ったのを大変喜んでいるのも、全くそのためなんだあ。生きてるうちさ卒業はできまいと思ったのが、達者なうちさ免状をたがいで来たから、そいづが嬉しいんだって、おどっつぁんはおれでそういっていだぜ」
「そりゃ、お前、くずでこそそうおいいだけれどもね。お腹のなかではまだ大丈夫だと思ってお出いでのだっちゃ」
「んだべんか」
「まだまだ十年も二十年も生きる気でおんないんなのだっちゃ。もっとも時々はおれさも心細いような事をおいいんだがらね。おれもこの分だべやもう長い事もあるまいよ、おれが死んだら、お前はなじょする、一人でこの家さいる気がんて」
 おれはいぎなり父がいなくなってがが一人が取り残された時の、古い広い田舎家を想像して見たっちゃや。この家から父一人を引き去った後あとは、そのままで立ち行くだっちゃうか。あんつぁんはなじょするだっちゃうか。ががは何つうだっちゃうか。そう考えるおれはまてんばだこの土を離れて、東京で気楽さ暮らして行けるだっちゃうか。おれはががを眼の前さ置いて、先生の注意――父の丈夫でいるうちさ、分けて貰もらうがなは、分けて貰って置けつう注意を、偶然思い出したっちゃや。
「なさね、おれで死ぬ死ぬってかだる人さ死んだ試しはないんんだがらら安心だっちゃ。おどっつぁんなんぞも、死ぬ死ぬっていいながら、こいずから先まだ何年生きなさるか分るまいよ。そいづよりか黙ってる丈夫の人の方が剣呑さ」
 おれは理屈から出たとも統計から来たとも知れねおん、この陳腐なようなががの言葉を黙然と聞いてだおん。

 おれのためさ赤い飯を炊いて客をするつう相談が父とががの間さ起ったっちゃや。おれは帰った当日から、そだっちゃがったらこっだ事さなるだっちゃうと思って、心のうちで暗さそいづを恐れてだおん。おれはすぐ断わったっちゃや。
「あんまり仰山な事は止してけせ」
 おれは田舎の客がすかねったっちゃや。飲んだり食ったりするのを、うっしょの目的としてやって来るあいずらは、なんか事があいづば好いといった風の人ばり揃ってだおん。おれはおぼごの時からあいずらの席さ侍するのを心苦しく感じてだおん。ましておれのためさあいずらが来るとなると、おれの苦いだはいっそう甚はなはだしいようさ想像されたっちゃや。だげっとおれは父やががの手前、あんな野鄙やひな人を集めておだづのは止せともいいかねたっちゃや。そいづでおれはただあまり仰山んだがららとばり主張したっちゃや。
「仰山仰山とおいいんだがら、些っとも仰山だべやないよ。生涯さ二度とある事だべやないんんだがららね、お客ぐらいするのは当り前だっちゃ。そう遠慮をお為しでない」
 ががはおれが大学を卒業したのを、ちょうど嫁でも貰もらったと同じ程度さ、重く見ているらしかったっちゃや。
「呼ばなくっても好いが、呼ばないとまた何とかかだるから」
 こいずは父の言葉であったっちゃや。父はあいずらの陰くずを気さしてだおん。実際あいずらはこっだ場合さ、おれたちの予期通りさなんねと、すぐ何とかいいたがる人々であったっちゃや。
「東京と違って田舎は蒼蠅いからね」
 父はこうもいったっちゃや。
「おどっつぁんの顔もあるんんだがらら」とがががまたつけ加えたっちゃや。
 おれは我を張る訳さも行がかったっちゃや。どうでも二人の都合の好いようさしたらと思い出したっちゃや。
「いやんべさかだるどよおれのためなら、止してけらいつうだけなんだあ。陰でなんかいわれるのが厭やんんだがららつうご主意なら、そりゃまた別だあ。あんんだがらださ不利益な事をおれが強いて主張したって仕方がありね」
「そう理屈をいわれると困る」
 父は苦い顔をしたっちゃや。
「何もお前のためさするんだべやないとおどっつぁんがおっしゃるんだべやないけれども、お前だって世間さの義理ぐらいは知っているだっちゃう」
 ががはこうなると女だけさしどろもどろな事をいったっちゃや。その代りくず数からかだると、父とおれを二人寄せてもながか敵うどごろではなかったっちゃや。
「学問をさせると人間がとかく理屈っぽくなってわがんない」
 父はただこいずだけしかいわなかったっちゃや。だげっとおれはこの簡単な一句のうちさ、父が平生からおれさ対してたがいでいる不平の全体を見たっちゃや。おれはその時おれの言葉使いの角張ったとごさ気がつかねで、父の不平の方ばりを無理のようさ思ったっちゃや。
 父はその夜また気を更えて、客を呼ぶなら何日さするかとおれの都合を聞いたっちゃや。都合の好いいも悪いもなしさただぶらぶら古い家の中さ寝起してっとおれさ、こっだ問いを掛けるのは、父の方がぼしょれで出たのと同じ事であったっちゃや。おれはこの穏やが父の前さこだわらねおんあだまを下げたっちゃや。おれは父と相談の上招待の日取りを決めたっちゃや。
 その日取りのまだ来なかだるちさ、ある大きな事が起ったっちゃや。そいづは明治天皇のご病気の報知であったっちゃや。すんぶん紙だあぐ日本中さ知れ渡ってんばだの事件は、一軒の田舎家のうちさ多少の曲折を経てやっとご纏ろうとしたおれの卒業祝いを、塵のごとくさ吹き払ったっちゃや。
「まあ、ご遠慮申した方がよかろう」
 眼鏡を掛けてすんぶんを見てだ父はこういったっちゃや。父は黙っておれの病気の事も考えているらしかったっちゃや。おれはついこの間の卒業式さ例年の通り大学さ行幸さなった陛下を憶い出したりしたっちゃや。

 小勢な人数さは広過ぎる古い家がひっそりしてっと中さ、おれは行李を解いて書物を繙き始めたっちゃや。なんでかしゃねげっともおれは気がおづつがかったっちゃや。あの目眩るしい東京の下宿の二階で、遠く走る電車の音を耳さしながら、頁ページを一枚一枚さまくって行く方が、気さ張りがあって心持よく勉強ができたっちゃや。
 おれはややともするとつぐえさたががれて仮寝うたたねをしたっちゃや。時さはわざわざ枕さえ出して本式さ昼寝を貪る事もあったっちゃや。眼が覚めると、蝉の声を聞いたっちゃや。うつつから続いているようなその声は、いぎなり八釜しく耳の底を掻き乱したっちゃや。おれは凝っとそいづを聞きながら、時さ悲しい思いをふとごろさ抱いだいたっちゃや。
 おれは筆を執とって友達のだれかれさ短い端(はす)っこ書または長い手紙を書いたっちゃや。その友達のあるがなは東京さ残ってだおん。あるがなは遠い故郷さ帰ってだおん。返事の来るのも、音信の届がいのもあったっちゃや。おれは固より先生を忘れなかったっちゃや。原稿紙さ細字で三枚ばり国さ帰ってから以後のおれつうようながなを題目さして書き綴ったのを送る事さしたっちゃや。おれはそいづを封じる時、先生ははたしてまだ東京さいるだっちゃうかと疑ったっちゃや。先生が奥つぁんといっしょさ宅を空あける場合さは、五十恰好の切下げの女の人がどっからか来て、留守番をするのが例さなってだおん。おれがかつて先生さあの人は何んだがらいと尋ねたら、先生は何と見えますかいと聞き返したっちゃや。おれはその人を先生の親類と思い違えてだおん。先生は「おれさは親類はありねよ」と答えたっちゃや。先生の郷里さいる続きあいの人々と、先生は一向いっこう音信の取とり遣やりをしていなかったっちゃや。おれの疑問さしたその留守番の女の人は、先生とは縁のない奥つぁんの方の親戚しんせきであったっちゃや。おれは先生さ郵便を出す時、ふと幅の細い帯を楽さうすろで結んでいるその人の姿を思い出したっちゃや。もし先生夫婦がどっかさ避暑さでも行ったあとさこの郵便が届いたら、あの切下のお婆ばんつぁんは、そいづをすぐ転地先さ送ってくれるだけの気転と親切があるだっちゃうがどと考えたっちゃや。そのくせその手紙のうちさはこいずつうほどの必要の事も書いてねのを、おれは能く承知してだおん。ただおれは淋しかったっちゃや。そうして先生から返事の来るのを予期してかかったっちゃや。だげっとその返事はついさ来なかったっちゃや。
 父はこの前の冬さ帰って来た時ほど将棋を差したがらなくなったっちゃや。将棋盤はほこりの溜たまったまま、床の間の隅さ片寄せられてあったっちゃや。ことさ陛下のご病気以後父は凝っと考え込んでいるようさ見えたっちゃや。毎日すんぶんの来るのを待ち受けて、おれが一番先さ読んだおん。んんだがららその読みがらをわざわざおれのいる所さたがいで来てくれたっちゃや。
「おいご覧、今日も天子さまの事がこまごぐ出ている」
 父は陛下のことを、つねさ天子さまといってだおん。
「勿体ない話んだがら、天子さまのご病気も、おどっつぁんのとまあ似たがなだっちゃうな」
 こうかだる父の顔さは深い掛念の曇りがかかってだおん。こういわれるおれのふとごろさはまた父がいつ斃れるか分らねおんつう心配がひらめいたっちゃや。
「だげっと大丈夫だっちゃうべや。おれのような下らねおんがなでも、まだこうしていられるくらいんだがらら」
 父はおれの達者な保証をおれで与えながら、今さも己れさおづかかって来そうな危険を予感してっとらしかったっちゃや。
「おどっつぁんはほんまさ病気を怖がってるんだおん。おががつぁんのおっしゃるようさ、十年も二十年も生きる気だべやなさほでがすぜ」
 ががはおれの言葉を聞いて当惑そうな顔をしたっちゃや。
「わんつかまた将棋でも差すようさ勧めてご覧な」
 おれは床の間から将棋盤を取りおろして、ほこりを拭ふいたっちゃや。

 父の元気は次第さ衰えて行ったっちゃや。おれを驚かせたハンケチつきの古い麦藁帽子が自然と閑却されるようさなったっちゃや。おれは黒い煤けた棚の上さ載っているその帽子を眺めるたびさ、父さ対して気の毒な思いをしたっちゃや。父が以前のようさ、軽々と動く間は、もうわんつか慎んでくれたらと心配したっちゃや。父が凝っと坐り込むようさなると、やはり元の方が達者だやぁのだつう気が起ったっちゃや。おれは父の健康さついてよくががと話し合ったっちゃや。
「まったく気のせいだっちゃ」とがががいったっちゃや。ががのあだまは陛下の病やまいと父の病とを結びつけて考えてだおん。おれさはそうばりとも思えなかったっちゃや。
「気だべやない。ほんまさ身体からんだがら悪がいんだべんか。あいや元気がい気分より健康の方が悪くなって行くらしい」
 おれはこういって、心のうちでまた遠くから相当の医者でも呼んで、一つ見せようかしらと思案したっちゃや。
「今年の夏はお前も詰まらなかろうべや。せっかく卒業したのさ、お祝いもして上げる事ができず、おどっつぁんの身体もあの通りだし。そいづさ天子様のご病気で。――いっその事、帰るすぐさお客でも呼ぶ方が好かったんだっちゃ」
 おれが帰ったのは七月の五、六日で、父やがががおれの卒業を祝うためさ客を呼ぼうといいだしたのは、んんだがらら一週間後であったっちゃや。そうしていよいよと極めた日はそいづたごまた一週間の余も先さなってだおん。時間さ束縛を許さない悠長な田舎さ帰ったおれは、お蔭で好もしくない社交上の苦いんだがらら救われたも同じ事であったが、おれを理解しねががはわんつかもそごさ気がついていねらしかったっちゃや。
 崩御の報知が伝えられた時、父はそのすんぶんを手さして、「ああ、ああ」といったっちゃや。
「ああ、ああ、天子様もとうとうおかくれさなっちゃ。己も……」
 父はその後をいわなかったっちゃや。
 おれは黒かだるすがなを買うためさ町さ出たっちゃや。そいづで旗竿の球を包んで、そいづで旗竿の先さ三寸幅のひらひらをつけて、門の扉のよごから斜めさ往来ささし出したっちゃや。旗も黒いひらひらも、風のない空気のなかさだらりと下がったっちゃや。おれの宅の古い門の屋根は藁で葺いてあったっちゃや。雨や風さ打たれたりまた吹かれたりしたその藁の色はとくさ変色して、薄くあぐ色を帯びた上さ、所々とごどごろの凸凹さえ眼さ着いたっちゃや。おれはひとり門の外さ出て、黒いひらひらと、白いめりんすの地と、地のなかさ染め出した赤い日の丸の色とを眺ながめたっちゃや。そいづが薄汚ない屋根の藁さ映るのも眺めたっちゃや。おれはかつて先生から「あんだの宅の構えはどんな体裁んだがらい。おれの郷里の方とは大分趣が違っていっちゃかいね」と聞かれた事を思い出したっちゃや。おれはおれの生れてんばだの古い家を、先生さ見せたくもあったっちゃや。また先生さ見せるのがおしょすくもあったっちゃや。
 おれはまた一人家のなかさはいったっちゃや。おれのつぐえの置いてある所さ来て、すんぶんを読みながら、遠い東京の有様を想像したっちゃや。おれの想像は日本一の大きな都が、どんなさ暗いなかでどんなさ動いているだっちゃうかの画面さ集められたっちゃや。おれはその黒いなりさ動がければ仕末のつがくなった都会の、不安でざわざわしてっとなかさ、一点の燈火のごとくさ先生の家を見たっちゃや。おれはその時この燈火が音のしね渦うずの中さ、自然と捲き込まれている事さ気がつがかったっちゃや。しばらくすれば、その灯ひもまたふっと消えてしまうべき運命を、眼の前さ控えているのだとは固より気がつがかったっちゃや。
 おれは今度の事件さついて先生さ手紙を書こうかと思って、筆を執りかけたっちゃや。おれはそいづを十行ばり書いて已やめたっちゃや。書いた所は寸々さ引き裂いて屑籠さ投げ込んだおん。(先生さ宛ててそうかだる事を書いても仕方がないとも思ったべし、前例さ徴してみると、うんとっけ返事をくれそうさなかったから)。おれは淋しかったっちゃや。そいづで手紙を書くのであったっちゃや。そうして返事が来れば好いいと思うのであったっちゃや。

 八月の半ばごろさなって、おれはある朋友から手紙を受け取ったっちゃや。その中さ地方の中学教員のくずがあるが行がいかと書いてあったっちゃや。この朋友は経済の必要上、おれでほだな位地を探し廻まわる男であったっちゃや。このくずも始めはおれの所さかかって来たのんだがら、もっと好いい地方さ相談ができたがら、余った方をおれさ譲る気で、わざわざ知らせて来てくれたがらあったっちゃや。おれはすぐ返事を出して断ったっちゃや。知り合いの中さは、ずいぶん骨を折って、教師の職さありつきたがっているがながあるから、その方さ廻してやったら好かろうと書いたっちゃや。
 おれは返事を出した後で、父とががさその話をしたっちゃや。二人ともおれの断った事さ異存はないようであったっちゃや。
「ほだな所さ行がいでも、まだ好いくずがあるだっちゃう」
 こういってくれる裏さ、おれは二人がおれさ対してたがいでいる過分な希望を読んだおん。迂闊な父やががは、不相当な地位と収入とを卒業したてのおれから期待してっとらしかったがらあっちゃ。
「相当のくずって、近頃だべやほだな旨うまいくずはながかあるがなだべやありね。ことさあんつぁんつぁんとおれとは専門も違うし、時代も違うんんだがらら、二人を同じようさ考えられちゃわんつか困るっちゃ」
「だげっと卒業した以上は、少なくとも独立してやって行ってくれなくっちゃこっつも困っちゃ。人からあんだの所のご二男は、大学を卒業なすって何をしてお出んだがらいと聞かれた時さ返事がでぎねようだべや、おれもかだ身が狭いから」
 父は渋面をつくったっちゃや。父の考えは、古く住み慣れた郷里から外さ出る事を知らなかったっちゃや。その郷里の誰あいずから、大学を卒業すればなんぼぐらい月給が取れるがなだっちゃうと聞かれたり、まあ百円ぐらいながなだっちゃうかといわれたりした父は、こうかだる人々さ対して、外聞の悪くないようさ、卒業したてのおれを片つけたかったがらあっちゃ。広い都を根拠地として考えているおれは、父やががから見ると、まるで蹠(あす)を空さ向けて歩く奇体きたいな人間さ異ならなかったっちゃや。おれの方でも、実際そうかだる人間のような気持を折々起したっちゃや。おれはあからさまさおれの考えを打ち明けるさは、あまりさ距離の懸隔けんかくの甚はなはだしい父とががの前さ黙然もくねんとしてだおん。
「お前のよく先生先生つう方さでもお願いしたら好いだべやないか。こっだ時こそ」
 ががはこうより外さ先生を解釈する事ができなかったっちゃや。その先生はおれさ国さ帰ったら父の生きているうちさ早く財産を分けて貰えと勧める人であったっちゃや。卒業したから、地位の周旋をしてやっぺしつう人ではなかったっちゃや。
「その先生は何をしてっとのかい」と父が聞いたっちゃや。
「何さもしていねんだあ」とおれが答えたっちゃや。
 おれはとくの昔から先生の何もしていねつう事を父さもががさも告げたつもりでいたっちゃや。そうして父はたしかさそいづを記憶してっとはずであったっちゃや。
「何もしていねつうのは、またどうかだる訳かね。お前がそいづほど尊敬するくらいな人ならなんかやっていそうながなんだがらね」
 父はこういって、おれを諷したっちゃや。父の考えでは、役さ立つがなは世の中さ出てみんな相当の地位を得て働いていっちゃ。必竟やくざんだがらら遊んでいるのだと結論してっとらしかったっちゃや。
「おれのような人間だって、月給こそ貰っちゃいねが、こいずでも遊んでばりいるんだべやない」
 父はこうもいったっちゃや。おれはそいづでもまだ黙ってだおん。
「お前のかだるような偉い方なら、きっとなんかくずを探して下さるよ。頼んでご覧なのかい」とががが聞いたっちゃや。
「いいえ」とおれは答えたっちゃや。
「だべや仕方がないだべやないか。なんで頼まないんだい。手紙でも好いからお出しな」
「ええ」
 おれは生返事をして席を立ったっちゃや。

 父は明らかさおれの病気を恐れてだおん。だげっと医者の来るたびさ蒼蠅い質問を掛けて相手を困らす質でもなかったっちゃや。医者の方でもまた遠慮して何ともいわなかったっちゃや。
 父は死後の事を考えているらしかったっちゃや。少なくともおれがいなくなった後あとのわが家いえを想像して見るらしかったっちゃや。
「おぼごさ学問をさせるのも、好し悪しだっちゃ。せっかく修業をさせると、そのおぼごは決して宅さ帰って来ない。こいずだべや手もなく親子を隔離するためさ学問させるようながなだ」
 学問をした結果あんつぁんは今遠国さいたっちゃや。教育を受けた因果で、おれはまた東京さ住む覚悟を固くしたっちゃや。こうかだる子を育てた父の愚痴ぐちはもとより不合理ではなかったっちゃや。永年住み古した田舎家の中さ、たった一人取り残されそうなががを描き出す父の想像はもとより淋しいさ違いなかったっちゃや。
 わが家は動かす事のでぎねがなと父は信じ切ってだおん。その中さ住むががもまた命のある間は、動かす事のでぎねがなと信じてだおん。おれが死んだ後、この孤独なががを、たった一人伽藍堂のわが家さ取り残すのもまた甚しい不安であったっちゃや。そいづだのさ、東京で好い地位を求めろといって、おれを強いたがる父のあだまさは矛盾があったっちゃや。おれはその矛盾をおかしく思ったと同時さ、そのお蔭でまた東京さ出られるのを喜んだおん。
 おれは父やががの手前、この地位をできるだけの努力で求めつつあるごとくさ装おわなくてはならなかったっちゃや。おれは先生さ手紙を書いて、家の事情を精しく述べたっちゃや。もしおれの力でできる事があったら何でもするから周旋してくれと頼んだおん。おれは先生がおれの依頼さ取り合うまいと思いながらこの手紙を書いたっちゃや。また取り合うつもりでも、世間の狭い先生としてはなじょする事もできまいと思いながらこの手紙を書いたっちゃや。だげっとおれは先生からこの手紙さ対する返事がきっと来るだっちゃうと思って書いたっちゃや。
 おれはそいづを封じて出す前さががさ向かっていったっちゃや。
「先生さ手紙を書きたおんよ。あんだのおっしゃった通り。わんつか読んでご覧なさい」
 ががはおれの想像したごとくそいづを読まなかったっちゃや。
「そうかい、そいづだべや早くお出し。ほだな事は他人が気をつけねえべやでも、おれで早くやるがなだっちゃ」
 ががはおれをまだおぼごのようさ思ってだおん。おれも実際おぼごのような感じがしたっちゃや。
「だげっと手紙だべや用はあすりねよ。どうせ、九月さでもなって、おれが東京さ出てからでなくっちゃ」
「そりゃそうかも知れねおんけれども、またひょっとして、どんな好いくずがないとも限らねおんんんだがらら、早く頼んでおくさ越した事はないよ」
「ええ。とさかく返事は来るさ極きまってますかいら、そうしたらまたお話しすっぺし」
 おれはこっだ事さ掛けて几帳面な先生を信じてだおん。おれは先生の返事の来るのを心待ちさ待ったっちゃや。けれどもおれの予期はついさ外はずれたっちゃや。先生からは一週間経たっても何の音信たよりもなかったっちゃや。
「大方どっかさ避暑さでも行っているんだべん」
 おれはががさ向かって言訳らしい言葉を使わなければならなかったっちゃや。そうしてその言葉はががさ対する言訳ばりでなく、おれの心さ対する言訳でもあったっちゃや。おれは強いてもなんかの事情を仮定して先生の態度を弁護しねげど不安さなったっちゃや。
 おれは時々父の病気を忘れたっちゃや。いっそ早く東京さ出てしまおうかと思ったりしたっちゃや。その父自身もおのれの病気を忘れる事があったっちゃや。未来を心配しながら、未来さ対する所置は一向取らなかったっちゃや。おれはついさ先生の忠告通り財産分配の事を父さいい出す機会を得ねで過ぎたっちゃや。

 九月始めさなって、おれはいよいよまた東京さ出ようとしたっちゃや。おれは父さ向かって当分今まで通り学資を送ってくれるようさと頼んだおん。
「こごさこうしてだって、あんだのおっしゃる通りの地位が得られるがなだべやないんだがらいら」
 おれは父の希望する地位を得うるためさ東京さ行くような事をいったっちゃや。
「無論くずの見つかるまでで好いんだがらいら」ともいったっちゃや。
 おれは心のうちで、そのくずは到底おれのあだまの上さおづて来ないと思ってだおん。けれども事情さうとい父はまたあくまでもその反対を信じてだおん。
「そりゃ僅かの間の事だっちゃうから、どうさか都合してやっぺし。その代り永くはわがんないよ。相当の地位を得え次第独立しなくっちゃ。元来がっこを出た以上、出たあくる日から他ひとの世話さなんぞなるがなだべやないんんだがらら。今の若いがなは、金を使う道だけ心得ていて、金を取る方は全く考えていねようだっちゃ」
 父はこの外ほかさもまだ色々の小言をいったっちゃや。その中さは、「昔の親は子さ食わせてもらったのさ、今の親は子さ食われるだけだ」なんかつう言葉があったっちゃや。そいづらをおれはただ黙って聞いてだおん。
 小言が一通り済んだと思った時、おれは静かさ席を立とうとしたっちゃや。父はいつ行くかとおれさ尋ねたっちゃや。おれさは早いだけが好よかったっちゃや。
「おががつぁんさ日を見てもらいなさい」
「そうすっぺし」
 その時のおれは父の前さ存外おとなしかったっちゃや。おれはなるべく父の機やんさ逆らわねで、田舎いなかを出ようとしたっちゃや。父はまたおれを引ひき留とめたっちゃや。
「お前が東京さ行くと宅はまた淋さみしくなっちゃ。何しろ己とおががつぁんだけなんんだがららね。そのおれも身体さえ達者なら好いが、この様子だべやいつ急さどんな事がないともいえねべやよ」
 おれはできるだけ父を慰めて、おれのつぐえを置いてある所さ帰ったっちゃや。おれは取り散らした書物の間さ坐って、心細そうな父の態度と言葉とを、幾度か繰り返し眺めたっちゃや。おれはその時また蝉せみの声を聞いたっちゃや。その声はこの間中聞いたのと違って、つくつく法師ぼうしの声であったっちゃや。おれは夏郷里さ帰って、煮えつくような蝉の声の中さ凝じっと坐っていると、変さ悲しい心持さなる事がしばしばあったっちゃや。おれの哀愁はいづもこの虫(めんめ)の烈しい音ねと共さ、心の底さ沁み込むようさ感ぜられたっちゃや。おれはほだな時さはいづも動かねで、一人で一人を見詰めてだおん。
 おれの哀愁はこの夏帰省した以後次第さ情調を変えて来たっちゃや。油蝉の声がつくつく法師の声さ変るごとくさ、おれを取り巻く人の運命が、大きな輪廻のうちさ、そろそろ動いているようさ思われたっちゃや。おれは淋しそうな父の態度と言葉を繰り返しながら、手紙を出しても返事を寄こさない先生の事をまた憶い浮べたっちゃや。先生と父とは、まるで反対の印象をおれさ与える点さおいて、比較の上さも、連想の上さも、いっしょさおれのあだまさ上りやすかったっちゃや。
 おれはほとんど父のすべても知り尽つくしてだおん。もし父を離れるとすっぺ、すっとよ、情愛の上さ親子の心残りがあるだけであったっちゃや。先生のいっぺはまだおれさ解かっていなかったっちゃや。かだると約束されたその人の過去もまだ聞く機会を得ねでいたっちゃや。要するさ先生はおれさとって薄暗かったっちゃや。おれはぜひともそごを通り越して、明るい所まで行がければ気が済まなかったっちゃや。先生と関係の絶えるのはおれさとって大いな苦いだであったっちゃや。おれはががさ日を見てもらって、東京さ立つ日取りを決めたっちゃや。

 おれがいよいよ立とうつう間際さなって、(たしか二日前のばんがだの事であったと思うが、)父はまたずいら引っ繰り返ったっちゃや。おれはその時書物や衣類を詰めた行李をからげてだおん。父は風呂さ入ったとごであったっちゃや。父のせながを流しさ行ったががが大きな声を出しておれを呼んだおん。おれは裸体のままががさうすろから抱かれている父を見たっちゃや。そいづでも座敷さ連れて戻った時、父はもう大丈夫だといったっちゃや。念のためさ枕元さ坐わって、濡手拭で父のあだまを冷やしてだおれは、九時頃さなってやっとご形ばりの夜食を済たおん。
 翌日さなると父は思ったより元気が好かったっちゃや。留めるのも聞かねで歩いて便所さ行ったりしたっちゃや。
「もう大丈夫」
 父は去年の暮倒れた時さおれさ向かっていったと同じ言葉をまた繰り返したっちゃや。その時ははたしてくずでいった通りまあ大丈夫であったっちゃや。おれは今度もそだっちゃがったらそうなるかも知れねおんと思ったっちゃや。だげっと医者はただ用心が肝要だと注意するだけで、念を押しても判然りした事をかだってくれなかったっちゃや。おれは不安のためさ、出立の日が来てたがぐいさ東京さ立つ気が起らなかったっちゃや。
「もうわんつか様子を見てからさすっぺしか」とおれはががさ相談したっちゃや。
「そうしておくれ」とががが頼んだおん。
 ががは父が庭さ出たり背戸さ下りたりする元気を見ている間だけは平気でいるくせさ、こっだ事が起るとまた必要以上さ心配したり気を揉んだりしたっちゃや。
「お前は今日東京さ行くはずだべやなかったか」と父が聞いたっちゃや。
「ええ、わんつか延ばしたっけよ」とおれが答えたっちゃや。
「おれのためさかい」と父が聞き返したっちゃや。
 おれはわんつか躊躇したっちゃや。んだといえば、父の病気の重いのを裏書きするようながなであったっちゃや。おれは父の神経を過敏さしたくなかったっちゃや。だげっと父はおれの心をよく見抜いているらしかったっちゃや。
「気の毒だっちゃ」といって、庭の方を向いたっちゃや。
 おれはおれの部屋さはいって、そごさ放り出された行李を眺めたっちゃや。行李はいつ持ち出しても差支えねべやようさ、堅く括られたままであったっちゃや。おれはぼんやりその前さ立って、また縄を解こうかと考えたっちゃや。
 おれは坐ったままこすを浮かした時のおづつがい気分で、また三、四日を過ごしたっちゃや。すると父がまた卒倒したっちゃや。医者は絶対さ安臥を命じたっちゃや。
「どうしたがなだっちゃうね」とががが父さ聞こえねべやような小さな声でおれさいったっちゃや。ががの顔はいかさも心細そうであったっちゃや。おれはあんつぁんと妹さ電報を打つ用意をしたっちゃや。けれども寝ている父さはほとんど何の苦悶もなかったっちゃや。話をするとごなんかを見ると、風邪かぜでも引いた時と全く同じ事であったっちゃや。その上食欲は不断よりも進んだおん。そばはたのがなが、注意しても容易さかだる事を聞がかったっちゃや。
「どうせ死ぬんんだがらら、旨いがなでも食って死ななくっちゃ」
 おれさは旨いがなつう父の言葉が滑稽さも悲惨さも聞こえたっちゃや。父は旨いがなをくねで入れられる都さは住んでいなかったがらあっちゃ。夜さ入ってかき餅なんかを焼いてもらってぼりぼり噛かんだおん。
「なしてこう渇くのかね。やっぱり心さ丈夫の所があるのかも知れねおんよ」
 ががは失望していいとごさかえって頼みを置いたっちゃや。そのくせ病気の時さしか使わね渇くつう昔風の言葉を、何でも食ったがる意味さ用いてだおん。
 伯父が見舞さ来たとき、父はいつまでも引き留めて帰さなかったっちゃや。淋しいからもっといてくれつうのが重おもな理由であったが、ががやおれが、食いたいだけ物を食べさせねえつう不平を訴えるのも、その目的の一つであったらしい。

 父の病気は同じような状態で一週間以上つづいたっちゃや。おれはその間さ長い手紙を九州さいるあんつぁん宛で出したっちゃや。妹さはががから出させたっちゃや。おれは腹の中で、おそらくこいずが父の健康さ関して二人さやるうっしょの便りだっちゃうと思ったっちゃや。そいづで両方さいよいよつう場合さは電報を打つから出て来いつう意味を書き込めたっちゃや。
 あんつぁんはせわしい職さいたっちゃや。妹は妊娠中であったっちゃや。んだがらら父の危険が眼の前さ迫らねおんうちさ呼び寄せる自由は利がかったっちゃや。といって、折角都合して来たさは来たが、間さ合わなかったといわれるのも辛かったっちゃや。おれは電報を掛ける時機さついて、人のしゃね責任を感じたっちゃや。
「そう判然はっきりした事さなるとおれさも分りね。だげっと危険はいつ来るか分らねおんつう事だけは承知していてけらい」
 停車場のある町から迎えた医者はおれさこういったっちゃや。おれはががと相談して、その医者の周旋で、町の病院から看護婦を一人頼む事さしたっちゃや。父は枕元さ来て挨拶する白いふぐを着た女を見て変な顔をしたっちゃや。
 父は死病さ罹っている事をとうから自覚してだおん。そいづでいて、眼前さ迫りつつある死そのがなさは気がつがかったっちゃや。
「今さ癒ったらもう一返東京さ遊びさ行ってみようべや。人間はいつ死ぬか分らねおんからな。何でもやりたい事は、生きてるうちさやっておくさ限る」
 ががは仕方なしさ「その時はおれもいっしょさ連れて行って頂きましょう」なんかと調子を合せてだおん。
 時とするとまた非常さ淋さみしがったっちゃや。
「おれが死んだら、どうかおががつぁんをまでさしてやってくれ」
 おれはこの「おれが死んだら」つう言葉さ一種の記憶をたがいでだおん。東京を立つ時、先生が奥つぁんさ向かって何遍もそいづを繰り返したのは、おれが卒業した日の晩の事であったっちゃや。おれは笑わらいを帯びた先生の顔と、縁起でもないと耳を塞いだ奥つぁんの様子とを憶おもい出したっちゃや。あの時の「おれが死んだら」は単純な仮定であったっちゃや。今おれが聞くのはいつ起るか分らねおん事実であったっちゃや。おれは先生さ対する奥つぁんの態度を学ぶ事ができなかったっちゃや。だげっとくずの先では何とか父を紛らわさなければならなかったっちゃや。
「ほだな弱い事をおっしゃっちゃいけねよ。今さ癒ったら東京さ遊びさいらっしゃるはずだべやありねか。おががつぁんといっしょさ。今度いらっしゃるときっと吃驚りしますよ、変っているんで。電車の新しい線路だけでも大変増えていっからよね。電車が通るようさなれば自然町並みも変るし、その上さ市区改正もあるし、東京が凝っとしてっと時は、まあ二六時中一分もないといっていなんぼいだあ」
 おれは仕方がないからいわねでいい事まで喋ったっちゃや。父はまた、満足らしくそいづを聞いてだおん。
 病人があるので自然家の出入りもいっぺなったっちゃや。近所さいる親類なんかは、二日さ一人ぐらいの割で代る代る見舞いさ来たっちゃや。中さは比較的遠くさいて平生疎遠ながなもあったっちゃや。「どうかと思ったら、この様子だべや大丈夫だおん。話も自由だし、だいち顔がちっとも瘠せていねだべやないか」なんかといって帰るがながあったっちゃや。おれの帰った当時はひっそりし過ぎるほど静かであった家庭が、こっだ事で段々ざわざわし始めたっちゃや。
 その中さ動かねでいる父の病気は、ただ面白くない方さ移って行くばりであったっちゃや。おれはががや伯父と相談して、とうとうあんつぁんと妹さ電報を打ったっちゃや。あんつぁんからはすぐ行くつう返事が来たっちゃや。妹の夫からも立つつう知らせがあったっちゃや。妹はこの前懐妊した時さ流産したがら、今度こそは癖さなんねようさ大事を取らせるつもりだと、かねていい越したその夫は、妹の代りさおれで出て来るかも知れなかったっちゃや。

十一

 こうしたおづつきのない間さも、おれはまだ静かさ坐る余裕をたがいでだおん。偶さは書物を開けて十頁たがぐづけざまさ読む時間さえ出て来たっちゃや。一旦堅く括られたおれの行李は、いつの間さか解かれてしまったっちゃや。おれは要るさ任せて、その中から色々ながなを取り出したっちゃや。おれは東京を立つ時、心のうちで決めた、この夏中の日課を顧みたっちゃや。おれのやった事はこの日課の三が一さもあすらなかったっちゃや。おれは今までもこうかだる不愉快を何度となく重ねて来たっちゃや。だげっとこの夏ほど思った通り仕事の運ばない例も少なかったっちゃや。こいずが人の世の常だっちゃうと思いながらもおれは厭な気持さ抑えつけられたっちゃや。
 おれはこの不快の裏さ坐りながら、一方さ父の病気を考えたっちゃや。父の死んだ後の事を想像したっちゃや。そうしてそいづと同時さ、先生の事を一方さ思い浮べたっちゃや。おれはこの不快な心持の両端(はす)っこさ地位、教育、性格の全然異なった二人の面影を眺ながめたっちゃや。
 おれが父の枕元を離れて、独り取り乱した書物の中さ腕組みをしてっととごさががが顔を出したっちゃや。
「わんつか午眠でもおしよ。お前もなんぼか草臥れるだっちゃう」
 ががはおれの気分を了解していなかったっちゃや。おれもががからそいづを予期するほどのおぼごでもなかったっちゃや。おれは単簡さ礼を述べたっちゃや。ががはまだ部屋の入くねで立ってだおん。
「おどっつぁんは?」とおれが聞いたっちゃや。
「今よく寝てお出いでだっちゃ」とががが答えたっちゃや。
 ががはずいらはいって来ておれのそばそばさ坐すわったっちゃや。
「先生たごまだ何ともいって来ないかい」と聞いたっちゃや。
 ががはその時のおれの言葉を信じてだおん。その時のおれは先生からきっと返事があるとががさ保証したっちゃや。だげっと父やががの希望するような返事が来るとは、その時のおれもまるで期待しなかったっちゃや。おれは心得があってががを欺いたと同じ結果さ陥ったっちゃや。
「もう一遍手紙を出してご覧な」とがががいったっちゃや。
 役さ立たない手紙を何通書こうと、そいづがががの慰安さなるなら、手数を厭うようなおれではなかったっちゃや。けれどもこうかだる用件で先生させまるのはおれの苦いだであったっちゃや。おれは父さ叱しかられたり、ががの機やんを損じたりするよりも、先生から見下げられるのを遥かさ恐れてだおん。あの依頼さ対して今まで返事の貰もらえねべやのも、そだっちゃがったらそうした訳からだべやないかしらつう邪推もあったっちゃや。
「手紙を書くのは訳はないだげんちょも、こうかだる事は郵便だべやうんとっけ埒は明きねよ。なしてもおれで東京さ出て、じかさ頼んで廻らなくっちゃ」
「だっておどっつぁんがあの様子だべや、お前、いつ東京さ出られるか分らねおんだべやないか」
「んだがらら出やしね。癒るとも癒らねおんとも片つがかだるちは、ちゃんとこうしてっとつもりだあ」
「そりゃ解り切った話だっちゃ。今さもむずかしいつう大病人を放かしておいて、誰が勝手さ東京さなんか行けるがなかね」
 おれは初め心のなかで、何もしゃねががを憐あわれんだおん。だげっとがががなんでこっだ問題をこのざわざわした際さ持ち出したのか理解できなかったっちゃや。おれが父の病気をよそさ、静かさ坐ったり書見したりする余裕のあるごとくさ、ががも眼の前の病人を忘れて、外の事を考えるだけ、ふとごろさ空地があるのかしらと疑ったっちゃや。その時「実はね」とがががいい出したっちゃや。
「実はおどっつぁんの生きてお出いでのうちさ、お前のくずが極きまったらなんぼか安心なさるだっちゃうと思うんんだがらね。この様子だべや、うんとっけ間さ合わねかも知れねおんけれども、そいづさしても、まだああやってくずも慥がら気も慥がんんだがらら、ああしてお出のうちさ喜ばして上げるようさ親孝行をおしな」
 憐れなおれは親孝行のでぎね境遇さいたっちゃや。おれはついさ一行の手紙も先生さ出さなかったっちゃや。

十二

 あんつぁんが帰って来た時、父は寝ながらすんぶんを読んでいたっちゃや。父は平生から何を措いてもすんぶんだけさは眼を通す習慣であったが、床さついてからは、退屈のため猶更そいづを読みたがったっちゃや。ががもおれも強いては反対せねで、なるべく病人の思い通りささせておいたっちゃや。
「そうかだる元気なら結構ながなだおん。よっぽど悪いかと思って来たら、大変好いようだべやありねか」
 あんつぁんはこっだ事をいいながら父と話をしたっちゃや。その賑やか過ぎる調子がおれさはかえって不調和さ聞こえたっちゃや。そいづでも父の前を外しておれと差し向いさなった時は、むしろ沈んでいたっちゃや。
「すんぶんなんか読ましちゃわがんながいか」
「おれおれもそう思うんだけれども、読まないと承知しねんんだがらら、仕様がない」
あんつぁんはおれの弁解を黙って聞いてだおん。やがて、「よく解るのが」といったっちゃや。あんつぁんは父の理解力が病気のためさ、平生よりはよっぽど鈍っているようさ観察したらしい。
「そりゃ慥かだあ。おれはさっき二十分ばり枕元さ坐って色々かだってみたが、調子の狂ったとごはわんつかもないだあ。あの様子だべやことさよるとまだながかたがぐかも知れねよ」
 あんつぁんと前後して着いた妹の夫の意見は、我々よりもよほど楽観的であったっちゃや。父はあいねで向かって妹の事をあいづこいずと尋ねてだおん。「身体が身体んだがららむやみさ汽車さなんぞ乗って揺れねおん方が好い。無理をして見舞さ来られたりすると、かえってこっつが心配んだがらら」といってだおん。「なさ今さ治ったら赤ん坊の顔でも見さ、久しぶりさこっつから出掛けるから差支えねべや」ともいってだおん。
 乃木大将の死んだ時も、父は一番さきさすんぶんでそいづを知ったっちゃや。
「おどげでない、おどげでない」といったっちゃや。
 何事もしゃねおれたちはこのずいらな言葉さ驚かされたっちゃや。
「あの時はいよいよあだまが変さなったのかと思って、ひやりとした」と後であんつぁんがおれさいったっちゃや。「おれも実はたまげてしまった」と妹の夫も同感らしい言葉つきであったっちゃや。
 その頃のすんぶんは実際田舎さは日ごとさ待ち受けられるような記事ばりあったっちゃや。おれは父の枕元さ坐って鄭寧さそいづを読んだおん。読む時間のない時は、そっとおれの部屋さたがいで来て、残らず眼を通したっちゃや。おれの眼は長い間、軍ふぐを着た乃木大将と、んんだがらら官女みたようなふぐ装なりをしたその夫人の姿を忘れる事ができなかったっちゃや。
 悲いだな風が田舎の隅まで吹いて来て、眠たそうな樹や草を震わせている最中さ、ずいらおれは一通の電報を先生から受け取ったっちゃや。洋ふぐを着た人を見ると犬っこが吠ほえるような所では、一通の電報すら大事件であったっちゃや。そいづを受け取ったががは、はたして驚いたような様子をして、わざわざおれを人のいね所さ呼び出したっちゃや。
「何だい」といって、おれの封を開くのをそばさ立って待ってだおん。
 電報さはわんつか会いたいが来られるかつう意味が簡単さ書いてあったっちゃや。おれは首を傾けたっちゃや。
「きっとお頼もうしておいたくずの事だっちゃ」とががが推断してくれたっちゃや。
 おれもそだっちゃがったらそうかも知れねおんと思ったっちゃや。だげっとそいづさしてはわんつか変だとも考えたっちゃや。とさかくあんつぁんや妹の夫まで呼び寄せたおれが、父の病気を打遣って、東京さ行く訳さは行がかったっちゃや。おれはががと相談して、行かれねおんつう返電を打つ事さしたっちゃや。できるだけ簡略な言葉で父の病気の危篤さ陥りつつある旨たがぐけ加えたが、そいづでも気が済まなかったから、委細手紙として、細かい事情をその日のうちさしたためて郵便で出したっちゃや。頼んだ位地の事とばり信じ切ったががは、「ほんまさ間の悪い時は仕方のないがなだっちゃ」といって残念そうな顔をしたっちゃや。

十三

 おれの書いた手紙はがり長いがなであったっちゃや。ががもおれも今度こそ先生から何とかいって来るだっちゃうと考えてだおん。すると手紙を出して二日目また電報がおれ宛てで届いたっちゃや。そいづさは来ないでもよろしいつう文句だけしがかったっちゃや。おれはそいづをががさ見せたっちゃや。
「大方手紙で何とかいってきて下さるつもりだっちゃうよ」
 ががはどごまでも先生がおれのためさ衣食のくずを周旋してくれるがなとばり解釈してっとらしかったっちゃや。おれもおがっちゃがったらそうかとも考えたが、先生の平生から推してみると、あやん元気がい変さ思われたっちゃや。「先生がくずを探してくれる」。こいずはあり得べからざる事のようさおれさは見えたっちゃや。
「とさかくおれの手紙はまだ向うさ着いていねはずんんだがららら、この電報はその前さ出したがなさ違いねだない」
 おれはががさ向かってこっだ分り切った事をいったっちゃや。ががはまたもっともらしく思案しながら「んだっちゃ」と答えたっちゃや。おれの手紙を読まない前さ、先生がこの電報を打ったつう事が、先生を解釈する上さおいて、何の役さも立たないのは知れているのさ。
 その日はちょうど主治医が町から院長を連れて来るはねでなってんんだがららら、ががとおれはそいづぎりこの事件さついて話をする機会がなかったっちゃや。二人の医者は立ち合いの上、病人さ浣腸なんかをして帰って行ったっちゃや。
 父は医者から安臥を命ぜられて以来、両便とも寝たまま他人の手で始末してもらってだおん。潔癖な父は、最初の間こそ甚しくそいづを忌みやんったが、身体が利がいので、やむを得ずやんやん床の上で用を足したっちゃや。そいづが病気の加減であだまがだんだん鈍くなるのか何だか、日を経るさ従って、無精な排泄を意としねようさなったっちゃや。たまさは蒲団や敷布を汚して、そばのがなが眉を寄せるのさ、当人はかえって平気でいたりしたっちゃや。もっとも尿のがさは病気の性質として、極めて少なくなったっちゃや。医者はそいづを苦さしたっちゃや。食欲も次第さ衰えたっちゃや。たまさなんか欲しがっても、舌が欲しがるだけで、咽喉から下さはごく僅かしか通らなかったっちゃや。好きなすんぶんも手さ取る気力がなくなったっちゃや。枕のそばさある老眼鏡は、いつまでも黒い鞘さ納められたままであったっちゃや。おぼごの時分から仲の好かった作つぁんつう今では一里りばり隔たった所さ住んでいる人が見舞さ来た時、父は「ああ作つぁんか」といって、どんよりした眼を作つぁんの方さ向けたっちゃや。
「作つぁんよく来てくれたっちゃや。作つぁんは丈夫で羨うらやましいね。己おれはもう駄目だ」
「ほだな事はないよ。お前なんかおぼごは二人とも大学を卒業するし、わんつかぐらい病気さなったって、申し分はないんだおん。おれをご覧よ。かかあさは死なれるしさ、おぼごはなしさ。ただこうして生きているだけの事だっちゃ。達者だって何の楽しみもないだべやないか」
 浣腸をしたのは作つぁんが来てから二、三日あとの事であったっちゃや。父は医者のお蔭で大変楽さなったといって喜んだおん。わんつかおれの寿命さ対すっとせふとごろができたつう風さ機やんが直ったっちゃや。そばさいるががは、そいづさ釣り込まれたのか、病人さ気力をつけるためか、先生から電報のきた事を、あたかもおれの位置が父の希望する通り東京さあったようさ話したっちゃや。そばさいるおれはむずがゆい心持がしたが、ががの言葉を遮る訳さもいがいので、黙って聞いてだおん。病人は嬉しそうな顔をしたっちゃや。
「そりゃ結構だあ」と妹の夫もいったっちゃや。
「何のくずだかまだ分らねおんのか」とあんつぁんが聞いたっちゃや。
 おれは今更そいづを否定する勇気を失ったっちゃや。おれさも何とも訳の分らねおん曖昧な返事をして、わざと席を立ったっちゃや。

十四

 父の病気はうっしょの一撃を待つ間際まで進んで来て、んでよしばらく躊躇するようさみえたっちゃや。家のがなは運命の宣告が、今日下くだるか、今日下るかと思って、毎夜床とこさはいったっちゃや。
 父はそばはたのがなを辛くするほどの苦いだをどごさも感じていなかったっちゃや。その点さなると看病はむしろ楽であったっちゃや。要心のためさ、誰か一人ぐらいずつ代る代る起きてはいたが、あとのがなは相当の時間さ各自の寝床さ引き取って差支えなかったっちゃや。なんかの拍子で眠れなかった時、病人の唸るような声を微かさ聞いたと思い誤ったおれは、一遍半夜なかさ床を抜け出して、念のため父の枕元まで行ってみた事があったっちゃや。その夜はががが起きている番さ当ってだおん。だげっとそのががは父のよごさ肱を曲げて枕としたなり寝入ってだおん。父も深い眠りの裏うちさそっと置かれた人のようさ静かさしてだおん。おれは忍び足でまたおれの寝床さ帰ったっちゃや。
 おれはあんつぁんといっしょの蚊帳の中さ寝たっちゃや。妹の夫だけは、客扱いを受けているせいか、独り離れた座敷さ入いって休んだおん。
「関つぁんも気の毒だっちゃ。ああ幾日も引っ張られて帰れなくっちゃあ」
 関つうのはその人の苗字であったっちゃや。
「だげっとほだなせわしい身体でもないんんんんだがらららら、ああして泊っていてくれるんだべん。関つぁんよりもあんつぁんつぁんの方が困るだべん、こう長くなっちゃ」
「困っても仕方がない。外の事と違うからな」
 あんつぁんと床を並べて寝るおれは、こっだ寝物語をしたっちゃや。あんつぁんのあだまさもおれのふとごろさも、父はどうせ助からねおんつう考えがあったっちゃや。どうせ助からねおんがなだらばつう考えもあったっちゃや。我々は子として親の死ぬのを待っているようながなであったっちゃや。だげっと子としての我々はそいづを言葉の上さ表わすのを憚かったっちゃや。そうしてお互いさお互いがどんな事を思っていっけをよく理解し合ってだおん。
「おどっつぁんは、まだ治る気でいるようだな」とあんつぁんがおれさいったっちゃや。
 実際あんつぁんのかだる通りさ見えるとごもないではなかったっちゃや。近所のがなが見舞さくると、父は必ず会うといって承知しなかったっちゃや。会えばきっと、おれの卒業祝いさ呼ぶ事ができなかったのを残念がったっちゃや。その代りおれの病気が治ったらつうような事も時々つけ加えたっちゃや。
「お前の卒業祝いは已めさなって結構だおん。おれの時さは弱ったからね」とあんつぁんはおれの記憶を突ッついたっちゃや。おれはアルコールさ煽られたその時の乱雑な有様を想い出して苦笑したっちゃや。飲むがなや食うがなを強しいて廻る父の態度も、さがさがしくおれの眼さ映ったっちゃや。
 おれたちはそいづほど仲の好いあんつぁんしゃでではなかったっちゃや。ちっこかだるちは良く喧嘩をして、年の少ないおれの方がいつでも泣かされたっちゃや。がっこさはいってからの専門の相違も、全く性格の相違から出てだおん。大学さいる時分のおれは、ことさ先生さ接触したおれは、遠くからあんつぁんを眺ながめて、常さ動物的だと思ってだおん。おれは長くあんつぁんさ会わなかったがら、また懸け隔った遠くさいたがら、時からいっても距離からいっても、あんつぁんはいつでもおれさは近くなかったがらあっつゃ。そいづでも久しぶりさこうおづ合ってみると、あんつぁんしゃでの優しい心持がどっからか自然さ湧いて出たっちゃや。場合が場合なのもその大きな原因さなってだおん。二人さ共通な父、その父の死のうとしてっと枕元で、あんつぁんとおれは握手したがらあったっちゃや。
「お前こいずからなじょする」とあんつぁんは聞いたっちゃや。おれはまた全く見当の違った質問をあんつぁんさ掛けたっちゃや。
「一体家の財産はどうなってるんだっちゃう」
「おれはしゃね。おどっつぁんはまだ何ともいわねから。だげっと財産っていったとごで金としては高の知れたがなだっちゃう」
 ががはまたががで先生の返事の来るのを苦さしてだおん。
「まだ手紙は来ないかい」とおれを責めたっちゃや。

十五

「先生先生つうのは一体誰の事だい」とあんつぁんが聞いたっちゃや。
「こないだ話しただべやないか」とおれは答えたっちゃや。おれはおれで質問をしておきながら、すぐひとの説明を忘れてしまうあんつぁんさ対して不快の念を起したっちゃや。
「聞いた事は聞いたけれども」
 あんつぁんは必竟聞いても解らねおんつうのであったっちゃや。おれから見ればなさも無理さ先生をあんつぁんさ理解してもらう必要はなかったっちゃや。けれども腹は立ったっちゃや。また例のあんつぁんらしい所が出て来たと思ったっちゃや。
 先生先生とおれが尊敬する以上、その人は必ず著名の士でなくてはなんねようさあんつぁんは考えてだおん。少なくとも大学の教授ぐらいだっちゃうと推察してだおん。名もない人、何もしていね人、そいづがどごさ価値をたがいでいるだっちゃうべや。あんつぁんの腹はこの点さおいて、父と全く同じがなであったっちゃや。けれども父が何もでぎねから遊んでいるのだと速断するのさ引きかえて、あんつぁんはなんかやれる能力があるのさ、ぶらぶらしてっとのは詰らん人間さ限るといった風のくず吻を洩らしたっちゃや。
「エゴイストはわがんないね。何もしねで生きていようつうのはよご着な了簡んんだがらららね。人はおれのたがいでいる才能をできるだけ働かせなくっちゃ嘘だ」
 おれはあんつぁんさ向かって、おれの使っているエゴイストつう言葉の意味がよく解わかるかと聞き返してやりたかったっちゃや。
「そいづでもその人のお蔭で地位ができればまあ結構だおん。おどっつぁんも喜んでるようだべやないか」
 あんつぁんは後からこっだ事をいったっちゃや。先生から明瞭な手紙の来ない以上、おれはそう信ずる事もできず、またそうくねで出す勇気もなかったっちゃや。そいづをががの早呑み込みでみんなさそう吹聴してしまった今となってみると、おれはいぎなりそいづを打ち消す訳さ行がくなったっちゃや。おれはががさ催促されるまでもなく、先生の手紙を待ち受けたっちゃや。そうしてその手紙さ、どうかみんなの考えているような衣食のくずの事が書いてあいづばいいがと念じたっちゃや。おれは死さ瀕してっと父の手前、その父さ幾分でも安心させてやりたいと祈りつつあるががの手前、働がければ人間でないようさかだるあんつぁんの手前、その他妹の夫だの伯父だの叔ががだのの手前、おれのちっとも頓着していね事さ、神経を悩まさなければならなかったっちゃや。
 父が変な黄色いがなも嘔いた時、おれはかつて先生と奥つぁんから聞かされた危険を思い出したっちゃや。「ああして長く寝ているんんんだがららら胃も悪くなるはずだっちゃ」といったががの顔を見て、何もしゃねその人の前さ涙ぐんだおん。
 あんつぁんとおれが茶の間でおづ合った時、あんつぁんは「聞いたか」といったっちゃや。そいづは医者が帰り際さあんつぁんさ向っていった事を聞いたかつう意味であったっちゃや。おれさは説明を待たないでもその意味がよく解ってだおん。
「お前こごさ帰って来て、家の事を監理する気がないか」とあんつぁんがおれを顧みたっちゃや。おれは何とも答えなかったっちゃや。
「おががつぁん一人だべや、なじょする事もでぎねだっちゃう」とあんつぁんがまたいったっちゃや。あんつぁんはおれを土の臭いを嗅いで朽ちて行ってもいだますくないようさ見てだおん。
「本を読むだけなら、田舎でも充分できるし、そいづさ働く必要もなくなるし、ちょうど好いだっちゃう」
「あんつぁんつぁんが帰って来るのが順だない」とおれがいったっちゃや。
「おれさほだな事ができるがなか」とあんつぁんは一くねでしりぞけたっちゃや。あんつぁんの腹の中さは、世の中でこいずから仕事をすっぺつう気が充ち満ちてだおん。
「お前がやんなら、まあ伯父つぁんさでも世話を頼むんんんだがらら、そいづさしてもおががつぁんはどっちかで引き取らなくっちゃなるまい」
「おががつぁんがこごを動くか動がいかがすでさ大きな疑問だおん」
 あんつぁんしゃではまだ父の死なない前から、父の死んだ後さついて、こっだ風さ語り合ったっちゃや。

十六

 父は時々譫言をかだるようさなったっちゃや。
「乃木大将さ済まない。実さ面目次第がない。いえおれもすぐお後から」
 こっだ言葉をひょいひょい出したっちゃや。ががは気味を悪がったっちゃや。なるべくみんなを枕元さ集めておきたがったっちゃや。気のたしが時は頻りさ淋しがる病人さもそいづが希望らしく見えたっちゃや。ことさ部屋の中を見廻わしてががの影が見えねべやと、父は必ず「お光は」と聞いたっちゃや。聞がいでも、眼がそいづを物語ってだおん。おれはよく起ってががを呼びさ行ったっちゃや。「なんかご用んだがらい」と、ががが仕掛しかけた用をそのままさしておいて病部屋さ来ると、父はたんだがらがの顔を見詰めるだけで何もいわね事があったっちゃや。そうかと思うと、まるで懸け離れた話をしたっちゃや。ずいら「お光お前さも色々世話さなったね」なんかと優しい言葉を出す時もあったっちゃや。ががはそうかだる言葉の前さきっと涙ぐんだおん。そうした後ではまたきっと丈夫であった昔の父をその対象として想い出すらしかったっちゃや。
「あんな憐れっぽい事をお言いんだがらね、あいづでもとはずいぶん酷かったんだっちゃ」
 ががは父のためさ箒でせながをどやされた時の事なんかを話したっちゃや。今まで何遍もそいづを聞かされたおれとあんつぁんは、いづもとはまるで違った気分で、ががの言葉を父の形見のようさ耳さ受け入れたっちゃや。
 父はおれの眼の前さ薄暗く映る死の影を眺めながら、まだ遺言らしいがなをくねで出さなかったっちゃや。
「今のうちなんか聞いておく必要はないが」とあんつぁんがおれの顔を見たっちゃや。
「んだなあ」とおれは答えたっちゃや。おれはこっつゃから進んでほだな事を持ち出すのも病人のためさ好し悪しだと考えてだおん。二人は決しかねてついさ伯父さ相談をかけたっちゃや。伯父も首を傾けたっちゃや。
「いいたい事があるのさ、いわねで死ぬのも残念だっちゃうし、といって、こっつから催促するのも悪いかも知れず」
 話はとうとう愚図愚図さなってしまったっちゃや。そのうちさ昏睡が来たっちゃや。例の通り何もしゃねががは、そいづをただの眠りと思い違えてかえって喜んだおん。「まあああして楽さ寝られれば、そばはたさいるがなも助かるっちゃ」といったっちゃや。
 父は時々眼を開けて、誰はどうしたなんかとずいら聞いたっちゃや。その誰はついさっきまでそごさ坐ってだ人の名さ限られてだおん。父の意識さは暗い所と明るい所とができて、その明るい所だけが、闇を縫う白い糸のようさ、ある距離を置いて連続するようさみえたっちゃや。ががが昏睡状態を普通の眠りと取り違えたのも無理はなかったっちゃや。
 そのうち舌が段々縺れて来たっちゃや。なんかいい出してもけっつが不明瞭さ終わるためさ、要領を得ないでしまう事がいっぺあったっちゃや。そのくせ話し始める時は、危篤の病人とは思われねおんほど、強い声を出したっちゃや。我々は固より不断以上さ調子を張り上げて、耳元さくずを寄せるようさしねげどならなかったっちゃや。
「あだまを冷やすと好い心持んだがらい」
「うん」
 おれは看護婦を相手さ、父の水枕を取り取り換えて、んんだがらら新しい氷を入れた氷嚢をあだまの上さ載せたっちゃや。がさがささ割られて尖り切った氷の破片が、氷嚢の中でおづつく間、おれは父の禿げ上った額の外れでそいづを柔らかさ抑えてだおん。その時あんつぁんが廊下伝いさはいって来て、一通の郵便を無言のままおれの手さ渡したっちゃや。空いた方の左手を出して、その郵便を受け取ったおれはすぐ不審を起したっちゃや。
 そいづは普通の手紙さ比べるとよほど目方の重いがなであったっちゃや。並の状袋さも入れてなかったっちゃや。また並の状袋さ入れられるべき分がさでもなかったっちゃや。半紙で包んで、封じ目をまでぃさ糊で貼りつけてあったっちゃや。おれはそいづをあんつぁんの手から受け取った時、すぐその書留である事さ気がついたっちゃや。裏を返して見るとそごさ先生の名がつつしんだ字で書いてあったっちゃや。手の放せねえおれは、すぐ封を切る訳さ行がいので、わんつかそいづを懐さ差し込んだおん。


十七

 その日は病人の出来がことさ悪いようさ見えたっちゃや。おれが厠さあばいんとして席を立った時、廊下で行き合ったあんつぁんは「どごさ行く」と番兵のようなくず調だあいかしたっちゃや。
「あいや元気がい様子がわんつか変んだがららなるべくそばさいるようさしなくっちゃわがんないよ」と注意したっちゃや。
 おれもそう思ってだおん。懐中した手紙はそのままさしてまた病部屋さ帰ったっちゃや。父は眼を開けて、そごさ並んでいる人の名前をががさ尋ねたっちゃや。がががあいづは誰、こいずは誰と一々説明してやると、父はそのたびさ首肯いたっちゃや。首肯がい時は、ががが声を張りあげて、何々つぁんだあ、分りたおんかと念を押したっちゃや。
「あいや元気がい色々お世話さなるっちゃ」
 父はこういったっちゃや。そうしてまた昏睡状態さ陥ったっちゃや。枕辺を取り巻いている人は無言のまましばらく病人の様子を見詰めてだおん。やがてその中の一人が立って次の間さ出たっちゃや。するとまた一人立ったっちゃや。おれも三人目さとうとう席を外して、おれの部屋さ来たっちゃや。おれさはさっき懐さ入れた郵便物の中を開けてみっぺしつう目的があったっちゃや。そいづは病人の枕元でも容易さできる所作さは違いなかったっちゃや。だげっと書かれたがなの分がさがあまりさ多過ぎるので、一息さんでよ読み通す訳さは行がかったっちゃや。おれは特別の時間を偸んでそいづさ充てたっちゃや。
 おれは繊維の強い包み紙を引き掻くようさ裂き破ったっちゃや。中から出たがなは、たでよごさ引いた罫の中さ行儀よく書いた原稿様のがなであったっちゃや。そうして封じる便宜のためさ、四つ折りさ畳れてあったっちゃや。おれは癖のついた西洋紙を、逆さ折り返して読みやすいようさ平たくしたっちゃや。
 おれの心はこの多がさの紙と印気が、おれさ何事を語るのだっちゃうかと思って驚いたっちゃや。おれは同時さ病部屋の事が気さかかったっちゃや。おれがこの書き物を読み始めて、読み終らねおん前さ、父はきっとどうがる、少なくとも、おれはあんつぁんからかががからか、そいづでなければ伯父からか、呼ばれるさ決まっているつう予覚があったっちゃや。おれはおづついて先生の書いたがなを読む気さなれなかったっちゃや。おれはそわそわしながらただ最初の一頁を読んだおん。その頁は下のようさ綴られてだおん。
「あんだから過去を問いただされた時、答える事のできなかった勇気のないおれは、今あんだの前さ、そいづを明白さ物語る自由を得たと信じます。だげっとその自由はあんだの上京を待っているうちさはまた失われてしまう世間的の自由さ過ぎないのであるっちゃ。したがって、そいづを利用できる時さ利用しねげど、おれの過去をあんだのあだまさ間接の経験として教えて上げる機会を永久さ逸するようさなるっちゃ。そうすると、あの時あいづほど堅く約束した言葉がまるで嘘さなるっちゃ。おれはやむを得ず、くずでかだるべきとごを、筆で申し上げる事さしたっけよ」
 おれはそごまで読んで、始めてこの長いがなが何のためさ書かれたのか、その理由を明らかさ知る事ができたっちゃや。おれの衣食のくず、ほだながなさついて先生が手紙を寄こす気遣いはないと、おれは初手から信じてだおん。だげっと筆を執ることのすかねな先生が、なしてあの事件をこう長く書いて、おれさ見せる気さなったのだっちゃうべや。先生はなんでおれの上京するまで待っていられねおんだっちゃうべや。
「自由が来たからかだっちゃ。だげっとその自由はまた永久さ失われなければなんね」
 おれは心のうちでこう繰り返しながら、その意味を知るさ苦しんだおん。おれはずいら不安さ襲われたっちゃや。おれはつづいて後を読もうとしたっちゃや。その時病部屋の方から、おれを呼ぶ大きなあんつぁんの声が聞こえたっちゃや。おれはまたたまげて立ち上ったっちゃや。廊下を馳かけ抜けるようさしてみんなのいる方さ行ったっちゃや。おれはいよいよ父の上さうっしょの瞬間が来たのだと覚悟したっちゃや。

十八

 病部屋さはいつの間さか医者が来てだおん。なるべく病人を楽さするつう主意たごまた浣腸を試みるとごであったっちゃや。看護婦は昨夜の疲れを休めるためさ別部屋で寝てだおん。慣れねおんあんつぁんは起ってまごまごしてだおん。おれの顔を見ると、「わんつか手をお貸かし」といったまま、おれは席さ着いたっちゃや。おれはあんつぁんさ代って、油紙を父のけっつの下さ宛てがったりしたっちゃや。
 父の様子はわんつかくつろいで来たっちゃや。三十分ほど枕元さ坐わってだ医者は、浣腸の結果を認めた上、また来るといって、帰って行ったっちゃや。帰り際さ、もしがな事があったらいつでも呼んでくれるようさわざわざ断ってだおん。
 おれは今さも変がありそうな病部屋を退いてまた先生の手紙を読もうとしたっちゃや。だげっとおれはすこしもゆっくりした気分さなれなかったっちゃや。つぐえの前さ坐るや否いなや、またあんつぁんから大きな声で呼ばれそうでならなかったっちゃや。そうして今度呼ばれれば、そいづがうっしょだつう畏怖がおれの手を顫ふるわしたっちゃや。おれは先生の手紙をただ無意味さ頁だけ剥繰って行ったっちゃや。おれの眼は几帳面さ枠の中さ篏られた字画を見たっちゃや。けれどもそいづを読む余裕はなかったっちゃや。拾い読みさする余裕すら覚束おぼつがかったっちゃや。おれは一番しまいの頁まで順々さ開けて見て、またそいづを元の通りさ畳んでつぐえの上さ置こうとしたっちゃや。その時ふと結末さ近い一句がおれの眼さはいったっちゃや。
「この手紙があんだの手さおづる頃さは、おれはもうこの世さはいねだべん。とくさ死んでいるだべん」
 おれははっと思ったっちゃや。今までざわざわと動いてだおれのふとごろがいっかいさ凝結したようさ感じたっちゃや。おれはまた逆さ頁をはぐり返したっちゃや。そうして一枚さ一句ぐらいずつの割で倒ささ読んで行ったっちゃや。おれは咄嗟の間さ、おれの知らなければなんね事を知ろうとして、ちらちらする文字を、眼で刺し通そうと試みたっちゃや。その時おれの知ろうとするのは、ただ先生の安否だけであったっちゃや。先生の過去、かつて先生がおれさ話そうと約束した薄暗いその過去、ほだながなはおれさ取って、全く無用であったっちゃや。おれは倒さまさ頁をはぐりながら、おれさ必要な知識を容易さ与えてくれねおんこの長い手紙をじれったそうさ畳んだおん。
 おれはまた父の様子を見さ病部屋の戸くずまで行ったっちゃや。病人の枕辺は存外静かであったっちゃや。頼りなさそうさがおった顔をしてそごさ坐っているががを手招きして、「どうんだがらい様子は」と聞いたっちゃや。ががは「今わんつか持ち合ってるようだっちゃ」と答えたっちゃや。おれは父の眼の前さ顔を出して、「どうだあ、浣腸してわんつかは心持が好くなったいか」と尋ねたっちゃや。父は頷いたっちゃや。父ははっきり「有難う」といったっちゃや。父の精神は存外朦朧としていなかったっちゃや。
 おれはまた病部屋を退いておれの部屋さ帰ったっちゃや。んでよとげいを見ながら、汽車の発着表を調べたっちゃや。おれはずいら立って帯を締め直して、袂の中さ先生の手紙を投げ込んだおん。んんだがらら勝手くずから表さ出たっちゃや。おれは夢中で医者の家さ馳かけ込んだおん。おれは医者から父がもう二、三日保つだっちゃうか、そごのとごを判然り聞こうとしたっちゃや。注射でも何でもして、保たしてくれと頼もうとしたっちゃや。医者は生憎留守であったっちゃや。おれさは凝っとしてあいずの帰るのを待ち受ける時間がなかったっちゃや。心のおづつきもなかったっちゃや。おれはすぐ俥を停車場さ急がせたっちゃや。
 おれは停車場の壁さ紙片を宛てがって、その上からえんぴづでががとあんつぁんあてで手紙を書いたっちゃや。手紙はごく簡単ながなであったが、断らねおんで走るよりまだ増しだっちゃうと思って、そいづをわらわら宅さ届けるようさ車夫さ頼んだおん。そうして思い切った勢いで東京行きの汽車さ飛び乗ってしまったっちゃや。おれはごうごう鳴る三等列車の中で、また袂から先生の手紙を出して、やっとご始めからしまいまで眼を通したっちゃや。

下 先生と遺書

「……おれはこの夏あんだから二、三度手紙を受け取りたおん。東京で相当の地位を得たいから宜しく頼むと書いてあったのは、たしか二度目さ手さ入いったがなと記憶していっちゃ。おれはそいづを読んだ時何とかしたいと思ったのや。少なくとも返事を上げなければ済まんとは考えたのや。だげっと自白すると、おれはあんだの依頼さ対して、まるで努力をしなかったのや。ご承知の通り、交際区域の狭いつうよりも、世の中さたった一人で暮してっとといった方が適切なくらいのおれさは、そうかだる努力をあえてする余地が全くないのや。だげっとそいづは問題ではありね。実をかだると、おれはこのおれをどうすれば好いのかと思い煩ってだとごなのや。このまま人間の中さ取り残されたミイラのようさ存在してあばいんか、そいづとも……その時分のおれは「そいづとも」つう言葉を心のうちで繰り返すたびさぞっとしたっけよ。馳足で絶壁の端(はす)っこまで来て、いぎなり底の見えねべや谷を覗き込んだ人のようさ。おれは卑怯だったい。そうしていっぺの卑怯な人と同じ程度さおいて煩悶したのや。遺憾ながら、その時のおれさは、あんだつうがながほとんど存在していなかったといっても誇張ではありね。一歩進めてかだると、あんだの地位、あんだの糊くずの資し、ほだながなはおれさとってまるで無意味なのだったい。どうでも構わなかったのや。おれはそいづどごろの騒ぎでなかったのや。おれは状差しさあんだの手紙を差したなり、依然として腕組をして考え込んでいだおん。宅さ相応の財産があるがなが、何を苦しんで、卒業するかしねのさ、地位地位といって藻掻き廻まわるのか。おれはむしろ苦々しい気分で、遠くさいるあんださこっだ一瞥を与えただけだったい。おれは返事を上げなければ済まないあんださ対して、言訳のためさこっだ事を打ち明けるのや。あんだをごっしゃがすためさわざと無躾な言葉を弄ろうするのではありね。おれの本意は後をご覧さなればよく解る事と信じます。とさかくおれは何とか挨拶すべきとごを黙ってだのやから、おれはこの怠慢の罪をあんだの前さ謝したいと思うんだっちゃの。
 その後おれはあんださ電報を打ちたおん。有体さいえば、あの時おれはわんつかあんださ会いたかったのや。んんだがららあんだの希望通りおれの過去をあんだのためさ物語りたかったのや。あんだは返電を掛かけて、今東京さは出られねおんと断って来たおんが、おれは失望して永らくあの電報を眺ながめていだおん。あんだも電報だけでは気が済まなかったとみえて、また後から長い手紙を寄こしてくれたがら、あんだの出京でぎね事情がよく解わかりたおん。おれはあんだを失礼な男だとも何とも思う訳がありね。あんだの大事なおどっつぁんの病気をそっつ退のけさして、何であんんだがら家を空あけられるがなんだがらい。そのおどっつぁんの生死を忘れているようなおれの態度こそ不都合だあ。――おれは実際あの電報を打つ時さ、あんだのおどっつぁんの事を忘れてだのや。そのくせあんんだがら東京さいる頃さは、難症んだがららよく注意しなくってはわがんないと、あいづほど忠告したのはおれだあのさ。おれはこうかだる矛盾な人間なのや。そだっちゃがったらおれの脳髄よりも、おれの過去がおれを圧迫する結果こっだ矛盾な人間さおれを変化させるのかも知れね。おれはこの点さおいても充分おれの我を認めていっちゃ。あんださ許してもらわなくてはなりね。
 あんだの手紙、――あんだから来たうっしょの手紙――を読んだ時、おれは悪い事をしたと思いだおん。そいづでその意味の返事を出そうかと考えて、筆を執りかけたおんが、一行も書かねで已やめたおん。どうせ書くなら、この手紙を書いて上げたかったから、そうしてこの手紙を書くさはまだ時機がわんつか早過ぎたから、已めさしたのや。おれがただ来るさ及ばないつう簡単な電報をもいっかい打ったのは、そいづがためだあ。


「おれはんんだがららこの手紙を書き出したっけよ。平生筆を持ちつけねえべやおれさは、おれの思うようさ、事件なり思想なりが運ばないのが重い苦いだだったい。おれはもうわんつかで、あんださ対するおれのこの義務を放擲するとごだったい。だげっとなんぼ止そうと思って筆を擱いても、何さもなりねだったい。おれは一時間経たなかだるちさまた書きたくなったい。あんだから見たら、こいずが義務の遂行を重んずるおれの性格のようさ思われるかも知れね。おれもそいづは否みね。おれはあんだの知っている通り、ほとんど世間と交渉のない孤独な人間んだがらいら、義務つうほどの義務は、おれの左右前後を見廻みまわしても、どの方角さも根を張っておりね。故意か自然か、おれはそいづをできるだけ切り詰めた生活をしてだのや。けれどもおれは義務さ冷淡んだがららこうなったがらはありね。むしろ鋭敏過ぎて刺戟さ堪えるだけの精力がないから、ご覧のようさ消極的な月日を送る事さなったのや。んだがらら一旦約束した以上、そいづを果たさないのは、大変厭な心持だあ。おれはあんださ対してこの厭な心持を避けるためさでも、擱いた筆をまた取り上げなければなんねのや。
 その上おれは書きたいのや。義務は別としておれの過去を書きたいのや。おれの過去はおれだけの経験んだがらら、おれだけの所有といっても差支えねべやだべん。そいづを人さ与えねべやで死ぬのは、いだますいともいわれるだべん。おれさも多少ほだな心持があるっちゃ。ただし受け入れる事のでぎね人さ与えるくらいなら、おれはむしろおれの経験をおれの生命と共さ葬った方が好いいと思うんだっちゃの。実際こごさあんだつう一人の男が存在していねだらば、おれの過去はついさおれの過去で、間接さも他人の知識さはなんねで済んだだべん。おれは何千万といる日本人のうちで、ただあんだだけさ、おれの過去を物語りたいのや。あんだは真面目んだがらら。あんだは真面目さ人生そのがなから生きた教訓を得たいといったから。
 おれは暗い人世の影を遠慮なくあんだのあだまの上さ投げかけて上げます。だげっと恐れてはいけね。暗いがなを凝っと見詰めて、その中からあんだの参考さなるがなをお攫みなさい。おれの暗いつうのは、もとより倫理的さ暗いのや。おれは倫理的さ生れた男だあ。また倫理的さ育てられた男だあ。その倫理上の考えは、今の若い人と大分違ったとごろがあるかも知れね。だげっとどう間違っても、おれ自身のがなや。間さ合せさ借りた損料着そんりょうぎではありね。んだがららこいずから発達すっぺつうあんださは幾分か参考さなるだっちゃうと思うのや。
 あんだは現代の思想問題さついて、よくおれさ議論を向けた事を記憶してっとだべん。おれのそいづさ対する態度もよく解っているだべん。おれはあんだの意見を軽蔑までしなかったけれども、決して尊敬を払い得うる程度さはなれなかったっちゃや。あんだの考えさは何らの背景もなかったべし、あんだはおれの過去をたがぐさは余りさ若過ぎたからだあ。おれは時々笑ったっちゃや。あんだは物足りなそうな顔をちょいちょいおれさ見せたっちゃや。その極あんだはおれの過去を絵巻物のようさ、あんだの前さ展開してくれと逼まったっちゃや。おれはその時心のうちで、初めてあんだを尊敬したっちゃや。あんんだがら無遠慮さおれの腹の中から、或る生きたがなを捕まえようつう決心を見せたからだあ。おれの心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからだあ。その時おれはまだ生きてだおん。死ぬのが厭であったっちゃや。そいづで他日を約して、あんだの要求を斥けてしまったっちゃや。おれは今おれでおれの心臓を破って、その血をあんだの顔さ浴せかけようとしてっとのや。おれの鼓動が停まった時、あんだのふとごろさ新しい命が宿る事ができるなら満足だあ。

「おれが両親を亡ほろったのは、まだおれの廿歳さなんね時分だったい。いつかがががあんださかだってだっちゃうさも記憶していっけんども、二人は同じ病気で死んだのや。しかもがががあんださ不審を起させた通り、ほとんど同時といっていなんぼいさ、前後して死んだのや。実をかだると、父の病気は恐るべき腸チフスだったい。そいづがそばさいて看護をしたががさ伝染したのや。
 おれは二人の間さできたたった一人の男の子だったい。家さは相当の財産があったがら、むしろ鷹揚さ育てられたおん。おれはおれの過去を顧みて、あの時両親が死なねでいてくれたなら、少なくとも父かががかどっちか、片方でええから生きていてくれたなら、おれはあの鷹揚な気分を今まで持ち続ける事ができたろうさと思うんだっちゃの。
 おれは二人の後さ茫然として取り残されたおん。おれさは知識もなく、経験もなく、また分別もありねだったい。父の死ぬ時、ががはそばさいる事ができねだったい。ががの死ぬ時、ががさは父の死んだ事さえまだ知らせてなかったのや。ががはそいづを覚ってだか、またはそばはたの者のかだるごとく、実際父は回復期さ向いつつあるがなと信じてだか、そいづは分りね。ががはただ叔父さ万事を頼んでいだおん。そごさ居合せたおれを指さすようさして、「この子をどうぞ何分」といいだおん。おれはその前から両親の許可を得て、東京さ出るはねでなっていだので、ががはそいづたがぐいでさかだるつもりらしかったのや。そいづで「東京さ」とだけつけ加えたおんら、叔父がすぐ後を引き取って、「よろしい決して心配しねがいい」と答えたおん。ががは強い熱さ堪え得うる体質の女なんだったいろうか、叔父は「確りしたがなだ」といって、おれさ向ってががの事を褒めていだおん。だげっとこいずがはたしてががの遺言であったのかどうだか、今考えると分らねおんのや。ががは無論父の罹かった病気の恐るべき名前を知ってだのや。そうして、おれがそいづさ伝染してだ事も承知してだのや。けれどもおれはきっとこの病気で命を取られるとまで信じてだかどうか、そごさなると疑う余地はまだなんぼでもあるだっちゃうと思われるのや。その上熱の高い時さ出るががの言葉は、いかさそいづが筋道の通った明らががなさせよ、一向記憶となってががのあだまさ影さえ残していね事がしばしばあったのや。んだがらら……だげっとほだな事は問題ではありね。ただこうかだる風さ物を解きほどいてみたり、またぐるぐる廻して眺めたりする癖は、もうその時分から、おれさはちゃんと備わってだのや。そいづはあんださも初めからお断わりしておがければなんねと思うけんどもよ、その実例としては当面の問題さ大した関係のないこっだ記述が、かえって役さ立ちはしねかと考えます。あんだの方でもまあそのつもりで読んでけせ。この性分が倫理的さ個人の行為やら動作の上さ及んで、おれは後来ますますひとの徳義心を疑うようさなったのだっちゃうと思うのや。そいづがおれの煩悶や苦悩さ向って、積極的さ大きな力を添えているのは確かんだがらいら覚えていてけらい。
 話が本筋をはずれると、解りさくくなるっちゃたごまたあとさ引き返すっぺし。こいずでもおれはこの長い手紙を書くのさ、おれと同じ地位さ置かれた他の人と比べたら、そだっちゃがったら多少おづついてやんしねかと思っているのや。世の中が眠ると聞こえだすあの電車の響きももう途絶えたおん。雨戸の外さはいつの間さか憐れな虫(めんめ)の声が、露の秋をまた忍びやかさ思い出させるような調子で微かさ鳴いていっちゃ。何もしゃねががは次の部屋で無邪気さすやすや寝入っていっちゃ。おれが筆を執ると、一字一劃ができあがりつつペンの先で鳴っていっちゃ。おれはむしろおづついた気分で紙さ向っているのや。不馴れのためさペンがよごさ外れるかも知れねが、あだまが悩乱して筆がしどろさ走るのだっちゃようさ思うんだっちゃの。

「とさかくたった一人取り残されたおれは、ががのいいつけ通り、この叔父を頼るより外さ途はなかったのや。叔父はまた一切いっさいを引き受けてすべての世話をしてくれたおん。そうしておれをおれの希望する東京さ出られるようさ取り計らってくれたおん。
 おれは東京さ来て高等がっこさはいりたおん。その時の高等がっこの生徒は今よりもよほど殺伐で粗野だったい。おれの知ったがなさ、夜中職人と喧嘩をして、相手のあだまさ下駄で傷を負わせたのがありたおん。そいづがさげを飲んだ揚句の事なのや。んんだがらら、夢中さ擲り合いをしてっと間さ、がっこの制帽をとうとう向うのがなさ取られてしまったのや。とごろがその帽子の裏さは当人の名前がちゃんと、菱形の白いきれの上さ書いてあったのや。そいづで事がめんどさなって、その男はもうわんつかで警察からがっこさ照会されるとごだったい。だげっと友達が色々と骨を折って、ついさ表沙汰させねで済むようさしてやりたおん。こっだ乱暴な行為を、上品な今の空気のなかさ育ったあんだ方さ聞かせたら、定めて馬鹿馬鹿しい感じを起すだべん。おれも実際馬鹿馬鹿しく思うんだっちゃの。だげっとあいずらは今の学生さない一種質朴な点をその代りさたがいでだのや。当時おれの月々叔父から貰ってだ金は、あんんだがら今、おどっつぁんから送ってもらう学資さ比べると遥かさ少ないがなだったい。(無論物価も違いましょうが)。そいづでいておれはわんつかの不足も感じねだったい。のみならず数ある同級生のうちで、経済の点さかけては、決して人を羨しがる憐れな境遇さいた訳だっちゃのや。今から回顧すると、むしろ人さ羨しがられる方だやぁがらしょうべや。つうのは、おれは月々決まった送金の外さ、書籍費、(おれはその時分から書物を買う事が好きだったい)、および臨時の費用を、よく叔父から請求して、ずんずんそいづをおれの思うようさ消費する事ができたのやから。
 何もしゃねおれは、叔父を信じてだばりでなく、常さ感謝の心をたがいで、叔父をありがたいがなのようさ尊敬していだおん。叔父は事業家だったい。県会議員さもなったい。その関係からでもありましょう、政党さも縁故があったようさ記憶していっちゃ。父の実のしゃでだあけれども、そうかだる点で、性格からかだると父とはまるで違った方さ向いて発達したようさも見えます。父は先祖から譲られた遺産をまでさ守って行く篤実一方の男だったい。楽しみさは、茶だの花だのをやりたおん。んんだがらら詩集なんかを読む事も好きだったい。書画骨董といった風のがなさも、いっぺの趣味をたがいでいる様子だったい。家は田舎さありたおんけれども、二里ばり隔たった市、――その市さは叔父が住んでいたのや、――その市から時々道具屋が懸物のだの、香炉だのをたがいで、わざわざ父さ見せさ来たおん。父は一くねでかだると、まあマン・オフ・ミーンズとでも評したら好いのだべん。比較的上品な嗜好をもった田舎紳士だやぁのや。んだがらら気性からかだると、闊達な叔父とはよほどの懸隔がありたおん。そいづでいて二人はまた妙さ仲が好かったのや。父はよく叔父を評して、おれよりも遥かさ働きのある頼もしい人のようさいっていだおん。おれのようさ、親から財産を譲られたがなは、なしても固有の材幹が鈍る、いやんべさかだるどよ世の中と闘う必要がないからわがんないのだともいっていだおん。この言葉はががも聞きたおん。おれも聞きたおん。父はむしろおれの心得さなるつもりで、そいづをいったらしく思われます。「お前もよく覚えているが好いい」と父はその時わざわざおれの顔を見たのや。んだがららおれはまだそいづを忘れねでいっちゃ。このくらいおれの父から信用されたり、褒められたりしてだ叔父を、おれがなして疑う事ができるだべん。おれさはただでさえ誇りさなるべき叔父だったい。父やががが亡くなって、万事その人の世話さならなければなんねおれさは、もう単なる誇りではなかったのや。おれの存在さ必要な人間さなってだのや。

「おれが夏休みを利用して始めて国さ帰った時、両親の死さ断えたおれの住居さは、新しい主人として、叔父夫婦が入れ代って住んでいだおん。こいずはおれが東京さ出る前からの約束だやぁい。たった一人取り残されたおれが家さいね以上、そうでもするより外ほかさ仕方がなかったのや。
 叔父はその頃市さある色々な会社さ関係してだっちゃうだあ。業務の都合からいえば、今までの居宅さ寝起ねおきする方が、二里も隔たったおらえさ移るより遥かさ便利だといって笑いだおん。こいずはおれの父ががが亡くなった後、どう邸を始末して、おれが東京さ出るかつう相談の時、叔父のくずを洩れた言葉であるっちゃ。おらえは旧い歴史をたがいでいるので、わんつかはその界隈で人さ知られていだおん。あんだの郷里でも同じ事だっちゃうと思うけんどもよ、田舎では由緒のある家を、相続人があるのさ壊したり売ったりするのは大事件だあ。今のおれならそのくらいの事は何とも思いねが、その頃はまだおぼごだやぁいから、東京さは出たし、家はそのままさして置がければならず、はなはだ処置さ苦しんだのや。
 叔父は仕方なしさおれの空家さはいる事を承諾してくれたおん。だげっと市の方さある住居もそのままさしておいて、両方の間を往ったり来たりする便宜を与えてもらわなければ困るといいだおん。おれさはもとより異議のありようはずがありね。おれはどんな条件でも東京さ出られれば好なんぼいさ考えてだのや。
 おぼごらしいおれは、故郷を離れても、まだ心の眼で、懐かしげさ故郷の家を望んでいだおん。もとよりそごさはまだおれの帰るべき家があるつう旅人の心で望んでいたのや。休みが来れば帰らなくてはなんねつう気分は、なんぼ東京を恋しがって出て来たおれさも、力強くあったのや。おれは熱心さ勉強し、愉快さ遊んだ後、休みさは帰れると思うその故郷の家をよく夢さ見たおん。
 おれの留守の間、叔父はどんな風さ両方の間を往き来してだか知りね。おれの着いた時は、家族のがなが、みんな一つ家の内さ集まっていだおん。がっこさ出るおぼごなんかは平生おそらく市の方さいたがらしょうが、こいずも休暇のためさ田舎さ遊び半分といった格で引き取られていだおん。
 みんなおれの顔を見て喜びたおん。おれはまた父やががのいた時より、かえって賑かで陽気さなった家の様子を見て嬉しがりたおん。叔父はもとおれの部屋さなってだ一間を占領してっと一番目の男の子をぼんだして、おれをそごさ入れたおん。座敷の数も少なくないのんんだがららら、おれはほかの部屋で構わねと辞退したのやけれども、叔父はお前の家んんだがらららといって、聞きねだやぁい。
 おれは折々亡くなった父やががの事を思い出す外さ、何の不愉快もなく、その一夏を叔父の家族と共さ過ごして、また東京さ帰ったのや。ただ一つその夏の出来事として、おれの心さむしろ薄暗い影を投げたのは、叔父夫婦がくずを揃えて、まだ高等がっこさ入ったばりのおれさ結婚を勧める事だやぁい。そいづは前後で丁度三、四回も繰り返されただべん。おれも始めはただそのずいらなのさ驚いただけだやぁい。二度目さは判然り断りたおん。三度目さはこっつからとうとうその理由を反問しねげどならなくなったい。あいずらの主意は単簡だやぁい。早く嫁を貰ってこごの家さ帰って来て、亡くなった父の後を相続しろつうだけなのや。家は休暇さなって帰りさえすれば、そいづでいいがなとおれは考えていだおん。父の後を相続する、そいづさは嫁が必要んんだがららら貰う、両方とも理屈としては一通り聞こえます。ことさ田舎の事情を知っているおれさは、よく解わかるっちゃ。おれも絶対さそいづをやんってはいなかったがらしょうべや。だげっと東京さ修業さ出たばりのおれさは、そいづが遠眼鏡で物を見るようさ、遥か先の距離さ望まれるだけだやぁい。おれは叔父の希望さ承諾を与えねべやで、ついさまたおらえを去りたおん。

「おれは縁談の事をそいづなり忘れてしまいだおん。おれの周囲を取り捲いている青年の顔を見ると、世帯染みたがなは一人もいね。みんな自由だあ、そうして悉く単独らしく思われたのや。こうかだる気楽な人の中さも、裏面さはいり込んだら、そだっちゃがったら家庭の事情さ余儀なくされて、すでさががを迎えてんだがらながあったかも知れねが、おぼごらしいおれはそごさ気がつきねだったい。んんだがららそうかだる特別の境遇さ置かれた人の方でも、四辺さ気兼をして、なるべくは書生さ縁の遠いほだな内輪の話はしねようさ慎んでいたがらしょうべや。後から考えると、おれ自身がすでさその組だやぁのやが、おれはそいづさえ分らねで、ただおぼごらしく愉快さ修学の道を歩いて行きたおん。
 学年の終りさ、おれはまた行李を絡げて、親の墓のある田舎さ帰って来たおん。そうして去年と同じようさ、父ががのいたわが家の中で、また叔父夫婦とそのおぼごの変らねおん顔を見たおん。おれはもいっかいんでよ故郷の匂いを嗅かぎたおん。その匂いはおれさ取って依然として懐かしいがなでありたおん。一学年の単調を破る変化としても有難いがなさ違いなかったのや。
 だげっとこのおれを育て上げたと同じような匂いの中で、おれはまたずいら結婚問題を叔父から鼻の先さ突きつけられたおん。叔父のかだる所は、去年の勧誘をもいっかい繰り返したのみだあ。理由も去年と同じだったい。ただこの前勧められた時さは、何らの目的物がなかったのさ、今度はちゃんと肝心の当人を捕まえてんだがらら、おれはなお困らせられたのや。その当人つうのは叔父の娘すなわちおれの従妹さ当る女だったい。その女を貰ってくれれば、お互いのためさ便宜である、父も存生中ほだな事をかだってだ、と叔父がかだるのや。おれもそうすれば便宜だとは思いだおん。父が叔父さそうかだる風な話をしたつうのもあり得うべき事と考えたおん。だげっとそいづはおれが叔父さいわれて、始めて気がついたがら、いわれねおん前から、覚ってだ事柄だっちゃのや。んだがららおれはたまげてしまったっちゃや。驚いたけれども、叔父の希望さ無理のないとごも、そいづがためさよく解わかりたおん。おれは迂闊なのだべんか。そだっちゃがったらそうなのかも知れねが、おそらくその従妹さ無頓着であったのが、おもな原因さなっているのだべん。おれはおぼごのうちから市さいる叔父の家さ始終遊びさ行きたおん。ただ行くばりでなく、よくそごさ泊りたおん。そうしてこの従妹とはその時分から親しかったのや。あんだもご承知だべん、あんつぁん妹の間さ恋の成立した例のないのを。おれはこの公認された事実を勝手さ布衍していっけも知れねおんが、始終接触して親しくなり過ぎた男女の間さは、恋さ必要な刺戟の起る清新な感じが失われてしまうようさ考えていっちゃ。香をかぎ得うるのは、香を焚き出した瞬間さ限るごとく、さげを味わうのは、さげを飲み始めた刹那さあるごとく、恋の衝動さもこうかだる際どい一点が、時間の上さ存在してっととしか思われねおんのや。いっかい平気でそごを通り抜けたら、馴れれば馴れるほど、親しみが増すだけで、恋の神経はだんだん麻痺して来るだけだあ。おれはどう考え直しても、この従妹をががさする気さはなれねだったい。
 叔父はもしおれが主張やんなら、おれの卒業まで結婚を延ばしてもいいといいだおん。けれども善は急げつう諺もあるから、できるなら今のうちさ祝言の盃だけは済ませておきたいともいいだおん。当人さ望みのないおれさはどっちさしたって同じ事だあ。おれはまた断りたおん。叔父は厭な顔をしたっけよ。従妹は泣きたおん。おれさ添われねおんから悲しいのではありね。結婚の申し込みを拒絶されたのが、女として辛かったからだあ。おれが従妹を愛していねごとく、従妹もおれを愛していね事は、おれさよく知れていだおん。おれはまた東京さ出たおん。


「おれが三度目さ帰国したのは、そいづたごまた一年経たった夏の取つとっつきだったい。おれはいつでも学年試験の済むのを待ちかねて東京を逃げたおん。おれさは故郷がそいづほど懐かしかったからだあ。あんださも覚えがあるだべん、生れた所は空気の色が違いっちゃ、土地の匂いも格別だあ、父やががの記憶も濃やかさ漂よっていっちゃ。一年のうちで、七、八の二月をその中さ包くるまれて、穴さ入った蛇のようさ凝っとしてっとのは、おれさ取って何よりも温かい好い心持だやぁのや。
 単純なおれは従妹との結婚問題さついて、さほどあだまをいだめる必要がないと思っていだおん。厭ながなは断る、断ってさえしまえば後あとさは何も残らねおん、おれはこう信じてだのや。んだがらら叔父の希望通りさ意志を曲げなかったさもかかわらず、おれはむしろ平気だったい。過去一年の間いまだかつてほだな事さ屈托した覚えもなく、相変らずの元気で国さ帰ったのや。
 とごろが帰って見ると叔父の態度が違っていっちゃ。元のようさ好い顔をしておれをおれの懐さ抱こうとしね。そいづでも鷹揚さ育ったおれは、帰って四、五日の間は気がつかねでいだおん。ただなんかの機会さふと変さ思い出したのや。すると妙なのは、叔父ばりだっちゃのや。叔母も妙なのや。従妹も妙なのや。中がっこを出て、こいずから東京の高等商業さはいるつもりだといって、手紙でその様子を聞き合せたりした叔父の男の子まで妙なのや。
 おれの性分として考えねではいられなくなったい。なしておれの心持がこう変ったのだっちゃうべや。やんなして向うがこう変ったのだっちゃうべや。おれはずいら死んだ父やががが、鈍いおれの眼を洗って、いぎなり世の中が判然り見えるようさしてくれたがらはないかと疑いだおん。おれは父やがががこの世さいなくなった後でも、いた時と同じようさおれを愛してくれるがなと、どっか心の奥で信じてだのや。もっともその頃でもおれは決して理さ暗い質ではありねだったい。だげっと先祖から譲られた迷信の塊りも、強い力でおれの血の中さ潜ひそんでいたのや。今でも潜んでいるだべん。
 おれはたった一人山さ行って、父ががの墓の前さ跪きたおん。半ばは哀悼の意味、半は感謝の心持で跪いたのや。そうしておれの未来の幸福が、このひゃっこい石の下さよごたわるあいずらの手さまだ握られてでもいるような気分で、おれの運命を守るべくあいずらさ祈りたおん。あんだは笑うかもしれねおん。おれも笑われても仕方がないと思うんだっちゃの。だげっとおれはそうした人間だやぁのや。
 おれの世界は掌を翻すようさ変りたおん。もっともこいずはおれさ取って始めての経験ではなかったのや。おれが十六、七の時だったいろう、始めて世の中さうづぐすいがながあるつう事実を発見した時さは、いっかいさはっとたまげてしまったっちゃや。何遍もおれの眼を疑って、何遍もおれの眼を擦こすりたおん。そうして心の中うちでああうづぐすいと叫びたおん。十六、七といえば、男でも女でも、俗さかだる色気のつく頃だあ。色気のついたおれは世の中さあるうづぐすいがなの代表者として、始めて女を見る事ができたのや。今までその存在さわんつかも気のつがかった異性さ対して、盲まなぐっこの眼が忽ち開いたのや。そいづ以来おれの天地は全く新しいがなとなったい。
 おれが叔父の態度さ心づいたのも、全くこいずと同じなんだべん。俄然として心づいたのや。何の予感も準備もなく、不意さ来たのや。不意さあいずとあいずの家族が、今までとはまるで別物のようさおれの眼さ映ったのや。おれはたまげてしまったっちゃや。そうしてこのままさしておいては、おれの行先がどうなるか分らねおんつう気さなったい。



「おれは今まで叔父任まかせさしておいた家の財産さついて、詳しい知識を得なければ、死んだ父ががさ対して済まないつう気を起したのや。叔父はせわしい身体だと自称するごとく、毎晩同じ所さ寝泊りはしていねだったい。二日家さ帰ると三日は市の方で暮らすといった風さ、両方の間を往来して、その日その日をおづつきのない顔で過ごしていだおん。そうしてせわしいつう言葉をくず癖のようさ使いだおん。何の疑いも起らねおん時は、おれも実際させわしいのだっちゃうと思ってだのや。んんだがらら、せわしがらなくては当世流でないのだっちゃうと、皮ぬぐっこさも解釈してだのや。けれども財産の事さついて、時間の掛かかる話をすっぺつう目的ができた眼で、このせわしがる様子を見ると、そいづが単さおれを避けるくず実としか受け取れなくなって来たのや。おれは容易さ叔父を捕らまえる機会を得ねだったい。
 おれは叔父が市の方さ妾をたがいでいるつう噂を聞きたおん。おれはその噂を昔中学の同級生であったある友達から聞いたのや。妾を置くぐらいの事は、この叔父としてわんつかも怪しむさあすらねおんのだげんちょも、父の生きているうちさ、ほだな評判を耳さ入れた覚えのないおれはたまげてしまったっちゃや。友達はその外さも色々叔父さついての噂を語って聞かせたおん。一時事業で失敗しかかってだっちゃうさ他人から思われてだのさ、この二、三年来またいぎなり盛り返して来たつうのも、その一つだったい。しかもおれの疑惑を強く染めつけたがなの一つだったい。
 おれはとうとう叔父と談判を開きたおん。談判つうのはわんつか不穏当かも知れねが、話の成行からかだると、ほだな言葉で形容するより外さ途のないとごさ、自然の調子がおづて来たのや。叔父はどごまでもおれをおぼご扱いさすっぺとします。おれはまた始めから猜疑の眼で叔父さ対していっちゃ。穏やかさ解決のつくはずはなかったのや。
 遺憾ながらおれは今その談判の顛末をこまごぐこごさ書く事のでぎねほど先をわらわらいっちゃ。実をかだると、おれはこいずより以上さ、もっと大事ながなを控えているのや。おれのペンは早くからそごさ辿りつきたがっているのを、やっとの事で抑えつけているくらいだあ。あんださ会って静かさかだる機会を永久さ失ったおれは、筆を執る術さ慣れねおんばりでなく、貴い時間をいだますむつう意味からして、書きたい事も省がければなりね。
 あんだはまだ覚えているだべん、おれがいつかあんださ、造りつけの悪人が世の中さいるがなだっちゃといった事を。いっぺの善人がいざつう場合さずいら悪人さなるのんだがらら油断してはわがんないといった事を。あの時あんだはおれさ昂奮してっとと注意してくれたおん。そうしてどんな場合さ、善人が悪人さ変化するのかと尋ねたおん。おれがただ一くずひとくち金と答えた時、あんだは不満な顔をしたっけよ。おれはあんだの不満な顔をよく記憶していっちゃ。おれは今あんだの前さ打ち明けるが、おれはあの時この叔父の事を考えてだのや。普通のがなが金を見ていぎなり悪人さなる例として、世の中さ信用するさあするがなが存在し得ない例として、憎悪と共さおれはこの叔父を考えてだのや。おれの答えは、思想界の奥さ突き進んであばいんとするあんださ取って物足りなかったかも知れね、陳腐だやぁかも知れね。けれどもおれさはあいづが生きた答えだったい。現さおれは昂奮してだではありねか。おれは冷やだべがやだまで新しい事をくねだあるよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じていっちゃ。血の力で体が動くからだあ。言葉が空気さ波動を伝えるばりでなく、もっと強い物さもっと強く働き掛ける事ができるからだあ。

「一くずでかだると、叔父はおれの財産を胡魔化したのや。事はおれが東京さ出ている三年の間さ容易く行われたのや。すべてを叔父任せさして平気でいたおれは、世間的さいえばほんまの馬鹿だったい。世間的以上の見地から評すれば、そだっちゃがったら純なる尊い男とでもいえましょうか。おれはその時の己を顧みて、なんでもっと人が悪く生れて来なかったかと思うと、正直過ぎたおれがくず惜くって堪りね。だげっとまたどうかして、もういっかいああかだる生れたままの姿さ立ち帰って生きて見たいつう心持も起るのや。記憶してけらい、あんだの知っているおれは塵さ汚れた後とのおれだあ。きたなくなった年数の多いがなを先輩と呼ぶだらば、おれはたしかさあんだっちゃり先輩だべん。
 もしおれが叔父の希望通り叔父の娘と結婚しただらば、その結果は物質的さおれさ取って有利ながなだったいろうか。こいずは考えるまでもない事と思うんだっちゃの。叔父は策略で娘をおれさ押しつけようとしたのや。好意的さ両家の便宜を計るつうよりも、ずっと下卑た利害心さ駆られて、結婚問題をおれさ向けたのや。おれは従妹を愛していねだけで、やんってはいなかったのやが、後から考えてみると、そいづを断ったのがおれさは多少の愉快さなると思うんだっちゃの。胡魔化されるのはどっちさしても同じだべんけれども、のせられ方からいえば、従妹を貰もらわね方が、向うの思い通りさなんねつう点から見て、わんつかはおれの我が通った事さなるのんだがらいら。だげっとそいづはほとんど問題とするさあすりねおん些細な事柄だあ。ことさ関係のないあんださいわせたら、なんぼか馬鹿気た意地さ見えるだべん。
 おれと叔父の間さ他の親戚のがながはいりたおん。その親戚のがなもおれはまるで信用していねだったい。信用しねばりでなく、むしろ敵視していだおん。おれは叔父がおれを欺いたと覚ると共さ、他のがなも必ずおれを欺くさ違いねと思い詰めたおん。父があいづだけ賞め抜いてだ叔父だあらこうんだがらら、他のがなはつうのがおれの論理だったい。
 そいづでもあいずらはおれのためさ、おれの所有さかかる一切のがなを纏めてくれたおん。そいづは金額さ見積ると、おれの予期より遥かさ少ないがなだったい。おれとしては黙ってそいづを受け取るか、でなければ叔父を相手取って公沙汰さするか、二つの方法しがかったのや。おれは憤りたおん。また迷いだおん。訴訟さすると落着までさ長い時間のかかる事も恐れたおん。おれは修業中のからだんだがらいら、学生として大切な時間を奪われるのは非常の苦いだだとも考えたおん。おれは思案の結果、市さおる中学の旧友さ頼んで、おれの受け取ったがなを、すべて金の形かたちさ変えようとしたっけよ。旧友は止した方が得だといって忠告してくれたおんが、おれは聞きねだったい。おれは永く故郷を離れる決心をその時さ起したのや。叔父の顔を見まいと心のうちで誓ったのや。
 おれは国を立つ前さ、また父とががの墓さ参りたおん。おれはそいづぎりその墓を見た事がありね。もう永久さ見る機会も来ないだべん。
 おれの旧友はおれの言葉通りさ取り計らってくれたおん。もっともそいづはおれが東京さ着いてからよほど経たった後の事だあ。田舎で畠地なんかを売ろうとしたって容易さは売れねし、いざとなると脚元を見て踏み倒される恐れがあるので、おれの受け取った金額は、時価さ比べるとよほど少ないがなだったい。自白すると、おれの財産はおれが懐さして家を出た若干の公債と、後からこの友人さ送ってもらった金だけなのや。親の遺産としてはもとより非常さ減ってださ相違ありね。しかもおれが積極的さ減らしたがらねおんから、なお心持が悪かったのや。けれども学生として生活するさはそいづで充分以上だったい。実をかだるとおれはんんだがらら出る利子の半分も使えねだったい。この余裕あるおれの学生生活がおれを思いも寄らねおん境遇さ陥し入れたのや。

「金さ不自由のないおれは、騒々しい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかつう気さなったのや。だげっとそいづさは世帯道具を買うめんどもあるっちゃし、世話をしてくれる婆つぁんの必要も起るっちゃし、その婆つぁんがまた正直でなければ困るし、宅を留守さしても大丈夫ながなでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束がく見えたのや。ある日おれはまあ宅だけでも探してみようかつうそぞろ心から、散歩がてらさ本郷台を西さ下りて小石川の坂を真直ぐさ伝通院の方さ上がりたおん。電車の通路さなってから、あそごいらの様子がまるで違ってしまいんだがら、その頃は左手が砲兵工廠の土塀で、右は原とも丘とたがぐがい空地さ草が一面さ生えてんだがらなや。おれはその草の中さ立って、何心なく向うの崖を眺ながめたおん。今でも悪い景色ではありねが、その頃はまたずっとあの西側の趣きが違っていだおん。見渡す限り緑が一面さ深く茂っているだけでも、神経が休まるっちゃ。おれはふとこごいらさやんべな宅はないだっちゃうかと思いだおん。そいづで直すぐ草原をよご切って、細い通りを北の方さ進んで行きたおん。いまださ好いい町さなり切れねおんで、がたぴししてっとあの辺さんの家並は、その時分の事んだがらいらずいぶん汚ならしいがなだったい。おれは露次を抜けたり、よご丁を曲まがったり、ぐるぐる歩き廻まわりたおん。しまいさ駄菓子屋の上かみつぁんさ、こごいらさ小ぢんまりした貸家かしやはないかと尋ねてみたおん。上つぁんは「ほでがむつけ」といって、しばらく首をかしげていんだがら、「かし家やはちょいと……」と全く思い当らねおん風ふうだったい。おれは望のぞみのないがなと諦あきらめて帰り掛けたおん。すると上つぁんがまた、「素人下宿だべやいけねか」と聞くのや。おれはわんつか気が変りたおん。静が素人屋さ一人で下宿してっとのは、かえって家をたがぐめんどがなくって結構だっちゃうと考え出したのや。んんだがららその駄菓子屋の店さこすを掛けて、上つぁんさ詳しい事を教えてもらいだおん。
 そいづはある軍人の家族、つうよりもむしろ遺族、の住んでいる家だったい。主人は何でも日清さっしん戦争の時がんかさ死んだのだと上つぁんがいいだおん。一年ばり前までは、市ヶ谷の士官がっこのそばとかさ住んでいたのんだがら、厩なんかがあって、邸が広過ぎるので、そごを売り払って、こごさ引っ越して来たけれども、無人で淋しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれてだのだほでがす。おれは上つぁんから、その家さは未亡人と一人娘と下女より外ほかさいねのだつう事を確かめたおん。おれは閑静で至極好かろうと心の中さ思いだおん。けれどもほだな家族のうちさ、おれのようながなが、ずいら行ったとごで、素性の知れねおん書生つぁんつう名称のもとさ、すぐ拒絶されはしまいかつう掛念もありたおん。おれは止そうかとも考えたおん。だげっとおれは書生としてほだなさ見苦しいふぐ装はしていねだったい。んんだがらら大学の制帽を被っていだおん。あんだは笑うだべん、大学の制帽がどうしたんだといって。けれどもその頃の大学生は今と違って、大分世間さ信用のあったがなや。おれはその場合この四角な帽子さ一種の自信を見出したくらいだあ。そうして駄菓子屋の上つぁんさ教わった通り、紹介も何もなしさその軍人の遺族の家を訪ねたおん。
 おれは未亡人さ会って来意を告げたおん。未亡人はおれの身元やらがっこやら専門やらさついて色々質問したっけよ。そうしてこいずなら大丈夫だつうとごをどっかさ握ったがらしょう、いつでも引っ越して来て差支えねべやつう挨拶を即坐さ与えてくれたおん。未亡人は正しい人だったい、また判然はっきりした人だったい。おれは軍人のがが君つうがなはみんなこっんだがらなかと思って感ふぐしたっけよ。感ふぐもしたが、驚きもしたっけよ。この気性でどごが淋しいのだっちゃうと疑いもしたっけよ。

十一

「おれは早速その家さ引き移りたおん。おれは最初来た時さ未亡人と話をした座敷を借りたのや。そごは宅中で一番好い部屋さやだったい。本郷辺さ高等下宿といった風の家がぽつぽつ建てられた時分の事んだがらいら、おれは書生として占領し得る最も好い間の様子を心得ていだおん。おれの新しく主人となった部屋は、そいづらよりもずっと立派だったい。移った当座は、学生としてのおれさは過ぎるくらいさ思われたのや。
 部屋の広さは八畳だったい。床のよごさ違い棚があって、縁と反対の側さは一間の押入がついていだおん。窓は一つもなかったのやが、その代り南向きの縁さ明るい日がよく差したっけよ。
 おれは移った日さ、その部屋の床さ活けられた花と、そのよごさ立て懸かけられた琴を見たおん。どっちもおれさは気さ入りねだったい。おれは詩や書や煎茶を嗜む父のそばで育ったがら、唐めいた趣味をおぼごのうちからたがいでいだおん。そのためでもありましょうか、こうかだる艶しい装飾をいつの間さか軽蔑する癖がついてだのや。
 おれの父が存生中さあつめた道具類は、例の叔父のためさ滅茶滅茶さされてしまったのやが、そいづでも多少は残っていだおん。おれは国を立つ時そいづを中学の旧友さ預かってもらいだおん。んんだがららその中で面白そうながなを四、五幅裸さして行李の底さ入れて来たおん。おれは移るや否や、そいづを取り出して床さ懸けて楽しむつもりでいたのや。とごろが今いった琴と活花を見たがら、いぎなり勇気がなくなってしまいだおん。後から聞いて始めてこの花がおれさ対するご馳走さ活けられたのだつう事を知った時、おれは心のうちで苦笑したっけよ。もっとも琴は前からそごさあったのやから、こいずは置き所がないため、やむをえずそのままさ立て懸けてあったがらしょうべや。
 こっだ話をすると、自然その裏さ若い女の影があんだのあだまを掠めて通るだべん。移ったおれさも、移らねおん初めからそうかだる好奇心がすでさ動いてだのや。こうした邪気が予備的さおれの自然を損なったためか、またはおれがまだ人慣れなかったためか、おれは始めてそごのお嬢つぁんさ会った時、さどもどした挨拶をしたっけよ。その代りお嬢つぁんの方でも赤い顔をしたっけよ。
 おれはそいづまで未亡人の風采や態度から推して、このお嬢つぁんのすべてを想像してだのや。だげっとその想像はお嬢つぁんさ取ってあまり有利ながなではありねだったい。軍人のがが君んだがららああなのだっちゃう、そのがが君の娘んだがららこうだっちゃうといった順序で、おれの推測は段々延びて行きたおん。とごろがその推測が、お嬢つぁんの顔を見た瞬間さ、悉く打ち消されたおん。そうしておれのあだまの中さ今まで想像も及ばなかった異性の匂さおいが新しく入って来たおん。おれはんんだがらら床の正面さ活いけてある花が厭でなくなったい。同じ床さ立て懸けてある琴も邪魔さならなくなったい。
 その花はまた規則正しく凋れる頃さなると活け更えられるのや。琴も度々鍵の手さ折れ曲がった筋違いの部屋さ運び去られるのや。おれはおれの居間でつぐえの上さほっぺだ杖を突きながら、その琴の音ねを聞いていだおん。おれさはその琴が上手なのか下手なのかよく解わがんねえのや。けれども余り込み入った手を弾ひがいとごを見ると、上手なのだべやなかろうと考えたおん。まあ活花の程度ぐらいながなだっちゃうと思いだおん。花ならおれさも好く分るのだげんちょも、お嬢つぁんは決して旨うまい方ではなかったのや。
 そいづでも臆面なく色々の花がおれの床を飾ってくれたおん。もっとも活方はいつ見ても同じ事だったい。んんだがらら花瓶たがぐいぞ変った例がありねだったい。だげっと片方の音楽さなると花よりももっと変だったい。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向ぬぐっこ声を聞かせねえのや。うだわねのではありねが、まるで内所話でもするようさ小さな声しか出さないのや。しかも叱られると全く出なくなるのや。
 おれは喜んでこの下手な活花を眺めては、まずそうな琴の音さ耳を傾けたおん。

十二

「おれの気分は国を立つ時すでさ厭世的さなっていだおん。他人は頼りさなんねがなだつう観念が、その時骨の中まで染み込んでしまったようさ思われたのや。おれはおれの敵視する叔父だの叔ががだの、その他の親戚だのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出したっけよ。汽車さ乗ってさえ隣のがなの様子を、そいづとなく注意し始めたおん。たまさ向うから話し掛けられでもすると、なおの事警戒を加えたくなったい。おれの心は沈鬱だったい。鉛を呑のんだっちゃうさ重苦しくなる事が時々ありたおん。そいづでいておれの神経は、今いったごとくさ鋭く尖とがってしまったのや。
 おれが東京さ来て下宿を出ようとしたのも、こいずが大きな原因さなっているようさ思われます。金さ不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気さもなったのだといえばそいづまでだげんちょも、元の通りのおれだらば、たとい懐中さ余裕ができても、好んでほだなめんどな真似はしなかっただべん。
 おれは小石川さ引き移ってからも、当分この緊張した気分さ寛ぎを与える事ができねだったい。おれはおれでおれがおしょすいほど、きょときょと周囲を見廻していだおん。不思議さもよく働くのはあだまと眼だけで、くずの方はそいづと反対さ、段々動がくなって来たおん。おれは家のがなの様子をねごっごのようさよく観察しながら、黙ってつぐえの前さ坐っていだおん。時々はあいずらさ対して気の毒だと思うほど、おれは油断のない注意をあいずらの上さ注いでいたのや。おれは物を偸まない巾着切りみたようながなだ、おれはこう考えて、おれが厭やんさなる事さえあったのや。
 あんだは定めて変さ思うだべん。そのおれがそごのお嬢つぁんをなして好く余裕をたがいでいっけ。そのお嬢つぁんの下手な活花を、なして嬉しがって眺める余裕があるか。同じく下手なその人の琴をなして喜んで聞く余裕があるか。そう質問された時、おれはただ両方とも事実であったのんだがらら、事実としてあんださ教えて上げるつうより外ほかさ仕方がないのや。解釈はあだまのあるあんださ任せるとして、おれはただ一言つけ足しておきましょうべや。おれは金さ対して人類を疑ったけれども、愛さ対しては、まだ人類を疑わなかったのや。んだがらら他人から見ると変ながなでも、またおれで考えてみて、矛盾したがなでも、おれのふとごろのなかでは平気で両立してだのや。
 おれは未亡人の事を常さ奥つぁんといっていんだがらら、こいずから未亡人と呼ばねで奥つぁんといいっちゃ。奥つぁんはおれを静が人、大人しい男と評したっけよ。んんだがらら勉強家だとも褒めてくれたおん。けれどもおれの不安な眼つきや、きょときょとした様子さついては、何事もくずさ出しねだったい。気がつがかったのか、遠慮してだのか、どっちだかよく解わかりねが、何しろそごさはまるで注意を払っていねらしく見えたおん。そいづのみならず、ある場合さおれを鷹揚な方かただといって、さも尊敬したらしいくずの利き方をした事があるっちゃ。その時正直なおれはわんつか顔を赤らめて、向うの言葉を否定したっけよ。すると奥つぁんは「あんだはおれで気がつがいから、そうおっしゃるんだあ」と真面目さ説明してくれたおん。奥つぁんは始めおれのような書生を宅さ置くつもりではなかったらしいのや。どっかの役所さ勤める人がんかさ坐敷を貸す料簡で、近所のがなさ周旋を頼んでいたらしいのや。俸給が豊かでなくって、やむをえず素人屋さ下宿するくらいの人んだがららつう考えが、そいづで前かたから奥つぁんのあだまのどっかさはいってんだがららしょうべや。奥つぁんはおれのふとごろさ描いたその想像のお客とおれとを比較して、こっつの方を鷹揚だといって褒めるのや。なるほどほだな切り詰めた生活をする人さ比べたら、おれは金銭さかけて、鷹揚だやぁかも知れね。だげっとそいづは気性の問題ではありねから、おれの内生活さ取ってほとんど関係のないのと一般だったい。奥つぁんはまた女だけさそいづをおれの全体さ推し広げて、同じ言葉を応用すっぺと努めるのや。

十三

「奥つぁんのこの態度が自然おれの気分さ影響して来たおん。しばらくするうちさ、おれの眼はもとほどきょろつがくなったい。おれの心がおれの坐すわっている所さ、ちゃんとおづついているような気さもなれたおん。要するさ奥つぁん始め家のがなが、僻んだおれの眼や疑い深いおれの様子さ、てんから取り合わなかったのが、おれさ大きな幸福を与えたがらしょうべや。おれの神経は相手から照り返して来る反射のないためさ段々静まりたおん。
 奥つぁんは心得のある人だったいから、わざとおれをほだな風さ取り扱ってくれたがなとも思われますし、またおれで公言するごとく、実際おれを鷹揚だと観察してだのかも知れね。おれのこせつき方はあだまの中の現象で、そいづほど外さ出なかったようさも考えられますかいら、そだっちゃがったら奥つぁんの方で胡魔化されてだのかも解わかりね。
 おれの心が静まると共さ、おれは段々家族のがなと接近して来たおん。奥つぁんともお嬢つぁんとも笑談をかだるようさなったい。茶を入れたからといって向うの部屋さ呼ばれる日もありたおん。またおれの方で菓子を買って来て、二人をこっつさ招いたりする晩もありたおん。おれはいぎなり交際の区域が殖ふえたようさ感じたおん。そいづがためさ大切な勉強の時間を潰される事も何度となくありたおん。不思議さも、その妨害がおれさは一向邪魔さならなかったのや。奥つぁんはもとより閑人だったい。お嬢つぁんはがっこさ行く上さ、花だの琴だのを習っているんんだがらら、定めてせわしかろうと思うと、そいづがまた案外ながなで、なんぼでも時間さ余裕をたがいでいるようさ見えたおん。そいづで三人は顔さえ見るといっしょさ集まって、世間話をしながら遊んだのや。
 おれを呼びさ来るのは、たいていお嬢つぁんだったい。お嬢つぁんは縁側を直角さ曲って、おれの部屋の前さ立つ事もあるっちゃし、茶の間を抜けて、次の部屋の襖の影から姿を見せる事もありたおん。お嬢つぁんは、そごさ来てわんつか留まるっちゃ。んんだがららきっとおれの名を呼んで、「ご勉強?」と聞きます。おれはたいていむずかしい書物をつぐえの前さ開けて、そいづを見詰めていんだがらら、そばで見たらなんぼか勉強家のようさ見えたがらしょうべや。だげっと実際をかだると、そいづほど熱心さ書物を研究してはいなかったのや。頁の上さ眼は着けていながら、お嬢つぁんの呼びさ来るのを待っているくらいながなだったい。待っていて来ないと、仕方がないからおれの方で立ち上がるのや。そうして向うの部屋の前さ行って、こっつから「ご勉強んだがらい」と聞くのや。
 お嬢つぁんの部屋は茶の間と続いた六畳だったい。奥つぁんはその茶の間さいる事もあるし、またお嬢つぁんの部屋さいる事もありたおん。いやんべさかだるどよこの二つの部屋は仕切りがあっても、ないと同じ事で、親子二人が往いったり来たりして、どっちつかねで占領してだのや。おれが外から声を掛けると、「おはいんなさい」と答えるのはきっと奥つぁんだったい。お嬢つぁんはそごさいても滅多さ返事をした事がありねだったい。
 時たまお嬢つぁん一人で、用があっておれの部屋さはいったついでさ、そごさ坐って話し込むような場合もその内さ出て来たおん。そうかだる時さは、おれの心が妙さ不安さ冒されて来るのや。そうして若い女とただ差向かいで坐っているのが不安なのだとばりは思えねだったい。おれは何だかそわそわし出すのや。おれでおれを裏切るような不自然な態度がおれを苦しめるのや。だげっと相手の方はかえって平気だったい。こいずが琴を浚うのさ声さえ碌さ出せなかったっちゃや。あの女かしらと疑われるくらい、おしょすがらねおんのや。あまり長くなるので、茶の間からががさ呼ばれても、「はい」と返事をするだけで、容易さこすを上げない事さえありたおん。そいづでいてお嬢つぁんは決しておぼごではなかったのや。おれの眼さはよくそいづが解わかっていだおん。よく解るようさ振舞って見せる痕迹さえ明らかだったい。

十四

「おれはお嬢つぁんの立ったあとで、ほっと一息するのや。そいづと同時さ、物足りねおんようなまた済まないような気持さなるのや。おれは女らしかったのかも知れね。今の青年のあんんんだがららんんだがららら見たらなおそう見えるだべん。だげっとその頃のおれたちはたいていほだながなだやぁのや。
 奥つぁんは滅多めったさ外出した事がありねだやぁい。たまさ宅を留守さする時でも、お嬢つぁんとおれを二人ぎり残して行くような事はなかったのや。そいづがまた偶然なのか、故意なのか、おれさは解らねおんのや。おれのくずからかだるのは変だげんちょも、奥つぁんの様子を能よく観察してっとと、何だかおれの娘とおれとを接近させたがっているらしくも見えるのや。そいづでいて、或ある場合さは、おれさ対して暗あんさ警戒するとごもあるようなのんんだがららいら、始めてこっだ場合さ出会ったおれは、時々心持をわるくしたっけよ。
 おれは奥つぁんの態度をどっちかさ片つかたづけてもらいたかったのや。あだまの働きからいえば、そいづが明らが矛盾さ違いなかったのや。だげっと叔父さ欺かれた記憶のまだ新しいおれは、もう一歩踏み込んだ疑いを挟さまねではいられねだやぁい。おれは奥つぁんのこの態度のどっちかがほんまで、どっちかが偽りだっちゃうと推定したっけよ。そうして判断さ迷いだおん。ただ判断さ迷うばりでなく、何でほだな妙な事をするかその意味がおれさは呑み込めなかったのや。理由を考え出そうとしても、考え出せねえおれは、罪を女つう一字さ塗なすりつけて我慢した事もありたおん。必竟女んんだがらららああなのだ、女つうがなはどうせ愚ながなだおん。おれの考えは行き詰つまればいつでもこごさおづて来たおん。
 そいづほど女を見縊ってだおれが、またなしてもお嬢つぁんを見縊る事ができなかったのや。おれの理屈はその人の前さ全く用を為さないほど動きねだやぁい。おれはその人さ対して、ほとんど信仰さ近い愛をたがいでだのや。おれが宗教だけさ用いるこの言葉を、若い女さ応用するのを見て、あんだは変さ思うかも知れねが、おれは今でも固く信じているのや。ほんまの愛は宗教心とそう違ったがなでないつう事を固く信じているのや。おれはお嬢つぁんの顔を見るたびさ、おれが美しくなるような心持がしたっけよ。お嬢つぁんの事を考えると、気高い気分がすぐおれさ乗り移って来るようさ思いだおん。もし愛つう不可思議ながなさ両端(はす)っこがあって、その高い端っこさは神聖な感じが働いて、低い端っこさは性欲が動いているとすっぺ、すっとよ、おれの愛はたしかさその高い極点を捕まえたがなや。おれはもとより人間としてぬぐっこを離れる事のでぎね身体だやぁい。けれどもお嬢つぁんを見るおれの眼や、お嬢つぁんを考えるおれの心は、全くぬぐっこの臭いを帯びていねだやぁい。
 おれはががさ対して反感を抱いだくと共さ、子さ対して恋愛の度を増まして行ったのやから、三人の関係は、下宿した始めよりは段々複雑さなって来たおん。もっともその変化はほとんど内面的で外さは現れて来なかったのや。そのうちおれはあるひょっとした機会から、今まで奥つぁんを誤解してんんだがらららはなかろうかつう気さなったい。奥つぁんのおれさ対する矛盾した態度が、どっちも偽りだっちゃのだっちゃうと考え直して来たのや。その上、そいづが互い違いさ奥つぁんの心を支配するのでなくって、いつでも両方が同時さ奥つぁんのふとごろさ存在してっとのだと思うようさなったのや。やんんべさかだるどよ奥つぁんができるだけお嬢つぁんをおれさ接近させようとしていながら、同時さおれさ警戒を加えているのは矛盾のようだけれども、その警戒を加える時さ、片方の態度を忘れるのでも翻すのでも何でもなく、やはり依然として二人を接近させたがってだのだと観察したのや。ただおれが正当と認める程度以上さ、二人が密着するのを忌むのだと解釈したのや。お嬢つぁんさ対して、ぬぐっこの方面から近づく念の萌さなかったおれは、その時要らぬ心配だと思いだおん。だげっと奥つぁんを悪く思う気はんんんだがらららなくなったい。

十五

「おれは奥つぁんの態度を色々綜合して見て、おれがこごの家で充分信用されている事を確かめたおん。しかもその信用は初対面の時からあったのだつう証拠さえ発見したっけよ。他ひとを疑うたぐり始めたおれのふとごろさは、この発見がわんつか奇異なくらいさ響いたのや。おれは男さ比べると女の方がそいづだけ直覚さ富んでいるのだっちゃうと思いだおん。同時さ、女が男のためさ、欺されるのもこごさあるのではなかろうかと思いだおん。奥つぁんをそう観察するおれが、お嬢つぁんさ対して同じような直覚を強く働かせてだのんだがらら、今考えるとおかしいのや。おれは他ひとを信じないと心さ誓いながら、絶対さお嬢つぁんを信じてだのやから。そいづでいて、おれを信じている奥つぁんを奇異さ思ったのやから。
 おれは郷里の事さついて余りいっぺを語らなかったのや。ことさ今度の事件さついては何もいわなかったのや。おれはそいづを念あだまさ浮べてさえすでさ一種の不愉快を感じたおん。おれはなるべく奥つぁんの方の話だけを聞こうと努めたおん。とごろがんでは向うが承知しね。なんかさつけて、おれの国元の事情を知りたがるのや。おれはとうとう何もかもかだってしまいだおん。おれは二度と国さは帰らねおん。帰っても何さもない、あるのはただ父とががの墓ばりだと告げた時、奥つぁんは大変感動したらしい様子を見せたおん。お嬢つぁんは泣きたおん。おれはかだって好い事をしたと思いだおん。おれは嬉しかったのや。
 おれのすべてを聞いた奥つぁんは、はたしておれの直覚が的中したといわねばりの顔をし出したっけよ。んんだがららはおれをおれの身寄りさ当る若いがながんかを取り扱うようさ待遇するのや。おれは腹も立ちねだったい。むしろ愉快さ感じたくらいだあ。とごろがそのうちさおれの猜疑心がまた起って来たおん。
 おれが奥つぁんを疑ぐり始めたのは、ごく些細な事からだったい。だげっとその些細な事を重ねて行くうちさ、疑惑は段々と根を張って来ます。おれはどうかだる拍子かふと奥つぁんが、叔父と同じような意味で、お嬢つぁんをおれさ接近させようと努めるのだっちゃかと考え出したのや。すると今まで親切さ見えた人が、いぎなり狡猾な策略家としておれの眼さ映じて来たのや。おれは苦々しいくずびるを噛かみたおん。
 奥つぁんは最初から、無人で淋しいから、客を置いて世話をするのだと公言していだおん。おれもそいづを嘘とは思いねだったい。懇意さなって色々打ち明け話を聞いた後でも、そごさ間違まちがいはなかったようさ思われます。だげっと一般の経済状態は大して豊ゆたかだつうほどではありねだったい。利害問題から考えてみて、おれと特殊の関係をつけるのは、先方さ取って決して損ではなかったのや。
 おれはまた警戒を加えたおん。けれども娘さ対して前いったくらいの強い愛をたがいでいるおれが、そのががさ対してなんぼ警戒を加えたって何さなるだべん。おれは一人でおれを嘲笑したっけよ。馬鹿だなといって、おれを罵った事もあるっちゃ。だげっとそいづだけの矛盾ならなんぼ馬鹿でもおれは大した苦いだも感ぜねで済んだのや。おれの煩悶は、奥つぁんと同じようさお嬢つぁんも策略家ではなかろうかつう疑問さ会って始めて起るのや。二人がおれの背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだっちゃうと思うと、おれはいぎなり苦しくって堪たまらなくなるのや。不愉快なのや。んんだがららはありね。絶体絶命のような行き詰まった心持さなるのや。そいづでいておれは、一方さお嬢つぁんを固く信じて疑わなかったのや。んだがららおれは信念と迷いの途中さ立って、わんつかも動く事ができなくなってしまいだおん。おれさはどっちも想像であり、またどっちも真実であったのや。

十六

「おれは相変らずがっこさ出席していだおん。だげっと教壇さ立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしたっけよ。勉強もその通りだったい。眼の中さはいる活字は心の底まで浸しみ渡らねおんうちさ烟けむのごとく消えて行くのや。おれはその上無くねでなったい。そいづを二、三の友達が誤解して、冥想さ耽ってでもいっけのようさ、他の友達さ伝えたおん。おれはこの誤解を解こうとはしねだったい。都合の好いい仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合しあわせとして喜びたおん。そいづでも時々は気が済まなかったがらしょう、発作的さ焦燥おだづ廻まわってあいずらを驚かした事もあるっちゃ。
 おれの宿は人出入ひとでいりの少ない家だったい。親類もいっぺはないようだったい。お嬢つぁんのがっこ友達がときたま遊びさ来る事はありたおんが、極きわめて小さな声で、いるのだかいねのだか分らねおんような話をして帰ってしまうのが常だったい。そいづがおれさ対する遠慮からだとは、いがおれさも気がつきねだったい。おれの所さ訪ねて来るがなは、大した乱暴者でもありねだったいけれども、宅の人さ気兼ねをするほどな男は一人もなかったのやから。ほだなとごさなると、下宿人のおれは主人のようながなで、肝心かんじんのお嬢つぁんがかえって食客の位地さいたと同じ事だあ。
 だげっとこいずはただ思い出したついでさ書いただけで、実はどうでも構わね点だあ。ただそごさどうでもよくない事が一つあったのや。茶の間か、さもなければお嬢つぁんの部屋さやで、ずいら男の声が聞こえるのや。その声がまたおれの客と違って、すこぶる低いのや。んだがらら何をかだっているのかまるで分らねおんのや。そうして分らなければ分らねおんほど、おれの神経さ一種の昂奮を与えるのや。おれは坐わっていて変さいらいらし出します。おれはあいづは親類なのだっちゃうか、そいづとたががだの知り合いなのだっちゃうかとまず考えて見るのや。んんだがらら若い男だっちゃうか年輩の人だっちゃうかと思案してみるのや。坐っていてほだな事の知れようはずがありね。そうかといって、起って行って障子しょうじを開けて見る訳さはなおいきね。おれの神経は震えるつうよりも、大きな波動を打っておれを苦しめます。おれは客の帰った後で、きっと忘れねでその人の名を聞きたおん。お嬢つぁんや奥つぁんの返事は、また極めて簡単だったい。おれは物足りねおん顔を二人さ見せながら、物足りるまで追窮ついきゅうする勇気をたがいでいなかったのや。権利は無論たがいでいなかったがらしょうべや。おれはおれの品格を重んじなければなんねつう教育から来た自尊心と、現さその自尊心を裏切りしてっと物欲しそうな顔つきとを同時さあいずらの前さ示すのや。あいずらは笑いだおん。そいづが嘲笑の意味でなくって、好意から来たがなか、また好意らしく見せるつもりなのか、おれは即坐さ解釈の余地を見出し得ないほど落つきを失ってしまうのや。そうして事が済んだ後で、いつまでも、馬鹿さされたのだ、馬鹿さされたんだべやなかろうかと、何遍も心のうちで繰り返すのや。
 おれは自由な身体だったい。たといがっこを中途で已めようが、またどごさ行ってどう暮らそうが、そだっちゃがったらどごの何者と結婚すっぺが、誰だれとも相談する必要のない位地さ立っていだおん。おれは思い切って奥つぁんさお嬢つぁんを貰もらい受ける話をしてみっぺしかつう決心をした事がそいづまでさ何度となくありたおん。けれどもそのたびごとさおれは躊躇ちゅうちょして、くずさはとうとう出さねでしまったのや。断られるのが恐ろしいからではありね。もし断られたら、おれの運命がどう変化するか分りねけれども、その代り今までとは方角の違った場所さ立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのんだがらいら、そのくらいの勇気は出せば出せたのや。だげっとおれは誘き寄せられるのが厭やだったい。他人の手さ乗るのは何よりも業腹だったい。叔父さ欺されたおれは、こいずから先どんな事があっても、人さは欺されまいと決心したのや。

十七

「おれが書物ばり買うのを見て、奥つぁんはわんつか着物を拵えろといいだおん。おれは実際田舎で織った木綿がなしかたがいでいなかったのや。その頃の学生は絹の入った着物を肌さ着けねだったい。おれの友達さよご浜の商人どがんかで、宅はながか派出はでさ暮してっとがながありたおんが、そごさある時羽二重の胴着が配達で届いた事があるっちゃ。すると皆みんながそいづを見て笑いだおん。その男はおしょすがって色々弁解したっけよが、折角の胴着を行李の底さ放ほうり込んで利用しねのや。そいづをまた大勢が寄ってたかって、わざと着せたおん。すると運悪くその胴着さ蝨がたかりたおん。友達はちょうど幸いとでも思ったがらしょう、評判の胴着をぐるぐると丸めて、散歩さ出たついでさ、根津の大きな泥溝の中さ棄ててしまいだおん。その時いっしょさ歩いてだおれは、橋(はす)の上さ立って笑いながら友達の所作を眺めていんだがら、おれのふとごろのどごさも勿体もったいねつう気はわんつかも起りねだったい。
 その頃から見るとおれも大分大人さなっていだおん。けれどもまだおれで余所行きの着物を拵えるつうほどの分別は出なかったのや。おれは卒業して髯を生やす時代が来なければ、ふぐ装の心配なんかはするさ及ばないがなだつう変な考えをたがいでだのや。そいづで奥つぁんさ書物は要いるが着物は要らねおんといいだおん。奥つぁんはおれの買う書物の分がさを知っていだおん。買った本をみんな読むのかと聞くのや。おれの買うがなの中うちさは字引きもあるっちゃげんちょも、当然眼を通すべきはずでありながら、頁さえ切ってねのも多少あったのやから、おれは返事さ窮したっけよ。おれはどうせ要らねおんがなを買うなら、書物でも衣ふぐでも同じだつう事さ気がつきたおん。その上おれは色々世話さなるつうくず実の下さ、お嬢つぁんの気さ入るような帯か反物を買ってやりたかったのや。そいづで万事を奥つぁんさ依頼したっけよ。
 奥つぁんはおれ一人で行くとはいいね。おれさもいっしょさ来いと命令するのや。お嬢つぁんも行がくてはわがんないつうのや。今と違った空気の中さ育てられたおれどもは、学生の身分として、あまり若い女なんかといっしょさ歩き廻まわる習慣をたがいでいなかったがなや。その頃のおれは今よりもまだ習慣の奴隷だったいから、多少躊躇したっけよが、思い切って出掛けたおん。
 お嬢つぁんは大層着飾っていだおん。地体が色の白いくせさ、白粉おしろいを豊富さ塗ったがなんだがららなお目立ちます。往来の人がじろじろ見てゆくのや。そうしてお嬢つぁんを見たがなはきっとその視線をひるがえして、おれの顔を見るのんだがらら、変ながなだったい。
 三人は日本はすさ行って買いたいがなを買いだおん。買う間さも色々気が変るので、思ったより暇ひまがかかりたおん。奥つぁんはわざわざおれの名を呼んでどうだっちゃうと相談をするのや。時々反物をお嬢つぁんのかんだがららふとごろさたでさ当てておいて、おれさ二、三歩遠退とおのいて見てくれろつうのや。おれはそのたびごとさ、そいづは駄目だとか、そいづはよく似合うとか、とさかく一人前のくずを聞きたおん。
 こっだ事で時間が掛かって帰りは夕飯の時刻さなったい。奥つぁんはおれさ対するお礼さなんかご馳走ちそうするといって、木原店つう寄席のある狭いよご丁さおれを連れ込みたおん。よご丁も狭いが、飯を食わせる家も狭いがなだったい。この辺の地理を一向心得ないおれは、奥つぁんの知識さ驚いたくらいだあ。
 我々は夜さ入いって家さ帰りたおん。その翌日は日曜だったいから、おれは終日部屋の中さ閉じ籠こたがいでいだおん。月曜さなって、がっこさ出ると、おれは朝っぱらんだんだ級友の一人から調戯れたおん。いつががを迎えたのかといってわざとらしく聞かれるのや。んんだがららおれの細君は非常さ美人だといって賞ほめるのや。おれは三人連れで日本橋(にほんばす)さ出掛けたとごを、その男さどっかで見られたがなとみえます。

十八

「おれは宅さ帰って奥つぁんとお嬢つぁんさその話をしたっけよ。奥つぁんは笑いだおん。だげっと定めて迷惑だっちゃうといっておれの顔を見たおん。おれはその時腹のなかで、男はこっだ風さして、女から気を引いて見られるのかと思いだおん。奥つぁんの眼は充分おれさそう思わせるだけの意味をたがいでだのや。おれはその時おれの考えている通りを直截さ打ち明けてしまえば好かったかも知れね。だげっとおれさはもう狐疑つう薩張りしね塊がこびりついていだおん。おれは打ち明けようとして、ひょいと留りたおん。そうして話の角度を故意さわんつか逸したっけよ。
 おれは肝心のおれつうがなを問題の中から引き抜いてしまいだおん。そうしてお嬢つぁんの結婚さついて、奥つぁんの意中を探ったのや。奥つぁんは二、三そうかだる話のないでもないような事を、明らかさおれさ告げたおん。だげっとまんだがらっこさ出ているくらいで年が若いから、こっつゃではさほど急がないのだと説明したっけよ。奥つぁんはくずさは出さないけれども、お嬢つぁんの容色さ大分重きを置いているらしく見えたおん。決めようと思えばいつでも決められるんんだがららつうような事さえくず外したっけよ。んんだがららお嬢つぁんより外さおぼごがないのも、容易さ手離したがらねおん原因さなっていだおん。嫁さやるか、婿を取るか、そいづささえ迷っているのではなかろうかと思われるとごもありたおん。
 かだっているうちさ、おれは色々の知識を奥つぁんから得たような気がしたっけよ。だげっとそいづがためさ、おれは機会を逸っしたと同様の結果さ陥ってしまいだおん。おれはおれさついて、ついさ一言もくずを開く事ができねだったい。おれは好い加減なとごで話を切り上げて、おれの部屋さかえっぺとしたっけよ。
 さっきまでそばさいて、あんまりだわとか何とかいって笑ったお嬢つぁんは、いつの間さか向うの隅さ行って、せながをこっつさ向けていだおん。おれは立とうとして振り返った時、その後姿を見たのや。後姿だけで人間の心が読めるはずはありね。お嬢つぁんがこの問題さついてどう考えていっけ、おれさは見当がつきねだったい。お嬢つぁんは戸棚を前さして坐っていだおん。その戸棚の一尺ばり開いている隙間から、お嬢つぁんはなんか引き出してひだべやかぶひだべやかぶの上さ置いて眺めているらしかったのや。おれの眼はその隙間の端(はす)っこさ、おどでおととい買った反物を見つけ出したっけよ。おれの着物もお嬢つぁんのも同じ戸棚の隅さ重ねてあったのや。
 おれが何ともいわねで席を立ち掛けると、奥つぁんはいぎなり改まった調子さなって、おれさどう思うかと聞くのや。その聞き方は何をどう思うのかと反問しねげど解わがんねえほど不意だったい。そいづがお嬢つぁんを早く片つけた方が得策だっちゃうかつう意味だと判然はっきりした時、おれはなるべくゆっくりな方がいいだっちゃうと答えたおん。奥つぁんはおれもそう思うといいだおん。
 奥つぁんとお嬢つぁんとおれの関係がこうなっている所さ、もう一人男が入いり込まなければなんね事さなったい。その男がこの家庭の一員となった結果は、おれの運命さ非常な変化をきたしていっちゃ。もしその男がおれの生活の行路をよご切らなかっただらば、おそらくこうかだる長いがなをあんださ書き残す必要も起らなかっただべん。おれは手もなく、魔の通る前さ立って、その瞬間の影さ一生を薄暗くされて気がつかねでいたのと同じ事だあ。自白すると、おれはおれでその男を宅さ引張ひっぱって来たのや。無論奥つぁんの許諾も必要んだがらいら、おれは最初何もかも隠さず打ち明けて、奥つぁんさ頼んだのや。とごろが奥つぁんは止せといいだおん。おれさは連れて来なければ済まない事情が充分あるのさ、止せつう奥つぁんの方さは、筋の立った理屈はまるでなかったのや。んだがららおれはおれの善いいと思うとごを強いて断行してしまいだおん。

十九

「おれはその友達の名をこごさKと呼んでおきます。おれはこのKとおぼごの時からの仲好しだったい。おぼごの時からといえば断らねおんでも解っているだべん、二人さは同郷の縁故があったのや。Kは真宗の坊つぁんの子だったい。もっとも長男ではありね、次男だったい。そいづである医者の所さ養子さやられたのや。おれの生れた地方は大変本願寺派の勢力の強い所だったいから、真宗の坊つぁんは他のがなさ比べると、物質的さ割が好かったようだあ。一例を挙げると、もし坊つぁんさびでっこがあって、そのびでっこが年頃さなったとすると、檀家のがなが相談して、どっかやんべな所さ嫁さやってくれます。無論費用は坊つぁんの懐から出るのではありね。ほだな訳で真宗寺はたいてい裕福だったい。
 Kの生れた家も相応さ暮らしてだのや。だげっと次男を東京さ修業さ出すほどの余力があったかどうか知りね。また修業さ出られる便宜があるので、養子の相談が纏まとまったがなかどうか、そごもおれさは分りね。とさかくKは医者の家さ養子さ行ったのや。そいづはおれたちがまだ中学さいる時の事だったい。おれは教場で先生が名簿を呼ぶ時さ、Kの姓がいぎなり変ってんだがらら驚いたのを今でも記憶していっちゃ。
 Kの養子先もがりな財産家だったい。Kはそごから学資を貰って東京さ出て来たのや。出て来たのはおれといっしょでなかったけれども、東京さ着いてからは、すぐ同じ下宿さ入りたおん。その時分は一つ部屋でよく二人も三人たがぐぐえを並べて寝起きしたがなや。Kとおれも二人で同じ間さいだおん。山で生捕られた動物が、檻の中で抱き合いながら、外を睨むようながなだったいろうべや。二人は東京と東京の人を畏れたおん。そいづでいて六畳の間の中では、天下を睥睨するような事をいってだのや。
 だげっと我々は真面目だったい。我々は実際偉くなるつもりでいたのや。ことさKは強かったのや。寺さ生れたあいずは、常さ精進つう言葉を使いだおん。そうしてあいずの行為動作は悉くこの精進の一語で形容されるようさ、おれさは見えたのや。おれは心のうちで常さKを畏敬していだおん。
 Kは中学さいた頃から、宗教とか哲学とかかだるむずかしい問題で、おれを困らせたおん。こいずはあいずの父の感化なのか、またはおれの生れた家、すなわち寺つう一種特別な建物さ属する空気の影響なのか、解わかりね。ともかくもあいずは普通の坊つぁんよりは遥かさ坊つぁんらしい性格をたがいでだっちゃうさ見受けられます。元来Kの養家ではあいずを医者さするつもりで東京さ出したのや。しかるさ頑固なあいずは医者さはなんね決心をたがいで、東京さ出て来たのや。おれはあいねで向って、んでは養父ががを欺くと同じ事だっちゃかと詰りたおん。大胆なあいずはんだと答えるのや。道のためなら、そのくらいの事をしても構わねつうのや。その時あいずの用いた道つう言葉は、おそらくあいねでもよく解っていなかっただべん。おれは無論解ったとはいえね。だげっと年の若いおれたちさは、この漠然とした言葉が尊く響いたのや。よし解らねおんさしても気高い心持さ支配されて、そちらの方さ動いてあばいんとする意気込みさ卑しいとごの見えるはずはありね。おれはKの説さ賛成したっけよ。おれの同意がKさとってどのくらい有力であったか、そいづはおれも知りね。一途なあいずは、たといおれがなんぼ反対すっぺとも、やはりおれの思い通りを貫いたさ違いなかろうとは察せられます。だげっと万一の場合、賛成の声援を与えたおれさ、多少の責任ができてくるぐらいの事は、おぼごながらおれはよく承知してだつもりだあ。よしその時さそいづだけの覚悟がないさしても、成人した眼で、過去を振り返る必要が起った場合さは、おれさ割り当てられただけの責任は、おれの方で帯びるのが至当さなるくらいな語気でおれは賛成したのや。

二十

「Kとおれは同じ科さ入学したっけよ。Kは澄たおん顔をして、養家から送ってくれる金で、おれの好きな道を歩き出したのや。知れはしねつう安心と、知れたって構うがなかつう度ふとごろとが、二つながらKの心さあったがなと見るよりほか仕方がありね。Kはおれよりも平気だったい。
 最初の夏休みさKは国さ帰りねだったい。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだといっていだおん。おれが帰って来たのは九月上旬だったいが、あいずははたして大観音のそばのやばっつね寺の中さ閉じ籠たがいでいだおん。あいずの座敷は本堂のすぐそばの狭い部屋だったいが、あいずはんでよおれの思う通りさ勉強ができたのを喜んでいるらしく見えたおん。おれはその時あいずの生活の段々坊つぁんらしくなって行くのを認めたようさ思うんだっちゃの。あいずは手頸さ珠数を懸けていだおん。おれがそいづは何のためだと尋ねたら、あいずは親指で一つ二つと勘定する真似をして見せたおん。あいずはこうして日さ何遍も珠数の輪を勘定するらしかったのや。ただしその意味はおれさは解わかりね。円い輪さなっているがなを一粒ずつ数えてゆけば、どごまで数えていっても終局はありね。Kはどんな所でどんな心持がして、爪繰ぐる手を留めただべん。詰まらねおん事だげんちょも、おれはよくそいづを思うのや。
 おれはまたあいずの部屋さ聖書を見たおん。おれはそいづまでさお経の名を度々あいずのくずから聞いた覚えがあるっちゃげんちょも、基督教さついては、問われた事も答えられたためしもなかったのやから、わんつかたまげてしまったっちゃや。おれはその理由を訊ねねではいられねだったい。Kは理由はないといいだおん。こいずほど人の有難たがる書物なら読んでみるのが当り前だっちゃうともいいだおん。その上あいずは機会があったら、『コーラン』も読んでみるつもりだといいだおん。あいずはモハメッドと剣つう言葉さ大いなる興味をたがいでいるようだったい。
 二年目の夏さあいずは国から催促を受けてやっとご帰りたおん。帰っても専門の事は何さもいわなかったがなとみえます。家でもまたそごさ気がつがかったのや。あんだはがっこ教育を受けた人んだがらら、こうかだる消息をよく解してっとだべんが、世間は学生の生活だの、がっこの規則だのさ関して、たまげるべく無知ながなや。我々さ何でもない事が一向いっこう外部さは通じていね。我々はまた比較的内部の空気ばり吸っているので、校内の事は細大ともさ世の中さ知れ渡っているはずだと思い過ぎる癖があるっちゃ。Kはその点さかけて、おれより世間を知ってんだがららしょう、澄たおん顔でまた戻って来たおん。国を立つ時はおれもいっしょだったいから、汽車さ乗るや否やすぐどうだやぁとKさ問いだおん。Kはどうでもなかったと答えたのや。
 三度目の夏はちょうどおれが永久さ父ががの墳墓の地を去ろうと決心した年だあ。おれはその時Kさ帰国を勧めたおんが、Kは応じねだったい。そう毎年家さ帰って何をするのだつうのや。あいずはまた踏み留まって勉強するつもりらしかったのや。おれは仕方なしさ一人で東京を立つ事さしたっけよ。おれの郷里で暮らしたその二カ月間が、おれの運命さとって、いかさ波瀾さ富んんだがらなかは、前さ書いた通りんだがらいら繰り返しね。おれは不平と憂鬱と孤独の淋しさとを一つふとごろさ抱いだいて、九月さ入いってまたKさ逢いだおん。するとあいずの運命もまたおれと同様さ変調を示していだおん。あいずはおれのしゃねうちさ、養家先さ手紙を出して、こっつからおれのいつわりを白状してしまったのや。あいずは最初からその覚悟でいたのだほでがす。今更いまさら仕方がないから、お前の好きながなをやるより外ほかさ途みちはあるまいと、向うさいわせるつもりもあったがらしょうか。とさかく大学さ入ってまでも養父ががを欺あざむき通す気はなかったらしいのや。また欺こうとしても、そう長く続くがなだっちゃと見抜いたのかも知れね。

二十一

「Kの手紙を見た養父は大変怒りたおん。親を騙すような不埒ながなさ学資を送る事はでぎねつう厳しい返事をすぐ寄こしたのや。Kはそいづをおれさ見せたおん。Kはまたそいづと前後して実家から受け取った書翰も見せたおん。こいねでも前さ劣らねおんほど厳しい詰責の言葉がありたおん。養家先さ対して済まないつう義理が加わっていっけらでもありましょうが、こっつでも一切構わねと書いてありたおん。Kがこの事件のためさ復籍してしまうか、そいづとも他さ妥協の道を講じて、依然養家さ留まるか、そごはこいずから起る問題として、差し当りどうかしねげどなんねのは、月々さ必要な学資だったい。
 おれはその点さついてKさなんか考えがあるのかと尋ねたおん。Kは夜がっこの教師でもするつもりだと答えたおん。その時分は今さ比べると、存外世の中が寛いでいんだがらら、内職のくずはあんんだがら考えるほど払底でもなかったのや。おれはKがそいづで充分やって行けるだっちゃうと考えたおん。だげっとおれさはおれの責任があるっちゃ。Kが養家の希望さ背そむいて、おれの行きたい道をあばいんとした時、賛成したがなはおれだあ。おれはそうかといって手を拱こまぬいでいる訳さゆきね。おれはその場で物質的な補助をすぐ申し出したっけよ。するとKは一も二もなくそいづを跳ねつけたおん。あいずの性格からいって、自活の方が友達の保護の下さ立つより遥かさ快よく思われたがらしょうべや。あいずは大学さはいった以上、おれ一人ぐらいどうかできなければ男でないような事をいいだおん。おれはおれの責任を全うするためさ、Kの感情を傷つけるさ忍びねだったい。そいづであいずの思う通りささせて、おれは手を引きたおん。
 Kはおれの望むようなくずをほどなく探し出したっけよ。だげっと時間をいだますむあいねでとって、この仕事がどのくらい辛かったかは想像するまでもない事だあ。あいずは今まで通り勉強の手をちっとも緩めねで、新しい荷を背負って猛進したのや。おれはあいずの健康を気遣いだおん。だげっと剛気なあいずは笑うだけで、わんつかもおれの注意さ取り合いねだったい。
 同時さあいずと養家との関係は、段々こんがらがって来たおん。時間さ余裕のなくなったあいずは、前のようさおれとかだる機会を奪われたがら、おれはついさその顛末をこまごぐ聞かねでしまいんだがら、解決のますます困難さなってゆく事だけは承知していだおん。人が仲さ入って調停を試みた事も知っていだおん。その人は手紙でKさ帰国を促したのやが、Kは到底駄目だといって、応じねだったい。この剛情なとごろが、――Kは学年中で帰れねおんのんだがらら仕方がないといいだけれども、向うから見れば剛情だべん。そごが事態をますます険悪さしたようさも見えたおん。あいずは養家の感情を害すると共さ、実家の怒いかりも買うようさなったい。おれが心配して双方を融和するためさ手紙を書いた時は、もう何の効果ききめもありねだったい。おれの手紙は一言の返事さえ受けねで葬られてしまったのや。おれも腹が立ちたおん。今までも行掛り上、Kさ同情してだおれは、そいづ以後は理否を度外さ置いてもKの味方をする気さなったい。
 うっしょさKはとうとう復籍さ決したっけよ。養家から出してもらった学資は、実家で弁まやする事さなったのや。その代り実家の方でも構わねから、こいずからは勝手さしろつうのや。昔の言葉でいえば、まあ勘当なのだべん。そだっちゃがったらそいづほど強いがなでなかったかも知れねが、当人はそう解釈していだおん。Kはががのない男だったい。あいずの性格の一面は、たしかさ継ががさ育てられた結果とも見る事ができるようだあ。もしあいずの実のががが生きてだら、そだっちゃがったらあいずと実家との関係さ、こうまで隔りができねで済んだかも知れねおんとおれは思うのや。あいずの父はかだるまでもなく僧侶だったい。けれども義理堅い点さおいて、むしろ武士さ似たとごろがありはしねかと疑われます。

二十二

「Kの事件が一段落ついた後で、おれはあいずの姉の夫から長い封書を受け取りたおん。Kの養子さ行った先は、こいづの親類さ当るのんだがらいら、あいずを周旋した時さも、あいずを復籍させた時さも、こいづの意見が重きをなしてだのだと、Kはおれさかだって聞かせたおん。
 手紙さはその後Kがなしていっけ知らせてくれと書いてありたおん。姉が心配していっけら、なるべく早く返事を貰もらいたいつう依頼たがぐけ加えてありたおん。Kは寺を嗣ついだあんつぁんよりも、他家さ縁づいてんばだの姉を好いていだおん。あいずらはみんな一つ腹から生れた姉しゃでだあけれども、この姉とKとの間さは大分年歯の差があったのや。そいづでKのおぼごの時分さは、継ががよりもこの姉の方が、かえってほんまのががらしく見えたがらしょうべや。
 おれはKさ手紙を見せたおん。Kは何ともいいねだったいけれども、おれの所さこの姉から同じような意味の書状が二、三度来たつう事を打ち明けたおん。Kはそのたびさ心配するさ及ばないと答えてやったのだほでがす。運悪くこの姉は生活さ余裕のない家さ片ついたためさ、なんぼKさ同情があっても、物質的さしゃでをなしてやる訳さも行がかったのや。
 おれはKと同じような返事をあいずの義あんつぁん宛てで出したっけよ。その中うちさ、万一の場合さはおれがどうでもするから、安心するようさつう意味を強い言葉で書き現わしたっけよ。こいずはもとよりおれの一存だったい。Kの行先を心配するこの姉さ安心を与えようつう好意は無論含まれていんだがら、おれを軽蔑したとより外さ取りようのないあいずの実家や養家ようかさ対する意地もあったのや。
 Kの復籍したのは一年生の時だったい。んんだがらら二年生の中頃さなるまで、約一年半の間、あいずは独力で己おのれを支えていったのや。とごろがこの過度の労力が次第さあいずの健康と精神の上さ影響して来たようさ見え出したっけよ。そいづさは無論養家を出る出ないの蒼蠅やがます問題も手伝ってだだべん。あいずは段々感傷的さなって来たのや。時さよると、おれだけが世の中のぶっしゃせを一人で背負って立っているような事をいいっちゃ。そうしてそいづを打ち消せばすぐ激するのや。んんだがららおれの未来さよごたわる光明が、次第さあいずの眼を遠退いて行くようさも思って、いらいらするのや。学問をやり始めた時さは、誰しも偉大な抱負をたがいで、新しい旅さ上るのが常だげんちょも、一年と立ち二年と過ぎ、もう卒業も間近さなると、いぎなりおれの足の運びの鈍いのさ気がついて、過半はんでよ失望するのが当り前さなっていっからよ、Kの場合も同じなのだげんちょも、あいずの焦慮り方はまた普通さ比べると遥かさ甚しかったのや。おれはついさあいずの気分をおづつけるのが専一だと考えたおん。
 おれはあいねで向って、余計な仕事をするのは止よせといいだおん。そうして当分身体からだを楽さして、遊ぶ方が大きな将来のためさ得策だと忠告したっけよ。剛情なKの事んだがらいら、容易さおれのかだる事なんかは聞くまいと、かねて予期してだのやが、実際いい出して見ると、思ったよりも説き落すのさ骨がぼしょれだので弱りたおん。Kはただ学問がおれの目的だっちゃと主張するのや。意志の力を養って強い人さなるのがおれの考えだつうのや。そいづさはなるべく窮屈な境遇さいなくてはなんねと結論するのや。普通の人から見れば、まるで酔狂だあ。その上窮屈な境遇さいるあいずの意志は、ちっとも強くなっていねのや。あいずはむしろ神経衰弱さ罹かかっているくらいなのや。おれは仕方がないから、あいねで向って至極同感であるような様子を見せたおん。おれもそうかだる点さ向って、人生を進むつもりだやぁとついさは明言したっけよ。(もっともこいずはおれさ取ってまんざら空虚な言葉でもなかったのや。Kの説を聞いていると、段々そうかだるとごさ釣り込まれて来るくらい、あいねでは力があったのやから)。うっしょさおれはKといっしょさ住んで、いっしょさ向上の路を辿って行きたいと発議したっけよ。おれはあいずの剛情を折り曲げるためさ、あいずの前さ跪く事をあえてしたのや。そうして漸っとの事であいずをおらえさ連れて来たおん。

二十三

「おれの座敷さは控えの間つうような四畳が属していだおん。玄関を上がっておれのいる所さ通ろうとするさは、ぜひこの四畳をよご切らなければなんねのんだがらら、実用の点から見ると、至極不便な部屋だったい。おれはこごさKを入れたのや。もっとも最初は同じ八畳さ二つつぐえを並べて、次の間を共有さして置く考えだやぁのやが、Kは狭苦しくっても一人でいる方が好いいといって、おれでそっつのほうを択んだのや。
 前さも話した通り、奥つぁんはおれのこの所置さ対して始めは不賛成だやぁのや。下宿屋だらば、一人より二人が便利だし、二人より三人が得さなるけれども、商売でないのんだがらら、なるべくなら止した方が好いつうのや。おれが決して世話の焼ける人でないから構うまいつうと、世話は焼けねえべやでも、気心の知れねおん人は厭だと答えるのや。んでは今厄介さなっているおれだって同じ事だっちゃかと詰ると、おれの気心は初めからよく分っていると弁解して已まないのや。おれは苦笑したっけよ。すると奥つぁんはまた理屈の方向を変えます。ほだな人を連れて来るのは、おれのためさ悪いから止せといい直します。なんでおれのためさ悪いかと聞くと、今度は向うで苦笑するのや。
 実をかだるとおれだって強いてKといっしょさいる必要はなかったのや。けれども月々の費用を金の形であいずの前さ並べて見せると、あいずはきっとそいづを受け取る時さ躊躇するだっちゃうと思ったのや。あいずはそいづほど独立心の強い男だったい。んだがららおれはあいずをおれの宅さ置いて、二人前の食料をあいずのしゃね間さそっと奥つぁんの手さ渡そうとしたのや。だげっとおれはKの経済問題さついて、一言も奥つぁんさ打ち明ける気はありねだったい。
 おれはただKの健康さついて云々したっけよ。一人で置くとますます人間が偏屈さなるばりんだがららといいだおん。そいづさつけ足して、Kが養家と折合の悪かった事や、実家と離れてしまった事や、色々かだって聞かせたおん。おれは溺かかった人を抱いて、おれの熱を向うさ移してやる覚悟で、Kを引き取るのだと告げたおん。そのつもりであたたかいめんどを見てやってくれと、奥つぁんさもお嬢つぁんさも頼みたおん。おれはこごまで来て漸々ようよう奥つぁんを説き伏せたのや。だげっとおれから何さも聞がいKは、この顛末をまるで知らねでいだおん。おれもかえってそいづを満足さ思って、のっそり引き移って来たKを、知らん顔で迎えたおん。
 奥つぁんとお嬢つぁんは、親切さあいずの荷物を片つける世話や何なさかをしてくれたおん。すべてそいづをおれさ対する好意から来たのだと解釈したおれは、心のうちで喜びたおん。――Kが相変らずむっちりした様子をしてっとさもかかわらず。
 おれがKさ向って新しい住居の心持はどうだと聞いた時さ、あいずはただ一言悪くないといっただけだったい。おれからいわせれば悪くないどごろだっちゃのや。あいずの今までいた所は北向きの湿っぽい臭いのするやばっつね部屋だったい。食物も部屋相応さ粗末だったい。おらえさ引き移ったあいずは、幽谷から喬木さ移った趣があったくらいだあ。そいづをさほどさ思う気色を見せねえのは、一つはあいずの強情から来ているのだげんちょも、一つはあいずの主張からも出ているのや。仏教の教義で養われたあいずは、衣食住さついてとかくの贅沢をかだるのをあたかも不道徳のようさ考えていだおん。なまじい昔の高僧だとか聖徒だとかの伝を読んだあいねでは、ややともすると精神とぬぐっこ体とを切り離したがる癖がありたおん。ぬぐっこを鞭撻すれば霊の光輝が増すようさ感ずる場合さえあったのかも知れね。
 おれはなるべくあいねで逆らわね方針を取りたおん。おれは氷を日向さ出して溶かす工夫をしたのや。今さ融けて温かい水さなれば、おれでおれさ気がつく時機が来るさ違いねと思ったのや。

二十四

「おれは奥つぁんからそうかだる風さ取り扱われた結果、段々快活さなって来たのや。そいづを自覚してだから、同じがなを今度はKの上さ応用すっぺと試みたのや。Kとおれとが性格の上さおいて、大分相違のある事は、長くつきあって来たおれさよく解っていだけれども、おれの神経がこの家庭さ入ってから多少角が取れたごとく、Kの心もこごさ置けばいつか静まる事があるだっちゃうと考えたのや。
 Kはおれより強い決心を有してっと男だったい。勉強もおれの倍ぐらいはしただべん。その上たがいで生れたあだまの質がおれよりもずっとよかったのや。後では専門が違いんだがらら何ともいえねが、同じ級さいる間は、中学でも高等がっこでも、Kの方が常さ上席を占めていだおん。おれさは平生から何をしてもKさ及ばないつう自覚があったくらいだあ。けれどもおれが強いてKをおれの宅さ引っ張ぱって来た時さは、おれの方がよく事理を弁えていると信じていだおん。おれさいわせると、あいずは我慢と忍耐の区別を了解していねようさ思われたのや。こいずはとくさあんだのためさつけ足しておきたいのんだがらいら聞いてけらい。ぬぐっこ体なり精神なりすべて我々の能力は、外部の刺戟で、発達もするし、破壊されもするだべんが、どっちさしても刺戟を段々さ強くする必要のあるのは無論んだがらいら、よく考えねべやと、非常さ険悪な方向さむいて進んで行きながら、おれはもちろんそばはたのがなも気がつかねでいる恐れが生じてきます。医者の説明を聞くと、人間の胃袋ほどよご着ながなはないほでがす。粥ばり食っていると、そいづ以上の堅いがなをこなす力がいつの間さがくなってしまうのだほでがす。んだがらら何でも食う稽古をしておけと医者はかだるのや。けれどもこいずはただ慣れるつう意味ではなかろうと思うんだっちゃの。次第さ刺戟を増すさ従って、次第さ営養機能の抵抗力が強くなるつう意味でなくてはなるっちゃまい。もし反対さ胃の力の方がじりじり弱って行ったなら結果はどうなるだっちゃうと想像してみればすぐ解る事だあ。Kはおれより偉大な男だったいけれども、全くこごさ気がついていなかったのや。ただ困難さ慣れてしまえば、しまいさその困難は何でもなくなるがなだと決めてだらしいのや。艱苦を繰り返せば、繰り返すつうだけの功徳で、その艱苦が気さかからなくなる時機さ巡りあえるがなと信じ切ってだらしいのや。
 おれはKを説くときさ、ぜひそごを明らかさしてやりたかったのや。だげっといえばきっと反抗されるさ決まっていだおん。また昔の人の例なんかを、引合いさたがいで来るさ違いねと思いだおん。そうなればおれだって、その人たちとKと違っている点を明白さ述べなければならなくなるっちゃ。そいづを首肯ってくれるようなKならいいのやけれども、あいずの性質として、議論がそごまでゆくと容易さ後さは返りね。なお先さ出ます。そうして、くずで先さ出た通りを、行為で実現しさ掛かるっちゃ。あいずはこうなると恐るべき男だったい。偉大だったい。おれでおれを破壊しつつ進みます。結果から見れば、あいずはただ自己のうまいこどいって成功を打ち砕く意味さおいて、偉大なのさ過ぎないのやけれども、そいづでも決して平凡ではありねだったい。あいずの気性をよく知ったおれはついさ何ともかだる事ができなかったのや。その上おれから見ると、あいずは前さも述べた通り、多少神経衰弱さ罹かってだっちゃうさ思われたのや。よしおれがあいずを説き伏せたとごで、あいずは必ず激するさ違いねのや。おれはあいずと喧嘩をする事は恐れてはいねだったいけれども、おれが孤独の感さ堪たえなかったおれの境遇を顧みると、親友のあいずを、同じ孤独の境遇さ置くのは、おれさ取って忍びない事だったい。一歩進んで、より孤独な境遇さ突き落すのはなお厭だったい。そいづでおれはあいずが宅さ引き移ってからも、当分の間は批評がましい批評をあいずの上さ加えねでいだおん。ただ穏やかさ周囲のあいねで及ぼす結果を見る事さしたのや。

二十五

「おれは蔭さ廻まわって、奥つぁんとお嬢つぁんさ、なるべくKと話をするようさ頼みたおん。おれはあいずのこいずまで通って来た無言生活があいねで祟っているのだっちゃうと信じたからだあ。使わね鉄が腐るようさ、あいずの心さは錆が出てだとしか、おれさは思われなかったのや。
 奥つぁんは取りつき把のない人だといって笑っていだおん。お嬢つぁんはまたわざわざその例を挙げておれさ説明して聞かせるのや。火鉢さ火があるかと尋ねると、Kはないと答えるほでがす。ではたがいで来ようつうと、要らねおんと断るほでがす。寒くはないかと聞くと、すばれるけれども要らねおんんだといったぎり応対をしねのだほでがす。おれはただ苦笑してっと訳さもゆきね。気の毒んだがらら、何とかいってその場を取り繕っておがければ済まなくなるっちゃ。もっともそいづは春の事んだがらいら、強いて火さあたる必要もなかったのやが、こいずでは取りつき把がないといわれるのも無理はないと思いだおん。
 そいづでおれはなるべく、おれが中心さなって、女二人とKとの連絡をはかるようさ努めたおん。Kとおれがかだっている所さ家の人を呼ぶとか、または家の人とおれが一つ部屋さおづ合った所さ、Kを引っ張り出すとか、どっちでもその場合さ応じた方法をとって、あいずらを接近させようとしたのや。もちろんKはそいづをあまり好みねだったい。ある時はふいと起って部屋の外さ出たおん。またある時はなんぼ呼んでもながか出て来ねだったい。Kはあんな無駄話をしてどごがおもしぇえつうのや。おれはただ笑っていだおん。だげっと心の中では、Kがそのためさおれを軽蔑してっとことがよく解りたおん。
 おれはある意味から見て実際あいずの軽蔑さ値してだかも知れね。あいずの眼の着け所はおれより遥かさ高いとごさあったともいわれるだべん。おれもそいづを否みはしね。だげっと眼だけ高くって、外が釣り合わねのは手もなく不具だあ。おれは何を措いても、この際あいずを人間らしくするのが専一だと考えたのや。なんぼあいずのあだまが偉い人の影像で埋まっていても、あいず自身が偉くなってゆがい以上は、何の役さも立たないつう事を発見したのや。おれはあいずを人間らしくする第一の手段として、まず異性のそばさあいずを坐わらせる方法を講じたのや。そうしてそごから出る空気さあいずを曝した上、錆つきかかったあいずの血液を新しくすっぺと試みたのや。
 この試みは次第さうまいこどいって成功したっけよ。初めのうち融合しさくいようさ見えたがなが、段々一つさ纏まって来出きだしたっけよ。あいずはおれ以外さ世界のある事をわんつかずつ悟ってゆくようだったい。あいずはある日おれさ向って、女はそう軽蔑すべきがなでないつうような事をいいだおん。Kははじめ女からも、おれ同様の知識と学問を要求してだらしいのや。そうしてそいづが見つからねおんと、すぐ軽蔑の念を生じたがなと思われます。今までのあいずは、性さよって立場を変える事を知らねで、同じ視線だあべての男女を一様さ観察してだのや。おれはあいねで、もし我ら二人だけが男同志で永久さ話を交換してっとだらば、二人はただ直線的さ先さ延びて行くさ過ぎないだっちゃうといいだおん。あいずはもっともだと答えたおん。おれはその時お嬢つぁんの事で、多少夢中さなっている頃だったいから、自然ほだな言葉も使うようさなったがらしょうべや。だげっと裏面の消息はあいねでは一くずも打ち明けねだったい。
 今まで書物で城壁を築いてその中さ立て籠たがいでだっちゃうなKの心が、段々打ち解けて来るのを見ているのは、おれさ取って何よりも愉快だったい。おれは最初からそうした目的で事をやり出したのやから、おれのうまいこどいって成功さ伴う喜悦を感ぜねではいられなかったのや。おれは本人さいわね代りさ、奥つぁんとお嬢つぁんさおれの思った通りを話したっけよ。二人も満足の様子だったい。

二十六

「Kとおれは同じ科さおりながら、専攻の学問が違っていんんだがららら、自然出る時や帰る時さ遅速がありたおん。おれの方が早ければ、ただあいずの空室を通り抜けるだけだげんちょも、とろこいと簡単な挨拶をしておれの部屋さはいるのを例さしていだおん。Kはいづがな眼を書物からはなして、襖を開けるおれをわんつか見ます。そうしてきっと今帰ったのかといいっちゃ。おれは何も答えねべやで頷く事もあるっちゃし、おがっちゃがったらただ「うん」と答えて行き過ぎる場合もあるっちゃ。
 ある日おれは神田さ用があって、帰りがいづもよりずっと遅れたおん。おれは急ぎ足さ門前まで来て、格子をがらりと開けたおん。そいづと同時さ、おれはお嬢つぁんの声を聞いたのや。声は慥さKの部屋から出たと思いだおん。玄関から真直まっすぐさ行けば、茶の間、お嬢つぁんの部屋と二つ続いていて、そいづを左さ折れると、Kの部屋、おれの部屋、つう間取りなのんんだがららいら、どごで誰の声がしたくらいは、久しく厄介さなっているおれさはよく分るのや。おれはすぐ格子を締めたおん。するとお嬢つぁんの声もすぐ止みたおん。おれがくづを脱いでいるうち、――おれはその時分からハイカラで手数のかかる編上を穿いてだのやが、――おれが屈んでそのくづ紐を解いているうち、Kの部屋では誰の声もしねだやぁい。おれは変さ思いだおん。ことさよると、おれの勘違いかも知れねおんと考えたのや。だげっとおれがいづがな通りKの部屋を抜けようとして、襖を開けると、そごさ二人はちゃんと坐っていだおん。Kは例の通り今帰ったかといいだおん。お嬢つぁんも「お帰り」と坐ったままで挨拶したっけよ。おれさは気のせいかその簡単な挨拶がわんつか硬いようさ聞こえたおん。どっかで自然を踏み外してっとような調子として、おれの鼓膜さ響いたのや。おれはお嬢つぁんさ、奥つぁんはと尋ねたおん。おれの質問さは何の意味もありねだやぁい。家のうちが平常より何だかひっそりしてんだがらら聞いて見ただけの事だあ。
 奥つぁんははたして留守だやぁい。下女も奥つぁんといっしょさ出たがらしたっちゃや。んんだがららら家さ残っているのは、Kとお嬢つぁんだけだやぁのや。おれはわんつか首を傾けたおん。今まで長い間世話さなってだけれども、奥つぁんがお嬢つぁんとおれだけを置き去りさして、家を空けたためしはまだなかったのやから。おれはなんか急用でもできたのかとお嬢つぁんさ聞き返したっけよ。お嬢つぁんはただ笑っているのや。おれはこっだ時さ笑う女がすかねだやぁい。若い女さ共通な点だといえばそいづまでかも知れねが、お嬢つぁんも下らねおん事さよく笑いたがる女だやぁい。だげっとお嬢つぁんはおれの顔色を見て、すぐ不断の表情さ帰りたおん。急用だっちゃが、わんつか用があって出たのだと真面目さ答えたおん。下宿人のおれさはそいづ以上問い詰める権利はありね。おれは沈黙したっけよ。
 おれが着物を改めて席さ着くか着がかだるちさ、奥つぁんも下女も帰って来たおん。やがて晩食の食卓でみんなが顔を合わせる時刻が来たおん。下宿した当座は万事客扱いだやぁがら、食事のたびさ下女が膳を運んで来てくれたのやが、そいづがいつの間さか崩れて、飯時さは向うさ呼ばれて行く習慣さなってだのや。Kが新しく引き移った時も、おれが主張してあいずをおれと同じようさ取り扱わせる事さ決めたおん。その代りおれは薄い板で造った脚(あす)の畳み込める華奢な食卓を奥つぁんさ寄つきふしたっけよ。今ではどごの宅でも使っているようだげんちょも、その頃ころほだな卓の周囲さ並んで飯を食う家族はほとんどなかったのや。おれはわざわざ御茶水の家具屋さ行って、おれの工夫通りさそいづを造り上げさせたのや。
 おれはその卓上で奥つぁんからその日いづがな時刻さ肴屋が来なかったがら、おれたちさ食わせるがなを買いさ町さ行がければならなかったのだつう説明を聞かされたおん。なるほど客を置いている以上、そいづももっともな事だとおれが考えた時、お嬢つぁんはおれの顔を見てまた笑い出したっけよ。だげっと今度は奥つぁんさ叱られてすぐ止めたおん。

二十七

「一週間ばりしておれはまたKとお嬢つぁんがいっしょさかだっている部屋を通り抜けたおん。その時お嬢つぁんはおれの顔を見るや否や笑い出したっけよ。おれはすぐ何がおかしいのかと聞けばよかったがらしょうべや。そいづをつい黙っておれの居間まで来てしまったのや。んだがららKもいづがなようさ、今帰ったかと声を掛ける事ができなくなったい。お嬢つぁんはすぐ障子を開けて茶の間さ入ったようだったい。
 夕飯の時、お嬢つぁんはおれを変な人だといいだおん。おれはその時もなんで変なのか聞かねでしまいだおん。ただ奥つぁんが睨めるような眼をお嬢つぁんさ向けるのさ気がついただけだったい。
 おれは食後Kを散歩さ連れ出したっけよ。二人は伝通院の裏手から植物園の通りをぐるりと廻ってまた富坂の下さ出たおん。散歩としては短い方ではありねだったいが、その間あいださ話した事は極めて少なかったのや。性質からかだると、Kはおれよりも無くずな男だったい。おれも多弁な方ではなかったのや。だげっとおれは歩きながら、できるだけ話をあいねで仕掛しかけてみたおん。おれの問題はおもさ二人の下宿してっと家族さついてだったい。おれは奥つぁんやお嬢つぁんをあいずがどう見ていっけ知りたかったのや。とごろがあいずは海のがなとも山のがなとも見分みわけのつがいような返事ばりするのや。しかもその返事は要領を得ないくせさ、極めて簡単だったい。あいずは二人の女さ関してよりも、専攻の学科の方さいっぺの注意を払っているようさ見えたおん。もっともそいづは二学年目の試験が目の前さ逼っている頃だったいから、普通の人間の立場から見て、あいずの方が学生らしい学生だやぁがらしょうべや。その上あいずはシュエデンボルグがどうだとかこうだとかいって、無学なおれを驚かせたおん。
 我々が首尾よく試験を済たおんっけよ時、二人とももう後一年だといって奥つぁんは喜んでくれたおん。そうかだる奥つぁんの唯一の誇とも見られるお嬢つぁんの卒業も、間もなく来る順さなってだのや。Kはおれさ向って、女つうがなは何さもしゃねでがっこを出るのだといいだおん。Kはお嬢つぁんが学問以外さ稽古してっと縫針だの琴だの活花だのを、まるで眼中さ置いていねようだったい。おれはあいずの迂闊を笑ってやりたおん。そうして女の価値はほだな所さあるがなでないつう昔の議論をまたあいずの前で繰り返したっけよ。あいずは別段反駁はんばくもしねだったい。その代りなるほどつう様子も見せねだったい。おれさはそごが愉快だったい。あいずのふんといったような調子が、依然として女を軽蔑してっとようさ見えたからだあ。女の代表者としておれの知っているお嬢つぁんを、物の数とも思っていねらしかったからだあ。今から回顧すると、おれのKさ対する嫉妬は、その時さもう充分萌きざしてだのや。
 おれは夏休みさどっかさあばいんかとKさ相談したっけよ。Kは行きたくないようなくず振くちぶりを見せたおん。無論あいずはおれの自由意志でどごさも行ける身体ではありねが、おれが誘いさえすれば、またどごさ行っても差支えねべや身体だやぁのや。おれはなんで行きたくないのかとあいねで尋ねてみたおん。あいずは理由も何さもないつうのや。家で書物を読んだ方がおれの勝手だつうのや。おれが避暑地さ行って涼しい所で勉強した方が、身体のためだと主張すると、そいづならおれ一人行ったらよかろうつうのや。だげっとおれはK一人をこごさ残して行く気さはなれねおんのや。おれはただでさえKと家のがなが段々親しくなって行くのを見ているのが、余り好い心持ではなかったのや。おれが最初希望した通りさなるのが、何でおれの心持を悪くするのかといわれればそいづまでだあ。おれは馬鹿さ違いねのや。果しのつがい二人の議論を見るさ見かねて奥つぁんが仲さ入りたおん。二人はとうとういっしょさ房州さ行く事さなったい。

二十八

「Kはあまり旅さ出ない男だったい。おれさも房州は初めてだったい。二人は何さもしゃねで、船が一番先さ着いた所から上陸したのや。たしか保田とかいいだおん。今ではどんなさ変っていっけ知りねが、その頃ころはひどい漁村だったい。第一どごもかしこも生臭いいのや。んんだがらら海さ入ると、波さ押し倒されて、すぐ手だの肢(あす)だのを擦り剥くのや。拳のような大きな石が打ち寄せる波さ揉まれて、始終ごろごろしてっとのや。
 おれはすぐ厭さなったい。だげっとKは好いとも悪いともいいね。少なくとも顔つきだけは平気ながなだったい。そのくせあいずは海さ入る度さどっかさ怪我をしね事はなかったのや。おれはとうとうあいずを説き伏せて、そごから富浦さ行きたおん。富浦たごまた那古さ移りたおん。すべてこの沿岸はその時分から主さ学生の集まる所だったいから、どごでも我々さはちょうど手頃な海水浴場だやぁのや。Kとおれはよく海岸の岩の上さ坐すわって、遠い海の色や、近い水の底を眺めたおん。岩の上から見下ろす水は、また特別さ綺麗ながなだったい。赤い色だの藍の色だの、普通市場さ上らねおんような色をした小さがなっこが、透き通る波の中をあちらこっつゃと泳いでいるのが鮮やかさ指れたおん。
 おれはそごさ坐って、よく書物をひろげたおん。Kは何もせねで黙っている方が多かったのや。おれさはそいづが考えさ耽っているのか、景色さ見惚れているのか、もしくは好きな想像を描いているのか、全く解らなかったのや。おれは時々眼を上げて、Kさ何をしてっとのだと聞きたおん。Kは何もしていねと一言答えるだけだったい。おれはおれのそばさこうじっとして坐っているがなが、Kでなくって、お嬢つぁんだやぁらなんぼか愉快だっちゃうと思う事がよくありたおん。そいづだけならまだいいのだげんちょも、時さはKの方でもおれと同じような希望を抱いて岩の上さ坐っているのだっちゃかしらと忽然疑い出すのや。するとおづついてそごさ書物をひろげているのがいぎなり厭さなるっちゃ。おれは不意さ立ち上あがるっちゃ。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴るっちゃ。纏まった詩だのうだだのを面白そうさ吟ずるような手緩い事はでぎねのや。ただ野蛮人のごとくさわめくのや。ある時おれはずいらあいずの襟頸をうすろからぐいと攫みたおん。こうして海の中さ突き落したらなじょするといってKさ聞きたおん。Kは動きねだったい。うすろ向きのまま、ちょうど好い、やってくれと答えたおん。おれはすぐ首筋を抑えた手を放したっけよ。
 Kの神経衰弱はこの時もう大分よくなってだらしいのや。そいづと反比例さ、おれの方は段々過敏さなって来てだのや。おれはおれよりおづついているKを見て、うらやましがりたおん。また憎らしがりたおん。あいずはなしてもおれさ取り合う気色を見せなかったからだあ。おれさはそいづが一種の自信のごとく映りたおん。だげっとその自信をあいねで認めたとごで、おれは決して満足できなかったのや。おれの疑いはもう一歩前さ出て、その性質を明めたがりたおん。あいずは学問なり事業なりさついて、こいずからおれの進んで行くべき前途の光明をもいっかい取り返した心持さなったのだっちゃうか。単さそいづだけだらば、Kとおれとの利害さ何の衝突の起る訳はないのや。おれはかえって世話のし甲斐があったのを嬉しく思うくらいながなや。けれどもあいずの安心がもしお嬢つぁんさ対してであるとすっぺ、すっとよ、おれは決してあいずを許す事ができなくなるのや。不思議さもあいずはおれのお嬢つぁんを愛してっと素振りさ全く気がついていねようさ見えたおん。無論おれもそいづがKの眼さつくようさわざとらしくは振舞いねだったいけれども。Kは元来そうかだる点さかけると鈍い人なのや。おれさは最初からKなら大丈夫つう安心があったがら、あいずをわざわざ家さ連れて来たのや。

二十九

「おれは思い切っておれの心をKさ打ち明けようとしたっけよ。もっともこいずはその時さ始まった訳でもなかったのや。旅さ出ない前から、おれさはそうした腹ができてだのやけれども、打ち明ける機会をとらえる事も、その機会を作り出す事も、おれの手際では上手くゆがかったのや。今から思うと、その頃おれの周囲さいた人間はみんな妙だったい。女さ関して立ち入った話なんかをするがなは一人もありねだったい。中さはかだる種をたががないのも大分いただべんが、たといたがいでいても黙っているのが普通のようだったい。比較的自由な空気を呼吸してっと今のあんんだがらんだがらら見たら、定めし変さ思われるだべん。そいづが道学の余習なのか、または一種のはさかみなのか、判断はあんだの理解さ任せておきます。
 Kとおれは何でも話し合える中だったい。偶さは愛とか恋とかかだる問題も、くねで上らねおんではありねだったいが、いつでも抽象的な理論さおづてしまうだけだったい。そいづも滅多さは話題さならなかったのや。たいていは書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切ってだのや。なんぼ親しくってもこう堅くなった日さは、ずいら調子を崩せるがなではありね。二人はただ堅いなりさ親しくなるだけだあ。おれはお嬢つぁんの事をKさ打ち明けようと思い立ってから、何遍歯がゆい不快さ悩まされたか知れね。おれはKのあだまのどっか一カ所を突き破って、そごから柔らかい空気を吹き込んでやりたい気がしたっけよ。
 あんんだがらんだがらら見て笑止千万な事もその時のおれさは実際大困難だやぁのや。おれは旅先でも家さいた時と同じようさ卑怯だったい。おれは始終機会を捕える気でKを観察していながら、変さ高踏的なあいずの態度をなじょする事もできなかったのや。おれさいわせると、あいずの心臓の周囲は黒い漆で厚く塗り固められたのも同然だったい。おれの注ぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中さは入らねおんで、悉く弾き返されてしまうのや。
 或ある時はあまりKの様子が強くて高いので、おれはかえって安心した事もあるっちゃ。そうしておれの疑いを腹の中で後悔すると共さ、同じ腹の中で、Kさ詫びたおん。詫びながらおれが非常さ下等な人間のようさ見えて、いぎなり厭な心持さなるのや。だげっと少時しばらくすると、以前の疑いがまた逆戻りをして、強く打ち返して来ます。すべてが疑いから割り出されるのんだがらいら、すべてがおれさは不利益だったい。容貌もKの方が女さ好かれるようさ見えたおん。性質もおれのようさこせこせしていねとごろが、異性さは気さ入るだっちゃうと思われたおん。どっか間が抜けていて、そいづでどっかさ確りした男らしいとごのある点も、おれよりは優勢さ見えたおん。学力さなれば専門こそ違いっけんども、おれは無論Kの敵でないと自覚していだおん。――すべて向うの好いとごだけがこういっかいさ眼先さ散らつき出すと、わんつか安心したおれはすぐ元の不安さ立ち返るのや。
 Kはおづつがいおれの様子を見て、厭ならひとまず東京さ帰ってもいいといったのやが、そういわれると、おれはいぎなり帰りたくなくなったい。実はKを東京さ帰したくなかったのかも知れね。二人は房州の鼻を廻って向う側さ出たおん。我々は暑い日さ射られながら、苦しい思いをして、上総のそご一里さ騙されながら、うんうん歩きたおん。おれさはそうして歩いている意味がまるで解らなかったくらいだあ。おれは冗談半分Kさそういいだおん。するとKは足があるから歩くのだと答えたおん。そうして暑くなると、海さ入ってあばいんといって、どごでも構わず潮さ浸かりたおん。その後をまた強い日で照りつけられるのんだがらいら、身体からんだがら倦怠くてぐたぐたさなったい。

三十

「こっだ風さして歩いていると、暑さと疲労とで自然身体のあんべぇさ狂って来るがなや。もっとも病気とは違いっちゃ。いぎなり他人の身体の中さ、おれの霊魂が宿替えをしたような気分さなるのや。おれは平生の通りKとくずを利ききながら、どっかで平生の心持と離れるようさなったい。あいねで対する親しみも憎しみも、旅中限りつう特別な性質を帯びる風さなったのや。いやんべさかだるどよ二人は暑さのため、潮のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係さ入る事ができたがらしょうべや。その時の我々はあたかも道づれさなった行商のようながなだったい。なんぼ話をしてもいづもと違って、あだまを使う込み入った問題さは触れねだったい。
 我々はこの調子でとうとう銚子まで行ったのやが、道中たった一つの例外があったのを今さ忘れる事がでぎねのや。まだ房州を離れねおん前、二人は小湊つう所で、鯛の浦を見物したっけよ。もう年数もよほど経っていっちゃし、そいづさおれさはそいづほど興味のない事んだがらいら、判然とは覚えていねが、何でもそごは日蓮の生れた村だとかかだる話だったい。日蓮の生れた日さ、鯛が二尾磯さ打ち上げられてだとかかだる言伝えさなっているのや。そいづ以来村の漁師が鯛をとる事を遠慮して今さ至ったのんだがらら、浦さは鯛が沢山いるのや。我々は小舟を傭って、その鯛をわざわざ見さ出掛けたのや。
 その時おれはただ一途さ波を見ていだおん。そうしてその波の中さ動くわんつか紫がかった鯛の色を、おもしぇえ現象の一つとして飽かず眺めたおん。だげっとKはおれほどそいづさ興味をもち得なかったがなとみえます。あいずは鯛よりもかえって日蓮の方をあだまの中で想像してだらしいのや。ちょうどそごさ誕生寺つう寺がありたおん。日蓮の生れた村んだがらら誕生寺とでも名をつけたがなだべん、立派な伽藍だったい。Kはその寺さ行って住持さ会ってみるといい出したっけよ。実をかだると、我々はずいぶん変なふぐ装をしてだのや。ことさKは風のためさ帽子を海さ吹き飛ばされた結果、菅笠を買って被っていだおん。着物は固より双方とも垢じみた上さ汗で臭くなっていだおん。おれは坊つぁんなんかさ会うのは止よそうといいだおん。Kは強情んだがらら聞きね。厭ならおれだけ外さ待っていろつうのや。おれは仕方がないからいっしょさ玄関さかかりたおんが、心のうちではきっと断られるさ違いねと思っていだおん。とごろが坊つぁんつうがなは案外までぃながなで、広い立派な座敷さおれたちを通して、すぐ会ってくれたおん。その時分のおれはKと大分考えが違っていんだがらら、坊つぁんとKの談話さそいづほど耳を傾ける気も起りねだったいが、Kはしきりさ日蓮の事を聞いてだっちゃうだあ。日蓮は草日蓮といわれるくらいで、草書が大変上手であったと坊つぁんがいった時、字の拙いKは、何だ下らねおんつう顔をしたのをおれはまだ覚えていっちゃ。Kはほだな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったがらしょうべや。坊つぁんがその点でKを満足させたかどうかは疑問だげんちょも、あいずは寺の境内を出ると、しきりさおれさ向って日蓮の事を云々し出したっけよ。おれは暑くて草臥れて、そいづどごろではありねだったいから、ただくずの先で好い加減な挨拶をしていだおん。そいづもめんどさなってしまいさは全く黙ってしまったのや。
 たしかその翌あくる晩の事だと思うけんどもよ、二人は宿さ着いて飯を食って、もう寝っぺつうわんつか前さなってから、いぎなりむずかしい問題を論じ合い出したっけよ。Kはきんさょおれの方から話しかけた日蓮の事さついて、おれが取り合わなかったのを、快く思っていなかったのや。精神的さ向上心がないがなは馬鹿だといって、何だかおれをさもほでなすがなのようさやり込めるのや。とごろがおれのふとごろさはお嬢つぁんの事が蟠まっていっからよ、あいずの侮蔑さ近い言葉をただ笑って受け取る訳さいきね。おれはおれで弁解を始めたのや。

三十一

「その時おれはしきりさ人間らしいつう言葉を使いだおん。Kはこいづ間らしいつう言葉のうちさ、おれがおれの弱点のすべてを隠してっとつうのや。なるほど後から考えれば、Kのかだる通りだったい。だげっと人間らしくない意味をKさ納得させるためさその言葉を使い出したおれさは、出立点がすでさ反抗的だったいから、そいづを反省するような余裕はありね。おれはなおの事自説を主張したっけよ。するとKがあいずのどごをつらまえて人間らしくないつうのかとおれさ聞くのや。おれはあいねで告げたおん。――君は人間らしいのだおん。そだっちゃがったら人間らし過ぎるかも知れねおんのだおん。けれどもくずの先だけでは人間らしくないような事をかだるのだおん。また人間らしくないようさ振舞おうとするのだおん。
 おれがこういった時、あいずはただおれの修養が足りねおんから、他ひとさはそう見えるかも知れねおんと答えただけで、一向いっこうおれを反駁すっぺとしねだったい。おれは張合いが抜けたつうよりも、かえって気の毒さなったい。おれはすぐ議論をんでよ切り上げたおん。あいずの調子もだんだん沈んで来たおん。もしおれがあいずの知っている通り昔の人を知るだらば、ほだな攻撃はしねだっちゃうといって悵然としていだおん。Kのくねでした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのや。霊のためさぬぐっこを虐げたり、道のためさ体を鞭うったりしたほれ、かだるべや難行苦行の人を指すのや。Kはおれさ、あいずがどのくらいそのためさ苦しんでいっけ解らねおんのが、いかさも残念だと明言したっけよ。
 Kとおれとはそいづぎり寝てしまいだおん。そうしてその翌日たごまた普通の行商の態度さ返って、うんうん汗を流しながら歩き出したのや。だげっとおれは路々その晩の事をひょいひょいと思い出したっけよ。おれさはこの上もない好い機会が与えられたのさ、しゃね振ふりをしてなんでそいづをやり過ごしたのだっちゃうつう悔恨の念が燃えたのや。おれは人間らしいつう抽象的な言葉を用いる代りさ、もっと直截で簡単な話をKさ打ち明けてしまえば好かったと思い出したのや。実をかだると、おれがほだな言葉を創造したのも、お嬢つぁんさ対するおれの感情が土台さなってだのやから、事実を蒸溜して拵らえた理論なんかをKの耳さ吹き込むよりも、元の形そのままをあいずの眼の前さ露出した方が、おれさはたしかさ利益だやぁだべん。おれさそいづができなかったのは、学問の交際が基調を構成してっと二人の親しみさ、自ら一種の惰性があったため、思い切ってそいづを突き破るだけの勇気がおれさ欠けてだのだつう事をこごさ自白します。気取り過ぎたといっても、虚栄心が祟たたったといっても同じだべんが、おれのかだる、気取るとか虚栄とかかだる意味は、普通のとはわんつか違いっちゃ。そいづがあんださ通じさえすれば、おれは満足なのや。
 我々は真黒さなって東京さ帰りたおん。帰った時はおれの気分がまた変っていだおん。人間らしいとか、人間らしくないとかかだる小理屈はほとんどあだまの中さ残っていねだったい。Kさも宗教家らしい様子が全く見えなくなったい。おそらくあいずの心のどごさも霊がどうのぬぐっこがどうのつう問題は、その時宿っていなかっただべん。二人は異人種のような顔をして、せわしそうさ見える東京をぐるぐる眺めたおん。んんだがらら両国さ来て、暑いのさ軍鶏を食いだおん。Kはその勢いで小石川まで歩いてかえっぺつうのや。体力からいえばKよりもおれの方が強いのんだがらいら、おれはすぐ応じたおん。
 家さ着いた時、奥つぁんは二人の姿を見てたまげてしまったっちゃや。二人はただ色が黒くなったばりでなく、むやみさ歩いてだうちさ大変瘠せてしまったのや。奥つぁんはそいづでも丈夫そうさなったといって褒めてくれるのや。お嬢つぁんは奥つぁんの矛盾がおかしいといってまた笑い出したっけよ。旅行前時々腹の立ったおれも、その時だけは愉快な心持がしたっけよ。場合が場合なのと、久しぶりさ聞いたせいだべん。

三十二

「そいづのみならずおれはお嬢つぁんの態度がわんつか前と変っているのさ気がつきたおん。久しぶりで旅から帰ったおれたちが平生の通りおづつくまでさは、万事さついて女の手が必要だやぁのやが、その世話をしてくれる奥つぁんはとさかく、お嬢つぁんがすべておれの方を先さして、Kを後廻しさするようさ見えたのや。そいづを露骨さやられては、おれも迷惑したかもしれね。場合さよってはかえって不快の念さえ起しかねなかったろうと思うのだげんちょも、お嬢つぁんの所作はその点で甚だ要領を得てだから、おれは嬉しかったのや。いやんべさかだるどよお嬢つぁんはおれだけさ解わかるようさ、持前の親切を余分さおれの方さ割り宛ててくれたのや。んだがららKは別さ厭な顔もせねで平気でいだおん。おれは心の内でひそかさあいねで対する凱うだを奏したっけよ。
 やがて夏も過ぎて九月の中頃から我々はまたがっこの課業さ出席しねげどなんね事さなったい。Kとおれとは各自てんでんの時間の都合で出入りの刻限さまた遅速ができてきたおん。おれがKより遅れて帰る時は一週さ三度ほどありたおんが、いつ帰ってもお嬢つぁんの影をKの部屋さ認める事はないようさなったい。Kは例の眼をおれの方さ向けて、「今帰ったのか」を規則のごとく繰り返したっけよ。おれの会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味だったい。
 たしか十月の中頃と思うんだっちゃの。おれは寝坊をした結果、日本ふぐのままわらわらがっこさ出た事があるっちゃ。穿物も編上なんかを結んでいる時間がいだますいので、草履を突っかけたなり飛び出したのや。その日は時間割からかだると、Kよりもおれの方が先さ帰るはねでなっていだおん。おれは戻って来ると、そのつもりで玄関の格子をがらりと開けたのや。するといねと思ってだKの声がひょいと聞こえたおん。同時さお嬢つぁんの笑い声がおれの耳さ響きたおん。おれはいづがなようさ手数のかかるくづを穿いていねから、すぐ玄関さ上がって仕切しきりの襖を開けたおん。おれは例の通りつぐえの前さ坐っているKを見たおん。だげっとお嬢つぁんはもうそごさはいなかったのや。おれはあたかもKの部屋から逃れ出るようさ去るその後姿をちらりと認めただけだったい。おれはKさなして早く帰ったのかと問いだおん。Kは心持が悪いから休んだのだと答えたおん。おれがおれの部屋さはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢つぁんが茶をたがいで来てくれたおん。その時お嬢つぁんは始めてお帰りといっておれさ挨拶をしたっけよ。おれは笑いながらさっきはなんで逃げたんだあと聞けるような捌けた男ではありね。そいづでいて腹の中では何だかその事が気さかかるような人間だやぁのや。お嬢つぁんはすぐ座を立って縁側伝いさ向うさ行ってしまいだおん。だげっとKの部屋の前さ立ち留まって、二言三言内と外とで話をしていだおん。そいづはさっきの続きらしかったのやが、前を聞がいおれさはまるで解りねだったい。
 そのうちお嬢つぁんの態度がだんだん平気さなって来たおん。Kとおれがいっしょさ家さいる時でも、よくKの部屋の縁側さ来てあいずの名を呼びたおん。そうしてそごさ入って、ゆっくりしていだおん。無論郵便をたがいで来る事もあるし、洗濯物を置いてゆく事もあるのんだがらいら、そのくらいの交通は同じ家さいる二人の関係上、当然と見なければなんねのだべんが、ぜひお嬢つぁんを専有したいつう強烈な一念さ動かされているおれさは、なしてもそいづが当然以上さ見えたのや。ある時はお嬢つぁんがわざわざおれの部屋さ来るのを回避して、Kの方ばりさ行くようさ思われる事さえあったくらいだあ。そいづならなんでKさ家を出てもらわねのかとあんだは聞くだべん。だげっとそうすればおれがKを無理さ引張って来た主意が立たなくなるだけだあ。おれさはそいづがでぎねのや。

三十三

「十一月のすばれる雨の降る日の事だやぁい。おれは外套を濡(む)らして例の通り蒟蒻閻魔を抜けて細い坂路を上って宅さ帰りたおん。Kの部屋は空虚だやぁいけれども、火鉢さは継ぎたての火が暖かそうさ燃えていだおん。おれもひゃっこい手を早く赤い炭の上さ翳そうと思って、わらわらおれの部屋の仕切しきりを開けたおん。するとおれの火鉢さはひゃっこいあぐが白く残っているだけで、火種さえ尽きているのや。おれはいぎなり不愉快さなったい。
 その時おれの足音を聞いて出て来たのは、奥つぁんだやぁい。奥つぁんは黙って部屋の真中さ立っているおれを見て、気の毒そうさ外套を脱がせてくれたり、日本ふぐを着せてくれたりしたっけよ。んんんだがらららおれがすばれるつうのを聞いて、すぐ次の間からKの火鉢をたがいで来てくれたおん。おれがKはもう帰ったのかと聞きたおんら、奥つぁんは帰ってまた出たと答えたおん。その日もKはおれより遅れて帰る時間割だやぁのやから、おれはどうした訳かと思いだおん。奥つぁんは大方用事でもできたのだっちゃうといっていだおん。
 おれはしばらくそごさ坐ったまま書見をしたっけよ。家の中がしんと静まって、誰の話し声も聞こえねべやうちさ、初冬の寒さと佗しさとが、おれの身体さ食い込むような感じがしたっけよ。おれはすぐ書物を伏せて立ち上りたおん。おれはふと賑やが所さ行きたくなったのや。雨はやっとあがったようだげんちょも、空はまだひゃっこい鉛のようさ重く見えたがら、おれは用心のため、蛇の目をかださ担いで、砲兵工廠の裏手の土塀さついて東さ坂を下りたおん。その時分はまだ道路の改正がでぎね頃なのや。んんんだがららら、坂の勾配が今よりもずっと急だやぁい。道幅も狭くて、ああ真直ぐではなかったのや。その上あの谷さ下りると、南が高い建物で塞っているのと、水捌けがよくないのとで、往来はどろどろだやぁい。ことさ細い石橋(いしばす)を渡って柳町の通りさ出る間が非道かったのや。足駄でも長靴(ながぐづ)でもむやみさ歩く訳さはゆきね。誰でも路の真中さ自然と細長く泥が掻き分けられた所を、後生までさ辿って行がければなんねのや。その幅は僅か一、二尺しがいのんんだがららいら、手もなく往来さ敷いてある帯の上を踏んで向うさ越すのと同じ事だあ。行く人はみんな一列さなってそろそろ通り抜けます。おれはこの細帯の上で、はたりとKさ出合いだおん。足の方さばり気を取られてだおれは、あいずと向き合うまで、あいずの存在さまるで気がつかねでいたのや。おれは不意さおれの前が塞がったがら偶然眼を上げた時、初めてそごさ立っているKを認めたのや。おれはKさどごさ行ったのかと聞きたおん。Kはわんつかそごまでといったきりだやぁい。あいずの答えはいづがな通り、ふんつう調子だやぁい。Kとおれは細い帯の上で身体を替かわせたおん。するとKのすぐうすろさ一人の若い女が立っているのが見えたおん。近眼のおれさは、今までそいづがよく分らなかったのやが、Kをやり越した後で、その女の顔を見ると、そいづが家のお嬢つぁんだやぁがら、おれは少なからずたまげてしまったっちゃや。お嬢つぁんは心持薄赤い顔をして、おれさ挨拶をしたっけよ。その時分の束髪は今と違って廂が出ていねのや、そうしてあだまの真中まんなかさ蛇のようさぐるぐる巻きつけてあったがなや。おれはぼんやりお嬢つぁんのあだまを見ていんんだがらら、次の瞬間さ、どっちか路を譲らなければなんねのだつう事さ気がつきたおん。おれは思い切ってどろどろの中さ片足踏ん込みたおん。そうして比較的通りやすい所を空けて、お嬢つぁんを渡してやりたおん。
 んんんだがららら柳町の通りさ出たおれはどごさ行って好いかおれさも分らなくなったい。どごさ行っても面白くないような心持がするのや。おれは飛泥の上がるのも構わねで、糠る海みの中を自暴さどしどし歩きたおん。んんんだがららら直ぐ宅さ帰って来たおん。

三十四

「おれはKさ向ってお嬢つぁんといっしょさ出たのかと聞きたおん。Kはそうだっちゃと答えたおん。真砂町で偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明したっけよ。おれはそいづ以上さ立ち入った質問を控えなければなりねだったい。だげっと食事の時、またお嬢つぁんさ向って、同じ問いを掛けたくなったい。するとお嬢つぁんはおれのすかねな例の笑い方をするのや。そうしてどごさ行ったか当ててみろとしまいさかだるのや。その頃のおれはまだ癇癪持もちだったいから、そう不真面目さ若い女から取り扱われると腹が立ちたおん。とごろがそごさ気のつくのは、同じ食卓さ着いているがなのうちで奥つぁん一人だやぁのや。Kはむしろ平気だったい。お嬢つぁんの態度さなると、知ってわざとやるのか、しゃねで無邪気さやるのか、そごの区別がわんつか判然はんぜんしね点がありたおん。若い女としてお嬢つぁんは思慮さ富んだ方ほうだったいけれども、その若い女さ共通なおれのすかねなとごも、あると思えば思えなくもなかったのや。そうしてそのすかねなとごは、Kが宅さ来てから、始めておれの眼さ着き出したのや。おれはそいづをKさ対するおれの嫉妬さ帰きしていいがなか、またはおれさ対するお嬢つぁんの技巧と見傚してしかるべきがなか、わんつか分別さ迷いだおん。おれは今でも決してその時のおれの嫉妬心を打ち消す気はありね。おれはたびたび繰り返した通り、愛の裏面さこの感情の働きを明らかさ意識してだのやから。しかもそばのがなから見ると、ほとんど取るさ足りねおん瑣事さ、この感情がきっと首を持ち上げたがるのだったいから。こいずは余事だげんちょも、こうかだる嫉妬とは愛の半面だべやないだべんか。おれは結婚してから、この感情がだんだん薄らいで行くのを自覚したっけよ。その代り愛情の方も決して元のようさ猛烈だっちゃのや。
 おれはそいづまで躊躇してだおれの心を、一思いさ相手のふとごろさ叩きつけようかと考え出したっけよ。おれの相手つうのはお嬢つぁんではありね、奥つぁんの事だあ。奥つぁんさお嬢つぁんを呉れろと明白な談判を開こうかと考えたのや。だげっとそう決心しながら、一日一日とおれは断行の日を延ばして行ったのや。そうかだるとおれはいかさも優柔不断な男のようさ見えます、また見えても構いねが、実際おれの進みかねたのは、意志の力さ不足があったためではありね。Kの来なかだるちは、他人の手さ乗るのが厭だつう我慢がおれを抑えつけて、一歩も動けねえべやようさしていだおん。Kの来た後は、もしかするとお嬢つぁんがKの方さ意があるのではなかろうかつう疑念が絶えずおれを制するようさなったのや。はたしてお嬢つぁんがおれよりもKさ心を傾けているだらば、この恋はくずさいい出す価値のないがなとおれは決心してだのや。恥を掻かせられるのが辛いなんかつうのとはわんつか訳が違いっちゃ。こっつでなんぼ思っても、向うが内心他の人さ愛の眼を注いでいるだらば、おれはほだな女といっしょさなるのは厭なのや。世の中では否応なしさおれの好いた女を嫁さ貰もらって嬉うれしがっている人もあるっちゃげんちょも、そいづはおれたちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく呑のみ込めない鈍物のする事と、当時のおれは考えてだのや。いっかい貰ってしまえばどうかこうかおづつくがなだぐらいの哲理では、承知する事ができななんぼいおれは熱していだおん。いやんべさかだるどよおれは極めて高尚な愛の理論家だやぁのや。同時さもっとも迂遠な愛の実際家だやぁのや。
 肝心のお嬢つぁんさ、直接このおれつうがなを打ち明ける機会も、長くいっしょさいるうちさは時々出て来たのやが、おれはわざとそいづを避けたおん。日本の習慣として、そうかだる事は許されていねのだつう自覚が、その頃のおれさは強くありたおん。だげっと決してそいづばりがおれを束縛したとはいえね。日本人、ことさ日本の若い女は、ほだな場合さ、相手さ気兼きがねなくおれの思った通りを遠慮せねでくねだあるだけの勇気さ乏しいがなとおれは見込んでいたのや。

三十五

「こっだ訳でおれはどちらの方面さ向っても進む事ができねで立ち竦んでいだおん。身体の悪い時さ午睡なんかをすると、眼だけ覚めて周囲のがなが判然はっきり見えるのさ、なしても手足の動かせねえ場合がありましょうべや。おれは時としてああかだる苦しみを人知れず感じたのや。
 そのうち年が暮れて春さなったい。ある日奥つぁんがKさうだ留多をやるから誰か友達を連れて来ないかといった事があるっちゃ。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたがら、奥つぁんはたまげてしまいだおん。なるほどKさ友達つうほどの友達は一人もなかったのや。往来で会った時挨拶をするくらいのがなは多少ありたおんが、そいづらだって決してうだ留多なんかを取る柄ではなかったのや。奥つぁんはそいづだべやおれの知ったがなでも呼んで来たらどうかといい直したっけよが、おれも生憎ほだな陽気な遊びをする心持さなれねおんので、好いい加減な生返事をしたなり、打ちやっておきたおん。とごろが晩さなってKとおれはとうとうお嬢つぁんさ引っ張り出されてしまいだおん。客も誰も来ないのさ、内々の小人数だけで取ろうつううだ留多んだがらいらすこぶる静ががなだったい。その上こうかだる遊技をやりつけねえべやKは、まるで懐手をしてっと人と同様だったい。おれはKさ一体百人一首のうだを知っているのかと尋ねたおん。Kはよくしゃねと答えたおん。おれの言葉を聞いたお嬢つぁんは、大方Kを軽蔑するとでも取ったがらしょうべや。んんだがらら眼さ立つようさKの加勢をし出したっけよ。しまいさは二人がほとんど組さなっておれさ当るつう有様さなって来たおん。おれは相手次第では喧嘩を始めたかも知れなかったのや。幸いさKの態度はわんつかも最初と変りねだったい。あいずのどごさも得意らしい様子を認めなかったおれは、無事さその場を切り上げる事ができたおん。
 んんだがらら二、三日経った後の事だったいろう、奥つぁんとお嬢つぁんは朝から市ヶ谷さいる親類の所さ行くといって宅を出たおん。Kもおれもまんだがらっこの始まらねおん頃だったいから、留守居同様あとさ残っていだおん。おれは書物を読むのも散歩さ出るのも厭だやぁがら、ただ漠然と火鉢の縁さ肱を載せて凝っと顋を支えたなり考えていだおん。隣りの部屋さいるKも一向音を立てねだったい。双方ともいるのだかいねのだか分らななんぼい静かだったい。もっともこうかだる事は、二人の間柄として別さ珍しくも何ともなかったのやから、おれは別段そいづを気さも留めねだったい。
 十時頃さなって、Kは不意さ仕切りの襖を開けておれと顔を見合せたおん。あいずは敷居の上さ立ったまま、おれさ何を考えていると聞きたおん。おれはもとより何も考えていなかったのや。もし考えてだとすっぺ、すっとよ、いづがな通りお嬢つぁんが問題だやぁかも知れね。そのお嬢つぁんさは無論奥つぁんも食っついていっけんども、近頃ではK自身が切り離すべからざる人のようさ、おれのあだまの中をぐるぐる回って、この問題を複雑さしてっとのや。Kと顔を見合せたおれは、今まで朧気さあいずを一種の邪魔がなの如く意識していながら、明らかさそうと答える訳さいがかったのや。おれは依然としてあいずの顔を見て黙っていだおん。するとKの方からつかつかとおれの座敷さ入って来て、おれのあたっている火鉢の前さ坐りたおん。おれはすぐ両肱を火鉢の縁から取り除のけて、心持そいづをKの方さ押しやるようさしたっけよ。
 Kはいづもさ似合わね話を始めたおん。奥つぁんとお嬢つぁんは市ヶ谷のどごさ行ったのだっちゃうつうのや。おれは大方叔ががつぁんの所だっちゃうと答えたおん。Kはその叔ががつぁんは何だとまた聞きます。おれはやはり軍人の細君だと教えてやりたおん。すると女の年始はたいてい十五日過ぎだのさ、なんでほだなさ早く出掛けたのだっちゃうと質問するのや。おれはなんでだかしゃねと挨拶するより外さ仕方がありねだったい。

三十六

「Kはながか奥つぁんとお嬢つぁんの話を止めねだったい。しまいさはおれも答えられねおんような立ち入った事まで聞くのや。おれはめんどよりも不思議の感さ打たれたおん。以前おれの方から二人を問題さして話しかけた時のあいずを思い出すと、おれはなしてもあいずの調子の変っているとごさ気がつかねではいられねおんのや。おれはとうとうなんで今日さ限ってほだな事ばりかだるのかとあいねで尋ねたおん。その時あいずはずいら黙りたおん。だげっとおれはあいずの結んだくず元のぬぐっこが顫えるようさ動いているのを注視したっけよ。あいずは元来無くずな男だったい。平生からなんかいおうとすると、かだる前さよくくずのあたりをもぐもぐさせる癖がありたおん。あいずのくずびるがわざとあいずの意志さ反抗するようさ容易く開がいとごさ、あいずの言葉の重みも籠こたがいでんだがららしょうべや。一旦声がくずを破って出るとなると、その声さは普通の人よりも倍の強い力がありたおん。
 あいずのくず元をわんつか眺めた時、おれはまたなんか出て来るなとすぐ感づいたのやが、そいづがはたして何なんの準備なのか、おれの予覚はまるでなかったのや。んだがらら驚いたのや。あいずの重々しいくずから、あいずのお嬢つぁんさ対する切ない恋を打ち明けられた時のおれを想像してみてけらい。おれはあいずの魔法棒のためさいっかいさ化石されたようながなや。くずをもぐもぐさせる働きさえ、おれさはなくなってしまったのや。
 その時のおれは恐ろしさの塊りといいましょうか、または苦しさの塊りといいましょうか、何しろ一つの塊りだったい。石か鉄のようさあだまから足の先までがいぎなり固くなったのや。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいさ堅くなったのや。幸いな事さその状態は長く続きねだったい。おれは一瞬間の後さ、また人間らしい気分を取り戻したっけよ。そうして、すぐ失策しまったと思いだおん。先を越されたなと思いだおん。
 だげっとその先をなじょしたらいいべつう分別はまるで起りね。恐らく起るだけの余裕がなかったがらしょうべや。おれは腋の下から出る気味のわるい汗がシャツさ滲み透るのをじっと我慢して動かねでいだおん。Kはその間いづがな通り重いくずを切っては、ぽつりぽつりとおれの心を打ち明けてゆきます。おれは苦しくって堪りねだったい。おそらくその苦しさは、大きな広告のようさ、おれの顔の上さ判然はっきりした字で貼りつけられてあったろうとおれは思うのや。なんぼKでもそごさ気のつがいはずはないのだげんちょも、あいずはまたあいずで、おれの事さ一切を集中していっけら、おれの表情なんかさ注意する暇がなかったがらしょうべや。あいずの自白は最初からうっしょまで同じ調子で貫いていだおん。重くて鈍い代りさ、うんとっけ容易な事では動かせねえつう感じをおれさ与えたのや。おれの心は半分その自白を聞いていながら、半分なじょしたらいいべなじょしたらいいべつう念さ絶えず掻かき乱されていんだがらら、細こまかい点さなるとほとんど耳さ入らねおんと同様だったいが、そいづでもあいずのくねで出す言葉の調子だけは強くふとごろさ響きたおん。そのためさおれは前いった苦いだばりでなく、ときさは一種の恐ろしさを感ずるようさなったのや。いやんべさかだるどよ相手はおれより強いのだつう恐怖の念が萌きざし始めたのや。
 Kの話が一通り済んだ時、おれは何ともかだる事ができねだったい。こっつもあいずの前さ同じ意味の自白をしたがなだっちゃうか、そいづとも打ち明けねでいる方が得策だっちゃうか、おれはほだな利害を考えて黙ってんだがららはありね。ただ何事もいえなかったのや。またかだる気さもならなかったのや。
 午食の時、Kとおれは向い合せさ席を占めたおん。下女さ給仕をしてもらって、おれはいつさない不味い飯を済ませたおん。二人は食事中もほとんどくずを利ききねだったい。奥つぁんとお嬢つぁんはいつ帰るのだか分りねだったい。

三十七

「二人は各自の部屋さ引き取ったきり顔を合わせねだったい。Kの静が事は朝と同じだったい。おれもじっと考え込んでいだおん。
 おれは当然おれの心をKさ打ち明けるべきはずだと思いだおん。だげっとそいづさはもう時機が遅れてしまったつう気も起りたおん。なんでさっきKの言葉を遮って、こっつから逆襲しなかったのか、そごが非常な手落りのようさ見えて来たおん。せめてKの後あとさ続いて、おれはおれの思う通りをその場でかだってしまったら、まだ好かったろうさとも考えたおん。Kの自白さ一段落がついた今となって、こっつたごまた同じ事を切り出すのは、どう思案しても変だったい。おれはこの不自然さ打ち勝つ方法を知らなかったのや。おれのあだまは悔恨さ揺られてぐらぐらしたっけよ。
 おれはKがもいっかい仕切りの襖を開けて向うから突進してきてくれれば好いと思いだおん。おれさいわせれば、さっきはまるで不意撃ちさ会ったも同じだったい。おれさはKさ応ずる準備も何もなかったのや。おれは午前さ失ったがなを、今度は取り戻そうつう下心をたがいでいだおん。そいづで時々眼を上げて、襖を眺ながめたおん。だげっとその襖はいつまで経たっても開あきね。そうしてKは永久さ静がのや。
 その内おれのあだまは段々この静かささ掻き乱されるようさなって来たおん。Kは今襖の向うで何を考えているだっちゃうと思うと、そいづが気さなって堪たまらねおんのや。不断もこっだ風ふうさお互いが仕切一枚を間さ置いて黙り合っている場合は始終あったのやが、おれはKが静かであいづばあるほど、あいずの存在を忘れるのが普通の状態だやぁのやから、その時のおれはよほど調子が狂ってんだがらなと見なければなりね。そいづでいておれはこっつから進んで襖を開ける事ができなかったのや。一旦いいそびれたおれは、また向うから働き掛けられる時機を待つより外さ仕方がなかったのや。
 しまいさおれはじっとしておられなくなったい。無理さじっとしていれば、Kの部屋さ飛び込みたくなるのや。おれは仕方なしさ立って縁側さ出たおん。そごから茶の間さ来て、何つう目的もなく、鉄瓶の湯を湯呑さ注いで一杯呑みたおん。んんだがらら玄関さ出たおん。おれはわざとKの部屋を回避するようさして、こっだ風さおれを往来の真中さ見出したのや。おれさは無論どごさ行くつう目的もありね。ただじっとしていられねおんだけだったい。そいづで方角も何も構わねで、正月の町を、むやみさ歩き廻ったのや。おれのあだまはなんぼ歩いてもKの事でぎっつりさなっていだおん。おれもKを振るい落す気で歩き廻る訳ではなかったのや。むしろおれから進んであいずの姿を咀嚼しながらうろついてだのや。
 おれさは第一さあいずが解しがたい男のようさ見えたおん。なしてあんな事をずいらおれさ打ち明けたのか、またなして打ち明けなければいられねおんほどさ、あいずの恋が募って来たのか、そうして平生のあいずはどごさ吹き飛ばされてしまったのか、すべておれさは解しさくい問題だったい。おれはあいずの強い事を知っていだおん。またあいずの真面目な事を知っていだおん。おれはこいずからおれの取るべき態度を決する前さ、あいねでついて聞がければなんねいっぺをたがいでいると信じたおん。同時さこいずからさきあいずを相手さするのが変さ気味が悪かったのや。おれは夢中さ町の中を歩きながら、おれの部屋さじっと坐わっているあいずの容貌を始終眼の前さ描き出したっけよ。しかもなんぼおれが歩いてもあいずを動かす事は到底でぎねのだつう声がどっかで聞こえるのや。いやんべさかだるどよおれさはあいずが一種の魔物のようさ思えたからだべん。おれは永久あいねで祟られたがらはなかろうかつう気さえしたっけよ。
 おれが疲れて宅さ帰った時、あいずの部屋は依然として人気のないようさ静かだったい。

三十八

「おれが家さはいると間もなく俥の音が聞こえたおん。今のようさ護謨輪のない時分だやぁいから、がらがらかだる厭な響きががりの距離でも耳さ立つのや。車はやがて門前で留まりたおん。
 おれが夕飯さ呼び出されたのは、んんんだがららら三十分ばり経たった後の事だやぁいが、まだ奥つぁんとお嬢つぁんの晴着が脱ぎ棄てられたまま、次の部屋を乱雑さ彩っていだおん。二人は遅くなるとおれたちさ済まないつうので、飯の支度さ間さ合うようさ、わらわら帰って来たのだほでがす。だげっと奥つぁんの親切はKとおれとさ取ってほとんど無効も同じ事だやぁい。おれは食卓さ坐りながら、言葉をいだますげんちょもる人のようさ、素気ない挨拶ばりしていだおん。Kはおれよりもなお寡言だやぁい。たまさ親子連れで外出した女二人の気分が、また平生よりは勝れて晴れやかだやぁがら、我々の態度はなおの事眼さつきます。奥つぁんはおれさどうかしたのかと聞きたおん。おれはわんつか心持が悪いと答えたおん。実際おれは心持が悪かったのや。すると今度はお嬢つぁんがKさ同じ問いを掛けたおん。Kはおれのようさ心持が悪いとは答えね。ただくずが利ききたくないからだといいだおん。お嬢つぁんはなんでくずが利きたくないのかと追窮したっけよ。おれはその時ふと重たい瞼を上げてKの顔を見たおん。おれさはKが何と答えるだっちゃうかつう好奇心があったのや。Kのくずびるは例のようさわんつか顫えていだおん。そいづがしゃね人から見ると、まるで返事さ迷っているとしか思われねおんのや。お嬢つぁんは笑いながらまたなんかむずかしい事を考えているのだっちゃうといいだおん。Kの顔は心持薄赤くなったい。
 その晩おれはいづもより早く床さ入りたおん。おれが食事の時気分が悪いといったのを気さして、奥つぁんは十時頃蕎麦湯をたがいで来てくれたおん。だげっとおれの部屋はもう真暗らだやぁい。奥つぁんはおやおやといって、仕切りの襖を細目さ開けたおん。洋燈の光がKのつぐえから斜めさぼんやりとおれの部屋さ差し込みたおん。Kはまだ起きてんんだがららなとみえます。奥つぁんは枕元さ坐って、大方風邪を引いたのだっちゃうから身体を暖めるがいいといって、湯呑みを顔のそばさ突きつけるのや。おれはやむをえず、どろどろした蕎麦湯を奥つぁんの見ている前で飲みたおん。
 おれは遅くなるまで暗いなかで考えていだおん。無論一つ問題をぐるぐる廻転させるだけで、外ほかさ何の効力もなかったのや。おれはずいらKが今隣りの部屋で何をしてっとだっちゃうと思い出したっけよ。おれは半ば無意識さおいと声を掛けたおん。すると向うでもおいと返事をしたっけよ。Kもまだ起きてだのや。おれはまだ寝ないのかと襖ごしさ聞きたおん。もう寝るつう簡単な挨拶がありたおん。何をしてっとのだとおれは重ねて問いだおん。今度はKの答えがありね。その代り五、六分経ったと思う頃さ、押入いだますいれをがらりと開けて、床とこを延べる音が手さ取るようさ聞こえたおん。おれはもう何時なんじかとまた尋ねたおん。Kは一時二十分だと答えたおん。やがて洋燈をふっと吹き消す音がして、家中うちじゅうが真暗なうちさ、しんと静まりたおん。
 だげっとおれの眼はその暗いなかでいよいよ冴えて来るばりだあ。おれはまた半ば無意識な状態で、おいとKさ声を掛けたおん。Kも以前と同じような調子で、おいと答えたおん。おれは今朝けさあいずから聞いた事さついて、もっと詳しい話をしたいが、あいずの都合はどうだと、とうとうこっつから切り出したっけよ。おれは無論襖越しさほだな談話を交換する気はなかったのやが、Kの返答だけは即坐さ得られる事と考えたのや。とごろがKはさっきから二度おいと呼ばれて、二度おいと答えたような素直な調子で、今度は応じね。んだなあと低い声で渋っていっちゃ。おれはまたはっと思わせられたおん。

三十九

「Kの生返事は翌日さなっても、その翌日さなっても、あいずの態度さよく現われていだおん。あいずはおれから進んで例の問題さ触れようとする気色を決して見せねだったい。もっとも機会もなかったのや。奥つぁんとお嬢つぁんが揃そろって一日宅を空けでもしねげど、二人はゆっくりおづついて、そうかだる事を話し合う訳さも行がいのんだがらいら。おれはそいづをよく心得ていだおん。心得ていながら、変さいらいらし出すのや。その結果始めは向うから来るのを待つつもりで、暗さ用意をしてだおれが、折があったらこっつでくずを切ろうと決心するようさなったのや。
 同時さおれは黙って家のがなの様子を観察して見たおん。だげっと奥つぁんの態度さもお嬢つぁんの素振さも、別さ平生と変った点はありねだったい。Kの自白以前と自白以後とで、あいずらの挙動さこいずつう差違が生じないだらば、あいずの自白は単さおれだけさ限られた自白で、肝心かんじんの本人さも、またその監督者たる奥つぁんさも、まだ通じていねのは確かだったい。そう考えた時おれはわんつか安心したっけよ。そいづで無理さ機会を拵えて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の与えてくれるがなを取り逃さないようさする方が好かろうと思って、例の問題さはしばらく手を着けねでそっとしておく事さしたっけよ。
 こういってしまえば大変簡単さ聞こえますげんちょも、そうした心の経過さは、潮の満干みちひと同じようさ、色々の高低があったのや。おれはKの動がい様子を見て、そいづささまざまの意味をつけ加えたおん。奥つぁんとお嬢つぁんの言語動作を観察して、二人の心がはたしてそごさ現われている通りなのだっちゃうかと疑うたがってもみたおん。そうして人間のふとごろの中さ装置された複雑な器械が、とげいの針のようさ、明瞭めいりょうさ偽いつわりなく、盤上の数字を指し得うるがなだっちゃうかと考えたおん。要するさおれは同じ事をこうも取り、ああも取りした揚句あげく、漸くこごさおづついたがなと思ってけらい。更さむずかしくいえば、おづつくなんかつう言葉は、この際決して使われた義理でなかったのかも知れね。
 そのうちがっこがまた始まりたおん。おれたちは時間の同じ日さは連れ立って宅を出ます。都合がよければ帰る時さもやはりいっしょさ帰りたおん。外部から見たKとおれは、何さも前と違ったとごろがないようさ親しくなったのや。けれども腹の中では、各自てんでんさ各自てんでんの事を勝手さ考えてださ違いありね。ある日おれはずいら往来でKさぬぐっこ薄したっけよ。おれが第一さ聞いたのは、この間の自白がおれだけさ限られていっけ、または奥つぁんやお嬢つぁんさも通じていっけの点さあったのや。おれのこいずから取るべき態度は、この問いさ対するあいずの答え次第で決めなければなんねと、おれは思ったのや。するとあいずは外ほかの人さはまだ誰さも打ち明けていねと明言したっけよ。おれは事情がおれの推察通りだやぁがら、内心嬉しがりたおん。おれはKのおれよりよご着なのをよく知っていだおん。あいずの度ふとごろさも敵がわねつう自覚があったのや。けれども一方ではまた妙さあいずを信じていだおん。学資の事で養家を三年も欺いたあいずだあけれども、あいずの信用はおれさ対してわんつかも損われていなかったのや。おれはそいづがためさかえってあいずを信じ出したくらいだあ。んだがららなんぼ疑い深いおれでも、明白なあいずの答えを腹の中で否定する気は起りようがなかったのや。
 おれはまたあいねで向って、あいずの恋をどう取り扱うつもりかと尋ねたおん。そいづが単なる自白さ過ぎないのか、またはその自白さついで、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのや。しかるさあいずはそごさなると、何さも答えね。黙って下を向いて歩き出します。おれはあいねで隠かくし立てをしてくれるな、すべて思った通りをかだってくれと頼みたおん。あいずは何もおれさ隠す必要はないと判然り断言したっけよ。だげっとおれの知ろうとする点さは、一言の返事も与えねべやのや。おれも往来んだがららわざわざ立ち留まって底まで突き留める訳さいきね。ついそいづなりさしてしまいだおん。

四十

「ある日おれは久しぶりさがっこの図書館さ入りたおん。おれは広いつぐえの片隅で窓から射す光線を半身さ受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこっつゃと引っ繰り返して見ていだおん。おれは担任教師から専攻の学科さ関して、次の週までさある事項を調べて来いと命ぜられたのや。だげっとおれさ必要な事柄がながか見つからねおんので、おれは二度も三度も雑誌を借り替えなければなりねだったい。うっしょさおれはやっとおれさ必要な論文を探し出して、一心さそいづを読み出したっけよ。するとずいら幅の広いつぐえの向う側から小さな声でおれの名を呼ぶがながあるっちゃ。おれはふと眼を上げてそごさ立っているKを見たおん。Kはその上半身をつぐえの上さ折り曲げるようさして、あいずの顔をおれさ近つけたおん。ご承知の通り図書館では他ほかの人の邪魔さなるような大きな声で話をする訳さゆがいのんだがらいら、Kのこの所作しょさは誰でもやる普通の事なのだげんちょも、おれはその時さ限って、一種変な心持がしたっけよ。
 Kは低い声で勉強かと聞きたおん。おれはわんつか調べがながあるのだと答えたおん。そいづでもKはまだその顔をおれから放しね。同じ低い調子でいっしょさ散歩をしねかつうのや。おれはわんつか待っていればしてもいいと答えたおん。あいずは待っているといったまま、すぐおれの前の空席さこすをおろしたっけよ。するとおれは気が散って急さ雑誌が読めなくなったい。何だかKのふとごろさ一物があって、談判でもしさ来られたようさ思われて仕方がないのや。おれはやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしたっけよ。Kはおづつき払ってもう済んだのかと聞きます。おれはどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共さ、Kと図書館を出たおん。
 二人は別さ行く所もなかったがら、竜岡町から池の端(はす)っこはたさ出て、上野の公園の中さ入りたおん。その時あいずは例の事件さついて、ずいら向うからくずを切りたおん。前後の様子を綜合そうごうして考えると、Kはそのためさおれをわざわざ散歩さ引っ張り出だしたらしいのや。けれどもあいずの態度はまだ実際的の方面さ向ってちっとも進んでいねだったい。あいずはおれさ向って、ただ漠然と、どう思うつうのや。どう思うつうのは、そうした恋愛の淵ふちさ陥おちいったあいずを、どんな眼でおれが眺めるかつう質問なのや。一言でかだると、あいずは現在のおれさついて、おれの批判を求めたいようなのや。そごさおれはあいずの平生と異なる点を確かさ認める事ができたと思いだおん。たびたび繰り返すようだげんちょも、あいずの天性は他人の思わくを憚かるほど弱くでき上ってはいなかったのや。こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度ふとごろもあり勇気もある男なのや。養家事件でその特色を強くふとごろの裏うちさ彫つけられたおれが、こいずは様子が違うと明らかさ意識したのは当然の結果なのや。
 おれがKさ向って、この際何んでおれの批評が必要なのかと尋ねた時、あいずはいづもさも似ない悄然としたくず調で、おれの弱い人間であるのが実際おしょすいといいだおん。そうして迷っていっけらおれでおれが分らなくなってしまったがら、おれさ公平な批評を求めるより外さ仕方がないといいだおん。おれは隙かさず迷うつう意味を聞き糺したっけよ。あいずは進んでいいか退ぞいていいか、そいづさ迷うのだと説明したっけよ。おれはすぐ一歩先さ出たおん。そうして退こうと思えば退けるのかとあいねで聞きたおん。するとあいずの言葉がんでよ不意さ行き詰りたおん。あいずはただ苦しいといっただけだったい。実際あいずの表情さは苦しそうなとごろがありありと見えていだおん。もし相手がお嬢つぁんでなかっただらば、おれはどんなさあいねで都合のいい返事を、その渇き切った顔の上さ慈雨の如く注いでやったか分りね。おれはそのくらいのうづぐすい同情をたがいで生れて来た人間とおれながら信じていっちゃ。だげっとその時のおれは違っていだおん。

四十一

「おれはちょうど他流試合でもする人のようさKを注意して見てだのや。おれは、おれの眼、おれの心、おれの身体、すべておれつう名のつくがなを五分の隙間もないようさ用意して、Kさ向ったのや。罪のないKは穴だらけつうよりむしろ明け放しと評するのがやんべなくらいさ無用心だったい。おれはあいず自身の手から、あいずの保管してっと要塞の地図を受け取って、あいずの眼の前でゆっくりそいづを眺める事ができたのも同じだったい。
 Kが理想と現実の間さ彷徨してふらふらしてっとのを発見したおれは、ただ一打ちであいずを倒す事ができるだっちゃうつう点さばり眼を着けたおん。そうしてすぐあいずの虚さつけ込んだのや。おれはあいねで向っていぎなり厳粛な改まった態度を示し出したっけよ。無論策略からだげんちょも、その態度さ相応するくらい緊張した気分もあったのやから、おれさ滑稽だの羞恥だのを感ずる余裕はありねだったい。おれはまず「精神的さ向上心のないがなは馬鹿だ」といい放ちたおん。こいずは二人で房州を旅行してっと際、Kがおれさ向って使った言葉だあ。おれはあいずの使った通りを、あいずと同じようなくず調で、もいっかいあいねで投げ返したのや。だげっと決して復讐ふくしゅうではありね。おれは復讐以上さ残酷な意味をたがいでだつう事を自白します。おれはその一言でKの前さよごたわる恋の行手を塞ごうとしたのや。
 Kは真宗寺さ生れた男だったい。だげっとあいずの傾向は中学時代から決して生家の宗旨さ近いがなではなかったのや。教義上の区別をよくしゃねおれが、こっだ事をかだる資格さ乏しいのは承知していっけんども、おれはただ男女さ関係した点さついてのみ、そう認めてだのや。Kは昔から精進つう言葉が好きだったい。おれはその言葉の中さ、禁欲つう意味も籠っているのだっちゃうと解釈していだおん。だげっと後で実際を聞いて見ると、そいづよりもまだ厳重な意味が含まれているので、おれはたまげてしまったっちゃや。道のためさはすべてを犠牲さすべきがなだつうのがあいずの第一信条なのんだがらいら、摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのがなでも道のさまたげさなるのや。Kが自活生活をしてっと時分さ、おれはよくあいずからあいずの主張を聞かされたがらしたっちゃや。その頃からお嬢つぁんを思ってだおれは、勢いなしてもあいねで反対しねげどならなかったのや。おれが反対すると、あいずはいつでも気の毒そうな顔をしたっけよ。そごさは同情よりも侮蔑の方が余計さ現われていだおん。
 こうかだる過去を二人の間さ通り抜けて来ているのんだがらいら、精神的さ向上心のないがなは馬鹿だつう言葉は、Kさ取っていだいさ違いなかったのや。だげっと前さもいった通り、おれはこの一言で、あいずが折角積み上げた過去をけっぽ散らしたつもりではありね。かえってそいづを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのや。そいづが道さ達すっぺが、天さ届こうが、おれは構いね。おれはただKがいぎなり生活の方向を転換して、おれの利害と衝突するのを恐れたのや。要するさおれの言葉は単なる利己心の発現だったい。
「精神的さ向上心のないがなは、馬鹿だ」
 おれは二度同じ言葉を繰り返したっけよ。そうして、その言葉がKの上さどう影響するかを見詰めていだおん。
「馬鹿だ」とやがてKが答えたおん。「おらは馬鹿だ」
 Kはぴたりとそごさ立ち留どまったまま動きね。あいずは地面の上を見詰めていっちゃ。おれは思わずぎょっとしたっけよ。おれさはKがその刹那なさ居直り強盗のごとく感ぜられたのや。だげっとそいづさしてはあいずの声がいかさも力さ乏しいつう事さ気がつきたおん。おれはあいずの眼遣いを参考さしたかったのやが、あいずはうっしょまでおれの顔を見ないのや。そうして、そろそろとまた歩き出したっけよ。

四十二


「おれはKと並んで足を運ばせながら、あいずのくずを出る次の言葉を腹の中で暗さ待ち受けたおん。そだっちゃがったら待ち伏せといった方がまだやんべかも知れね。その時のおれはたといKを騙し打ちさしても構わななんぼいさ思ってだのや。だげっとおれさも教育相当の良心はあるっちゃかいら、もし誰かおれのそばそばさ来て、お前は卑怯だと一言ささやいてくれるがながあったなら、おれはその瞬間さ、はっと我さ立ち帰ったかも知れね。もしKがその人であったなら、おれはおそらくあいずの前さ赤面しただべん。ただKはおれを窘るさは余りさ正直だったい。余りさ単純だったい。余りさ人格が善良だやぁのや。まなぐっこさ眩んだおれは、そごさ敬意を払う事を忘れて、かえってそごさつけ込んだのや。そごを利用してあいずを打ち倒そうとしたのや。
 Kはしばらくして、おれの名を呼んでおれの方を見たおん。今度はおれの方で自然と足を留めたおん。するとKも留まりたおん。おれはその時やっとKの眼を真向きさ見る事ができたのや。Kはおれより背の高い男だったいから、おれは勢いあいずの顔を見上げるようさしねげどなりね。おれはそうした態度で、狼のごとき心を罪のない羊さ向けたのや。
「もうその話は止やめよう」とあいずがいいだおん。あいずの眼さもあいずの言葉さも変さ悲いだなとごろがありたおん。おれはわんつか挨拶ができなかったのや。するとKは、「止めてくれ」と今度は頼むようさいい直したっけよ。おれはその時あいねで向って残酷な答を与えたのや。狼が隙を見て羊の咽喉笛さ食らいつくようさ。
「止めてくれって、おらがいい出した事だべやない、もともと君の方から持ち出した話だべやないか。だげっと君が止めたければ、止めてもいいが、ただくずの先で止めたって仕方があるまい。君の心でそいづを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をなじょするつもりなのか」
 おれがこういった時、背の高いあいずは自然とおれの前さ萎縮して小さくなるような感じがしたっけよ。あいずはいづもかだる通り頗る強情な男だったいけれども、一方ではまた人一倍の正直者だったいから、おれの矛盾なんかをひどく非難される場合さは、決して平気でいられねおん質だやぁのや。おれはあいずの様子を見てやっとご安心したっけよ。するとあいずは卒然「覚悟?」と聞きたおん。そうしておれがまだ何とも答えねべや先さ「覚悟、――覚悟なんね事もない」とつけ加えたおん。あいずの調子は独言のようだったい。また夢の中の言葉のようだったい。
 二人はそいづぎり話を切り上げて、小石川の宿の方さ足を向けたおん。割合さ風のない暖が日だったいけれども、何しろ冬の事んだがらいら、公園のなかは淋しいがなだったい。ことさ霜さ打たれて蒼味を失った杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中さ、梢を並べて聳えているのを振り返って見た時は、寒さがせながさ噛りついたような心持がしたっけよ。我々は夕暮の本郷台を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡おかさ上るべく小石川の谷さ下りたのや。おれはその頃さなって、やっとご外套の下さ体のあたたかみを感じ出したぐらいだあ。
 急いだためでもありましょうが、我々は帰り路さはほとんどくずを聞きねだったい。宅さ帰って食卓さ向った時、奥つぁんはなして遅くなったのかと尋ねたおん。おれはKさ誘われて上野さ行ったと答えたおん。奥つぁんはこのすばれるのさといって驚いた様子を見せたおん。お嬢つぁんは上野さ何があったのかと聞きたがるっちゃ。おれは何もないが、ただ散歩したのだつう返事だけしておきたおん。平生から無くずなKは、いづもよりなお黙っていだおん。奥つぁんが話しかけても、お嬢つぁんが笑っても、碌な挨拶はしねだったい。んんだがらら飯を呑み込むようさ掻き込んで、おれがまだ席を立たなかだるちさ、おれの部屋さ引き取りたおん。

四十三


「その頃は覚醒とか新しい生活とかかだる文字のまだない時分だったい。だげっとKが古いおれをさらりと投げ出して、一意さ新しい方角さ走り出さなかったのは、現代人の考えがあいねで欠けてだからだっちゃのや。あいねでは投げ出す事のでぎねほど尊い過去があったからだあ。あいずはそのためさ今日まで生きて来たといってもいなんぼいなのや。んだがららKが一直線さ愛の目的物さ向って猛進しねといって、決してその愛の生温い事を証拠立てる訳さはゆきね。なんぼ熾烈な感情が燃えていても、あいずはむやみさ動けねえべやのや。前後を忘れるほどの衝動が起る機会をあいねで与えねべや以上、Kはなしてもわんつか踏み留とどまっておれの過去を振り返らなければならなかったのや。そうすると過去が指し示す路を今まで通り歩がければならなくなるのや。その上あいねでは現代人のたががない強情と我慢がありたおん。おれはこの双方の点さおいてよくあいずの心を見抜いてだつもりなのや。
 上野から帰った晩は、おれさ取って比較的安静な夜よだったい。おれはKが部屋さ引き上げたあとを追い懸けて、あいずのつぐえのそばさ坐り込みたおん。そうして取り留めもない世間話をわざとあいねで仕向けたおん。あいずは迷惑んだったい。おれの眼さは勝利の色が多少輝いてだだべん、おれの声さはたしかさ得意の響きがあったのや。おれはしばらくKと一つ火鉢さ手を翳かざした後あと、おれの部屋さ帰りたおん。外の事さかけては何をしてもあいねで及ばなかったおれも、その時だけは恐るさ足りねおんつう自覚をあいねで対してたがいでだのや。
 おれはほどなく穏やが眠りさおづたおん。だげっとずいらおれの名を呼ぶ声で眼を覚たおんっけよ。見ると、間の襖が二尺ばり開あいて、そごさKの黒い影が立っていっちゃ。そうしてあいずの部屋さは宵の通りまだ燈火が点ついているのや。いぎなり世界の変ったおれは、わんつかの間あいだくずを利きく事もできねで、ぼうっとして、その光景を眺めていだおん。
 その時Kはもう寝たのかと聞きたおん。Kはいつでも遅くまで起きている男だったい。おれは黒い影法師のようなKさ向って、なんか用かと聞き返したっけよ。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きていっけと思って、便所さ行ったついでさ聞いてみただけだと答えたおん。Kは洋燈の灯をせながさ受けているので、あいずの顔色や眼つきは、全くおれさは分りねだったい。けれどもあいずの声は不断よりもかえっておづついてだくらいだったい。
 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りたおん。おれの部屋はすぐ元の暗闇さ帰りたおん。おれはその暗闇より静が夢を見るべくまた眼を閉じたおん。おれはそいづぎり何も知りね。だげっと翌朝さなって、昨夕の事を考えてみると、何だか不思議だったい。おれはことさよると、すべてが夢だっちゃかと思いだおん。そいづで飯を食う時、Kさ聞きたおん。Kはたしかさ襖を開けておれの名を呼んだといいっちゃ。なんでほだな事をしたのかと尋ねると、別さ判然りした返事もしね。調子の抜けた頃さなって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うからおれさ問うのや。おれは何だか変さ感じたおん。
 その日ちょうど同じ時間さ講義の始まる時間割さなってんだがらら、二人はやがていっしょさ宅を出たおん。今朝から昨夕の事が気さ掛かっているおれは、途中でまたKを追求したっけよ。けれどもKはやはりおれを満足させるような答えをしね。おれはあの事件さついてなんかかだるつもりではなかったのかと念を押してみたおん。Kはそうだっちゃと強い調子でいい切りたおん。きんさょきのう上野で「その話はもう止やめよう」といっただっちゃかと注意するごとくさも聞こえたおん。Kはそうかだる点さ掛けて鋭い自尊心をもった男なのや。ふとそごさ気のついたおれはずいらあいずの用いた「覚悟」つう言葉を連想し出したっけよ。すると今までまるで気さならなかったその二字が妙な力でおれのあだまを抑え始めたのや。

四十四

「Kの果断さ富んだ性格はおれさよく知れていだおん。あいずのこの事件さついてのみ優柔な訳もおれさはちゃんと呑み込めてだのや。いやんべさかだるどよおれは一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫まえたつもりで得意だやぁのや。とごろが「覚悟」つうあいずの言葉を、あだまのなかで何遍も咀嚼してっとうちさ、おれの得意はだんだん色を失って、しまいさはぐらぐら揺き始めるようさなったい。おれはこの場合もそだっちゃがったらあいねでとって例外でないのかも知れねおんと思い出したのや。すべての疑惑、煩悶、懊悩、をいっかいさ解決するうっしょの手段を、あいずはふとごろのなかさ畳み込んでいるのではなかろうかと疑ぐり始めたのや。そうした新しい光で覚悟の二字を眺ながめ返してみたおれは、はっとたまげてしまったっちゃや。その時のおれがもしこの驚きをたがいで、もう一返あいずのくねでした覚悟の内容を公平さ見廻したらば、まだっちゃかったかも知れね。悲しい事さおれは片眼だったい。おれはただKがお嬢つぁんさ対して進んで行くつう意味さその言葉を解釈したっけよ。果断さ富んだあいずの性格が、恋の方面さ発揮されるのがすなわちあいずの覚悟だっちゃうと一途さ思い込んでしまったのや。
 おれはおれさもうっしょの決断が必要だつう声を心の耳で聞きたおん。おれはすぐその声さ応じて勇気を振り起したっけよ。おれはKより先さ、しかもKのしゃね間さ、事を運ばなくてはなんねと覚悟を決めたおん。おれは黙って機会を狙っていだおん。だげっと二日経っても三日経っても、おれはそいづを捕まえる事ができね。おれはKのいね時、またお嬢つぁんの留守な折を待って、奥つぁんさ談判を開こうと考えたのや。だげっと片方がいなければ、片方が邪魔をするといった風の日ばり続いて、なしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれねおんのや。おれはいらいらしたっけよ。
 一週間の後おれはとうとう堪え切れなくなって仮病を遣いだおん。奥つぁんからもお嬢つぁんからも、K自身からも、起きろつう催促を受けたおれは、生返事をしただけで、十時頃まで蒲団を被って寝ていだおん。おれはKもお嬢つぁんもいなくなって、家の内がひっそり静まった頃を見計らって寝床を出たおん。おれの顔を見た奥つぁんは、すぐどごが悪いかと尋ねたおん。食物は枕元さ運んでやるから、もっと寝てだらよかろうと忠告してもくれたおん。身体さ異状のないおれは、うんとっけ寝る気さはなれね。顔を洗っていづがな通り茶の間で飯を食いだおん。その時奥つぁんは長火鉢の向側から給仕をしてくれたのや。おれは朝飯とも午飯とも片つがい茶椀を手さ持ったまま、どんな風さ問題を切り出したがなだっちゃうかと、そいづばりさ屈托してだから、外観からは実際気分の好くない病人らしく見えただっちゃうと思うんだっちゃの。
 おれは飯を終しまって烟草を吹かし出したっけよ。おれが立たないので奥つぁんも火鉢のそばを離れる訳さゆきね。下女を呼んで膳を下げさせた上、鉄瓶さ水を注さしたり、火鉢の縁を拭いたりして、おれさ調子を合わせていっちゃ。おれは奥つぁんさ特別な用事でもあるのかと問いだおん。奥つぁんはいいえと答えたおんが、今度は向うでなんでだあと聞き返して来たおん。おれは実はわんつか話したい事があるのだといいだおん。奥つぁんは何んだがらいといって、おれの顔を見たおん。奥つぁんの調子はまるでおれの気分さはいり込めないような軽いがなだったいから、おれは次さ出すべき文句もわんつか渋りたおん。
 おれは仕方なしさ言葉の上で、好い加減さうろつき廻った末、Kが近頃なんかいいはしなかったかと奥つぁんさ聞いてみたおん。奥つぁんは思いも寄らねおんつう風をして、「何を?」とまた反問して来たおん。そうしておれの答える前さ、「あんださはなんかおっしゃったんんだがらい」とかえって向うで聞くのや。


四十五

「Kから聞かされた打ち明け話を、奥つぁんさ伝える気のなかったおれは、「いいえ」といってしまった後で、すぐおれの嘘(てほ)を快よからず感じたおん。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのんんだがららら、Kさ関する用件だっちゃのだといい直したっけよ。奥つぁんは「そんんだがららすか」といって、後を待っていっちゃ。おれはなしても切り出さなければならなくなったい。おれはずいら「奥つぁん、お嬢つぁんをおれさけらい」といいだおん。奥つぁんはおれの予期してかかったほど驚いた様子も見せねだやぁいが、そいづでもしばらく返事ができなかったがなと見えて、黙っておれの顔を眺めていだおん。いっかいいい出したおれは、なんぼ顔を見られても、そいづさ頓着なんかはしていられね。「けらい、ぜひけらい」といいだおん。「おれのががとしてぜひけらい」といいだおん。奥つぁんは年を取っているだけさ、おれよりもずっとおづついていだおん。「上げてもいいが、あんまり急だべやありねか」と聞くのや。おれが「急さ貰もらいたいのだ」とすぐ答えたら笑い出したっけよ。そうして「よく考えたのやか」と念を押すのや。おれはいい出したのはずいらでも、考えたのはずいらでないつう訳を強い言葉で説明したっけよ。
 そいづたごまだ二つ三つの問答がありたおんが、おれはそいづを忘れてしまいだおん。男のようさはきはきしたとごのある奥つぁんは、普通の女と違ってこっだ場合さは大変心持よく話のできる人だやぁい。「宜ござんす、差し上げましょう」といいだおん。「差し上げるなんて威張ったくずの利ける境遇ではありね。どうぞ貰ってけらい。ご存じの通りおやづのない憐れな子だあ」と後では向うから頼みたおん。
 話は簡単でかつ明瞭さ片ついてしまいだおん。最初からしまいまでさおそらく十五分とは掛からなかっただべん。奥つぁんは何の条件も持ち出さなかったのや。親類さ相談する必要もない、後から断ればそいづで沢山だといいだおん。本人の意嚮さえたしかめるさ及ばないと明言したっけよ。ほだな点さなると、学問をしたおれの方が、かえって形式さ拘泥するくらいさ思われたのや。親類はとさかく、当人さはあらかじめかだって承諾を得うるのが順序らしいとおれが注意した時、奥つぁんは「大丈夫だあ。本人が不承知の所さ、おれがあの子をやるはずがありねから」といいだおん。
 おれの部屋さ帰ったおれは、事のあまりさ訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持さなったい。はたして大丈夫なのだっちゃうかつう疑念さえ、どっからかあだまの底さ這い込んで来たくらいだあ。けれども大体の上さおいて、おれの未来の運命は、こいずで定められたのだつう観念がおれのすべてを新たさしたっけよ。
 おれは午頃また茶の間さ出掛けて行って、奥つぁんさ、今朝の話をお嬢つぁんさ何時通じてくれるつもりかと尋ねたおん。奥つぁんは、おれさえ承知していれば、いつかだっても構わなかろうつうような事をかだるのや。こうなると何だかおれよりも相手の方が男みたようなのや。んんんだがららら、おれはそいづぎり引き込もうとしたっけよ。すると奥つぁんがおれを引き留めて、もし早い方が希望だらば、今日でもいい、稽古から帰って来たら、すぐ話そうつうのや。おれはそうしてもらう方が都合が好いと答えてまたおれの部屋さ帰りたおん。だげっと黙っておれのつぐえの前さ坐って、二人のこそごそ話を遠くから聞いているおれを想像してみると、何だかおづついていられねおんような気もするのや。おれはとうとう帽子を被って表さ出たおん。そうしてまた坂の下でお嬢つぁんさ行き合いだおん。何さもしゃねお嬢つぁんはおれを見て驚いたらしかったのや。おれが帽子を脱って「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は癒なおったのかと不思議そうさ聞くのや。おれは「ええ癒りたおん、癒りたおん」と答えて、ずんずん水道橋(すいどうばす)の方さ曲ってしまいだおん。

四十六

「おれは猿楽町から神保町の通りさ出て、小川町の方さ曲りたおん。おれがこの界隈を歩くのは、いづも古本屋をしずるのが目的だやぁいが、その日は手摺れのした書物なんかを眺ながめる気が、なしても起らねおんのや。おれは歩きながら絶えず宅の事を考えていだおん。おれさはさっきさっきの奥つぁんの記憶がありたおん。んんんだがらららお嬢つぁんが宅さ帰ってからの想像がありたおん。おれはやんんべさかだるどよこの二つのがなで歩かせられてだっちゃうながなや。その上おれは時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりたおん。そうして今頃は奥つぁんがお嬢つぁんさもうあの話をしてっと時分だっちゃうなんかと考えたおん。また或ある時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いだおん。
 おれはとうとう万世(まんせ)橋(ばす)を渡って、明神の坂を上がって、本郷台さ来て、そいづたごまた菊坂を下りて、しまいさ小石川の谷さ下りたのや。おれの歩いた距離はこの三区さ跨またがって、いびつな円を描えがいたともいわれるだべんが、おれはこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのや。今その時のおれを回顧して、なんでだとおれさ聞いてみても一向いっこう分りね。ただ不思議さ思うだけだあ。おれの心がKを忘れ得うるくらい、一方さ緊張してだとみればそいづまでだげんちょも、おれの良心がまたそいづを許すべきはずはなかったのやから。
 Kさ対するおれの良心が復活したのは、おれが宅の格子を開けて、玄関から坐敷さ通る時、すなわち例のごとくあいずの部屋を抜けようとした瞬間だやぁい。あいずはいづがな通りつぐえさ向って書見をしていだおん。あいずはいづがな通り書物から眼を放して、おれを見たおん。だげっとあいずはいづがな通り今帰ったのかとはいいねだやぁい。あいずは「病気はもう癒いのか、医者さでも行ったのか」と聞きたおん。おれはその刹那さ、あいずの前さ手を突いて、詫りたくなったのや。しかもおれの受けたその時の衝動は決して弱いがなではなかったのや。もしKとおれがたった二人曠野の真中さでも立ってだだらば、おれはきっと良心の命令さ従って、その場であいねで謝罪したろうと思うんだっちゃの。だげっと奥さは人がいっちゃ。おれの自然はすぐんでよ食い留められてしまったのや。そうして悲しい事さ永久さ復活しなかったのや。
 夕飯の時Kとおれはまた顔を合せたおん。何さもしゃねKはただ沈んでいただけで、わんつかも疑い深い眼をおれさ向けね。何さもしゃね奥つぁんはいづもより嬉しんだやぁい。おれだけがすべてを知ってだのや。おれは鉛のような飯を食いだおん。その時お嬢つぁんはいづがなようさみんなと同じ食卓さ並びねだやぁい。奥つぁんが催促すると、次の部屋で只今と答えるだけだやぁい。そいづをKは不思議そうさ聞いていだおん。しまいさどうしたのかと奥つぁんさ尋ねたおん。奥つぁんは大方極りが悪いのだっちゃうといって、わんつかおれの顔を見たおん。Kはなお不思議そうさ、なんで極りが悪いのかと追及しさ掛かりたおん。奥つぁんは微笑しながらまたおれの顔を見るのや。
 おれは食卓さ着いた初めから、奥つぁんの顔つきで、事の成行をほぼ推察していだおん。だげっとKさ説明を与えるためさ、おれのいる前で、そいづを悉く話されては堪らねおんと考えたおん。奥つぁんはまたそのくらいの事を平気だある女なのんんだがららいら、おれはひやひやしたのや。幸いさKはまた元の沈黙さ帰りたおん。平生より多少機やんのよかった奥つぁんも、とうとうおれの恐れを抱いだいている点までは話を進めねでしまいだおん。おれはほっと一息して部屋さ帰りたおん。だげっとおれがこいずから先Kさ対して取るべき態度は、どうしたがなだっちゃうか、おれはそいづを考えねではいられねだやぁい。おれは色々の弁護をおれのふとごろで拵えてみたおん。けれどもどの弁護もKさ対して面と向うさは足りねだやぁい、卑怯なおれはついさおれでおれをKさ説明するのが厭さなったのや。

四十七

「おれはそのまま二、三日過ごしたっけよ。その二、三日の間Kさ対する絶えざる不安がおれのふとごろを重くしてだのはかだるまでもありね。おれはただでさえ何とかしねげど、あいねで済まないと思ったのや。その上奥つぁんの調子や、お嬢つぁんの態度が、始終おれを突ッつくようさ刺戟するのんだがらいら、おれはなお辛かったのや。どっか男らしい気性を具そなえた奥つぁんは、いつおれの事を食卓でKさ素っぱ抜がいとも限りね。そいづ以来ことさ目立つようさ思えたおれさ対するお嬢つぁんの挙止動作も、Kの心を曇らす不審の種となんねとは断言できね。おれは何とかして、おれとこの家族との間さ成り立った新しい関係を、Kさ知らせなければなんね位置さ立ちたおん。だげっと倫理的さ弱点をたがいでいると、おれでおれを認めているおれさは、そいづがまた至難の事のようさ感ぜられたのや。
 おれは仕方がないから、奥つぁんさ頼んでKさ改めてそういってもらおうかと考えたおん。無論おれのいね時さだあ。だげっとありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目のないのさ変りはありね。といって、拵え事をかだってもらおうとすっぺ、すっとよ、奥つぁんからその理由を詰問されるさ決まっていっちゃ。もし奥つぁんさすべての事情を打ち明けて頼むとすっぺ、すっとよ、おれは好んでおれの弱点をおれの愛人とそのががの前ささらけ出さなければなりね。真面目なおれさは、そいづがおれの未来の信用さ関するとしか思われなかったのや。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一分一厘でも、おれさは堪え切れねおんぶっしゃせのようさ見えたおん。
 要するさおれは正直な路を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿がなだったい。もしくは狡猾な男だったい。そうしてそごさ気のついているがなは、今のとごただ天とおれの心だけだやぁのや。だげっと立ち直って、もう一歩前さ踏み出そうとするさは、今滑った事をぜひとも周囲の人さ知られなければなんね窮境さ陥いったのや。おれはあくまで滑った事を隠したがりたおん。同時さ、なしても前さ出ねではいられなかったのや。おれはこの間さ挟はさまってまた立たち竦すくみたおん。
 五、六日経たった後、奥つぁんはずいらおれさ向って、Kさあの事を話したかと聞くのや。おれはまだかだらねおんと答えたおん。するとなんでかしゃねげっともだらねおんのかと、奥つぁんがおれを詰なじるのや。おれはこの問いの前さ固くなったい。その時奥つぁんがおれを驚かした言葉を、おれは今でも忘れねで覚えていっちゃ。
「道理で妾おれが話したら変な顔をしていだっちゃ。あんだもよくないだべやありねか。平生あんなさ親しくしてっと間柄だのさ、黙って知らん顔をしてっとのは」
 おれはKがその時なんかいいはしなかったかと奥つぁんさ聞きたおん。奥つぁんは別段何さもいわねと答えたおん。だげっとおれは進んでもっと細かい事を尋ねねではいられねだったい。奥つぁんはもとより何も隠す訳がありね。大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれたおん。
 奥つぁんのかだるとごを綜合して考えてみると、Kはこのうっしょの打撃を、最もおづついた驚きをたがいで迎えたらしいのや。Kはお嬢つぁんとおれとの間さ結ばれた新しい関係さついて、最初はそんだがらすかとただ一くずいっただけだやぁほでがす。だげっと奥つぁんが、「あんだも喜んでけらい」と述べた時、あいずははじめて奥つぁんの顔を見て微笑を洩らしながら、「おめでとうござりす」といったまま席を立ったほでがす。そうして茶の間の障子しょうじを開ける前さ、また奥つぁんを振り返って、「結婚はいつんだがらい」と聞いたほでがす。んんだがらら「なんかお祝いを上げたいが、おれは金がないから上げる事ができね」といったほでがす。奥つぁんの前さ坐ってだおれは、その話を聞いてふとごろが塞がるような苦しさを覚えたおん。

四十八


「勘定して見ると奥つぁんがKさ話をしてからもう二日余りさなるっちゃ。その間Kはおれさ対してわんつかも以前と異なった様子を見せなかったがら、おれは全くそいづさ気がつかねでいたのや。あいずの超然とした態度はたとい外観だけさもせよ、敬ふぐさ値すべきだとおれは考えたおん。あいずとおれをあだまの中で並べてみると、あいずの方が遥かさ立派さ見えたおん。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」つう感じがおれのふとごろさ渦巻いて起りたおん。おれはその時なんぼかKが軽蔑してっと事だっちゃうと思って、一人で顔を赤らめたおん。だげっと今更Kの前さ出て、恥を掻かせられるのは、おれの自尊心さとって大いな苦いだだったい。
 おれが進もうか止そうかと考えて、ともかくも翌日あまで待とうと決心したのは土曜の晩だったい。とごろがその晩さ、Kは自殺して死んでしまったのや。おれは今でもその光景を思い出すとぞっとします。いづも東枕で寝るおれが、その晩さ限って、偶然西枕さ床を敷いたのも、なんかの因縁かも知れね。おれは枕元から吹き込むすばれる風でふと眼を覚たおんのや。見ると、いづも立て切ってあるKとおれの部屋との仕切りの襖が、この間の晩と同じくらい開あいていっちゃ。けれどもこの間のようさ、Kの黒い姿はそごさは立っていね。おれは暗示を受けた人のようさ、床の上さ肱を突いて起き上がりながら、きっとKの部屋を覗きたおん。洋燈が暗く点とたがいでいるのや。そいづで床も敷いてあるのや。だげっと掛蒲団は跳返はねかえされたようさ裾すその方さ重なり合っているのや。そうしてK自身は向うむきさ突ッ伏ぷしてっとのや。
 おれはおいといって声を掛けたおん。だげっと何の答えもありね。おいどうかしたのかとおれはまたKを呼びたおん。そいづでもKの身体からだは些っとも動きね。おれはすぐ起き上って、敷居際まで行きたおん。そごからあいずの部屋の様子を、暗い洋燈の光で見廻みまわしてみたおん。
 その時おれの受けた第一の感じは、Kからずいら恋の自白を聞かされた時のそいづとほぼ同じだったい。おれの眼はあいずの部屋の中を一目見るや否や、あたかも硝子で作った義眼のようさ、動く能力を失いだおん。おれは棒立ちさ立たち竦みたおん。そいづが疾風のごとくおれを通過したあとで、おれはまたああしまったと思いだおん。もう取り返しがつがいつう黒い光が、おれの未来を貫いて、一瞬間さおれの前さよごたわる全生涯を物凄く照らしたっけよ。そうしておれはがたがた顫え出したのや。
 そいづでもおれはついさおれを忘れる事ができねだったい。おれはすぐつぐえの上さ置いてある手紙さ眼を着けたおん。そいづは予期通りおれの名宛てさなっていだおん。おれは夢中で封を切りたおん。だげっと中さはおれの予期したような事は何さも書いてありねだったい。おれはおれさ取ってどんなさ辛い文句がその中さ書き列ねてあるだっちゃうと予期したのや。そうして、もしそいづが奥つぁんやお嬢つぁんの眼さ触れたら、どんなさ軽蔑されるかも知れねおんつう恐怖があったのや。おれはわんつか眼を通しただけで、まず助かったと思いだおん。(もとより世間体の上だけで助かったのやが、その世間体がこの場合、おれさとっては非常な重大事件さ見えたのや。)
 手紙の内容は簡単だったい。そうしてむしろ抽象的だったい。おれは薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺するつうだけなのや。んんだがらら今までおれさ世話さなった礼が、ごくあっさりとした文句でその後さつけ加えてありたおん。世話ついでさ死後のかたづけかたも頼みたいつう言葉もありたおん。奥つぁんさ迷惑を掛けて済まんから宜しく詫をしてくれつう句もありたおん。国元さはおれから知らせてもらいたいつう依頼もありたおん。必要な事はみんな一くずずつ書いてある中さお嬢つぁんの名前だけはどごさも見えね。おれはしまいまで読んで、すぐKがわざと回避したのだつう事さ気がつきたおん。だげっとおれのもっともいだ切さ感じたのは、うっしょさ墨の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのさなんで今まで生きてだのだっちゃうつう意味の文句だったい。
 おれは顫える手で、手紙を巻き収めて、もいっかい封の中さ入れたおん。おれはわざとそいづを皆の眼さ着くようさ、元の通りつぐえの上さ置きたおん。そうして振り返って、襖さ迸ばしっている血潮を始めて見たのや。

四十九

「おれはずいらKのあだまを抱かびっきっこようさ両手でわんつか持ち上げたおん。おれはKの死顔が一目見たかったのや。だげっと俯伏しさなっているあいずの顔を、こうして下から覗き込んだ時、おれはすぐその手を放してしまいだおん。ぞっとしたばりだっちゃのや。あいずのあだまが非常さ重たく感ぜられたのや。おれは上から今触ったひゃっこい耳と、平生さ変らねおん五分刈りの濃い髪の毛をしばらく眺めていだおん。おれはわんつかも泣く気さはなれねだったい。おれはただ恐ろしかったのや。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激して起る単調な恐ろしさばりではありね。おれは忽然としゃっけくなってんばだの友達さよって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのや。
 おれは何の分別もなくまたおれの部屋さ帰りたおん。そうして八畳の中をぐるぐる廻わり始めたおん。おれのあだまは無意味でも当分そうして動いていろとおれさ命令するのや。おれはどうかしねげどなんねと思いだおん。同時さもうなじょする事もでぎねのだと思いだおん。座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのや。檻の中さ入れられた熊のような態度で。
 おれは時々奥さ行って奥つぁんを起そうつう気さなるっちゃ。けれども女さこの恐ろしい有様を見せては悪いつう心持がすぐおれを遮ぎるっちゃ。奥つぁんはとさかく、お嬢つぁんを驚かす事は、うんとっけでぎねつう強い意志がおれを抑えつけます。おれはまたぐるぐる廻り始めるのや。
 おれはその間さおれの部屋の洋燈を点けたおん。んんだがららとげいを折々見たおん。その時のとげいほど埒の明がいとろこいがなはありねだったい。おれの起きた時間は、正確さ分らねおんのやけれども、もう夜明さ間もなかった事だけは明らかだあ。ぐるぐる廻りながら、その夜明を待ち焦がれたおれは、永久さ暗い夜が続くのではなかろうかつう思いさ悩まされたおん。
 我々は七時前さ起きる習慣だったい。がっこは八時さ始まる事が多いので、そいづでないと授業さ間さ合わねのや。下女はその関係で六時頃さ起きる訳さなっていだおん。だげっとその日おれが下女を起しさ行ったのはまだ六時前だったい。すると奥つぁんが今日は日曜だといって注意してくれたおん。奥つぁんはおれの足音で眼を覚たおんのや。おれは奥つぁんさ眼が覚めているなら、わんつかおれの部屋まで来てくれと頼みたおん。奥つぁんは寝巻の上さ不断着の羽織を引っ掛かけて、おれの後さ跟いて来たおん。おれは部屋さはいるや否や、今まで開いてだ仕切りの襖をすぐ立て切りたおん。そうして奥つぁんさ飛んだ事ができたと小声で告げたおん。奥つぁんは何だと聞きたおん。おれは顋で隣の部屋を指すようさして、「驚いちゃいけね」といいだおん。奥つぁんは蒼い顔をしたっけよ。「奥つぁん、Kは自殺したっけよ」とおれがまたいいだおん。奥つぁんはそごさ居竦くまったようさ、おれの顔を見て黙っていだおん。その時おれはずいら奥つぁんの前さ手を突いてあだまを下げたおん。「済みね。おれが悪かったのや。あんださもお嬢つぁんさも済まない事さなったい」と詫りたおん。おれは奥つぁんと向い合うまで、ほだな言葉をくねだある気はまるでなかったのや。だげっと奥つぁんの顔を見た時不意さ我とも知らずそういってしまったのや。Kさ詫まる事のでぎねおれは、こうして奥つぁんとお嬢つぁんさ詫わびなければいられなくなったのだと思ってけらい。いやんべさかだるどよおれの自然が平生のおれを出し抜いてふらふらと懺悔のくずを開かしたのや。奥つぁんがほだな深い意味さ、おれの言葉を解釈しなかったのはおれさとって幸いだったい。蒼い顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないだべやありねか」と慰めるようさいってくれたおん。だげっとその顔さは驚きと怖おそいづとが、彫ほりつけられたようさ、硬かたく筋ぬぐっこを攫んでいだおん。

五十

「おれは奥つぁんさ気の毒だったいけれども、また立って今閉めたばりの唐紙を開けたおん。その時Kの洋燈さ油が尽きたと見えて、部屋の中はほとんど真暗だったい。おれは引き返しておれの洋燈を手さ持ったまま、入くねで立って奥つぁんを顧みたおん。奥つぁんはおれのうすろから隠れるようさして、四畳の中を覗き込みたおん。だげっとはいろうとはしね。そごはそのままさしておいて、雨戸を開けてくれとおれさいいだおん。
 んんだがらら後の奥つぁんの態度は、さすがさ軍人の未亡人だけあって要領を得ていだおん。おれは医者の所さも行きたおん。また警察さも行きたおん。だげっとみんな奥つぁんさ命令されて行ったのや。奥つぁんはそうした手続きの済むまで、誰もKの部屋さは入いれねだったい。
 Kは小さなナイフで頸動脈を切って一息さ死んでしまったのや。外さ創らしいがなは何さもありねだったい。おれが夢のような薄暗い灯で見た唐紙の血潮は、あいずの頸筋からいっかいさ迸しったがなと知れたおん。おれは日中の光で明らかさその迹をもいっかい眺めたおん。そうして人間の血の勢いつうがなの劇しいのさたまげてしまったっちゃや。
 奥つぁんとおれはできるだけの手際と工夫を用いて、Kの部屋を掃除したっけよ。あいずの血潮の大部分は、幸いあいずの蒲団さ吸収されてしまったがら、畳はそいづほど汚れねおんで済みたおんから、後始末はまだ楽だったい。二人はあいずの死骸をおれの部屋さ入れて、不断の通り寝ている体さよごさしたっけよ。おれはんんだがららあいずの実家さ電報を打ちさ出たのや。
 おれが帰った時は、Kの枕元さもう線香が立てられていだおん。部屋さはいるとすぐ仏臭い烟りで鼻を撲たれたおれは、その烟の中さ坐っている女二人を認めたおん。おれがお嬢つぁんの顔を見たのは、昨夜来この時が始めてだったい。お嬢つぁんは泣いていだおん。奥つぁんも眼を赤くしていだおん。事件が起ってからそいづまで泣く事を忘れてだおれは、その時やっとご悲しい気分さ誘われる事ができたのや。おれのふとごろはその悲しさのためさ、どのくらい寛くつろいだか知れね。苦いだと恐怖でぐいと握り締められたおれの心さ、一滴の潤いを与えてくれたがなは、その時の悲しさだったい。
 おれは黙って二人のそばさ坐っていだおん。奥つぁんはおれさも線香を上げてやれといいっちゃ。おれは線香を上げてまた黙って坐っていだおん。お嬢つぁんはおれさは何ともいいね。たまさ奥つぁんと一くず二くず言葉を換かわす事がありたおんが、そいづは当座の用事さついてのみだったい。お嬢つぁんさはKの生前さついて語るほどの余裕がまだ出て来なかったのや。おれはそいづでも昨夜の物凄い有様を見せねで済んでまだっちゃかったと心のうちで思いだおん。若かだるづぐすい人さ恐ろしいがなを見せると、折角くの美しさが、そのためさ破壊されてしまいそうでおれは怖かったのや。おれの恐ろしさがおれの髪の毛のはすっこまで来た時だあら、おれはその考えを度外さ置いて行動する事はできねだったい。おれさは綺麗な花を罪もないのさみだりさ鞭うつと同じような不快がそのうちさ籠ってだのや。
 国元からKの父とあんつぁんが出て来た時、おれはKの遺骨をどごさ埋るかさついておれの意見を述べたおん。おれはあいずの生前さ雑司ヶ谷近辺をよくいっしょさ散歩した事があるっちゃ。Kさはそごが大変気さ入ってだのや。そいづでおれは笑談半分はんぶんさ、ほだなさ好きなら死んだらこごさ埋めてやっぺしと約束した覚えがあるのや。おれも今その約束通りKを雑司ヶ谷さ葬ったとごで、どのくらいの功徳さなるがなかとは思いだおん。けれどもおれはおれの生きている限り、Kの墓の前さ跪いて月々おれの懺悔を新たさしたかったのや。今まで構いつけなかったKを、おれが万事世話をして来たつう義理もあったがらしょう、Kの父もあんつぁんもおれのかだる事を聞いてくれたおん。

五十一

「Kの葬式の帰り路さ、おれはその友人の一人から、Kがなして自殺したのだっちゃうつう質問を受けたおん。事件があって以来おれはもう何度となくこの質問で苦しめられてだのや。奥つぁんもお嬢つぁんも、国から出て来たKの父あんつぁんも、通知を出した知り合いも、あいずとは何の縁故もないすんぶん記者までも、必ず同様の質問をおれさ掛けねえべや事はなかったのや。おれの良心はそのたびさちくちく刺されるようさいだみたおん。そうしておれはこの質問の裏さ、早くお前が殺したと白状してしまえつう声を聞いたのや。
 おれの答えは誰さ対しても同じだったい。おれはただあいずのおれ宛てで書き残した手紙を繰り返すだけで、外ほかさ一くずたがぐけ加える事はしねだったい。葬式の帰りさ同じ問いを掛けて、同じ答えを得たKの友人は、懐から一枚のすんぶんを出しておれさ見せたおん。おれは歩きながらその友人さよって指し示された箇所を読みたおん。そいづさはKが父あんつぁんから勘当された結果厭世的な考えを起して自殺したと書いてあるのや。おれは何さもいわねで、そのすんぶんを畳んで友人の手さ帰したっけよ。友人はこの外さもKが気が狂って自殺したと書いたすんぶんがあるといって教えてくれたおん。せわしいので、ほとんどすんぶんを読む暇がなかったおれは、まるでそうした方面の知識を欠いていんだがら、腹の中では始終気さかかってだとごだったい。おれは何よりも宅のがなの迷惑さなるような記事の出るのを恐れたのや。ことさ名前だけさせよお嬢つぁんが引合いさ出たら堪らねおんと思ってだのや。おれはその友人さ外ほかさ何とか書いたのはないかと聞きたおん。友人はおれの眼さ着いたのは、ただその二種ぎりだと答えたおん。
 おれが今おる家さ引っ越こしたのはんんだがらら間もなくだったい。奥つぁんもお嬢つぁんも前の所さいるのを厭がるっちゃし、おれもその夜の記憶を毎晩繰り返すのが苦いだだやぁがら、相談の上移る事さ決めたのや。
 移って二カ月ほどしてからおれは無事さ大学を卒業したっけよ。卒業して半年も経たなかだるちさ、おれはとうとうお嬢つぁんと結婚したっけよ。外側から見れば、万事が予期通りさ運んだのんだがらいら、目出度いといわなければなりね。奥つぁんもお嬢つぁんもいかさも幸福らしく見えたおん。おれも幸福だやぁのや。けれどもおれの幸福さは黒い影が随いていだおん。おれはこの幸福がうっしょさおれを悲しい運命さ連れて行く導火線ではなかろうかと思いだおん。
 結婚した時お嬢つぁんが、――もうお嬢つぁんではありねから、ががといいっちゃ。――ががが、何を思い出したのか、二人でKの墓参りをすっぺといい出したっけよ。おれは意味もなくただぎょっとしたっけよ。なしてほだな事をいぎなり思い立ったのかと聞きたおん。ががは二人揃ってお参りをしたら、Kがなんぼか喜ぶだっちゃうつうのや。おれは何事もしゃねががの顔をしけじけ眺めていんだがら、ががからなんでほだな顔をするのかと問われて始めて気がつきたおん。
 おれはががの望み通り二人連れ立って雑司ヶ谷さ行きたおん。おれは新しいKの墓さ水をかけて洗ってやりたおん。ががはその前さ線香と花を立てたおん。二人はあだまを下げて、合掌したっけよ。ががは定めておれといっしょさなった顛末を述べてKさ喜んでもらうつもりだったいろうべや。おれは腹の中で、ただおれが悪かったと繰り返すだけだったい。
 その時ががはKの墓を撫でてみて立派だと評していだおん。その墓は大したがなだっちゃのやけれども、おれがおれで石屋さ行って見立みたてたりした因縁があるので、ががはとくさそういいたかったがらしょうべや。おれはその新しい墓と、新しいおれのががと、んんだがらら地面の下さ埋められたKの新しい白骨とを思い比べて、運命の冷罵を感ぜねではいられなかったのや。おれはそいづ以後決してががといっしょさKの墓参りをしね事さしたっけよ。


五十二

「おれの亡友さ対するこうした感じはいつまでも続きたおん。実はおれも初めからそいづを恐れてだのや。年来の希望であった結婚すら、不安のうちさ式を挙げたといえばいえねべや事もないだべん。だげっとおれでおれの先が見えねべや人間の事んだがらいら、ことさよるとそだっちゃがったらこいずがおれの心持を一転して新しい生涯さ入る糸くねでなるかも知れねおんとも思ったのや。とごろがいよいよ夫として朝夕ががと顔を合せてみると、おれのはがい希望は手厳しい現実のためさ脆くも破壊されてしまいだおん。おれはががと顔を合せているうちさ、卒然Kさ脅おびやかされるのや。いやんべさかだるどよががが中間さ立って、Kとおれをどごまでも結びつけて離さないようさするのや。ががのどごさも不足を感じないおれは、ただこの一点さおいてあいず女を遠ざけたがりたおん。すると女のふとごろさはすぐそいづが映るっちゃ。映るけれども、理由は解わがんねえのや。おれは時々ががからなんでほだなさ考えているのだとか、なんか気さ入らねおん事があるのだっちゃうとかかだる詰問を受けたおん。笑って済ませる時はそいづで差支えねべやのだげんちょも、時さよると、ががの癇も高じて来ます。しまいさは「あんだはおれをやんっていらっしゃるんだべん」とか、「何でもおれさ隠していらっしゃる事があるさ違いね」とかかだる怨かだれんげんも聞がくてはなりね。おれはそのたびさ苦しみたおん。
 おれは一層思い切って、ありのままをががさ打ち明けようとした事が何度もあるっちゃ。だげっといざつう間際さなるとおれ以外のある力が不意さ来ておれを抑えつけるのや。おれを理解してくれるあんだの事んだがらら、説明する必要もあるまいと思うけんどもよ、かだるべき筋んだがららかだっておきます。その時分のおれはががさ対して己れを飾る気はまるでなかったのや。もしおれが亡友さ対すると同じような善良な心で、ががの前さ懺悔の言葉を並べたなら、ががは嬉し涙をまげでもおれの罪を許してくれたさ違いねのや。そいづをあえてしねおれさ利害の打算があるはずはありね。おれはたんだがらがの記憶さ暗黒な一点を印するさ忍びなかったから打ち明けなかったのや。純白ながなさ一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは、おれさとっておどげでない苦いだだやぁのだと解釈してけらい。
 一年経ってもKを忘れる事のできなかったおれの心は常さ不安だったい。おれはこの不安を駆逐するためさ書物さ溺れようと努めたおん。おれは猛烈な勢いをたがいで勉強し始めたのや。そうしてその結果を世の中さ公さする日の来るのを待ちたおん。けれども無理さ目的を拵えて、無理さその目的の達せられる日を待つのは嘘んだがらいら不愉快だあ。おれはなしても書物のなかさ心を埋めていられなくなったい。おれはまた腕組みをして世の中を眺めだしたのや。
 ががはそいづを今日さ困らねおんから心さ弛みが出るのだと観察してだっちゃうだったい。ががの家さも親子二人ぐらいは坐っていてどうかこうか暮して行ける財産がある上さ、おれも職業を求めないで差支えのない境遇さいたのやから、そう思われるのももっともだあ。おれも幾分かのっつぉうこいだ気味がありましょうべや。だげっとおれの動がくなった原因の主ながなは、全くそごさはなかったのや。叔父さ欺むかれた当時のおれは、他人の頼みさなんね事をつくづくと感じたさは相違ありねが、他人を悪く取るだけあって、おれはまだ確が気がしていだおん。世間はどうあろうともこの己れは立派な人間だつう信念がどっかさあったのや。そいづがKのためさ美事さ破壊されてしまって、おれもあの叔父と同じ人間だと意識した時、おれは急さふらふらしたっけよ。他ひとさ愛想を尽かしたおれは、おれさも愛想を尽かして動けなくなったのや。

五十三

「書物の中さおれを生埋めさする事のできなかったおれは、さげさ魂を浸して、己れを忘れようと試みた時期もあるっちゃ。おれはさげが好きだとはいいね。けれども飲めば飲める質だったいから、たんだがらさを頼みさ心を盛り潰そうと努めたのや。この浅薄な方便はしばらくするうちさおれをなお厭世的さしたっけよ。おれは爛酔の真最中さふとおれの位置さ気がつくのや。おれはわざとこっだ真似をして己れを偽っている愚物だつう事さ気がつくのや。すると身振るいと共さ眼も心も醒さめてしまいっちゃ。時さはなんぼ飲んでもこうした仮装状態ささえ入はいり込めないでむやみさ沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買った後さは、きっと沈鬱な反動があるのや。おれはおれの最も愛してっとががとそのががさ、いつでもそごを見せなければならなかったのや。しかもあいずらはあいずらさ自然な立場からおれを解釈して掛かかるっちゃ。
 ががのががは時々気まずい事をががさかだるようだったい。そいづをががはおれさ隠していだおん。だげっとおれはおれで、単独さおれを責めなければ気が済まなかったらしいのや。責めるといっても、決して強い言葉ではありね。ががからなんかいわれたためさ、おれが激したためしはほとんどなかったくらいんだがらいら。ががはたびたびどごが気さ入らねおんのか遠慮なくいってくれと頼みたおん。んんだがららおれの未来のためささげを止やめろと忠告したっけよ。ある時は泣いて「あんだはこの頃人間が違った」といいだおん。そいづだけならまだいいのやけれども、「Kつぁんが生きてだら、あんだもほだなさはならなかっただべん」つうのや。おれはそうかも知れねおんと答えた事がありたおんが、おれの答えた意味と、ががの了解した意味とは全く違ってだのやから、おれは心のうちで悲しかったのや。そいづでもおれはががさ何事も説明する気さはなれねだったい。
 おれは時々ががさ詫りたおん。そいづはいっぺさげさ酔って遅く帰った翌日の朝だったい。ががは笑いだおん。そだっちゃがったら黙っていだおん。たまさぽろぽろと涙を落す事もありたおん。おれはどっちさしてもおれが不愉快で堪らなかったのや。んだがららおれのががさ詫まるのは、おれさ詫まるのといやんべさかだるどよ同じ事さなるのや。おれはしまいささげを止やめたおん。ががの忠告で止めたつうより、おれで厭やんさなったから止めたといった方がやんべだべん。
 さげは止めたけれども、何もする気さはなりね。仕方がないから書物を読みます。だげっと読めば読んだなりで、打ち遣って置きます。おれはががから何のためさ勉強するのかつう質問をたびたび受けたおん。おれはただ苦笑していだおん。だげっと腹の底では、世の中でおれが最も信愛してっとたった一人の人間すら、おれを理解していねのかと思うと、悲しかったのや。理解させる手段があるのさ、理解させる勇気が出せねえのだと思うとますます悲しかったのや。おれは寂寞だったい。どっからも切り離されて世の中さたった一人住んでいるような気のした事もよくありたおん。
 同時さおれはKの死因を繰り返し繰り返し考えたのや。その当座はあだまがただ恋の一字で支配されてだせいでもありましょうが、おれの観察はむしろ簡単でしかも直線的だったい。Kは正しく失恋のためさ死んんだがらなとすぐ決めてしまったのや。だげっと段々おづついた気分で、同じ現象さ向ってみると、そう容易くは解決が着がいようさ思われて来たおん。現実と理想の衝突、――そいづでもまだ不充分だったい。おれはしまいさKがおれのようさたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急さ所決したがらはなかろうかと疑い出したっけよ。そうしてまたぞっとしたのや。おれもKの歩いた路を、Kと同じようさ辿っているのだつう予覚が、折々風のようさおれのふとごろをよご切り始めたからだあ。

五十四

「その内ががのががが病気さなったい。医者さ見せると到底治らねおんつう診断だったい。おれは力の及ぶかぎり懇切さ看護をしてやりたおん。こいずは病人自身のためでもあるっちゃし、また愛するががのためでもありたおんが、もっと大きな意味からかだると、ついさ人間のためだったい。おれはそいづまでさもなんかしたくって堪たまらなかったのだけれども、何もする事がでぎねのでやむをえず懐手をしてださ違いありね。世間と切り離されたおれが、始めておれから手を出して、幾分でも善いい事をしたつう自覚を得たのはこの時だったい。おれは罪滅ぼしとでも名づけなければなんね、一種の気分さ支配されてだのや。
 ががは死さたおん。おれとががはたった二人ぎりさなったい。ががはおれさ向って、こいずから世の中で頼りさするがなは一人しがくなったといいだおん。おれ自身さえ頼りさする事のでぎねおれは、ががの顔を見て思わず涙ぐみたおん。そうしてががをぶっしゃせな女だと思いだおん。またぶっしゃせな女だとくずさ出してもいいだおん。ががはなんでだと聞きます。ががさはおれの意味が解わがんねえのや。おれもそいづを説明してやる事がでぎねのや。ががは泣きたおん。おれが不断からひねくれた考えであいず女を観察してっとためさ、ほだな事もかだるようさなるのだと恨うらみたおん。
 ががの亡くなった後あと、おれはできるだけががを親切さ取り扱ってやりたおん。ただ、当人を愛してだからばりではありね。おれの親切さは個人を離れてもっと広い背景があったようだあ。ちょうどががのががの看護をしたと同じ意味で、おれの心は動いたらしいのや。ががは満足らしく見えたおん。けれどもその満足のうちさは、おれを理解し得ないためさ起るぼんやりした稀薄な点がどっかさ含まれているようだったい。だげっとがががおれを理解し得たさしたとごで、この物足りなさは増すとも減る気遣いはなかったのや。女さは大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれてもおれだけさ集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いようさ思われますかいら。
 ががはある時、男の心と女の心とはなしてもぴたりと一つさなれねおんがなだっちゃうかといいだおん。おれはただ若い時ならなれるだっちゃうと曖昧な返事をしておきたおん。ががはおれの過去を振り返って眺めているようだったいが、やがて微が溜息を洩らしたっけよ。
 おれのふとごろさはその時分から時々恐ろしい影が閃めきたおん。初めはそいづが偶然外から襲って来るのや。おれはたまげてしまったっちゃや。おれはぞっとしたっけよ。だげっとしばらくしてっと中うちさ、おれの心がその物凄い閃きさ応ずるようさなったい。しまいさは外から来ないでも、おれのふとごろの底さ生れた時から潜んでいるがなのごとくさ思われ出して来たのや。おれはそうした心持さなるたびさ、おれのあだまがどうかしたがらはなかろうかと疑がってみたおん。けれどもおれは医者さも誰さも診てもらう気さはなりねだったい。
 おれはただ人間の罪つうがなを深く感じたのや。その感じがおれをKの墓さ毎月行かせます。その感じがおれさががのががの看護をさせます。そうしてその感じがががさ優しくしてやれとおれさ命じます。おれはその感じのためさ、しゃね路傍の人から鞭うたれたいとまで思った事もあるっちゃ、こうした階段を段々経過して行くうちさ、人さ鞭うたれるよりも、おれでおれを鞭うつべきだつう気さなるっちゃ。おれでおれを鞭うつよりも、おれでおれを殺すべきだつう考えが起るっちゃ。おれは仕方がないから、死んだ気で生きてあばいんと決心したっけよ。
 おれがそう決心してから今日まで何年さなるだべん。おれとががとは元の通り仲好く暮して来たおん。おれとががとは決してぶっしゃせではありね、幸福だったい。だげっとおれのたがいでいる一点、おれさ取っては容易ならんこの一点が、ががさは常さ暗黒さ見えたらしいのや。そいづを思うと、おれはががさ対して非常さ気の毒な気がします。

五十五

「死んだつもりで生きてあばいんと決心したおれの心は、時々外界の刺戟で躍り上がりたおん。だげっとおれがどの方面かさ切って出ようと思い立つや否や、恐ろしい力がどっからか出て来て、おれの心をぐいと握り締めてわんつかも動けねえべやようさするのや。そうしてその力がおれさお前は何をする資格もない男だと抑えつけるようさいって聞かせます。するとおれはその一言で直ぐぐたりと萎れてしまいっちゃ。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締めつけられます。おれは歯を食いしばって、何で他人ひとの邪魔をするのかと怒鳴りつけます。不可思議な力は冷ひややが声で笑いっちゃ。おれでよく知っているくせさといいっちゃ。おれはまたぐたりとなるっちゃ。
 波瀾も曲折もない単調な生活を続けて来たおれの内面さは、常さこうした苦しい戦争があったがなと思ってけらい。ががが見て歯痒ゆがる前さ、おれ自身が何層倍歯痒い思いを重ねて来たか知れななんぼいだあ。おれがこの牢屋の中さじっとしてっと事がなしてもできなくなった時、またその牢屋をなしても突き破る事ができなくなった時、必竟おれさとって一番楽な努力で遂行できるがなは自殺より外さないとおれは感ずるようさなったのや。あんだはなんでといって眼をみはるかも知れねが、いづもおれの心を握り締めさ来るその不可思議な恐ろしい力は、おれの活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由さおれのためさ開けておくのや。動かねでいればともかくも、わんつかでも動く以上は、その道を歩いて進まなければおれさは進みようがなくなったのや。
 おれは今日さ至るまだあでさ二、三度運命の導いて行く最も楽な方向さ進もうとした事があるっちゃ。だげっとおれはいつでもががさ心を惹かされたおん。そうしてそのががをいっしょさ連れて行く勇気は無論ないのや。ががさすべてを打ち明ける事のできななんぼいなおれんだがらいら、おれの運命の犠牲として、ががの天寿を奪うなんかつう手荒らな所作は、考えてさえ恐ろしかったのや。おれさおれの宿命がある通り、ががさはががのめぐり合せがあるっちゃ、二人を一束ひとたばさして火さ燻くべるのは、無理つう点から見ても、いだましい極端としかおれさは思えねだったい。
 同時さおれだけがいなくなった後あとのががを想像してみるといかさも不憫もぞっこいだったい。ががの死んだ時、こいずから世の中で頼りさするがなはおれより外さなくなったといったあいず女の述懐じゅっかいを、おれは腸はらわたさ沁しみ込むようさ記憶させられてだのや。おれはいづも躊躇ちゅうちょしたっけよ。ががの顔を見て、止よしてよかったと思う事もありたおん。そうしてまた凝じっと竦すくんでしまいっちゃ。そうしてががから時々物足りなそうな眼で眺ながめられるのや。
 記憶してけらい。おれはこっだ風ふうさして生きて来たのや。始めてあんださ鎌倉かまくらで会った時も、あんだといっしょさ郊外を散歩した時も、おれの気分さ大した変りはなかったのや。おれのうすろさはいつでも黒い影がくッつついていだおん。おれはががのためさ、命を引きずって世の中を歩いてだっちゃうながなや。あんんだがら卒業して国さ帰る時も同じ事だったい。九月さなったらまたあんださ会おうと約束したおれは、嘘を吐いたがらはありね。全く会う気でいたのや。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのや。
 すると夏の暑い盛りさ明治天皇が崩御さなったい。その時おれは明治の精神が天皇さ始まって天皇さ終ったような気がしたっけよ。最も強く明治の影響を受けたおれどもが、その後さ生き残っているのは必竟時勢遅れだつう感じが烈しくおれのふとごろを打ちたおん。おれはあからさまさががさそういいだおん。ががは笑って取り合いねだったいが、何を思ったがなか、ずいらおれさ、では殉死でもしたらよかろうと調戯いだおん。

五十六

「おれは殉死つう言葉をほとんど忘れていだおん。平生使う必要のない字んだがらら、記憶の底さ沈んだまま、腐れかけてんだがらなと見えます。ががの冗談を聞いて始めてそいづを思い出した時、おれはががさ向ってもしおれが殉死やんだらば、明治の精神さ殉死するつもりだと答えたおん。おれの答えも無論冗談さ過ぎなかったのやが、おれはその時何だか古い不要な言葉さ新しい意義を盛り得たような心持がしたのや。
 んんだがらら一カ月ほど経ちたおん。御大葬の夜おれはいづがな通り書斎さ坐って、相図の号砲ごうほうを聞きたおん。おれさはそいづが明治が永久さ去った報知のごとく聞こえたおん。後で考えると、そいづが乃木大将の永久さ去った報知さもなってだのや。おれは号外を手さして、思わずががさ殉死だ殉死だといいだおん。
 おれはすんぶんで乃木大将の死ぬ前さ書き残して行ったがなを読みたおん。西南戦争の時敵さ旗を奪られて以来、申し訳のためさ死のう死のうと思って、つい今日まで生きてだつう意味の句を見た時、おれは思わず指を折って、乃木つぁんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見たおん。西南戦争は明治十年んだがらいら、明治四十五年までさは三十五年の距離があるっちゃ。乃木つぁんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待ってだらしいのや。おれはそうかだる人さ取って、生きてだ三十五年が苦しいか、また刀を腹さ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだっちゃうと考えたおん。
 んんだがらら二、三日して、おれはとうとう自殺する決心をしたのや。おれさ乃木つぁんの死んだ理由がよく解わがんねえようさ、あんださもおれの自殺する訳が明らかさ呑み込めないかも知れねが、もしんだとすると、そいづは時勢の推移から来る人間の相違んだがらら仕方がありね。そだっちゃがったら箇人のたがいで生れた性格の相違といった方が確かかも知れね。おれはおれのできる限りこの不可思議なおれつうがなを、あんださ解らせるようさ、今までの叙述で己おのれを尽つくしたつもりだあ。
 おれはががを残して行きます。おれがいなくなってもががさ衣食住の心配がないのは仕合わせだあ。おれはががさ残酷な驚怖を与える事を好みね。おれはががさ血の色を見せねえで死ぬつもりだあ。ががのしゃね間さ、こっそりこの世からいなくなるようさします。おれは死んだ後で、ががから頓死したと思われたいのや。気が狂ったと思われても満足なのや。
 おれが死のうと決心してから、もう十日以上さなるっちゃげんちょも、その大部分はあんださこの長い自叙伝の一節を書き残すためさ使用されたがなと思ってけらい。始めはあんださ会って話をする気でいたのやが、書いてみると、かえってその方がおれを判然り描き出す事ができたような心持がして嬉しいのや。おれは酔興さ書くのではありね。おれを生んだおれの過去は、人間の経験の一部分として、おれより外さ誰も語り得るがなはないのんだがらいら、そいづを偽いつわりなく書き残して置くおれの努力は、人間を知る上さおいて、あんださとっても、外の人さとっても、徒労ではなかろうと思うんだっちゃの。渡辺華山は邯鄲つう画を描かくためさ、死期を一週間繰り延べたつう話をつい先だって聞きたおん。他人から見たら余計な事のようさも解釈できましょうが、当人さはまた当人相応の要求が心の中うちさあるのんだがららやむをえねべやともいわれるだべん。おれの努力も単さあんださ対する約束を果たすためばりではありね。半ば以上はおれ自身の要求さ動かされた結果なのや。
 だげっとおれは今その要求を果たしたっけよ。もう何さもする事はありね。この手紙があんだの手さおづる頃さは、おれはもうこの世さはいねだべん。とくさ死んでいるだべん。ががは十日ばり前から市ヶ谷の叔母の所さ行きたおん。叔母が病気で手が足りねおんつうからおれが勧めてやったのや。おれはががの留守の間さ、この長いがなの大部分を書きたおん。時々ががが帰って来ると、おれはすぐそいづを隠したっけよ。
 おれはおれの過去を善悪ともさ他人の参考さ供するつもりだあ。だげっとががだけはたった一人の例外だと承知してけらい。おれはががさは何さも知らせたくないのや。ががが己のれの過去さ対してたがぐ記憶を、なるべく純白さ保存しておいてやりたいのがおれの唯一つの希望なのんだがらいら、おれが死んだ後とでも、ががが生きている以上は、あんだ限りさ打ち明けられたおれの秘密として、すべてを腹の中さしまっておいてけらい。







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