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「体罰・すべての被害者たちへ捧ぐ」 あとがき・怪談長編小説(note創作大賞2024ミステリー小説部門に応募とその後…)


はじめに

note創作大賞2024・ミステリー小説部門に出品した怪談長編小説体罰・すべての被害者たちへ捧ぐ」は、私(Kitsune-Kaidan)の実体験をベースに書き上げた作品です。小説の約80%は実際の経験に基づいています。今回は、あとがきとして後日談をお話ししたいと思います。

小説化した経緯

私がなぜこの作品を書こうと思ったのか…。その理由は小説の冒頭部分にも書かれているように「ずっと暗い心の隅に適当に埋めたままだった」という表現に通じる。高校教師と部活顧問による体罰の被害を忘れるつもりだった…いや、忘れたかったという方が正しいかもしれない。年月を重ねれば重ねるほど、ことあるごとに当時の被害が鮮明に頭に浮かんでくる。なぜ長年苦しまなければならないのか…。
 
こんなにも長い間、教師らから受けた体罰が自分の人生に影響を与えることを当時の私は知らなかった。誰にも話すことなく、その暗く重い過去の経験を自分の心の奥底に押し込めてきた。
 

心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい、Post-Traumatic Stress Disorder、PTSD)は、命の安全が脅かされるような出来事(戦争、天災、事故、犯罪、虐待など)によって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害である。

Wikipedia 

こんなにも明確で、誰にでもわかる情報ではないか。私が長年抱えてきたものはどう考えてもPTSDと言われるものであろう。

狭いところが苦手、
眼鏡をかけた中年の男性が苦手、
イライラを感じる、
体罰をしてきた教師のような声質が苦手、
大きな声や音が苦手、
権力を振りかざすものが苦手、などなど…。

言い出したらキリがないほど苦手なことが山ほどある。それは月日が経てば経つほど大きな苦手となって自分に襲いかかってくる。

(生きづらくて仕方がない…)

自分では理由がわからないため、何が何だかわからず混乱するのみ。その後、同じような種類の被害にあっても、過去のトラウマを封印したままの自分が立ち上がって被害を訴えることなど容易にできない。ただ黙って我慢をして自分の心の中に無理やり閉じ込めておく。加害者の思うツボである。

限界

当たり前のことだが、そのうち心と体に限界がやってくる。

大袈裟、
我慢が足りない、
甘い、
気のせい、
被害者ぶるな、
昔のことだ、
あの頃はそうだった。

そんな言葉が飛び交うこの世の中では、まさか自分が被害者であることを発表する機会などやってくるわけがない。ひたすら我慢して過去を封印して暮らす。いや、そんなことは不可能である。なぜなら、人間関係がうまくいくはずがないからだ。

しかし、被害から時が立ちすぎている。受けた被害の数々は上からどんどん重なり、大きな大きなドス黒いカサブタとなって心臓の周りに張りついている感覚。そのカサブタの中は治ることなくずっとジクジクしている。

(何とかしなければ…)

何度もそう思ったが、方法が見つからない。一体どうすればこの苦しみから抜け出せるのだろうか。

被害者の叫び

そんな中、有名な方たち、ジャーナリストの方、公的な仕事をされていた方たちの被害報告の様子がニュースで報道される機会が続々と増えてきた。そういったニュースや会見を見ていると、腹の底からわき上がってくる吐き気のような気持ちが止まらない。

震える。
気分が悪い。
汗が吹き出る。
動悸がする。
 
それでも尚、どうにもできない自分がいた。被害を訴える人をただ応援することしかできない。自分のできることといえば署名に参加するか募金に参加することくらいしかできない。そんな日々が続いた。

小説を書き始める

(誰にも言えずに抱えてきた体罰の被害を小説にしてみよう)

なぜかそう思えた。普段は怪談、人怖、不思議な話やスピリチュアルなテーマを中心にnoteに載せている。小説が完成したその先のことはあまり深く考えず、某有名ミステリー小説コンテストにでも応募してみようと思っていた。

書き始めるとどんどん言葉が出てきた。心の奥底から次々にドロドロとした思いが数珠繋ぎのようになって吐き出されたような感覚だった。下書きは一切なし。そのままタイプした。書き始めてから第一段階を書き上げたのは約1ヶ月半ほどたった頃だった。
 
無心になってただひたすら書き続けた自分に変化が起きたのを感じた。何となく少しだけ楽になった気がした。そのうち、あるきっかけで、グリーフについて学ことになり、否が応でも自分の過去について触れる機会が増えた。

初めは少しおどろおどろしかった小説の結末を優しいものに書き換えたいと自然に思える自分がいた。その瞬間、母親にも初めて読んでもらいたいと思えるようになった。自分の中で何かが変わった瞬間だった。


教育委員会へ報告

某コンテストには見事に落選した。でも不思議と悔しさはなかった。誰かに読んでもらえただけで嬉しかった。隠し続けなければならなかったことがオフィシャルなものになった気がした。ニュースで見た被害者の方たちの気持ちにも似たような思いがあったのだろうか…。

私は長い月日を経て、初めて公的な機関へと報告する決意をした。

(一体どこに報告すればいいのか…)

そう思った私はまず市の被害相談窓口に相談した。すると、教育委員会の性被害・体罰相談窓口の連絡先を紹介してもらえた。担当者の方が言うには、かなり月日が経っているケースのため、対応してもらえるかどうかは不確かだが連絡してみるように提案された。

加害者はすべて実名で報告書を作成した。もちろん自分の実名も載せた。これは自分にとってかなり勇気がいる行動であった。なぜなら当時の教育委員会と学校には体罰被害を却下されなかったこととして揉み消された事実があるからである。
 
(酷い仕打ちを受けやしないか、加害者に伝えられやしないか…)

あらゆる不安が襲ってきたが、もう後戻りはできない気がした。報告書を添付して市から教えてもらった教育委員会の性被害・体罰相談窓口へメールをした。

教育委員会の対応

報告してから数週間が過ぎた頃、1通のメールが来た。

*****

○○様 (Kitsune-Kaidanの本名)

「○○年以上の事象については事実確認が困難であり、また、当時の所属教員についてもその大半が退職済みであることから、当課において調査を行うことは難しいと考えます。御理解の程、よろしくお願いいたします。

教育委員会 学校教育部 教職員課 人事係 ○○

*****

 
案の定、調査もせずに却下された。そこで、私は大半の退職済みの教員とある詳細についてもう一度質問をした。また数週間経ってメールで回答がきた。そこには私に毎日暴力を振るった教師らの名前と、彼らが退職した旨の記載があった。
 
あんなにも毎日縦横無尽じゅうおうむじんに暴力を振りまくっていた暴力教師たちが、年金をもらい優雅な退職後の生活をのんびりと過ごしている姿が頭の中に浮かんできた。言いようのない怒りが湧いた。口の中が一気に苦くなった。

(これで私の報告は終わりなのか…)
 
そう思っていた矢先、某有名新聞によって掲載された元校長による強制わいせつの判決のニュースが目に入った。私のケースと非常に似ていた。概要はこうだ。
 
とある学校の元校長が生徒に何十年にも渡って性被害を与えてきた。この、元校長には実刑判決がくだされた。裁判の際、約30年前の元生徒による被害の証言があった。

私はこのニュースを見た時、改めて教育委員会に連絡をした。その際、この某有名新聞のニュースのリンクを添付した。案の定しばらく返信はこなかった。数週間経った頃、1通の返信メールが届いた。そこには、
 
*****

○○様 (Kitsune-Kaidanの本名)

現時点で把握しております内容のみでは事実確認が難しい上、既退職職員に対する調査権限がないことから、調査は不能であると考えます。
調査要否の確認に係り、当時の記録や物証等、被害事実を挙証する資料がありましたら、当職宛て送付いただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
 
教)教職員課 人事係 ○○

*****

 
「証拠を出せるのか?出せやしないだろう。とっくに昔のことなのだから…出せるものなら出してみればいい」
 
私にはそう書いてあるようにしか見えなかった。携帯電話もなく、親にも相談できない学生がどうやって証拠をとることができようか…。結局は性被害・体罰相談窓口が被害者側へ寄り添うような対応をすることはまれなのであろう。添付した記事に関する文言は一切なかったのが印象的だった。

あの頃、学校の体育館を出たすぐのところに公衆電話が設置されていたのを今でも覚えている。被害を受けるたびに、電話の下の赤く光る緊急通報ボタンを押してしまおうと何度思ったことか…。あの時通報していたら警察は助けてくれただろうか…。
 
私は教育委員会の担当の方に対するお礼の気持ちを述べ、今後証拠が出てくることがあれば必ず報告することを告げた。また、私の実名が他言されることがないよう守秘の要望と、私のケースをぜひ記録として今後被害者を守るために参考にしてもらうよう伝えた。

守秘義務については一切触れず、私の報告者は教育委員会側の資料として参考にする旨が書かれた返信がきたのみだった。

結局初めから最後まで一度たりとも被害者側に寄り添うような言葉は一切なかった。これでは相談窓口というより、加害者の教師を守る窓口であるようにしか思えないのが本音だ。


 

小説として被害を公表する決意

その後、もちろん数十年前の証拠がすぐに出てくるはずもなく、このできごとの着地点をあえて宙に浮かせておく時期が続いた。

被害報告を正式に取り扱ってもらえない暁には、自分で何らかの形で発表しよう。いつの日からかそう思うようになっていた。

今回、意を決してnoteの創作大賞にできあがった小説を投稿することにした。ホラー部門なのかミステリー部門なのか迷った、ミステリー部門にした。すでに誰かに読んでもらえたことで勇気がわいた。私の被害はある意味正式におおやけになったのだ。そう思えた。
 
noteの創作大賞に応募する際、すでに人の目に触れることへの免疫がついていたせいか、思い切って投稿することができた。それでもやはり投稿する瞬間は手に汗握った。
 
(本当にこれでいいのか)
 
今まで幾度となく誰かに報告しようとしては心の中に引き戻してきた被害の事実を、数十年の時を経てやっと自ら告白することができた。このあとがきを書くことも、いつの間にか小説とひとセットになっていたような気がする。

教育委員会とのやりとりをそのまま書くことが、ありのままの私の現実に思う。いつだって被害を受ける方の道が険しくなる。加害者は永遠に自分の過ちから逃げ続けることができるのだろうか…?


ニュースがネット上から消える

noteの創作大賞に作品を投稿して以来、気持ちがかなり楽になった。
 
(もう隠さなくて良いのだ。だって、私が削除しない限り、いつでも誰かが読める場所にそれはあるのだから)
 
今回あとがきを書くにあたって、もう一度教育委員会とのやりとりのメールを読み直していた。詳細を書くため、念のため某有名新聞に掲載された実刑判決を受けたケース、つまり私が教育委員会に「30年前の被害を証言した被害者がいた」と提示したニュースのリンクを改めてクリックした。
 
「指定されたページが見つかりません」
 
当時掲載されていたニュースフィールドを検索してみたところ、ほとんどのフィールドでこのニュースが掲載終了となっていたのだ…。某有名新聞のホームページにあるニュースのバックナンバー掲載年数を調べてみたところ、基本的には約5年間(例外あり)掲載継続されると書いてある。今回のニュースは今年の春に掲載されたものでまだ数ヶ月しか経っていない上に、判決からまだ年度も変わっていないというのに…。
 
私は記憶を辿ってキーワードを入力してみた。
 
「元校長 部活コーチ 強制わいせつ 実刑 証言 〇〇市 地裁」
 
必死に探すと、ネット上に残っている判決時のニュースを読むことができた。しかし、1社を除いて「30年前以上の証言」という言葉を含むニュースは現在見当たらなくなっていることに気がついた。

誰かが意図的に削除したのか…。
それともただの偶然か…。

私には事実はわからない。

いずれにせよ、教育委員会は私の被害ケースを調査することはないだろう。当時の証拠が発見された場合を除いて…。

こうして私の受けた体罰の被害は闇に葬られたままとなった。だが、永遠に私の心の中でそれは生き続けることだろう。


おわりに

「事実は小説より奇なり The truth is stranger than fiction」
 
まさにその通りだと思うのです。どんなに素晴らしい怖い小説よりも、自分の身に実際に起こった恐怖体験の方が実に恐ろしく奇妙なものです。
 
今こうしてパソコンに向かいながら思います。

(もし私たちが今住む社会に、自由に発言できる場所がひとつもなかったとしたら、人々はいったいどのように自分の被害と向き合う決断をするのだろうか…)

(どんなに過酷な状況でも、必ず何らかの方法は見出せるのではないか…)

そう信じたいです。
 
「体罰」というシンプルに事実を伝えるタイトルに「すべての被害者たちへ捧ぐ」というサブタイトルをつけたのは、文字通りすべての被害者のみなさんの身に起こった痛ましいできごとが、いつの日か何かの形で癒される瞬間があることを願ってやまない気持ちが込められているからです。

一生消えることはない傷が、少しでも癒されていくことを願って…。


Kitsune-Kaidan

「体罰・すべての被害者たちへ捧ぐ」怪談長編小説(note創作大賞2024・ミステリー小説部門応募作品)CW 第1話〜第9話(最終話)はコチラからお読みください。

 



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