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「体罰・すべての被害者たちへ捧ぐ」第4話・怪談長編小説(note創作大賞2024・ミステリー小説部門応募作品)CW 


バナ先輩の彼女


「ハハハ」
 
一部始終を見ていたバナ先輩が、私の情けない表情を見て笑っていた。ただでさえ毎日暗い部活に耐えているので、これ以上ショックな出来事を増やしたくなかった。笑い飛ばしてくれる人がいたことが救いだった。私の代わりに信玄に謝ってもらうようお願いした。
 
「そういうのは、自分で謝った方がいいよ」と、あっさり断られた。
 
バナ先輩は、今度機会を作ってあげるから、自分の言葉で謝るよう提案してくれた。そして、ちょっと悲しそうな顔をしてこう言った。

「懐かしいな」
 
バナ先輩の甘く切ない感情が、スッと私の心の中に入り込んできたのを感じた。懐かしいと言ったバナ先輩の背後に、あの女子生徒が立っていた。
 
(えっ、もしかして…)
 
バナ先輩と女子生徒の幽霊の間には、なんらかの関係があるのだろうか。私は普段、人の感情が伝わってきても立ち入ったことは聞かないようにしている。しかし、その日は聞いてみようと思えた。
 
「バナ先輩、彼女は?」
 
先輩の顔色が変わるのを感じた。普段の私なら、きっとこれ以上は聞かない。今日は、信玄にボールをぶつけてしまった情けない私を笑ってくれたバナ先輩に、寄り添いたい思いが不思議と湧いてきた。
 
「彼女がいたんですね」
 
先輩は私の手からバスケットボールを奪い取ると、憎くてたまらなさそうにゴール向かって思いっきり投げた。ボールは勢いよくゴールに吸い込まれ、再び床に落ちる音がすると思いきや、しなかった。
 
(あっ、あの子)
 
悲しそうな顔をした幽霊の女子生徒が、ボールを持ってゴールの下に立っている。
 
「いたんですね」
 
女子生徒の幽霊がバナ先輩の彼女なのではないかと、直感が働いた。私はバナ先輩と彼女の顔を交互に見つめた。長い沈黙の後、バナ先輩は意を決したように口を開いて、静かに答えてくれた。
 
「うん、2年前まではね」
 
バナ先輩になら話せそうな気がした。私はゴールの下にいる女子生徒の幽霊の方を指さした。バナ先輩は一瞬驚いた顔をして、私の顔をまじまじと見て言った。
 
「見えるの?」
 
私は黙って頷いた。バナ先輩は周りをキョロキョロと見回し、誰もいないのを確認した後、小さな声で真面目に話し始めた。
 
「俺には聞こえるだけ。見ることはできない」
 
私は彼女と直接話したことはないが、話せるような気がした。胸の前に両手を出し、彼女に向けてパスの合図をした。
 
ドン、ドン、ドン…。
 
ボールがこっちに向かって転がってきた。バナ先輩は私を見て嬉しそうに言った。
 
「やっと見つけた」
 
バナ先輩は、彼女の存在に気づく人をずっと探していたそうだ。ところが、なかなかそんな人は現れず苦戦していた。学校祭の時、用具室の近くのガラスケースの前でボーッと立っている私を見て、もしかしたらと思い声をかけたそうだ。
 
「「ヨウコ」」
 
彼女はか細く、かわいらしい声でそう言った。もしヨウコ先輩が生きていたら、バナ先輩と同じく高校三年生として私の先輩になるはずだった。ヨウコ先輩は口数が少なく、ほとんどのことはバナ先輩が説明してくれた。バナ先輩は私に理解してもらえることが嬉しすぎて、息継ぎを忘れるほどだった。バナ先輩によると、ヨウコ先輩の担任もコダマで、部活の顧問もホソカワだったそうだ。私は察知してこう言った。
 
「じゃあ、ヨウコ先輩も…」
 
ふたりは同時に頷いた。バナ先輩の表情が再び深刻になった。ヨウコ先輩も今の私と同じように、ダブル体罰を受けていたとのこと。ふたりは男女交際禁止のルールをかいくぐって、秋のちょうど今ごろ、密かに交際をスタートしたそうだ。ホソカワの突拍子もないルールに縛られずに、愛を貫いたふたりを私は頼もしく思った。
 
「アイツら、許せない」
 
バナ先輩は怒りを抑えられない様子だった。もう少し詳しく話を聞きたかったが、着替えを終えたサッカー部員が次々と二階の部室から降りてきた。彼らは私とバナ先輩を不思議そうに見ながら、遠慮がちに会釈をして帰っていった。振り返ってこちらの様子を伺う彼らに、バナ先輩は堂々と手を振った。明日の昼休み、用具室の近くにあるガラスケースの前で、再び三人で集合する約束をした。
 
「そうだ、信玄に謝る心の準備もしておけよ!」
 
バナ先輩とヨウコ先輩は、ふたりで仲良く同じ方向へ歩いていった。そんなふたりを眺めていると、上から視線を感じた。見上げると信玄が立っていた。私が頭を下げると、彼も頭を下げてくれた。
 
ボールを抱えた紀香がニヤニヤしながら近づいてきた。
 
「なんか、入りづらい雰囲気だったから」
 
紀香から見ると、私がバナ先輩とふたりで話しているように見え、不思議に思うのは当然だ。私は、学校祭でバナ先輩にお世話になったことを伝えた。そして、明日信玄に謝る段取りをしてもらう予定であることを告げると、紀香は妙に嬉しそうだった。そして、マネージャーには内緒にしておくと、ウィンクをして言った。マネージャーはあらゆる噂を収集しては、あちこちに垂れ流すため、用心する必要があった。


秘密の会合


クラスの男子たちが集まり、何やらヒソヒソと相談していた。コダマの支配的で暴力的な態度に嫌気がさしているのだ。必要以上に干渉してくることも、耐えられない原因のひとつだった。
 
私は、あの不気味なゴミ屋敷や、一言も喋らない妊娠中の奥さんを思い出した。暴力はもちろんのこと、女性を馬鹿にしたり、やたらと卑猥ひわいな話題を持ち出して生徒をからかってくるコダマのことを、心から軽蔑していた。男子たちは、いつか何らかの形でコダマの仕打ちを明るみにしたいと考え、案を出し合っていた。
 
私はその話に興味があったが、バナ先輩とヨウコ先輩との約束があるため、一階の用具室へと急いだ。用具室の前に着くと、まだ誰も来ていなかった。用具室の隣には、体育の授業や部活、映画鑑賞などで使う小さな体育館があった。
 
(卓球部とか弓道部にしておけばよかったな)
 
他にも美術部、アニメ部、軽音部、写真部など、中学校にはない魅力的な部活がたくさんあった。よりによってなぜいちばん暴力的なバスケ部にしてしまったのだと後悔しながら、例のガラスケースの中にある集合写真を眺めていた。
 
(ヨウコ先輩、きれいだな)
 
前回は、金縛りの影響で詳細を見ることができなかったが、今日はじっくりとバスケ部の写真を見られた。ポニーテールのヨウコ先輩の隣には、大堀先輩が写っている。一年生でユニフォームを着ているのはヨウコ先輩ひとりだけだった。銀縁のメガネを光らせ、審判用のユニフォームを着て不機嫌そうに部員の隣に立っているのは、ホソカワだった。
 
(ヨウコ先輩は、ショートヘアにしなかったんだ)
 
そう思ったと同時に、前回よりは軽めで短いちょっとした金縛りになった。一瞬ガラスケースの近くの床が歪んだように見えた後、床がみるみる盛り上がった。前回と同じような、ちょうどバスケットボールくらいのサイズの突起、通称ボッコリが浮かび上がった。
 
「ごめん、待った?」
 
バナ先輩の声が背後から聞こえた瞬間、金縛りが解けた。
 
「「ごめん」」
 
今度は反対側、つまりボッコリの方からヨウコ先輩のか細い声が聞こえた。
 
「こんにちは」
 
私が挨拶をして床に目線を落とすと、ボッコリが消えていた。
 
(もしかして…)
 
「やっぱ、勘がいいね」と、バナ先輩が嬉しそうに言った。
 
前回もそうだった。ボッコリと金縛りとヨウコ先輩には、何らかの関連があるようだ。
 
「ボッコリが床に現れると、どういうわけかヨウコが現れる仕組みなんだ」
 
バナ先輩にはヨウコ先輩の姿が見えない。ただ、彼女の気配を感じ、声が聞こえるそうだ。バナ先輩は私がいることで、ヨウコ先輩が見えるようになるのではないかと期待している。三人集まったところで、いよいよ本題に入った。バナ先輩の表情が昨日と同じく深刻になると、忌々いまいましい話を始めた。ヨウコ先輩は、バナ先輩の左後ろで心配そうに見つめている。
 
ヨウコ先輩が亡くなった日、バナ先輩は彼女の元気がないことに気づいていた。いつものようにコダマのホームルームが長引き、廊下には友だちや恋人を待つ人がたまっていた。
 
「お前は僕のユートピアをめちゃくちゃにする気か!」
 
コダマの怒鳴り声と共に、誰かが殴られる音が廊下まで聞こえてきた。
 
「キャーッ。ヨウコだいじょうぶ?」
 
女子たちが叫ぶ声が聞こえた。バナ先輩は驚いて、ドアの小窓から中をのぞいた。ヨウコ先輩が数人の女子に助けられているところだった。バナ先輩は言いようのない怒りに襲われ、すぐにコダマの姿を探した。
 
「僕の理想を壊しやがって」
 
そう言いながら、コダマが教壇からヨウコ先輩を見下ろしている姿が目に飛び込んできた。バナ先輩は、すぐにでも教室に飛び込んで助けたかった。だが、そうすることでヨウコ先輩に更なる危害が及ぶのもわかっていたので、何もできない自分に対する怒りで震えていた。
 
やっとホームルームから解放された生徒たちが、暗い顔でゾロゾロと教室から出てきた。バナ先輩はドアの前に立って、ヨウコ先輩の様子を心配そうに見つめた。友だちに抱えられながら、ヨウコ先輩がゆっくり立ち上がった。コダマは大声で生徒たちに罵声を浴びせながら、教室を出てきた。バナ先輩は、コダマをにらみつけることしかできなかった。
 
「アイツ、俺の顔を見て笑ったんだ」
 
声を絞り出すようにしてそう言ったバナ先輩は、太ももの横で拳を強く握っていた。あの時、ヨウコ先輩の様子がおかしいと感じたバナ先輩は、大事をとって部活を休むよう勧めた。ところが、
 
「休んだらホソカワに殺される」と言うヨウコ先輩を、強く引き止めることができなかったらしい。
 
試合を目前に控えていたホソカワは、いつもに増してピリピリしている時期だった。バナ先輩に心配しないようにと小さな声で告げると、ヨウコ先輩はバスケ部の部室へと向かった。バナ先輩は胸騒ぎのような感覚を覚えたが、彼女がホソカワからも標的にされることは避けた方が得策だと思った。自分の胸騒ぎを必死にかき消しながら、サッカー部の部室に向かったそうだ。
 
バナ先輩は苦虫を噛みつぶしたような顔をしながら、その後の出来事を一気に教えてくれた。
 
「お前ら、俺をなめてんのか!」
 
片っ端から部員たちを殴り、Uターンしたホソカワは、端から順に飛び蹴りを始めた。長身のホソカワが振り上げたかかとが、部員たちの顔や胸に打ち下ろされる。ヨウコ先輩の順番がやってきた。
 
「お前は、男とチャラチャラしてるからだ」
 
力いっぱい蹴り上げたホソカワのかかとは、身を守ろうと咄嗟とっさに屈んだヨウコ先輩の後頭部めがけて落ちてきた。彼女はその場にフラフラと倒れこんだ。ホソカワは、首から下げているホイッスルをピーっと鳴らしながら、倒れているヨウコ先輩の頭めがけてバスケットボールを振り下ろした。
 
隣のコートでは、男子バスケ部とその顧問が何も見えず何も聞こえないふりをして、黙々とシュートの練習をしていた。彼らは三猿さんざるの教えを貫いているつもりなのだろうか。ボールの音だけが異常に大きく聞こえていた。
 
ヨウコ先輩は部員とマネージャーに抱えられ、トイレへと駆けこんだ。マネージャーの話によれば、ヨウコ先輩は一瞬気を失った様子で、その後激しい吐き気に襲われたそうだ。
 
バナ先輩は、いつもの待ち合わせ場所の自転車置き場で、ヨウコ先輩を心配しながら待っていた。すると、顔色の悪いヨウコ先輩が、ふらつく足取りで玄関から出てくるのが見えた。
 
「だいじょうぶ?」と言いながら、彼女のもとへ駆け寄った。
 
うつろな目をしたヨウコ先輩が、ふたりの交際をホソカワにリークしたのは大堀先輩だったと言ってきた。大堀先輩につきまとわれていたバナ先輩は、ヨウコ先輩に心配をかけまいと秘密にしていたが、これ以上隠すわけにはいかないと思い、すべてを打ち明けた。
 
「大堀さんとホソカワの間には、秘密があるみたい」
 
ヨウコ先輩は真っ青な顔でそう言った。コダマとホソカワのダブル暴力で弱っていたので、その日は早めに帰ることにした。バナ先輩は、ヨウコ先輩を西方面へと向かうバスに乗せた後、自分は自転車で東方面へ帰宅した。
 
「あの時、俺が止めていれば…」
 
バナ先輩は後悔と罪悪感でいっぱいだった。先輩はさらに強く握った右手の拳を左手で叩きながら、その後悔の気持ちを私に伝えた。その夜、約束の時間に電話をかけると、ヨウコ先輩ではなく彼女のお母さんが電話に出たそうだ。
 
ヨウコ先輩は病院に運ばれて治療中だという。バナ先輩はすぐにでも病院に駆けつけたかったが、家族以外の面会が許されなかったため、諦めざるを得なかった。その後、何度か電話をかけたが、応答はなかった。
 
翌日、早めに登校したバナ先輩の目に飛び込んできたのは、一台のパトカーだった。先輩は、野次馬の生徒たちがヒソヒソと話している後ろに立ち、聞き耳をたてた。
 
「薬を飲んで自殺したらしいよ」
 
バナ先輩は全身に鳥肌が立つのを感じた。教室に駆け込むと、サッカー部の仲間が神妙な面持ちで近づいてきて、肩に手をのせてきた。そこから先のことはほとんど記憶になく、どうやって一日を過ごしたのか覚えていないという。部活を休み、ヨウコ先輩の家に向かった。
 
「寝ているみたいでしょ」
 
ヨウコ先輩は、今にも起き上がりそうなくらいきれいな顔をしていた。あの夜、ふさぎ込んだ様子のヨウコ先輩は、夕食もとらずに部屋にこもっていたそうだ。心配したお母さんがおにぎりを持って部屋に行くと、ヨウコ先輩が床に倒れていたらしい。
 
「ここからが重要だ」
 
バナ先輩は、さらに険しい顔をしながら話を続けた。
 
あの夜、警察に匿名とくめいで一本の通報が入ったことで学校に捜査が入った。警察と学校側の発表によると、恋愛関係で悩みを抱えていたヨウコ先輩は、その叶わぬ思いに打ちひしがれて薬を飲んで自ら命を絶ったとのことだった。
 
「そんなこと、ありえないよ」
 
バナ先輩は私の目を見て、強い口調で訴えた。
 
『バナへ』とメモが貼り付けてある小さな金色の南京錠がついたピンクと黒の日記帳を、ヨウコ先輩のお母さんから預かった。お母さんも娘が自殺するなど受け入れられず、警察に何度も足を運んだらしい。担当の岡島刑事は、自殺の一点張りで話を聞き入れてくれなかったそうだ。
 
日記のダイアル式の小さな南京錠には鍵穴がついている。鍵のありかもダイアル番号も検討がつかなかった。それ以来、バナ先輩はひとりでずっと日記の鍵を探しているそうだ。私の両腕を両手で力いっぱい握りしめ、こう言った。
 
「頼む。ヨウコに鍵のありかを聞いてくれ」
 
自信はなかったが、私はできる限りやってみることにした。
 
「ヨウコ先輩、日記の鍵はどこですか?」
 
「「言いたいのに、言えないの」」
 
「じゃあ、映像でもいいので送ってください」
 
ヨウコ先輩は頷くと、静かに目を閉じた。私も静かに目を閉じ、映像を受け取るために集中した。
 
音楽室からかすかに聴こえてくるレコードの演奏。
 
(モーツァルトのレクイエム・コンフターティスだ)
 
集中するまでに少し時間がかかったが、しばらくすると頭の中に映像がはっきりと浮かんできた。
 
つないだ手。
 
(ヨウコ先輩とバナ先輩の手かな)
 
フワフワのピンクと水色のキャラクター。
 
(これは絵かな?)
 
(漫画だ)
 
そこで映像が途切れた。見えたものをバナ先輩に伝えると、あれこれ考え込んでいる。ヨウコ先輩は安心した様子で微笑んでいた。
 
「ピンクと水色のキャラクターに覚えはありますか?」
 
しばらくの沈黙の後、バナ先輩が答えた。
 
「そうだ。お守りだ」
 
バナ先輩は、私たちを校庭のサッカー部の部室に連れていった。部室内には汗臭い匂いが充満していた。先輩は申し訳なさそうに謝りながら、大きな青いエナメルのバッグを開けた。中からかわいらしいピンクと水色のフェルト製の小さなお守りが出てきた。
 
「これのことかな?」と言って、バナ先輩が笑った。
 
ヨウコ先輩が頷いている。
 
そのお守りには、恐竜の刺繍が施されていた。
 
「どうして恐竜なんですか?」と私が聞くと、
 
ヨウコ先輩は小学生の頃、科学館が主催する化石クラブに所属していて、市内の化石発掘現場で活動していたそうだ。その活動がきっかけで恐竜好きになり、趣味で恐竜のデッサンやキャラクターの考案をしていたそうだ。
 
「仲間でよく宝探しゲームをしていたらしいよ」
 
「へー。おもしろそうですね」
 
「ヨウコが、宝の隠し場所のヒントを書いた紙を小袋に入れて、友だちに渡したって言ってたっけ」
 
「…」
 
バナ先輩と私は数秒見つめあった後、先輩の手の中にあるお守りに視線を落とした。
 
「これだ!」と、ふたり同時に叫んだ。
 
『お守りは開けてはいけない』日本の伝統的な文化において、お守りは神聖なものとして扱われる。たとえ手作りのものであっても、私たちは開けずに大切に保管しがちである。はやる気持ちを抑えて、バナ先輩はお守りを丁寧に開封した。ヨウコ先輩は、相変わらず微笑んで私たちを見つめていた。
 
「あった」と、バナ先輩が力強く言った。
 
小袋の中からくるくると巻かれた白い紙が出てきた。バナ先輩は深呼吸してから、その紙を読み上げた。
 
「アニメ部」
 
「それだけですか?」と、私は驚いて聞いた。
 
肩透かしをくらった私たちを見て、ヨウコ先輩はちょっぴり気まずそうな顔をして笑っていた。
 
「でも、アニメ部に行けば何か手がかりがあるかもしれない」と、バナ先輩は前向きな表情で言った。
 
私たちは、後日改めてアニメ部を訪ねることにした。私に秘密を打ち明けたバナ先輩は、少しだけ気持ちが楽になった様子だった。今までたったひとりで抱えていたのだから無理もない。
 
「そうだ、約束だったよね。信玄に会わせるって」
 
そう言ったかと思うと、バナ先輩は校庭でシュートの練習をしている信玄に向かって勢いよく手をあげ、大声で名前を呼んだ。
 
(やばい。緊張してきた)
 
息を切らし、こちらに駆け寄ってきた信玄を見ると、さっきまで饒舌じょうぜつにしゃべっていた自分が消えた。
 
「話したいことがあるんだって」
 
そう言って、なれないウィンクをしたバナ先輩は、手をふって走り去った。笑顔のヨウコ先輩が後ろからついていく。
 
「あっ、あの…」
 
ふたり同時だったので、私は思わず笑ってしまった。チラッと見上げて様子を伺うと、信玄も笑っていた。見た目はクールな雰囲気だが、いったん打ち解けると話しやすい人だったので安心した。私は思い切って、
 
「クッキーとか好き?」と、聞いてみた。
 
今までさんざん不良にイジメられてきた私が、男子にクッキーを焼く日がやって来るなんて、想像したこともなかった。高一の女子の間では、好きな人や仲良くなりたい人にお菓子を作って渡すのがちょっとしたブームになっていた。トイレの便器で髪を洗う刑に処されていた私が、今まさにお菓子作りブームにのろうとしている。あまりにも恥ずかしいので、バスケットボールをぶつけてしまったお詫びということにした。
 
信玄は素直に喜んでくれた。そして、ちぎった小さなメモ帳を壁に置くと、自分の名前と連絡先を書いてくれた。私も自分の連絡先を書いて渡した。この日を境に、ふたりが仲良くなるのにあまり時間がかからなかった。『男女交際禁止』のルールが頭に浮かぶことがあったが、信玄と過ごす楽しさがそれを上回った。警戒心が薄れていたのかもしれない。
 


ホソカワの車


ホソカワの愛車は、シルバーグレーのバンだった。試合で他校を訪れる際は、そのバンにボールや道具を詰め込むよう部員に指示する。さらに生徒もその狭い空間に一緒に詰め込む。私は車酔いが酷く、この時間が大嫌いだった。しかし、みんなが嫌がるこの役を一年生が担うことが多かったため、好きなふりをしていた。
 
ボール係に任命されると、自動的にバンへの乗車権が与えられる。ホソカワの機嫌を取るために、指名を受けたいという演技や、選ばれなかった場合の落ち込む仕草をする部員もいた。そんな様子を見て、ホソカワは上機嫌になる。ある時、落ち込むふりを演じる部員に、ホソカワは「敗者復活』と言い乗車権を与えた。だが、部員の喜びの反応が悪かったため、機嫌を損ねて大暴れしたことがあった。演技が裏目に出た部員は、平手打ちをされた。それ以来、過度な演技をする者は減った。立候補者が減ったため、ホソカワは誰も乗せないと言い、一時期へそを曲げていた。内心喜んでいた部員たちを尻目に、突如としてバンの乗車権が復活した。
 
ざっと数えて六〜八人ほど、後部座席に詰め込まれる。座席もシートベルトもない。ホソカワが急ブレーキを踏むと、ボールや荷物と一緒に部員が車内を転げる。頭を窓や天井に打ちつけられることもあった。そんな様子を見ながら、ホソカワは嬉しそうに笑っていた。バックミラーに映る奴の勝ち誇った顔が忘れられない。
 
ホソカワには年が離れた若い奥さんがいると、大堀先輩が教えてくれた。先輩は、ホソカワのプライベートについてやけに詳しかった。
 
「奥さんといる時間より、うちらといるほうが長いんだけどね」
 
そんな風に自慢げに語る大堀先輩に更なる疑念を抱いた。部活紹介の際、新入部員の目の前でホソカワに暴力を振るわれていた大堀先輩。あの時、ホソカワは大堀先輩にちゃんと『働け』と言っていた。
 
(働けって、どういう意味なんだろう…)
 
男女交際がバレた先輩が暴力を受けていた時、ヨウコ先輩は大堀先輩のことを指差していた。あの時の大堀先輩は心なしか笑っているように見えた。
 
大堀先輩は、なぜかホソカワの助手席に座ることが多かった。他の先輩は車に乗りたがらないのに、大堀先輩は一年生に混ざって、よくバンに乗り込んできた。
 
キーッ。
 
急ブレーキをかけたホソカワが歩行者に向かって汚い言葉を吐くと、車内の空気が凍りついた。試合に負けたり、腹の虫のいどころが悪い時には、特に運転が荒かった。ところが、暴力をふんだんに振るった日はなぜかコンビニに寄り、好きな駄菓子を買ってやると言ってきた。『アメとムチ』は、ホソカワの口癖だった。
 
ホソカワは、いつも決まっておいしくないレーズンパンを買う。袋の中に細長いスティック状のレーズンパンが数本入っている。一本だけ食べて、残りは部員に強制的に食べさせた。部員たちは喜ぶふりをして涙目になりながら急いで食べた。アメとムチを上手に使い分けることが、いいバスケ部を作るコツなのだと豪語していた。そんなホソカワを否定できる者はいなかった。
 
ホソカワの機嫌がいい時は、部活前のトレーニングを取り止め、視聴覚室に集められた。アメリカのバスケットボール選手の好プレーのビデオを見せられた。気分が高まったホソカワは、ダンクのシーンを何度もしつこくリプレーした。
 
「お前たちも、ダンクができるか?」
 
できるわけがない。プロのビデオを見た後の練習は、ハイレベルな技術を要求してきた。バスケ初心者の私が、いきなり漫画の主人公のようにダンクをすることができれば、おそらくバスケの名門校からスカウトを受けるであろう。もしもミラクルが起きてダンクができたとしても、他の技術が追いつかないだろう。
 
「なんでビデオのようにできないんだ!」
 
今度は高度なドリブルプレーができない部員に、ボールを投げつけて怒っている。部員たちの間では、なぜ強豪校の男子バスケ部の顧問にならなかったのかと、日頃から疑問の声が出ていた。
 
隣のコートでバレー部が練習している時は、ホソカワの暴力がさらにエスカレートする。外野が変わることで、ホソカワの顔色も変わる。自分が暴力を振るう姿を誰かに見られることで、興奮を覚えているのだろう。バレー部の顧問と部員たちも、当然ホソカワの暴力を見てみないふりをする。それどころか、女子バレー部の顧問は、ホソカワに影響されてシゴキのような真似をする始末だった。
 
他校との試合やトーナメントに参加すると、さらにホソカワの暴力は過熱した。それでもなお、ホソカワは顧問と審判の座を悠々ゆうゆうと守り続けた。
 
ある日、試合を観に来ると言った母に、私は全力で断ったことがあった。我が子たちが暴力を振るわれている姿を、父兄が目の当たりにしているのを目撃していたため、母には絶対に見せてはならないと思っていた。これまで何人もの目撃者がいたが、誰ひとりとして止めることも通報することもなかった。私は、ヨウコ先輩の時のようにいつか通報者が出ると期待していたが、そんな日が訪れることはなかった。
 
ある時、長い怒りのミーティング終了後、いつものように指名された私たちは車にボールや道具を運んでいた。車の鍵を渡された部員が勢いよくバックドアを開けた。荷物を詰め込んでいると、車内にピンク色の女性物の下着が落ちているのに気がついた。さらに、下着の周りにはピンクの錠剤がバラバラと落ちていた。私と部員たちは、派手な下着に目を奪われた。全員無言で何も見なかったことにしようとしたその瞬間、背後に立つホソカワの気配を感じた。
 
「なにタラタラしてんだ」
 
車内の下着に気づいた途端、ホソカワは慌ててドアを閉めて部員から乱暴に鍵を奪ってロックした。私たちは、無言で部室に戻った。
 
制服に着替えた私は、いつものように信玄と玄関で落ち合い、一緒に帰ろうとしていた。その時、前方から頭を上下に揺らしながら、猫背のホソカワが歩いてくるのが目に入った。
 
(やばい)
 
私は焦ったが、逃げることも隠れることもできなかったので諦めた。信玄は気を使い先に歩こうかと言ってくれたが、私は覚悟を決めた。
 
(堂々としていればいい)
 
「お疲れさまでした。さようなら」
 
ホソカワが殴りかかってくると思い身構えていた。ところが、一瞬驚いたような顔をしてからニヤリと笑って、目も合わせずに小さな声で挨拶を返してきた。何ごともなく終わりホッとした反面、奇妙な感覚を覚えた。
 
(私がどうでもいい部員だからか。それとも、ピンクの下着を見ちゃったからか…)
 
さまざまな思いが頭を駆け巡ったが、結局わからなかったので信玄に打ち明けた。ふたりで考えたところでまったく見当がつかなかったので、忘れてドーナツを食べに行くことにした。
 
以前、母と弟が同乗した父の運転する車で、信玄との待ち合わせ場所まで送ってもらったことがあった。母には信玄と会うことを伝えていたが、父には何となく悪い気がして言えなかった。
 
車を降りた私に、信玄が遠くから手をふっていた。私は気づかないふりをして、すれ違う信玄に素早く目で合図してから無視して通り過ぎた。何とか父にバレずにすんだと思い込んでいた私は、後から信玄に謝った。
 
「車の中からぜんぶ丸見えだったよ。彼氏がかわいそうでしょ」と、帰宅した私に向かって母が笑いながら言った。
 
私はハッとした。これまでに、両親から男女交際禁止などとは一度も言われたことはない。むしろ応援してくれていた。ホソカワの変なルールに縛られ、私は大事な家族や彼氏にまでコソコソと嘘をつくようになっていた。だからこそ、今回はバレてもいいという思いで、逃げずに覚悟を決めてホソカワに挨拶をしたのだった。
 
翌日、私は男女交際のことでいつ暴言を吐かれるのかと、ドキドキしていた。
 
平日の部活後の長いミーティングが、校舎内の廊下で行われる場合は、うっすら暖房が入っているのでマシだった。だが、真冬の土日の早朝の暖房の入らない体育館は、まるで氷の世界だ。更に、外や玄関でのミーティングは、練習で汗をかいた体を一気に凍りつかせた。真夏の炎天下のミーティングも地獄だが、雪が降り積もる中での外のミーティングは、地獄どころではなかった。体が冷え切り、手には霜焼けができた。十分なストレッチ時間を与えてもらえないため、怪我人が絶えない。その結果、みんなの手足はいつもテーピングだらけだった。
 
「この中に、男女交際しているやつらがいる」
 
そう怒鳴ったのはホソカワではなく、大堀先輩だった。最近の先輩はやけに怒りっぽい。三年生の引退後、彼女が事実上のキャプテンとして二年生と一年生のまとめ役になったことが影響しているのかもしれない。大堀先輩の代の部員はたったの五人しかいない。本来なら、ヨウコ先輩がいれば六人になるはずだった。その五人の中には彼氏がいる先輩もいて、彼女たちは気まずそうに床を見つめていた。
 
「昨日は、堂々と挨拶したバカもいたみたいだけど」
 
そう言って、大堀先輩は私をにらんできた。私はすかさずホソカワの顔を見ると、黙って下を向いたまま頷いていた。異様な雰囲気の中、ホソカワは最後まで口を開かずミーティングが終了した。先輩が帰宅した後、掃除をする一年生だけになった。
 
「自分だって男子を追いかけてるくせに」と、ある同期の部員が口を尖らせて不満を言っていた。
 
どうやら大堀先輩は、同学年や後輩の彼氏を奪うので有名らしい。その同期も最近彼氏を奪われたばかりなので、いまだにショックを隠しきれずにいたのだった。
 
「次は信玄君だから、気をつけなよ」
 
大堀先輩が私に嫌味を言っていた理由がわかった気がした。ただ、私は大堀先輩よりも、ホソカワの態度の方が気になっていた。
 
掃除を終えて玄関に向かうと、マキが以前紹介してくれた風変わりな男子が暗闇の中に立っていた。おそらく、彼女を待っているのだろう。目があってしまったので、軽く会釈した。すると、彼は突然近づいてきて私の耳元で、
 
「信玄と付き合ってるんだって?俺、同時進行アリだから」
 
不気味な笑いを浮かべて、周りには聞こえない小さな声でそう言った。気温が低いからではなく、彼の気持ち悪さに寒気がした。私は無視をして、信玄との待ち合わせ場所まで小走りで向かった。
 
「大堀先輩に嫌味を言われたよ」
 
それを聞いた信玄が、ため息をひとつついた。私に心配をかけたくないので黙っておこうと思ったらしい。しかし、「大堀先輩があまりにしつこいので打ち明けることにした」と言って、話し始めた。ターミナルで西方面へと向かうバスに私が乗った後、東行きのバスに乗る信玄の隣の席に大堀先輩が座ってくるそうだ。
 
「かれこれ一週間、つきまとわれてる」
 
私はホソカワの様子がおかしかったことと、大堀先輩の噂を伝えた。
 
「実は…、昨日告白されたよ。もちろん、断った」と、信玄が顔を歪めながら打ち明けてくれた。
 
どうりで大堀先輩はピリピリしていたわけだ。ホソカワのサポートをするふりをして、自分は後輩や同期の彼氏を奪うという噂はどうやら本当らしい。私は落胆の色を隠せなかった。
 
(不良も嫌だけど、こういうのもタチが悪いな)
 
信玄がお守りに貸してくれた大きな黒いGショックの腕時計と、おそろいのミサンガをつけている自分の左手を見ると、心強かった。
 

第5話へ続く

Kitsune-Kaidan

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