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「体罰・すべての被害者たちへ捧ぐ」第5話・怪談長編小説(note創作大賞2024・ミステリー小説部門応募作品)CW 


アニメ部訪問


一階の用具室の近くにあるガラスケースの前に、私は立っていた。軽い金縛りになった後、ボッコリが現れた。そして、いつものように背後からバナ先輩が現れ、ボッコリの方を再び振り返ると、ヨウコ先輩が立っていた。
 
「本当は、ヨウコ先輩のこと、見えてるんじゃないですか?」
 
登場するタイミングがあまりにも良すぎる。合わせているのではないかと疑うほど、ふたりの息はぴったりだ。だからこそ、ふたりがこの世でもう一緒にいられないことを思うと切なくなった。
 
「さてと、さっそくアニメ部に行こう」バナ先輩が張り切って言った。
 
ヨウコ先輩の幼なじみは、アニメ部所属らしい。初耳だった。はたから見ると、私とバナ先輩がふたりきりで歩いているように見えるのは気まずかったので、少し離れて歩くことにした。ヨウコ先輩がバナ先輩に何か話しかけ、バナ先輩はそれに相槌あいづちをうっていた。お昼のお弁当のおかずを訪ねているようだ。
 
(やっぱり、見えてるよね)
 
三階の角部屋にあるアニメ部の部室に入ると、大きな窓ガラスが二つ並んでいるのが目に飛び込んできた。窓の外には広大な公園が見えた。数名の部員は思い思いのアニメを描いたり、お菓子を食べながらマンガを読んだりと、自由に楽しんでいた。
 
(ここ、最高の場所かも)
 
「でしょ?」と、ヨウコ先輩の幼なじみが言った。
 
(あれ?私、今しゃべったっけ?)
 
ヨウコ先輩の幼なじみは、大きめの丸い黒縁の眼鏡をかけ、長い黒髪を左右に二つに分けて高い位置で結んでいた。まるでアニメの世界から飛び出してきたような、かわいらしい印象を受ける人だった。
 
「だからボクはアノ子に言ったんだよ。バスケ部なんかやめてアニメ部に来なって」
 
幼なじみはヨウコ先輩に再三忠告していたようだ。だからこそ、彼女は人一倍悔しい思いを抱えているのかもしれない。バナ先輩は大きくうなずきながら、幼なじみに共感していた。ヨウコ先輩はそんなふたりを愛おしそうに見つめていた。
 
「鍵って聞いて、思い当たることある?」と、バナ先輩が聞いた。
 
幼なじみはしばらく考え込んだ後、側でマンガを読んでいる部員にも尋ねてくれた。ヨウコ先輩がなぜ『アニメ部』と書いた紙をあのお守りの中に入れたのか、誰にも見当がつかなかった。
 
「そういえば、アノ子、昼休みによくここに来て、ちょこちょこと漫画を描いていたっけ」
 
入り口の側にある棚には、ファイリングされた部員たちの漫画やデッサンなどの作品がびっしり並んでいた。ヨウコ先輩がピンク色のファイルを指差していた。
 
「あの…、そのピンクのファイルじゃないですか?」と私が言うと、「あっ。そうそう、これこれ。よくわかったね」と言いながら、ファイルをヒョイっと取り出してバナ先輩に渡した。
 
バナ先輩は、受け取ったファイルを大事そうに抱えて、部室の真ん中にある大きなテーブルの上に置いた。そのファイルを開くと、部室中がほんわかした優しい雰囲気に包まれた。そこにいた全員が、過去にタイムスリップしたかのような懐かしい気持ちになった。
 
ヨウコ先輩が描きためていたかわいらしい恐竜のキャラクターや、漫画が何十枚もファイリングされていた。その中で一枚気になるものがあった。ヨウコ先輩もうなずいている。
 
「すみません。その恐竜の漫画を読んでもいいですか?」
 
バナ先輩が、ファイルから一枚抜いてくれた。
 
漫画には、ヨウコ先輩らしき少女とバナ先輩らしき少年のストーリーが描かれていた。ふたりは例の宝探しゲームをしている。最後のコマには、発掘道具で掘り当てた小袋の中に入っていた小さな紙を開くバナ少年の様子が描かれている。その紙には『あかい鳥居の願い石』とだけ書いてあった。バナ少年の吹き出しには、大きなランプマークが描かれていた。
 
みんなで一斉にバナ先輩に注目すると、まさにマンガと同じく、彼の頭上にひらめきのランプマークが浮かんでいるように感じた。
 
今度の週末、あかい鳥居があるその神社にみんなで訪れることにした。幼なじみがヨウコ先輩のお母さんに頼んで、先輩が昔使っていた発掘道具を持ってきてくれることになった。


部室泥棒


「俺は着替え用のTシャツ1枚だけで助かったよ」
 
日頃、学ランの下にお気に入りのサッカーシャツを着ている信玄は、最小限の被害で済んだらしい。サッカー部が部室荒らしの被害にあった話題で、校内は持ちきりだった。高額なサッカー用品が根こそぎ盗まれたらしい。特に、購入したばかりの物を盗まれた部員は、顔が真っ青になり相当落ち込んでいた。
 
警察のパトカーのランプが物々しく光っている。近所の目撃者は、大きなトラックが学校の前にしばらく停車していたと証言しているそうだ。自転車置き場の前で信玄と話していると、バナ先輩が偶然通りかかり、三人で部室泥棒の情報交換をした。バナ先輩はすでにサッカー部を引退したので被害は免れた。
 
校舎の中から、ホソカワと雑談しながら職員玄関を出てくる刑事が見えた。その刑事は古びたヨレヨレのコートを着て、白い手袋をはめ、警察手帳を左手に持っている。バナ先輩の顔がひきつっているのが目に入った。
 
「ハッ、ハッ、ハッ」
 
大声で笑っていた刑事が、突然口元に手を当てヒソヒソと何やら話している。ホソカワは、親指と人差し指で丸を作った右手を左右に揺らしながらニヤニヤしている。
 
「まあ、まあ。お手柔らかに」
 
刑事はそう言うと、パトカーの助手席のドアを開けてドスンと座り、乱暴にドアを閉めた。運転席の若手刑事がホソカワに会釈した。ホソカワは不適な笑みを浮かべながら手を軽くあげて挨拶した。
 
私たち三人の存在に気付いた瞬間、ホソカワの笑顔が消えた。私は黙って会釈した。ホソカワは、無愛想に片手を軽く上げ、再び校舎内に戻っていった。
 
「アイツ、なんか怪しいんだよ」
 
バナ先輩の言うアイツとは、刑事の方だった。ヨウコ先輩のお母さんの訪問を軽くあしらった岡島刑事のことだ。
 
バナ先輩は、私がヨウコ先輩の件で謎解きを手伝っていることを、信玄に説明してくれた。ヨウコ先輩の姿が見えない信玄からすると、私とバナ先輩が親密な関係に見えてしまってもおかしくはない。今まで信玄に申し訳ない気持ちでいっぱいだったので、秘密が消えたことに安堵あんどした。
 
「今度の休み、みんなで神社に行くんだけど、一緒にどう?」
 
信玄は二つ返事でオーケーした。幽霊のヨウコ先輩も一緒にくるとは言えずにいたが、そのうちきちんと説明しようと思っていた。
 
「バッシューがない!」と、部員たちが騒いでいた。
 
サッカー部の部室荒らしの事件から数日後、女子更衣室の棚の上に並べてあった女子バスケ部とバレー部のシューズがすべて盗まれた。私を含めた数名の部員は、買ったばかりのシューズをロッカーに保管していたので被害を免れた。混沌とした状況の中、その日の部活は中止になった。被害者には心から同情する一方で、部活がなかったことは密かに嬉しかった。
 
「彼氏待ちの人、コンビニ行こう」
 
私たちは連れ立って、近くの個人経営のコンビニに行った。部活が遅くまでありバイトができないので、みんなお小遣いをやりくりしてなんとか生活していた。ところが、マキはいつもお金を持っていた。
 
「レジの人、カウンターの中で寝てるから」と、マキがそのコンビニを好きな理由を教えてくれた。レジ袋の中からシュークリームを取り出してみんなに配った後、マキは続けて化粧品を取り出した。コマーシャルや雑誌で最近話題の新商品だった。
 
(すごい買い物だな)
 
まるで私の心の声が聞こえたかのように、
 
「また今度一緒に行こ」と、マキがニヤリと笑って言った。
 
それから数週間後、マキは私たちだけに大切な秘密を打ち明けるかのような顔をして、手口を教えてくれた。カウンターの中で寝ている店員の目を誤魔化ごまかすために数人でコンビニに行き、隙をみて好きなものを万引きしているらしい。私たちは少し怖いと思いながら、マキが分け与えてくれるお菓子をもらって食べるようになった。初めのうちは罪悪感からか、お菓子の味が苦く感じた。次第に、それを悪いことだとは誰も思わなくなり、エスカレートしていった。
 
「今度は自転車だって」生徒たちが大騒ぎしている。
 
自転車泥棒の件はさすがに大事になった。昨晩、学校に置きっぱなしになっていた相当な数の自転車が、一気にトラックで持ち去られたのだった。ただ、おかしなことに、この一連の強盗事件がニュースになることはなかった。
 
(どうして被害届を出さないんだろう)
 
単純な疑問だった。法律のことは詳しくはわからなかったが、事件のニュースを見ていると、『警察に被害届を提出する』という表現をよく耳にする。だが、部室泥棒も自転車泥棒も全くニュースで報道されない上に、被害届を出したという話も聞かなかった。
 
岡島刑事が、再び部下を連れて校舎内を歩いているのを偶然見かけた。刑事は薄汚れたヨレヨレのコートをひるがえし、パトカーのドアを開けて勢いよく助手席に座ると、乱暴に閉めた。部下が運転するパトカーが、さっそうと走り去った。


あかい鳥居


バナ先輩、私、ヨウコ先輩の幼なじみ、信玄、そして幽霊のヨウコ先輩の五人でバスを降りた。二股になっている道を左側に進むと、閑静な高級住宅街にある有名な神社の入り口が見えてくる。参道にある二六本の朱色の鳥居をくぐると、拝殿はいでんへと続く石の階段が見えてくる。拝殿はいでんの前にはもうひとつ大きな鳥居があり、計二七本の真っ赤な鳥居がある。
 
「懐かしいな」
 
二年前、バナ先輩とヨウコ先輩は初デートでこの神社を訪れた。私たちは階段を登ったところにある手水舎ちょうずやで、手と口と心を清めた。
 
大切な願いが届く 願石 願かけ守
 
願いをかけると叶うと言われている願い石がある。ただし、願いごとをする時に好きなことをひとつ手放さなければならない。
 
「俺がやる」
 
覚悟を決めたような真剣な顔をしたバナ先輩は強い口調で言い放ち、石に願かけをした。先輩が願いと引き換えに何を手放したのか、誰も聞かなかった。そんな私たちのしんみりした様子を察知したかのように、先輩は振り返ってこう言った。
 
「もしかしたら、ヨウコも願かけをしたのかもしれない」
 
ヨウコ先輩が願かけで手放したものについても、やはり詮索してはいけない気がした。
 
「もしかして…、発掘道具と日記をお持ちですか?」と、音もなく背後から近づいた神主さんらしき男性が話しかけてきた。
 
私たちは驚いて顔を見合わせた。ヨウコ先輩はなぜか微笑んでいた。
 
「願い石に願かけする高校生ぐらいの男子が現れたら、発掘用の道具と日記を持っているか、質問してほしいと言われまして」と、神主さんがゆっくりとした口調でわかりやすく説明してくれた。二年ほど前、この神社を訪ねたヨウコ先輩が、神主さんにバナ先輩の写真を見せ、この人が来たら渡して欲しいものがあると頼んできたそうだ。
 
たくさんの参拝客の中から彼を見つけ出すのは難しいので、神主さんは何度も断ったらしい。ところが、ヨウコ先輩は願い石の前に座り込み、叶うまで帰らないと言い出した。すっかり日が暮れても座り込みを続けるヨウコ先輩の様子に困り果てた挙句、申し出を受け入れることにしたそうだ。
 
ヨウコ先輩が満面の笑みを浮かべている。
 
神主さんは、小さな袋をバナ先輩に手渡すと、社務所へと戻っていった。私たちはその後ろ姿に向かって深々とおじぎをした。バナ先輩は、恐竜の刺繍がしてあるピンクの小袋を頭の上にかかげて喜んだ。
 
不慣れではあるが、自分たちなりにていねいな参拝を終え、再び階段を降りた。上から眺める何重にも連なって見えるあかい鳥居の眺めは神秘的だった。
 
赤、黄、茶の木の葉がひらひらと落ちてくる。秋のにおいがした。
 
初めて私たちの集まりに参加した信玄は、少し戸惑っているように見えた。鳥居を一基ずつくぐりながら、幽霊のヨウコ先輩との出会いについて話をした。今日も彼女が一緒に来ていることを恐る恐る信玄に伝えた。意外にも、すんなりと受け入れてくれたので、私はホッとした。
 
バナ先輩の提案で、アイスクリームを食べることにした。私はソフトクリームをひとつ注文して、ヨウコ先輩用のスプーンをもらい、バナ先輩のソフトクリームに軽く突きさした。信玄はソフトクリームを食べながら、そんな様子を不思議そうに眺めていた。
 
一息ついたバナ先輩は、ヨウコ先輩のお母さんから預かった日記を自分の鞄から取りだした。そして、神主さんから受け取った小袋と一緒にテラス席の机の上に置いた。
 
「ボクが開けようか?」
 
緊張している様子のバナ先輩に向かって、幼なじみがそう言うと、バナ先輩は黙ってうなずいた。小袋から出てきたのは、四角く折りたたんだ白い紙と、小さな金色の鍵だった。幼なじみは躊躇ちゅうちょなく白い紙を開いて読み上げた。
 
『バナへ。ありがとう』
 
バナ先輩が鼻をすする音を聞いて、私は見てはいけないと思い咄嗟とっさに空を見上げた。いわし雲がきれいだった。ヨウコ先輩はバナ先輩の左肩にそっと手を置いた。
 
幼なじみは、小さな金色の鍵をバナ先輩に差し出した。先輩は涙を拭って深呼吸をしてから、その鍵で日記の南京錠を開けた。みんなが一斉に息をのんだ。
 
カチャッ。
 
小さな音とともに南京錠が開く。バナ先輩の手が少し震えていた。
 
どのくらい時間がたったのだろう。みんな一言も発さずに黙って日記を眺めていた。沈黙を破ったのはヨウコ先輩だった。先輩は懐かしそうな顔をして、日記にそっと触れた。
 
「「読んで」」
 
私だけではない。そこにいた全員に、確かにヨウコ先輩の声が聞こえた。約二年ぶりに聞くヨウコ先輩の声に、幼なじみが感動して泣き出した。いつもはサバサバした彼女が流す涙は、夜空に輝く一番星みたいにキラキラしていた。覚悟を決めたような顔をしたバナ先輩は、日記を手にとって一ページ目を開いた。
 
白いフワフワの雪虫が、目の前を横切った。
 

ヨウコ先輩の日記


*****

親愛なるバナへ
 
日記を開封してくれてありがとう。きっと願い石が願いを叶えてくれるって信じていたよ。実はこの日記をつけることをすごく迷ったの。怖くて、捨ててしまおうと何度も思った。でも、誰にも伝えずにすべてがこのまま闇に葬られる方がもっと怖いって思うから、最後まで書くことにしたよ。もし私に何かあったら、バナがこの日記を活用してくれると信じてる。宝探しみたいにしちゃってごめんね。見つけてくれると思ってたよ。バナのこと大好きだよ。

ヨウコより

*****
 
自分の身に起こり得る危険を事前に察知したヨウコ先輩は、あらかじめ鍵を神社に預けていたのだった。バナ先輩宛の冒頭メッセージは、何かを確信した時に書き加えられたようで、見開きの部分に書かれていた。バナ先輩はしばらく沈黙した後、吹っ切れたように続きを読みあげた。
 
*****

○○○○年四月八日
 
最悪の入学式だった。担任のコダマが怖い。いったい何を考えているのだろう。みんなの入試の成績を読み上げている。最悪だ。できることなら、幼なじみのクラスに転入したいな。
 
○○○○年四月十九日
 
部活の説明会に行ってきた。ミニバスから続けてるバスケをなんとか頑張りたい。でも…、心配。顧問のホソカワがいきなり怒鳴っていた。どうしよう。幼なじみに相談したら、やめとけって言ってる。アニメ部にしておこうかな。もう少し考えよう。

○○○○年四月二十二日
 
結局バスケ部にしてしまった。でも、まだ不安。髪の毛をショートにするようにと凄まれた。首のあざが見えちゃうから、髪の毛は切りたくない。
 
放課後、部活に行く前にネクタイを外したっていう理由だけで、コダマにビンタされた。痛かった。

*****
 
ここまで日記を読んだ私たちは、しばらく呆然としていた。二年前のヨウコ先輩の学校生活は、今の私と酷似こくじしていて、まるでデジャブのようだった。だから、バナ先輩は私に初めて会った時、「かわいそうに」と言ったのだ。日記には、ヨウコ先輩の日々の苦悩と不安が山ほど書き綴られていたが、秋頃から雰囲気が変化した。

*****
 
○○○○年九月十六日
 
サッカー部のタチバナ君に話しかけられた。すごくいい人そう。明日部活が終わってから一緒に帰る約束をした。待ち合わせは自転車置き場の前。楽しみ!
 
○○○○年九月十七日
 
バナ君と、学校の近くのお菓子屋さんでソフトクリームを食べた。その後、ターミナルまで自転車で送ってくれた。バスが同じ方向だったらよかったな。バナって呼んでって言われたけど、明日から呼べるかな…。そんなことより、ホソカワにバレたらどうしよう。

*****
 
日記を読みながら微笑んでいたバナ先輩の笑顔が突然消えた。ここにいる全員がその訳を知っている。

*****
 
○○○○年九月三十日
 
毎日毎日、教室ではコダマに暴力を振るわれ、部活ではホソカワに暴力を振るわれる。私って生きてる意味あるのかな…。コダマにもホソカワにも、お前なんか価値のないヤツだって言われるし。正直、へこむ。バナには心配かけたくないから少ししか言えない。でも、バレてるかな。
 
大堀さんに気になることを言われた。私がバナをとったって。そんなつもりないんだけどな。だって、バナと初めて話した時、彼女はいないって言ってたし。明日バナに聞いてみようかな。
 
○○○○年十月五日
 
今日の試合は全然ダメだった。やっぱり私、バスケに向いてないのかな。帰りの車の中で、レギュラーからはずしてもいいんだぞって笑いながらホソカワが脅してきた。そして、レーズンパンを全部食べろって言われた。いらないのに。そういえば、変な薬がたくさん車に落ちてた。なんだろ…。
 
○○○○年十月六日
 
今日はバナと久しぶりに私服でデートした。どっかでホソカワが見てるんじゃないかって、ハラハラした。いるはずないのに。
 
○○○○年十月十日
 
大堀さんに呼び出された。人が変わったみたいにイライラしてる。レギュラーのポジションなんて、いつでもおろせるんだからって言われた。バナにこれ以上つきまとったら許さないからとも言ってた。どういう意味だろう。いよいよバナに話さなきゃ。苦しいな。

*****
 
ドンッ。
 
日記から目を逸らしたバナ先輩が机を叩いた。「ごめん」と、悔しそうな声で私たちに謝るバナ先輩の気持ちが、みんな痛いほどわかった。バナ先輩が言うには、ヨウコ先輩を乗せたバスが出発した後、なぜか大堀先輩とターミナルでばったり会うことが増えたらしい。親しげに話してくるのが不快で、距離をとるようにしていたそうだ。

*****
 
○○○○年十月一四日
 
大堀さんがバナに告白したって聞いた。バナはしっかり断ったって言ってくれたけどショック。バナを信用してる。でも、大堀さんの反応が怖いな。
 
タチバナはなんでお前みたいなヤツと付き合うんだって、コダマに嫌味を言われた。なんでコダマが知ってるんだろう。気持ち悪いな。
 
○○○○年十月一八日
 
ひどい目にあった。クラスの女子数人でミニスカートをはいて家に来いって、コダマに命令された。私と仲のいい子が代表して断ったら、教頭室の奥の部屋に監禁された。すっごく寒くて怖かった。理想の学校ユートピアを壊すなって、怖い顔して怒鳴ってた。夜になってやっと解放された。校長と教頭が暗い廊下に立っていて、このことは誰にも言わないようにって釘を刺された。どうしよう…。
 
○○○○年十月二八日
 
やばいものを見ちゃった。大堀さんとホソカワが抱き合ってた。薬がどうとか、もっと働けとか言ってた。明日、バナに相談しようかな。
 
○○○○年十一月二日
 
試合の後、大堀さんに呼び出された。昨日のこと、誰にも言うなって。私は怖いから何も知らないふりをした。明日みてろよ!って言われたけど、なんのことだろう。まさかバナのことかな…。
 
ところで、今日はバナの誕生日。お母さんに教えてもらって焼いたブラウニーとプレゼントの手袋を渡した。すごく喜んでくれた。
 
○○○○年十一月三日
 
大堀さんからまた呼び出された。私が下着を売って怪しいバイトをしていると、バナに言いつけてやると笑いながら言ってきた。そんなこと一度だってしたことはない。私の全てを奪ってやると言ってにらみつけてきた。大堀さんはどうかしてるよ…。恐怖だった。
 
○○○○年十一月四日
 
今日は最悪だった。放課後コダマに殴られて教壇から落ちた勢いで、転んで机に頭をぶつけちゃった。すごい頭が痛かったけど、ホソカワに怒られたくないから、部活に出た。
 
ホソカワにバレた。やっぱり大堀さんが言いつけたのかな。今日はめちゃくちゃ蹴られた。ボールで頭を殴られた時、すごい吐き気がした。マネージャーがトイレにつきそってくれた時、大堀さんが突然やってきて、頭痛薬だから飲みなって言ってくれた。やばい。気持ち悪くなってきた。なんか、字が書けないかも$%&#@

*****
 
全員が言葉を失った。日記はここで終わっていた。バナ先輩は再び南京錠に鍵をかけ、小さな鍵を小袋にていねいにしまった。辺りはすっかり薄暗くなっていた。太陽が沈むと一気に冷え込む。アイスクリーム屋の店員が、外の看板をしまいにやってきた。
 
私たちは力なく立ち上がり、誰からともなくバス停に向かってトボトボと歩き出した。そこから地下鉄の駅に着くまで誰ひとりとして口を開くものはなかった。ヨウコ先輩はずっとバナ先輩に寄り添っていた。信玄がそっと私の手をつないでくれた。後日改めて話し合うことにして、その日は解散した。


恐怖の監禁


バチーン。
 
クラス中の生徒と、ドアの小窓から覗いている他のクラスの生徒たちの顔が凍りついている。コダマが菜々子に思いっきりビンタをしたのだ。体の線の細い菜々子は、強い衝撃に耐えられずによろけて床に倒れた。クラスの女子が走り寄って助けている。
 
コダマのホームルームがあまりに長くて時間がずれ込んだため、菜々子と私はホソカワに叱られるかもしれないと焦っていた。菜々子は着替えの時間を短縮したい一心で、あわててネクタイをはずしてしまったのだ。ヨウコ先輩と同じ状況を目の前にした私は、恐怖で震えていた。
 
グローブみたいに大きな手の平を振り上げたコダマが、私を見下ろしている。次は私が殴られる番だ。ネクタイをはずしていない私にどんな理由で暴力を振るうのかはわからないが、思わず目を閉じていた。
 
「お前みたいなもんが、なんで信玄と付き合えるんだ。世の中狂ってる」

 (なんで、コダマが知ってるんだろう)
 
ゴツーン。
 
頭がクラクラするほど痛いゲンコツだった。周りの生徒たちが心配して駆け寄って来た。
 
「なんだ、お前たち、その目つきは。次は誰だ、並べ」
 
よほど腹の虫のいどころが悪かったのだろうか。私たちを殴るだけでは怒りがおさまらないらしく、酷い暴言を吐いている。
 
「おいコダマ、もういいだろ」と、隣のクラスの生徒がドアを開けて叫んでくれた。
 
日頃、他のクラスの強そうな男子たちにバカにされても、コダマは作り笑いを浮かべてヘラヘラしている。成績がいい生徒と体育会系の体の大きな男子にはめっぽう弱い。普段ならばこれで解放されるはずだった。私たちはどうやら甘く見ていたようだ。
 
隣のクラスの男子に言われたことがシャクに触ったのか、コダマはいつもと違ってやけに冷静に低い声で、
 
「お前らふたり、着いて来い」と言った。
 
「ホソカワ先生に怒られますから」と言って、菜々子は気丈に振る舞った。
 
ホソカワの体罰を校内で知らない者がいるはずがない。肩で風を切って前を歩くコダマは、振り返ってこう言った。
 
「ホソカワさんなら、僕のことをわかってくれますよ」
 
不敵な笑みを浮かべている。私と菜々子は目を見合わせて肩をすくめた。
 
階段を降りる時、大堀先輩ともうひとりの先輩に出会した。ふたりはコダマに体を触られて喜んでいた。私たちの方を見ると、ふたりは声を出さずに口だけ動かしてこう言った。

「ガンバ!」
 
ふたりは明らかに嬉しそうだった。先輩は、私がコダマに目をつけられているのを知っていて、「あんたの要領が悪いからだよ」と、役に立たない一方的なアドバイスをくれたことがあった。「適当に触らせておけばいいのに」とも言っていた。
 
コダマの後について歩く廊下は、確かに市内でいちばん長い廊下に感じた。監禁部屋へと続く長い長い廊下を前進しながら、菜々子がネクタイをつけ直していた。誰も助けてくれやしない。
 
バタン。
 
ガチャッ。
 
教頭室の奥にある、見たこともない忍者屋敷のようなドアをがさつに開けたコダマは、私たちを中に押し込むと、ドアを乱暴に閉めて内側から鍵をかけた。会議用の長いテーブルに私と菜々子を座らせ、対面にドシンと座った。おそらく、ここはヨウコ先輩が閉じ込められた部屋だろう。
 
ドンッ。
 
太い指を丸めた大きな拳で机を思いっきりたたいた。菜々子と私はびっくりして飛び上がった。コダマは私たちの反応が面白かったのか、拳を交互に握って殴る準備をしながら、低い声で話し出した。
 
「お前らは、この僕を相当なめている」
 
コダマ曰く、今までの教師生活で、私たちがいちばん生意気で、かわいげがないのだそうだ。
 
「さっきのかわい子ちゃんたちのように、なぜできない!」
 
自分にまとわりついてくるかわいい先輩たちを、いかに見習うべきかと説教し始めた。コダマのだらしない口元からは、ヨダレが出ているように見えた。
 
「たまに当たる、胸の膨らみがたまらないわけだよ」
 
(この教師は、いったい何を言っているのだろうか)
 
落胆しながらふと窓際に目をやると、ヨウコ先輩が心配そうに立っていた。私はコダマに気づかれないように一礼した。ヨウコ先輩が見守ってくれているので、少しだけ安心した。
 
「特にお前だよ、お前。お前が僕の高校ユートピアを壊しているんだ」
 
ビキニで踊ることを否定したことが、よほど気に食わなかったのだろう。私のことを異常に恨んでいることは確かだった。
 
「あと少しで、僕の理想のノアの方舟はこぶねが完成するというのに」
 
コダマは急に笑い出したかと思うと、大学時代の話を始めた。これまで、何十回と同じ話を聞かされてきた。自分勝手なエゴを並べた理想論を聖書の話に繋げようとして、いつも矛盾が生じる。結局、話のツジツマが合わなくなると、誰かのせいにしてキレて誤魔化ごまかすのだ。


「菜々子。お前は僕に従順だったはずだろ。なのに、コイツに感化されやがって。お前には僕の言うことがわかるだろ?」
 
私は普段温厚な菜々子が怒ったのを、以前に一度だけ見たことがあった。部活帰りにみんなで食べていた巨大パフェがあまりに多くて食べきれず、残すか残さないかを話し合っていた。
 
「うるさい!」
 
自分が全額払うから、黙って食べろと言い出した。菜々子が突然怒ったのでみんなビックリしたのを覚えている。
 
「わかりません!」と、ものすごい大声でコダマを睨みつけながら、菜々子が言い返した。
 
自分が否定されたことが引き金になったらしく、コダマの激しい怒りが菜々子に向かった。プライドを傷つけられたと言って騒いでいる。怒りがおさまらないのか、立ち上がってウロウロし、壁を殴ったり机を蹴ったり大暴れしていた。
 
コダマの暴力行為がエスカレートしたら、どうするべきかを冷静に考えていた。
 
窓の外はすっかり暗闇に包まれ、外でサッカーや野球をしている部員たちの声が聞こえなくなった。次第に彼らの姿も見えなくなった。
 
(信玄が心配してるだろうな)
 
暖房の入っていないその部屋は、どんどん底冷えしてきた。
 
(泣いてるのかな?)
 
コダマは大暴れして疲れたのか、突然椅子に座り込んでうなだれたまま、しばらく動かなくなった。
 
(死にたくない)
 
こんな情緒不安定な奴のために死にたくないと思い、再び窓際に目をやると、ヨウコ先輩がうなずいているのが見えた。菜々子は相変わらずコダマを睨みつけたまま、黙って座っていた。
 
「お前はなんであんな男子と付き合えるんだ?」
 
涙ぐんだ表情で、半笑いの薄気味悪い化け物のような顔を近づけてきた。コダマによれば、進学クラスの信玄は優秀で、サッカーも上手く、見た目もいい。そのような男子が私のような者を彼女にすることが信じられないらしい。実は、コダマは若い女子と男子の両方に興味を持っているのかもしれないと、私は普段から疑問に感じていた。自分の気持ちに素直になれない己の不甲斐ふがいなさに苦しんでいるようにも見えた。恋愛感情をこじらせ、うまくいかない現実を受け入れられず、嫉妬しっとに狂った感情を隠しきれずに剥き出しにしている。あま邪鬼じゃくで、周りに迷惑をかけるただの残念な大人に見えた。
 
カチッ、カチッ。
 
今まで気がつかなかったが、コダマの頭上にある時計の音だけが妙に大きく聞こえ出した。夜の魔物の気配が、コチラの様子を窓の外から伺っているように感じた。それは、コダマのドス黒い心のような漆黒の闇だった。

 
(ヨウコ先輩も同じ思いをしていたんだろうな)
 
ヨウコ先輩が私をじっと見つめている。暇なので、心の中で先輩と会話をする練習をしようと思った。
 
((テスト。テスト。ヨウコ先輩、聞こえますか?どうぞ))
 
((シーッ、また怒られるよ!))
 
((やった!これ、前からやってみたかったんです))
 
((たぶん、ずっとはムリだと思うよ))
 
((えー。そうなんですか?))
 
((とにかく、もうすぐ出られると思うから、頑張って))
 
((わかりました。頑張ります))
 
突然、コダマが奇声を上げ、立ち上がって拳を振り上げた瞬間、廊下で複数の人が走り回る音が聞こえた。
 
「確か、この辺りでした」
 
(あっ、同級生の声だ)と、私は思った。
 
「ぜったいこのドアです。見てましたから」
 
そう言ったかと思うと、彼らの足音は遠くの方へと消えていった。息を潜めていたコダマは、ホッと胸を撫で下ろした様子で、菜々子と私の頭を一発ずつ殴った。そしてもう一度拳をふりあげた時、
 
「コダマ君、教頭だ。いい加減にしないと大変なことになりますよ」
 
廊下からは同級生たちと英語の女性教師の声も聞こえてきた。コダマは頭を抱え、あいつらもユートピアを壊していると呟いていた。この世のすべての醜いものたちが、自分を絶望させるのが耐えられないと涙ながらに語っていた。
 
「コダマ君、ここを開けなさい。さもなければ、こちらから開けますよ。その意味がわかりますね」
 
この時、教頭は生徒の味方だと思っていた私は浅はかだった。教頭にとって、コダマ側からドアを開けることに意味があるのだった。教師たちは鍵を持っているのになぜ外側から開けなかったのか。校長や教頭たちは事件性をもたらせたくない、つまり関与したくないだけだった。そんな内部の事情を知らない私は、これでコダマから解放されたのだと勘違いしていた。
 
憎しみに満ちた鋭い目つきをした中年男性の表の顔と、大人に叱られて反抗する子供のような裏の顔の両面を交互に見せながら、私と菜々子にゆっくり近づき一発ずつ殴ると、ため息をつきながらドアの鍵を開けた。
 
廊下に出ると、同級生たちが心配そうな顔をして駆け寄って来た。コダマに連れて行かれた時、男子が私たちの後をつけてどの部屋に入るかを見届けたようだ。そして、あまりに出てくるのが遅いので、英語教師に打ち明け教頭に伝えてくれたそうだ。だが、教頭はすぐに駆けつけずにしばらく待つ選択をしたらしい。だからこんなに遅くなったのだとわびてきた。私は同級生に感謝した。もし、誰の目撃証言もなければ、どうなっていたかわからない。教頭が私と菜々子にそっと近づくと、誰にも言わないよう命令してきた。教頭の目は氷のようだった。
 
私の身の安全を見届けたヨウコ先輩が、少しずつ消えていった。
 
玄関の下駄箱を開けると、信玄からの手紙が入っていた。私の同級生たちから事情を聞いて、後から電話するという心配そうなメッセージが書かれていた。
 
校舎の外に出ると、菜々子のお母さんが迎えにきていた。時計はすでに夜の九時半を回っていた。すべての部活が終了し、定時制の生徒も下校した後だった。校舎を見上げると、心霊スポットのような不気味な雰囲気が漂っていた。当然、バスケ部の練習も終了し、体育館は真っ暗だった。自分の置かれた状況を不憫ふびんに思うよりも、無断でバスケの練習をサボってしまったことを心配している自分がいた。
 
 車に乗り込むと、PTAの役員である菜々子のお母さんが激怒していた。明日会議に報告すると言ってくれたのでホッとした。家まで送ってもらうと、菜々子のお母さんから連絡をもらった家族が心配そうに迎え入れてくれた。かなり遅い時間だったので、信玄とは翌日学校で話すことにした。私はひどく疲れていた。
 
(ヨウコ先輩、絶対自死じゃないよ)
 
暖房のない寒い監禁部屋で冷え切った体をお風呂で温めながら、私はそう思った。
 
翌日、部活を無断欠席したことをホソカワに謝罪した。しかし、コダマの言っていた通り、ホソカワは何も言わずにニヤニヤしていた。その上、私たちがコダマに監禁されたことをすでに知っているようだった。私たちはまるでいない者として扱われた。一方で、コダマは私たちを監禁したことが明るみになって気まずそうだった。私を含む数名の生徒は、完全に無視される日々が始まった。
 
コダマからの暴力がなくて体は楽だったが、連絡や必要な会話を全くしてもらえなかった。そのため、不都合なことが多かった。書類配布の際、名前が呼ばれない。頃合いを見て自分から取りに行き、床に落ちているものを拾った。このような学校生活がしばらく続いた。
 

第6話へ続く

Kitsune-Kaidan

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