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「体罰・すべての被害者たちへ捧ぐ」第6話・怪談長編小説(note創作大賞2024・ミステリー小説部門応募作品)CW 


謎を解く


昼休み、私たちはいつもの用具室の前の廊下に集合していた。初めて噂のボッコリ現象を目撃した信玄と幼なじみは、目をまんまるにしていた。ヨウコ先輩の姿が見えないのが残念だと、幼なじみがボソッと言った。
 
「ご存知の通り、ヨウコは自殺じゃない」
 
バナ先輩は堂々と言った。私たちはいっせいにうなずいた。黙って首を縦に振るヨウコ先輩の顔には安堵の様子が見えた。みんなの理解を得られたことが嬉しかったのだろう。
 
「ヨウコ先輩もうなずいています」と、私は手短に通訳した。
 
「問題は、どうやって証明するか…」

 
バナ先輩は、ヨウコ先輩の日記をもう一度読みあげた。幼なじみは、わきに抱えていた大きなスケッチブックを広げ、ヨウコ先輩の身に起こった事実や要点を書き出した。
 
・ヨウコは恋愛関係で悩んでなどいなかった。
・大堀さんに脅され、交際がホソカワにバレることを恐れていた。
・コダマの監禁を、校長と教頭に口止めされた。
・ホソカワと大堀さんの怪しい関係を目撃した。
・亡くなった日、ダブル体罰を受け具合が悪かった。
・大堀さんからもらった頭痛薬らしきものを飲んだのか?
・警察がまったく捜査しないのはなぜか。
 
書き出してみても、ますます謎が深まるだけだった。ヨウコ先輩が言うには、亡くなった後のことはハッキリわからないことが多いらしい。バナ先輩は、当時ヨウコ先輩を介抱したマネージャーに頭痛薬のことを確認してみると言い、解散した。
 
部活後、私と信玄はアニメ部の部室の窓から見える大きな公園を歩きながら、昼休みの続きを話していた。
 
最近、雪虫が減ってきた。もう時期、雪が降るのだろう。
 
だいだい色にピンクと黄色を混ぜ合わせた夕焼け空のキャンバスに、バケツに入った黒と紺色を上から少しずつかけていく。次第に夜の色が広がって、下の方にわずかに残っていた明るい部分がついに消えてしまった。真っ暗闇の背景に、私たちふたりの白い息がフワッと浮かんだ。
 
信玄が貸してくれたマフラーが温かい。私の左手袋は信玄が、もう片方は私がはめる。真ん中でつないだ手は、信玄の学ランの右ポケットの中にいっしょに入れた。
 
「最近、大堀先輩はだいじょうぶ?」
 
ヨウコ先輩とバナ先輩の中をひきさこうとした大堀先輩が、今度は信玄に近づいているのが正直言って怖かった。
 
「うん。無視してるから、だいじょうぶだよ」
 
偶然にも、大堀先輩とホソカワが駅前にいるのを目撃したらしい。ふたりは深刻そうに何やら話していたそうだ。信玄と目が合った大堀先輩はかなり焦った様子だったらしく、それからは近づいてくることが減ったと言っていた。
 
大堀先輩とホソカワの関係は、どうやら普通の顧問と部員の関係ではなさそうだ。私がホソカワの車で見た女性用の下着と妙な薬も、常識的に考えて絶対におかしいと思った。刑事とホソカワの関係も怪しかった。大堀先輩のことを探ってみようと思っていることを信玄に伝えると、頼もしい笑顔で言った。
 
「俺も協力するよ」
 
バナ先輩と幼なじみは、マネージャーへの聞き込みに合わせて、ホソカワのことも探ってみると言っていた。こうして、しばらくの間手分けをして捜査することになった。
 
街はすっかりクリスマスの雰囲気に包まれていた。古い赤レンガの建物を利用したデパートには、どのフロアにもキラキラと輝く魅力的なクリスマス商品が陳列されていた。
 
クリスマスの飾りつけを見ると、私が通っていたカトリック系の幼稚園を思い出す。園で飼っていたアヒル、犬、猿、馬、魚、孔雀くじゃくなどのさまざまな動物たちと触れ合った。畑では野菜を育てる体験もさせてもらった。毎週月曜日に神父さんがやってきて、キリスト教について学ぶ時間が設けられていた。質素ながらも心温まるクリスマス会が印象的で、今でもその暖かいお祝いの風景が心に残っている。
 
卒園後、個人的にキリスト教を学ぼうと思う気持ちはなかったが、キリスト教にはいい思い出があった。だからこそ、暴力的なコダマがキリスト教について我が物顔で語るのを聞くのが苦痛だった。周りで体罰を黙って傍観している教師や責任者たちにも、不信感を抱いていた。だが、人を思いやる慈しみの心を教えてくれた神父さんが、教師の体罰を容認するはずがない。そう信じたい気持ちがまだ残っていた。
 
私と菜々子の監禁事件後、教育委員会はまったく動いてはくれなかった。菜々子のお母さんは散々掛け合ってくれたようだが、全て却下されたそうだ。そのうち、神父さんの教えを信じたい気持ちがどんどん薄れ、学校や教育委員会に訴えても無駄だと思う絶望感の方が大きくなっていった。私と菜々子の場合は、ヨウコ先輩と同じくダブル体罰なので、とてつもなく大きなハードルに感じた。そのハードルは、あの神社の鳥居のように何重にもあるように思えた。
 
「ここに座ろう」と、信玄が提案した。
 
デパートは買い物客で賑わっていたが、ひとたび赤レンガ造りの階段の踊り場へ出ると、落ち着いた雰囲気が漂うちょっとした休憩所のようになっていた。ガス灯にみたてたアンティーク調の街灯のあかりが美しかった。そこにいると、現実の世界から逃れて異次元にタイムスリップしたような感覚になる。帰宅時間が近づいてはいたが、すぐに帰るのは名残おしかったので、しばらくそこに座っておしゃべりをすることにした。
 
信玄は小さなアーミーナイフをポケットから取りだし、ベンチの裏に私たちの名前と日付を彫った。その頃の私たちは、この建物が永遠にそこにあると信じで疑わなかった。楽しく過ごした日の翌日に学校に行くのは、なおさら気が重かった。
 
(ずっと休日だったらいいのに)
 
信玄の名前と生年月日が刻まれた銀色のミリタリードッグタグを、お守りがわりに私の首にかけてくれた。なんとなく強くなった気がして嬉しかった。
 
この頃の私たちは、暇があればふたりで一緒に古着屋めぐりをした。当時、街の至るところに古着屋があった。中でもお気に入りの古着屋に行くために、高校生の自分たちには少々背伸びをしなければ入れないエリアにも足を伸ばした。その日も、大通りから一本入ったライブハウスなどが立ち並ぶ一角にある古着屋で、ウィンドーショッピングを楽しんだ。信玄のお気に入りの古着屋の向かい側には、サイケデリックなきのこと蝶々のポスターが壁一面に貼ってある雑貨屋があった。ブラックライトで光るおそろいのおもちゃを買い、店を出てきた時だった。
 
「あれ?マキさんと大堀先輩じゃない?」
 
信玄が指差す方を見ると、マキと大堀先輩が向かい側で信号待ちをしていた。ふたりとも化粧をしていていつもと雰囲気が違うので、信玄に言われるまでわからなかった。他にも見知らぬ女の子たちが数名いる。信号が赤から青に変わった。
 
「マキ?」
 
私は通り過ぎる瞬間に話しかけた。
 
「やべっ」
 
マキは悪ぶった声でそう言うと、人差し指を口に当ててから、素早く手をふって小走りで横断歩道を渡っていった。
 

あらぬ噂


 「お前、うまいんだってな」
 
隣のクラスの男子たちがニヤニヤしながら、私の前に立っている。
 
「俺らもお願いしようかな」
 
それだけ言い残すと、私を嘲笑ちょうしょうしながら走り去った。
 
「なんだろ?」
 
私と紀香は首を傾げながら部室へと向かった。
 
「えー、やだ!」
 
部員たちの大きな声が、廊下まで聞こえてきた。再び紀香とふたりで首を傾げながら、部室のドアを静かに開けた。
 
「こういう風にしてから…」
 
マキが中心となってみんなに何やらレクチャーしている。マキは男性経験が豊富なので、普段からそういう話を好んでしているのは珍しいことではない。しかし、最近はほとんどその類の話ばかりだった。
 
「パパから、口止め料をもらった」

単身赴任中であるはずのお父さんが、見知らぬ若い女性と腕を組んで歩いているところを偶然見てしまったマキに、お母さんには内緒にするようにと言ってお金を渡してきたらしい。それからは、定期的にお父さんを脅迫してお金をもらっているそうだ。普段は明るいマキが、この話をした時に暗い表情をしていたのが印象深かった。
 
「この前のことは、他言無用で」と、マキが冷ややかな表情で私を見て言った。
 
マキは、歓楽街の外れにあるホテル街のすぐ近くのクラブに入り浸っているらしい。外観がグロテスクなデザインのそのクラブでは、私の好きな音楽はかからない。大人の男性と付き合えば、お父さんにもらうお小遣いよりもはるかにいい額がもらえると、マキが教えてくれた。興味がない私は、それ以上聞かなかった。紀香が言うには、マキと大堀先輩は他校の女子高生を集めて、おじさんに紹介するバイトをしているらしい。マキに誘われた紀香は、一瞬迷ったが結局断ったらしい。
 
ここ数日、隣のクラスの男子がニヤニヤしながら近寄ってくる。
 
「俺もたのむよ」
 
「ちょっと待って!」
 
私は冗談を超えた嫌な感じがしたので、その男子を問い詰めた。
 
「ごめんって」
 
その男子は、みんなが言っているので真似をしただけだと白状した。どうやら噂の出どこはマキらしい。私に濡れ衣を着せようとしていたのだ。
 
「どういうことなの?」
 
私は誰もいない体育館でそっとマキに尋ねた。ある程度事情を知っている私に隠しても仕方がないと、断念した様子だった。
 
「大堀先輩から仕事をもらってる」
 
年上のおじさんと知り合いたい女の子たちを集めて紹介すると、大堀先輩から手数料をもらえる仕組みになっているらしい。最初は自分が直接おじさんと交流して稼いでいたが、得意分野の紹介役もやった方が儲かると思ったそうだ。マキはうっすらと笑みを浮かべながら、興味があるなら紹介してあげてもいいと言ってきた。私はその言葉をさえぎるように質問を続けた。
 
「ところで、大堀先輩は誰の下で働いてるの?」
 
「知らない。興味ない」
 
マキは突然真顔になってそう言った。嘘か本当か、知り得なかった。
 
「ここにいたんだ」
 
バナ先輩と幼なじみが駆け寄ってきた。マキは半分ホッとしたような、半分焦ったような顔をして部室へと走っていった。
 
「あの子…。どっかで見たような」
 
バナ先輩は首を傾げながら、続けてこう言った。
 
「大堀さんが渡した頭痛薬、ヨウコは飲んだって」
 
ヨウコ先輩に付き添った例のマネージャーは、先輩が亡くなったショックで退部していたそうだ。元マネージャーによると、その頭痛薬はピンク色で、かわいらしい蝶々のデザインが描かれ、市販のものよりも大きめのサイズだったらしい。私がホソカワの車内で見た怪しげな薬も大きくてピンク色だった。かなり特徴的な錠剤だったのでよく覚えている。
 
「ただの頭痛薬じゃなさそうだね」と、幼なじみが言った。
 
ヨウコ先輩に薬のことを尋ねるため、いつもの用具室の前までみんなで向かった。部室の横を通ると、ドアの隙間からマキの大きな声と卑猥ひわいな会話が聞こえてきた。マキがみんなの中心になって何やらレクチャーしている。
 
「あの子!」

 思わず声を出したバナ先輩は、慌てて口をふさいでいた。
 
バナ先輩は土曜日に予備校に通っている。受験生向けの特別コースが終わる頃には外はもう真っ暗だ。気分転換に寄り道をして帰ろうと、いつもとは違うホームで地下鉄を待っていた。うつむいていた顔をふとあげると、目の前に予備校の講師が立っていた。講師の隣には自分と同じ高校の制服を着た女子が立っており、ふたりは腕を組んでいた。
 
講師には奥さんがいるし、ちょうど先月産まれた赤ちゃんの写真を自慢げに見せてくれたばかりだった。ふたりの会話を聞くつもりはなかったが、大きな声で話す女子の声が特徴的で耳に入ってしまった。違う車両に乗ろうと後ろをふり返ると、すでに何十人も並んでいて身動きが取れなかった。と同時に、地下鉄がホームに入ってくる音がした。
 
地下鉄の風が、女子の制服のスカートと講師のコートをゆらす。
 
仕方なく、バナ先輩は後ろから押されるように地下鉄に乗り込んだ。女子生徒は相変わらず大声で下品な話をしている。バナ先輩は体の向きをなんとか変えてドアの方を向いた。ドアの窓ガラスに映るそのふたりは、イチャイチャしながら場違いな話をしている。側のサラリーマンが咳払いをした。ふたりの会話が気まずいのだろう。周囲の女性たちは露骨ろこつに不快な顔をしていた。
 
次の駅までが異常に長く感じた。その女子生徒は、窓ガラス越しのバナ先輩に向かって挑発的な視線を投げかけているような気がして、ゾッとしたそうだ。ドアが開くと急いで降り、走って階段を上り、ふたりからなるべく遠くへと逃げた。
 
「あの子だよ、間違いない」と、バナ先輩が自信たっぷりに言った。
 
派手な格好で街を歩いていたマキと大堀先輩を偶然目撃したこと、マキが大堀先輩の下で紹介の仕事をしていることなど、私はこれまでにわかったことをバナ先輩と幼なじみに簡潔に説明した。
 
「ヨウコが大堀さんのことを怖がっていた理由につながりそうだな」
 
用具室の前に着くと、辺りには誰もいなかった。しばらく待つといつものようにボッコリが現れ、ヨウコ先輩が姿を表した。
 
「ヨウコ!」
 
ヨウコ先輩の姿を初めて見てはしゃぐバナ先輩は、浮いているように見えた。それだけ嬉しかったのだろう。私と幼なじみも手を取り合ってふたりの再会を喜んだ。久しぶりのふたりの時間を邪魔しないように、私と幼なじみはその場をそっと離れた。
 
その日、私は珍しく自転車で登校していた。信玄と別れた後、お気に入りの白いビーチサイクルに乗って川岸の静かなサイクリングロードを走っていた。すっかり日が暮れて人通りが少なく、少々心細かった。ときどき犬の散歩をしている人とすれ違う。
 
(あともう少し)
 
やっと、サイクリングロードの出口付近にあるカラオケ店の灯りが見えてきた。そのカラオケ店は幽霊が出ることで有名だ。従業員が次々に辞めるので、常にバイト募集をしているのは周知のことだった。幽霊のヨウコ先輩を見ても全然怖くはないけれど、知らないお化けはやはり怖い。
 
(変なこと思い出しちゃった)
 
すると、少し先の草むらの中に男性がしゃがんでいるのが見えた。その男性の前に肌色の大きなものが見えた。私はゴールデン・レトリバーのような大型犬を連れているのだと思った。
 
ペダルをこぎ続けると、どんどんその男性が近づいてくる。私に向かってにっこりと微笑んでいる顔が見えた。家で犬を飼っているため、私は犬の散歩をする人によく挨拶をする。
 
「こんば…」
 
完全に勘違いしていたことに気がついた時には、もう遅かった。肌色のものは犬ではなく、男の下半身だった。興奮したような気味の悪い笑みを浮かべた男の露出ろしゅつがエスカレートした。声をあげては相手の思うツボだと思い、無表情で目線をそらし、無視をしてスピードを早めた。
 
(振り返るな!)
 
思いっきりペダルをこぎ、数十メートル離れたところで後ろをふり返ると、男はまだそこにしゃがんでいた。私はホッとしたが、念の為にさらにスピードをあげた。
 
「きゃーっ」
 
女性の悲鳴が聞こえたので慌てて振り返った。すると、近くにいた男性が怒鳴りながら止めに入っているのが見えた。私は再び無心になってペダルをこいだ。
 
普段は気味が悪いと感じるお化けカラオケの明かりが、今日はどんどん近づいてくることがありがたく感じた。サイクリングロードを出た後、安心のあまり震えが止まらなかった。その日から自転車通学をやめたのは言うまでもない。
 

初雪


冬の暖かいコートにヒラヒラと舞い降りた雪の結晶は、作り物みたいに精巧で思わず見惚れた。さまざまな模様があって、一つひとつ特注のように形が違った。すぐに肩の上でとけて壊れてしまうのが悲しかった。ふと横を見ると、信玄が私に向かって優しく微笑んでいた。
 
試験勉強をするために、ふたりで学校の近くの図書館にいた。紀香と彼氏も勉強に来ていた。紀香の彼氏は無口な人で、私はほとんど会話をした記憶がない。
 
「スキー旅行に行かない?」と、囁くような声で紀香が言った。
 
冬休みを利用して、紀香の彼氏の親戚が経営する小さなスキーリゾートに行こうと誘われた。どうせなら、みんなでワイワイ楽しもうという話になり、バナ先輩と幼なじみ、もちろんヨウコ先輩も誘った。ヨウコ先輩の姿が見えるようになったバナ先輩は、以前より元気が出たように見えた。六人分の予約をして、七人でスキーリゾートを訪れる計画を進めた。
 
(絶対コダマには言うもんか)

それぞれ親に許可を得て、試験に向けて猛勉強をした。
 
(よかった!)
 
コダマに投げられた成績表を床から拾い上げながら、心の中でそう叫んだ。勉強した甲斐があって、成績はまずまずだった。英語が得意な私は、冬休み直前の特別リスニングコースを受講した。コース初日、期待を胸に視聴覚教室のドアを開けると、既に受講生たちがヘッドフォンをして静かに机に向かっていた。会釈する私を無視して、担当の英語教師が授業をスタートした。私は誰もいない、いちばん後ろの列に着席した。
 
「この答えは?」と、教師がぶっきらぼうに質問した。
 
「Aです」
 
私だけ回答が違ったが、自信があった。なぜなら、その答えはイギリス出身の英会話の先生の口癖で、私にとっては簡単な日常会話問題に過ぎなかったからだ。
 
「正解」と、教師は不満そうな顔をして低い声で言った。
 
周りの受講生は振り返り、私に冷たい視線を投げかけた。
 
「次は?」と、教師が不機嫌そうに言った。
 
「Cです」
 
また私だけ回答が違った。これも簡単だったので間違いないと思った。
 
「チッ、正解」と、教師は言った。
 
(えっ。今、舌打ちした?)
 
いつも不機嫌なその英語教師は、コダマと同じく成績の悪い生徒や、自分のお気に入りではない生徒への差別がひどかった。私は英語の成績は悪くはないが、その教師に好かれてはいなかった。その後の問題も簡単で、私だけが全問正解した。
 
「お前、どういうつもりだ。バカにしているのか?」と、教師がドスをきかせた声で言った。他の受講生たちは、冷酷な表情で私を見ている。
 
「この問題は、東京の有名私立や公立大学の英語学科の入試リスニング問題だ。お前のようなものが解けるわけがない。ふざけるな」
 
面倒な事態を避けたいので、私は口答えをしなかった。結局、私が教師の機嫌を損ねたと言う理由で、その日は予定時刻よりも早めに終了した。
 
「カンニングしたの?」
 
『英語女子』と自ら名乗るふたり組が、馴れ馴れしく話しかけてきた。私の手からプリントを乱暴に奪うと、回答を食い入るように見た。ふたりの顔色が一変した。英語教師と同じく急に不機嫌になり、プリントを無言で机に投げ戻してきた。
 
紀香が後日教えてくれた話によると、この英語女子のうちのひとりはマキのライバルで、狙った男子は絶対に手に入れることで有名らしい。どんな手段を使ってでも、地道に彼女側に嫌がらせをしてカップルを壊していくのが彼女の得意技だという。そんな彼女の新たなターゲットは、なんと信玄であった。そのことをまったく知らなかった私は、彼女が単に私のリスニング力を疑っているのだと思っていた。
 
「お前、リスニングでカンニングしたんだってな」
 
コダマが久しぶりに話しかけてきたかと思えば、またもや不可解な発言をしている。ヘッドフォンをして視聴覚室の最後列に座っていた私が、一体どのようにリスニングでカンニングするというのか。何を言っても無駄だと百も承知なので、私は口をつぐんだ。
 
「嘘ついて英語ができるフリをして、何が面白い」と、コダマは意地悪な口調で言った。
 
生物教師であるコダマが、数学に続いて今度は私の英語力を批判し始めた。コダマは、例のマキのライバル女子の英語力を過剰に賞賛しょうさんしていた。彼女がどれほど自分に従順で決して反抗しない『かわい子ちゃん』であるかを、長々と解説した。さらに、信玄に似つかわしくない私は身をひいて、もっと相応しい女子に譲るのが賢明だと、笑いながら提案してきた。
 
英語女子たちからリスニングの話を聞いたのか、それとも英語教師からか…。その真相はもはやどちらでもよかった。残念なことに、この学校には裏で教師に告げ口をして他人を蹴落とそうとする生徒が存在する。そんな生徒を教師が平気で利用しているのも、また事実だった。
 
「あの科学教師、女子更衣室の盗撮をして他校から転任してきたらしいよ」
 
そういった噂をたびたび耳にする。そんなことをしても解雇にならず、教員免許も剥奪されない。何事もなかったかのように平気で他校に勤務できるのが驚きだった。その科学教師は、趣味のビデオとカメラを常に持ち歩き、女子生徒の撮影をしていることで有名だった。
 
こんな学校だからこそ、コダマもホソカワも平気で毎日生徒に暴言を吐き、好きなだけ暴力を振うことができるのだろう。ヨウコ先輩や私の監禁事件の時、教頭や校長は黙っているようにと命令してきた。その一連の流れは、相当手慣れているように感じた。
 
ある日、紀香が息を切らし駆け寄ってきて、一枚のメモ紙を見せてくれた。そこには、汚い字で不気味なメモが書いてあった。教師の名前、年齢、人数と下着の名目が書いてある。

*****
 
・科学教師〇〇  15歳 1名:パンツ
 
・数学教師〇〇  16歳 2名:ブラジャー
 
・英語教師〇〇  17歳 1名:パンツ
 
・コダマ  17歳 1名: パンツ
 
・岡島K 取り分 :5万円
・ホソカワ 取り分 :1万円
・大堀 取り分 :5千円
・マキ 取り分 :5千円
 
 *****

紀香が言うには、授業を終えた英語教師が、いつも抱えている黒いファイルを開いたまま教壇の上に忘れていったらしい。数名の女子生徒が珍しがってそのファイルを覗き込んでいた。紀香がその横を何気なく通り過ぎようとした時、女子たちが叫んだ。
 
「うわー、こわっ」
 
紀香が驚いて覗くと、そこには一言日記のようなものが書かれていた。
 
『こんなバカどもに毎日教える地獄。コイツらを消してしまいたい。僕にはもっと上に行く力があるのに』
 
紀香は、見てはいけないものを見てしまったと感じつつも、納得がいったと言っていた。女子たちがキャーキャー騒いでいると、焦った様子の英語教師が戻ってきたそうだ。そして、血相を変えて黒いファイルを女子たちの手からひったくると、ものすごい勢いで廊下に飛び出していった。教師が走り出した途端、ポケットから白いものがヒラヒラと床に落ちた。紀香が拾って目を通すと、例の不気味なメモが書いてあったのだ。
 
紀香は、私たちがバナ先輩と何やら調べ物をしていることに、それとなく勘づいていた。彼女はこのメモがヒントになるかもしれないと思い、見せてくれたのだった。私はすぐにそのメモを持って、バナ先輩のクラスへと急いだ。途中、ホソカワの部屋の前を通った私は、心の中で思いっきり舌を出していた。


数学とは


「補講どうだった?」と、信玄が聞いてきた。
 
翌年には進路の選択を少しずつ迫られるため、今から特別授業やさまざまな補講授業が行われる。数学が苦手な私は、補講を受けることが多かった。進学には数学を使用しないので、何とかその年を切り抜ける必要があった。
 
「余計な質問をしないで、サッサと公式を覚えて」
 
風俗通いが趣味の数学教師が、イライラした様子で鼻毛を揺らしながら私に向かって冷たく言い放った。コダマの友達だというこの数学教師は、私たちに対して常に態度が悪い。
 
(怪しいメモに名前があるくせに)
 
大きな声で発表したい衝動を必死に抑え、私はひたすら使い道のわからない数式を覚える作業に没頭した。
 
「君たちのような落ちこぼれが、数式を将来何に使用するのかなんて考える必要もないんだよ」
 
冷酷な目をしてそう言う数学教師は、生徒たちの単純な疑問に答える気はさらさらないようだった。余談をまったくしない上に、豆知識を教えてくれるわけでもない。ひたすら生徒の出来の悪さを否定し続ける。数学は本来楽しいものであろう。未来は数学や科学がさらに身近なものになり、私たちの生活はますます便利で豊かになるのだ。興味を持つことはいいことだと、この頃の自分に教えてあげたい。教師の風俗通いの趣味の噂には、きちんとした裏付けがあるらしい。ある卒業生の風俗のバイト先に、偶然にもこの数学教師がやってきたそうだ。
 
「ギリギリだから。調子にのらないでね」
 
数学の補講の最終テストをなんとかクリアすることができた私に、そんな言葉を投げ捨てた数学教師。脂ぎったメガネの奥から私をさげすんでいるのがハッキリ見えた。
 
合格した答案用紙を持った私は、信玄のところへ急いだ。無事にスキー旅行に行けることを、一刻も早く信玄に伝えたかったのだ。信玄のクラスを覗き、声をかけようとして少し躊躇ちゅうちょした。私の知らない生徒たちと信玄が楽しそうに話す姿を見るのは新鮮だった。
 
信玄が私に気づき、嬉しそうに手を振ってくれた。少し気まずかったが、私は手を振り返した。こちらに向かってくる信玄の背後では、さっきまで楽しそうに話していた女子たちの顔から笑顔が消え、こちらを睨んでいた。私は何だか複雑な気持ちになった。
 
「よかったね!」
 
答案用紙を見せると、信玄が喜んでくれた。数学の得意な信玄は、私がなぜ数学が苦手なのかを理解できないらしい。でも、いつも上手に教えてくれるのでありがたかった。


第7話へ続く

Kitsune-Kaidan

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