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断章随筆/知ることの速度が遅い

1.小学校2,3年の時、レンタルビデオで借りた映画『ちびまる子ちゃん』が大好きで何度も見ていた。戦争に連れて行かれる馬と馬主の別れの歌が出てくる。まる子に影響されて、私は小学校の教頭先生に映画に出てきた歌を知っているかを訊ねた。
多分これが、無意識に戦争に掠った最初だと記憶。

2.日本史の記憶がない。世界史は取っていなかった。

3,高校の修学旅行で広島へ。平和公園で講演を聞いた。

4.大学入学後、教養科目の政治学や国際政治論を取った。教科書が残っているから確かに受けたはずである。単位は確か可。単位が取れる成績のドベ。

5.NHKの番組、『東北発未来塾』で井筒和幸監督の回を見る。映画『パッチギ!』のあらすじが薄っすら残る。 

6.学生生活で疲弊する。主に、自分には直接関係ない人間関係なのだが、その機微の訳わからなさに摩耗する。
他人は分かっているのに自分には訳が分からない、という、人間性の厚みの違いを見せつけられている気になっていく。

7.大学四年、敬遠していた現代オセアニア論で覚醒。イギリス占領下のオーストラリアや、ベルリンの壁が初めて頭に入る。

8.4.の国際政治論の教科書を部屋の整理時に読み返し、ベルリンの壁習ってた、とぽろっと呟く。

9.大学卒業後、院浪人突入。図書館のDVDコーナーで映画『パッチギ!』を発見する。借りて観る。
オダギリジョーさん演ずる酒屋のあんちゃん坂下と大友康平さん演ずるラジオ局のディレクターをカッコいいと感動する。
高校の頃から個人的に、「自分と他人は分断されてるな」という不安や「何故、自分が分離されなくてはならないのか、実はそれが自分の思い過ごしだと仮定して、何故私がそんな思い過ごしをしなくてはならないのか」という不満があり、塩谷瞬さん演ずるコウヘイが、朝鮮人の友人の葬式を追い出された帰り、橋にギターを叩きつけてぶっ壊して川に捨てるところが痛々しかった。

10.現在、院一年、休学中(研究は続行中)。春休み中、青森で演劇『藍より青い海』(作・畑澤聖悟 演・青森県立青森中央高校)を観る。第二次世界大戦中、労働力として中国人や朝鮮人が北海道の炭鉱に連れてこられていたと劇中のシーンで観る。

11.春休み中、長めの風邪を引いて慢性的に具合が低迷。自分以外のことなんて正直、みんな勝手にやってるんだから、どうでもいい、という気分。
妹がアルバイトしてる塾の教え子に合格祈願のお守りを徹夜で縫っていた。ニュースをつけていた。
近況の話をする。友達とGWに韓国に行きたいらしい。「北朝鮮と韓国は一つの国だったって知ってる?」と訊くと「そうなの?」と答える妹。
ふと、何故この質問が出たんだ? と思う。

12.病み上がり。図書館で『パッチギ!』を見返す。今書いている小説に、主人公の子供たちに知識や情報やなにやを与える大人を出したくて、インプットのために観る。

オダギリジョーさんが、主人公とその友人に『イムジン河』を聞かせながら、南北分断のことを教えてくれるシーンが頭に入って、10.と、2.3.4.で掠った終戦の経緯も結びついて定着する。今なら説明できる。

主人公が朝鮮人の友人の葬式で責め立てられるところからのクライマックスを三回繰り返して観る。大友康平が上司にすっとぼけたり、すかしたり、怒鳴ったりして、主人公に『イムジン河』を歌えるようにするところ。台詞が最高。

坂下とディレクターを尊敬している。自分より若い人のためにすっとぼけられる人に、中年までになりたい。

でも、自分には保身癖がある。後ろめたい。中年までってことは、あと20年くらいで治るのだろうか............。

観終わって、ブルーハーツの『歩く花』を口ずさんで帰路。たまに、『情熱の薔薇』の一節も混ざる。

13.と、このように、南北分断定着までに、約二年かかっている。頭に定着し、定着したことが実感できたことが「知る」ということなら、かなり「知る」ことの速度が遅い。

14.青森の社会人劇団はオリジナルの脚本を書く人が多くて、その都度、舞台背景や歴史公証などの調査、取材の深さに圧倒される。そして、中には年4回、自主企画の他に、コラボ企画やプロデュース企画もやっているところがあり、その都度、脚本が書かれ、その「知る」ことの速さに、途方に暮れる。速く、深く、広く。何をどれだけ知っているかが正義のように強迫されるような気分になる。畏怖する。

15.ただ、「知る」速度が人それぞれ違うならば、「その速度」を書くことはどうだろうかとも思う。小説の叙述なら、「その速度」を書くことで舞台背景が相対化されたものとは微妙に歪んだ、感じの違うものになるのでは? ちょっと有利? とも空想するのだ。
だから私は、小説を書く際、必ず「時間の長さ」を決める。例えば、三ヵ月くらいで、主人公は何の、どこまでを知るのか。読者(あるいは相対化された知識を持つ架空の人)が何処まで知っている内の、何処まで、主人公が習得できるのか。
なんて。

16.「何でも知ってる」「いつでも必要な時に何でも知ることができる」「他人から教えられた時にすかさず知ることができる」ことには憧れる。ただ、そうならなきゃいけない、と言うのには躊躇う。

17.コウヘイだって、キョンジャに恋しなきゃ朝鮮語も朝鮮のことも戦争のことも知らなかった。
コウヘイは朝鮮語と『イムジン河』までは知った。でも、キョンジャのコミュニティで暮らす人たちのことについては、「知る」速度が遅くて、ギターをぶっ壊すほどの混乱や崩壊が起こった。
しかし、その時が、定着の時だったのかもしれない。
ただ、他人に「お前は何も知らない」と言わせてしまうまで、私は遅くていいのか、とも後ろめたい。単純に怒られるのが悲しくて嫌なだけという気持ちもあるが、相手をぐしゃぐしゃな気持ちにさせたことへの呵責も持つだろう。

18.私は、「何故、私はそれを知らないのか」に興味がある。
私は知らないということは、私にはそれを知る障害があったり、私が暮らすところからは、誰かが知っているはずの対象が死角になっている。何で死角になっているのか。どれくらい私がずれて、初めて見えるのか。ここからなら、どれくらいの大きさで見えるのか。何が聴こえてくるのか。
例えば、私は三月生まれを冬生まれだと思っていた。が、ある雑誌の占いで、12カ月を三ヵ月ずつ四つに区切っていて、3,4,5月が春生まれにふられていた。
私の名前には「雪」の字が入っている。名前を考えている間に雪が降っていたからだ。
私は、青森の気候の変化で季節を区切っていた。春は、4,5,6月。夏は7,8月。秋は9,10,11月。冬は12,1,2,3,4月初め。

追記a.母親に「そんなこと(も知らなかったなんて)言ったら笑わいるよ」と言われたことがある。あれは、自分が怒られているんだと思って惨めだったけど、何故そんなこと他人から言われなければならなかっんだろう。自分が私を教育していないと思われそうで嫌だったのか。「そんなんキョーイクしてないんだから仕様がないだろが」と思う。みんながみんな同じこと同じくらい知ってたら、または同じように知らなかったら話をする必要なくっなちゃわない?

19.また、自分が対象を知るために、対象へ近寄り、潜入すると、何故自分がそれを知らなかったのか? が抜け落ちる気がする。自分がそれを知らなかったのは、自分からは何が見えなくて何がこう見えていたからであるということ。それを知れば、「何故、それが今まで知られていないのか?」を知ることが出来て、それを知ることが必要だと思うから。

20.令和元年、もう少しだけ、この速度で試してみようかと思う。
友達が出来たりすれば、考えが変わるかもしれないけれど、それまでは。

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