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【地元日記】衝動にならないの? これ

私は青森で演劇や舞踏の活動に入っている。文化行政事業だったり、社会人劇団が主催する演劇祭だったり、大学の講義だったり、稽古やワークショップ、公演によく行っていると思われる。「その場にゆく」だけならば私にでも出来る。

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今日は文化行政事業の一環である、演劇部の稽古に行った。私はスタッフなので音響や照明などの勉強会があると思い平服で行ったが、舞台監督さんが体調を崩されたようで無し。俳優部の稽古を眺める。

人事異動によって新しく入って来た職員の人が大学のサークルの先輩だった。ハスキーな声とフランクな調子が懐かしい。声をかけられたのが嬉しい。

稽古に参加しようかと思ったが、演出家に「(その服装なら)無理しないでいいよ。やってもいいけど」と言われ、止すことにした。だが、工夫はできたはずだった。裸足になったり、コートを脱いだり。しかし、私は「無理しないでいいよ」と言われた瞬間、脱ぎかけたコートをゆっくりと羽織り直しながら、「靴が良くないから」「服が良くないから」「慣れない人が入ったら良くないから」「演者ではないから」と、「これをしなくても別にいい理由」を考えていた。

だが、ペアになる必要があるストレッチの時、かつて本を薦めてもらったり演劇部のオーディションで雑談をしたことで、精神的にお世話になった方が「木勢さんと一緒にいいですか?」と演出家に訊ねた。多分、身体に触ったりするから女性の方がいいという、それだけの理由だろうけれど、嬉しかった。

腹式呼吸が出来ているかの確認で相手のお腹に触る。

変だ。

膨らんだりしぼんだり、動いているのは分かるのに。

あまり熱くない。

感触がよく分からない。脂肪や腹筋の具合がどうだか。

私が腹式呼吸を確認してもらう番になる。触られているかどうか、触られているのは分かる。でも、もう少し、分かるものではないのだろうか?

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稽古が終わると、俳優部の人たちと先輩が談笑を始める。楽しそうだ。

次の出演者公募の演劇事業についての情報交換だったので、あまり入りたくなかった。彼ら彼女らの積極性とエネルギーが苦しかった。

他人々々が楽しそうに進んでゆく背中が見えてしまうと、足が動かなくなる。

本当に何も働いていないのに、疲れた、休みたい、と泣きそうになる。

演劇や舞踏に、寂しくて来ているのか、見たくてはたらきたくて来ているのか、動機のバランスがおかしくなっている。

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演劇の稽古では、しばしば身体を触ったり、ぶつかったりするようなゲームをする。

たとえば、身体を触ったり、触られたりするのが苦しい、他人の体温や感触を過敏に感じてしまう人がもしいたら、違うゲームをやってもらえるのだろうか? 

そう、今日の稽古を見ていた時、過った。

身体を動かしたいのに、そんな楽しみやワクワクするはずの高揚が、ドライアイスの煙のように、自分に留まらずに悲しくなるほど自分の意思とは関係なく流れ出していく。

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大学の講義で舞踏をやっている。

よく躍りには身体を解放せよ、伸び伸びと、みたいなことを言われる。それを疑う人が少ないのだろう多分、とも思う。自然な身体に! みたいな。

だが、私は身体が上手く動かない方が自然な気がする。というより、上手く動かない身体でやる躍りも出来ないのだろうか? 

たとえば、電車の吊り革につかまっている手の動き。電車の揺れに耐え、不思議な動きをする。それを象徴化して振りにするとか? 手元がなんとも言えない、カクカクとした、見ている人を不安にさせるような、どうとも捉えることが難しいように見える振り。

身体が意志疎通のためや解釈の余地がある生体反応などの、いちいち気にならない程度のものから伸びた糊しろのような。

そのような動きをしてしまう人にだけ意味や役割や効果がある動き。

躍りを作ってみたい。誰もいない教室で電車の吊り革につかまっている時の手の動きをやってみている手を思い浮かべる。

思っただけ。

思っただけで終ってしまった意思は、衝動にならないの? これ。

久々にワクワクしたのに!


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