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神武東征の旅

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『古事記』『日本書紀』に記される神武天皇の東征譚。史実なのか、つくり話しなのか。東征ルートをたどってみたら何か感じることができるかもしれません。いっしょに時空を超えた旅をしてみま…
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#神武天皇

第19話  論功行賞を行うの巻

第19話 論功行賞を行うの巻

神武東征の旅第19話 論功行賞を行うの巻

 『古事記』には記されませんが、『日本書紀』では東征メンバーに論功行賞が行われたことが記されます。

順番に見ていきましょう。

道臣命

東征出発時点では日臣命でしたが、八咫烏の先導により、久米部を率いて宇陀への道を切り開いた功績で神武天皇から道臣命の名を賜る。天孫降臨で瓊瓊杵尊に随伴した天忍日命(別名 日臣命)の子孫。大伴氏の祖。「宅地を賜った」と

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第18話 初代皇后 媛蹈鞴五十鈴媛

第18話 初代皇后 媛蹈鞴五十鈴媛

神武東征の旅第18話 媛踏鞴五十鈴媛命

父 事代主神
母 三島溝橛耳神の娘 玉櫛媛
(『日本書紀』の漢字表記)

御名から、どのような方だったのか考えてみましょう。

媛 蹈鞴 五十鈴媛命

最初につく「媛」は「媛女」美しい女性という意味。「蹈鞴」は、古代に鉄や銅など金属を還元する際に炉の火力を強めるために使う「ふいご」のこと。「五十鈴」はたくさんの鈴。鈴は音色に霊性を感じ神を招く道具として

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第16話 大和平定と妄想話し

第16話 大和平定と妄想話し

神武東征の旅第16話 大和平定

  長髄彦を倒した皇軍は、その後、帰順しない新城戸畔、居勢祝、猪祝の邑を攻めます。地図で確認しましょう。三か所の伝承地と大和の主な弥生遺跡をマークしています。地図で見ると磐余を中心として周辺の邑(遺跡)は既に帰順していて、今回登場するのは一番離れた場所の部族という感じです。

前回の記事で書きましたが、こうして見ると長髄彦との決戦地が生駒ではやはり違和感ありま

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第15話  長髄彦の巻

第15話 長髄彦の巻

神武東征の旅 第15話 長髄彦の巻

 国中(奈良盆地)へ入ろうとする皇軍を待ち構える兄磯城軍。磯城邑にあふれんばかりです。まずは兄磯城に帰順をすすめるために、頭八咫烏、次に(帰順した)弟磯城。そして初登場?兄倉下と弟倉下(誰? 高倉下? 兄弟いたの?)を行かせますが、兄磯城は承伏しません。そこで軍師 椎根津彦は謀をたて、忍阪の道に女軍(陽動作戦で敵を引き付ける部隊)をやって、敵の精兵を深く誘い

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第14話 宇陀②  忍坂大室の巻

第14話 宇陀② 忍坂大室の巻

神武東征第14話 宇陀その2 忍阪大室の巻

 神武天皇が、八十梟帥をどう打ち破れば良いか思い悩んでいたところ、夢に天神が現れて「天香具山の土で平瓦80枚とお神酒を入れる瓶子をつくって天神地祇を祀り、身を清めて呪詛せよ」と告げます。

さっそく椎根津彦と弟猾に天香久山の土を取りに行かせます。

天香久山

大和三山(畝傍山、天香久山、耳成山)の一つ。天から降り来た山とも言われ、香久山の土には霊力・

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第13話 宇陀の巻① 「国の始まり大和の国 郡の始まり宇陀郡 村の始まり穿邑」

第13話 宇陀の巻① 「国の始まり大和の国 郡の始まり宇陀郡 村の始まり穿邑」

神武東征の旅第13話 宇陀の巻その1

「国の始まり大和の国 郡の始まり宇陀郡 村の始まり穿邑」
という古誦があります。宇陀郡は奈良県宇陀市、穿邑は現在の宇陀市菟田野宇賀志です。

宇賀志の血原

〝記紀〟を要約したような内容でして、短いのでこちらがわかりやすいかなと思い引用しました。

この時の勝利の宴で「久目歌」が歌われました。

宇菟の高城
久米歌にも登場した、皇軍の休息に築いたといわれる、

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第8話  五瀬命死す その1

第8話 五瀬命死す その1

神武東征の旅 第8話 五瀬命死す その1

まず日本書紀の方から、

 古事記には「ちぬのうみ」の語源が記されます。

 〝記紀〟の記述を元に、和泉国(大阪府泉南エリア)と紀伊国(和歌山)に伝承地があります。

まずは、「皇軍は(和泉の海)茅渟の山城水門(別名 山井水門)についた」という記述に関連する伝承地を訪ねます。

 大阪府泉南市男里にある 男神社(おたけびの宮)。ご祭神は、神日本磐余彦命

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第7話  孔舎衛坂の巻

第7話 孔舎衛坂の巻

【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】第7話 孔舎衛坂の巻

 3月10日、河内国 草香邑に到着した皇軍は、兵器を整え、4月9日 竜田に向けて歩いて進軍を開始したが道が険しく引き返しました。

 一旦引き返した皇軍は、今度は一気に生駒山地を越えて内つ国(大和)へ入ろうとしたんですが、それを察知した長髄彦軍が全兵力を動員して待ち構えていて、孔舎衛坂で激戦となりました。

 皇軍が山を越えようとした道が日

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第6話 難波碕の巻

第6話 難波碕の巻

 神武東征の旅 第6話 難波碕の巻

その時の様子を、

と記します。

「古事記」は浪速国の由来について記述はありません。

到着したのが草香村の白肩之津。〝青雲の白肩津〟と瑞祥表現が使われているので、ピンポイントでここという場所はわかりませんが、「津」は港。草香村は古くからの地名で現在の東大阪市日下町あたりです。

上の地図を見ていただくとわかりますが、赤丸の場所(東大阪市日下町)

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筑紫を出航した船軍は、響灘から日本海へ向かうのか?と思いきや、関門海峡を引き返して瀬戸内海を行き岡山に着いた

筑紫を出航した船軍は、響灘から日本海へ向かうのか?と思いきや、関門海峡を引き返して瀬戸内海を行き岡山に着いた

 【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】第5話 吉備国高嶋宮への巻

日向を出て4ヶ月で吉備に到着、そこで3年滞在。日本書紀に記され行程を表にすると、

「古事記」は、年月日の記述はなく、筑紫 岡田宮で1年、阿岐国 多祁理宮で7年、吉備 高嶋宮で8年と滞在期間のみ記します。読み比べると違いがあるんですが、ここでは日本書紀の記述にそって話を進めます。

多家神社

埃宮の伝承が伝わる多家神社

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日向を出港し、椎根津彦を水先案内とした船軍は途中宇佐に立ち寄り、なぜか筑紫の岡水門へ向かいました

日向を出港し、椎根津彦を水先案内とした船軍は途中宇佐に立ち寄り、なぜか筑紫の岡水門へ向かいました

【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】第4話 筑紫への巻

 速吸之門

 日向を出発した神武天皇の船軍が速吸之門(豊予海峡)に至ったとき、珍彦という漁師が小舟に乗って現れました。天皇は珍彦に椎のさおをさしわたして舟に引き入れ椎根津彦という名前を与え水先案内としました(日本書紀訳)。

 椎根津彦は水先案内だけでなく、後に大和の天香山の土を採取、兄磯城討伐などでも活躍し、東征メンバーの中で智将的な働き

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第3話  神武天皇お船出の巻

第3話 神武天皇お船出の巻

〝記紀〟には船出の詳細は記されていませんので、地元伝承のルートを辿ってみます。

宮崎神宮・皇宮神社

湯之宮神社

神武天皇が湯浴みをし、休息した際に地面に突き立てた枝が芽吹き梅の木になったと言われる「湯之宮座論梅」の伝承があります。

都農神社

神武天皇が東遷の折に立ち寄り、海上平穏や武運長久を祈ったと伝わります。日向国一之宮。都農神社の氏子には三輪姓の方が多いそうです。ご祭神からしても大和

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第2話  日向三代の巻

第2話 日向三代の巻

【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】第2話  神話 日向三代

 多くの人にに読んでもらうためにはタイトルが重要という記事を見たので少し挑発的なタイトルにしてみました😁

まぁ、昭和の初期なら本当に日本人誰でも知ってたんじゃないかと思うんですけど、今は学校では教えないし、本も読まないし、マスコミで扱う事もないから、知らない人がほとんどでしょうね。

〝記紀〟の神代最後に描かれ、その後人代

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第1話 神武天皇の生誕地の巻

第1話 神武天皇の生誕地の巻

【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】神武東征 第1話は神武天皇の生誕地です(日本書紀・古事記 共に神話から始まるのですが、神話については適当なタイミングで書こうと思います)。 

 神武天皇の生誕地は日向国で、現在の宮崎県高原町に伝承が残ります(宮崎県高千穂町にも伝承有)。神武天皇は幼少の頃 狭野尊と呼ばれていました(日本書紀)。生まれ育った地名を幼名とする風習がありこの地が伝承地となったのでしょ

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