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ライターのぼくが「なかみ」という会社をつくった理由

2018年10月。ぼくはライターとして入社したWebメディアの会社で挫折した。

いったい、人生何度目の挫折なのだろう。思えば、これまで挫折続きの人生で、何もうまくいっていなかった。

その前の会社も挫折した。その前も。そういえば、大学受験も高校受験も志望校には落ちたっけ。

ぼくの人生には、挫折がいつもそばにあった。

またか。また挫折か。やれると思ったのに。いけると思ったのに。

やっぱりぼくは、社会の役に立てる大人にはなれないのか。


会社を休んだ月曜日。近所のイオンでベンチに腰掛け、遊具で遊ぶ息子を見守っていたつもりが、とっくに見失ってしまった。ぼくはただ呆然と地面を見つめている。

「やっぱり、おもしろい記事が書きたい」


フリーのWebライターが簡単にメシを食える職業ではないことは、ぼくが一番よくわかっている。何せ、ぼくがライターを採用していたのだ。価格感も知っている。厳しい。非常に厳しい。きっと妻は不安に思うだろう。離婚を考え始めるかもしれない。これ以上、ぼくの情けない人生に家族を巻き込ませていいのだろうか。


ポタリ、ポタリと涙が落ちる。


就活はできない。ぼくは記事を書く仕事しかできない。こんなぼくの人生に巻き込ませて申し訳ない。そんなことを妻に話した。妻はぼくに言った。

「やればいいやん。あんたと結婚してる時点で楽できるなんて思ってない。ちゃんと頑張って。」

その言葉を受け、ぼくは2019年1月、開業届を提出した。

※渦中の当時、書いた記事


「情熱」に敬意を払う仕事人でありたい

ずっと見ていた画面

Webライターとして業務を開始した1か月目。クラウドソーシングなどを駆使して、馬車馬の如く働いた。なんとか執筆で約20万円を稼ぐことができた。

それからも毎月コツコツと収入は上がっていき、思いのほかライター業は順調に収入を得ることに成功していた。前職で厳しく文章や、記事制作にかかる時間を管理していたことが身を結んでいた。

「これならやれるかもしれない」


その頃、ぼくは「ライター」として生き残るには、「自分らしい記事」を知ってもらう必要があると考えていた。

そのためには、SEOとSNSバズを掛け合わせた記事をコンスタントにつくっていき、たくさん読んでもらって、名前を覚えてもらう必要がある。


「ぼくらしい記事を他人が説明できるくらいバズらなきゃ生き残れない」


そう考えたぼくは、手始めにTwitterを実名にし、顔を出すようにした。

実名で活動を始めた2019年4月。ぼくは初めての「炎上」を経験する。

アビスパ福岡の試合を観戦に行った結果、あまりおもしろいと感じられなかったので、その理由を考察した記事を書いたところ、バズってしまった。

最初は好意的な拡散だったものの、すぐに「悪意のある記事」とバッシングされるようになった。

「大塚というライターがやりやがった」「アビスパの悪口を言って何が楽しいのか」ぼくは冷や汗を流しながら、Twitterの全てのバッシングに目を通した。

傷つきながらも怒りの文章と向き合うことで、見えてきた。

「この人たちはぼくが憎いかもしれないが、その発端はぼくへの憎悪ではなく、アビスパへの愛情だ。」


この人たちが怒っている理由は、アビスパ福岡を愛しているからだ、情熱を持っているからだ。

そんなことに気がつくと、ぼくの冷や汗はおさまった。ぼくはアビスパサポーターをナメていたのだ。こんなにアビスパを愛する人が存在することを知らなかった。

「大塚たくまとかいう、クソライター。文章もお粗末すぎる。」


だから、ぼくがライターとしてナメられるのも当然だ。

「あなた方がアビスパを愛するように、俺はネットを愛している。俺の本気を見せてやる。」


勝負だ、アビサポ。」


そう決めたぼくは、大塚たくまというライターが本気でアビスパの記事を書いたら、どんなものができるのかを見せてやろうと決意し、2本の記事を書いた。

この2記事はアビスパサポーターを中心に拡散し、大いに喜ばれた。いつの間にか、ぼくへのバッシングはなくなっていた。

「これからも、人の情熱を尊重する仕事がしたい。」


アビスパ福岡の一件で、ぼくはライターとして生きていく根幹をつくることができたと思っている。

アビスパサポーターの気持ちに共感できたぼくはすっかりアビスパ福岡のサポーター。シーズンパスは2年連続で購入し、ホームの試合は毎試合観戦しに行っている。本当、人生は何があるかわからない。

※ぼくのライターとしての生き方に大きな影響を与えた「アビスパ事件」についてはこちらにまとめています


自覚した「何を書くか」への強いこだわり

取材の仕事が軌道に乗り始め、ライターとして指名で依頼を受けることが多くなってくると、企画が降りてくることがある。

数年前、こんなことがあった。

とあるメーカーのWebサイトの新規立ち上げの企画。ぼくに企画面でも協力してほしいということでとあるWeb制作会社から相談を受けた。

マーケティング調査が説明されたあと、具体的な企画案が説明された。しかし、その企画は分析していた結果とまったくマッチしていなかった。これまでもこういうことはあった。分析した事実を、自分のアイディアを裏付けする雰囲気として使う人が、世の中には存在する。

ぼくが企画の不可解な部分を突っ込むと「私もそう思うけど、そこはクライアントの意向」と言う。「クライアントとその議論はしたのか」と尋ねても、それ前提の依頼だから議論の必要はないとの一点張りだ。

「企画の趣旨について、先方に疑問を投げかけてみたほうがいい」と言うと「絶対にそんな失礼なことはできない」と言われてしまった。

それ、何を目的につくるの?

「第三者の意見が入ると先方が気を悪くする」と思い込んでいるあなたの方が失礼じゃないのか。

本当に議論の石を投げ込むと、先方は気を悪くするのか?

マーケティング分析はなかなか厳しい内容だったのだが、企画がそこに全く向き合っていない。むしろ、「そっと」しているように見えた。これでは、何にも変わらない。

いったい先方は、何を目的で外部へ依頼をしたのか。はじめの「意向」に異論があるなら、早いうちに聞いてみたいんじゃなかろうか。

真剣に事業のことを考えている人こそ、そういった声は「ありがたい」と思うのではないか。もしくは、そういった議論を行うことで、自らも商品への理解が高まるのではないか。そういったやりとりなくして、よい発信はありえない。互いの理解が重要なのだ。

情報発信の受け手は「タブー」なんて知らない。知ったこっちゃない。ただ、見たものを感じたように思うのみである。だからこそ、情報発信を考えるときに「タブー」をつくってはいけない。むしろ「タブー」は伸びしろである。

今まで向き合ってこなかった「タブー」と向き合った先に、新しい価値がある。

「タブー」や「前例がないこと」を避けていては、裾野は広がらない。そこを打ち破るのが、外部の専門家の役割だと思う。

「あなたに相談しないと、その視点はなかった」と言われるのが仕事である。

「クライアントの意向」が目的までではなく、無意識に企画レベルにまで達し、そのままヌルヌル進む。これはもはや、企画者不在だ。そんな気持ちの悪い仕事はしたくない。先が暗闇とわかって進んでいく、不毛な作業。そんなストレスには、耐えられない。

ぼくは先方とよりよい企画にするための議論すらできないのであれば、企画意図が理解できないまま執筆することになるため、その仕事はお断りした。

報酬は期待できそうな話だった。心の中で「ライターなんだから、ただ依頼された文章を書けばいいじゃないか」と思ったが、それはできなかった。

ぼくは自分が「どう書くか」が仕事なのではなく、「何を書くか」が仕事だと思っている。それを強く自覚した出来事だった。

「おもしろい」は、あなたのなかにある。

ぼくが企画を考えるときに、よく言われることがある。

「うちに発信して、おもしろいことなんてないよ」


「おもしろき、こともなき世をおもしろく」という言葉がある。意味の解釈は数あれど、ぼくは「この世をおもしろいものに変えよう」という解釈が好きではない。なぜなら、この世は既におもしろいからだ。

ぼくは「おもしろいことは、むずかしい」という発想も好きではない。なぜなら、「おもしろさ」には多様性があるからだ。ぼくらは、さまざまなことを「おもしろい」と思って生きている。

笑えるおもしろさもあれば、新たに知れるおもしろさもある。関係性が変わる瞬間もおもしろい。見えなかったあちら側が見えてくるとおもしろい。みんなと思いを共有できるとおもしろい。ちょっと知ってることの、じつは知らないことはおもしろい。身近な人の深い話はおもしろい。まだまだまだまだ、たくさんある。

おもしろいことは、もっとカンタンで、自由で、ゆるやかだ。

あなたがもし、なんとか世間に自分のやっていることを知ってほしい。自分が情熱を燃やしていることがあるから知ってほしい、という想いでいるのなら、それ自体はきっとおもしろいことだと思う。ただ、これは他の人から言ってもらわないと気付けないことが多い。

目線が変わった途端、物事は新鮮になる。つまり、目線が偏っている物事ほど、伸びしろがある。

たとえば天草。天草ではイルカウォッチングが名物となっている。

天草の漁師の間ではイルカなんているのが当然で、これが観光の目玉になるなんて長年思いもしていなかったそうだ。動画の通り、こんなにいるのに。

あなたのそばにも、他者から見ればイルカみたいなことがたくさんある。

旅先のスーパーで見たことがない商品に出会うことがある。「この街ではこれが普通だよ」というものにおもしろさがある。

なんなら、情熱を持つ人はすべて、おもしろい。数ある仕事の中で、その仕事を選んでいる。選んだ人はおもしろさを知っている。必ず何かあるはず。何かを伝えたいと思っている段階で、もうおもしろいのだ。

あなたの中の「当然」に、おもしろいことがある。たとえ、あなた自身がおもしろいと思うことではなかったとしても、大丈夫。

「おもしろい」は、あなたのなかにある。

「なかみ」を信じきる人を増やしたい

ぼくが地方の現場で感じていることがある。

いれものを作る人はいるけど、なかみを考える人がいない場合が多すぎる。いれものにはこだわるけど、なかみをこだわらない人が多すぎる。

そんな地方の現場を減らしたい。少なくとも、ぼくの目の前ではそんな出来事は起こさない。

みんな伝えるために、伝わりそうな「いれもの」にこだわっている。お弁当で言えば、お重箱にこだわっている。なるべく人気のあるお重箱に入れようとする。

情報の受け手も愚かではない。重箱のなかみをじーっと見ている。影響力の大きなお重箱に入れても、なかみがおいしくないと、目的は達成されない時代になった。

いれものにこだわるのは、なかみにこだわってからにしませんか。

伝えたいものを伝わるように、企画を練ろう。そして「いける」という手応えを感じて、わくわくしよう。

なかみができれば、いれものを変えて、いろんなことに活用できる。まずは一緒になかみをつくろう。

ぼくは、そんな仕事がしたくて、「株式会社なかみ」をつくった。

ライターとなり、なかみを考えるのおもしろさを知った、ぼくの会社。

ぼくはこれからも、なかみを考えていく。なかみを考えるのは、おもしろい。

なかみを考えることを、楽しもう。


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