見出し画像

『「40歳を超えて、大学院へ行く」ということ』㉗「腕相撲」と「終わり」-----大学院1年生・1月前半。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 
 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

(※この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「新学期」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います。今回は、大学院に4月に入学し、年がかわった、1月前半の話です)。


大学院で学ぼうと思った理由

 元々、私は家族介護者でした。

 1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。それが実現したのが2010年です。介護に専念して10年が過ぎた頃でした。
 私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。

「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由

 それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。

(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。

 同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この約10年間でも感じてきました。

 もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士公認心理師を目指したい。

 さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。

 この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。
 よろしくお願いいたします。

 今回は、40代後半になってから、在宅で、妻と一緒に義母(妻の母親)の介護を続けながらも、臨床心理学専攻の大学院に通えることになり、年を超えて大学院1年生の1月前半の頃の話です。

 毎日介護は続いていて、午前4時や5時就寝が続いていたので、それでも通えるように、午後6時過ぎから講義が始まる大学院だったことも、ここに通うことを決めた大きな理由の一つでしたが、それでも、講義を受けて、実習もあり、家では介護の合間に勉強をし、レポートを書く生活は、追い詰められるような気持ちになることもありましたが、基本的には、学校へ通うことは楽しいままでした。

 なお、大学院の同期は10数名です。学部からそのまま進学した人と、社会人入学の人が大体半々。女性の数がやや多いという構成です。特定を避けるため、個別な人に関しては、曖昧な書き方になっていますが、時間が経つごとに、比較的、交流が増えてきたと思っていました。

新学期

1月10日。月曜日。

 夢の中で、学校の副手の人が出てきて、実習の曜日を私が間違えて、出なかった上に、さらに何かで苦情を言われていて、どうしよう?って思っていたら、目がさめました。

 実際は、院生への連絡をしてくれる副手の方は、とても優しい方で、怒られた記憶もなかったのですが、なんだか不思議な気持ちになりました。

 今日は、月曜日の成人の日で、今日までが休みで、明日から新学期(というのはちょっと言い方は違うのですが、冬の講義が再開するということです)で、休みが終わりか、という気持ちと、それなのにやる事を、予定通りにやっていなくて、特に研究ゼミ(修士論文を執筆するためのゼミですに関することを今日までやっておかなくちゃ、と思いながらも、やっていません。

 でも、もう明日、実習も始まるし、明日は早く起きなくちゃ、とか、明日のために、早く寝ないと、とどっちにしても義母をトイレに連れて行くから、いつものように午前4時頃までは起きていないといけないのに、だから、それまでにまだ3時間も4時間もあるのに、もう今日は無理だ、なんだか逃げているような気持ちになりました。

 研究ゼミの経過報告書みたいなものもメドがたっていなくて、なんだかあせってしまって、ホントに今年は修士2年になるのに、終わるのだろうか、などとも思っていて、妙にあせりが出ています。

 それで明日はレポートもあって、でも、そちらを優先させると他の予定が進められなくて、それでこうやって時間が過ぎていくんだ、みたいな事も思いました。

 だけど、とにかく少しでも、ほんの少しでもやっておくこと、考えること、それだけでやっぱり違ってくる、その蓄積はおそらくウソが出ない。というか、いわゆる存在感というものの多くは、見た目に優れている、という別名であったりもするが、それでも、やっぱりその蓄積が伝わるのが人間というもののすごさみたいなものだと思ったりもしました。

 こうしたことを細々と思うと、もうすぐ大学院に1年経ったのに、変わらなくて、ちょっと情けないような気持ちにもなります。

 何しろ、もう長く生きて来た、といえる世代になってきたのだから、何とかしないと、という思いになるのは、同世代のいろいろな人のことを思うと、社長になっていたりする人がいたりするのだから、自分は何をやっているのだろうとも考えてしまいます。

 まるでまだ社会のことを知らない20代の発想のようなのに、でも、実際は絶対に後戻りできない50歳が目前に迫っていて、そして、どんどん死んでしまうことも近づいてきて、100歳くらいまで現役でいきたい、と思っていても、それは分からないことだし、なるべく健康でいられるような努力をしていたとしても、それはかなり難しいことだともわかっています。

 人によっては、あまり長く生きたくない、というようなことを言うのですが、それに比べて、自分が長く生きたい、と強目に思うのは、まだ何もやっていないから。何の成果も残せていないから、ということだとも思います。

 その一方で、やりつくした、と思う時は来ないだろう、と思いながらも、今は、まだホントに何もしていない。あせりがまだあって、そういうことばかりを言い続けるのも変だ、と自分で気がつき始めています。

 言っている間に、少しでもやればいいからです。たぶん、そういう思えることにやっと近づいてきたのですが、50になってやっと、と思うと、ちょっと恥ずかしい気持ちにもなります。

評価

1月11日。火曜日。

 今日から新年があけて、最初の講義で、最初の実習です。

 なんだか体調がよくなくて、昨日も介護のために午前5時近くまで起きていて、それでも、実習は行かなくてはいけなくて、午前11時には起こしてもらって、支度をして、コンビ二に寄って昼食を買って、それを食べながら学校へ向かいました。

 新年は明けたのですが、大学に着いて、カウンセリングの施設のスタッフの方々にも、別に新年のあいさつをするわけでもなく、さらっと実習は始まり、そして、クライエントさんもやってきて、紅茶を出し、レモネードを出し、電話に出て、人によっては不在をお知らせし、時間が経ちました。

 足下の電気ストーブがあったかいな、と思っていたら、面接を終えた同期の女性に、どうかしたんですか?と聞かれる。顔色が悪く青白い上に、赤くなっている、と言われました。なんだか自分がホントに病弱になってしまい、体も弱くなってしまったんじゃないか、って思って、ちょっと嫌になります。

 だけど、トイレに行って顔を見たら、自分ではわりと普通に見えたのですが、でも人に言われるって、やっぱり顔色が悪いんだ、と思いました。

 そうしているうちにさらに時間がたち、午後5時半になり、今年最初の実習が終わります。

 それから家に大学内の公衆電話から電話をして、妻に義母の様子なども聞いて異常がないことを確認してから、学食で食事をして、講義になります。

 今日はレポートを提出するのですが、それに伴い、その自分のレポートの内容を話さなくてはいけないのですが、順番としては、最初に話さなくてはいけなくて、それで話を始めたら、「今日はどうしたの?入ってこない」と講師の教授に言われ、ちょっと焦りました。
 それは、これまで高く評価してもらっていたということなのでしょうけれど、臨床心理学の世界も、そんなに簡単ではなく、まだ力が足りないということなのだと思います。

 だけど、いろいろな話は出来て、議論がはずんだり、はずまなかったり、で時間が過ぎていきました。考えてみたら、この講義では、何をやってもいいんだ、的な気持ちで、毎回、発表のときは一生懸命調べて考えて、それに対しての手応えもあり、そして、おそらくは毎回上がってくるハードルをなんとかクリアしてきて、そして最後に息切れしてしまったような感じになったようですが、でも、全体を見たら、それは、4月のスタート地点を考えたら、よくやったというような気持ちにはなりました。

 この講義は、今回で終わりです。こんなにムキになって、力を入れて、レジュメを作って発表して、ということは生きていく中で、もう2度とないかも、と思うと、なんだか少し寂しい想いにもなります。

 しかし、ちょっとたって考えてみれば、このレポートに関しては、考えて、何度も書いて、と手間をかけたのですが、それを元に口頭発表する、ということに対しては、話し言葉との違いについての考えが足りなかったことにも気がつきました。

 さらには、今回はレジュメがなく、聴いてくれる人たちの手元に文章がない、ということを、もっと考えて話さなければいけないのに、何とかなるだろう、と完全に準備不足だったこともわかりました。

 そうした点を、今回の担当の教授が見逃すわけがありません。だから、やや最後に下がってしまった評価も、当たり前の結果で、その場の努力不足を恥じるべきだと思いました。

 それも含めて、まだまだだった。という意味では、どこか調子に乗っていた、と言えるのかもしれません。本当にいい勉強になった講義でした。

修論口頭試問

 1月12日。水曜日。

 今日は月に1度のボランティアの日です。

 母が入院していた病院で、患者さんに渡す誕生日カード作りの日なので、自宅からは西の方に2時間くらいかけて出かけ、それが終わってから、また2時間ほどかかって東の方の大学に向かうことになります。

 今日の修論口頭試問はいつもの講義より早い午後5時スタートなので、その時刻には出られないと、副手の人にも伝えていたので、遅れても、大丈夫のようでした。

 夢にも出て来たような実習の報告書も何とか出来て、少し気持ちの余裕が出来て、それから、昨日の講義でいまいちだと言われたことも、それはある意味での励みにもなっている部分があって、ありがたいことだとも思えるようになっています。

 病院に着き、1階の作業室で、いつものようにカード作りをしていたら、少し異質なにおいがするなあ、と思いながら、それでもいつもの方々と一緒に20枚を作り、自然と協力ができるような感じになっているのが、なんだかうれしくて、来月のカードのデザインの話をしているうちに、いつも来てくれている人が、おしんこを持ってきてくれていて、このにおいだった、と分かってホッとしました。

 親切にも、持っていきますか?と言ってくれたのですが、このあと、学校へ行きますんで、すみませんと答えたら、確かに、それはダメかも、と笑ってくれました。

 今日、久しぶりにボランティアに来た人がいて、その人にも「学校へ通っています、出来たら論文の協力をしてもらえませんか」という話をしたら、すぐに快くOKを出してくれました。

 他の人にも連絡先を聞いておいて、まだ何も連絡できないままで、その中の一人は目の手術をする、という話をするような感じなのに、何もまだこちらは動けていなくて、それも含めて少しあやまったけれど、みなさんは、それぞれ「毎日が大変だからと」自然に言ってもらえました。とてもありがたい気持ちになりました。

 作業が終わって、病院を出て、それからバスに乗り、駅に着き、そこから快速のような電車に乗って、地下鉄に乗りかえて、2時間くらいかけて、大学の最寄りの駅に着きます。コンビニで食べ物を買って、教室へ着いたら、前の方の席しかあいていなくて、より緊迫感を感じることになりました。

 修論口頭試問は、主に、私たちより1年先輩のM2と言われる大学院の2年生が、修士論文を書いて、その内容を、教授陣や、学生などを含めて、かなり大勢の前で発表し、そのことによって、修了かどうかも判断される、という大事な時間でした。

 それぞれの先輩方は、この2年間をかけて研究した成果を発表しています。

 いろいろなことを思いました。10数人が発表をすると、かなりの時間がかかります。

 昨日の講義で、私がイマイチだと言われた教授は、修論口頭試問の場では、かなり厳しいコメントをむけていましたが、ただ、これから臨床心理士として、人に深く関わっていくことを考えたら、納得がいくことでもありました。得るものが多い時間でした。

 同時に、厳しいコメントを続けた教授に、傲慢かもしれませんが、少なくとも認めさせたい、というか、ちゃんと読んでもらえる修士論文を書こう、それもこの教授が今のところ否定している質的研究を使って、自分の作品のつもりで、取り組もうと改めて思えました。

 口頭試問が全て終わってから、自分は、いろいろな書類を書いてなかったので、閲覧室でばたばたしてなんとか済ませ、それから、今日、口頭試問を終えた上級生の人たちが飲んでいる場所に誘われていたので、そこに合流しました。

 飲み会の場所でありながら、私が思っている以上に、今日の発表や論文に対して、厳しい意見が飛び交っていて、そういう熱さを聞いて、いろいろと考えさせられましたが、それは、当然、これから臨床の現場で働くから、だと思います。

 その話の中で「生意気ですみませんが」とか言わない方がいいですよ、などと言われ、もっともだと感じつつも、私にとって、言葉は戦いの道具ではなく、つながるためのもの、だから、微妙にニュアンスが違うのかもしれない、などとも思いました。

 その場所で、ずっとウーロン茶を飲みつつ、もっとゆっくりしたかったけれど、終電がなくなるので、残念だけど、帰りました。

 厳しさはあるけれど、なんだか、やはり楽しい思いでした。論文ももちろん不安はあるけれど、でも、それよりも、一つのテーマに集中できる約1年は楽しみでもあるのは、ホントにこれまで思った以上に孤立感の強い生活をしていた、ということなのかもしれません。

 今回感じた真剣さに恥じないように、がんばろう、と思いました。

 帰ってからは、介護の時間です。

年賀状

1月13日。木曜日。

 今日は、また一つの講義が最後になります。

 今、大学院2年生で、心理職で働きながら学校に来ている人が、講義をやってくれることになっています。あとは特にレポートもなく、でも心理検査の分析はあるけれど、義母がデイサービスから戻って来る前に、明日締め切りのレポートを書いて、義母を迎えてから出かけたら、講義が始まるぎりぎりになったので、コンビ二でパンを買って学食へ行ったら、何人もがいてあいさつをして一緒のテーブルに座ります。

 なんていうことのない、学生になってから始まった、いつものような毎日ですが、なんだか楽しくて、話しながら教室へ行ったら、場所が変更になっていました。そこからまたエレベーターに乗って、6階へ行き、講義が始まりました。

 今回、講義を担当してくれた大学院の先輩は、現場で仕事をしながらも、勉強を重ねていることが分かり、感心をしつつ時間が過ぎ、いくつかの質問と、その答えなど、さらに話は広がったものの、いつもより早めに終わったので、最後だし、担当の教授と、今日の講師を交えて、飲みに行きましょう、ということになりました。

 それで、学校のそば居酒屋へ行きました。畳の部屋で、けっこう何回も来ている店で、気持ちとしてはけっこうなじみになっています。

 こうやって当たり前に、店の名前を聞いて、やってこられるのもあと1年で終わる----などと思っていたのですが、20代も多い同期や、先輩たちと比べても、自分が変わっていくのは、他の人にとっては成長なのだろうけれど、私の場合は、老いという下り坂の不安だけが多いのが、決定的に違っていることなのかもしれません。

 それでも、時間は過ぎ、いつものようにウーロン茶ばかりを飲んでいたのですが、隣の同期の女性といろいろと話をして、さらに時間は過ぎ、そうこうしているうちに、最初に「飲み会を締める」という時には11時近くになっていたので、残れる人は残ったのですが、私は帰ることにして、やはり帰宅する人たちと一緒に、駅に向かいました。

 修士論文は思ったより厳しそうで、そして、自分たちの時は下手なものを書いたら、本当に落とされる、ということになるのではないか、という話もしていました。

 ただ、この修士論文を書くのは、大学院を修了し、資格をとるために来たという大きな目標もあるのですが、この論文を書いて、少しでも介護をめぐる状況を変えたい、という気持ちも確かにあります。

 それは、今は学生で、そんなことは高望みとわかっているのですが、そう思う自分を、裏切るわけにはいきませんし、協力してくれる家族にも悪いし、介護している人達にもなんとかしたいという気持ちもあります。だから、がんばろう、と思いました。

 あと約1年。修士論文をきちんと仕上げるために、かなりの時間と手間ひまと頭をすごく使って、なんとか少しでもいいものを書こう、という気持ちは、やっぱりあります。

 そういえば、同期の人すべてに年賀状を出したはずだったが、一人届いていませんでした。義母までお世話になったのに、届いていないのは、申し訳ないと思い、おわびに洗濯洗剤をあげる約束をしました。

腕相撲

1月14日。金曜日。

 起きたら、今日、ケアマネージャーさんがくるから、と妻にいわれ、すっかり忘れていたので、え、そうだっけ?と思い、掃除をしなくちゃ、でも時間がないのに、と思っていたら、妻が昨日、廊下を掃除してくれていた、と知り、どうりで昨日、きれいだと思ったことも思い出し、悪い事をしたなと感じ、あやまりました。

 食事が終わってから、午後2時に向けて妻と二人でしたくをして、やっと間に合ったと思ったら、10分ぐらいが過ぎ、おかしいな、と感じて電話をしたら、相手の方は「21日と思っていた」と言われました。

 それは、おそらくは向こうの勘違いだったのですが、そういえば、この前の打ち合わせの時に、あまり確認をちゃんとしていなかったし、私の手帳にも書いていなかったから、何かもう一度の確認が足りなかったんだろうな、と思いました。

 ただ、妻のほうがショックだったのだろうと考え、布団にアンカを入れて、妻に昼寝をしてもらっている間に歯医者へ行こうとして、その前に義母をトイレに連れて行ったら、そのトイレの音で妻が起きてきてしまいました。

 悪いね、と言いながら、それでも時間になったので歯医者へ行き、少し買い物をして、帰って来ました。


 それから、今日の発表のレジュメを確認し、出かけて、地下鉄に乗り、1時間半くらいかけて大学に着き、閲覧室へ行ったら、同期のみんなが思ったよりもいて、そこで話しながらもコピーをして、他の人のも少し手伝って、カロリーメイトを食べて、講義に向かいます。

 最初から今日は遅れるので、と言っていた時間より、さらに遅れ、教授はやってきて、講義が始まります。発表者は自分も含めて3人。最初の人が終わり、それから2人目になり、最後は自分の番になり、話したいことは一通り話して教授の話になり、終わりだ、と思って、チャイムも鳴ったけれど、そこからさらに一つ話が出て、いつもは時間通りに終える先生だったので、少し意外だったのですが、でも、人のネガティブを持てる力とか、スーパーバイザーとしてお金を受け取る側のとまどいまで正直に話してもらい、いろいろと得るものも多い、と思える時間でした。

 この講義が始まったのが、9月で、まだ暑さが残る頃だったのを思い出し、もう終わっちゃうのか、と寒さも含めて何だかさびしい気持ちにもなり、時間の流れの早さに少しあせりを感じつつ、だけど、今日はそこそこ充実感を感じるような発表が出来たのは、この前の口頭試問で、いろいろ厳しい言葉が飛び交っていて、それがいい刺激になり、とにかくしゃべる時も話したいことに気持ちをこめる、という事を意識できたせいだと思いました。

 それから寒いと言いつつ、門のところで同期の方々と、少しうだうだしていて、どうするの?お湯割り飲みたい、という話になり、居酒屋へ行きました。全部で七人くらいはいたと思います。駅前のさくら水産。今週は2度目。

 奥の座席で飲んでいたら、何かのきっかけで、同期の女性と、繊細で優秀だけど、ちょっと体の細い若い同期が、腕相撲を始め、けっこういい勝負をしています。

 「私が勝ったら、全部おごりね」ということを言った女性が惜しくも負けました。それで勢いに乗った同期の男性は、私と腕相撲をやろう、と言い出しました。そこにあとは、何人も同期がいたのですが、年齢的にも体格的にも、私が一番弱く見えたせいで、アルコールが入っていたとしても、それは妥当な判断だと思います。

 なんだか気は進まないけど、でも、楽しそうだったので腕相撲をしました。申し訳ないけど、相手はそれほど強くなかったので、勝ちました。介護を続けていくには、筋力も必要なので、ずっと筋トレもしています。

 もう一度、しましょう、というので、またやったら、また勝ちました。20代前半が、49歳に負けたらいけないと思うのですが、それを見ていた二人の同期の男性が、じゃあ、そしたら、俺たちと---という話になってしまいました。

  今度は、大学院入学の直後、孤立していた中年の私に対して、最初に声をかけてくれたので、恩人だと思っている20代後半、剣道歴15年の人と「やってよ、見たいみたい」という周囲の何人もの同期の酔っぱらいのギャラリーの勢いもあり、なぜか、その人ともやることになりました。

 格闘家とはやりたくないけど、でもやるからには全力で、と思って、戦ったら、この10年間とにかく大人気なく、必死になる癖がついたのと、おそらく最初から出し切る気持ちがあったせいと、何しろ、この場所でただ一人のシラフのおかげで、余裕がある相手に私が勝ってしまい、あれれ、という空気と共に、次は、この場所では、最強と思われる同期と腕相撲をやることになってしまいました。

 ここでやめておきたい気持ちでした。

 今もダンサーで合気道や柔術をやっていた格闘家で、体も鍛え上げた感じの同期で30代の男性と腕相撲をやることになり、「じゃあ、今はダンサーでなく、格闘家として戦います」と言ってもらったのは怖いですが、でもそんなふうにまじめ手に言ってくれるのはありがたく、それでは「こちらも失礼になるので、介護をしている人間にかけて」と言って、手を組んだ瞬間強いのが分かります。

 でも、全力を出し、あとこぶし2個分まで倒してから、相手が異常に粘り、そのまま止まったまま何分か過ぎた、と思います。これで動かなくなることが信じられないくらいでした。でも、動きません。

「ぜったい、まけねー」という相手の人の大きい声が聞こえた時に、普段は大きい声を出さない人ですし、居酒屋にその声が響いたとき「ああ、この人には気持ちでは勝てない」とも思ったのですが、でも、私も負けないと思ったのは、この学校に来た意味もなくなるような気がしたからです。

 それは、どこか滑稽なことでもあって、冷静に考えたら、居酒屋で何をやっているんだ、というようなことでしたが、周囲の同期の女性も含めて熱心に応援もしてくれていたので、ある意味でとても充実して緊迫感もある時間でした。

 さらにそのまま時間が過ぎて、力がもう入らないくらいになった頃「どっちもやめないでしょうから、このままだと死んじゃうんで、あと10秒です」と、さっきの対戦相手の「恩人」の同期が言ってくれたので、その姿勢のまま、勝負がつかないまま終わりました。

 そこにいた若い同期の女性にお世辞もあるのでしょうが、ほめてもらっただけで、すごいうれしかったですし、学生っぽい事を全力でやれて、すごく楽しい気持ちになれました。

 それはまともに相手をしてくれた同期の人たちのおかげです。こうやって、また一つ思い出が出来たのは、すごくありがたいことでした。論文も生活も勉強も、ぜんぶベストを尽くして、丁寧にこれからも毎日を過ごそう、と家に帰って来ても、改めて誓うように思いました。

 夜中は、また介護です。

一日天下

1月15日。土曜日。

 実習があって、何人かに声をかけたのですが、誰も来ないので、その実習を一人でおこなうことになりました。

 ある自助グループの話し合いを筆記で記録するのですが、話を聞いているうちに、そこにやはり人生の重さみたいなものも感じて、いろいろな事を思いつつも時間が過ぎ、2時間がわりと早くは過ぎたものの、ノート1冊がちょうど終わるくらいの分量になりました。

 実習が終わってから、今日は飲み会があるので、と言われていたので、同期の一人に電話をしたら、飲み会のある街のマクドナルドにいる、ということで、あわてて地下鉄に乗って、乗り換えようとしたら人身事故で電車が止まっていて、さらにいつもと違う乗り換えをして、やっとその街のマクドナルドに着きました。

 かなり待たせてしまったのに、同期の人たちは、あまり嫌な顔もせず、待っていてくれていました。そこに2人の同期の人がいて、そこからまた移動をします。人がいっぱいの町を歩いて、なんだか少しわくわくしつつ、2人のうちの一人が無印良品に行って手袋を買いたい、というので、そこに寄り、そこから金の蔵、という居酒屋へ行こうとして、人がたくさんだから、土間土間という店に行き先をかえて、そこで3人で飲んでいるところへ、さらに何人かが合流します。

 全部で6人になりました。あとから来てくれた人はけっこうしゃべってくれる人で、なんだか楽しかったのですが、なんだかそのうちに、昨日の続きみたいな話になりました。

 それは、居酒屋で繰り広げられた腕相撲のことだったのですが、そこには昨日はいなかったスポーツの強豪校でプレーをしていた元・アスリートがいて、見るからに腕が足のように太く、手首を曲げると前腕部に力こぶができるのですから、嫌だと言ったのですが、今日も私以外はアルコールが入っていることもあって、腕相撲をやることになりました。

 腕を組んで、相手の腕が動く気がしませんでした。

 もう明らかにレベルが違うので、全力を尽くしたのに、ホントにかなわなくて、100回やっても1回も勝てない、のが分かって、昨日、一応、ほめられたのに、なんだか気持ちがおれて、チャンピオンがうつっていく感じが少し分かった気がして、なんだか勝手にひそかにがっかりしていました。

 考えたら、20代の人間ばかりの中でがんばってはいるけれど、本当に一日天下だと思うと、ちょっと悲しくなりました。

 強くなりたいな、と少し思いました。もう50なのに。ただ、もう少し筋力は欲しいな、というような気持ちにはなりました。

 こうして居酒屋で腕相撲をする、というような事は学生っぽくって、やっぱり、なんだか楽しかったです。たぶん、みんな酔っぱらって、それほど憶えていないとも思いましたが、でも、居酒屋を出てからも、その元アスリートの両腕に一人ずつ同期の女性がぶら下がったりしているのを見ていると、ちょっとうらやましかったのですが、やっぱりアスリートはとんでもなく強いのがわかりました。

 それでも、何かが少し物足りなくて、ちょっと寂しい気持ちになりました。自分が欲張りだと思いました。

 家に帰ってからは、介護の時間です。それはずっと続きます。

中華

1月17日。月曜日。

 今日は、新宿眼科画廊というところに作品を見に行きました。

 知っている人が展示をするのですが、その人の作品は優れていると思うので、展示の知らせが来たので、妻と見に行きました。

 そこから、新宿御苑の方に歩いて、今度は、おしゃれなカフェにも行きました。微妙に緊張してしまいましたが、食事はおいしくデザートも楽しめて、それから家に戻りました。

 もっとゆっくりしたかった、と思いつつも、午後4時過ぎには家に着きました。妻が少しだけ昼寝をしている時に、いろいろとしたくをして、義母がデイサービスから戻って来た時に、約束していたのに、着ていた2枚のセーターを脱いでいて、(寒いのに)それを、これどこにあったのかしら?などととぼけたので、つい怒ってしまってから、家を出て大学に向かいました。

 今日が倫理の最後の講義でレポートも書いて、でも、時間がないので、学食でカロリーメイトを食べていたら、同期の女性に「最近、忙しいですか?カロリーメイト的なもの多くないですか?」と言われ、「気にかけてもらって、ありがとう」という話をし、それから最後の講義に臨みました。

 なんだか自分が、途中でなぜか、つまらない話をしてしまって、時間をとったせいか、長くなってしまい、予定よりも時間を過ぎてから講義は終わりました。こうして後期の講義が次々に終わっていきます。なんだかちょっと寂しい。

 講義が終わってから、教室には3人だけが残り、そこから門を出たら、いつもは何人かがそこに溜まっていたりするのですが、今日は誰もいませんでした。そこから3人の同期で中華屋さんに行き、食事をしてしゃべって楽しい時間でした。

 店のテレビでちょうどサッカーをやっていて、得点シーンを見ました。もう相手は集中が切れているようでした。お店には、1時間くらいいて、出ました。外は寒いけれど、楽しかった。こんな生活も、あと1年もありません。

 こんな風に講義が毎日のようにあり、こうやって毎日のように食事へ行って、しょうもない話を出来るのは、あとちょっとしかありません。大学院の2年生になったら、講義はぐっと減って、同期のみんなで顔を合わせる機会も、すごく減るのが、けっこう寂しい気持ちになりました。

 帰ってからは、午前4時過ぎまで、介護が続きます。

家族

1月18日。火曜日。

 実習がある日は、そうはいっても微妙に気持ちが重い。それは責任もあるせいだと思います。

 あまり行儀は良くないですが、眠ったのが早朝と言っていい時間だったので、とにかく少しでも寝ていたいので、出かけるのもギリギリになり、電車の中で食事をして、音楽を聞いて目を閉じて、そうやっているうちに時間がたちます。

 考えたら地下鉄で、40分くらいは乗っているのに、毎日のように通っていると、その時間がけっこう短く感じますが、この地下鉄の路線で通っている同期がだんだん少なくなってきて、というような事を思いつつ、それでも、帰りにいろいろな話をしたことを思い出しました。

 大学の最寄りの駅に、いつもよりちょっと遅めに着いたのですが、でも、実習を前に気持ちを整えようとして、学食のテラス席みたいなところでコーヒーを飲んでいました。

 2つくらい向こうの席からおそらくチロルチョコみたいな小さい包装紙がふわふわと意思を持っているように上へ飛んで、それからこちらへ向かって飛んで来て、そばに来ました。

 「こわいから、とってよ」みたいな声が聞こえたから手を伸ばして取ろうとしたら、私にかけられた声ではなかったようで、「すみません」と言われ、そしたら、私は、その包装紙に触れることもできずに、伸ばした手の向こうへ流れるように飛んでいき、それから、その先にある、それほど大きくない細い口の燃えるゴミのゴミ箱に入って来ました。

 「すみません」という少しハスキーな声を出していた女性と顔を見合わせて笑いました。かなりの偶然だと思いました。

 学内にあるカウンセリングの相談室の受付の実習がいつものように始まり、来週は補講で休みだ、と思い、予定表を見たら、再来週は入試で休みになっていて、今日が終われば、2週間休みか、とちょっとホッとした気持ちになったのは、疲れているのかもしれません。

 壁にはられてあるカレンダーを見て、実習の回数を数えたりもしたのですが、でも、それが終わるころには、今からさらに半年もたっているわけで、残りの学生生活が少なくなっています。

 そう思うと、後期が始まった9月からの時間の進み方の早さを思い、ちょっと怖いほどで、もう少しゆっくりと過ぎればいいのに、みたいな事を思いました。

 それでも、今日もクライエントさんが来て、紅茶を出して(やっぱり少しでもおいしくと思い、ティーバッグでも少しムラしたりもしました)、電話を取って、伝言を書いて、などとしていたら、時間が過ぎて、その間に課題の事を考えて、そうやっていくうちにさらに時間が過ぎて、スタッフの方々と、少し会話などをしているうちに終わりました。

 学食へ行ったら、同期の4人くらいがいました。みんなとこうして食べたりしている時間も、限りがある、と思って、そんなことばかりを思っているのは、自分だけかも、などとも思い、丼を食べて、アイスを食べたら、その食事に同じテーブルで一緒に食べてくれたのは二人でした。ありがたかった。

 それから、講義で、家族療法をロールプレイで行いました。

 何組かに分かれて、設定を考えて、繰り返します。

 そのたびに、その教授の能力がすごい、と思い、図々しいですが、何十年かかっても無理だ、と思ったりもしました。その先生は、修士論文の指導教授でもあったのですが、やはり、すごい人だと改めて思いました。

 それで時間が過ぎて、最後の講義が終わりました。なんだか、早かった。そして、伝えられた内容が豊富だったのに、身につけられたことがとても少ない、という気持ちにもなりました。

 地下鉄で、途中まで同期の何人かと一緒に帰りました。 

 家に戻ってからは、午前4時過ぎまで介護が続きます。

終わり

1月19日。水曜日。

 今日で、後期の講義が全部終わります。

 実習ゼミで終わるなんて、面白いなと思いつつ、私は担当の先生に恵まれていたと思っています。このゼミの先生が担当した後期の講義も、履修してよかったと思える充実したものでした。

 この1年はけっこう充実してた、と思いますが、その一方で、妻には、何かあると過去に受けたひどい仕打ちに対しての怒りは出ると言われていたので、時間が経っても、そういう気持ちが溶けたりはしないんだとも思っていました。

 一番大変なのは妻だと分かっていても、自分もまだ介護をしている時間にいて、そこに関係する過去への怒りみたいなものはまだあるんだ、と思ったりもします。何か、自分の中で気持ちの整理をするのが、いまだに困難なものだと感じることでもありました。

 大学の図書館へ寄って本を返して、また借ります。学食へ行ったら、3人同期がいました。席を開けてくれて、同じテーブルに座って、私はもう時間がないのでカロリーメイトを食べていたら、さらに同期が来て、「メープルおいしい?」と聞かれたので、一本渡しました。

 にこやかに話をして、実習ゼミへ行って、今日は早めに終わって、新年会なので、という話になり、そこから、タクシーに乗って、ちょっといわくがありげな、ちょっと高そうな店に初めて入りました。

 そこで時間が進み、「仕込み水」などが出て来て、こういうものはここの大学院に来なかったら、知らないままだったかもしれないと思ったりもしました。

 さらに静かに時間は進み、その途中で、実習ゼミの担当だった先生が大学をやめる、というのを知りました。仏教系の大学のせいか、周囲に比較的多いのですが、いつか住職になる人、というのは何となく分かっていたのですが、もう20以上、大学の教員をやっている方なので、まだそれが続くような、少なくとも自分が学校にいる間は、その先生はいるのではないか、と勝手に思っていました。

 だけど、やめてしまう、のは本当のようでした。いろいろとまだ聞きたいことはあったし、それに、何か困ったことがあったら、特にカウンセリングの実習のことなどで、何かあったら、相談させて欲しい、とも思ったのですが、これが最後かもしれないと思うと、何か違う話をしてしまいました。

 この先生がいてくれて、いろいろと話を聞いたおかげで、臨床心理士という仕事をやろう、というような気持ちに改めて思えるようになりました、みたいな事を伝えました。なんだか少しセンチメンタルな事になって申し訳ないとも思いましたが、今話さないと、次の機会はないかもしれなかったからです。

 この先生がいなくなったら、大学の雰囲気が変るのでは、と別の先生が言っていたように、確かに、この先生の持っている空気みたいなものがすごくいい影響を与えていたと、私も思っていたので、生意気ですが、残念に思いました。

 ただ、去年、大学院に入れて幸運だったと改めて思えました。こうした優れた臨床家と、1年だけでも、同じ場所で学べたからです。また、これからも、真っ当でいないといけない理由が増えました。

 それでも、今日も帰ってからは、介護が続きます。




(他にも、介護について、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




#介護相談       #臨床心理士   #臨床心理学専攻
#公認心理師    #家族介護者への心理的支援    #介護
#心理学    #社会人大学院  #講義 #勉強会
#社会人入学   #介護   
#私の仕事  #大学院 #社会人入学
#家族介護者   #臨床心理学   #介護者相談
#介護負担感の軽減    #介護負担の軽減
#家族介護者支援    #在宅介護
#家族介護者の心理   #介護離職
#心理的支援への理解   #認知症 #認知症介護
#推薦図書 #あの選択をしたから
#介護施設 #学問への愛を語ろう
#臨床心理学   


 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。