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「介護時間」の光景(57)「ペットボトル」。5.13.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

 この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2007年5月13日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

自己紹介

 元々、私は家族介護者でした。
 介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、そのうちに自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 分不相応かもしれませんが、介護をしながら、学校へも通い、2014年には、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護相談も続けることが出来ています。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。


 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2007年5月13日」のことです。終盤に、今日、「2021年5月13日」のことを書いています。

2007年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあり、そのことも原因で私自身が心房細動の発作を起こし、これ以上無理すると死にますよ、などと医師に言われ、毎日、心臓の薬を飲み続けていましたが、まだ時々、めまいを起こすようなこともありました。

 そのせいもあって、うつむき加減で、次の病院に移っても、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。母も転院後、急になんの前触れもなく、症状が悪化したり、また回復したりを何度か繰り返しているので、自分が通っても、意味があるか分からなかったのですが、病院へ行かなくなって、症状が戻らなくなったら、と思うと、怖くて、とにかく通っていました。

 そんな時期を過ぎ、母の症状は安定し、病院への信頼が高まってしばらく経った、2004年の頃、母はガンになりました。手術もし、一時期は症状も落ち着いていたのですが、2005年に再発し、もう積極的な治療もできなくなりました。

 その後は、外出も増やし、旅行へも行きました。
 ただ、2007年の春頃は、明らかに体調が下がってきていました。
 覚悟をしなくてはいけないようなことを病院のスタッフから言われるようになってから、さらに時間が経っていました。

 そんな頃の記録です。

2007年5月13日。

『今日は、妻と一緒に在宅介護をしている、義母の介護保険の介護認定の調査の日。
 どうして、何度も何度も、するのだろう。
 こちらも嫌だし、予算もかかっているのに。

「5秒立てるかどうか」というような確認。
 実験ではないし、5秒立てたからといって、何かが変わるわけではないのに。 
 誰が決めたのか知らないけれど、いらだつ。

 結果が出るまで、また、すごく憂うつになる。

 それから出かけて、午後4時頃に病院に着く。
 婦長さんに、リンゴジュース飲ませてもらったらしい。
 母は、今は、ほとんど言葉が出なくなってしまった。体が、かなりしんどいようだった。

 時々「おー」というだけだ。夕食も、飲み物だけは飲むけど、他には、ほとんど食べないのだけれど、30分くらいかける。

 「いー」と言って、手を動かそうとして、そのたびに、足をさすったりもしているけれど、どうしたらいいのか、よく分からない。ただ、どうやら「かゆい」らしいから、その場所を、なんとか聞こうとして、そして、さすっていく。

 午後7時までなのだけど、なんだか、不安で、大丈夫かと思いながら、少し遅くまでいた。
 もう相当に、体調が、よくないのはわかる。

 トイレに連れて行くのも、もう、あまり動けず、だから、部屋にポータブルトイレを置かせてもらって、そこに座ってもらうようになっている。ただ、本人が足に力が入らないから、移動するだけで、とても重い。

 いつもよりも少し遅い、午後7時30分頃に病院を出る。

 病院の送迎バスは、もう出てしまっているので、普通のバスに乗る。
なんとなく、孤独な感じがする』。

ペットボトル

 電車のドアのところに立っている若い女性。
 ファションにかなり気を使っていると思われる服装。
 ケイタイを片手で見ながら、同じ高さにもう片方の手でペットボトルを持っている。
 エビアン。ほとんど飲んでいないような分量。そのボトルの肩といっていい位置がへこむようなカッティングになっていて、そのせいか、ペットボトルの水の中に、窓の外の景色が小さくはっきりと映っている。

 電車が走っていて、その流れと逆に、逆さまの像となって流れている。変形の万華鏡、みたいな感じがしてキレイに見えた。持ち主の女性は、ケイタイを見ている。

                    (2007年5月13日)


 2007年5月14日。この日の、翌日の朝、病院から電話がかかってきて、すぐに駆けつけた。少したって、母は亡くなった。

 それからも義母の介護は続いたが、2018年の年末に義母が突然亡くなり、介護も終わった。


2021年5月13日。

 毎年、母親の命日は、近くなると、思い出す。

 この時期に、お墓のあるお寺の「おせがき法要」があって、毎年、御塔婆だけは立ててもらうので、その御塔婆料を持参するためにも、お墓参りをするので、5月14日の命日近辺に行くようにしている。

 今年は、昨日にお寺に行き、墓参りをした。
 特に熱心に信仰しているわけでもないのに、花を供えて、線香もあげて、墓石を少しきれいにして、水をかけ、手を合わせて、最近、身内にあったおめでたいことを、報告していた。

 それから実家に行き、庭木を高枝切りバサミで少し整えたり、草を抜いたり、窓を開けて、空気を入れ替えた。人が住まなくなってから、随分と年月が経つ。テレビアンテナも、台風などで飛んだりすると怖いので、すでに取り外してもらっていた。
 
 家の機能としては、かなり低くなっている。

雨の一日

 昨日、出かけたのは、天気予報を見て、今日は雨だったからだ。

 その通りに、夜中から降り始めて、途中で小雨になったり、止んだような感じになったりもしながら、ずっと雨は降り続いていた。

 コロナ禍で、なるべく外出をしないようにしているせいもあり、今日は、家にいて、録画していたテレビ番組を妻と一緒に見て、笑ったり、思い出したことがあったら、途中で再生を止めて、そのことについて話をしながら、静かに時間が流れていた。

 穏やかに楽しい日だった。

ピース

 大きい変化もない一日だったのだけど、庭に出て、ご近所の庭にバラが咲いているのは見た。ちょうど、うちからも見える場所に咲いていて、通りがかった人に尋ねられたことをきっかけとして、妻が「ピース」という名札をつけた。

 柔らかな黄色い花は、ずっと雨が当たっていても、当たり前だけど、変わらずに咲き続けている。

 その庭に咲いているバラとしては、これが最後の一輪と、妻に聞いたが、そんな孤独な感じもなく、華やかさがある。

 今日も感染者は多く、家にいる分にはいいのだけど、外は怖くなる。



(他にも、介護のことで、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでくださると、うれしいです)。



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