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「介護時間」の光景㊻「くだもの」。2.17.

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。よろしかったら、「2007年2月17日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。

自己紹介

 元々は、私は家族介護者でした。介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 ただ、そうした支援をしている専門家がいるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思い、介護をしながら、臨床心理士の資格を取りました。

(詳細は、下記のマガジンを読んでいただければ、ありがたいです)。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 特に、仕事もやめ、母の入院する病院に通い(リンクあり)、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けている時には、将来のことは、1年先のことさえ考えられなくなり、ただ、毎日の、目の前のことだけを見るようになっていました。

 そのためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。

 今回も、古い話で申し訳ないのですが、前半は、14年前2007年2月17日2月18日のことです。
 終盤は、今日のこと(2021年2月17日)を書いています。

 同じ日付の、違う年の出来事を並べることで、家族介護者(今は元・家族介護者ですが)の変化のようなものも、少しでもお伝えすることができるのではないか、という気持ちもあります。(今回は、例外的に2007年のことは、2日間の出来事を記しています)。

 介護に専念している頃の方が、毎日のように、よくメモをとっていました。その時の記録です。

2007年2月17日。

3年前(2004年)に、母にガンが見つかり、手術をして、一時期は、抑えられていたのに、その後、再発してしまった。もう年齢もあるし、手術もできない、と言われた。そのあとは、定期的に様子を診てもらうために、いつもいるこの病院ではなく、手術を受けた外科医がいる病院に定期的に行って、診察をしてもらう日々が続いていた。

 もう、あとどれくらいなのか、分からない。なるべく実家への外泊や旅行へ連れて行くことぐらいしかできない。母が病気になってから、一時期は、病院に通うペースが落ちていたのが、また増えた。ほぼ毎日、週に5日は来るようになっていた。

 少しでも楽しい時間が増えれば、少しでも悪くなるスピードが落ちるかもしれない、などと、希望が少ないことを思っていた。

 そんな中でも、旅行に行けた。昨年夏は箱根に行けて、2月は熱海に行くことになっていた」。

くだもの

 病院のそばの2車線の県道。ここを渡ると、あと少しで病院に着く。
 バスも走っているし、クルマも通る。周りは畑や林ばかりだけど、けっこう交通量は多い。
 その道を軽トラックが走っていく。近づいて、通り過ぎる時に、運転している男が、リンゴを皮ごとかじりながらハンドルを握っているのが見えた。
 荷台には、レモンガスのボンベが積んであった。

                     (2007年2月17日)


その後、すぐに病院に着いて、そこから、母と一緒に旅行に出かけた。私と妻と弟と4人だった。
 
 母を連れて、熱海旅行。

 部屋割りから旅行代理店に相談して、そこから旅行のプランを立てた。
 母親が寝る部屋はベッドがあって、トイレにも近く、その部屋の隣はふすまで区切ってあって、二人ほど眠れる部屋があること。そうであれば、私と妻の二人で交代で、夜中に起きていて、母親がトイレに行く気配で、自然に連れて行けることになるからだった。

 ぜいたくだけど、部屋に温泉もついていれば、妻と私もいるから、母に温泉に入ってもらうこともできる。弟は別の部屋を取った。そうした部屋に泊まれることが最初の条件で、今回は、熱海に旅館を見つけられた。

 私は午前5時まで起きて、そのあと妻に交代してもらい、午前8時には起きて、一緒に朝食をとらなくてはいけない。旅行だから、母も含めて食事をとるのは大事なイベントだった。

 夜中に起きていて、そして、ほとんど変化のないはずの夜景が、夜の海がめいっぱい見えるだけで、疲れがとれるとはいえないけれど、つらさが減るのは本当だった。景色のいい部屋。それが、かなり重要なポイントだと改めて分った気がした。

 母も、その景色の良さをかなり気にいって、また来たいとまで言っていたのだった。その夜景の中、山の上、なんだかガラス張りの大きい建物があると思ったら、それが、明日行く予定のMOA美術館のようだった」。

2007年2月18日。

美術館の入口にまでタクシーで来て、すぐにエスカレーターがあった。
 思った以上に長いエスカレーターなのに、何度も何度も乗ることになり、母はよろよろし始めていて、バブルの頃には、ここで豪華な映像や音楽をやっていたのかもしれないが、今日は小さな楽器の演奏会みたいなものをホールでやっていた。

 もういくつもエスカレーターを乗り継いで、何百メートルも来ているはずなのに、まだエスカレーターを登らなくてはいけなくて、そして、嫌になって、さらにもうかんべんしてくれ、という気持ちを通り越したあたりで、やっと着く。

 あとになって、本当は違う入り口にタクシーを止めれば、もっとすぐに美術館の展示室に行けるのを知った。だけど、入り口からのエスカレーターが“豪華”とも聞いていて、母親も興味を持っていたから、このコースを選んだのだけど、こんなに距離があるのは誤算だった。

 妻の調子もよくない。
 あとは、母が倒れないか、気持ち悪くならないか、とエチケット袋を持って、気が気ではない感じで、展示を見て回っていた。
 熱海にしたのも、母がこの美術館に来たいと言っていたのと、尾形光琳の絵が見たいという希望があったからだった。

 それでも、紅白梅図屏風だけは、少し時間をかけた。
 4人で一緒に見て、いったん通り過ぎて、別の場所で妻に母を頼んで、また引き返して、一人で見た。
 梅が何だかうまかった。だけど、写真などで見るよりも軽い感じがした。枯れている、というか古い方の梅も、なんだか軽い感じ、たとえてみれば、イラストっぽい感じがした。

 だけど、全体で見ると、何だか、変だった。
 真ん中の川は、黒くて、そして抽象化されたデザインのはずなのに、すっきりとしているわけでもなかった。そして、考えてみれば、両方の梅が写実で、真ん中が抽象だから、アニメと実写がまじった感じが、平気で一枚の絵の中にあるわけだから、妙な感じがする。

 この絵は有名だし、教科書などでも見ているはずだから、美術が嫌いだったといっても知らないうちに、『日本の絵の代表の一つ』だと思っていた⋯そして、自分自身が無知だから、『こんな絵ばっかりなんだろ?』みたいな気持ちにもなっていたような気がする。

 だけど、少しは詳しくなった知識で振り返ると、こういう絵は、その前にはないだろうし、その後にもないだろう。これを真似をしたら、すぐにばれそうだし、と思えた。

 だから、橋本治の、この絵について書いた文章。決して器用でも才能豊かでもないこの画家が、これを仕上げた時に『なんだか知らないが、オレはやったな』と思ったのではないか。ということが本当にそうではないか、と感じられた。そういう絵だった。変にも見えるけれど、なにかを感じる。という抽象的な感想が正解のような気がした。

 見てよかった。
 私が、一人で見ていた時間は、数分のはずだったが、その間も母は、私のことを『どこ行ったの?』と不安そうだったと、妻に聞いた。

その日の夜に、また病院へ戻った

無事に旅行に行けて、よかった」


 2007年5月に母は病院で亡くなった。


2021年2月17日

 天気はいい。
 空は青い。

 最近、うちにとっては「リビング」のような役割をしているコタツのある和室のエアコンが、スイッチを入れても、2つのランプが交互に点滅するようになり、動かなくなってしまった。

 修理、もしくは買い替えが必要なのだけど、その前に、部屋の整理や掃除をしなくてはいけなくて、今のところは、片付けが本当に苦手な私に変わって、妻が少しずつ整えてくれている。申し訳ない。

 コロナ禍で、外出をなるべく少なくする毎日は続いている。

 それでも、毎月の「介護相談」」のボランティアは、カフェのオーナーのご協力のおかげで、今年で8年目を迎えている。

 ずっと毎月第4木曜日で続けてきた「介護相談」が、いろいろな事情により、今月から毎月第4月曜日に変更しているが、そのために、カフェの前に掲示してもらっているチラシや、店内に置かせてもらっている小さいチラシも、その変更に伴い、新しく製作したりする必要が出てきた。その作業も全て妻にお願いしている。これも、申し訳ない。

 午前中に、妻は、その作業をしていた。
 そして、午後には、体を動かす時間を一緒に過ごすことになった。

 最初は、テレビで見て覚えた、短い時間で負荷を逃さないように行う腹筋3種類。
 妻は慣れていないせいか、頑張っているのに、急にスイッチが切れたように動きが止まることがある。

 その後、外へ出て、家の前の道路で、フットサル用のボールだから弾みが悪くて、ちょっとやりにくいのだけど、それを使って少しボールを蹴ってパスを交換したり、リフティングをした。

 最近、妻は、「ボールを蹴ることが、ちょっと楽しくなった」と言ってくれて、それは、私にとっては、かなりうれしいことだった。

 そのあと、これも、テレビで見たバーピートレーニングをしてみたら、二人とも30回に届かずに挫折をして、それから縄跳びをして、全部のメニューが終了した。

 それから、着替えて、おやつにチョコパイを食べて、テレビを見た。

 時々、何をしているのだろう、と無力感に襲われることも少なくないのだけど、この時間は楽しかった。



(他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでくだされば、うれしいです)。



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