いつ自殺してもいい様に。
なんかnote毎日投稿して今日で46日目だけど、ここに来て今までで一番の壁にぶつかっている。完全にnoteを書く気力がどんどん無くなっている音が聞こえるのだ。何故かが未だに分からない。あんなにも承認欲求を満たしたいと思っていたのに、その気持ちもどんどん無くなっていく。noteの為だけに外に出て家から歩いて30分程掛かる海岸まで行きサムネ用の写真を撮ったりなど、noteという自分発のプラットホームに魅力を感じ、皆んなの反応も思ってた1億倍良かったりなど、今の自分を全て肯定する場所を自分で作れた気がして投稿初期は本当に毎日が輝いていた。だが今は日常生活の中で見える様々な景色を景色だと思えず、情景を情景だと思えず、自分の書いた文章を面白いとも思えず、心がどんどん廃れて行く音しか聞こえなくなった。お風呂に入って爆音で自分の好きな音楽を掛けてもガラスに反射して写る見窄らしい自分の体を見て悲しくなるだけ。お金が無いからとnoteで一度有料短編小説を投稿してみたが1人も購入者は現れずに、「バイトしかないのか。」と現実を知ったからその為にもnoteを毎日投稿して皆んなに「かきくけコラムニストの文章って面白い!」みたいな感想を抱いて貰ってまたいつか有料記事を出した時に購入してもらうようにしたい。けど気力が無い。多分お金とかでは無く単純に鬱っぽくなって来ているだけだと思う。何もかも面白いと感じない。日々の生活の音を過剰に嫌がる。父の行動を見過ごせない。2年前に発症した時と全く同じ状況になっているのだ。あの時は高校一年生になって2ヶ月で不登校になった後の夏休みの時期で、久しぶりに中学の時の友達とも遊んだり楽しい事もあったが、無意識に涙が出る体にもなった。だから家族と上手く会話が出来ないし、先程も言ったが、何もかも面白いと思わない体にもなっていたのでずっと部屋に閉じこもって寝るか、泣くかの2択だけの生活をずっとしていた。夏休み終盤にあった僕の誕生日の日も食欲が無さ過ぎて初めてケーキを一口も食べれないという事件が起こり、その所為で母が号泣したのだが父はいつもの様に唐揚げや油で揚げたポテトやピザや三ツ矢サイダー入りフルーツミックスなどの誕生日仕様の豪華なおかずをバクバク食っていて、それを見て母が「コラムニスト(仮)がケーキも食べれないって言ってるのよ!!なのになんであなたはそんなにバクバク食べてるのよ!!ちょっとはコラムニスト(仮)の事も考えてよ!!」と父に激怒して、父も怒り出して、僕の所為で僕の誕生日の日に僕の前で両親が大喧嘩をしてしまった。僕は急いで部屋に戻り本気で自殺を考えた。自分が今までしてきた行動はいつも誰かの犠牲を伴うもの。それが辛くて苦しかった。だからと言って直ぐに改善出来る問題でも無く、ADHDやASDなどの生まれ持った特性の所為で無意識的に起こってしまうので対処が本当に難しい。(いつも怒られてから気付く)またコンサータみたいな精神薬を投与する生活をしたいかと言えば、父(ADHD.ASD.躁鬱.強迫性障害持ち)の薬を飲む時の罪悪感しか感じない顔と副作用で暴れてボイラーに貰った薬を全て捨てる場面などを見ていると、精神薬を投与したいなんて1mmも思えない。(多分僕も父みたいになるから)だから死のうと思った。取り敢えず倉庫にあった汚いロープを持ってきて部屋の常に見える入口付近に置き、「次死にたいと思ったら、これで死のう。」と書いた紙をロープの上に置いた。そしたら毎日朝起きて冷凍唐揚げおにぎりを食べようと部屋を出る時にその紙を見て、何故か安心している自分がいた。「自殺という可能性が無かったら、私はとうに自ら命を絶っていただろう。」この言葉はシオランという悲観主義(かなりネガティブな思想)を代表する哲学者が言った言葉で、いつでも逃げ出せる状態でいる事で逆に余裕が出来てその物事に上手く取り組めるという考えの事。これを先程の紙を書いた後にYouTubeでニーチェの動画を見る→悲観主義をwikiで調べる→シオランを見つける→この考えを見つける。という流れで発見して強く共感した。そこから哲学に興味を持ち始めた。(これが京大文学部に進学したいと思った一つの理由)その事をついさっき思い出した。このnote毎日投稿活動も「いつでも逃げ出せる」という状況を常に維持する事で今日の46日目まで続けることが出来た。だから「明日も絶対note書くぞ!」とかじゃ無く「まあ、いつ辞めてもいいからな。」ぐらいのテンションで日中は過ごして、夜になったら思った感情をぶつける。ただそれだけ。けど僕の文章が好きな全ての人の為でもあるよ。皆んな大好き。
両親は宗教に逃げて、
姉はSEVENTEENに逃げて、
兄は車に逃げて、
僕はnoteに駆け込む。
繋がっている様で
繋がっていない。
それぐらいが丁度良い。