家庭持つなんてダサイぜって夢追ってたらいつの間にか周りがみんな子連れになってたなんて話、日常茶飯事だよね。驚きもせんわ。敗北に慣れてない人達がわめいてるだけ。みっともない。
吉野家コピペの主人公は女子供はすっこんでろとか言ってるけど実際自分がオタクで、そこにいる親子連れに対して明確に敗北者だって事を解って言ってるよね。
その負け犬の遠吠え感がまたおかしさを呼んでる。
読んでる人もオタクが騒いでるよwって見下してるから面白いんですよ。
でも今回ギャオってる人達は自分が敗北者であることを認めたくないし社会が自分達を負け犬として扱い始めた事に強烈な憎しみを抱いてる。オタクみたいに見下されたくない。
そういうフィクションじゃない本物の怨嗟が混じってるから重い。
この現象は35年くらい前に「クロワッサン症候群」って名前が付けられてる。
なんか言葉としては知ってたけど「これが、あの!」っていう感動はちょっとある。
雑誌やメディア、有名人や作家の真似をして、我こそが時代の最先端を行くバリキャリ勝者様であるって周りの子蟻を見下してたらいきなり梯子外されて、社会が自分達を敗北者として見下し始めたらまあその憎しみと恨みはさぞ深かろう。静まり給え。
本当に可哀そうな人って笑えないんですよね。障害者とか貧しい外国の人みたいに。
この地に塚を築きあなたのみたまをお祭りします。
恨みを忘れ静まり給え……
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でもさ、家庭持つなんてダサイぜって夢追ってたらいつの間にか周りがみんな子連れになってたなんて話、アート・スポーツ・音楽の世界じゃ日常茶飯事だよね。珍しくもない。
お店が子蟻をターゲットに方針転換っていっても、親友だよっていってた友達が子供産んでから独身とは遊んでくれないみたいな事でしょ。なんなら何回か経験してるんじゃないの?
だからさ、本当は驚きもせんわ。敗北に慣れてない人達がわめいてるだけ。みっともない。
被害者意識も攻撃反応もヒステリも、全部みっともない。
自分の意志で未来を捨てたのなら未練も後悔もないはずでしょ。堂々としてればいい。大好きな「嫌われる勇気」でしょ?サバサバしてればいいのに。
結局自分の意志で人生を捨てなかったからなんですよ。
誰かに捨てさせられたって思ってるから。
騙されたって思ってるから攻撃する。
メディアや他人が無責任に吐き出す言葉に乗せられて、未来っていう一番大切なものをなんとなくで捨ててしまった罰ですよね。甘んじて受けるべき。
あとは、自分が選ばなかったほうの選択肢が、そんなに幸せであっていいわけがないっていう感情。
自分の決断が間違いだったって突きつけられてるみたいで辛いんでしょ。
育児や家庭を築くことの大変さや面倒くささが嫌でこっちの道をえらんだのに、子蟻が社会から優しくされるなんてずるい。みたいな。
このずるいっていう感情はあんまり理解できないけどね。
「人生を懸けた計画が失敗するなんて別に普通のことではないか」
ほんとこれ。
失敗のほうが普通なんですよ。いちいちわめいてたらキリがない。
最初の想定通り生きて行けばいいのに。流されすぎ。
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どうすればいいかって、別に新しい店見つければ良いだけですよね。
店を攻撃しても仕方ない。明確に「お客様のライフステージが」って言われてる。もう客じゃないんですよ。確定事項だから。次の場所を見つけよう。
独りで静かに飯食う店なんて金さえ出せばいくらでもあるでしょ。そりゃちょっとは高いかもしれないけど、子供に掛かる金に比べたら屁みたいなもん。
なんならそれこそ吉野家でも行ったらいいんじゃないかな。
ネギ一杯入れてもらえばヘルシーだし。
次から店員にマークされるかもしれないけど。
ま、お前らド素人は、牛鮭定食でも食ってなさいってこった。
おしまい。
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