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最期を支える人々  −母余命2ヶ月の日々−

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#看護師

2015.6.24「ご主人と妹さんも」

 ケアマネジャーから、介護認定調査の結果、母は「要支援」になりそうだと連絡があった。介護認定は大きく「要支援」と「要介護」のふたつに分類できるのだが、「要支援」になると地域包括支援センターと本人とが契約を結び、ケアマネはセンターの委託を受けて動くことになるらしい。なんともややこしい制度である。

 サービス手配のためになるべく早く契約を結ぶ必要があるとのことで、地域包括支援センターに電話をすると、

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2015.7.13 「病院で挑戦したい。」

 がん相談室を出て、病室に向かうと、母は既に飲み薬の抗がん剤に挑戦すると決めていた。「家でも大丈夫かな。」と聞くと、「治療は病院でする。終わったら家に帰る。」と言った。

 病室に病棟師長が訪ねてきて、私と話したいという。面談室で二人になると「昨日は厳しいお話を聞かされたと思います。大丈夫ですか。」と労ってくださった。私が見舞う前に母の意思を確認したようで、私の意向を確認したいとのことだった。本人

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2015.7.18 「何でもいいのですよ。」

2015.7.18 「何でもいいのですよ。」

 退院が決まった。もとより離れて暮らす私がひとりで介護できるわけがない。あらゆる在宅サービスを利用して母を支えるチームを作り、乗り切っていこうと考えていた。すでにケアマネジャーとは連絡を取り合い、24時間の看護、介護体制を整える準備を進めていた。

 なかでも食事が療養の要だと思った。食事で体力を回復させることを期待している母、そしていずれ食欲が低下していく母にどんな食事を用意すれば良いのか想像も

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2015.7.21 「食べられていますか」

 自宅で過ごす母を支える体制を整えるには、病棟からの情報では足りなかった。いまどうしているかではなくて、どんな能力がどの程度のスピードで落ちていくのか、そのことで何が起き、どんな準備が必要なのかを知りたかった。

 再び、がん相談窓口に向かった。専門看護師に「亡くなる日まで、食事と排泄の能力がどう落ちていくのか知りたいのです。」と聞いた。スピードは人によるが、能力は段階的に落ちていき、その都度、で

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2015.7.23 「24時間、駆けつけます。」

2015.7.23 「24時間、駆けつけます。」

退院を2日後に控え、夜間対応型訪問介護の随時訪問を行う会社と契約を結んだ。

 ひとりで寝ている母に何かあったとき、本人が通報し、対応がされる体制が必要だった。いずれ、排泄に介助が必要になったときの準備でもあった。本人に意識があるうちは、「排泄の失敗」と「安易なおむつの使用」は避けたかった。それは生きる気力を奪うと思うからだ。

 通報は、固定電話に接続された送受信機を通じて行う。ボタンを押すとオ

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2015.7.28 「娘さん、大丈夫ですか。」

 訪問看護ステーションからの来訪初日。看護師は母が病気をどう理解しているか、どう過ごしていきたいかを丁寧に聞き取り、訪問計画をまとめた。母は、病気と病状の知識を持ったひとと話せることを、心強く感じたようだった。

 最後に、看護師が「娘さん、何かご質問はありますか」と声を掛けてくださった。耳学問で、訪問看護師はいつでも電話一本で駆けつけてくれることを知っていた。でも、どんなときに電話したらよいのか

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2015.8.12 「安心のために」

 母から「口から血がでてきた」と携帯メッセージが届いた。驚いた私は緊急通報のボタンを押すようにと電話をして実家に向かった。

 私の到着前に、ヘルパーが駆けつけ、ケアマネジャー経由で訪問看護師にも連絡が届いた。

 血を見ると不安が増幅する。母はうろたえていた。主治医に確認すると、大量の吐血は考えにくいが、じわじわとした出血は続くという。「24時間看護師が傍にいる」という環境が必要なタイミングが迫

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2015.8.18 「体に力が入らない」

ベッドから食卓まで歩行器で移動していたが、3日前の朝、「体に力が入らない」と訴えた。機転の効くヘルパーがベッドから椅子に母を移し、椅子ごと食卓まで運んでくださった。

 2日前には、ポータブルトイレの蓋を開けられなくなり、開けっ放しにしてほしいと言った。

 薬を飲み込むのが負担になって、服用せずに残すことが増えてきた。寝返りがおっくうになり、同じ姿勢で寝ている時間が増えた。

 こうして、毎日

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2015.8.20 「家族に言えないことを」

 介護保険を利用していると、1ヶ月に1回、サービス提供をしている関係者と家族が集まって会議が開かれる。退院後2回目の会議を翌日に控え、助けて欲しいことをメモにまとめた。

 看護師には、医療面でのヘルパーや家族の支援、清潔の確保、介護手法の提案のほか、本人の精神的な支えとして以下の点をお願いした。

・ 症状に対する本人の理解を助ける

・ 誤った知識による無用な不安を取り除く

・ 家族に言えな

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2015.8.28 「のどを通らない」

 1/4に砕いた薬も、のどを通らなくなっていた。体の痛みは増し、起きたり、トイレに移ったりするときにも痛みで顔をしかめた。

 母は「じっとしていれば痛まないから」と言うが、動くときに痛むなら薬を増やした方がよいと医師は判断した。この日から、体に貼る痛み止めと舌の下に入れて溶かす痛み止めとを使うことになった。同時に、看護師には毎日訪問して様子を見てもらうことになった。

 体に貼る痛み止めは、朝、

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2015.8.30 「そろそろですか」

2015.8.30 「そろそろですか」

 私 「また明日ね」

 母 「明日会えるかなぁ」

 私 「大丈夫、また会えるよ。おやすみ」

大丈夫の確信がないまま、交わしていた言葉。

 「2ヶ月」が近づいていた。母がうとうととする時間も増えている。看護師を見送りながら「そろそろですかねぇ」と聞いた。彼女は「そうですねぇ」とうなずき、一呼吸置いて言った。

 「娘さん、私たちの経験では、お一人で息をひきとる方は、ご自身がそれを選んでいるっ

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2015.9.3 「背中をみていたから」

 緩和ケア病棟への強い拒否を示した母は、翌日、信頼する訪問看護師に相談したようだった。

 その日のメモが残っている。

 —入院については、どうしようかとても悩んでいる、こんな体になって悲しいとおっしゃっていました。緩和ケア病棟と自宅のメリットデメリットをお話しています。その中で、少しでも気持ちが傾く方へ決めていいですよとお話しています。−

 その日私が行くと、母は「今日は看護師さんとよくしゃ

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2015.9.4 「動きたい」

 入浴の日。思うように体が動かなくなった母は、珍しく、「お湯につかっている間は、浮力があるから楽だわ」と嬉しそうにしてした。

 入浴後、仙骨付近に貼ってあるフィルムを交換する。床ずれの初期段階である発赤と擦り傷を悪化させないよう、看護師が貼ったものだ。

 床ずれは、一般的には「体を動かさずにいて、同じところに体重がかかり続けるからできる」と考えられている。けれど、母の様子を日々観察していると、

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2015.9.7 「頑張ってきたから」

 その日、私は東京の自宅で過ごしていた。夕刻、看護師さんから電話があった。いまとなっては、その内容を詳しくは覚えていない。

 いよいよです。とか今日が峠です。とかいった、ドラマで聞いたような言葉では無かった。いつもの通り穏やかに、ヘルパーからの連絡で予定外の訪問をしたと告げ、「これからこちらにいらっしゃるのは難しいですか。もし都合がついたら、お母さんの元に行かれた方がいいと思います。」その声に緊

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