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過剰な空間と過剰な関係をもつこと
初等教育の1番の課題は子供の過剰性をカットすること。と、いきなり書いたけれどいきなりこう言われてもあれですよね。
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つまらない、退屈だ、というあの途方もない感覚。生きているのか死んでいるのか分からない感覚。目が開いているのか開いていないのか分からない感覚。そういうのを克服するのが過剰な空間と過剰な関係を持つことにある。これは宮台真司のまったり革命とか終わりなき日常を生きろとかの言い換え(
つまらなさ=入れ替え可能
つまらなさの根源の一つに入れ替え可能性がある。平たくいうと「自分でなくてもいいんだ」という感覚のこと。ここにいるのは〈わたし〉でなくてもいいんだ、という感覚はつまらなさ、やるせなさを誘発する。条件的承認と全面的承認はこの文脈において峻別される。「あなたは顔がいいから/金があるから/地位があるから…私はあなたを必要とし承認する」という条件的承認において「それって私じゃなくてもよくない?」を誘発する
もっとみる勉強・モテ・死ぬこと
勉強が出来ることとモテることはどっちの方が大切か?これは子育て論に繋がる。子供を自習室に幽閉して学歴で武装して社会という荒野を生きさせるか、同性・異性関係は元より、国籍、年齢というフィルターを超えて関係性を築けるモテる奴にして社会という荒野を生きさせるか、ということだ。理想は勉強も出来てモテることなんだけれど…。大体の親は勉強させとけばokと考えるけど、沈没する船JAPANで特等席を取ることにど
もっとみる角度の変更・真面目さ
学校にいる間は真面目さというのが本当に大切になる。真面目であればあるほど評価され表彰される。真面目であれば、先生に褒められ親にも喜ばれる。逆にそうしないと学校に居場所がなくなってしまう。
しかしね、真面目であるということを別の言い方をすると、真っ向から向かい合うということになる。実にいい響きに聞こえるけれど、これが多くの苦しみとかの源になる。真っ向から向かい合うとき、つまり自分に対峙する何かー
在り方のラフスケッチ
1.導入、掴みとして
そこに2つの生き方があるとしたら、あなたはどちらをたぐい寄せたいだろうか。いろんな装飾を端折っていうと、こういうこと、つまり、ひとつはツマラナイ在り方、もうひとつはワクワクする在り方。これじゃなにをいっているのかさっぱり不明なのでいろんなパラフレーズ(言い換え)と経験をもとにスケッチしていこう。ツマラナイ在り方とはどういうことか、それは社会が採用する価値を過剰に取り込
100%の人間関係はない
100%の人間関係はない。
100%の人間関係とは100%彼とは友達だ、とか100%彼女は恋人だとか100%彼ら、彼女は家族だとか、そういう感じ。僕は言葉が独り歩きして本来ある姿を台無しにってしまうのが大嫌いな人間なのだ。
僕の基本的な世界観はというか価値観はグラデーションの上で現実を知覚するというものなのです。その正反対にあるのが言葉で現実のクオリアをロックして0or100で現実を捉える