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自由に何かを書ける場所としてのnoteにしたい。 飲み込まれることも飲み込むこともなく…

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自由に何かを書ける場所としてのnoteにしたい。 飲み込まれることも飲み込むこともなく書くこと。 二十歳の遊び場。

最近の記事

過剰な空間と過剰な関係をもつこと

 初等教育の1番の課題は子供の過剰性をカットすること。と、いきなり書いたけれどいきなりこう言われてもあれですよね。 *  つまらない、退屈だ、というあの途方もない感覚。生きているのか死んでいるのか分からない感覚。目が開いているのか開いていないのか分からない感覚。そういうのを克服するのが過剰な空間と過剰な関係を持つことにある。これは宮台真司のまったり革命とか終わりなき日常を生きろとかの言い換え(パラフレーズ)となる。過剰な空間とは最もイメージしやすいのは贈与が行われる空間で

    • 非日常・感謝・濃密さ

       知らない世界を見せてくれる人が魅力的。これまで普通(だと思って)過ごしていた日常世界の外側を知っている人はそれだけで輝く存在になる。非日常に触れる時、それは単純な日常との反転という意を超える。日常が非日常を意識する時、非日常は日常を想定しない。ほんとうは全て混沌の中にある。意識が快適に過ごせるように日常は設定される。ほんとうは、非日常は日常の外という、非常性を超えたものなのだろう。日常が一つの意識的に固定化された非日常であることにいつか気がつく。日常で現実の色彩を脱色しない

      • テンポ・抜け道・気持ちよさ

         適切なテンポで動くこと。この動くというのは身体的・物理的なものというより何か人間に、物事に向かい合う時全般に言えることなんだろう。まず、自分が“気持ちいい”と思えるスピード感、テンポ感を探ること。そしてその気持ちよさを忘れずに繰り返すこと。そうすると脳みそが覚えて勝手にやってくれるようになる。僕たちはもっと気持ちよくなっていい。  突発的に聞こえるかも知れないけれど、教育とは気持ちよさの排除だともいえる。これまで走り回って叫び回って気持ちよかった子供という存在を適切な労働資

        • つまらなさ=入れ替え可能

           つまらなさの根源の一つに入れ替え可能性がある。平たくいうと「自分でなくてもいいんだ」という感覚のこと。ここにいるのは〈わたし〉でなくてもいいんだ、という感覚はつまらなさ、やるせなさを誘発する。条件的承認と全面的承認はこの文脈において峻別される。「あなたは顔がいいから/金があるから/地位があるから…私はあなたを必要とし承認する」という条件的承認において「それって私じゃなくてもよくない?」を誘発する。なぜって、自分より顔が良くて/金があって/地位がある人間は腐るほどいるからだ。

        過剰な空間と過剰な関係をもつこと

          ワクワク/ツマラナイ・労働・心/行動・愛とロールモデル

           僕が小学生の頃、昼休みはサッカーやらドッジボールをしていた。昼休みが始まる前のあの胸のときめき、ワクワク感は何年経っても忘れない。  好きな子をなんとかデートに連れ出して、手を繋ぎ…のときめき、ワクワク感は半端ではない。  そういう内側から湧き出る強い衝動に近い感情を基礎に生活を設計することはできないだろうか?しかし、この強い感情は他者を媒介として引き起こされる。一人でサッカー、ドッジボール、デートは出来ない。楽しくない。そこに異なる者がいて、同じ空間を共有し、体験している

          ワクワク/ツマラナイ・労働・心/行動・愛とロールモデル

          勉強・モテ・死ぬこと

           勉強が出来ることとモテることはどっちの方が大切か?これは子育て論に繋がる。子供を自習室に幽閉して学歴で武装して社会という荒野を生きさせるか、同性・異性関係は元より、国籍、年齢というフィルターを超えて関係性を築けるモテる奴にして社会という荒野を生きさせるか、ということだ。理想は勉強も出来てモテることなんだけれど…。大体の親は勉強させとけばokと考えるけど、沈没する船JAPANで特等席を取ることにどれほどの価値があるだろうか。  モテるというのは異性関係の文脈で頻繁に使われるけ

          勉強・モテ・死ぬこと

          角度の変更・真面目さ

           学校にいる間は真面目さというのが本当に大切になる。真面目であればあるほど評価され表彰される。真面目であれば、先生に褒められ親にも喜ばれる。逆にそうしないと学校に居場所がなくなってしまう。  しかしね、真面目であるということを別の言い方をすると、真っ向から向かい合うということになる。実にいい響きに聞こえるけれど、これが多くの苦しみとかの源になる。真っ向から向かい合うとき、つまり自分に対峙する何かー人間関係やら仕事やら宿題やらーに正面から向かい合う時、相手の力が強ければ、即負け

          角度の変更・真面目さ

          2024.7.20

           神とか仏がいるのかどうかわからないけれど、「世の摂理」みたいのは僕は信じる。世の摂理っていうとイメージしずらいから神とか仏とかそういう擬人化された崇拝対象を僕たちはもつのかもしれない。世の摂理とは何か。それが問題になる。しかしそれらは多くの部分が言葉を超えたものなので、言葉への翻訳というより実践という形で寄り添うことになる。          * * *  脳の海馬はYes or Noの2つの信号しか持たないらしい。好きなものは好き、逆に嫌いになったものは嫌い、そう

          2024.7.19

           とりあえず何かを残すこと、形にこだわらないこと、計画性と即興性とのバランス。計画性がないと全体が見えない故に不安になり力を失う。だからこそ、即興が求められる、僕のいう即興とは白紙にイメージを描写するというよりかは、イメージしながらフローにのるというもの。          * * *  目への疎外。何かを見たらその全てがわかったかのように錯覚すること。ゾウは何度も見たことがあるけれど、その皮膚に触れたことがあるだろうか(ない)。合気道における受け身の時、相手の動きを視力

          在り方のラフスケッチ

          1.導入、掴みとして  そこに2つの生き方があるとしたら、あなたはどちらをたぐい寄せたいだろうか。いろんな装飾を端折っていうと、こういうこと、つまり、ひとつはツマラナイ在り方、もうひとつはワクワクする在り方。これじゃなにをいっているのかさっぱり不明なのでいろんなパラフレーズ(言い換え)と経験をもとにスケッチしていこう。ツマラナイ在り方とはどういうことか、それは社会が採用する価値を過剰に取り込み、それを意識の深層で駆動させる在り方ということ。言葉で覆いつくされたスーパーフ

          在り方のラフスケッチ

          100%の人間関係はない

           100%の人間関係はない。  100%の人間関係とは100%彼とは友達だ、とか100%彼女は恋人だとか100%彼ら、彼女は家族だとか、そういう感じ。僕は言葉が独り歩きして本来ある姿を台無しにってしまうのが大嫌いな人間なのだ。   僕の基本的な世界観はというか価値観はグラデーションの上で現実を知覚するというものなのです。その正反対にあるのが言葉で現実のクオリアをロックして0or100で現実を捉えるという態度です。  他者を、ましてそれが自分にとって決定的に重要な他者であるとき

          100%の人間関係はない

          反復と幻想

           絶えざる情報の生産と、それを消費するだけの人間という関係が極限まで引き延ばしていく力学がはたらいているのが僕たちの住処なのかもしれない。終わらない情報のつまり主に記号を媒介とした信号を僕たちは引き受け続けることで思考をつくり、思考は行動をつくり、行動はさらに思考を確かなものにする。    しかし、情報を生産し続けるひとが全知全能で、それ以外が従順な群衆というように現実を引き受けることは間違っていると思います。あくまで現実をより芳醇なで立体的なものとして浮かび上がらせるた

          豊かさについて

           うんうん、本当にそうだと思いますよ。「豊か」ということは多くのもの(なんでもいいんですよ、お金でも知識でも家でも車でも)を所有していることではない。それらを多くの人々(別に人だけじゃなくても環境とかでもいいんですけど)に差し出したり、共有することができること、それこそが「豊か」だというわけだ。  だから思うわけだ、東京と別府だったらどちらが「豊か」だろうか。東京は経済、政治をひっくるめた日本の心臓であることは間違いないし、大規模な資本がうごめいている。タワービルディングが立

          豊かさについて

          はじまり

           髪を切る。そうすると少し、頭が軽くなって前より身動きがとりやすくなる。この身動きがすこしでも良くなるというのを個人のレベルで普通の生活のなかでどうやって実践していくのかが実は大切な気がするわけで。こんなへんちくりんな文章を書くのも僕のささやかな実践の一つというわけだ。ある方向性にむかって書き出すというのはあんまり好かない。なにかを見て感じたことをアーカイブするとか、目に見えるかたちに置き換えてみようとか、そういう欲望に駆動されているわけで。実際書いていたら、何かをおもいだし