勉強・モテ・死ぬこと

 勉強が出来ることとモテることはどっちの方が大切か?これは子育て論に繋がる。子供を自習室に幽閉して学歴で武装して社会という荒野を生きさせるか、同性・異性関係は元より、国籍、年齢というフィルターを超えて関係性を築けるモテる奴にして社会という荒野を生きさせるか、ということだ。理想は勉強も出来てモテることなんだけれど…。大体の親は勉強させとけばokと考えるけど、沈没する船JAPANで特等席を取ることにどれほどの価値があるだろうか。
 モテるというのは異性関係の文脈で頻繁に使われるけれど、あらゆる人間にモテる人間の育成が教育的課題としてもっと語られるべきである。難解な微分積分の問題が解けるより、力のある年配の人からモテ、お引き立てを受ける方がワクワクするでしょ?
 死ぬ時に、微分積分の応用問題が解けたことを誇りに思って死ぬ人間などいない。どれだけ、濃密な他者との関係があったか、時間があったかを恍惚とした記憶のなかで追体験して人間は死ぬべきだ。生まれ方は選べないけれど死に方は選べる。
 

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