100%の人間関係はない

 100%の人間関係はない。
 100%の人間関係とは100%彼とは友達だ、とか100%彼女は恋人だとか100%彼ら、彼女は家族だとか、そういう感じ。僕は言葉が独り歩きして本来ある姿を台無しにってしまうのが大嫌いな人間なのだ。 
 僕の基本的な世界観はというか価値観はグラデーションの上で現実を知覚するというものなのです。その正反対にあるのが言葉で現実のクオリアをロックして0or100で現実を捉えるという態度です。
 他者を、ましてそれが自分にとって決定的に重要な他者であるとき、その他者をひとくくりの出来合いの言葉のなかで捉えることに忌避感を感じるということ。 
 だから便宜的に彼は、彼女は○○です、のような、便宜の位のもとでなされる他者のカテゴリー化には納得できるけれど。絶えざる語の反復によって元よりあった他者のリアリティが失われ、カテゴリーされた他者としてしか他者としか向き合えないとき、人は大切なものを失う。

 語の反復には現実修正機能があり、それは言語と関わるのだろうけど、よくわからないのでいったんスルー。

 異なるものとしての他者を便利なカテゴリの籠のなかに閉じ込めない誠実な、そして忍耐づよい態度のみが、他者と同じ目線でまなざしあうことに決定的に重要であると感じたのである。

 異なる人間を既知のカテゴリーに入れない、留保する経験のみが他者を他者として遇する根拠となりうる。

 決定的に重要な他者は言葉の檻をこえた、豊穣な「はみだし」と共に意識の戸をたたく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?