テンポ・抜け道・気持ちよさ

 適切なテンポで動くこと。この動くというのは身体的・物理的なものというより何か人間に、物事に向かい合う時全般に言えることなんだろう。まず、自分が“気持ちいい”と思えるスピード感、テンポ感を探ること。そしてその気持ちよさを忘れずに繰り返すこと。そうすると脳みそが覚えて勝手にやってくれるようになる。僕たちはもっと気持ちよくなっていい。
 突発的に聞こえるかも知れないけれど、教育とは気持ちよさの排除だともいえる。これまで走り回って叫び回って気持ちよかった子供という存在を適切な労働資源に組み換えるために様々な教育システムを通過させ、ろかする。例えば、教室に5時間も6時間も座るというのはこれは初めそうさせられた時は一大事だったはずだ。これまで公園やら野原を駆け巡っていたのに、気づいたら箱の中の机の前の椅子に永遠と座らされるのだから。そして、気づいたらそれは日常になる。
 別に僕は反体制みたいな、大掛かりなことをしたいわけではない。むしろもっと、システムからの抜け道みたいな「ここ、通れます」みたいな、小さなもの。そういうのを探し求めている。“構想”みたいな大掛かりな言葉は使わないこと。受け取ったものがどんなものであるかをもう一度根源的に記述し直すこと、そしてそれを生活の中に再編すること、そういうのに興味がある。なぜか?気持ちが良さそうだから。見晴らしが良さそう、それだけ。 
 そのためにはどうするか?まずはいろいろはモノを経験すること。経験なしに物事を語ることは最悪だ。経験したものから何かを引き出すのはnoteがしてくれる。言語化されたものは生活で実践すればいい、そしてそれがそのまま知恵となる。経験→言語化→実践→知恵となる。
                                                  2024.7.22

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