2024.7.20

 神とか仏がいるのかどうかわからないけれど、「世の摂理」みたいのは僕は信じる。世の摂理っていうとイメージしずらいから神とか仏とかそういう擬人化された崇拝対象を僕たちはもつのかもしれない。世の摂理とは何か。それが問題になる。しかしそれらは多くの部分が言葉を超えたものなので、言葉への翻訳というより実践という形で寄り添うことになる。

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 脳の海馬はYes or Noの2つの信号しか持たないらしい。好きなものは好き、逆に嫌いになったものは嫌い、そういうものらしい。じゃあ好きなんだけど嫌いとか嫌いなんだけど好きというのは認知上の錯覚だという他ない。いろいろなことを真っ直ぐ見て、これは好き、これは自分の体質に合っている、あるいはこれは嫌い、気持ち悪い、と直感的に感じたものは、そうだと受け止めるしかない。「本当は嫌いだけど、仕方なくやる」を積み重ねると簡単に不幸になれる。「本当は嫌いだけど、仕方なくやる」ことの向き合い方①:とことん逃げる。②:角度を変えて向き合う。一番ダメなのは真っ向から嫌いなものに立ち向かうこと。これはもう絶対パワー負けするのでやめる。嫌悪の心ほど大きいエネルギーはないんでね。
 嫌いな人はいない方がいい。嫌いなものが心を独占して善きものへのスペースが収奪される。これも当たり前か。

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 出世するとか社会的に上手くやる方法は二つあるような気がする。一つ目は正しい努力をすること。もう一つは上の人から引っ張ってもらうこと。この二つを同時にやれば文句ない。つまり、正しい努力を積み重ねながら、上の人に引っ張ってもらうということ。努力すれば報われるとか嘘です。正しい方向の努力をしないと、簡単に不幸になれます。上の人に引っ張ってもらうにはどうしたらいいか、へいこらするしかないのか、うーん、やっぱり波長が合う上司を持つことが大事になるのかなー。

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 何かを作ることのハードルをとことん下げること。普段生活してると質のいい出来合いのもので生活が埋め作られているから、勝手に「作るとはこういうクオリティでなければいけない」みたいな暗示を自分に与え続ける。でもよくよく考えれば、折り紙で飛行機を作るのだって、歌を歌うのだって創作だと言える。創作者みたいな仰々しい言葉に惑わされないことが結構大切なのかもしれない。生活を送るのではなく、創るということ。

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 うまい酒を覚えるとまずい酒がどういうのかわかる。水商売って水で酒を薄めるからそう呼ばれているのだそう。薄めて儲ける水商売。うまい酒はしかし高い。5千円〜する。僕が飲んだ一番高いのは一本15万のウイスキー。年数がものをいう世界らしい。好みを順番で言うなら、ウイスキー>焼酎>ブランデー=日本酒>ビールとなる。ウイスキーとか焼酎とかブランデーは糖質がほとんどないので気兼ねせず飲める。日本酒はたくさんは飲めないけれど、それでも美味しい。ビールはないな、一杯で十分。酒を飲める人間は僕からしたら魅力的である。性別関係なく。 
 酒を飲むと、その人がどれくらいの人か分かるらしい。聞くに耐えない悪口を言うとか、見境えもなく暴れたり、いつもと全く正反対のことをいう人は切ればいい。試験薬としてのお酒。

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