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特別支援教育

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#仕事について話そう

特別支援教育の現在地 理念と実践の関係において

「頑張ってる人(子ども)に悪いからさ」を脱却する

 私が批判する現場にいる評論家の立ち位置に立ってみることも重要かなと考えてみる。というか公立学校の教師にとってどの場面でもバランス感覚を発揮することと同時にバランス感覚を保とうとする努力が存在することが大切なのだと思う。どんな教育実践にも良い悪いの両側面がいくつものモノサシとして存在している前提を踏まえて語り合っていくことがお互いの知識を増やし、

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学校現場の心理的安全性

 学校現場において心理的安全性がはかりにくいという話。
 心理的安全性に関わる勘違いはまず大きな障壁になります。
 チーム〇〇小はよく使われるキャッチフレーズだが、掛け声に意味はない。クラス目標やめあてを始めに書く、上級生の演技を下級生に無理やり見せるという「形だけ」が実現した取り組みと同様である。それが実際に見た人間全員に浸透することを目指しているかどうか、そのための工夫がなされているかが大事な

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特別支援教育の現在地 子どもを分ける

 実はここが非常に難題だと考えています。根本の話なのにです。
 発達観がズレるということ以前に特別支援教育では子どもが分けられています。この根拠が非常に薄弱なんです。これについては国連からも是正勧告を受けていますが文科大臣は突っぱねた経緯があります。

 分けるという言葉自体にもいくつかの段階が生じます。
 まずは特別支援教育を受けるかどうかを分ける段階です。基本お医者さんの判定が必要なんですが、

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特別支援教育の現在地 教員同士の関係

 今の特別支援教育が小学校現場の教員を分断し始めているという話。
 前回の続きから言えば、分断を乗り越えてつながりなおそうという話。
 そういう意味で言えば、そもそも中学校と高等学校、大学というのは教員が教科領域によって分断されている学校である。専門領域の話として横断的総合的に教育を行える技能を持ち合わせている教員がいるのは日本では唯一小学校(加えて幼稚園、保育所、こども園もだが厳密に言えば教育で

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特別支援教育における区別と差別

 対話をする前提として、まず相手が信頼できるかどうかが重要になります。
 聞く姿勢はもちろん問われるが、それと同時に最近は一連の対話の流れの中で変えないイシューをお持ちかどうかが話す相手に足るかどうかのモノサシになっているでしょう。
 相手が文科大臣でも保護者でも対話の前提は同じです。
 永岡前大臣は、国連の勧告に対して意味のわからないことを言い張った。
 さて次の人は大阪弁護士会の勧告に何を語る

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教育現場における対話づくり

教育現場における対話の対象

 教育現場における対象は常に広範囲。これが今の学校現場が持つ最大の困難なのですが、あまり誰も指摘しない。
 さしあたって学校の教職員が対話の対象として、最も重視しなければならないのは子ども同士と教職員同士であると思う。保護者との対話も重要であるが保護者が学びの対象ではない以上必然的にその優先度は下がる。対話とおしゃべりは違うから。
 子どもと教職員を同列に並べることに

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特別支援教育の現在地 みんなでやるは、みんなやらない

ご時世柄、「役が人を作る」発想は流行らないのだと痛感。

みんなでやるというお題目

 今の教育現場は誰の発想も責任を持たないことのよるプレッシャーからの解放が教員にとって最大の助け舟になると考えられているようだ。
 みんなでやれば、3人よれば、、、確かに美しい。
 不安は払拭されるのかもしれない。
 実は教育現場、とりわけ教員はみんなでやってうまくいくことはない。
 簡単に言えば、なあなあ。
 

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特別支援教育の未来図

 たぶん特別支援教育でもインクルーシブアンドダイバーシティでも名称はどちらでもよい。

 「公教育の場」における取り組みの一側面に過ぎない。
 同じものの一側面をいろんな角度から見てそれを細分化だと言う研究者がいるが、それはただの言語化であり、学問と呼ぶにはおこがましい。
 もちろん言語化は有効な手段であるが、学問として成立するためには少なくとも一般化されている必要がある。感想は学問ではない。だか

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