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日本代表GKの逆境と悲運のスーパースター

かなり久しぶりの「消えた天才」コラムになりますが(笑)、お送りしたいと思います。

天才の悲運

今回は、サッカー日本代表GKの川島永嗣選手と川島選手が勝てず、スパースターと呼んでいた越智隼人さんのエピソードをお送りします。

中学時代、二人は埼玉選抜で共に戦ったのですが、ほとんどの得点を越智選手が決め、敵として戦った時には、越智選手にスコスコにやられていたそうです。その越智選手は高校ではJリーグのユースチームに所属し、そこでも大活躍だったのですが、事件が起こります。越智選手が所属していたチームは、今はなき「横浜フリューゲルス」だったのですが、Jリーグ史上初めて消滅してしまったチームなんです。ユース時代にちょうどその悲劇に遭ってしまいました。同じ横浜の「マリノス」に合併し、今の「横浜・F・フリューゲルス」になったのですが、合併といっても選手は数人しか移籍することができず、多数の選手が解雇されることになりました。当時はちょっとした事件でしたが、それでも越智選手は、マリノスユースに移籍することができました。しかし、そこで告げられたのは、苦手なディフェンスのポジション。辞めていった仲間がいる中で残れた状況で、従うしかありませんでした。その後、「セレッソ大阪」にプロとして入団するも、任せられたポジションは得意なトップ下ではなくディフェンダー。自分の中で成果を出せていない中で、ポジションの変更を直訴することができず、「山形モンテディオ」に移籍するも、戦力外通告となってしまい、1ゴールも挙げることなく引退されました。

苦手なポジションでプレーすることは、越智選手にとっては苦しいもので、サッカーが嫌いになるほどだったそうです。その後は、サッカーとも距離を置き、山形でラジオDJとなり、12年続く人気番組のMCとなりました。しかし、消えた天才あるあると言えますが、再びサッカーの世界に戻り、子供達を指導するようになりました。

川島選手との絆

子供達を教えていく中で、戦友でもあった川島選手は2018年のロシアW杯で、ミスによる失点で試合が負けてしまい、大バッシングを浴びました。それでも、その後の試合で好セーブを連発し、批判を賞賛に変え、予選リーグ突破に貢献しました。その逆境を乗り越える強さを、子供に教えたいと、20年振りに二人は再会し、川島選手に質問します。

川島選手は、批判を受けるのは仕方ないし、その状態で試合に出るのは葛藤があったそうですが、共に戦う仲間。応援してくれる人。支えてくれた人たちがいる。その人たちのために頑張る、というものでした。

二人は36歳ですが、まだやれると、越智さんに復帰を進めるが、越智さんも、「得点する感覚はまだ残っている」と笑いながら答えるのだった。

「運」が左右する

「消えた天才」につきものなのが、「挫折」です。今回は、今までとは少し違う挫折で、怪我でも早熟によるものでもなく、「チームの消滅」と言う、誰も予想できなかった悲運によるものでした。その後もチャンスはありましたが、チームの事情で苦手なポジションを任されたり、辞めた仲間の背景もあり、主張しにくかったこともあります。その結果、サッカーが嫌いになる程まで苦しみましたが、これが何とも言えません。済んだことは「たられば」になってしまうので、どうすれば良かったのかを考えても意味はないかもしれませんが、逆に言えば、自分の意思を主張していたら、もっと大変なことになっていたことだってあり得ます。後悔は幻想でしかないという創作ことわざを配信しましたが、現実や現状を受け入れない限り、幻想である後悔に縛られて生きてしまうかもしれません。

越智さんが、再びサッカーの世界に戻り、子供達にサッカーを教えている。それは、苦手なポジションを続け、サッカーを嫌いになった道を選んだからこそ、辿り着いた道だと思うのです。自分の判断を後悔する暇があるなら、自分の判断を認め、その上で選んだ道を進んでいくことが、よりよい人生になるのではないでしょうか。

批判が賞賛をより大きくする

最後に、川島選手がロシアW杯で大バッシングを浴び、その後大活躍によって賞賛を浴びましたが、大バッシングがあったからこそ、その後の賞賛は、ただの賞賛ではなかったでしょう。願いは叶わないほうがいいという創作ことわざで、代償を払わずに願いが叶ってしまうと、バランスを取るために同様の悲劇が起こる。願いと悲劇の差は、とても大きなものになりますが、それとは逆に、大バッシングを浴びた代償に見合う賞賛は、普通の賞賛とは計り知れない程の感動があったのではないでしょうか。

「運も実力のうち」と言いますが、それも捉え方次第で変えていけると思います。嫌なことや辛いこと、思い通りにいかないことは、良くない事ではなく、必要なこととして受け止めると、大バッシングが賞賛に変わるように、賞賛を得るための「代償」として、逆境は現れているのかもしれません。

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