些流透

些流透(さりゅう・とおる)と申します。

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記事一覧

遠藤周作『黄色い人』と「ドラマ」の誕生

 遠藤周作の『黄色い人』は、『白い人』で芥川賞を受賞した遠藤が依頼されて書いた「群像」1955年11月号初出の小説である。  『黄色い人』は、主人公の千葉が元司…

些流透
2日前

遠藤周作『白い人』と童貞の勘違い

 遠藤周作は『白い人』(「近代文學」1955年5月号6月号初出)で1955年に第33回芥川賞を受賞している。  ところで驚くのは1960年発行の新潮文庫の解説を…

些流透
6日前
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西城秀樹の孤独な「ウッドストック」

 西城秀樹の1975年の全国ツアーの模様を収めたドキュメンタリー映画であり、富士山麓緑の休暇村に特製ステージを設けて日本の芸能史上初の大規模野外コンサートから始…

些流透
9日前

石川達三『最後の共和国』の「答え合わせ」

 かつて石川達三といえば新潮文庫で大量に作品が出版されていたものだが、今はあまり読まれていないような感じではある。その上今回取り上げる『最後の共和国』となればS…

些流透
13日前

『赤頭巾ちゃん気をつけて』と「新しい敵」

 主人公で都立日比谷高校三年生の庄司薫は1969年の学生運動による東大入試の中止によって途方に暮れている。さらに薫は左足親指の生爪まで剥がしてしまい、それでも薫…

些流透
2週間前
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宇佐見りん『かか』と「大衆演劇」との別れ

 宇佐見りんの2019年のデビュー作で文藝賞を経て三島由紀夫賞まで獲ってしまった『かか』のラストには驚かされた。  主人公で19歳の浪人生であるうーちゃん(うさ…

些流透
3週間前
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「ピカソはほんまに天才か」

 人生において一度くらいは「ピカソはほんまに天才か!?」と言うてみとうなるものだが、それは大抵若い頃に抱く反骨精神に言わされているようなもので、大人になったらピ…

些流透
1か月前
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かのように『悪は存在しない』

 それにしてもラストシーンには驚かされた。記憶の限りではイエジー・スコリモフスキ監督の『アンナと過ごした4日間』(2008年)以来の予想を裏切る驚愕のラストシー…

些流透
1か月前
2

『クワイエット・プレイス』における深層心理について

 『クワイエット・プレイス(A Quiet Place)』(ジョン・クラシンスキー監督 2018年)は、そのストーリーの設定の甘さにもかかわらず大ヒットして、2021年には…

些流透
1か月前
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秋元真夏と「歪んだ芸風」

 テレビ朝日系で2020年9月21日に放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!』では「こんなご時世だから相方が急にお休みになっちゃった時を考える」というテー…

些流透
1か月前
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武田泰淳『ひかりごけ』と「盲目性」について

 武田泰淳の『ひかりごけ』は1954年に発表され、実際に起こった「ひかりごけ事件」と呼ばれる食人事件を題材にした短編小説として知られているのだが、実際は武田が北…

些流透
2か月前
1

ウィリアム・フォークナーの短編小説について

 ウィリアム・フォークナーは代表作となる長編小説を次々と発表するものの、当初はほとんど売れず、だから映画監督のハワード・ホークスを介して映画脚本を手掛けたらしい…

些流透
2か月前
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フォークナー「乾燥の九月」と噂の出処

 ウィリアム・フォークナーは『響きと怒り』(1929年)、『サンクチュアリ』(1931年)、『八月の光』(1932年)、『アブサロム、アブサロム!』(1936年…

些流透
2か月前
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『エピクロスの園』の「アリストとポリフィル - 形而上学的言葉使い -」について

  アナトール・フランスが1895年に上梓した『エピクロスの園』(大塚幸男訳 岩波文庫 1974.9.17)は芥川龍之介に『侏儒の言葉』(1923年 - 1927年)を書か…

些流透
2か月前

ドナルド・バーセルミ『黄金の雨』と「現代」の不条理

 アメリカのポストモダンの小説家の一人であるドナルド・バーセルミ(Donald Barthelme)の小説は、かつてはサンリオSF文庫でも出版されていたのだが、サンリオSF文庫自体…

些流透
3か月前
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西脇と大江とエリオット

 2023年10月に上梓された大江健三郎の『親密な手紙』(岩波新書)を読んでいたら、四章の「本質的な詩集」というタイトルのエッセイで、大江が長篇小説『さようなら…

些流透
3か月前
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遠藤周作『黄色い人』と「ドラマ」の誕生

遠藤周作『黄色い人』と「ドラマ」の誕生

 遠藤周作の『黄色い人』は、『白い人』で芥川賞を受賞した遠藤が依頼されて書いた「群像」1955年11月号初出の小説である。

 『黄色い人』は、主人公の千葉が元司祭だったデュランの日記と共に、逮捕されたブロウ神父に宛てた手紙で構成されている。ところで『黄色い人』の粗筋がいまいち正しさに欠けているように感じる。例えば、新潮文庫に解説を執筆している山本健吉の文章を引用してみる。

 「犯す」という言葉

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遠藤周作『白い人』と童貞の勘違い

遠藤周作『白い人』と童貞の勘違い

 遠藤周作は『白い人』(「近代文學」1955年5月号6月号初出)で1955年に第33回芥川賞を受賞している。
 ところで驚くのは1960年発行の新潮文庫の解説を書いている山本健吉がかつて遠藤と『海と毒薬』を巡って日本人の信仰について読売新聞紙上で論争したことがあり、本作においても「氏の主題があまりに図式的な形で、概念的に示されすぎていることを、欠陥と思っています。(p.165)」と書いており、『白

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西城秀樹の孤独な「ウッドストック」

西城秀樹の孤独な「ウッドストック」

 西城秀樹の1975年の全国ツアーの模様を収めたドキュメンタリー映画であり、富士山麓緑の休暇村に特製ステージを設けて日本の芸能史上初の大規模野外コンサートから始まり、大阪球場での球場コンサートで閉めている。
 冒頭は海上のヨットの群れや海岸で遊ぶ子供たちや部活動をしている生徒たちの情景で西城とは全く関係ない演出から察するに、『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間(Woodstock)』(マイケル

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石川達三『最後の共和国』の「答え合わせ」

石川達三『最後の共和国』の「答え合わせ」

 かつて石川達三といえば新潮文庫で大量に作品が出版されていたものだが、今はあまり読まれていないような感じではある。その上今回取り上げる『最後の共和国』となればSF作品だからなおのこと読まれていないように思う。
 しかし『最後の共和国』は「中央公論」に昭和27年4月号から12月号にわたって連載され、昭和28年2月に中央公論社から単行本として刊行されたのだが、解説を書いている久保田正文によれば、石川は

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『赤頭巾ちゃん気をつけて』と「新しい敵」

『赤頭巾ちゃん気をつけて』と「新しい敵」

 主人公で都立日比谷高校三年生の庄司薫は1969年の学生運動による東大入試の中止によって途方に暮れている。さらに薫は左足親指の生爪まで剥がしてしまい、それでも薫は幼馴染の由美がいるテニスコートに行くためにゴム長靴を履いて行くのだが、薫の格好はまるで東大安田講堂の占拠に失敗した東大生の格好ではないだろうか。
 しかし却って親指の怪我を悪化させた薫はかかりつけの病院に行ったのだが、診てくれたのは「イカ

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宇佐見りん『かか』と「大衆演劇」との別れ

宇佐見りん『かか』と「大衆演劇」との別れ

 宇佐見りんの2019年のデビュー作で文藝賞を経て三島由紀夫賞まで獲ってしまった『かか』のラストには驚かされた。
 主人公で19歳の浪人生であるうーちゃん(うさぎ)は母親である「かか」の手術が成功したという報告を受けて弟のみっくんに以下のように語りかけるのである。

 うーちゃんは母親の手術が成功したことは喜んでいるのではあるが、何故かもはや娘にとってはどうでもいいはずの、母親の子宮を気にしている

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「ピカソはほんまに天才か」

「ピカソはほんまに天才か」

 人生において一度くらいは「ピカソはほんまに天才か!?」と言うてみとうなるものだが、それは大抵若い頃に抱く反骨精神に言わされているようなもので、大人になったらピカソの偉大さは否定のしようがないことは嫌でも実感させられる。
 しかし小説家の開高健が「ピカソはほんまに天才か」(『ピカソはほんまに天才か』中公文庫 1991.6.10 に収録)というエッセイを書いたのは昭和59年5月の『藝術新潮』で、開高

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かのように『悪は存在しない』

かのように『悪は存在しない』

 それにしてもラストシーンには驚かされた。記憶の限りではイエジー・スコリモフスキ監督の『アンナと過ごした4日間』(2008年)以来の予想を裏切る驚愕のラストシーンだった。

 ところでそのラストシーンなのであるが、既にnoteにおいても多く論じられており全てを読んでいる訳ではないので、屋上屋を架すようなものだが簡単に私見を記しておきたい。

 主人公の巧が保育園に迎えに行くことを忘れてしまった結果

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『クワイエット・プレイス』における深層心理について

『クワイエット・プレイス』における深層心理について

 『クワイエット・プレイス(A Quiet Place)』(ジョン・クラシンスキー監督 2018年)は、そのストーリーの設定の甘さにもかかわらず大ヒットして、2021年には続編の『クワイエット・プレイス 破られた沈黙(A Quiet Place: Part II)』も大ヒットしたことで、今年はそのシリーズのスピンオフであるマイケル・サルノスキ監督による『クワイエット・プレイス:DAY 1(A Qu

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秋元真夏と「歪んだ芸風」

秋元真夏と「歪んだ芸風」

 テレビ朝日系で2020年9月21日に放送された『しくじり先生 俺みたいになるな!!』では「こんなご時世だから相方が急にお休みになっちゃった時を考える」というテーマで実際にお笑い芸人のアキラ100%と「平成ノブシコブシ」の吉村崇が即席にコンビを組んで、ネタを披露したのだが、これが「最悪」だったのは実際に見てもらうとして、そもそもネタに問題がある。
 本来のアキラ100%のネタは「見せない」というと

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武田泰淳『ひかりごけ』と「盲目性」について

武田泰淳『ひかりごけ』と「盲目性」について

 武田泰淳の『ひかりごけ』は1954年に発表され、実際に起こった「ひかりごけ事件」と呼ばれる食人事件を題材にした短編小説として知られているのだが、実際は武田が北海道の羅臼を訪れた時の紀行文で始まり、事件自体は戯曲形式で描かれている。
 しかし違和感はそれだけではないのは以下の引用から想像できる。

 食人事件以前に、武田は日本人が本当にアイヌに関心があるのかどうか皮肉っている感じがするのだが、ロシ

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ウィリアム・フォークナーの短編小説について

ウィリアム・フォークナーの短編小説について

 ウィリアム・フォークナーは代表作となる長編小説を次々と発表するものの、当初はほとんど売れず、だから映画監督のハワード・ホークスを介して映画脚本を手掛けたらしいのだが、個人的に思うことは、フォークナーの小説の登場人物は黒人やネイティブアメリカンや女性や子供などいわゆる「弱者」が主で、彼らが白人男性に迫害されている様子が描かれているために、多少の後ろめたさがあるアメリカ人はわざわざフォークナーを読み

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フォークナー「乾燥の九月」と噂の出処

フォークナー「乾燥の九月」と噂の出処

 ウィリアム・フォークナーは『響きと怒り』(1929年)、『サンクチュアリ』(1931年)、『八月の光』(1932年)、『アブサロム、アブサロム!』(1936年)などの長篇小説家として有名なのだが、短篇小説も書いているものの、新潮文庫の『フォークナー短編集』(龍口直太郎訳 1955.12.15 1970.1.10改版)と中公文庫の『エミリーに薔薇を』(高橋正雄訳 2022.4.25)でしか気軽には

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『エピクロスの園』の「アリストとポリフィル - 形而上学的言葉使い -」について

『エピクロスの園』の「アリストとポリフィル - 形而上学的言葉使い -」について

  アナトール・フランスが1895年に上梓した『エピクロスの園』(大塚幸男訳 岩波文庫 1974.9.17)は芥川龍之介に『侏儒の言葉』(1923年 - 1927年)を書かせたといわれるほどの影響をもたらしたと言われているのだが、最近はあまり読まれていないようである。
 しかしあまり読まれていないと言っても芥川も含めてこれまで多くの作品が多くの訳者に翻訳され、いまでも長篇小説は新訳が出ているのだか

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ドナルド・バーセルミ『黄金の雨』と「現代」の不条理

ドナルド・バーセルミ『黄金の雨』と「現代」の不条理

 アメリカのポストモダンの小説家の一人であるドナルド・バーセルミ(Donald Barthelme)の小説は、かつてはサンリオSF文庫でも出版されていたのだが、サンリオSF文庫自体がなくなり、ほとんどの作品が品切れ状態なのだが、それはバーセルミに限らずトマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)やジョン・バース(John Barth)やフィリップ・ロス(Philip Roth)でさえ文庫化は

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西脇と大江とエリオット

西脇と大江とエリオット

 2023年10月に上梓された大江健三郎の『親密な手紙』(岩波新書)を読んでいたら、四章の「本質的な詩集」というタイトルのエッセイで、大江が長篇小説『さようなら、私の本よ!』のエピグラフでT・S・エリオットの『四つの四重奏曲(Four Quartets)』(1943年)から引用した原文も引かれていたのであるが、「We must be still and still moving」が西脇順三郎の訳で

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