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西脇と大江とエリオット

 2023年10月に上梓された大江健三郎の『親密な手紙』(岩波新書)を読んでいたら、四章の「本質的な詩集」というタイトルのエッセイで、大江が長篇小説『さようなら、私の本よ!』のエピグラフでT・S・エリオットの『四つの四重奏曲(Four Quartets)』(1943年)から引用した原文も引かれていたのであるが、「We must be still and still moving」が西脇順三郎の訳で「われわれは静かに静かに動き始めなければならない」と訳されていた。この訳に関して大江は以下のように記している。

 この三行目の原詩 We must be still and still moving については、専門家の異論を見たこともあるけれど、いま老年もさらに深まっている私の、生き方の指標をなしている……

『親密な手紙』p.181

 しかしこの文章は中学生も疑問に思うはずなのだが、still は moving という動詞を修飾する副詞のはずで、そうなると訳は「私たちは今でもなお動いていなければならない」となるはずで、さらにここでの「We」は「探検者(explorers)」である「老人(Old men)」なのだからなおさら文意は合うことになり、どうしてこのような訳になっているのかよく分からないのである。

 ということで、エリオットの原文を検証してみようと思うのだが、最初に『四つの四重奏曲』の「イースト・コーカー(East Coker)」の 190-209 までを引用してみる。

Home is where one starts from. As we grow older
The world becomes stranger, the pattern more complicated
Of dead and living. Not the intense moment
Isolated, with no before and after,
But a lifetime burning in every moment
And not the lifetime of one man only
But of old stones that cannot be deciphered.
There is a time for the evening under starlight
A time for the evening under lamplight
(The evening with the photograph album).
Love is most nearly itself
When here and now cease to matter.
Old men ought to be explorers
Here and there does not matter
We must be still and still moving
Into another intensity
For a further union, a deeper communion
Through the dark cold and the empty desolation,
The wave cry, the wind cry, the vast waters
Of the petrel and the porpoise. In my end is my beginning.

『四つの四重奏曲』大修館書店 p.15

  最初に中央公論社の『エリオット全集1 詩集』(1960.7.10 改訂版 1971.6.25)に掲載されている、1943年に二宮尊道に訳された翻訳である。二宮尊道の『T・S・エリオット : 四つの四重奏』(南雲堂 1966. 2.20)から引用してみる。

家はそこから出かける所。年をとるにつれて
世界はいよいよふしぎなもの、死者と生者との図式は
いよいよ複雑なものとなる。張りつめたひと時が
孤立して、前もなく後もないようなことがなく、
ひと時ひと時が燃えている一生
それもただ一人の一生ではなしに
解読しかねる古石などの一生でもある。
星明りの下の夕べにも時あり
灯の下の夕べにも時あり
(写真帖などひもどく夕べだ)
愛が最も愛自体に近くなるのは
ここも今も問題でなくなるときだ。
年寄は探検者でなければならぬ
ここかしこが問題ではなく
われらは静止して動いてやまず
次の深度に移らねばならぬ
さらに先の統合のために、さらに深い交りのために
くらく冷い所を、空しい荒廃を
波の叫び、嵐の叫び、海燕といるかとの
はてなき海を経て行くのだ。わが終りこそわが初め。

『T・S・エリオット : 四つの四重奏』p.44-p.45

 次に『四つの四重奏曲』(大修館書店 1980.7.1)の森山泰夫の訳を引用してみる。

故郷ふるさとは出発の場所。年とるにつれ
世の中は次第にわからなくなり、死者と生者せいじゃが織り成す
図柄はいよいよ複雑になる。前後と隔絶した
熾烈な瞬間の図ではない、それは
どの瞬間も燃えている生涯の図。
それも一人だけの生涯ではない、
解読のできない古い墓石の生涯。
星あかりのもとで宵を楽しむひとときもあり、
灯火ともしびのもとで宵を楽しむひとときもある
(写真のアルバムを取り出す宵)。
しかし愛がその本質に最も近づくのは
「ここ」や「いま」が問題でなくなるとき。
老人は探検者でなければならぬ。
「ここ」や「そこ」は問題でない。
静止しつつ絶えず動き、
次の熾烈な瞬間に突入し、
さらに一体となり、交わりを深めねばならぬ。
冷たい闇の中、荒涼たる無の空間を通り、
波の叫び、風の叫び、岩ツバメとイルカの
広大な海原を通って。ぼくの終わりの中にぼくの始まりがある。

『四つの四重奏曲』p.157

  次に『T.S.エリオットの詩と文学:わが始めにわが終りあり、わが終りにわが始めあり』(近代文芸社 2002.2.10)の丹波菊井たんばきくいの訳を引用してみる。

故郷は出発の場所。年をとるにつれ
世の中はさらに不案内になり、死者と生者が
織りなす模様はさらに複雑になる。孤立した
前後のない熾烈な瞬間ではなく、
生涯あらゆる瞬間に燃え続けるもの
一人の人間の生涯だけでなく
判読できない古い墓石の生涯も含めて。
星の光のもとで過ごす夕べの時あり、
ランプの光のもとで過ごす夕べの時あり
(アルバムの写真で過ごす夕べ)
愛がもっとも愛そのものになるのは、
此処と今が問題でなくなるとき。
老人は探検者でなければならない
ここ、そこの問題ではない
静止しつつなお動かなければならない
次の緊張の中へ
さらなる融合と、より深い交わりを求め、
暗黒の寒さ、空虚な荒廃、
波の叫び、風の叫び、海つばめといるかの
大海原を通って。わが終わりにわが始めがある。

『T.S.エリオットの詩と文学』p.157-p.158

 次に『四つの四重奏』(岩波文庫 2011.4.15)の岩崎宗治の訳を引用してみる。

故郷とは出発の地。としを重ねるにしたがって
世界はますます見慣れぬものに、死者と生者の描くパターン
ますます複雑になる。それは孤立して前も後ろもない
そんな緊張の一瞬ではなく、
一刻一刻が燃えつづける生涯、
また、ただ一人の生涯ではなく
碑文の読みとれぬほど古い石碑の生涯。
星影の下で過ごす夕べの一時ひとときがあり、
ランプが灯りの下で過ごす夕べ
(写真のアルバムを繰る夕べ)がある。
ここと今とが問題でなくなるとき
愛はいちばん愛そのものに近づく。
老人はすべからく探検者たるべし、
ここかしこは問うところではない、
わたしたちは静止し、しかもたえず動いていなければならぬ
次の新しい緊張の中へと、
さらに高き合一と、さらに深き霊交コミュニオンをめざして、
暗い寒気とうつろな荒廃を通り抜け、
怒濤どとう雄叫おたけび、風の叫び、海燕うみつばめ海豚いるかのいる
はてしなき海原うなばらを超えて。わが終わりこそわが初め。

『四つの四重奏』p.72-p.73

  岩崎宗治は 202-209 の訳注で以下のように記している。

 たえざる努力をする者は、老いても探究者である。「静止し、しかもたえず動いて」いる探究者、運動と静止を止揚した高い次元の探究者のイメージは、エリオットの祖先が海を渡って新しい土地に向かった歴史を喚起し、そこにエリオット自身の言葉の探究を重ねている。探究者にとっては一瞬一瞬が「初め」であり、老いた航海者/詩人は「終わり」の「初め」にいる。同時にまた、この航海のイメージは「ドライ・サルヴェイジズ」の海のモチーフにつながっていく。

『四つの四重奏』p.210

 二宮尊道も詳解している。(「B・N」は「バーント・ノートン」、「D・S」は「ドライ・サルヴェイジズ」の略)

 こうして老人というものは本来「探求者」(explorer)であるべきもので「ここかしこ」(here and there)といった時に則した場所(これも恐らく「アルバム」から)が問題ではなくなるべきなのです。
We must be still and still moving
Into another intensity
For a further union, a deeper communion
Through the dark cold and the empty desolation,
The wave cry, the wind cry, the vast waters
Of the petrel and the porpoise. In my end is my beginning.
しかしこの探求は「静止して動いてやまない」というように「運動によらずに至る道」(B・N・Ⅱの終り)なのでしょう。(still and still moving の still の「かけ言葉」もママ少し鼻につくぐらいですが。)ただ強度なり深度なり(intensity)がだんだんに変ってゆくだけなのです、union 、communion と重ねられて(いわゆる internal rhyme 「中間韻」)ますます窮極のものへと赴く ー それには「くらく冷い所、空しい荒廃」と「喜びなき道」(一三九行)を行かねばならないでしょう。そこは「はてしない海」(vast waters)でもありましょうが、そこには「波の叫び、風の叫び」のような「さまざまな呼声」(次のD・S・Ⅰ二五)が聞かれ、またそこは「創造以前の別の創造をしのばせるもの」(同じくD・S・Ⅰ十五)の類いかと思われる海燕やいるか(the petrel and the porpoise)などの棲家でもあるのでしょう、次篇の「旅」の主題はすでに影を見せているのです。
 「わが終りこそわが初め」 ー 終りが初めと倒置され、また等しくされました、帰ることは出かけること、帰郷は旅立ちなのです。

『T・S・エリオット : 四つの四重奏』p.174

 森山泰夫の 204-205 の訳注はさらに詳しい。

 初めの still は unmoving の意。次の still は always の意である。「静止しつつ絶えず動く」とは、 the still point に身を置き、一見動かないように見えて実は活発に前進することを言う。Burnt Norton に at the still point, there the dance is (l.63) とあったが、「静止点」のこの特質にわが身もあやかりたい、という願望が聞こえる。また East Coker, l.128 に何もしないでじっと待つうちに闇は光となり、「静止は舞踏となる」とうたったその原理をわが身も実践したい、という決意が聞こえるのである。
 Into another intensity は ll.192-94 の Not the intense moment isolated …but a lifetime burning in every moment を受けて、燃え上がる激しい瞬間は決して特定の「点」ではなく、常に燃えている「線」だ、との考え方が下地になっている。そしてこの intensity とは、激しく求める「生き方」であり、「文芸の道」であり「愛」である。

『四つの四重奏曲』p.89

  「イースト・コーカー」の128行は「So the darkness shall be the light, and the stillness the dancing.(そのうち闇が光になり、静止していたものが踊り出す。)」と解釈されているように、エリオットにとって「still」は基本的に「静止」を意味するようなのである。(この森山泰夫訳の『四つの四重奏曲』はとても分かりやすい著書で新潮社が文庫で出版すればいいと思う。)

 さて肝心の西脇順三郎の訳である。『西脇順三郎コレクションⅢ 翻訳詩集』(慶應義塾大学出版会 2007.8.10)から引用してみる。

故里は出発するところだ。年とるにつれて
世の中はだんだんうとくなり、死と生との様相が
ますます複雑になる。過去も未来もない
孤立した緊張した瞬間などはない、
だが一生涯は各瞬間に燃えて、ただ一人の人の生涯では
なく、解読出来ない古代の石碑の一生だ。
星の光の晩にも一つの時期があり、
燈火の下の晩にも一つの時期がある
(写真帖のある晩)
現世が問題でなくなる時に
愛も最もそれ自体に近くなるのだ。
老人は探検者になるべきだ
現世の場所は問題ではない
われわれ静かに静かに動き始めなければならない
一つの別の緊張が入り
一つの未来の融合のために
あの暗い寒気と空虚の寂寥を通して
もっと深い霊的な交りのために。
あの波の叫び、あの風の叫び、
あの海燕のあの海豚いるかの広い海原、
 私の終りに私の初めがある。

『西脇順三郎コレクションⅢ 翻訳詩集』p.155-p.156

 西脇訳の初出は昭和43年11月に上梓された世界詩人全集16『エリオット詩集』(新潮社)で、二宮尊道の次に古い翻訳なのであるが(筆者も書き写しながら驚いたのだが)、どの訳よりも古びておらず、翻訳だと言われなければもともと日本語で書かれた詩と思うであろうし、昨日書かれた詩と言われれば信じてしまうだろう。大江は研究者たちによる詩の「正しい」解釈よりも完全に日本語に馴染ませた詩人の感性を評価したのではないだろうか? つまり日本人が西脇の感性に追いついたのである。もちろんノーベル財団はあずかり知らないことではあるが、翻訳だけを読んでも西脇がノーベル文学賞の候補になった理由が分かる。