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随筆(2020/12/16):人間関係を続けるために必要なことのいろいろ(下:シグナル、特に挨拶と贈物)

3.シグナル、特に挨拶と贈物

3.1.短期的なシグナル、特に挨拶ということの意味合い

シグナルが短期的にあるかないかは非常に重要です。

もちろん、大事なのは「好意がある、ちゃんとやると約束したい、報いたい。そういう気持ちはちゃんと伝わる」シグナルなのです。
これはちゃんと発信できなければならない。これなしに告白も約束も取引も出来る訳がない。

ですが、コミュニケーションのテーブルに立つことをしないで、これらがまともに受け取られるという保証もない。
コミュニケーションのテーブルに立つなら、挨拶というシグナルはとても大事です。

それは、「あなたに口を利いているし、私は口を利ける。あなたも私も人である」という意味を有するからです。

挨拶を返さないで、つまりは場にいる相手とのコミュニケーションを実践として要するに拒んで、一か月過ごしたやつがいたとしましょう。
そういうやつが、場に居座って、好かれるか嫌われるか。という問題があります。

「場にいるお前は会話可能な人間ではない。俺も会話可能な人間ではない。だが、場には居座らせてもらう」
というのが受け入れられる場というの、まあかなり少ないでしょう。
多分、その人は、受け入れられなくなります。居場所? なくなるでしょうね。

3.2.(ふつうは)中期的なシグナル、特に贈物ということの意味合い

なお、相手からの好意が、贈物という形でやってくることもあります。
「好意がある、ちゃんとやると約束したい、報いたい。そういう気持ちはちゃんと伝わる」シグナルの、かなりはっきりとした形ですね。
挨拶程は頻繁ではありませんが、「自分が相手をきちんと心にかけている」という身の証を立てるために、時々はあることです。

また、それはしばしば、
「価格はそれほどでもないが、報いたいという気持ちはちゃんと伝わる」
ものです。

取引ということを考えたら、こんなことをしている人、バカにしか見えませんね。
ですが、これは相手の出方を見るためのものでもあります。
良い反応や悪い反応があると、こちらも判断で無駄に悩むことが減る。まずはそれだけでも大きなメリットです。
ここは取引のテーブルで考えていても気づかないところで、というか取引以前の、「取引を続けるかさっさと次へ行くか」の話です。大事なムーブですよ。

***

逆に、これがない場合は、それが場のルールや法体系で制限されていない限り、
「お前なんかどうでもいい」
ということを意味します。
他人にこの仕打ちを受けてムッとする人、かなりいます。

ちなみに、これは
「後で報いるから」
とかいう話に、しばしば付随する問題です。
こういう考え方には、社会実践上、大きな罠がある訳ですね。

***

だからこそ、贈物については、
「有難く受け取る」
か、
「悪いが受け取る意図がなく、場のルールや法体系にも反するので、受け取れない」
かは、かなり早く明示した方がいいでしょう。

そこの話が通り、相性も合うなら、しばらく関係が回る。
そこの話が受け入れてもらえないか、相性が合わないなら、無駄な時間を使わずに次に行ける。
そういうのを伝えるのも、シグナルのうちです。

***

本当は、
「後で報いるため今は待たせる」
ということを、信頼のあまりないうちからやりまくると、
「お前なんかどうでもいい」
に加えて、
「お前から受けたご厚意、有難う。それはそれとして、恩義は踏み倒すね」
という、もうちょっと複雑な読まれ方をします。

ぶっちゃけ、踏み倒そうとしているやつと、外形的に何一つ区別出来ないからです。
信頼がないんだから。

「信頼していないのか」とムッとする?
信頼を示すためのシグナルを、そういう人は、何か、出して来たのだろうか。
そのためのシグナル、そのための挨拶、そのための贈物ではないか。
どれもやってない? 特に、節約のために、贈物という最後の一線を死守した?
そりゃあ、相手にとっても、信頼の一線を超えることは、極めて困難であろう。

向こうは全ギレで、
「信頼がない以上、踏み倒すやつとしか判断できまへんな。
そういう、こちらに損害を与えようとする人は、こちら側からも、ぶっ潰す、というのが最適解だとしか判断できまへんな」
的なことをがなりたてながら、弁護士と共にやってくる可能性がある訳です。
これは、実際に、決して低くない蓋然性で起こり得ます。
しかもこうなると、当然べらぼうに面倒になります。避けたいですよね。

心が通じ合っていたつもりの人に、
「お前、心を通じ合わせるつもりがないだろう。
信頼? なぜ自分が、何らの身の証も立てず、その上で、信頼されている。などと抜け抜けと信じた?」
と敵意をもって吐き捨てられるし、もちろん攻撃される。
これをシラフで対処しきれる人は、まずいません。本人はシラフのつもりでも、たいてい外形的には大混乱状態ですよ。

私だったら、これを避けるためなら、まあものすごく努力するでしょうね。
シグナル? 挨拶? 贈物? していて当たり前。そういう考え方をします。

***

「「残念ながら、受け取る意図がなく、場のルールにも反するので、受け取れない」という話を明示すると、逆恨みで報復されるから、明示したくない」?

初手で、意思と仁義の話をして、その上で報復をされる可能性はまずない。
むしろ、明示しないでズルズル行くと、報復のリスクが跳ね上がる。
挙句、好意や、特に贈物を、ダマテンしつつ裏で実は質屋に入れていたり、ゴミ箱に捨てていたら、世間的にはこれはふつうに非道ムーブですよ。
で、そういう非道ムーブを気が付いたらやっていて、最終的に私的に制裁される。メチャクチャ不毛な成り行きだと率直に思います。
きちんと、明示、しましょう。

3.3.私的な制裁をしない

とはいえ、公的でない、私的な制裁をやってる時点で論外なんですけどね。

そういうのは公の警察や裁判所でやれ。裁判所に弁護士を伴うのも公に認められている。
「公の司法の制裁に係る機関を認めない。自分は公の司法への信頼を持たないので、自警団ムーブを行う。
結果として自警団を野放しにしている公の司法への信頼は損なわれるが、知ったことかボケ」
という人が自警団として暴れると、公の司法への信頼を通り越して、治安全体がメチャメチャにされる。
なので、私的な制裁を基本認めない。というのが近代刑法の考え方の原則です。

それに、そもそも、私的に制裁された人は、可哀想ですよ。
ふつうそれは法に定めがない制裁なので、「これ以上の制裁は不可」という意識もない。ほぼ自動的に、公の司法が見たら何一つ許容されないレベルの、人権蹂躙を伴う制裁になる。
公の司法でない人が何の権限もなくやっている、この手の制裁が、私的な制裁だからという理由で、公の司法の行き届いた社会で、許されるとは思わない方がいいですよ。

という訳で、そもそもこういう危地に最初からいるべきではないし、危地にいたままズルズルと沈むべきではないのです。
ここでは後者を避けるためにどうすればよりマシかの話をしました。
それでもどうにもならないリスクは当然存在しますが、何はともあれ警察か裁判所か弁護士か全部ですよ。
彼らが敵だとしか思えないなら、とにかく福祉系役所窓口ですね。マジで。

3.4.贈物の目的は「自分が相手をきちんと心にかけている」と身の証を立てることであり、断じて「相手を買う」ことではない

なお、価格がすごいだけで、報いる気持ちがない(TPO、相手のニーズや価値観や感性、あるいは自分なりの真心と合致しているように見えない)贈物を贈ると、
「お前は商品であり、買われろ」
という意味合いがしばしば直ちに生じてくる。

これは、もちろん、マズイ。

商人相手に商品扱いをするの、

「は? 殺すぞ。
まずはボってからクレカ全部ガメて本人は4つに畳んで臓器レベルでバラしてパーツ売りしてマネタイズしよう。
こいつにも、「自分が人間であると同時に商品である」ということの意味合いを、心底理解してもらおうではないか。
理解しようがしまいが、施術後には死ぬんだけどな。
世界の真実を、死ぬ前に学べて、本当に良かったですね。
朝に道を聞かば、夕に死すとも可なれ。
君死に給へ。事切れて亡くなれ」

くらいにはキレられて当たり前なんだよなあ。

(繰り返すが、キレた人が、実際にそういうことをしていいかどうかというと、ダメなんですよ)

(上3つは、しちみ楼『パワー孔子』。下1つは詠み人知らずのコラ)

***

だもんで、こういう態度をする人からもらった贈物について、相手は恩に着るどころか、
「こんな邪悪生物の贈物、懲罰的にマネタイズしてやろうな」
って感じになるの、まーしゃーないのではないでしょうか。

(繰り返すが、キレた人が、実際にそういうことをしていいかどうかというと、ダメなんですよ。くどいようですが)

***

腸が煮えたぎるほど腹が立ってきますか?
むしろ、腹を立てた相手に、自分の臓物を売られてないことに、心底感謝すべきだと思いますよ。
あなたをパーツ売りしたら、しばしばそれなりの金になりますが、もちろんあなたはしばしばそれなりの確率で死ぬんですよ。
そうなってなくて、本当に良かったですね。

***

(え?
他人に自分の臓物を売られた? マジで? うーん。
極力お早めに何らかの役所のなんかの人権擁護部局窓口にご相談下さい。
適正かどうかはともかく、補償したり対処したりはしてくれるかとは存じます)

3.5.報いを信じられなくても、報われることをすれば、報酬はしばしば現に目の前に示されるし、その事実はやはり信頼に足る。と納得できる日が来る

受け取る人の心が、報いということに完全に期待しなくなっていて、
「そんなもんをくれるやつはアホである。こちらの心が死んでから贈物をくれるの、今更何だ。そういう茶番要素のあるSMか? そこまで邪悪なお前の遊びに、とても付き合ってられねえよ。くたばれ」
と反感を抱く可能性は、実はある。
そうだった場合は、まあしょうがない。お互い不幸でしたね。

そういう人は、ひょっとして、誰もコミュニケーションのテーブルにまともに立ってくれなかったのかも知れない。
そんなんで行われる、言行一致や、同意や合意や、正直や信頼や、取引や約束、全部容易く人の食い物にされうる。
そりゃあ、何も期待せんくもなるわいな。

***

でも、それでも、言動一致や、同意や合意や、正直や信頼や、取引や約束というものが。
たいていの場合、非常に大事なムーブである。
これは、本当にそうなのです。

少なくともあなたは、決して何もかも絶望しないで下さい。
それは、10回に9回は、ちゃんと報われる。
大局的にはそれで充分に報われていく。そういうものです。

***

なお、そうなっていない場合。
あなたは好き好んで報いを信じていない人たちとばかり関わっているか、状況的に関わる羽目になっている可能性がある。
彼らが辛い目に遭って来たのはおそらく間違いないのですが、じゃあそれはしかるべき業者か役所に任せましょう。
それはたいていプロの技能が要る。あなたがプロでないか、状況として職務でないのに、彼らを救うことは、まず無理だ。
少なくともあなたは、決してそのドツボにはまらないようにして下さい。

4.まとめ

誠実や信頼に基づく高度な人間関係は、維持のために手間がかかります。
ですが、そこから得られるものは大きい。約束も取引も成り立つようになる。
誠実や信頼に基づく高度な人間関係(と、そこから得られる約束や取引、そしてさらにそこから得られる様々な便益)が欲しいのなら、それはやっていきましょう。

やらないで、欲しがるだけだったら、そりゃあ向こうとしては
「は? ざけんな」
とは、そりゃあなる。

***

また、
「約束も取引も、要は相手から余儀なくされる侮辱的な営みであり、穢らわしく卑しい。要らない」
とかいうのも、やめた方がよいでしょう。
自由意志の純度が落ちようが、妥協を余儀なくされようが、それらは必要だから、価値があるから、やる。ということはよくある。

というか、そもそも、相手のいる人間関係なんだから、そこで何かやる以上、自分の自由意志の純度は落ちるに決まってる。
「余儀なくされる」?
当たり前です。そこで「自分の」自由意志の純度を貫徹したら、「相手の」自由意志をそれだけ損なうことは避けられない。
妥協は、同意や合意の際も、避けがたく起きる。同意できる話以外は同意できないし、じゃあそれらの話は諦めねばならないからだ。
「相手に何かしてもらいたいが、相手はしたくない。じゃあ、相手にしてもらえるよう、落としどころを探る」
というのは、常にある。

「相手にニーズを飲ませたい。自分のニーズをしてもらう割合が、相手のニーズをする場合に比べ、9:1くらいにしたい。そして同意や合意と言い張りたい。1やってやってるんだから文句言うな」
という、盗人猛々しい印象を相手に与えるのは、マズイ。
人間関係で自分の都合を、明らかに圧倒的に自分だけが得をするように、貫徹していることになるからだ。
これが、
「約束も取引も、要は相手から余儀なくされる侮辱的な営みであり、穢らわしく卑しい。要らない」
という話の骨子です。

これは約束や取引だからそうなっているのではない。相手から余儀なくしたりされたり、自由意志からは遠い妥協点を探るのは、同意や合意でも同じように起きる。
そういう時に、
「落としどころを探る」
ことはマズくなく、むしろ大事な話だ。そういうつもりでいましょう。

要は、落としどころを用意せず、自分の都合だけで突っ張るのがよくない。
また、相手が相手の都合を振りかざし、こちらが飲める落としどころを用意するそぶりすらしていないのなら、それはそんなやつからは逃げた方がいい。そいつは、搾取的なやつだ。
「飲める落としどころを用意せず、そっちの都合だけは飲ませようの、どういうつもりかは分からないが、やってることは外形的には要するに搾取だろう。そういうのやめろ。やってられっか」
くらいのことは、言ってやってもいいと思います。

***

あと、誠実や信頼に基づく高度な人間関係を維持するためには、誠実や信頼そのものも維持しなければならない。これが薄くなればなるほど、高度な人間関係とやらも維持できなくなる。
「自分は相手を気にかけている」
ということを示すシグナル、短期的なサイクルでの挨拶や、中期的なサイクルでの贈物は、そういう時にも大事になってくる。
そこは、ちゃんと、やっていきましょう。実は、大事な話なんだから。

こういう時に、
「後でやる」
というのは、本人としては本当に後でやるつもりなのかも知れませんが、外形的には踏み倒しの言い訳としてもよく出て来るやつです。
そう思われた時点で、その高度な人間関係は、近々立ち枯れして萎れていく。
不要不急の後回しは、出来るだけ避けましょう。

***

「ていねいな暮らし」のように、「ていねいな社交」や「ていねいな処世」、やっていきましょう。
いじょうです。

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