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自分で自分にいいねをする

私は、全ての自分の記事にいいねをしている。

今は少しマシになったが、昔から、かなり承認欲求が強かった。
そして、それにかなり苦しんだ。

ある時考えてみた。
生まれた時から、そうだったのか。
いや違う。。ではいつから?

そして気づいた。
原因は、毒親だった。
何かに挑戦する時、提案した時、親に賛同してもらったことが、一度もない。
私は、彼らに好かれたかった。認めてもらいたかった。

認めてほしくて、勉強を頑張って医学部に入った。
認めてほしくて、無理なダイエットをして食べることをやめた。
結果は、「頼むから消えてくれ」

私の中から何かが消えた。私は自分を殺そうとした。
そして失敗した。

嫌いになって、憎んで、離れて、、、
時間が経った今、関心がなくなった。
しかし、そこに至るまでの間、ずっと、ただひたすらに認められたい、という強烈な感情だけが燻っていた。

かわいそうな奴だったと思う。
今思えば、必死に誰かに自分を認めてもらおうと、勉強を始めとした、あらゆる手段を駆使して、マウントを取ろうとしていた。
自分を好きになれず、認められず、常に自分に自信がなくて、誰かに褒めてもらえないと、存在を認めてもらえないと、正気を保っていられない。。
まぁ、いわゆる脆弱性ナルシストだった。
だが、いくらマウントを取っても、褒めてもらっても、私が満足することはなかった。
考えてみたら、当たり前だ。
底に穴が空いたコップにいくら水を注いでも、満たされることはない。
私の心には、穴が空いていた。


またある時、承認欲求を消そうとする努力をやめた。
そして、また気づいた。
自分で認めればいい。承認欲求さえも、認めてしまえばいい。
いいねが欲しい?何が悪い。そりゃそうだ。
だったら私が押そう。

自分で自分を受け入れて、認める。
本当に自信があるやつは、誰に認めてもらえなくても、自分がわかっていれば、それで大満足なのだ。
誰よりも自分を知っていて、誰よりも自分を見ている人間からの心からの承認以上の承認があるだろうか。
日々注がれる嘘偽りない受容と承認。
気づけば、私の穴は、消えていた。


ところで、
今、私は私が好きでも嫌いでもない。
私は今は私だが、いつかは離れて消えるものだし、そう考えると、たかだか数十年の付き合いなわけだ。
輪廻転生とか、そういう話ではない。
ただ、ああ、私が割り当てられたのはこの人ね、という感じ。
外せないVR、という感じだろうか。
だが、なんだか、大切に思っている。この人を大事にしたいと思っている。
この人の生き様をできるだけ見てみたいし、感じてみたい。


だから、私はどんな私も受け入れ、認める。
やりたいことがあるなら応援する。成長したいならサポートする。しんどくなったら休ませてあげる。食事をあげて、睡眠を取らせて、運動にも忘れず連れていく。日々のこの人の世話をきちんとする。なんだか犬を飼ってるみたいだ笑
まぁ何はともあれ、一生この人に添い遂げる覚悟はできている。


そして、今日も、私は自分で自分にいいねを押す。

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