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キリスト教

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クリスチャントゥデイの編集長が不定期にnote.comを巡ってこれは良いと思ったキリスト教関係の記事をまとめていったものです。
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2022年3月の記事一覧

生きる意味

生きる意味は、一言で言えば

『神さまと一緒に生きること。』

聖書の初めには

が書いてある。

この結果、

(神に従わない)人々の管理する世界は

戦争や、ねたみ、憎しみ、苦しみなどが

存在する

今のような世の中になってしまった(今後さらに悪化していくと聖書に記されている。)

ただ、この世には終わりがあって、それはイエス・キリストが

もう一度来るということ。

そのとき、キリストが、

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私は誰か マタイの福音書5章13-16節

私は誰か マタイの福音書5章13-16節

あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。マタイ5:13-16

Podcast Faith Hope Lo

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「普通のキリスト教」について

「普通のキリスト教」について

「普通のキリスト教」なんてものはないと思います。

単に「大海を知らない井の中の蛙の自分が、自分の教会が、自分の教派が、自分の国で、自分の文化圏で、自分の民族で、自分の知る言語を使う人が、自分と同じくらいの学歴、職歴の人が、普通に感じる、狭い世間の、キリスト教」しかないと覚えたい。

今ネットで色んな国のいろんな言語のいろんな文化のいろんな民族の礼拝見れるから、手当たり次第に「礼拝」という単語と地

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討論(相手の論を討伐する)から築論(建設的議論)へ

相手を論理で言い負かすことを「議論」だと考えている人は少なくない。日本では議論(discussion)と討論(debate)の区別があまりない。これは海外でも同様らしいけど。
ただ、「建設的議論」と言っても「建設的討論」とは言わないように、討論は「相手の論を討つ」という攻撃的なものと考えてよさそう。

で、「議論をしましょう」となると、討論のことだと考えて理詰めで相手を追い詰め、一人勝ちすることを

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新しく生まれるとは

新しく生まれるとは

はじめに主は言われました。

「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」

これはどういう意味でしょうか。

このことを正しく理解しないなら、私たちは神の国を見ることができません。

とても大切なことですから、ご一緒に聖書から確認してみましょう。

新しく生まれた者=キリストにある者「新しく生まれた者」と「キリストにある者」はイコールでつながっています。

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