よちよちクリスチャン

幼子のような目で聖書を読もうとするクリスチャンです。 あらゆる教派の教え、神学を通さず…

よちよちクリスチャン

幼子のような目で聖書を読もうとするクリスチャンです。 あらゆる教派の教え、神学を通さず、「聖書のみ」に歩むことによって気づいたことを書いていきます。 いいと思った記事は、どんどん拡散してください。多くの方が真理に目覚めますように。

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  • よちよちクリスチャンの聖書ノート

    幼子のようなクリスチャンの私が、幼子のような目で聖書から発見した真理をお伝えします。

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聖書は本当は何と言っている?

聖書、それは一体誰のものでしょう。 聖書自身が次のように教えています。 世の中にはたくさんの聖書解釈があります。そして、それらは必ずしも一致するものではありません。そんな教派の一つを、自分の信じるものとして採用してしまってもいいものでしょうか。イエス様の時代、パリサイ派とサドカイ派、どちらが正しかったでしょう。 残念ながら、どちらも間違っていました。 人々が真理に立つには、主流派の神学から脱出する以外になかったのです。 正しいのは、神の言葉、聖書だけです。つまり、私たち

    • 私たちは今も異邦人なのか

      はじめに神様の目から見て、私たちは今も異邦人なのでしょうか。 確かに、聖書は私たちのことを「異邦人」と呼びます。 割礼を受けている人々と区別するために、そう呼んでいるのです。 しかし、神様の目に、私たちは今も異邦人なのでしょうか。 これはとても大切な問題ですので、聖書からきちんと確認しておきましょう。 あなたの先祖はアブラハムですか?まずは質問させてください。 あなたの先祖はアブラハムですか? 多くの人が「違います」と答えるでしょう。 では、質問を変えます。 あな

      • 七の周期に見る、世の終わり

        はじめに私たち人類は、日、月、年などの周期をもって生活しています。 これらの周期は、天体の動きから、いつでも確認できます。 ところが、週はどうでしょう。 この周期だけは、どの天体からも観測することはできません。 にもかかわらず、古来より、人類はこの周期を使って生活してきました。 最も古い文明とされるメソポタミアでさえ、すでに週制度を使っていたのです。 一体、この七の周期はどこから来たのでしょうか。 聖書だけが、その答えを教えてくれます。 神の働かれる周期七の周期は、

        • 私たちのすべき戦い

          はじめに聖書は、私たちに戦うようにと何度も教えています。 さて、私たちは一体、どんな戦いをすべきなのでしょうか。 私たちのすべき戦い私たちクリスチャンのすべき戦いは、支配と権威に対する戦いだと聖書は教えます。 どういうことでしょうか。 ある町に、二人の農夫がいたとします。 片方の農夫は、毎日、脇目も振らずに働いて、大きな収穫を得ました。 その収穫で、さらに農地を増やして、忙しくはなりましたが、蓄えはもっと増えました。 もう片方の農夫は、神様を最優先にし、安息日には

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        • よちよちクリスチャンの聖書ノート
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        記事

          準備はできていますか?

          はじめに「信じるだけで救われる」そのような説教が、多くの教会で聞かれます。 これはキリスト教の常識と言ってもいいでしょう。 では、その聖書箇所を見てみましょう。 ──ありません。 そのような聖句は、聖書のどこにも存在しないのです。 「信じるだけ」と検索しても、決して出てくることはありません。 この事実は、「信じるだけで救われる」という教えが、聖書の教えではないことを表しています。 ショックなことですが、まずは真実に目を向けることから始めましょう。 救いの教え聖書に

          準備はできていますか?

          「古い契約」の本当の意味

          はじめに聖書は、「古い契約」と「新しい契約」について教えてくれます。 一体なぜ、古い契約が与えられたのでしょうか。 初めから、新しい契約ではだめだったのでしょうか。 今、古い契約とは何か、ご一緒に聖書から確認してみましょう。 古い契約古い契約とは、モーセの書に書かれた契約のことです。 古い契約とは、神の契約を守るなら、聖なる国民となるというものでした。 その守るべき契約は、十戒だと聖書に書かれています。 「契約の中で契約を守る」というとややこしいですが、 十戒は古

          「古い契約」の本当の意味

          やさしく解説「ガラテヤ人への手紙」

          はじめにガラテヤ人への手紙は、私たちがどのようにして義とされるのかを教えてくれる、有益な書物です。 その一方で、誤解や曲解を生みやすい書物でもあります。 正しく読むには、聖書のほかの箇所と一致した読み方をしなければなりません。 ご一緒に確認してみましょう。 律法を行うことで義とされる?この手紙は、ガラテヤ諸教会の人々が、偽の福音に惑わされてしまったことから始まります。 その偽の福音とは、 「人は律法(ことに割礼)を行うことによって義とされる」という教えです。 それ

          やさしく解説「ガラテヤ人への手紙」

          人は罪を犯さない者になれるのか

          はじめに私たちは罪を犯さない者になれるのでしょうか。 クリスチャンであっても、意見の分かれるテーマかと思います。 今、聖書が何と教えているか、確認してみましょう。 聖書の教えキリストに留まる者は誰も、罪を犯さない、これが聖書の教えです。 キリストは律法違反を取り除くために現れたのであり、律法に違反する人は誰も、キリストを知らないのだと聖書は教えます。 このことに同意しますか? まずは、同意するか、拒絶するか、私たちは選ばなくてはなりません。 ここで、教派の教えを捨

          人は罪を犯さない者になれるのか

          不信仰とはこのことです

          はじめに聖書の教える不信仰とは何でしょう。 ある人は、救いの確定を否定する人のことを、不信仰だと非難します。 不信仰とは、そういうことでしょうか。 聖書から確かめてみましょう。 私たちを神の愛から引き離すものはないハレルヤ! 神の愛から私たちを引き離すものは何もありません。 とはいえ、これを、裁きのときに無罪とされる理由に使うことができるのでしょうか。 神はすべての人を愛し、すべての人が救われることを望んでおられます。 だから、全員が救われるのでしょうか。 いい

          不信仰とはこのことです

          悔い改めは一度きりか

          はじめに「悔い改めは一度きりのものである」と教えるクリスチャンと、 「罪を犯したなら、そのたびに悔い改める必要がある」と教えるクリスチャンがいます。 一体、どちらが正しいのでしょうか。 ご一緒に聖書から確認してみましょう。 本来のクリスチャンの姿先に、本来クリスチャンとは、どのような者であるかを確認しておきましょう。 罪を犯すことができない。これが本来のクリスチャンの姿です。 ところが、同じ手紙に、こうも書いてあります。 一体、どういうことでしょうか。 悪に染ま

          悔い改めは一度きりか

          「人を裁くな」の本当の意味

          はじめに「人を裁くな」そう聖書に書いてあります。 これはどういう意味でしょうか。 「あなたのしているそれは罪ですよ」と言ってはならないということでしょうか。 だとしたら、バプテスマのヨハネや、イエス様の言動は、これと大きく異なることになります。 今、この言葉の本当の意味を、聖書から確認してみましょう。 罪を指摘してはならない?まず覚えてください。 間違った解釈の多くは、聖句を切り取ることから生まれるのです。 ここだけを切り取るなら、「他人を裁かない人は、神の裁きを

          「人を裁くな」の本当の意味

          天国へ行く方法

          はじめにあなたがクリスチャンであれば、次のような説教を聞いたことがあるかと思います。 「私たちは、行いに関係なく天国へ行きます」 「私たちは、ただ神の選びによって天国へ行きます」 これについて、今日、聖書の御言葉を確認してみましょう。 天国へ行く方法おわりに愛する兄弟姉妹の皆さん。ここが正念場です。 今回、私はあえて、自分の言葉を一切入れませんでした。 ただ、聖書の御言葉を紹介したのみです。 にもかかわらず、否定的な感情が起こったとしたら、落ち着いて、考えてみてく

          救われる者は少ない

          はじめに「救われる者は少ない」そう聖書が教えているのを知っているでしょうか。 このとおり、救われる人は少ないのです。 神様の力が足りないからでしょうか。 それとも、神様が救われる人を少ししか選んでいないからでしょうか。 これはとても大切なことですので、きちんと聖書から確認してみましょう。 神様のせいではない神様の力が足りないから、救われる人が少ないのではありません。 このとおり、神様は全能であり、神様に救えない人はいません。 では、予定説を唱える人々の言うように、

          救われる者は少ない

          本当のクリスチャン

          はじめに私たちは誰しも、クリスチャンと名乗ることができます。 しかしその全員が、聖書の定義するクリスチャンであるとは限りません。 聖書は、どのような人が本当のクリスチャンであると教えているでしょうか。 ご一緒に確認してみましょう。 クリスチャンとは何かクリスチャンとは何か、それは聖書にはっきりと書かれています。 何も難しいことはありません。 キリストの弟子、それがクリスチャンです。 弟子でないというなら、クリスチャンではありません。 弟子となる方法では、どのような

          本当のクリスチャン

          先の者があとになるとは

          はじめに聖書には、「先の者があとになり、あとの者が先になる」という教えが何度も出てきます。 これは何を伝えているのでしょうか。 とても大切なことですので、ご一緒に確認してみましょう。 金持ちの青年「先の者があとになる」その教えは、ある金持ちの青年がやって来たことから始まりました。 永遠の命に入りたいなら、十戒を守りなさいとイエス様は教えました。 まずはこれを否定せず、続きを見てみましょう。 表面的に十戒を守るだけでは、足りませんでした。 何もかも捨てて主に従うという

          先の者があとになるとは

          バビロン、ソドム、エジプトの意味

          はじめに黙示録には、バビロン、ソドム、エジプトという町の名が出てきます。 これが何を意味するのかを、私たちは確実に悟らなければなりません。 とても重要なことですから、ご一緒に確認していきましょう。 大いなる都バビロン黙示録は、背教した教会を「淫婦」「大いなる都」「バビロン」と呼び、 残りの教会を「聖徒」「聖なる都」「エルサレム」と呼びます。 言うまでもありませんが、私たちは聖なる都エルサレムに属さなければなりません。大いなる都バビロンに属するなら、激しい神の怒りを受け

          バビロン、ソドム、エジプトの意味