準備はできていますか?
はじめに
「信じるだけで救われる」そのような説教が、多くの教会で聞かれます。
これはキリスト教の常識と言ってもいいでしょう。
では、その聖書箇所を見てみましょう。
──ありません。
そのような聖句は、聖書のどこにも存在しないのです。
「信じるだけ」と検索しても、決して出てくることはありません。
この事実は、「信じるだけで救われる」という教えが、聖書の教えではないことを表しています。
ショックなことですが、まずは真実に目を向けることから始めましょう。
救いの教え
聖書には、「こういう者が救われる」という教えがたくさん書かれています。
その中には、次のような聖句もあります。
これが「信じるだけで救われる」の正体です。
「だけ」とはどこにも書かれていません。
聖書は「信じる者が救われる」と教えているのであって、
「信じるだけで救われる」とは教えていないことに注意してください。
「信じるだけ」と「信じる者」の違い
あるところに、どんな患者でも救ってしまう名医がいました。
そこへある日、今にも死にそうな顔をした男が訪ねてきました。
「先生、どうか助けてください。とても具合が悪いのです」
医者はその男を診察し、こう言いました。「大丈夫だ、私を信じなさい」
すると男は涙ながらに言いました。「信じます」
それで医者は次のように忠告しました。「原因は酒だ。酒を捨てれば、必ず良くなる」
さて、この男が医者を信じるならどうするでしょう。
「信じるだけで治るそうだ」そう言って、酒を飲み続けるでしょうか。
それとも、医者の忠告に従って、そのとおりに行うでしょうか。
これが「信じるだけ」と「信じる者」の違いです。
ところで、私たちの医者はこう忠告しています。
自分を捨てて従う者だけが命を得る
命を得るのは、週に一度、教会に通っている人ではありません。
自分を捨てて主に従うようになった人です。
この教えに違和感を感じる人もいるでしょう。
それは、教会がそのように教えていないからです。
けれども、そのように教える教会も、ちゃんと存在することを知ってください。
もしもあなたが、聖書のとおりに教える教会に通っていれば、決して違和感を感じなかったはずです。
言うまでもありませんが、聖書の教えはすべて本当です。
自分を十字架で殺し、キリストのものとなって従う人でなければ、決して命を得ることはないのです。
どうか、このことから目をそらさないでください。
嫌われることを覚悟の上で、お知らせしているのです😢
誰もロトの妻のようになってほしくないからです。
もちろん、イエス様もそう思っておられます。
完全に従うか、そうでないか
聖書は、決して二心を認めてはいません。
100%神に従うか、そうでないか、二つに一つなのです。
90%しか従わない人を、主が迎えに来ることはありません。
初めの教会は、このことをきちんと教えていたではありませんか。
「信じるだけ」とは、一体何でしょう。
そんな教えは聖書にないのです。
今ならまだ間に合います。
どうか、自分が本当に神の言葉を信じ、その教えを愛しているか、心を探ってみてください。
主はあなたを招いておられます。
それに応えた人だけが、主のものとなるのです。
おわりに
「信じるだけ」という教えは、聖書とはほど遠い教えです。
その間違った教えのために、多くの人が準備できておらず、滅びの道を歩んでいます。
もしも今夜、主が来られたらどうなるでしょう。
今準備していなければ、もうその機会は永遠に来ないのです。
「教会の教えが間違っているなんて、信じられない」
そう思う気持ちはよく分かります。
しかし、あなたは聖書を信じているはずです。
そこに希望があります。
世の中には様々な教派があって、それぞれに異なった教えを語っているのです。
そして残念なことに、より生ぬるい教えが人気を得て、今では厳しい教えをする教会はほとんどなくなってしまいました。
「もしかして、自分が間違っているかも」と思うことは、決して恥ずかしいことではありません。
恥ずかしいのは、傲慢になって真理を拒絶した、パリサイ人の姿です。
自分を低くする者を、主は高くしてくださいます。
心を入れ替えて幼子のようにならなければ、誰も天国に入ることはできないのです。
このブログを信じる必要はありません。
ただ、ご自身のためにも、聖書を確かめてみてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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