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再臨直前の状態

はじめに

次にイエス・キリストが来られるとき、世界はどんな状態にあると思いますか?

大患難のせいで、世の中は混乱しているに違いない、そう思うでしょうか。
映画や小説で、そのようなシーンを見たよ、そう言うでしょうか。

それはサタンのもたらしたにせの情報かもしれません。

今、思い込みを捨てて、聖書がどのように教えているかを見てみましょう。

聖書の教える再臨直前の状態

マタイの福音書
24:37 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。
24:38 すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。
24:39 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。

いかがでしょうか。
思っていた印象とずいぶん違うかもしれません。

けれど聖書によれば、人々はその瞬間まで平常どおりの生活をしており、何も気づくことはないのです。

ルカの福音書
17:26 そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。
17:27 ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした
17:28 ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
17:29 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした
17:30 人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。

何もない日常に、突如、滅びが望むのです。

テサロニケ人への手紙 第一
5:2 あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。
5:3 人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。

間違いありません。人々が平常どおりに生活し、「平和だ、安全だ」と言っている矢先に、突然の滅びが彼らを襲うのです。

大患難はどこへ行ったのか

「それなら、再臨の前にあるという大患難はどこへ行ったのか」そう思う方もいるでしょう。

これについて、しゅは次のように言っておられます。

マタイの福音書
24:21 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
24:22 もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。

よく見てください。
大患難とは、私たちの「体」をおびやかすようなものではないのです。
大患難とは、私たちの「救い」をおびやかすようなものなのです。

本当の大患難

「その期間が縮められないなら、救われる者は一人もない」という大患難とは何か、想像してみましょう。

それはクリスチャンを激しく迫害することでしょうか。
そうだとしたら、むしろ真の信仰者を大量に生み出す結果となるでしょう。

では、天変地異が起こることでしょうか。
それもやはり、真の信仰者を生み出す結果となるでしょう。
いずれにせよ、聖書の語る再臨直前の状態と食い違います。

それなら、人々が気づくことなく、救われる者が一人もいなくなるほどの大患難とは、一体何でしょう。

それはこうです。
サタンがにせの教えをき散らし、教会がそれに引きずり込まれて眠ってしまうこと
これが大患難の正体です。

考えてもみてください。
永遠の命を持っていると言いながら、じつは死んだ状態にさせられている。
救いの確信はあるのに、じつは救われていない
これほどひどい攻撃があるでしょうか。

ヨハネの黙示録
3:1 サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる

間違った教えがき散らされる

そのようなことは、すでに預言されていました。

ペテロの手紙 第二
2:1 しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている
2:2 また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。

また、こうも言われています。

テモテへの手紙 第二
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。

耳障りのよい話とは何でしょう。作り話とは何でしょう。

それはずばり、「律法とは無関係の救い」です。
現に、そのような教えが教会の主流派を占めています。

注意してください。
それはパウロ書簡を曲解した、滅びの教えです。

ペテロの手紙 第二
3:16 その手紙でパウロは、ほかのすべての手紙でもしているように、このことについて語っています。その中には理解しにくいところがあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

毒麦の正体

律法に背く人を、聖書は「不法の者」と呼びます。

サタンのいた毒麦とは、じつに、人々に不法(すなわち律法違反)を行わせることなのです。

マタイの福音書
13:37 イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。
13:38 畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。
13:39 それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。
13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。
13:41 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
13:42 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

実際、現代の教会を見ると、十戒じっかいを守る人と、守らない人が、ともに畑で育っています。

「そんな指摘をしなくていい。毒麦を抜かないように教えてるじゃないか。何が正しかったかは天国で教えてもらえるんだ」そう叫ぶ人がいます。

とんでもないことです! よく見てください、毒麦は倉に納められず、火で焼かれてしまうのです。
「収穫まで両方とも育つままにしておけ」とは、収穫する天使に向かって言っているのです。
この猶予期間のあいだに、私たちは熱心に悔い改めねばなりません!

ヨハネの黙示録
3:19 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい

サタンの手口

今、サタンの手口をすべて明かします。

滅びの教えは、サタンが不法の者を出現させたことによって始まりました。

テサロニケ人への手紙 第二
2:3 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない
2:4 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。

サタンはこれを、未来に現れる独裁者のように教えますが、そうではありません。
これはダニエル書によって預言された「小さい角」、すなわちローマ教皇のことです。

ダニエル書
7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。

もう、時と律法は変えられています聖徒は彼の手に渡されています
すなわち、ローマ教皇によって十戒じっかいの安息日は日曜礼拝にすり替えられ、多くのクリスチャンが十戒じっかいを守らない者、すなわち不法の者にされているのです。

このままだとどうなると教えられているでしょうか。

マタイの福音書
7:23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。

おわりに

今、世界は再臨直前の状態にあります。
霊的な大患難の中に、私たちはいるのです。

有名な神学者が言わなければ、信じないでしょうか。
大工や漁師の言うことなど、信じないでしょうか。

聞く耳のある人は、どうか今のうちに、天国へ行く人の特徴を備えてください。

イザヤ書
56:6 また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は──
56:7 わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」。

間もなくしゅが来られ、地上に御怒みいかりが注がれるでしょう。
それを逃れうる聖徒の特徴は何でしょうか。

ヨハネの黙示録
14:12 ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。

律法を守ることで救われるのではありません。
律法を守れるようにしてもらうことが救いなのです。
これを受け入れないなら、私たちは滅びるしかありません。

このブログを信じる必要はありません。
どうか、聖書を信じてください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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