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鹿児島 敬天愛人

前説

どうもこんばんは。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
僕はおかげさまで元気です。

風邪をひかないように気をつけてね。
ここでは旅の話を書いています。
旅好きな人と思い出をシェア出来れば幸いです。

さて、沖縄から始まったこの話も。奄美大島を経て、九州は鹿児島までやってきました。

物語とは別軸で、その時に感じていた気持ちを残しています。
noteでは、それをわかりやすく。引用表示で記入しています。

(今回の書き出しの様な見え方)

さぁもうすぐ、フェリーが鹿児島の港に着くようです。

鹿児島 敬天愛人

僕にも人を愛せることができたのなら、いま、ここにいなかったのかもしれない。って、書いたら、目の奥の方がじーんとした。
実は今、ブルガリアのヴェリコ・タルノヴォという山の中の街でこれを書いている。ずっと書きたかったけど書けなかった。
そんな時、本を書いている旅人と出会った。

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鹿児島のフェリーターミナルへ一歩足を踏み入れた。

この旅で初めて感じる、九州っていう島。桜島が見えた。青空と、噴煙も。

バスをつかまえて、鹿児島中央駅へ。「あっ、駅の上に観覧車がある」

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僕は鹿児島中央駅前のゲストハウスで、オーストラリアのアデレードの農場で働いていたというとしさんに再開した。

僕ととしさんは沖縄の宿で会っていた。

この頃くらいからだよ、「オーストラリア」っていう言葉がだんだん聞こえるようになってきたのは。

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としさんはオーストラリアでの旅を終えて、沖縄から宮城のある実家まで旅をしていた。ここでも震災の話を聞いた。そして、「ワーキングホリデー」の話も聞いたんだ。俺の可能性に少し火が付いた。
「これから大分へ行く」と、言うとしさん。僕の目的地も大分になりそうだ。そういえば、としさんとは「戦争」の話もした。というか、俺はただ聞いていた。

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鹿児島の天文館っていうアーケード通りを観光した。どうやらこの街は西郷隆盛をとても推しているみたいだ。

「天を敬い人を愛する」まるで聖者、俺にもできるんだろうか。

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かごしま近代文学館で、向田邦子の特集をやっていたので、『あ・うん』という本を買った。僕もおじいちゃんの真似をして「俳句」を紙に書いて、常設されていた箱に入れた。なんて書いたのか、もう1mmも思い出せない。

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帰り道、遠くの鹿児島中央駅の上の観覧車が夕暮れに染まっていた。

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ドミトリーの部屋に戻ると、もうとしさんの姿は跡形もなくなっていた。

隣のベッドには、俺より少し年上だと思われる新しい兄さんがいて、またゆるく会話が始まる。どこから来たかだとか、どこへ行くのだとか。

屋久島から帰ってきたみたいで、山登りが好きらしいその人と一緒に夜の鹿児島の街へ出た。

鹿児島と言えば黒豚、僕達は宿の人に教えてもらった黒豚が美味しいと有名な店に出掛けた。ビールも飲んで、気持ち良くなったところで、その人の推しもあってラウンジという所に出掛けた。

どうやらキャバクラじゃないらしい。

苦手だったな、そういうの。何を話していいかわからなくなる。

僕達がバーカウンターに座ると、綺麗で可愛い感じの娘が僕達の前についた。でも、旅の途中だし長居はしなかった。

なんだか煮え切らない夜。

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翌日、鹿児島の街の近くの城山展望台から、噴煙を上げている桜島を見た後、フェリーに乗って桜島へ。
海風を感じながら桜島溶岩なぎさ遊歩道を歩いた。

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そう言えば、やす君も屋久島に行ったって言っていた。

俺もいつか行ってみたい。


編集後記

ありがとうございました。
日本編は、2万文字以上の言葉を削りました。

最初は誰に見せるわけでもないから、自由気ままに書きすぎていて、公開出来ないくらい雑に書いていました。

何度も化粧して、今こうしてみんなとシェアしています。

ブルガリアで書き始めた時の事は覚えていて、リンダと言うスコティッシュのおばちゃんのヴェリコ・タルノボォの別荘の2階の一室で書いてました。

住み込みのボランティアとして働いてたんですよ。楽しそうでしょ。

この旅に出てどのくらい写真を撮っただろう。ざっと20万枚くらいは撮ってるんじゃないかな。

今度気が向いたら数えてみます。

さぁ。次回は鹿児島から一路、宮崎へ。

九州を駆け回って何処まで行くのか。

どうぞよろしくお願いします。

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