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「金」という魔物②〜夢の残骸〜

前回、こんな記事を書いた。

前回の記事を読んでいる人なら、少しはこのストーリーに入り易くなると思う。

おわりのはじまり

前回の終わりの話から、2〜3年後のこと。

ストーリーに絡んできていた「相方」なる男は

ここにも登場する。

気になる人がいるかは分からないが

彼とのストーリーに終止符を打つ話だ。

さして今は何とも思っていないし、

ポジティブに変換できているのだが

「お金」とは、人を変えてしまう。

だからこそ、僕は飲み込まれたくはない

そう思っている。


再会

電話番号だけはずっと知っていたままの彼だが、

お互いが連絡を取り合うことはなかった。

それこそ、期間で考えると前回の決別からは

4〜5年は経過していた。

もうあの頃の「許せない」という感情も

砂漠の花のように枯れていた。

というよりかは、もう無に帰していたというべきか。

その日唐突な電話がかかってきた。

携帯電話の画面には「彼」の名前があった。

間違い電話かとも思ったが

それにしては着信が長い。

恐る恐る電話を取ると、

懐かしい声が聴こえてきた。

『久しぶり、元気にしてるか?』

あの頃と変わらない声、喋り方で語りかけてくる。

あの時。

もう戻ることはできないと思ったあの空間が

ほんの少しだけ僕の頭をよぎった。


電話の理由

電話の理由は単純な話で、

僕が単に重度のゲーマーだったのを彼が思い出し

買ったばかりのPS3のフレンドになってほしい

というものだった。

フレンドになると、チャット機能で電話のように喋れるので

たまたま僕も彼もヘッドセットを持っていたので

そっちで通話しようということになった。

お互い、何の謝罪もない。

あの時、唐突に僕が部屋を出たこと

あの時、東京についてきてくれなかったこと

そんなことがどうでもよくなるほどに

楽しい時間だった。

お互い次の日は仕事なのにも関わらず

朝方まで通話をしていた。

やはり相方なんだな、そう思った。


夢、音楽への後悔

お互いがお互い、歌うことが好きだった。

あの時半分持ってくれた荷物というのは、ほかならない

僕のギターだ。

僕がギターを弾いて、彼が歌う。

高校生の時にやっていた、ライブ活動の延長。

それは、僕が単身上京したことで頓挫したわけだ。

『なあ、また一緒に音楽やらないか?』

数日間、連続で電話をした3日目くらいに

彼がそう言った。

断る理由なんてなかった。

あの頃は東京に行くことだけを考えていたから。

だから僕は彼に告げた。

「本当に結果を出すやつは

どこにいても結果を出す。

東京にいてもできないやつもいれば

熊本にいてもできるやつはできる」と。


再始動への道のり

そこからは、お互い仕事を半年間やって

お金を貯めて

二人で福岡に住んで

音楽活動に打ち込もうと決めた。

彼は家庭環境で地元を捨てた人間だったが

一度、僕の実家まで来てくれた。

その時のために僕が作った楽曲、

すべてで25曲を聴いてもらった。

『お前、本当にすごいな。天才だと思う。』

いろんな音楽を聴いてきた彼が、

何度も褒めてくれる。

あの頃は何か恥ずかしくて聴かせれなかった歌も

大人になったからか、平気だった。

その時、二人で録音したデモ音源のCDは

今でも持っている。宝物だ。

中でも彼が大絶賛していた楽曲は、

いつか機会があれば

どこかで公表したいくらいの出来である。


二人で住む

彼の知り合いが勤めていた不動産のおかげで

入居手続きはスムーズに終えた。

やはり最初はお金がなくて

東京生活ほどではないまでも

少しはお腹が満たされない日々が続く。

だが、あの時よりマシだ。

一度乗り越えてきたし、

今回は「相方」がいる。

家賃もなんだかんだ折半だし、

普通に働いていればなんてことはない額だ。

83000円の家賃の半分だから、一人41500円。

契約者は僕で、保証人は僕の父親。

当時、僕の父親は大腸がんで入院していた。

その父親にだけは迷惑をかけないというのが

最初の約束事だった。

ひき逃げ

これは語っておくべきことだから書く。

彼は僕と一緒に住む少し前に「ひき逃げ」にあっていた。

幸いにも怪我は軽度で、

日常生活にも支障はなかった。

実際に、そのひき逃げに関する書類も見せてもらったことがある。

一緒に住み始めるタイミングで言われたのが

・ひき逃げの件で通帳を市(国)が管理していること

・そのせいで給料の振込が翌月の頭になること

・家賃は月末締めだから、間に合わない。

↑上記の理由を説明していて、翌月の頭まで待ってもらえてる

と彼は言っていた。

だから家賃の支払いは、彼が直接行うらしく

月末までに彼の部屋の前に

「半分の金額」を置いておく

というルールを作った。


相方の変化

一緒に住み始めて半年が経つ頃から

彼の様子がおかしくなりはじめた。

彼はもともと仕事を「辞める」と言わずに辞める癖があった。

いわゆる「とぶ」「バックレ」ってやつ。

それで突然仕事を辞めた。

そして、当時お互い彼女がいたのだが

急に彼女の連絡も返さないようになり

何度か彼女が勝手に訪ねてきていた。

その後も仕事を探して、決まったとしても

出勤初日から行かなかったり

一日だけ行って辞める、

ということを何度も繰り返していた。

その期間の中で、僕も一度だけ

本当にブラックな職場に当たり

一度だけ「バックレ」をした。

今では悪いことをしたとは特に思わないが、

当時の僕は罪悪感で病んだ。

彼は手馴れているので

「気にしなくていい」としきりに言ってくれた。

バックレたことにより、

職場から僕への給料は支払われなかった。

だからすぐにでも、僕にはお金が必要だった。


夜職との出会い

たまたま知り合った知人に

夜の仕事をやらないか、ともちかけられた。

日払いの給料も相談可

ということで僕は飛びついた。

そこから、僕と相方の生活の時間がずれ始めた。

環境がよかったから、

僕はどっぷり夜職にハマっていってしまう。

家に帰っても昼くらいで、

相方は仕事に行っているのか、

いつもいなかった。

僕が夜起きて準備を始める頃には

彼は寝ているようで、

僕はこっそりと部屋をあとにしていたのだった。

お互いの意思疎通の為のメッセージボードには

最初は「頑張れ」なんて書いてあったり

「お疲れ様」なんて僕も書いてたりしたが

ある日、急に毛色の違う文字が書かれていた。


捨てろよ

最初読んだときは、

ちょっと意味がわからなかった。

『何でお前ゴミ出ししてくれないわけ?』

捨てなかったのには理由があった。

そのゴミ袋に入っているゴミのほとんどが

彼の捨てたゴミだった。

僕はその時、夜職に味をしめていたから

お客さんに、ご飯を食べさせてもらったりしていた。

カップ麺や、ほっともっとのゴミなんて見たくなかった。

だから返事として

「気づいてるんなら、自分で捨てたほうが早くない?」

と書いた。

ちなみに、彼は常に携帯が止まっているので

LINEなんかでのやりとりはできなかった。

結局、次の日帰ると

『お前が前に、次は自分が捨てるって言っただろ

自分の言葉に責任持て』 

淡白にも、そう書いてあった。

ちなみにその時点でも、

ゴミ袋は捨てられてないし

何なら食べたであろうゴミは増えていた。

むしろ最後に会って話したのいつだよ…

と思っていたくらい。

「別に捨てるのは構わないんだけど、

ほとんど自分のゴミってのはわかってるよね?」

そう書いておいたら次の日、

『もういい』とだけ

殴り書きのように書いてあった。


見知らぬ来訪者

そこに住み始めて、

もう一年が経とうとしていた。

相方とは、しばらく顔を合わせていない。

ただ、その日も

何事もなく終わるはずだと思ってた。

昼前に家に帰った僕は、

シャワーを浴びる準備をする。

すると、無機質なチャイムが鳴った。

そもそもオートロックなのにも関わらず、

なぜチャイムが鳴ったのかという疑問は

この時には出てこなかった。

何気なしに扉を開けてみると

知らないおじさんが立っていた。

悪い人か?

壺でも押し付けられるのか?

変な緊張感が走る。

そのおじさんは、僕にこう告げた。

「家賃が2ヶ月分支払われてないんですが・・・。」


真実

突然のことで何も分かってない僕だったが

おじさんの素性を聞くことはできた。

入居者が家賃を払えない時に、

代行で先に支払いをしててくれる会社の人で

いくらなんでも2ヶ月の滞納はまずいということで

訪ねてきたらしい。

僕は、同居者がいること

そして彼がひき逃げにあってて、

支払いが遅れてしまうこと

僕はお金を彼の部屋の前に置いていたこと

そのお金は2ヶ月連続でなくなっていたこと

いろんなことをテンパって言ったと思う。

おじさんからの返答も、すごく淡白なものだった。

「同居者がいることは知りませんが

それなら確認してもらっていいですか?」

確かにこのおじさんからしたら、

僕の身の上話なんてどうでもよくて

僕がどんな状況なのかにも興味なんてない。

「お金さえ払ってくれれば」それでいいわけなのだから。

なんとなくだが、それを察した。

同居者に確認をとってみる、とおじさんに告げると

「また後日、これくらいの時間にくる」

と言い、帰っていった。


怒り

僕はすぐに携帯を手に取った。

相方にメールを送るためだ。

家賃が支払われてないとはどういうことだ、

このままだと、父親にも迷惑がかかる。

溜まっていたいろんな怒りが出てきた。

長文で送ると、そんなに時間もかからず返事があった。

『え?マジで?確認してみる(汗)』

それにも返事を返したが、

その日彼からの返事はなかった。

この時は特に何も思っておらず

何らかの手違いで、振込が遅れているだけなんだろうと

そんな風にしか思わず、

シャワーを浴びたあとにすぐ寝た。


変貌

翌日の同じくらいの時間、彼からのメールは届いた。

記憶の範囲、原文で書こうと思う。

『突然だけど、もうその家には帰らない。』

『俺はこれから先、お前になんと思われようと構わない』

『もうなんとでも言ってくれ』

『ゴミ捨ての件から、俺はお前に苛立ちしかない。』

『ちょうど1年の契約更新の時期に

こういうことになるようにしたのは、俺の最後の優しさ』

こんな感じのことがつらつらと書いてあった。

眩暈とも呼べる感覚に陥る。

ただ僕にも、言い分と疑問はあった。

①お金はどうしたのか、返してくれるのか

②彼の部屋の荷物は全てそのままだが、どうするのか

③親に迷惑かけないという約束を破るのは、人としてどうなのか

大まかに言うとこんな感じ。

①に関しては、返答すらくれなかった。

それこそ、彼がしきりに言う

「最後の優しさ」とやらに、かき消された。

どこが優しいのかは今でも分からない。

ていうか、契約更新2年だし。

お金だけは返してほしい、

そのメールは無視された。


変貌2

②に関しては、

『お前の好きにしていい』の一点張り。

そもそもブラウン管のテレビなんか

その時代に使うわけもないし

彼が何年も使っていたくたびれたベッドなんて

使いたくもなかった。

あと彼の荷物たちは処分する時に55000円ほどかかった。

余談だが、その数ヵ月後に一度実家に帰った時

ドライヤーを実家に忘れてしまい

彼の部屋のを借りようかと思ったのだが

彼の部屋のドライヤーはなくなっていた。

今になって思えば、確信犯だったのかもしれない。

必要なものだけを持って、彼はいなくなったのだと

ドライヤーがないことに気づいたとき

僕は、彼がもう僕のもとには戻ってこないのだと

そこで初めて実感したのを覚えている。

それと彼の部屋を最後に片付けている時に、

こんなものが出てきた。

女の子を妊娠させた挙句、

そのまま逃げたと疑わしい内容のノート。

その女の子からの、悲痛の叫び。

何とも言えない気持ちになった。

これを読みながら、僕はわあわあ泣いた。


確かに彼は元々、借金もするような男だったし

先輩のゲーム機を盗んで売ったり

仕事も無断で休み、辞めるようなやつだった。

それでも、その被害が

まさか14年間の付き合いの僕に向けられるとは

思いもしなかった。

人は、容易く裏切る、また

本人には裏切ったという、自覚すらないのかもしれない。

どんなに綺麗事を叫んでも

人間が一番大事なのは自分自身だ。

そう思った。

彼は自分を守ろうと必死だったのだろう。

今ではそう思う。


変貌3

③は特に書く事もないが、

とにかく

『お前になんて思われてもいい』

『もう俺には関係のないこと』

そればかりだった。

確かに、契約者は僕で

保証人は父親だった。

彼が家を出ようと、

彼にとって何の痛手でもないのだ。

契約書というものの恐ろしさを痛感した。

そして人の怖さも。

父親は、大腸がんで入院していたが

この一件によって借金を負った僕のせいで

ひっきりなしに電話が鳴っていたと

数年後に聞かされた。

当時は親にも怒られなくて不思議だったが

父親が一人でその負債の電話を受け止めてくれていた。

あんなに前作で「殺してやりたい」とまで思ってた人に、

僕は、ただただ助けられていたのだった。

自分の無力さ、無知さを知った。


人生初の借金

そういえば前作では、

お金がなくて死にそうになったが

借金はなかった。

子供の頃から厳格な親だったから

借金だけはしないように、とうるさかったのもある。

だが今回は話が違う。

家賃の滞納をした上で、

お金を盗って逃げられたのだ。

41500円×2ヶ月=83000円の損失。

そして

83000円×2ヶ月=166000円の滞納。

さらに

その当月分の83000円も払えるだけの余裕なんてない。


食を切り詰める生活が始まった。

そして、後日分かったことだが、

組んでいたローンの支払いもこの一件で滞っていた。

合計で70万ほどの借金を背負っていた。

今でも思い出すと、夏は助かった。

ガス代が払えなくてガスを止められても

少し我慢して水を浴びればいい。

風呂上りは寒いが、

夏ならそれでもちょうどよかった。


変化した生活の質

その時僕は、夜の仕事で店長になっていた。

僕は新人と語るのが好きで、

元々は、よく後輩たちにご飯を奢っていた。

焼肉だったり牛丼だったり寿司だったり。

もちろん、お金を出してくれるお客さんもいたが

男同士で会話するときに、お客さんはいない方がいい。

給料の大半は、夜職の他店への挨拶回りと

後輩たちに奢ることに使っていた。

あとお客さんの気持ちを掴むためのものを買ったり。

あと色恋用のホテル代もだいたいは僕が出してた。

お金回りが悪くなると、離れていく人も出てきた。

それこそ、他のお店への挨拶回りなんてそうで

うちの店で使ってくれるのに、使ってあげれるお金がない。

お客さんを連れて行けば早いが、

それを全部の周りに使っていたら

自店で思うように使わせられない。

顔が広い分、縁が切れるのも早かった。

「あいつはお返しにこない」

そんな声を、何度か聞いた。

少ししか聞こえなかったけど、もっといたんだと思う。

それでもうちの店が楽しいから、

僕が楽しいから、って来てくれる人もたくさんいた。

その分、僕にもプライドがあった。

夜職に大事なものは、プライドだと思っていた。

だが借金生活で、自分に使うお金すらない。

他人に構ってられる余裕は、ミクロ単位ででもなかった。

生きるために働くのか、

働くために生きるのか

そんなことすら考えられないほどの生活は続いた。

前作では、もやしだったが

お客さんが捕まらなかったり

家でゆっくりしてたい日は

買い置きしていた安物のパスタ(もやしよりコスパいい)を

多めの塩で茹でて、そのまま食べた。

病気なんてしたら、外にもでれないので

連日それだけ食べて生き延びた。


「生きる」にしがみつく

生きるのに必死だった。

死にたくなんてない。

でも夜の仕事でプライドもあった。

お金はなくとも、お金を出してくれるお客さん、

そして友人や先輩もそれなりにいた。

だんだんプライドなんて、薄れていった。

今でこそ、ヒモのような生活だが

この時のお金がないことが学びになっている。

僕はただ、生きていたかった。

生きるための術として、

僕は人に奢られる術を身につけた。

生きるためなら何だってできる。

こんなふうに死にかけた、という生活でもあれば

きっとみんな、ヒモみたいになれるんだと思う。

「女の子に奢ってもらったり、お金貰ったり

住ませてもらって、いい身分だなあ」

地元に帰ったとき、

大して仲も良くないやつに言われた。

そう思うんなら、してみればいいと思った。

まともに飯が食えない、

寒いのにエアコンもつけれない、

トイレの水も流れない。

そこで無様にでも「生きよう」としたら、

嫌でも身につくはずだ。

僕は生きるのに必死になった。

そう。ただ、それだけだ。


お金より大事なものがある

そんな仲良くないやつに限って

「お金が大事」と言われた時、

難色を示す傾向にあると思う。

「お金より大事なものなんて、たくさんあるよ」

「お前はそれをわかってないだけ」

なんて僕は何度も言われた、その度に

全力でブチギレてやろうかとも思った。

少なくとも、僕くらいのダメージを負ったこともないような

僕ほどの貧乏をしたことないようなやつにだけは

そんなことなんて、言われたくなかった。

そんな綺麗事で、飯が食えるんなら

いくらでも言ってやる。

少なくともそんなやつらよりは

僕のほうが、お金の大事さは知っている。

失ったこともないやつが

上っ面で言っていい言葉じゃない。

でも確かにお金より、大事なものがあるのは事実だ。

それは精神論とか、信頼とか

目に見えないものもそうだけど

一度、極限状態になった人が

感覚で知るものもあると思う。

「お金より大事なものがある」と、

綺麗事が大好きな日本人たちは言うはずだ。

でもそれは、小さな頃から

学校で学ばされた洗脳でしかない。

理解しないで、その言葉が先行してる。


ポジティブを買った

さて、借金まで背負ったとなると

こんな話をしたら、その「相方」とやらに

僕が殺意を持っているかのような

そんなふうに思う人がいる。

確かに思い出して、少し腹立たしくもなるが

少し感謝もしている。

僕はその事件まで、底なしのネガティブだった。

人はいつか裏切る、とか

人間なんて信用しても…とか

そんなことばかり思ってたし

そんなことばかり言ってた。

相方に逃げられた時に殺意や、ネガティブは浮かんだ。

人間なんて信用するもんじゃない

そう思った。


でも、次に出会う人が

その「相方以下である」と最初から決め付けるのは

あまりにも、失礼な話であることに気がついた。

その相方以下の人なんて、たぶんあんまりいない。

また、人間は嫌なことが記憶に残りやすい。

そして嬉しいことは徐々に忘れていく。

人間の嫌なところばかり目につくけど

たぶん自分の思い出せないところで

お金より大事なものを、きっと手に入れてたはずなんだ。

お金をとられた嫌なことばかりに目を向けるな。

都合が悪い時だけ、悲劇のヒーローを気取るな。

そう思ったとき、僕はポジティブになった。

僕は借金をしてまで、

嫌いだった「ネガティブ」を捨てれたのだった。

これは負け惜しみとか、

そうならざるをえなかったとか、

そんなのじゃない。

今は出会う人全てに、ポジティブに出会うことができる。

この人はどんな人なんだろう。

面白い人だといいな。

そうやって生きてる。


僕が泣いた理由

お金は人を狂わせる。

まさに今の自分がそうで

情緒不安定になりながら、

この記事を書いている。

お金を手放すことができると

ある程度の執着心を捨てれる。

つまりまだまだ手放せてない。

勉強不足だ。


先日、知人の結婚式があった。

数ヶ月前に快諾したものの、

携帯を盗られて、買い直したおかげで

ご祝儀が用意できるか、わからなくなった。


僕の母親は昔から、

僕のやることにケチをつけてくる。

「だから言ったのに」

「言わんこっちゃない」

耳に声が残るほど、幼い頃から何度も何度も言われた。


それでも、約束を破ることはしたくない。

僕はせめて、自分には誠実に生きたいし

その生き方があってる。

だから僕は、苦手だけど

母親に頭を下げた。

結婚式に行きたいからお金を貸してほしい、と。

母親は怒り、僕を罵った。

喚き散らしながら、

「自分に余裕がないくせに他人の結婚式?」

「人を馬鹿にしてるのか」

「いつもそうだ、だから昔から言ってるのに」

「ずっとフラフラしてる自分が悪い」

「自分で自分のことをちゃんと考えろ」

もっとひどい人格否定もされた、

人生も否定された、

この人は、そうなんだ。

だから頭を下げたくなかった。

だが、言ってることは正論で

いくら働き方や、生き方を改善しようとしたところで

そこでお金が稼げていない以上、

子の心配をしてしまう親には

「遊んでいる」以外には見えないのだった。


曲がりなりにも、母親なりに愛してくれていることは

他の誰より、僕が知っているはずだ。

だから、言われて反論しようともしたけど

その事実は変えようがなかったし

論破されてしまったことにより

顔面蒼白になりながら

「そうだよね、ごめん…。」とだけ言い

自室に戻った。

5分後に母親が部屋にやってきた。

手には3万円が握られていて

「これで足りる?これは返さなくていいよ」

「実際、きついよね。さっきはごめんね。」

と言われた。

涙は押し殺して

ありがとう、そう言って部屋に戻ったあと

涙が溢れてきた。

久しぶりに、心から泣いた。

母親の優しさと、自分の不甲斐なさに。


お金がないのは、何があったとしても自分の怠慢だ。

技術がない、それがあったとしてもやらない、

身に付けようともしない。

盗られたとしたら、守ろうともしない、

そこから稼ごうともしない。

結局は、何があっても自分自身の怠慢でしかない。


僕は泣いた。

自分がただただ、甘えてきたことを

ここにきて痛感してしまった。

この涙を甘えるための涙にはしたくない。

前に進むための涙。

そのための覚悟。

まだまだ足りない。


僕はこのままで終わりたくない。

終われない。

だから、これからも「生きる」にしがみつく。








特別編〜「相方」とのその後〜

ここから先は、書くつもりのなかった文章だ。

しかし、折角の機会だから残しておこうと思う。

本編ではないし特に興味のない人は、

そのまま閉じてくれてかまわない。


あの「もうその家には帰らない」事件から

数ヵ月経ったある日のこと。

僕が店長を務めるお店に、

2週間ほど前に入った男の子がいて

その子から相談を受けた。

内容は結構ひどいもので

先輩が一緒に住もうと提案してきたから、一緒に住んだのに

彼女ができたという理由で部屋を追い出されたという。

僕とはまた違うが、その子もまた

「裏切り」のような仕打ちを受けていた。

その子の相談というのは

家賃を折半するから、住ませてほしいということだった。

僕は快諾した。

83000円と生活費を半分にできるのだから。

その日は、一度部屋を見に来てもらい

お客さんの家に泊めてもらっているというその子は

荷物を取りにいくために数日後から来たいと言っていた。

その次の日、とある人物からメールが届いた。


差出人は「相方」だった。

彼が出て行ってから、もう3ヶ月ほどだ。

そこにはつらつらと「謝罪の言葉」

「戻ってきたい」という泣き言が綴られていた。

僕は考えた。

このまま新人の子をうちに住ませるより

相方が戻ってくる方が、お金も戻ってくるだろう。

そっちのほうが、人生を立て直せる気がした。


その日の仕事の時に、その子に事情を説明すると

どうにかして家を探してみます、と言ってくれた。

準備は整った。


説明も済んだことを相方にメールすると

『今月の半ばには戻る』と言われた。

だから、返事もそこそこに待つ日々。


月の半ばになった。

むしろ、15日くらいと思ったが既に20日。

その間、連絡は一切なかった。

もう一度メールを送る。

『ごめん、月末になりそう』

そんな返事だった。


次の月の頭になった。

その間、連絡は一切なかった。

再び、メールを送る。

『ごめん、月の半ばになりそう』

その返事にはもう返さなかった。


その月の末になった。

三度、メールを送る。

その日、彼からの返事はなかった。

待つのも無意味なほどで、

すぐに24時間は経過した。


共通のLINEのグループチャットがあった。

相方と、知人2人、そして僕の4人。

携帯の止まっている相方は、

ずいぶん前から見ていないから

僕の送信したメールにはずっと「既読2」と表示されていた。

僕は今回のことを誰にも言わなかったが

このグルチャの他の2人には、知っていてほしかった。

僕は感情のままに、書き込んだ。

「帰る帰る言って、いつになっても帰ってこない嘘つき野郎。」

瞬時に「既読1」がついた。



そして同時に、それより上の僕のメッセージは

「既読3」になっていた。


彼からのLINEは淡白なものだった。

思い返せばいつだって、そうだ。

『お前、俺のことそんなふうに思ってたんだな。

だったらもう帰らねーよ、さよなら』

このメッセージを最後に、

彼はグルチャを抜けた。

携帯は止まっていなかったのかもしれない。

もしくはWi-Fi環境のあるところにいたのかもしれない。

考えても仕方のないことばかりが頭をよぎる。


これを最後に、彼とはもう連絡をとっていない。

人にこんな話をすると、

「憎たらしいでしょ?」

なんてやっぱり聞かれるものだ。

だけど、一発ぶん殴れたらそれでいいかな、と思っている。

こんな奴に、憎しみの矛先を向けるのも

時間の無駄だ。

時間はもっと有意義に使わなきゃいけない。


今回は、こんなところでおしまい。

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