記事一覧
「光のとこにいてね」〜一穂 ミチ
「パッヘルヘブンのカノン」。 追いかけるように輪唱。家庭環境の違う二人の少女の物語が、それぞれ、交互に章を分けて一人称で語られる。ずらし、重なり合いながら響くメロディーは美しくももの悲しい。それは、ひとりの人間の内にある二面性のようにも感じた。終盤に睡眠導入剤で眠らせて場面転換するのは安易か。しかも2回。
「1973年のピンボール 」〜村上 春樹
70年のしめった夏が終わり、73年の乾いて冷めた秋にはなにも残っていない。想い出を遡ってもそこは忘れ去られた冷凍倉庫。まるで、アドレセンスの霊安室。たぶん、80年代後半以来の再読だが、これもまた、断片の記憶も残っていなかった。という作品。
「ノルウェイの森」 〜村上 春樹
小説って読む歳によってこんなに味わいが変わるかってちょっとビックリしている。 -- 結局のところ──と僕は思う──文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかないのだ。 第一章より -- 克明なことよりザックリしないと、記憶はできても言語化した記録はできないってことかな。そういう事。初版当時、恋愛世代現役では見えていなかった青春の骨格が切なくて、楽しめた。
「騎士団長殺し」〜村上 春樹
再読。ふんだんに盛り込まれている様々なセックスだけれど、物語にはとても大事な栄養素。全体を通底するテーマは遺伝子のルーツを父と母に向けた無自覚な希求なのかもしれない。男と女の行為、つまり性行為とは新たな命を創造する神聖なものとして昇華している(伊豆高原の施設からの「穴」への事柄は全国各地にある胎内めぐり※を連想させる)。
小説としてはとてもファンタージで現実と夢の間がとてもグラデーションで快い。
「流浪の月」(Kindle版)〜凪良 ゆう
「関係を表す適切な、世間が納得する名前はなにもない。」これはパラドックスで一緒にいたいと思う感情は愛という器には盛れない根源的な意識。その関係には名前などいらないということだ。つまり恋愛などロマンチシズムに醸成された幻想でしかないのかもしれない。
「わたしを離さないで」 (ハヤカワepi文庫)〜カズオ イシグロ
私たちは都合のわるい「事実」を都合のよい「妄想と思い込み」で差し替えて生きている。丁寧で確信犯の供述自白文書のような体裁と単眼的な主観で語られた告白により、読者は逆にストーリーの外側においやられ俯瞰することになる。まるで産業動物のように産まれ育ち、その役割をはたしていく青年たちの灯す青白い炎で炙り出される「魂」が語りかけてくるのは、命は命を消費しながらいきているという、なかなか直視できない、しよう
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