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2699文字、理念や権利を悪用させない為に必要なものについて

3598文字、政治の矮小化に対する責任は誰にあるのかについて(哲学やその刷新試みが形骸化する原因としてのプラトン問題やデカルト問題にも触れて)

3451文字、幸不幸を根拠とする有り様を倫理不全や知性不全として位置付ける空間へと変えるための理解

4175文字、自己肯定感の捉え直し、および、宗教や理念との付き合い方について

3051文字、構造主義を相対主義ごと乗り越えるにはデカルトのミスにまで遡る必要があるのでないかという話

3341文字、包摂から逃げ回る有り様はプラトン問題に包摂されるのではないかという話

2841文字、文系事象との付き合い方について、文系的な論理性の欠如問題に触れつつ

4168文字、ポストモダンを近代の焼き直しと位置付けた場合の近代の乗り越え方について

2741文字、現実をそのまま肯定する系(内実不問な肯定の類)を論理性の不備として扱おうという話

2941文字、機能不全という観点から見た感情についての理解を、真善美の論点共通性にも触れつつ

3641文字、対ルールを軽視する言動に付き合わないでいる為に必要なものについて

2014文字、センスおよび死は論点を取り違えられてきたのでないかという話

3166文字、政治の矮小化の防ぎ方について(知性倫理美意識の権威が形骸である証拠となるものにも触れて)

3896文字、権利概念が奪う根拠になる状況を終わらせる為に押さえるべき理解について

3419文字、救済する側にも、される側にも、泣き寝入り強要が生じていない救済(自己救済込み)について

3808文字、帰属修正が先立ってる空間(認識場や社会)を準備する必要性について

4184文字、善悪枠組みに振り回されない為に必要な理解について

3567文字、デカルトとカントに関する功罪の分別ミスの影響について、善悪という枠組みに対する検討も付けて

3410文字、糾弾は何を対象にし、何を前提にするべきかという話、人間関係に対するいらぬ対立を生まない言及の仕方にも触れて

4125文字、生を軽視した哲学、および、通念的論理像の妄信は、どういう観点から糾弾されるべきかについて

4741文字、実存の無条件肯定は無理筋でないかという話を多様性の観点から、二通りの生き方の意味するところにも触れつつ

2917文字、いらぬ対立に付き合わされ続けてる現状を変える(近代の再生産を終わらせる)為に必要と思われる事について

3151文字、無益に思われる事さえある哲学に、今後担ってもらうべき役回りについて(リベラルをどう位置付けるかにも触れて)

3484文字、反出生主義に丸め込まれてしまわない為に必要だろう理解について、ある種のプロが安易さそのものへのアプローチを妨害するケースにも触れつつ

4118文字、受容に値する生について(生への割り引きを拒む生第一主義とは別のイメージで)、および、派閥性への言及

3241文字、終わってない近代を終わらせる為の最初の一歩について、批判が近代性に留まってる対カントにも触れて

2999文字、自由を理念として掲げる際(自由が理念として掲げられてるところに出くわした際)の注意点について

3328文字、主体への内実不問な肯定の推奨(真善美に誤認させる誘導込み)が持つ有害性について

4413文字、多様性の確保や資格の開放をその内容としてる主張は何が足りていないのかについて

3332文字、既存の哲学(対問題の抽象度の低さが許されてる)がベースになってる世界と決別できてると言える為の条件について

2898文字、多様性潰しとそう見えるだけに留まる多様性の退け方について、存在課題の観点から

2797文字、哲学を上限化(理解力に対する誤解問題込み)させるのに必要と思われるものについて、その上限化の必要性にも触れつつ

3692文字、有用性問題や自己責任論を、上下論枠組みから解放する話

3341文字、和や助け合いを生かす為に必要だろう理解について、文系領域での相対主義をどう位置付けるかにも触れつつ

4666文字、3つの主流哲学や文系論理を縛る二択からの哲学の解放、および、帰属操作に寛容な知性倫理美意識からの最も帰属修正的な観点の救出

4211文字、自由概念や責任概念についての再考、文系空間がどういう意味でぬるいと言えるのかにも触れて

2982文字、実社会や文系学問世界に送り出すまでに、子どもに持たせるべき能力(現状、大学受験とは関係ないそれ)について

4666文字、読む能力に関する誤解や意義、教育者に求める事について、攻撃に対する過剰反応の観点から

4067文字、カントの権威は、どのような意味で修正されるべきかについて

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3417文字、家庭環境をはじめ、教育環境なり労働環境なり常に放り込まれてる中で、環境へのいらぬ特化をどう防ぐかについて、正義概念の救出にも触れつつ

4641字、多様性が修正余地のある個別性かどうかを無視する弊害に鈍感である場合に、および、カントニーチェへの権威扱いを目にした際に思うべき事について

3009字、ニーチェに対する肯定的態度も負う事になる、ある責任について

4619文字(本文3025文字)、他者に対して閉じない、という話が有害化するのを防ぐ為に必要だろう理解について(カントへの疑念を付しつつ)

3480文字、既存の文系権威の推奨物に惑わされない為に押さえるべき点について

3504文字、方法的懐疑以降の哲学者達へのある疑いについて、個人改善と社会改善の形骸化対策にも触れて

3699文字、変化不変化自体への着目、自己起源な選択という自由像、これらは有害でないかという話(人間形式レベルの疎外的事態にも触れて)

2491文字、知性や倫理や美意識を疑似問題に注ぎ込んでしまわない為に(自由や平等についての誤解、哲学の再位置づけにも触れつつ)

2666文字、何をもって近代以降の文系教育を乗り越えてると言えるかについて、存在像が表層と内実のどちらに立脚してるかの観点から

4198文字、カントヘーゲルラッセルの流れは不当合理が保存されてる件、及び、平和教育と差別教育の間の矛盾の解消法について