欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
最近の記事
- 固定された記事
3598文字、政治の矮小化に対する責任は誰にあるのかについて(哲学やその刷新試みが形骸化する原因としてのプラトン問題やデカルト問題にも触れて)
2024-6-004 政治が矮小化する原因にはまず、内実の確からしさ差異をもって変化不変化を評価しない態度 (内実の確からしさ差異に関係なく常に表層形をもって肯定否定する有り様の一具体形であり、 内実の確からしさが上限である、かつ、内実の確からしさを損なわない表層形が選ばれてるなら、 表層形の望ましさ具合とは関係なくその表層形を肯定する方針の不在)があると思います。 この場合の内実確からしさ差異は、理想を割り引く程度を最小にしてる現実を点として紡いでる歴史 (限定されて
1200文字、なぜ実存の無条件肯定が内容の理念に疑問を持たない人がいるのかについて、尊重の形骸化(実質としての不当な扱い)への感度不足の観点から
2024-9-008 例えば、最善を尽くして失敗した場合は修正余地がなく受容に値しますが、最善を尽くしてない場合の失敗でも、 その人が代替不可能な内外事情にしか応じない実存(自己が存在するのと引き換えでない要素は自己存在に帰属させてない有り様)を生きてるなら、 注力有り様に修正余地がないので、失敗の影響を悪い意味で受けた人にとっても、存在を尊重する限りにおいて受容に値すると言えます。 (意識は注力的問題解決である為、注力精度の上限を意味するその実存を生きてるなら、 精度の
2170文字、なぜ形骸個性での多様性に疑問を持たない人がいるのか、および、なぜ自己責任と社会責任の二択に疑問を持たない人がいるのかについて
2024-9-006 表層形の多様性のみを問題にしてる多様性確保は、個別性の取り違え最小化(対人で言うと、代替不可能な内外事情にしか応じない実存)を条件にしていないので、 存在するのと引き換えでない要素まで存在に帰属させてる状態での個別性立脚、 ひいては、帰属操作(修正余地がなく受容に値する帰属関係よりも先立たせてるものがある状態)や、 存在悪用(存在尊重にかこつけた帰属操作なり、奪われる立場発生の正当化なり)の保障です。 にもかかわらず、さらには、存在尊重が形骸化して
3230文字、理系の人が論理の不十分さに敏感であるのと同じだけの敏感さを、個別性の取り違えに対して持つよう文系者に要求しようという話
2024-9-005 論理には個別性が根拠になる局面での論理とならない局面での論理があると解していれば、 感情を根拠にする事自体が論理の拒絶を意味してる事にはならないし、論理的に感情を根拠にしてるケースとしてないケースがある事になります。 (論理展開は成功してるかどうかはともかく、通用が行き渡ってる状態の維持、局面の取り違え最小な性質に合わせた表層形の構築、 この両者間の行き来による同一性変化性の同時達成である、抽象化具体化交互反復による表層形変転というイメージです。
999文字、未来世代(もさらなる未来世代)に対して負うべき責任について、反映させる個々事情の限定条件をフェアとする立場(対市場や対民主制込み)から
2024-9-004 我々は置かれてる場に自身を通用させ続けるという存在課題を生命という形式の下でこなしており、 個体の細胞が入れ替わるように、個体の入れ替わりによる同一性変化性同時達成も、種レベルでの対応としてそれに含まれてると言えます。 また、人間という種は存在課題への対策として次元設定の自在性を追求してると推測します。 これが言える場合、今何が問われてるかを把握し、その把握に合わせて着目無視の設定を定める処理が機能してないなら、 例えば、足の速さが問われてる状況で、
3538文字、我々は文系における思考や議論を、あるいは、文系の教育を生かし切れてないし、形骸なそれらに振り回されてる事実に気づいてないという話
2024-9-002 肯定否定の根拠を、通用してる領域の広狭と確からしさとの相関と解し、その相関を何の差異に関して持ち出すか決める観点設定についてもその相関を適用するレベルで、それへの依拠を徹底する場合、 それでもなお確からしい、内外境界の発生を意味する有限の与件性、通用領域の常時上限を意味するより確からしいものが取って代わる運動性としての無限性、これらの統合物であるかどうか、 つまりは、有限性がこの運動性の受容阻害を最小にしてるかどうか(当然、より確からしい有限性有り様
4159文字、十代前半の達成課題の未達許容の弊害として、秩序と権利、どちらかの名の下の泣き寝入り強要の二択もあるという話を、教育の修正像と共に
2024-9-001 十代前半の達成課題を、妄信と反動反発の二択からの脱却と解せば、場に合わせる合わさないの表層形反転二択 (空気を読む読まない、資本主義などの標準になってる形式に付き合う付き合わない、自他の内面世界が持ってる価値体系を肯定するしない等)な発想は、 場の本質にのみ合わせて自他のポジションや具体的有り様を規定したり、そうなる(帰属修正余地がない、したがって、受容に値する状態の達成)のを自己正当化に先立たせる (当然、帰属修正の要求に対して不当な扱いを受けたと