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落語台本続き。演劇や映画の台本には「当て書き」というものがある。演じる俳優を想定し脚本を書くのだ。落語の台本もこれに近いと思う。私は演者と膝突き合わせ、個性を見極め執筆する。つまり噺家が言う「落語作家がいない」とは、「(自分の感性に合う)落語作家がいない」という意味なのであろう。

落語台本続き。私の肌感覚で言うと、落語台本の需要は確実にある。そのためであろう公募も多数ある。才能が渇望されているのだ。けれど「新進の落語作家」の噂は聞かない。現れても定着しないのだろう。問題はいくつか思い当たる。最たる要因は落語は台本だけで成り立つものではないということだろう。

続き。けれど私は落語作家になるつもりはない。私の本業は小説家であるし、なにより落語台本の執筆は割に合わない。なので頼まれたら書くという姿勢。とはいえギャラが発生するのだから、いい加減な仕事はしない。「残る」という意味では小説執筆と同じだし、自己表現の一手段でもあるのだから。

noteに創作落語の台本が溢れていることを知り、読み漁っている。そして、落語台本も創作の立派な1ジャンルであることを認識した。けれど不思議である。私の知るどの噺家も「落語作家がいない」と嘆いているのだ。なので私のような者に執筆依頼が来る。いったい、この齟齬はどこから来るのか?

2週間前

続き。「演者さんに直に会うのは難しいのでは?」と思うかもしれないが、そんなことはない。私は肩書がない頃から楽屋を訪ねたり出待ちをしたりし、演者に感想を伝えていた。弟子入り志願者などは自宅を探し出し会いにゆく。ともかく演者に会い気持ちを伝えるのはそう難しいことではない。熱意のみ。

続き。ところで、私はどのような経緯で落語を書くようになったのか。元々私の小説は落語的だったのだ。それを読んだ演芸関係者からオファーがあり、台本執筆を依頼されたのが始まりである。けれど事情により、その台本は日の目を見なかった。そして後に価値観の合う演者の手に渡り形になったのである。

まとめ。自作の落語台本を世の中に出すことは可能。けれどそれを「業」にするのはお勧めしない。ただ才がある人は応援したい。以上が私の落語創作についての見解。それとこれは他のジャンルを含めて言えるが、食えません。表現と心中する覚悟のある者だけ出てきてほしいし、結局は残るはずです。

続き。なので噺家は自分で作品を創って演じる。でもこれが一番の理想。けれど皆が創れるわけではない。そして自身にない作風を求める演者もいる。そこで必要とされるのが落語作家だろう。けれど相性も問われる。相性とは感性であり価値観。ここが合致すれば、作品を世の中に出すことは可能であろう。

続き。note内のクリエーターは玉石混交。落語作家しかり。けれど稀有な才能が散見される。そんな作者には世の中に出てきてほしいが、食えない世界なので積極的に背中は押せない。ただ、落語を書ける人は充分ストーリーテイラー。他のジャンルも書けるはず。この「複合」が踏台になる気がする。

続き。となるとおのずと道は見えてくる。公募入選などで実力をつけ(レベルが高いことは大前提である)、演じてもらいたい人に当てて書き、批評してもらえばよい。これを「あちら側」から金銭を伴う依頼が来るまで続けるのだ。当然だがその間は無収入である。いわば落語作家としての前座修行だろう。

電子版「千マイルブルース」は現在Amazonで審査中だが、これが通ればようやく一区切りとなる。それで次の作業だが、創作落語にとりかかる。桂三若氏に演じてもらうのだ。内容はバイクが出てくる人情噺。落語としても作品が残るというのは、物書きとして感慨深い。待っててくれよ、三ちゃん。

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